2026年01月23日

愛煙家に今日も感謝

※この文章は2009年の4月に書いたものですが、
思うところあって約10年間は常に一番上に表示されるよう
設定しています。

最新の文章はその下に表示されます。
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ご面倒をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。
(10年後は多少マシな状況になっているという淡い期待を込めて
2016.2)

 

 

☆    ☆    ☆    ☆

 

今日からJR東日本の全駅が禁煙になったとか。

私は20代のはじめ頃ほんの少しだけ吸っていたが、
ヘビースモーカーばかりの職場に転職してしまい、
そこでの受動喫煙のあまりのひどさに大嫌いになり、
以後20年ぐらいまったく吸っていない。

タバコを吸う人間の気持ちというのは理解できないね。
あんなもの冷静に考えれば弊害ばかりでいいことなど
何もないことぐらいわかるだろうに。

まず自分の健康に悪い。
室内や衣服にひどい臭いが付着する。
周囲にも迷惑がかかる。
環境に悪い。火災の危険性まである。
おまけにかなりの税負担がある。
とまあ、見事なまでにろくなことがない。


反対に吸わないことのデメリットをしいて挙げるとすれば、
タバコを吸う人間とは心底打ち解けることがない
ということだろうか。

融資が絡む不動産取引の決済の場では、
書類等の確認が済んでGOサインを出してから融資の実行が
なされてお開きとなるまで待ち時間がかなりある。
売主買主双方が不動産業者だったりすると、
仲介の業者も合わせてほぼ全員が喫煙者なので、
待ち時間はタバコを吸いながらの談笑となる。

その際、「あ、センセーは吸わないんですか」と聞かれて
「ええ、まあ…」なんて答えると、一応相手も
「その方がいいですよねえ」と口では言うのだが、
本心は「じゃあ、お前は俺たちの仲間じゃないもんね」という感じで、
相手との間に見えない壁が築かれたことがありありとわかる。

これはちょっと寂しい。
業者とは仲良くしておきたいのだ。


話を戻そう。
健康上のことなどは今さら言うまでもないので環境についてだけ
補則すると、世界で切り倒されている木の6本に1本が
タバコの葉を乾燥させるために使われているという調査があり、
日本国内でタバコを巻くためと外箱のために1年間に
消費される紙の量は約30万tにもなるという報告もある。
仮に話半分に聞いたとしても、とんでもない数字である。

その上、喫煙者全体によるタバコを燃焼させる行為が
地球温暖化を促進させていることも間違いないわけで、
要するにそばに人がいる場合はもちろんのこと、
近くに誰ひとりいない状況で吸ったとしても、
他者に迷惑をかけないということはあり得ないのだ。

つまりタバコを吸うということは、
「他者道連れ御免の地球環境破壊型、散財系、長期的、
潜在的、自殺」

と定義付けることができる。
しかし、こんなことはわざわざ言わなくても大抵の人間は
理解しているはずなのである。

そこがまた腹立たしい。
それでも吸い続けるというのは、もはや

余程のバカか余程の利口

と言うしかあるまい。


それでも私はタバコを吸う人間に対し、ある一場面を除けば、
怒り以上に感謝の念を抱いていると言っていい。
なにしろ体を張った高額納税者だ。
喫煙者がいなくなってタバコに課されていた税が
他の税に転嫁されては困ってしまう。
多少の迷惑には目をつぶるからこれからも頑張って
吸っていただきたい。

環境に悪いと言ったって、なあに、およそ人間が
長く生き続ける以上の環境破壊などないのであって、
早めにこの世から退場する喫煙者は案外環境問題の
優等生かもしれないのだ。
あとは他人にやけどをさせたり火災を起こしたりしないことに
注意してくれればそれでいい。


ただし、人がメシを食っているそばでタバコを吸うことだけは
断じて許さん。
それ以外なら、路上だろうが待合室だろうが駅のホームだろうが
吸うのは一向に構わない。
こちらが離れれば済むことだから。

こちらが譲歩するのは多少いまいましいが、
さっきも言ったとおり基本的には感謝しているので、
そのぐらいの協力は惜しまない。

しかし、食事中は移動できない。
長期的な健康への悪影響よりも一瞬一瞬が息苦しいことが
耐え難いし、それ以前にメシがまずくなることが我慢ならない。
食う前は黙って茶でも飲んでろ、食い終わったらサッサと出て行け、
と言いたい。
それが他の客のみならず店への配慮である。

だが、喫煙者囲い込み運動が過熱している昨今では、
特に禁止されていない飲食店においては他の場所での鬱憤を
晴らすかのごとく、ここぞとばかりに吸う輩が増えた。

今回のJRの全面禁煙も悪い影響を懸念している。
私にとっては中途半端な嫌煙運動はかえって迷惑なのである。
やるんなら、地球上からタバコそのものを撲滅するぐらいの
勢いでないと。


でも、タバコを吸う姿って格好いいよね。
ハードボイルド、フィリップ・マーロウ、松田優作、ルパン3世、
バーボン、ショットグラス、たなびく紫煙、流れるモダンジャズ……
と、格好いいイメージが次々浮かんでくる。
よっ、渋いぜ。そこの喫煙者のアンタ。

どうかこれからも身銭を切って、自分の健康を顧みることなく、
頑張って吸い続けてください。
私がメシを食っている隣以外でね。







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engetsudou at 17:56|PermalinkTrackBack(0)つぶやき | 好評&お気に入り

2017年08月05日

やすらぎの郷

今日は家の近くで花火大会があるので、この日記に書いたとおり
事務所に避難。
http://blog.livedoor.jp/engetsudou/archives/911443.html


せっかくだから、数日前から書きたかった題材を仕上げて
アップする。
今日の気分に相応しい文である。




4月から放送されている「やすらぎの郷」というドラマがある。

石坂浩二をはじめとして名の知れた高齢の役者が片っ端から
出演していることへの興味(何人もの遺作になるだろう)や
倉本聰作品ということでそれなりに味わい深いのではないか
という期待もあって見続けてきたが、最近やめた。
タバコを吸う描写があまりにも多く、不快でならないからである。


どいつもこいつものべつ幕なしバカスカ吸いまくる。
全員というわけではないが、常に誰かが吸っている感じ。
まるで「怪奇大作戦」のようである。
かつてはそれが当たり前の光景だったのかもしれないが、
今は昭和40年代じゃないんだよ。

呆れたことに、施設長でもある医者がやたらとタバコに寛容
なのだが、今どきそんな医者がいるか。
大体、その手の施設は全部禁煙だ。
有料の老人ホームには喫煙所があるかもしれないが、
どこもかしこも吸い放題なんてことはない。


当然JTが覆面スポンサーになっているのだろうが、
それ以前に脚本の倉本聰自身の狂信的愛煙家思想が色濃く
反映されていると思われる。

序盤の回で長男から吸い過ぎをたしなめられた石坂が
「お前なんかよりも(タバコとは)ずっと長いつきあいなんだ!」
とキレまくるシーンなどはその典型で、ストーリーとは無関係の
こんな描写に何分も割いたのは違和感を通り越して異様だった。
(思えば、この時点で見るのをやめればよかった)


最近では、清野菜名(かわいい)が憧れの石坂に会いに来た
シーンで、「(タバコ)いいかね?」と石坂が尋ねた後、
清野に「もちろん!」と言わせたことが頭にきた。

単なる「どうぞ」ではなく「もちろん!」。
そこには「吸うことを認めるのが当然だろうが!」という
喫煙者の傲慢で身勝手な考えが強く感じられる。

さらには「一応ことわっているだけありがたいと思え」、
「昔ならこんな気を遣う必要もなかったのに」といった、
加害者であるにもかかわらずその自覚を持たない、
まるで自分たちが被害者であるかのような恨みの声も
聞こえてくるようだ。


大体、「タバコいいですか?」と一声かければいい
というものではない。
このフレーズは修辞疑問に近く、私のように「お断りします」と
ハッキリ拒否できる人間はいいが、そうでない人のほうが
多いのではないだろうか。
その場合は、「ちゃんと許可を得たもんね」という
心置きなく吸うための単なる免罪符となってしまう。

許可を求めずいきなり吸い出すのは論外だが、
ことわりを入れる人間も、拒否される可能性は高くないという
計算の上で、自分の気が楽になるために言っているような
ズルさを感じる。


しかもこの場合、清野にとって石坂は相当な年長者である
だけでなく憧れている相手なのだから、そういった力関係から
言っても断れるわけがないのだ。
相手が断れるわけがないとわかっていながら尋ね、
「もちろん」と言わせるのだからズルいを通り越して汚い。

全編こういう感じでとにかく喫煙シーンが多い。
軽い喘息のある私は見ているだけで息苦しくなるよう。


まだある。
藤竜也(高倉健をモデルにした超大物俳優で石坂も頭が
上がらない設定。このドラマでは珍しい嫌煙家)が、
わけあって姿をくらまし、石坂の家に無断で転がり込んで
ベッドを占領した上に、「タバコ遠慮してもらえませんか?」
(これも修辞疑問である)と言ったことで吸えなくなった
シーンは、「自分の家なのに…」という滑稽さを描く以上に
「嫌煙家とは、かくも厚かましい人種である」という
印象操作をするのが目的であろう。

いずれも狂信的愛煙家の呪詛が満ち満ちている。
倉本がこの作品を作った真の目的は、老人たちの人生模様を
描くといったことなどではなく、昔のように自由にタバコを
吸えなくなったことに対する嘆きや怒りを世間に訴えることに
あるように思えてならない。


舞台となる「やすらぎの郷」という施設は、
ある篤志家が私財を投じてテレビ界に一定の貢献をしたと
自分が認めた者だけを無料で入居させているという設定で、
一種の治外法権があるのだと言いたいのかもしれない。

倉本にとって、他人にとやかく言われず自由にタバコを
吸えるこうした環境こそが「やすらぎの郷」であり、
そうした願望が現代では叶わないとわかっているから
せめてドラマで実現させようということだったのだろうが、
公私混同も甚だしい。私怨で作品を作るな。


ちなみに、倉本本人がノンクレジットで中島みゆきと一緒に
何回か出演した際、セリフはなくともタバコはしっかり
吸っていた。
本人はご満足だろうが、醜悪としか言いようがない。

倉本だけでなく演出やスタッフみんな同罪。
石坂はプライベートではタバコを吸わないそうだが、
私の中ではすっかりイメージが悪くなってしまった。


昔と違いタバコがいかに有害であるかということが
明確にわかっている今、このような作品が許されるべきではない。
子供や若い世代はこんな老人ドラマには目もくれないだろうから
その点は問題ないが、それでも社会全体への悪影響は大きい。
日本禁煙学会さんはクレームを入れるべきではないだろうか。

このままでは、バー「CASABLANCA」に連日たむろする
喫煙者どものせいで、バーテンダー役の松岡茉優(かわいい)が
猛スピードで劣化してしまう。
本人も喫煙するらしいが^^;(ガッカリ)


engetsudou at 23:04|Permalink

2017年07月28日

細かいことが気になる(番外編)

少し前から気になってしょうがないことがある。
仕事とは全然関係ないのだが、このままではモヤモヤして
仕事に支障が出かねない(ウソ)ので、ここで書いて
発散させたい。


前に書いたが、事務所にいるときはTOKYO FMを
聞いていることが多い。
TOKYO FMでないときも聞くのは民放がほとんど
(見るテレビは大半がNHKなのだが)。
そのため、必然的に様々なCMを耳にすることになる。

中でも「スピードラーニング」のCMは一日に何度も
聞かされる。
気になって仕方がないことというのは、何種類もある
同社のCMのひとつの内容である。


そのCMは男女の会話で進むのだが、
「ご紹介はシライさんです」と男に紹介された女が、
「はい、シライシです」と答えるのである。
「シライ」と「シライシ」、どちらもハッキリそう言っている。
これは一体どういうことなのだろうか?

ひとつ考えられるのは、女性の正しい名前は「白石」だが、
手違いで台本が「白井」になっていた。
そして、なぜか男女別々に録音したため、男は台本どおり
「白井」と読み、そうとは知らない女は当然「白石」と
名乗った。
こんなところである。


この程度のCMをわざわざ別録りするのだろうかという
疑問はあるが、私はCMの作り方というものをまるで
知らないし、あり得ないことではないと思う。

しかし、だとしても別の疑問が湧いてくる。
こんな明らかな食い違いをなぜそのまま放置したのか、
し続けているのか、という疑問である。


誰も指摘しないのか?
世間の人々はこれが気にならないのだろうか?
指摘されるまでもなく気づいて録り直さないのか?
指摘されても放置しているのか?

次々と疑問が湧き、教材の効果よりも気になる。
とてもじゃないが聞き流せない。


こうして整理してみると、送り手が気づかないということは
ないだろうから、やはり意図的ということだろうか?
となれば、目的は話題作りか。

だとするとこの文章はまさに相手の思うつぼだが、
故意なら企業の良識を疑うし、過失ならあまりにお粗末。
どちらにしても商品と企業の信用を低下させることにしか
ならないのではないだろうか?

シライシさんに聞いてみたい。


engetsudou at 19:17|Permalink

2017年07月12日

意外と奥が深い氏名変更

九州北部の豪雨被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。




離婚に伴う氏名変更登記の申請書を作っていたときの話。

途中で妙なことに気づいた。
戸籍謄本の本人の欄には離婚の日でもある平成26年の日付の
氏変更しか載っていないためそれを変更の原因日としたのだが、
その戸籍には子も載っていて、そこには平成27年の日付で
「母の氏変更」とある。
氏変更は平成26年じゃないの?

そこで戸籍謄本をあらためてじっくり見ると、全体の欄には
「氏変更日 平成26年何月何日」、
「氏変更の事由 戸籍法77条の2の届出」と、
「氏変更日 平成27年何月何日」、
「氏変更の事由 戸籍法107条1項の届出」という
2回の氏変更が記載されている。


それぞれの条文を確認すると、77条の2は離婚後も婚氏を
続称する届出であり、107条1項は裁判所の許可を得た
上での変更の届出とわかった。

つまり、離婚した26年の時点ではまだ婚姻時の氏である
「A田」さんのままで、27年になって旧姓の「B川」さんに
戻したわけだ。
ということは、氏変更の原因日は当然27年としなければ
ならない。危なかったー。


それにしても、なんてわかりにくい記載の仕方だろうか。
この戸籍が編纂された時点では「A田」であり、
後に「B川」に変更されたのだから、
そのことがわかるように筆頭者欄には変更前と変更後の両方を
記載しておくべきだろう。

登記簿のように「A田」を残してそこにアンダーラインをかけ、
その下の行に「B川」としておくのと違い、
戸籍事項の欄に「従前の記録 氏:A田」と書いてはあるが、
筆頭者欄は上書きされて単に「B川」となっているから、
よほど注意深く読まなければわからない。

しかも本人の欄に戸籍法77条の2の届出の旨とその日付しか
書いていないのは悪質なトラップとしか言いようがない。
この部分だけでも戸籍法107条1項の届出について
併記するよう改めてもらいたいものだ。


もうひとつ言うと、戸籍法77条の2の届出=婚氏続称を
「変更」としているのも実に紛らわしい。
この時点では実質的に氏は変わっていないのだから。

おそらく「離婚と同時に理論上は全員復氏する。
それを届出により婚氏に“変更”するのだ」という発想
なのだろう。
たしかに、今回はたまたま離婚と同時に婚氏続称の届出が
されたから実質的な変更がないように見えるだけで、
婚氏続称の届出が離婚成立の日と異なる場合もあるから、
どちらも「変更」とするしかないのかもしれない。


ただ、その発想でいくと次のような事例では悩むことになる。
婚姻前にAという氏で登記をした者が平成25年の婚姻により
氏がBとなった後で平成29年に離婚と同時に婚氏であるBを
続称する届出をしたとしよう。
この場合の氏名変更の原因日は平成25年か平成29年か?

正解は平成25年らしい。
それが常識的でもあるのだが、住所移転を何度かした場合の
ように、同種の原因が複数ある場合は最終のものを原因とする
という原則があるので、「婚氏続称も変更である」説に
従うと最終原因である平成29年にしなければならないような
気がしてくる。


そんなこんなで、除住民票や除附票をたったの5年で廃棄する
ために住所がつながらず苦労させられることが多い住所変更の
登記とはまったく別の意味で、氏名変更も結構難しいと知った。

司法書士のくせにこの程度のことも知らなかったのかと思われる
かもしれないが、なにしろ私は婚姻や離婚といったものに
まるで縁がないもんで^^;




【おまけ】
名前といえば、「日本人のおなまえっ!(NHK総合)」が
なかなか面白い。
内容も興味深いし、マスコットキャラクターのハンコちゃん
のヘンテコな顔と動きがかわいくていい。


engetsudou at 17:19|Permalinkつぶやき | 不動産登記

2017年06月30日

亡霊退治(後編)

前編はこちら。
http://blog.livedoor.jp/engetsudou/archives/2055901.html



私は「約30年も前に権利主体である会社が消滅しているのに
仮差押だけが残っていて、何も知らなかった現所有者が処分も
できずに困っている。当該仮差押は保護に値しないものである。
裁判所も登記所も関係資料をとうに破棄していることが、
何よりの証拠である。ついては至急抹消の嘱託をされたい。」
という主旨の申立をし、さらに本人名義で情に訴える上申書も
提出したのだが、裁判所には全然通じなかった。


まず会社の本店と代表者の住所について現地調査報告書を
出せとのこと。
それはもっともだなと思ったが、あとは申立書に「被申立人
(仮差押権者)は保全の意思を放棄又は喪失している」と
書けとか、「代表取締役」ではなく「代表清算人」と書けとか、
くだらないことばかり言う。

保全の意思も何も、権利主体がとっくに消滅してるんだよ。
権利主体が既に存在していないのに意思云々を言うのは
かえっておかしいではないか。
「代表取締役」でいいのかはこちらも疑問ではあったが、
みなし解散させられて現在清算中の法人ではないのだから、
「代表清算人」とするのも不適切だろう。
(ちなみに、みなし解散の場合、取締役と代表取締役は
職権で朱抹されて監査役が残るだけ。清算人は登記されない)

元々こちらの認識としては相手方不在なのである。
しかし、空欄にしておくわけにもいかないので、
仮差押当時の表示をしておいたまで。
それが間違っているとは思わない。


しかし、そこまではまだいい。
それで通るなら不本意ながら仰せのとおりに書くだけだ。
だが、相手方が出頭するはずなどないということが
わかりきっているのに、わざわざ口頭弁論期日を設ける
ということにはさすがに呆れた。

しかも、会社の本店と代表者の住所に一度送達をして、
それが不達となった上で公示送達をするという煩わしさ。
1回1,000円ちょっとかかる特別送達を2ヵ所、
これも現地調査報告書の内容から届かないことは
火を見るよりも明らかなのだから、単に無駄な負担を
強いているだけ。


ここで現地調査をした結果について触れておこう。
まず会社の所在地には別の会社が入っていた。
幸いにも代表者に会うことができ、その話では
仮差押をした会社とは何の関係もなく、
移転してきた時期は相手がみなし解散させられた頃と
大体一致するようだった。

代表者の住所には別人の表札が出ていた。
特に誰とも話していないが、こちらも問題の人物が
もはや住んでいないのは明らか。
だから、どちらに対しても送るだけ無駄なのだ。


それはともかく、こうした手間と日数がかかった後、
ようやく公示送達がなされた。

公示送達とは行方不明などで書類の送達ができない相手に
一定期間裁判所の掲示板に掲示することで送達がなされた
ことにするというもので、単なる「儀式」である。
その儀式が重要なのだと言われれば、その通りだけど。


その後、行われた口頭弁論期日に相手方はもちろん不出頭。
私は同席しなかったが、申立人本人に聞いたところでは
ものの5分程度で終わったという。
そりゃあ、全部書面に書いたとおりで、それ以上の情報は
本人も持ち合わせていない。

「間違いありませんね」「はい」ぐらいの会話しかしようが
ないわけで、これもただの儀式あるいは茶番である。
それで呼ばれる本人が気の毒だ。


判決は口頭弁論期日の1週間後に出た。
これは意外と早かったと言えるが、判決だから確定まで
2週間待たなければならない。
仮差押命令(という名の決定)を取り消すのだから、
取消決定にすべきじゃないのか?
決定なら確定を待つ必要はないのである。


そんなこんなで憤懣が溜まりまくっていたところに
「判決正本を送達するのに切手が12円不足しているから
送ってください」という極めつけの一言が。
12円!
それを連絡してくる電話代と変わらんだろ!!

ルール上そうするしかないのかもしれないが、
あまりのバカらしさにもはや抵抗する気力も失った。


この話にはさらにオマケがあって、2円切手の在庫がなく、
混んでいることが多い郵便局にわざわざ買いに行く気には
なれなかったので、「20円切手を送り、差額は放棄する」
と言ったのだが、「差額の切手を返却する必要があり、
所内で両替する関係で送達が数日遅れるかもしれない」
という驚愕の返事。もう好きにしてくれ。


とにかく判決の確定後に仮差押の抹消登記嘱託に関する
上申書を提出し、その数日後には抹消登記が完了した。
裁判所に申立てから、ざっと2ヵ月ちょっと。
ちなみに、嘱託書が届いてからの登記所の処理は
1日で終わったようであるw

初めてだったのでいろいろ勉強になってよかったが、
それにしてもバカバカしい思いばかりさせられた案件だった。


やっぱりこういうものは除斥期間をしっかり定めるべき。
時効だけで考えると、「じゃあ、いつ時効のカウントが
再び開始するのだ?」ということになり、結局
「仮差押が残っている間は時効中断の効力は継続する」
という判例のような結論になってしまいがちだ。
しかし、一般常識に照らして、この結論は明らかにおかしい。

だから、基礎となる債権ではなく、差押や仮差押そのものに
除斥期間を認めたほうがいい。
線引きは難しいが、少なくとも30年以上経過した差押等は
自動的に失効し、当事者の申立があれば即座に抹消登記が
嘱託されることにすべきではないのか。
嫌なら、その前に権利を行使すればいいのである。


つまりは法の不備であって、悪いのは制度であり、
裁判官や裁判所の職員個人ではないのだが、
彼らが現在のルールに何の疑問も抱いていない
(としか私には思えなかった)ことに、
私は暗澹たる思いがした。

公示送達は前述したとおり単なる儀式なので慎重になるのは
わかるが、相手は昨日や今日行方不明になったわけではない。
「もしかしたら債権者が健在で、安易に取り消したら損害を
与えてしまうかもしれない」などと本気で考えているとすれば、
どうかしているとしか言いようがない。

「誰かの損害」を考慮するなら、むしろ50年前の亡霊に
煩わされて何ヵ月も足止めを食らった現所有者の不利益や、
円滑な不動産取引を阻害していることを考えろと言いたい。


しかし、私が感じたこのバカバカしさは、裏を返せば、
こんなどうでもいい権利までもが大切にされている我が国は
いかに平和かという証拠でもあり、
それは素晴らしいことなのかもしれない。


engetsudou at 17:03|Permalink出来事