January 2006

January 30, 2006

サッカー日本代表06始動。〜国内組サバイバル〜

昨日29日から宮崎でジーコJAPANの06年がついに始動した。

ジーコも「コンマ1%でも上を目指せ」と初日から厳しいゲキを飛ばしたとのこと。

本大会までこうやって代表合宿でメンバーを招集できるのもあとわずか。ここからはいかにコンディションを保ちつつ、ジーコにアピールできるか、各選手たちのサバイバルレースも佳境へと入る。

その皮切りとなるのが、この宮崎合宿というわけだ。ここから約1ヶ月、米国遠征や国内マッチを経て、まずは「国内組」と言われるメンバーたちの振り落としがほぼ固まるだろう。


というわけで、まずは宮崎合宿&米国遠征メンバーと2月の強化スケジュールをご覧いただきたい。

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enishi_no_sora at 22:53|この記事のURLComments(3)TrackBack(9)サッカー 

January 29, 2006

やっぱり今年もトンチンカンオーナー。〜楽天、三木谷氏の奇行〜

ヴィッセル神戸の“迷”オーナー、楽天社長の三木谷氏がまたやってくれた。

神戸三木谷社長が指令「神戸ナンバーに」


三木谷オーナーよ。あんたはいったい何がしたいんだ?どこを目指しているんだい??地域密着を打ち出しているそうだが、やるべきはそこじゃないんじゃないの???

「税金を神戸に」って言うけど、結局またお金で解決しようとしてるじゃん。こんなにライブドア事件で『拝金主義』が叩かれてるのに、やっぱり堀江氏の二番煎じが大好きな三木谷氏はまたお金を神戸に多く分配することで、神戸市民の心を買おうとしている。

そんなんで神戸サポの、そして神戸市民の心が動くのだろうか??

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January 27, 2006

「共感」と「教育」の狭間。

僕たちがひとの心を理解するには「共感」することが必須の作業だ。

「作業だ」と言ってしまえば、とても作為的な匂いもするが、例えば共感しにくい話と相対したときでも、その内容の真偽などは別としても「その人はそう思うんだ」というその気持ち自体は汲んでやる必要がある。

そういう意味では「共感」することは簡単なことではないし、そもそも僕らは育ってきた環境が違うのだから、意図的に努力しないとなかなか「共感」することが難しい場面も多い。


その一方で、じゃあ僕たちはその人を丸抱えするように「共感」だけすればいいってものでもない。

やはりたとえその人のその思い自体は理解できたとしても、やはりそれに何らかの偏りがあったり、間違いがあったりした場合は、それを教え正すという意味での「教育」も必要になってくる。


きっと普段の僕らは、時と場面に応じて、その「共感」と「教育」を無意識的に使い分けているのだろう。

例えば上司と部下が仕事上の何かについて話し合う場面では、「共感」よりも「教育」のウエイトが大きいだろうし、逆に友人の悩み相談などを受ける場面においては「共感」のウエイトのほうが「教育」のそれを上回るだろう。


しかし世の中、うまくいくことばっかりではない。

相手が「共感」を求めているときに「教育」的なことばかり言ってしまったりすることもあるし、こっちが「教育」的な助言を求めているのに、うんうんと「共感」しかされなかったりして、求めているものと提供するものがちぐはぐになるときだってある。

そういう時は「おまえになんかわかってたまるか!」と口論になってしまったり、「あの人は何にも役に立たない」と憤慨されたりと、往々に関係性がこじれてしまうから、これまたやっかいだ。


なんでこんなことを書いているかというと、まさに今日、僕は「共感」と「教育」のバランスをちょっと読み間違ったかなと反省している出来事があったからだ。

例に違わず、僕らも口論めいたものになり、双方の意見は平行線で、結局コミュニケートできなかった。


言い訳すれば、半年に一回の話し合いじゃ、そりゃ「教育」的にもなりますよー(泣)


でも、じゃあこれまで「共感」する機会がなかったのかと言われればそうでもなく、結局は自分の未熟さを嘆くしかないわけで。


そして僕は明日も「共感」と「教育」の狭間を揺れ動く。


縁(エニシ)


ランキング←「相手にとっては、僕に対して感情をむき出しにできたこともいい経験だったんじゃないかな」ってフォローされて、少しだけ救われました。

January 26, 2006

「笑い」は心身の良薬。

ここ最近は社会に怒ってばっかりで、どうも自分が笑っていないなぁということにふと気づいた。

そのせいだかどうだかわからないが、どうもまた体調も下り気味だ。しつこい咳がまたぶり返してきたし、咳するとなんだか頭も痛い。


それにしても怒りというのは、ほんとにエネルギーを消耗するものだ。一年中、何かにぶつぶつ言って眉間にシワ寄せている人がいるが、そんな人は逆にものすごいバイタリティがあるんだなぁと感心してしまう。

そのバイタリティをもっと生産的なものに使えば…なんて思うけど、それは「ゲームばっかりしてないで勉強しなさいっ!!」と怒られても勉強できない子どもと同じで、それとこれは別の話なのだろう。


まあ、とにかく。

いろんなニュースが世間を騒がせているけれど、みなさんの日常には「笑い」は保たれていますか?

「笑い」はタイトルにもあるように心身の良薬であることが近年の科学で実証されてきています。例えば、笑うことによって免疫機構が活性化されることが知られているし、ストレスを笑いで発散させる笑い療法なるものもあるんだとか。

「笑う門には福来る」と言ったイニシエの人たちは、なんとなくそのことを体感していたのでしょう。


というわけで、今日は私からみなさんに笑いの「ネタ」をプレゼント。くだらないものですが、これを見て笑って、少しホッと肩の力を抜いてくださいませ。


フラッシュ「中村屋」←音が出ますので、仕事中の方はご注意!!

僕的には1回目よりも2回目に見たほうが笑いがこみ上げてきました。


僕も笑って、体調を整えます。


縁(エニシ)


ランキング←でも本当に調子悪いときは病院行ってくださいね。

January 25, 2006

『今』やるべきは、『未来』を志向した『過去』の追求。〜ライブドアショックの今後に思う〜

今日は堀江氏逮捕を受けての今後を考える上で、個人的に大事だと思う視点をひとつ提言してみたいと思う。

その提言というのが、タイトルに示した「『今』やるべきは、『未来』を志向した『過去』の追求」ということなのだが、これの具体的中身を以下に一緒に見ていこう。

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January 24, 2006

「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」〜堀江容疑者、逮捕に思う〜

昨夜、堀江氏が逮捕され、「社長から容疑者への転落」というセンセーションが日本国中を駆け巡った。

そして今朝、さっそく「きっこのブログ」を読んでみると(今や私の日課となっている)、逮捕を受けて記事が更新されており、耐震偽装のみならず、ライブドアに関してもなんだかいろいろと黒い力も関与している話もあるようなことが書かれていた。

それを読んで、逮捕速報が流れたときに「社長日記にある“身に覚えが無い”というコメントは嘘であってほしくないなぁ。捕まったからには白ではないんだろうけど、真っ黒じゃなくてグレーぐらいであってほしいなぁ」とマスコミの手のひら返しのバッシングに対して同情的な心情になっていた私なども、そんなきっこに言わせれば「腰抜けの風見鶏」なんだろうな…と苦々しい思いをしたところだ。

おそらく今日は多くのブロガーが堀江容疑者逮捕の話題を取り上げることだろうから、少しでも自分はユニークな視点で書きたいと思うのだが、きっこのブログほどのソースもないし、度胸も無い。それでも自戒をこめつつ、風見鶏は風見鶏なりに今の風を読んだ見解をつらつらと述べてみよう。

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January 23, 2006

経済ド素人が語るライブドアショックに関する一考察〜あえてポジティブな要素を探る〜

週末は心身をリフレッシュしたくて、このブログに関してはコメントやTBのリアクションをするのみで、新たな記事の更新はやめにしていた。ここ数日は不慣れな分野に関することに頭を使ったので、だいぶ消耗していたらしい。

しかし週が明けてもやはりこの問題に関する報道はおさまる気配もなく、むしろ加熱する一方のようだ。

こうしてライブドア問題に多くのスポットが当てられ、煌々と眩い光を放つなら、その一方でひっそりと霞み、ひっそりとフェイドアウトされていく影の部分もある。

それはさしずめ「耐震偽装問題」や「牛肉輸入問題」といったところか。

そういえば政治の中枢も「霞ヶ関」っていう人を煙に巻くような名前だったっけ。


そんなつまらないダジャレはさておき、とにかく今週もやはりこの問題が私の心に多くのことを考えさせ、触れずにはおれないということで、今週一発目も性懲りも無くこの話題で行こうと思う。

そして今日のテーマはライブドアショックに関して、経済にはまったくのド素人の私が、あえて日本経済を題材にあげて、これまたあえてポジティブな要素について、極めて主観的な文章で考えてみたい。

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enishi_no_sora at 13:33|この記事のURLComments(10)TrackBack(17)

January 20, 2006

何かをする(doing)前にそこに居続ける(being)ということ〜ライブドア関連者の死に思う〜


私は昨日の記事で「いったい私には何が出来るのか」と書いた。

しかしタイトルにもあるように、ここに来てライブドア絡みで死者が出たことを知り、あらためてある一つの思いを強くした。


しかしながら、その思いに触れる前にこの不可解な死について一言触れておきたい。

「本当に自殺なのか?」


聞けば死んだ野口氏は、偽名で安価なカプセルホテルに入り、そこで首、手首、腹部と多数の切り傷、刺し傷を身体に刻み、死にゆくまえに自ら非常ブザーを押したと言う。

さらに死を遂げた日のスケジュールを追っていくと、彼は明け方3時過ぎまで東京で強制捜査に立ち合っていることが確認されており、その後の同日午前11時には沖縄のカプセルホテルにチェックインしている。

それを逆算すると東京を朝6時台の飛行機で発っていることになり、彼は3時過ぎに終わった強制捜査後、おそらくはまったく睡眠をとらずに羽田まで走り、その後沖縄に飛んで偽名でカプセルに入り、そのままさしたる時を経ずに死を遂げている。

このソースはすべて朝のフジテレビの「とくダネ」によるもので、その後の進展についてはまだ未確認のまま、勢いのみでこの記事を書いている都合上、事実誤認もあるやもしれないが、これだけを聞くと自殺という報道にまたも疑念が挟まざるを得ない。

なぜなら「死ぬためにそこまで刺さねばならぬのか?」というほどの多数の傷、そして偽名で入ってるのに死に際に非常ブザーで自らの存在を知らしめているという矛盾した行動、さらになにより疑問なのは強制捜査が入ってすぐのこのタイミングで彼は沖縄にわざわざ飛んで、そこで死を選ばねばならぬほどの何か理由があったのかということなど、この死の背景には数々の納得いかない点があるからだ。


死者の気持ちは死者にしかわからないが、それでも一生懸命ここで推察してみよう。

人が自殺という方法を選ぶとき、一般的に彼らの心にあるのは「もうおしまいだ、生きていても仕方ない」という深い絶望だろう。大きな絶望の淵に立たされたとき、人はその深い暗闇に吸い込まれるようにして死を選ぶ。

多くの人間がこのような心理状態になっているとき、おそらく症状として「うつ病」を発症しているだろうし、病名としてはつかないまでも少なくとも「うつ状態」には陥っていることがほとんどだろう(自殺した人の多くは「うつ」がその背後にあるというのは、最近の一般的見解であると私は理解している)。

ここで少し横道にずれるが理解を深めるために、「うつ病」と「うつ状態」の違いを少しだけ整理しておこう。

人は誰しも人生においていくつかの局面でうつ状態は経験する。失恋したとき、試験に落ちたとき、大切な人を亡くしたときなどなど、喪失体験がそれの引き金になることが多い。

しかしそれらの状況ではみんなが一様に悲しみを経験するし、落ち込み、悲嘆にくれる。その意味では、そういう時に陥る「うつ状態」はある種の正常反応であるわけだ。

しかし「うつ病」というのは、それらの「うつ状態」が正常範囲を超えて持続している状態であるという定義が一つ可能であると思う。

例えば失恋すると多くの人が眠れなくなるし、ご飯も喉を通らなくなる。しかしそれは一種の恋の病で、多くの人は自らの気分転換や友人の励まし、さらには新たな出会いなどで徐々にその状態を脱し、普通の日常生活が送れるようになる。

しかしその一方で強い落ち込み状態がいつまでたっても続く人たちもいる。その人たちも「うつ状態」にいることは、先ほどの人たちと変わらないのだが、その時期が続きすぎるのだ。

うつ病に関するTVコマーシャル等から判断するに、一般に憂鬱な気分が2週間から1ヶ月ほど続いているときには「うつ病」を疑ってみるべきだというのが最近のもっぱらの態度のようなので、継続期間としてはそのくらい、あるいはそれ以上と思ってくれればいい。


さて話を野口氏の死に戻そう。

ここで長々と話をしたのは、とにかく死を選ぶ背後に「うつ」が絡んでいるとするならば、そこにはある一定期間の「憔悴する期間」が必要なのだということが私は言いたいのである。

うつ状態になり、あれやこれやと思い悩み、そして思考は袋小路に陥る。そしてそれを解決する方法は「死」しかないと考えるようになる。それでも家族もいて、子どももいれば(事実、二人のお子さんがいたようだ)、「死」を思い浮かべたあとも「死にたい気持ち」と「死んではならないという気持ち」もしばらくは葛藤しよう。それでも事態が困窮を極めたとき、人は自ら死を選ぶ…。

きっと自殺にいたる心理状態というのは、もちろん推察であるがそのようなものなのではないかと思うのだ。要するに自殺を覚悟したとしても、それに至るまでにはそれなりの時間もいるし、決意から実行するまでもしばらくは時間がいるように思うのだ。

再び「とくダネ」からの情報だが、野口氏と年明けに酒を酌み交わしたと言う友人の話では、そのときの彼は意気揚々としていたという。

ということは、彼は少なくともつい20日ほど前の年始には「うつ」のモードには入ってなかったのではないかということが推察される。

だとしたら強制捜査による極度の心理的インパクトがあったからこそ、彼は死を選んだという可能性しか残らないことになる。

しかし、そんなことってあるのだろうか?

仮にあったとしても、「なんでじゃあ沖縄?」とか「なんで偽名?」など、最初の疑問に立ち戻って考えるとやはり腑に落ちないことが多すぎる。

そしてまた確実に黒幕たちの存在があるだろう耐震偽装問題でも、初期の段階で関係者が「自殺」という名の死を遂げていることを考えると、今回の野口氏のこの死も何かの陰謀があるのではないかと勘繰ってしまうのはおそらく私だけではないだろう。


そして話は最初に戻って、この一件で強くした私の思いである。

「何ができるのか」と問うた自分の中で、この報道を通じて一つ見えた答えがある。

それは「何かを“する”前に、腐っていようがなんだろうがこの世界に“居続ける”ことが何より大事」ということだ。

どんな腐った世の中でも、生きて生きて生き続けて、この世の果てまで見てやろうじゃないか。そしてひとつのピースにすぎないかもしれないが、この世に居続けようじゃないか。

何かをすることだけでなく、そこに居続けることで変わる何かもあるのではないか。


私たちは死んでしまっては何にもならない。そのことに理由などないないのだ。我々は生を受けた以上、生き続けるしかない。

彼の死に私はその思いを新たにした。


無論、これは彼が自殺であればという前提の話であるが。

「そうでなかったら?」

その答えは“居続けること”で見出そうじゃないか。


縁(エニシ)


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enishi_no_sora at 19:32|この記事のURLTrackBack(20)ココロの呟き 

January 19, 2006

学習性無力感〜ライブドアショックと耐震偽装に思う〜

「疲れてきたな。」

これが今の率直な感想である。

私の生活リズム上、週の半ばから3日間はやけに心を消耗する仕事に従事しているものだから、この疲れはもちろん私のルーティンワークが呼び込んでいるものでもある。

しかし、である。

どうもこの疲れ、ルーティンワークだけのものではなさそうだ。
私はここ数日ですっかり無力感に囚われてしまったのである。


みなさんは「学習性無力感」という言葉をご存知であろうか?

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enishi_no_sora at 21:57|この記事のURLComments(3)TrackBack(13)

January 18, 2006

終わりのはじまり〜昨日の証人喚問を振り返る〜


昨日は大変な一日だった。

阪神淡路大震災から丸11年、宮崎勤被告の死刑判決、急遽舞い込んだライブドアショック、そして耐震偽装に関するヒューザー小嶋社長の証人喚問。

各局のニュース報道は盛りだくさんで、てんてこ舞いのようだった。

ただでさえ震災関連、そして宮崎被告関連でニュースソースは盛りだくさんなのに、それでもなお飽き足らずライブドアをぶつけてきて、証人喚問の関心をそらすあからさまとも言える構図の違和感は昨日の記事でも書いたとおりだ。


そして実際の証人喚問の中身も、それはまあひどいものだった。

たまたま空き時間であった私は証人喚問をLIVEで見たが、補佐人との相談、回答拒否の連発にハラワタの煮えくり返る思いがした。あまりの腹立たしさにTVにリモコン投げつけそうになってしまうほどだった(今思えば、小嶋ごときでTVを買い換える羽目にならなくて本当によかった)。

だがその怒りもどこへ向けていいのかわからず、時間が経つにしたがって、だんだんとやりきれない哀しさへと心は移ろってきた。

怒りを小嶋に向けたところで黒幕が引っ張り出されるわけでもない。黒幕にとって見れば、彼も所詮捨て駒なのだ。都合が悪くなれば小嶋そのものを消すことだって厭わないやもしれない。今のところ茶番劇で収まっているが、下手したら任侠劇になりうる可能性だって秘められているのだ。

もう我々は、この国の政治家を、マスコミを、そしてこの国そのものの体質を嘆くしか術がないのだろうか。


だがそんな中でも収穫がなかったわけでもない。安倍晋三の名前も引っ張り出せたし、伊藤公介との接点も確実にあることだけはわかった。他にも数名、数個の固有名詞が確認された。

これも黒幕たちから言わせれば「想定内」のストーリーだとしたら、すなわち今度はスケープゴートを安倍晋三に仕立てようとしているのなら、我々はその作戦にまんまとハマっている向きもある。安倍の名前が出た後はこぞってそこばかりが話題になっているからだ。


ただそれでも確実にいえるのは、少なくとも「新たなボロを出した」ということだ。

黒幕たちはホリエモンまで吊し上げて、証人喚問を事なきに伏して終わらせようとしたが、実は何一つ昨日だけでは終わっていない。いや終わらせてはならない。


だが同時に私には、昨日の一日は「終わりのはじまり」であるように思えてならない。

これは感覚的なもので、理屈もないし、理由もない。

結果、何が終わるのか、その終わりは黒幕たちの息の根が止まることを意味するのか、それとも我々の民意が踏みにじられ冒涜されることを意味するのかはわからない。

ただ何か大きなものがガラガラと崩れ始めていて、それのうねりはもう止まらないし、止められないのではないかという予感がしてならないのだ。

私は占い師でも霊能力者でもないから、まったくこの予感に根拠はないのだが、昨日をきっかけにきっともっと大きなことがこれから起こってくるような気がする。

昨日は事の終わりではない、終わりのはじまりなのだ。

今後の大局を見誤ってはならない。


縁(エニシ)


ランキング←昨日の報道では被害住民が「権力争いばかりで、こちらへの補償の話題はまったくなかった」という憤る姿も放送された。確かに今日、明日とも地震がくれば倒壊する危険性のある環境である。彼らを思えば、「黒幕、黒幕」と連呼する自分自身にも嫌気がさし、胸が痛む。だがより大きな黒幕を引っ張り出せれば、補償能力のない小嶋にかわって、よりビッグネームが責任追及される可能性だってある。そうすれば少なくとも金銭面での補償は今より好転するのではないか。こういう意見が被害住民に受け入れられるかどうか全く自信がないが、それでも一番救われるべきは被害住民、そして二次被害を被る可能性のある近隣住人であることを我々は忘れてはならないのだろう。

enishi_no_sora at 15:59|この記事のURLTrackBack(11)ココロの呟き