2004年09月09日

クロワッサンとトルコ国旗

 クロワッサンの由来を扱った縁起譚に次のようなものがある。1686年、ブダペスト攻防戦でパン職人が、城壁の下を掘ろうとしたオスマントルコの活動の物音を聞きつけて市を救い、トルコ国旗の三日月をかたどったパンを作るようになったというものである。

 話としては面白いが、あくまでも縁起譚であって、史実とは自ずから別のものであることを忘れると、誤った歴史認識を持つことになってしまう。史実と、伝説をきちんと区別するために、インターネットを利用してトルコ大使館や、質問回答ウエブサイトのボランティアへの問い合わせを行ったり、関連ウエブサイトでトルコ国旗関連事項を調べたりした。以下に、関連のある史実、類似点のある縁起譚等をまとめる。

1. 1686年トルコ軍がブタペストに攻め寄せてきたような英文を載せている高校用英語教科書があるが、史実はそれまで150年間にわたってブタペストはトルコに占領されており、この年オーストリア軍に奪還されたが、熾烈な戦いのためブタペストは荒廃した、ということである。

2. クロワッサンの由来譚は、他にウイーンを舞台にした同様のものがある。

3. クロワッサンのような形をしたロールパンは実際には上記の由来譚の年代よりも遙かに古くから作られてきた。したがって、このクロワッサン由来譚はあくまでも由来譚以上のものではない。

4. トルコ国旗の三日月の由来については、現トルコの要都イスタンブール(当時はビザンチウム)を攻略しようとしたマケドニアのフィリップ二世が、城壁の下を掘ろうとしたが三日月に照らされて失敗し、ビザンチウムはこのため三日月を市の紋章としたとする伝説がある。

5. イスラム圏では、旗は旗竿が右に来た状態が本来の姿とされていたが、おそらく20世紀になってから、旗竿を左に置く西ヨーロッパの慣例に合わせて、左右を逆にして表示されるようになった。

6. ブダペストの攻防戦にまつわるクロワッサン由来譚は、1686年にオーストリア軍がブダペストを奪還した時を想定しているので、この時にはオスマントルコの旗は、由来譚に従えば、三日月と星であったことになる。

7. 現トルコ国旗の紋章も含めて、イスラムの紋章としての三日月は新月であること、新月は尖端が東、すなわち北半球では観察者にとっての左を向いていること、トルコの国旗は旗竿を右に置いたとき本来の意匠となるように製作されていることから、前出の高校用英語教科書の、三日月の尖端が旗竿の方を向いている挿し絵は三日月の向きが逆である。

8. トルコの国旗の由来については様々の伝説がある。そのバリエーションを含めて入手先から得たままの形で、以下に記す。

由来譚1
A トルコ国旗の三日月は、アレキサンダー大王の父、マケドニアのフィリップ(二世)の時代に遡る。伝説によれば、マケドニアがビザンチウムを包囲したとき、フィリップは手ひどい反撃を受け、ついに守備隊に夜襲をかけようと試みた。しかしそれが実行される前に三日月が明るく輝いて攻撃部隊が発見され、城市は救われた。このため、ビザンチウムは三日月を市の紋章とした。(トルコ大使館-ワシントンDC)

B アレキサンダーの父フィリップはビザンチウム包囲に難渋し、工人に城壁の下を掘らせたが三日月が発見し、計画は失敗した。これを受けてビザンチウムはダイアナの像を建立し、三日月は市の象徴となった。(ブルーワー故事成語事典:カッセル)

史実1
 ダイアナがビザンチウムの守護神であり、その象徴が月であったことはよく知られている。330年、コンスタンチヌス帝は、同市をコンスタンチノープルと名付けて処女マリアに捧げ、その象徴である星が三日月に重ねられた。(quoted from Whitney Smith: Flags Through the Ages and Across the World, 1975 New York. http://fotw.vexillum.com/flags/ ) 

由来譚2
A 時のスルタン、アラアッディン(Alaaddin)は、トルコの一部族長エルトゥグルルの功績に報いるため、支配下にあった土地の一部を彼に与えた。アラアッディンの旗には三日月があり、エルトゥグルルはアラアッディンを大王として奉ずる印としてこの紋章を使用した。1288年にエルトゥグルルが没した後も、息子オスマンは父の旗を国の旗として使用し続けた。
(トルコ大使館-ワシントンDC)

B オットマン帝国以前に小アジアを支配していたセルジューク・トルコのスルタン、アラアッディンは、オグズ・トルコの一部族長エルトゥグルルの功績に対する恩賞として、支配下にあった土地の一部を彼に与えた。アラアッディンの旗には三日月があり、エルトゥグルルはアラアッディンを大王として奉ずる印としてこの紋章を使用した。1288年にエルトゥグルルが没した後も、オットマン朝の創始者、息子オサマンは父の旗を国の旗として使用し続けた。(トルコ大使館-東京)

由来譚3

A 三日月はビザンチウムの紋章であった。1295年頃、小アジアのオットマン朝の建国者オスマンは夢を見た。三日月が次第に大きくなって、東から西に広がっていった。これは彼の版図がコンスタンチノープルまで広がることを意味すると解釈された。ここに、彼は三日月を紋章として採用し、オットマンの旗に付け加えた。(トルコ大使館-ワシントンDC)

B その他に、オットマン朝初代皇帝が見た、三日月と星が胸から現れて大きくなる夢が、王朝のコンスタンチノープル占領を予示したという伝説もある。少なくとも他に3つの国旗由来譚がある。(quoted from Whitney Smith: Flags Through the Ages and Across the World, 1975 New York. http://fotw.vexillum.com/flags/ )

由来譚4
 1448年のコソヴォの戦い[オットマン朝がキリスト教徒を破り、東ヨーロッパに19世紀末まで続くオットマン朝の支配を確立した]の後、暗部の縁に星を明滅させている三日月が血溜まりに映り、スルタン、ムラト二世によってトルコ国旗に採用されるところとなったとする伝説がある。( quoted from Whitney Smith: Flags Through the Ages and Across the World, 1975 New York.  http://fotw.vexillum.com/flags/ )

由来譚5
 伝説によれば、イスタンブールがスルタン、征服王メフメト(二世)の手に落ちた夜、三日月の両先端の間に輝く明るい星が現れた。これはトルコによる同市の征服の象徴と解釈され、トルコの旗の三日月に星が加えられた。
(トルコ大使館-東京)

史実2
 1453年、コンスタンチノープルはオットマン・トルコに占領され、イスタンブールと改名されたが、新たな支配者は既にある紋章を採用してそのまま使用したのかもしれない。(quoted from Whitney Smith: Flags Through the Ages and Across the World, 1975 New York. http://fotw.vexillum.com/flags/ ) 


考察:
 以上の由来譚はいつ誰によって語られ始めたのか分からないのだが、最も遠くさかのぼる由来譚は、紀元前336年(マケドニアのフィリップ二世の没年)以前について語り、ビザンチウム(今のイスタンブール)の紋章が三日月である由来を述べる。ギリシアの植民市であったビザンチウムをイスラム国家トルコの前身として、連続性を主張するのは、それが現在のトルコの要都であっても、多少奇異な感じがするが、イスラム世界が地中海ヘレニズム文明の継承者として中世ヨーロッパのキリスト教世界と対峙していたことを考えると、トルコないしイスラムの視点が理解できるような気がする。
 オスマントルコ建国の父であるエルトゥグルルが、スルタンに対する服従の印としてスルタンの三日月旗を使用し、その子オスマンがその旗を踏襲したとの由来譚は、三日月の旗の由来を既成のイスラムの旗に求めている点で他と異なる。イスラムの三日月旗の由来は、イスラム(暦)にとっての新月の意味と関係があるのかも知れないが、それについては私には知識がなく、調べる余裕もなかった。
 オスマン一世が、夢で、空に広がっていく三日月を見て、コンスタンチノープルへの版図拡大の予示と見なしたという由来譚と、キリスト教徒を破ったコソヴォの戦いの血の海に映った三日月と星をメフメト二世が旗にしたという由来譚は、それぞれ独立に語られているのだが、どちらもいかにも由来譚らしく、三日月の由来としては唐突な感じがする。
 由来譚では陥落の夜、三日月と星が輝いたことになっている一方、コンスタンチノープルの陥落に伴って三日月に星をあしらった同市の旗が、そのままオスマントルコによって使用された可能性が指摘されている。
 三日月と星を配した旗の使用は、ビザンチウムの紋章を起源とするものと、イスラムの三日月旗を起源とするものとの少なくとも二つの流れがあるように思われる。イスラムの三日月旗がビザンチウムの紋章と関係があるのかどうか、明らかにすることは出来なかった。

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