2009年11月10日
田舎街の復興! 大成功事例!
僕の住む隣町に敦賀市より、更に田舎の人口わずか57000人の長浜市がある。
どのくらい田舎かというと、平成元年の駅前商店街の1時間の通行量が、
4人と一匹だった。
それが今や日曜になると観光客で人の黒山と化し、
観光バスなどで周辺の有料駐車場は満杯だ。
これがあの田舎街?
と信じられない・・
そして町並みをあるけば、その理由を肌で感じる衝撃的な体感をする。
この田舎街の復興事例は、企業再生と非常によく似ている。
何もしなければ企業は時代の変化について行けずに衰退する。
では何をどうすれば企業は発展出来るのか?
その全ての答えが、この小さな田舎街にある。
何処の田舎駅前通りにあるような光景だが、
大型ショッピングセンターが出店し、駅前店は閉鎖する店が増えていく。
当時西友が出来て、駅前から移転を余儀なくされた店舗は50店!
街の活気は失われ、中心的な街のシンボル銀行も解体することになる。
しかしこの建物は、明治33年建築の外壁が黒漆喰仕上げの由緒あるもので、
市民からは長い間「黒壁銀行」として親しまれてきた。
そのため、「何とかこの建物を残すことは出来ないだろうか」
という市民運動が興り、
さらには「商店街活性化の拠点にしよう。」
という盛り上がりになっていった。
その中から、長浜市の将来に危機感を持った有志が立ち上がり、
その熱心な取り組みが行政をも動かし、昭和63年4月、建物の保存と、
そこを拠点とした商店街の活性化を同時目的とした
第3セクター“(株)黒壁”が設立されたのである。
資本金1億3千万円、出資者は9人、市民7人に長浜市と長浜信用金庫が加わった。
ところが、建物の保存は決まったものの、
「商店街街活性」に向けたビジョンが決まらぬままであり、
関係者は頭を痛めていた。
しかし、ある日曜日の昼下がり、
役員が顔を合わせ
1.歴史性、
2.文化芸術性
3.国際性
の3つのテーマを決め、ようやく、
これを満たす事業展開が模索されることとなったのである。
役員会が終わったあと、全員で黒壁の前に1時間ほど立っていた。
その間、そこを通過したのは、なんと「4人と犬1匹」。
こんな人の通らない商店街の再生が本当にできるのだろうかと、
全員に大きな不安を抱かせる現実であった。
それが、そのような現実があったことなど思いも拠らないほどに、
街が活気に溢れるように劇的な変貌をとげることとなったのである。
きっかけは、初代社長、長谷定男氏の
「ガラスでもやってみたらどうや」の一言であった。
こうして“ガラス工芸を軸としたまちづくり”に向け、
1ヶ月に及ぶ欧州視察や国内ガラス産地の動向を検証しながら
「ガラス館構想」が動き出し、平成元年7月、黒壁の建物は黒壁スクエアの核である
「黒壁ガラス館」として生まれ変わったのである。
黒壁ガラス館、ガラス工房、レストランの計3館からスタートした(株)黒壁は、
その後、“黒壁”をコンセプトとした店舗でガラスギャラリーや郷土料理店を次々とオープンし、
現在では、同社直営10館の他、
テナントなど合計30館が北国街道を中心として広がっている。

“作る・見せる・体験する”という複合的な事業展開と
「ガラス以外は置かない」
という、こだわりに加え、
従業員を積極的に海外留学させるなどの人材育成に努めるなど
“本物のガラス文化を追求”したことが、集客力の強さの一つの要因となった。
また、まち全体の活性化を図ろうと、空き店舗80軒を含め180店舗が
(株)黒壁プロデュースのもとリニューアルされ、
随時新しい施設が生まれていたり、
シルバー世代が中心となって様々な事業を運営する
「プラチナプラザ」の開設、市民が自由に参加できる
「感響フリーマーケットガーデン」など、この街は訪れる人達に常に、
新鮮さと感動を与え続けている。
やがて女性を中心としたリピート率が46%を超えるようになり、
当初は非協力的だった商店街の意識も変化をみせ、
黒壁と同じイメージを持つ建物がどんどん増え、
来街者の回遊範囲もますます広がり、
ついには年間200万人を突破するほどの街となったのである。
「長浜を見習え」
いつしかこれが地域の活性化を図る地方都市の合言葉となった。
「街の再活性化はコンサルタントや大学の先生では出来ない。
また大型店の集客に頼ることも無理だ。地元愛がない、
よそ者に出来るはずがない。」と言い切るのは、現社長の笹原司朗氏。
彼こそが、この事業の立役者である。
素晴らしい事業センス、ずば抜けた行動力、
そして強い信念を持った同氏の体験談を開こうと、
年間450件もの視察があり、請われれば自ら全国どこへでも出向くという。
さらに同氏は続けた「長浜だけが立ち直っても意味がない、全国の役に立ちたい。」
「考えるより先に実行する。そんな人間でなければ私の話を聞いても、
この街を見ても何の役にも立たない。」と。
100年後、長浜をベニスやプラハと並ぶガラスのメッカにすべく、
笹原社長の挑戦は続く。



