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演劇史概々論

鶴屋南北[過剰メモ]

新しい興行形態の創出

初日は『仮名手本忠臣蔵』六段目までと、『東海道四谷怪談』の見せ場の「穏亡堀の場」までを、2日目はその「穏亡堀の場」から始めて、「忠臣蔵」の十段目までをやり、その後『四谷』を終わらせて、最後に「忠臣蔵赤穂浪士の討ち入り」で終わる。時代物狂言の「仮名手本忠臣蔵」と新作で世話物狂言の「東海道四谷怪談」とをくっつけ、2日に分けて、半分ずつ上演しました。
これはただの演目の組み合わせではなく、時代物と世話物という異物のドラマの組み合わせと、(赤穂)義士と呼ばれた、思いを遂げた人たち(成功者)表の話と、その裏にいる不義士といわれる浪人たちのストーリーをくっつけけることで、(当時の)現代的な話になりイメージの広がりが圧倒的に大きくなっています。しかも「戸板返し」(画像参照)で派手な場面の「「穏亡堀の場」は両日上演するという心憎い観客サービスまで付いています。

新しいドラマの創出


それまでは「時代物」と「世話物」という2つのスタイルがあったのですが、南北はよりリアルな、下層庶民の生活を基にした「生世話物」というドラマのスタイルを作り上げました。序幕の浅草宅悦住居の場では按摩療治に名を借りた売春宿、二幕目の雑司ヶ谷四ツ谷町の場では貧乏浪人の生活ぶりを、そして四幕目深川三角屋敷の場、寺町孫兵ヱの場では貧乏長屋ではそれぞれ貧しく厳しい生活がリアルに描かれている。これに真反対の「怪談話」をくっつけ、しかもケレンといわれる派手な仕掛で見世場をつくり、さらには人気役者を早変わりさせて(前叙の「穏亡堀の場」ではお岩と小仏小平と佐藤輿茂七を尾上菊之助が演じています)ライブ的なサーヴィスも多く盛り込んでいます。

新しい役柄の創出

今でもそうですが、歌舞伎は決められたパターンの役柄があるのですが、南北は「東海道四谷怪談」で主役の田宮伊右衛門をいままでの歌舞伎にはなかった「色悪」と呼ばれる新しいキャラクターに仕立て上げました。「色悪」とは色っぽい男で女性にもてて、えげつない殺人などの悪事を働くやつという設定です。「悪婆」といわれる、色っぽい中年の女性で色がらみで悪事を働く役柄も南北が作り上げたといわれています。

南北と鎖国


どんな立派な人物でも自分が生きている時代の波は避けられません。その波にどんな風にのるかは、作家の力量かも知れません。当時はみなさんご存じの鎖国です。海外の情報がほとんど伝わってこないということで、直接の影響を受けずに、日本の文化が熟成していって、ジャスト鶴屋南北の才能と出会って花開いたのが『東海道四谷怪談』だったのかも知れません。

文◇坂口真人

『過剰な人々』を巡るささやかな冒険 Vol.5 宅間孝行×坂口真人

鶴屋南北『東海道四谷怪談』

『東海道四谷怪談』といえば“お岩さん”で親しまれている(?)みなさんご存じのお芝居なのですが、いざ作られた当時のことを探ってみると、この作品のパンクな精神を基にした創意・工夫・情熱は演劇を作る人にとってはまさにバイブル的な存在です。本文でも紹介していますが、『仮名手本忠臣蔵』と組み合わせての興行形態から、“生世話”という当時の現代劇を創出し、その真反対の怪談話をドッキングするなどして、とてつもないエンターテイメントを作り出しています。可能な限りのアイディアを惜しげもなくやりきるチャレンジャーな芝居作りは、これ以降現代まで、他の追随を許さないといっても過言ではないでしょう。

興行としての大博打

宅間 これは実際にあった話なんでしたっけ。
坂口 実際の話ではないんです。いろいろなエピソードを盛り込んではいますけど。一番はじめには「忠臣蔵」の話が表にあって、これはその裏ストーリーなわけです。「忠臣蔵」はまっとうに仇討ちをする人たちのエピソードで、『東海道四谷怪談』は落ちこぼれた人たちがどう生きていたかという話です。
宅間 スピンオフだ。いまどきの。
坂口 彼らは200年前からやってたんですね。
宅間 「忠臣蔵外伝」という感じですね。
坂口 しかもこれって、『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』を同じ日に半分ずつやってるんです。初日に両方の前半部分をやって、次の日にその後半をやる。まぜこぜで興行している。こんな形はたぶんこれが初めてです。興行も考えてやったことが当たった原因のひとつだといわれています。
宅間 最初からそれありきだったんですかね。
坂口 同時に考えたんじゃないですかね。『忠臣蔵』がもともとあって、みんなが知ってる演目をなんとか使えないかと。
宅間 そのままやってもおもしろくないし、それまでにも有名作品の書きかえなどはあったんですよね。
坂口 そうですね、知ってる演目だとお客さんも来やすいじゃないですか。
宅間 プロデューサー的発想だ。しかもそれを2日間に分けちゃった。だから2回来なきゃいけないんだ(笑)。

“生世話”という現代のドラマ

坂口 興行側としてはすごい大博打ですよね。それは画期的な出来事だったと思います。『四谷怪談』にはその他にもいろいろな新しい試みがあって、そのひとつに“生世話”というものがあります。これまでの歌舞伎は時代物と世話物があって、時代物はおもに歴史的な出来事をもとに表現するもの。世話物は心中物とかで、市井の生活者の様子をみせるというもので。
宅間 世話物はいわゆるドラマですね。
坂口 そうですね。時代物は形を重視したエンターテイメントに近い。
宅間 言ってみれば時代劇ですね。
坂口 歴史を基にした話ですね。世話物は遊郭とか商家を舞台にしていて。
宅間 現代劇みたいなものですね。
坂口 『四谷怪談』はさらに生世話といって、もっとリアルなお芝居。汚い長屋とか、地べたをはうような人たちが出てくるドロドロした話で、一つのジャンル、一つのドラマのスタイルです。
宅間 つまり、市井の人たちの中でのいざこざを書いたものですかね。現代劇の中でも特殊な人たちにスポットライトを浴びせるんではなくて、普通の人たちの惚れた腫れただの、人情沙汰だのを見せていた。
坂口 それだけだと地味でお客さんが来ないから、怪談物など特殊な趣向を凝らしたとんでもない、逆にリアルではない話をくっつけて物語として成立させたのは後にも先にもない話ですね。さっき見ていただいた戸板返しの場面。お岩と小仏小平が謀られた不義の罪で民谷伊右衛門に殺されて、戸板の裏表にくくり付けられて川に捨てられ、流れ着いた先の隠亡堀で伊右衛門と出会うわけですよね。この殺された2人は同じ人が演じてるんですよ。戸板の裏表に2人の衣装を貼りつけてあるんです。そこに顔だけ出すように仕掛けてある。それを人気の俳優が演ずるおもしろさ、ライブ感をだして観客を飽きさせない工夫がありったりしますね。
宅間 恐ろしい場面なのに、何かユーモラスな感じがしますね。それこそ演出的に新しい何かを考えた結果生み出されているんですよね。
坂口 どうやったらウケのるか。今までのようにやっていてもなかなかお客さんを呼べないし。じゃあどうしたらいいかを、ドラマや仕掛け、興行などをあらゆる場面で考える。彼がオールマイティにがんばって、できた作品だと思うんですよ。そういう意味ではお芝居をつくっている人の手本みたいなものです。今この作品だけを観たらそんなふうに思えないけど、当時のことを思ったら大変なことだったろうと思います。
宅間 エンターテイメントを真剣にやっている人たちはいつの時代でも勝負してるんですね。勝負してるものがきちんと歴史を変えて、残ってるんでしょうね。逆に、チャレンジして大失敗していることもたくさんあるんでしょうね。妙に親近感がわくな(笑)。

新しいキャラクターの創出

坂口 当時、座長や俳優は決まっていて、その役者たちに向けてつくらなければならない。『四谷怪談』に関しては、“色悪”といって民谷伊右衛門がそうなんですけど、悪いやつだけど色っぽいというキャラクターが初めて出てきたお芝居なんです。その前までは単純にいいヤツ、悪いヤツに分かれていたようですね。
宅間 ピカレスク的なことですね。前回の『欲望という名の電車』のスタンレーがそうじゃなかったですか?悪いヤツだけど、男としては魅力があるみたいな。日本で言えばそれのはしりなんですね。
坂口 そういうキャラクターが初めて出てきた。“悪婆”といって色っぽくて悪い女とかも彼が新しくつくりだしたんです。
宅間 悪女みたいなヤツだ。
坂口 いい女だけどエグいことをやる役柄も彼がつくったりした。
宅間 それまでなかったんだとすれば、すごく作品の世界観が広がるでしょうね。ヒールだけど色っぽくて、悪い女だけど艶があったり。
坂口 いろんな屈折もドラマの中でつくれる。
宅間 つまり内面にドラマを当ててるんだ。きれいな人がきれいな人と恋に落ちてとかじゃなくて、いいヤツがかっこいいんじゃなくて、かっこいいんだけどひねくれているヤツがいて、だから何をやるのか。屈折感が出ますからね。
坂口 ただ彼がすごいのはそれだけではなくて、生世話というどちらかというと陰気な世界をエンターテイメントとしてとんでもない見物にしたことですね。
宅間 客がはっと息をのむのはどうしたらいいんだろうとずっと考えてたんでしょうね。
坂口 そうですね。漫然と見せていくのではなくて、やれることは全部やっていこうということですね。
宅間 画期的なプロデューサー志向があったんですね。
坂口 彼は75まで生きてるから当時では長生きです。経験も豊富、説得力もあったんでしょう。『四谷怪談』を書いたのは71のときですね。
宅間 いろんなことに裏打ちされて、このままじゃダメだからと新しいもので攻めに行ったんでしょうね。
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『東海道四谷怪談』隠亡堀の場 歌川豊国画(一部)。左が小平、右がお岩

##プロフィール
たくまたかゆき○70年生まれ、東京都出身。97年「東京セレソン」旗揚げ(01年「東京セレソンデラックス」と改名)。主宰を務めると同時に座付作家・ 演出家・俳優も兼ねる。映画『同窓会』では、監督・脚本・主演を務めた。脚本の代表作は「花より男子」シリーズ、「歌姫」、「スマイル」「君たちに明日は ない」など。役者としてはNHK連続テレビ小説「つばさ」に出演。近々では、EX「やまない雨はない」、TBS「ガラスの牙」などにも出演している。

さかぐちまさと○84年に演劇ぶっく社を設立。雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。97年には “演劇や映画を作りたい人”のための学校「ENBUゼミナール」を設立(現在は別会社が運営)。09年に(株)えんぶを設立。ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。











テネシー・ウイリアムス[過剰メモ]

この人の場合はなんといって生い立ちでしょう。

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テネシー・ウイリアムスと愛犬
彼は同性愛者であるとともに、かなり重度のアルコール中毒患者で何度も精神病院に入院しています。いまでこそ同性愛者にたいしての差別的な扱いは少なくなっていますが、70年代の当時はたいへんな差別を受けていたと思われます。79年には10代の少年5人にヘイトクライムの犠牲者として暴行を受けています。
家族の問題もたいへんで、姉はロボトミーの手術を受けていますが、彼はその出来事で両親を許すことはなかったといわれています。47〜63年には秘書(男性)と同棲し、彼が亡くなった後は大きな犬(写真参照)と一緒に暮らしていたようです。このツーショット、ユーモアと哀愁が漂っていてなんともいいですね。83年にボトル・キャップをのどに詰まらせて死亡しましたが、一部の人は殺害されたと主張しています。彼の作品にでてくる、強弱の激しいリズム、それでいてきめ細かな愛憎のやりとりは、こんな彼の生活体験から抽出された、滲み出るような純度の高い脂汗だったのですね。

上演成功の陰には、あのスタニスラフスキーがいた。

47年『欲望という名の電車』のブロードウェイ公演の成功は、スタンレー役のマーロン・ブランドなどアクターズスタジオ出身者のリアルな「メソッド演技」よることが大きいといわれています。アクターズスタジオの演技理論は「スタニスラフスキー・システム」を採用したもので、テネシー・ウイリアムスとスタニスラフスキーってあまり縁がないような気がしていたのですが・・・。日本でもこの作品は数多く上演されていますが、初演当時のアメリカのあの場所とあの風土と、マーロンブランドに拮抗できる俳優はいったい誰なのでしょうか?

『過剰な人々』を巡るささやかな冒険 Vol.4 宅間孝行×坂口真人

テネシー・ウイリアムス『欲望という名の電車』

戦後(とくにバブル前まで)、日本の新劇で上演された演目の多さの双璧は、チェーホフとテネシー・ウイリアムスの作品だったと思われます。その中でも『欲望という名の電車』はブランチ役を演じた杉村春子という女優の当たり役として、演劇界を圧倒していた感があります。
「アメリカ南部の大農家出身のブランチが故郷を追われて、ニューオリンズの下町にある妹夫婦の住むアパートに身を寄せるのだが。彼女のふるまいに怒った妹の夫スタンリーに過去を暴かれ、乱暴されて精神病院に送られてしまう。」戦勝国アメリカの現実と、底流にある作者の精神的な軌跡が絶妙にミックスされている作品なのですが……。

頭の中で全部芝居にしている

##本文
宅間 今までの作品の中ではダントツにドラマが転がっていっている感じがしました。人々が変化していく感じが今っぽいし。戯曲としてはそういう感じがしたんですけど、正直この作品の何がおもしろいのかもうひとつわからないんです。
坂口 僕は昔、有名な劇団の舞台を観ているんですが、それはあんまり面白いという印象はなかったですね。むしろ?っぽいというか。僕が新劇を観なくなるきっかけになった作品です。今回読み返してみると、作家が自分の中でイメージをほぼ完璧につくっていて、丁寧にト書きや文章にしていて、かなり完成された作品だと思いました。
宅間 本を読んでいるだけだと僕の中ではセットがいまいち見えてこなかったんです。でも誰が動いてとか、向こうから曲がってきて、というのが細かく書いてあったので、見える見えない、聞こえる聞こえないを含めて全部芝居にしてるんだなとは思いました。
坂口 ブルーピアノがずっと流れていたり、ドアが開いたら音が大きくなったりとか指示がしてあるし、とくにバックミュージックではないですよね。特別にドラマチックなとき以外は自然な音(楽)を流しているという部分でもおもしろいつくりになっています。
宅間 リアリズムなんですかね。

葛藤するアメリカにドラマをみた。

坂口 そうですね。太平洋戦争でアメリカが勝って2年ぐらい経ったときの作品なんですが、その時代の雰囲気が充分に出ていると思います。下町の下層労働者でポーランド移民、しかも戦争に行ってきた軍曹(スタンリー)という人物が登場するんですが、彼や、彼の仲間たちなどは当時のアメリカの人にとってリアリティがあった、そういう場所が実際にあったからでしょうね。
日本で受けたもう一つの理由は、アメリカは明るくて強いというイメージがあったのに、実はこんなに落差もあり悩んでいる。最後は主人公(ブランチ)が現実に負けて精神を病んでしまうという暗い話でもある。日本人はそこにドラマを見たんですね。
宅間 アーサー・ミラーの『セールスマンの死』みたいな。
坂口 そうですね。どちらもピューリッツア賞を受賞していますが。たぶん僕らのもっと前の世代、戦争を体験した人たちは強烈な印象を受けたんだ思います。
宅間 なるほどね。
坂口 テネシー・ウィリアムズにはこのほかにも『ガラスの動物園』などの作品がありますが、当時の新劇での上演数は抜群に多いようです。時代の雰囲気をしっかりとらえていたんでしょう。この作品、宅間さんが前におっしゃってたことと近くないですか。彼の自分のイメージをしっかりつくって、舞台上に起こる出来事を紙に落としていくという作業は、わりと似ていると思いますが。
宅間 もしかしたら頭からつくっていく段階でいうと似ているかもしれないです。音が流れていて、これがあって、と。テネシー・ウィリアムズはこの曲を流しながら書いていたんでしょうかね。

価値観のずれがフィクションになってしまう。

坂口 テネシー・ウィリアムズはかなり乱暴な人生を送っているみたいなんです。同性愛者ですし、ずっと恋人のマネージャーと一緒にアパートで暮らしていたそうです。精神病院にも入っていた。日本ではアル中と言われていたんですが、それは軽度のものではなく、凶暴な人が入れられるような精神病院に入っていた。お姉さんはロボトミーの手術を受けたらしいんです。彼の作品はそんな家族や自分をイメージして書かれたものが多いようですね。
宅間 あの作品が日本人の手で西洋風になったとき、たとえばアメリカのものになった瞬間に、僕らにとってはリアルなものじゃなくなってしまう。たとえば同じようなセリフを吐いて同じような悩みを抱えてたとしてもフィクションにしか見えなくなる。
坂口 それはどうしてですか?
宅間 受け止め方の感性がまず違うということがあります。言語の感覚というか。これがこうなったときにどう反応するかという価値観にずれが出てきた時点でフィクションになってしまうと思うんです。たとえば何かを見て笑うということが別次元の人間になってしまう。彼らは、僕らがおもしろくないことでも笑っているわけだから、リアリティがないですね。

やりたい役と、おもしろい役は一致しない。

坂口 これはブロードウェイで大ヒットした作品です。アメリカ人の肉体的にも精神的にも近い役者が演じたとき、僕らがその観客だったらうまく受け止められたような気がします。
宅間 戯曲の狙いが時代背景も含めてきちんと理解された上で、現代の日本に置き換えられたら、なるほどこういうことかと、下世話な話を含めておもしろい。この女性が男に引きずられて落ちていくさまを興味をもって見れますね。
坂口 主人公のブランチは多くの女優がやりたがる役らしいです。それなりにやりたい魅力があるんでしょうね。
宅間 この作品のこれがやりたい役ということではなくて、大河ドラマに出たいということじゃないんですか。
坂口 ちょっと違うんじゃないでしょうか(笑)。名作の主演女優を演じてみたいという気持ちはいま言ったようなことだと思いますけど、「あの役を演じてみたい」という気持ちがあって言ってるんだろうと思います。追いつめられていく彼女の役を女優としてやってみたいと。
宅間 引いた目で見て、つまるところお客さんに見せておもしろいと思うんですかね。
坂口 そこまで思うかはわからないですけど、やりたいという気持ちじゃないですか。
宅間 常々思うんですけど、芝居やったら気持ちいいだろうなというのと、お客さんがそれを見ておもしろいかは別というのがあるだろうし。
坂口 やりたい役と、観ておもしろい役は一致しない……。
宅間 たとえば『欲望という名の電車』をやるからスタンリーの役をやりませんかといわれたら役者はほぼやりますといいますよ。芝居のスタイルや規模はともかくとして、それぐらいの興味だと思います。これだけ言っている僕だって、役者としてそういうオファーが来れば一度やらせてくれないかと言います。僕なりにやりたいと思いますから。
坂口 スタンリーをやる自信はありますか。
宅間 役者はなんでもやりたいですけどね。どっちかというとお行儀いい役よりかは悪くてしょうもないやつの方がやってて楽しいでしょうね。
坂口 ブランチもそうかもしれませんね。やりがいがあるというのも俳優さんとしてチョイスする十分な理由ですよね。
宅間 キャーキャー言われるのは主人公の二枚目かもしれませんが、やっていて楽しいのは悪役の方が楽しいというのはあるかもしれない。

充分に博打の人生

坂口 テネシー・ウィリアムズは同居人が亡くなってからは、犬とアパートで一人で暮らしていて、最期はボトルのフタを喉に詰まらせて死んじゃうという人生だったんです。彼の戯曲をつくる目標というのは、「絶えずはかなく消えかかる存在をなんとかしてとらえようとする」というのがテーマだったらしいです。彼自身の感性のことでもあると思うんですけど。宅間さんがお芝居つくるときのテーマは。
宅間 僕は作家じゃないので、お客さんがどうやったら喜ぶかしかないです。彼のテーマはいいと思いますね。ものを書く人はやっぱり何かあるんですよ。書きたいこと、自分の惹かれているものとか。だいたい破滅した人が多いんですけど。だいたいが身を削った私小説になっていく。世間の期待や周りのプレッシャー、本人のプライドだったりその辺の折り合いがつかなくなって心が折れていき、破滅的な行動に出たりする。そういう人たちって多いですよね。とくに一昔前は。一種特殊な人たちだと思いますが、作家としての逆の意味でのオーソドックスな感性の持ち主。そうだからこそ書く物語というのは全然違うと思います。僕にはそこがない(笑)。
坂口 宅間さんは破滅的な部分はないんですね。
宅間 どっちみち役者とかこんなことをやっているわけですから。堅実な人生の選択をしないという時点で賭けてるわけですから、世間一般からみれば充分に博打の人生でしょうかね。来年はどうなってるかわからないですからね(笑)。

##プロフィール
たくまたかゆき○70年生まれ、東京都出身。97年「東京セレソン」旗揚げ(01年「東京セレソンデラックス」と改名)。主宰を務めると同時に座付作家・ 演出家・俳優も兼ねる。映画『同窓会』では、監督・脚本・主演を務めた。現在、フジテレビ「映画の達人2〜エンド・クレジッツ〜」、NHK連続テレビ小説 「つばさ」に出演中。脚本の代表作は「花より男子」シリーズ、「歌姫」、「スマイル」など。

さかぐちまさと○84年に演劇ぶっく社を設立。雑誌「演劇ぶっく」を創刊、編集長に就任。97年には “演劇や映画を作りたい人”のための学校「ENBUゼミナール」を設立(現在は別会社が運営)。09年に(株)えんぶを設立。ほぼ通年「演劇ぶっく」編集長を続けている。

ウイリアム・シェイクスピア[過剰メモ]

『十二夜』はこれでもか、これでもかの“とりかえばや”

ヴァイオラという女性が海難に遭い、たどり着いた国で男装して公爵の小姓シザーリオと名乗り、公爵の恋のお使いをしているうち、本当の男性と思い込んだ相手先のお姫様が彼(彼女?)に恋していまい混乱が生じます。そして物語の終盤では、死別したと思っていた双子の兄と出会います。男装しているシザーリオと兄はそっくりなのでここでも混乱が生じます。さらにこの当時、女性役は若い男優が演じていたので、観客は女性役をやる男優が“女性が化けた男性を演じる”もうひととの“とりかえばや”を観ていることになります。きっとシェイクスピアはものつくりについてはこだわりの強い、しつこく、用心深い性格の人だったのでしょう。

こけにされつづけるマルボーリオ、英国では代々名優が演じている

オリビア家の執事マルボーリオは、うぬぼれが強く、慇懃無礼でほかの家臣たちにうとんじられ、だまされて、『姫からの偽の恋文』を渡されて、黄色い靴下をはき、さんざん弄ばれて、気が狂ったと牢獄に入れられ、最後には『この恨み、必ずはらすぞ、おぼえておれ』と退場していきます。このお芝居で唯一人のアンハッピーな登場人物です。この役、イギリスでは代々名優がやる役だそうです。コメディーにたいする本家の思いを強く感じるところですね。日本でも、滝沢修や宇野重吉(日本の名優といわれていた人たちです)が本気でこの役をやっていたら、新劇の歴史は少し変わっていたかもしれませんね。

芝居の最後に道化が唄います。

おいらが子供であったとき、
ヘイ、ホウ、風吹き、雨が降る、
わるさは笑ってすまされた、
雨は毎日降るものさ。

おいらが大人になったとき、
ヘイ、ホウ、風吹き、雨が降る、
ごろつきゃ閉め出し食わされた、
雨は毎日降るものさ。

おいらが女房を持ったとき、
ヘイ、ホウ、風吹き、雨が降る、
ホラを吹いても食えなんだ、
雨は毎日降るものさ。

おいらが寝たきりになったとき、
ヘイ、ホウ、風吹き、雨が降る、
酒飲みゃ酒飲んでいたもんだ、
雨は毎日降るものさ。

この世のはじめは大昔、
ヘイ、ホウ、風吹き、雨が降る、
それでも芝居はおしまいだ、
おいらは毎日笑わせる。
(「十二夜」小田島雄志 訳より)

今回のテーマである過剰とは離れていますが、60年代の紅テントの中で大久保鷹が唄っていても似合いそうではありませんか? 少なくとも彼の地の劇場を模してつくられた場所よりは紅テントのほうが似合っていそうですね。

[文・坂口真人]

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ロベルトの操縦

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 [どん底スナイパー]
・柿喰う客
 [悩殺ハムレット]
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表紙/宅間孝行
柴田理恵 片桐仁

ロングインタビュー
/小栗旬
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