2010年01月
2010年01月12日
初ソロフライト
初日から訓練が始まり、海外にいるのにホテルと訓練所の往復だけ。
そんな日々が続いていた。
ようやく操縦にも慣れ、ある程度自分の意のままに機体をコントロールする事が出来るようになってきた。
6日目の夕方、いつも通り訓練を終え訓練所のハンガー前までタキシング。
エンジンをシャットダウンした。
さて、今日もこれで終わり。
。。。と思ったら、教官から「じゃ、私はここで降りますから1人で行って来て下さい。 タッチアンドゴーを3回やってきて!」と。
え~っ、、、と思いつつ「1人で行くんですか?」と聞き返してしまった。
「そうです。 大丈夫ですから自信を持って!」と教官。
隣に誰もいないコクピットに1人座っていた。
いつも通りエンジンを回して、滑走路までタキシング。
管制塔から「Confirm, first SOLO??」と言ってきた。
「Affirmative, first SOLO and Ready」と答える。
「Cleared for take off RWY○○, good flight!!」と言って来た。
いつも通りエンジンを全開にして、いつも通り離陸。
やっぱ、1人降りたせいか機体が軽い。
すぐに緊張もとれて、1人でのフライトを楽しんでいる自分がいた。
やっぱ、空を飛ぶのは最高だ。
無事に3回のタッチアンドゴーを終え、着陸した。
管制塔から「Turn at TAXI WAY E, good job!!」と言って来たので、「Thank you for your good assistance!」と答えた。
ハンガーに戻ると、みんなが待ってくれていた。
飛行機を降りたら、恒例の水かけがあった。
暑かったせいもあって最高に気持ちよかった。
1回目の渡航で、あと2日残してソロに出る事が出来た。
私のパイロット人生にとって、記念すべき1日となった。
2010年01月11日
初フライト
仕事の関係もあり、渡航は最長でも1週間。
アメリカは日本のように練習許可書が無くても訓練を受ける事が出来る。
しかし、ソロフライトに出るまでには身体検査を受け3rdのメディカルを取得せねばならない。
そういう事もあって、初渡航前に羽田の診療所でFAAのメディカルを取って来ていた。
日本の許可書は発行までに受診後2週間程度はかかるが、FAAは合格したらその場でもらえる。 すごく合理的。
しかも今の身体検査基準は緩和され、よほどの事がないと不合格にはならないと聞いている。
ログブックも日本の物を買ってきた。
そんなこんなで、周到に準備して迎えた初渡航。
訓練所に着くと、今後のスケジュールの説明を受け、訓練する飛行機「セスナ172P」のレクチャーを受けた。
しかし、そこは本業の整備が本領発揮。
セスナも大型機も大きさやエンジンの種類の違いを除けばほとんど同じ。
計器は昔のジャンボと同じクラシックタイプだし、使ってる機器も基本は同じ。
教官からも「機体システムの座学、いらないねぇ」なんて言われながら、さっそく飛行機に乗り込んだ。
外部点検を終え、コクピットに乗り込む。
おー、なんて狭いコクピットなんだろう。。。
でも、すごく合理的に配置されている。
エンジンを回して、ATISを聞く。
ATISも仕事で聞きなれている。
そそくさとQNHなどセッティングを終わらせる。
しかし、大型機と違って、確認項目が非常に少ない。
エンジンが回ったら、OIL PRESS, OIL TEMPなど本当に基本的な確認しかない。
逆に不安なくらいだった。
でも、よくよく考えたら、HYD SYSもブレーキだけだし、FUELもQTYだけで良い。
小型機ってこんな感じなんだぁと逆に感心した。
操縦桿を動かしても、POSI INDなんて無いから自分の目で見て確認。
チェックリストに従って、一連のチェックを終えた。
いよいよTAXI to RWY。
管制から許可をもらい、滑走路に入る。
普通の3000m級の滑走路だから、エンドなんて全然見えない。
Cleared for Take off.
エンジンをふかす。
仕事のクセか、80%程度の出力で一旦止めてしまった。
エンジン計器チェック。。。問題なし。
フルパワー。
さっきまで優しく回っていたエンジンが勢いよく回った。
ブレーキを離すと、とうとう加速が始まった。
60kt・・・言われた通りに操縦桿を引くと機体がゆっくり宙を舞った。
「初回から大丈夫そうだし、このまま1人で飛んでください。 何かあったらサポートしますから」と教官。
どんどん高度が上がっていく。
コントロールを右・左に切ると、それに合わせて機体が傾く。
「これが操縦かぁ」なんて思いながら、水平飛行や旋回の練習をして空港に帰ってきた。
そして着陸。
パワーコントロールは教官が説明しながらやってくれたので、私は飛行機を着陸させる事に専念。
「はい、フレアかけて支えて~」と言われるがままに操縦すると、メインギアから静かに接地した。
「うまいですねぇ。 こりゃ早く免許とれますよ」と教官。
お世辞でも、そう言われれば嬉しい。
約1時間のフライトだったが、整備の1時間とはまた違った疲れが体を襲ってきた。
フライトログブックは記念すべき1行目に記録する。
私に飛行時間が初めて付いた。
これまでの道のり~初めての渡米~
パイロットの免許を取る過程は様々だが、私は自家用免許をアメリカで取る事にした。
自家用免許については、日本の学科試験の法規だけ合格すればアメリカの免許を日本の免許に書き換える事が出来る。
アメリカで取ったほうが、費用も圧倒的に安い。
セスナ172で例えると、日本では1時間の訓練で約5万円、アメリカは120ドル前後。
自家用を取得するのにかかる時間は平均約70時間。
その差は歴然である。
早速、1週間の有休を申請してアメリカへと渡った。
それは昨年・・・2010年1月の事だった。
空港に降り立った時、今までと違う感じがしたのを今でも覚えている。
仕事でもなく、旅行でもない。
これから始まる長い長い道のりの入り口に立ったという特別な感じがした。
はじめに
飛行機が好きで、整備士という仕事に憧れて今の会社に入社しました。
日々、到着した飛行機を次の目的地に送り出すというすごくやりがいのある仕事。
会社に入って1年がたった頃、その当時はまだハンガーと言われる格納庫で飛行機の重整備を担当していた時、漠然と「飛んでみたい」と思ったのがすべての始まり。
就職活動中は、飛行機のエンジニアを目指していた事もあり、正直パイロットという仕事にはあまり目が向かなかった。
興味がなかった訳ではないが、その当時の自分は「パイロットになれる訳がない」と最初から諦めていたのかもしれない。
しかし、会社での仕事に慣れてきた頃、漠然と「自分の整備した飛行機を操縦出来たら、、、、」と思い始めた。
気が付いた時には、パイロットのライセンスに関する様々な事を調べている自分がいた。
「自分の体がパイロットになれる体なのか?」と航空身体検査を受診し、問題が無い事も分かった。
どういうプロセスでライセンスを取るのが一番効率良く出来るかを調べている自分もいた。
自費でライセンスを取得するには、莫大な費用がかかる。
日々の生活費を節約し、貯金に走っていた。
それから4年という月日が流れ、ついにアメリカへ飛んだ。
パイロットになる為に。