京都検定で京都を楽しむ!

「京都検定で京都を楽しむ会」です。観光や勉強を楽しくやっていきます。
ブログは複数のメンバーが執筆しています。間違っている点などありましたら、各記事のコメント欄でやさしくご指摘ください。

京都検定で武田五一を楽しむ会・出町柳界わいの橋編【オフ会報告】

こんにちは!
先日行われた「京都検定で武田五一を楽しむ会」。行ってきましたよ。
コースとしては京都駅周辺の京都電燈株式会社、現在の関西電力ビルからスタート。そして北大路駅周辺の武田五一自邸を訪れました。この時の情報は別途報告があると思います。
今日は、この後の高野川・賀茂川合流地点付近、武田五一の橋設計についてご報告します。

建築家、といってもビルだけではないのですね。武田五一は京都、大阪など20橋も設計していました。京都大学の建築学科で教えていた武田五一の教え子が京都や大阪の役所に勤め、教え子と連携して設計していることが多いようでけどすね。
京都では出町柳界わい「葵橋」「河合橋」「賀茂大橋」を武田五一が設計しています。
ということで、まずは「葵橋」からスタートです。

【葵橋】
武田五一は大正7年(1918年)10月に完成した「葵橋」「河合橋」の設計に携わっていました。ということで、まずは葵橋に向かいました。葵橋西詰でバスを降りて葵橋へ。
葵橋1

「葵橋」という名前はなぜついたか。想像がつきますね。そう、昔は葵祭の行列がこの橋を渡っていました。
葵橋アーカイブaoibasi13
葵橋アーカイブaoibasi11
出典:府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より 「葵祭・路頭の儀 黒川翠山撮影写真資料(旧葵橋)」

武田五一はこの葵橋の再建に携わっていたのだな。ふむふむ…!?

しかし、「出町四橋ものがたり」によると、明治に架けられた葵橋は大正7年9月の洪水で流失しているぞ。あれ?大正7年9月流れて1か月で造ったのか?

それではちょっと歴史をたどってみましょう。

<室町以前>
中古京師内外地図」は江戸時代中期の森幸安(もりこうあん)という歴史地図考証家が、寛延3(1750)年に応仁の乱前の頃以前までの京都の様子を1枚の絵図にしたものだそうです。
名所旧跡、武家・公家の邸宅、郷村、山川、橋梁など各種文献資料に基づいて詳細に考証し描いています。
MapKodai

 この地図は実に面白いです。まず「下賀茂神社」との記載が見当たりません。下賀茂神社あたりには代わりに「出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)」の記載があります。そして、鴨川のほとりには出雲路と記されています。
このあたりは昔渡来人の出雲氏が住んでいたところなのですね。京都検定のテキストにもこのあたりに出雲氏と書かれています。そして賀茂氏はもう少し上流のところに住んでいたようです。
井於(いのへ)とは鴨川のほとり、という意味のようです。現在も下鴨神社の摂社に「出雲井於神社」がありますね。別名「比良木神社」ともいわれているそうです。これは厄年の人が木をお供えすると、それが柊になって願い事がかなうからだそうです。
また、「糺の森」の横には「糺の里」とも書かれています。「相国寺の横には毘沙門堂がある」「出雲路の下の方には真如堂とかかれている」など興味津々な記載がありワクワクしてしまいます。
あっ、いかん。ついつい話がそれてる。古地図を見ると時間がどんどん過ぎてしまう。

この時代から、葵橋のあたりにちゃんと橋が描かれていますね。

<江戸時代>
こちらは江戸時代。10代将軍徳川家治の時代の1778年に書かれた京都の地図ですね。地図を見ると、葵橋のあたり、そして出町橋のあたり(今出川口橋と呼ばれていたそうです。)に橋がみえます。
MapEdo
どちらも仮橋のようですね。この時代は三条大橋五条大橋以外は仮橋だったようです。今出川口は鯖街道(若狭街道)の終点であり交通の重要な拠点だったのですね。

<明治時代>
明治時代、になっても北への重要な交通拠点だったここ今出川口付近の橋も、本格的な橋が架けられました。この時に出町橋と名付けられたようです。出町橋はまだ中洲も長くなかったためか、1本の長い橋だったようです。
mapM25
下鴨神社へとつながる道には葵橋が架かっておりいます。この葵橋を通って葵祭が行われていたのですね。

<大正時代>
こちらは大正11年 (1922年)の地図。良く見ると出町橋は長い1本の橋ではなく、出町橋と河合橋の2つに分かれていたようです。出町橋を2つに分ける工事がちょうど大正7年に進んでいたようです。
MapTaisho
一方で、葵橋があったところの橋が見当たりません。
大正7年9月に大雨があり、葵橋もその時に流されてしまったのですね。

この時に、ちょうど建築中だった「出町橋」とすぐ近くに並行していた「葵橋」は再建しないことが決まりました。地元ではこの「葵橋を再建しない」という結論にはかなり反対運動が発生したそうです。
きっと「葵祭で使う神聖な橋を無くすなんてありえへん」「葵祭はどないしはるんえ」など色々反対意見が出たのではと想像します。しかし反対は覆されず、葵橋は再建されませんでした。ただ、この新しく作られた「出町橋」を「葵橋」と名付けて葵橋の名前を残すことになったそうです。

つまり、武田五一が大正7年完成の葵橋(現在の出町橋)と河合橋を橋設計した、という事なんでしょうね。
葵橋2
この場所もともとの葵橋付近に再び橋が架かるのは昭和31年(1956年)の10月。市電河用の橋として開通のこと。そして 昭和35年(1960年)に道路として開通したのは葵橋が流されてから40年もたってからだったのですね。
出町橋へ
といことで、葵橋こと出町橋へと向かうことにしました。

【出町橋(葵橋)】
こちらが出町橋(葵橋)。江戸時代以来、洛北から京都市街への鯖街道(若桜街道)への出入口として重要な橋でした。「鯖街道入り口」の碑が見えますね。
鯖街道

さて、この橋の構造は「ゲルバー橋」という構造になっています。武田五一の橋の設計で良く用いた構造のようで、五一らしさの1つといえるのでは思います。
通常よく使われる橋梁の構造として以下のようなものがあります。
「連続桁橋」は長い1つの橋を支えるため直線性は保てますが、支えるための強度が必要で、橋脚を多く必要とする傾向があります。一方、「単純桁橋」は橋脚ごとに橋を架けるため強度的には優れていますが、橋脚のところで沈み込むなど水平性が問題になることがあるそうです。
Simple

対する「ゲルバー橋」は連続桁橋のような水平性を確保しつつ強度も確保できる方式で、当時としてはかなり最先端の技術だったようです。
出町橋(葵橋)も下記のようなゲルバー橋の方式を採用しています。
Gerber1
武田五一も
「道路の延長である橋は、その水平架構の解決に技術的興味が集中し、さらにその水平架構の工学的解決は橋の美観上の問題の最重要素として理解されなばならない」
と語っています。五一の水平性のこだわりを感じますね。

【河合橋】
続いて河合橋へ。「河合橋」も大正7年に武田五一によって竣工されました。
こちらの河合橋もゲルバー橋構造となっています。出町橋(葵橋)とはちょっと支えている箇所が違うのがわかります。
Gerber2
Gerber3

そして、河合橋にはもう1つ五一らしい特徴があります。
燈籠
それは石製高欄歩道灯籠照明です。橋梁の構造等は洋風の先端技術を採用していますが、橋の上部は和風にこだわっています。特に橋の両端にある笠付き火袋を載せた燈籠は武田五一が設計した大阪などの他の橋とも共通していて、武田五一らしさの1つとなっています。
燈籠2

「両端に垂直に屹立(きつりつ)する塔を持った橋は、その塔によって両側の径間に与えると同時に、中央の主径間の水平性を目立たしむるに役立っているのである。」
と語る武田五一。燈籠の1つの目的は橋の水平性を強調する意味合いがあったようですね。
「都市の美観はまず街路の系統ならびに設計の整正、建築群の完成等によって達せられるのであって、いかに橋梁だけが美しくなったところで仕方のないようなものではあるが、必要上建築群の完成に先立って道路と共に橋梁が建造せられるときは近い将来において付近の建築物の完成を考慮に入れるべきである。」
また、こうも語っています。
「橋のほうが建築物より先にできた例が多いが、この際には橋の形の意匠を付近建築物の標準として将来役立たしめるというほどの信念をもって計算すべきである。」
橋が将来立つであろう周辺の建築物の標準となるような設計にすべき、というのは何とも武田五一らしい自信、信念を感じます。

【賀茂大橋】

賀茂大橋は昭和6年に都市計画度道路として造られました。今出川通りを鴨川を超えて整備するものです。こちらが昭和4年(1929年)の地図。今出川通りから鴨川を超える道路が計画されているのがわかりますね。また旧葵橋のところにも計画があるのがわかります。賀茂大橋昭和6年に竣工されますが、葵橋は戦後になるまで実現しなかったのですね。
MapS4

こちらが、昭和10年の地図。賀茂大橋が立派に開通しているのがわかります。
MapS10

こちらも、石製高欄や歩道灯籠照明など、武田五一らしい特徴が見て取れます。
賀茂大橋燈籠
賀茂大橋燈籠2

ところで、大正7年に作られた河合橋も出町橋は木造の橋だったそうです。こちらの賀茂大橋は
上部の石造り灯籠付高欄と下部のゲルバー式鋼桁橋といわれる構造でコンクリート橋として造られています。
そして、昭和10年にまた大雨があり、先の出町橋、河合橋は流されてしまいます。鴨川の多くの橋は流されたそうですが、この賀茂大橋は流されずに残りました。

その後、昭和13年、復興予算により河合橋は賀茂大橋と同じようなにコンクリートベースで造られました。出町橋(葵橋)はこの時は木造として造られ、昭和29年にコンクリート橋として再建されました。
なるほど。だから賀茂大橋、河合橋には燈籠がありますが、出町橋(葵橋)には無いのですね。

結局、武田五一が作ったものがそのまま残っているのは「賀茂大橋」のみなんだと思います。河合橋の再建に武田五一がかかわっていたかどうかはちょっとわかりませんでした。

そしてこちらが、現在の地図。ちゃんと葵橋が都市計画通り復活していますね。
MapNow2

現在、河合橋、賀茂大橋は修復工事が予定されています。耐震補強や車道との間の柵、タイルや照明などのリニューアルが進められています。武田五一が手掛けた燈籠などは形としては残るようですが、ありのままの姿は今しか見られないかもしれません。今のうちに見ておけてよかった。

賀茂大橋のリニューアルはもう始まっていました。今回、工事中の賀茂大橋の上を通ってきました。ちょうどゲルバー橋の橋のつなぎ目を工事していました。皆で興味深くのぞき込んでいましたが、こんなところに興味を持ってのぞき込んでいるのは我々グループぐらいでしょうね。

賀茂大橋修復
賀茂大橋工事中

ということで、出町橋界わいの武田五一の橋巡りを行ってきました。
鴨川は昔からよく氾濫し流されていたことがよくわかりました。そういえば、角倉了以も最初鴨川を使って大仏殿造りの資材を運びましたが、運搬には難航を極め、またせっかくの河川整備も大雨ですっかりなくなってしまい、大変だったようです。そのため高瀬川を開削することにしたほどです。
そんな京都の鴨川の大雨の克服に武田五一が果たした役割は大きなものだったのですね。

それでは今日はこのへんで。
歩いたろうでした。

京都検定で武田五一を楽しむ会・イントロダクション【オフ会報告】

さて、京都検定で京都を楽しむ会史上、最多の申し込み、最速の受付終了となった「京都検定で武田五一を楽しむ会」。そのもようをご報告。まずは、イントロダクション編。

五一題字
(↑これは毎回説明用に作る資料の表紙)

今回は、当会メンバーのうち、歩いたろうさん、永太郎さん、そしてうさこじぞう(私)の3人で準備しました。ちなみに、こんなメンバーです。
歩いたろう:2級保持。ブログ記事を書くことが多い(会長に書かされているという噂も)。わからないことはわかるまでしっかり調べておくタイプ。説明の資料も地図等のカラー図版込でわかりやすい。今回は橋梁と市役所周辺を担当。
永太郎:最年少1級保持者(たぶん)。建築とかについてもいちばんわかってる(でも専門ではない)。今回は京都駅周辺と京大エリアを担当。現役大学生。
うさこじぞう:(合格率が高い時に)1級取得。ほしいものが世の中になければ作ればいいじゃないか、と当会を設立。これまでに「京都検定しりとり」「応仁の乱ビンゴ」等の謎ゲームも考案。建築はよくわかってないので資料に頼る。説明はエピソード重視。今回は、武田邸と岡崎エリア、全体のまとめを担当。

まずは、武田五一ってどんな人?というのをさっくり説明。
関西建築界の父武田五一の人生をダイジェストで。
・1872年12月15日(明治5年11月15日)福山藩(現在の広島県福山市)生まれ
 →五番めに生まれた長男だったということで「五一」と名付けられます。武田家は福山藩の家老の家でした。
・1894年(明治27)京都第三高等中学校本科卒業。帝国大学工科大学造家学科入学
 →実は松室重光(京都府庁旧本館を設計した人)と同級生(当日言うの忘れてました)
・1897年(明治30)東京帝国大学工科大学造家学科卒
 →なんと首席で卒業。卒論は「茶室の沿革」(「茶室建築」とする文献もある。どっちだ)
・1901年(明治34)図案学研究のためヨーロッパ留学
 →建築ではなく図案を学びにヨーロッパへ。
・1908年(明治41)議院建築のため欧米視察
 →国会議事堂建てるため。このほか、何度も海外に行っています。
・1920年(大正9)京都帝国大学建築学科教授(~1932)
・1938年(昭和13年)2月5日逝去、享年67
 →急逝だったそうです。葬儀は百万遍の知恩寺で行われたとのこと。

当日まで秘密にされていたコースは、
(京都駅周辺)
関西電力ビル(旧京都電燈株式会社)など
 ↓
(北大路駅周辺)
武田五一自邸
 ↓
(高野川・賀茂川合流地点付近)
葵橋・河合橋・賀茂大橋
 ↓
(京大エリア)
旧建築学教室・時計台・総長台座等
 ↓
(岡崎エリア)
関西美術院・藤井斉成会有鄰館・平安神宮大鳥居・京都府立図書館など
 ↓
(市役所エリア)
佐久間象山遭難之碑・京都市役所・1928ビル(旧毎日新聞社ビル)など

……といったルートでした(一部略称とか使っています)
この中身は各担当がじっくり報告します(報告の順番はルート順とは限りません)。

これらを「五一ビンゴ」をやりながら、巡ったのでした。
「五一ビンゴ」とは、あらかじめ用意された51のキーワードの中から25を選び(中央は最初から51が入っているので実際に選ぶのは24)、現地に行って見たり説明を聞いたりしたものをチェックして、ビンゴを完成させる、というお遊びでした。

五一ビンゴ

キーワードは、武田五一が設計したりデザインしたもののほか、武田五一が用いた様式であったり、使用した素材、取り入れたモチーフ、関連する人物や物事などがありました。
が、参加した人にはちょっと説明不足な部分がありました。すみませんでした。
キーワードが50個あるのも、数字が漢数字なのも、中央を「五一」にするためでした。
ビンゴの中身についてもまた別記事で解説すると思います。
なお、上位の人には景品も出ました。

ま、こういうゲーム的な要素を入れながら「テキストにさらっと書いてあるアレってどういうこと?」「武田五一らしさって、いったいどんなものだろう?」「なぜ、武田五一は“関西建築界の父”と呼ばれるのだろう?」ということがわかればいいなぁ…と、冷たい雨が降るなか、市内の各スポットを巡りました。
ということで、次回から各担当による「京都検定で武田五一を楽しむ会」のレポートとなります。
しばらくお付き合いくださいませ。

(う)

出たよ、優雅な懸想文売り【#出たよ京都検定】

すっかり年も押し迫ってきましたね(旧暦)。
節分といえば、京都ではあちこちの寺社で節分祭・節分会が行われます。

私の推し節分はずっと前から須賀神社の節分でして、新テキストに掲載されてさらには1級の試験に出たので大変嬉しゅうございました。
(33)須賀神社の節分祭で登場する烏帽子水干姿の人物が売っているものは何か。
(14回1級33)
これの答えが「懸想文(けそうぶみ)」です。

懸想文売り



懸想文1

中に和歌を書いた文(ふみ)が入っておりまして、これを人知れず箪笥の中などにしまっておくと、着物が増え、見目うるわしくなり、良縁に恵まれる……とされております。私は、人知れずどころか懸想文買ったよって全世界に発信してますけどね。
須賀神社

この懸想文に書かれている和歌、前年の干支から今年の干支へのラブレター(懸想文)となっております。たとえばですね…
申年:羊子→申之介
懸想文3

酉年:申之介→千酉
懸想文2

戌年:千酉→戌織
懸想文4

これでお分かりになると思いますが、みんな報われません。愛を乞うた相手は別の誰かに愛を詠むのですよ。せつない…。

せっかくなので(?)私の懸想文愛を振り返ってみます。








↑NEW!

最初に行った年にブログも書いてました>恋の季節、如月
これによると、こういうことのようです。↓
古来、人々はみなが字の読み書きをできたわけではありませんでした。そのため、字の書ける公家の方が懸想文=恋文の代筆をしたりしてたそうです。そうして、貧乏公家のバイトとして「懸想文売り」をするのですが、落ちぶれても貴族、顔は出せない……ということでこんなお姿をされていると聞きました。
自分の文章を引用するのもどうかと思いますが、家のどこかにこれの裏付け資料のコピーがあるはずなのですが、どこにあるんでしょうね。見つかったらこの記事もそっと書き換えておきます。

そうそう、節分の楽しみといえば、各寺社の節分オンリー茶菓接待もあります。
須賀神社では須賀多餅(1個150円)がいただけます。梅と柚子、どちらもおいしいですよ。
須賀多餅

明日は節分当日。よかったら須賀神社へもどうぞ。

(う)

第14回京都検定の合否結果と合格率が発表されました。

1週間ぐらい前に、発表されました。
受験された皆さまのお手元にも届いているかと思われます。
(気づいたら昨年は分析してなかったみたいです。ごめんなさい)

今年の合格率はなんと、こうなりました。
3級 61.1% (受験者数4,063、合格者数2,483)
2級 26.7% (受験者数2,685、合格者数718)
1級 2.2%   (受験者数812、合格者数18)

(参考:数字で知る京都検定→http://www.kyotokentei.ne.jp/past_data.html

そして、受験したみなさまのもとに届いた設問別平均点がこちら。

3級=
7.7
 7.7
 7.2
 7.0
 7.0
 7.4
 6.8
 8.4
 6.7
 6.4
 合計72.3 最高点100

2級=7.1 4.8 5.9 5.4 4.8 5.7 6.4 6.3 6.8 6.5 合計59.8 最高点94
1級=9.1 6.4 7.5 9.9 10.4 3.5 3.8 5.1 4.7 2.4 合計62.7 最高点139


この数字をもとに「自分はどの範囲が得意でどの範囲が苦手なのかな?」と分析すると、今後学習していく上で参考になりやすいと思います。
ということで、これらを主観的に(客観的に、は難しい)分析しててみたいと思います。

【3級】

合格者は、受験者の6割という結果。
前年が5割を切っていたのを考えると、難易度的にはちょうどいいバランスでしょうか(当局はもう少し難しくしたいと思っていたり)?
京都検定の入門級、玄関口として、このぐらいが理想的と考えるか、ちょっと難しいかなと考えるかは、いろいろ意見があるかなと思います。私は、もう少しやさしく(易しく・優しく)してほしいと思っています。
ちなみに、設問別の平均点を見ると、前半はみんな7問程度は取れているので、みんなが力を入れそびれる後半の方、ならわしとか京ことば、自然・観光みたいな部分もがんばりましょう、ってところでしょうか。
面白いことに、設問別平均点が最も高かったのは大問8の「聖地巡礼」問題でしたね。8.4て高いっ! 一方、最も低かったのは最後の公開テーマ問題でした。確かに、3級にしては少し難しいかも…という内容だったかもしれません。公開テーマだから、少し深い内容まで突っ込んだのかな?とも思えなくもないです。
70点合格のところ、平均点は72.3とのことで、だいたい7割取れた人が多かったようで何よりです。惜しくも合格ならなかった方も次にはきっと何とかなるはずですよ!

【2級】
2級の合格率は去年とほぼ同じ水準。ここ数年はだいたい25%前後のようですが、それってちょっとキビシイ合格率のように思えます。4人に1人しか受からない。ご当地検定の2級が。
設問別平均点を眺めてみると、全体的な得意、苦手が浮き彫りになっています。
大問1以外は、7割を切っていますね…。大問2の「神社・寺院」は本来なら点が稼げそうなところですが、平均4.8と厳しい結果。この問題は前に出したこれも出したあれも出した…ということで出す問題が多少難しくなってきているのでしょうかねぇ。大問5の「祭りと行事」も平均4.8。テキストには確かに書いてあるけれど、ちょっと細かいかな…もしかして1級レベルじゃないかな…というような問題が比較的多め?
公開テーマは平均6.8ということで、(今回の2級の中では)みんな取れたところでした。2級になると公開テーマの対策にも慣れてくるのかもしれません。
テキストをざっくり見て重要ポイントは覚えているけれど、その先が出題されるのが2級なのかもしれません。テキストをよ〜く読み込んだり、自分が覚えられる工夫をしたり、京都を歩きまわって覚えたりする必要がありそうです。

【1級】
前年(第13回)久しぶりの合格率10%超えを出したのですが、また2.2%という驚異の低合格率。信じられるか?これで過去最低じゃないんだぜ…。
平均点も100点満点かのような62.7%…。キビシイですねぇ。
1級は150点満点で、8割以上の正答(120点以上)で合格。歴史、社寺、建築などの前半問題に関しては1問2点配当(設問ごとの満点は20点)です。
前半部分では「芸術・文化、生活・行事」は比較的平均も高く9.9だった一方で、「神社・寺院」が6.4と低く。2級のところでも言及しましたが、みんなが対策しやすいジャンルだけに、以前に出してないような(難しい)問題を…ということなんでしょうかね。
大問5は公開テーマで、ここだけが平均も10点超え。みんながんばった!(それでも半分ですが‥)
論述は、西本願寺>冷泉家>日野富子という予想通りの平均点で、日野富子問題がツラかったのがうかがえます。

【全体】
あらためて数字で見てみると、厳しい結果だったと言わざるを得ないかも。
今回は、新テキストに完全移行して初の検定だったので、そこに対応できていたかも合否の分かれ目になっていたかもしれません。
個人的な感想(これまでも全部個人的な感想ですけどね)を申しますと、今回の2級レベルを全部記述式にして1級にしてもよいぐらいかと。そして7割得点で合格で。現在の1級は「超級」とか「えろう細かいことまで知ってはって賢おすなぁ級」とかにしてもいいんじゃないかと。
落ちたから言うんじゃないですよ。「がんばれば受かるかも」という期待がなければ受ける気もおきず、このまま先細りするのでは、と心配しているのです。決して、自分が落ちたから言うんじゃないんですよ。
とはいえ、1級に受かった方も18人いらっしゃるので、その方たちには素直に敬意を表したいと思います。あなたたちは「賢者」ですよ。きっと今回もいらっしゃるであろう複数回合格の方は、「大賢者」さま!
そして、けわしい道のりとわかっていながら受ける方たちは「勇者」ですよ。一緒に、大魔王(イメージ)を打ち倒す日をめざしてがんばりましょうね。

+++

さすがにもう来てると思いますが、まだ通知が来てないよという方、こちらでも確認ができますよ。
《合格者受験番号一覧》→http://www.kyotokentei.ne.jp/gokaku.html
(まだ来てない人は連絡したほうがいいと思います。)

当会でイベントやりながら、「1級受けてみますか?」と聞いても「う~ん」と躊躇する答えが多いんですよね。
いつかもう少し平易になるのを待ちたいけど、それがいつかわからないし、もう少し勉強してから、と思ってたら割と合格率がよかったりするんですよね。ま、自分の実力を上げるしかないのかな、と思います。それか、開き直って「京都を楽しむ」ことにいそしむか……。

今年の合格者特典も始まりましたので、気を取り直して観光するのもいいと思います。
http://www.kyotokentei.ne.jp/privilege.html
どこ行きましょうかねぇ。

とりあえず、当会は一応引き続きイベントとかもやりながら京都検定を楽しんでいこうと思っています。しんどさが楽しさを上回るようになったらやめますけど。楽しんでいきたいですよね……。
なにはともあれ、皆さまお疲れさまでした。 

(う) 

【2/10土】京都検定で武田五一を楽しむ会【オフ会情報】

そろそろお正月気分も抜けてきたでしょうか。
京都検定の試験から1か月が過ぎ、来週には結果が発送されるという時期ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
当会では、試験結果の発表をもって新年度と切り替わることとなります(勝手に決めてます)ので、新年度初の企画のお知らせとなります。

詳しい内容はともかくすぐに申し込みたい方はこちらから
→ 申し込みフォーム受付終了しました!(1/31)

【京都検定で武田五一を楽しむ会


勉強会はなく、まち歩きのみの予定です。

今回は当会メンバー内で前々からやりたいと話していた「武田五一建築だけを見て回るまち歩きです。
「なぜ今、武田五一か」というと、なんと没後80年なのですよ。武田五一は1938年(昭和13年)2月5日に亡くなっています。
「いつか武田五一ツアーやりたいですね〜」「試験終わってから…新年度にどうですかね〜」「んー…生誕とか没後とか、周年とかないですかね〜(検索)あ、次の2月で没後80年だ…」「……やろう!」とかいう感じで、早々に開催だけ決めました。
「前々から言ってた企画に、武田五一が周年命日(1938.2.5)を合わせてくれました」(by会長)

こんな感じです、はい。

内容は、といいますと、京都市内にある武田五一の関わっている建築スポットを見て回る、というシンプルなものです。
見て回るなかで、「武田五一らしさ」が少しでもわかればいいなぁ、という目標もあります。
なお、企画の都合上、実際にどこへ行くかは当日その場までナイショです。京都市内の武田五一建築をぜ~んぶ見て歩く、みたいな無茶はしません。

今のところの内容(変更・追加があれば随時更新します)。直前にもう一度確認お願いします。
【京都検定で武田五一を楽しむ会 
日時:2018年2月10日(土)10:00~16:00頃(予定)
集合10:00 京都駅前(羅城門模型前)

ルート:京都駅→(京都市内各地)→京都市役所駅付近で解散
(コース詳細はナイショですが、地下鉄に1回、市バスに4回乗車の予定です)


定員:10名程度(先着です)受付終了しました!(1/31)
解散:夕方16時前後に京都市役所付近で解散予定
参加費:ナシ(昼食・おやつ・お土産代等は必要)
    ※参考:現時点では、入館料の必要な施設の訪問の予定はありません
持ってくる物:市バス1日乗車券、筆記用具、当会シール帳(お持ちの方のみ)
服装:比較的歩きやすい服装

特記:京都検定に興味ない方もご参加いただいてかまいません。
 

【申し込み】
これまでの経験上、そんなに爆発的な申込みにはならないと思いますが、定員を10名ほどとしたいと思います。なので、早めに締め切る可能性もなきにしもあらずです。
→いつもよりたくさんの方にお申込みいただきました。10日前ですが、受付終了といたします!(1/31)

参加ご希望の方は、下の申し込みフォームからお申し込みください。後ほど当日連絡先などのメールをお送り(自動返信)します。

申し込みフォーム

万が一、申し込みフォームが使えない場合は、以下の方法でお知らせください。
会のメール(enjoy.kyotokentei@gmail.com)宛に、
1)お名前(ヨミも)(※)、2)ハンドルネーム、3)性別、4)おおまかな年代、5)メールアドレス(※)、6)当日連絡可能な連絡先(メールで連絡取れる方はそれでもOK)(※)、7)京都検定取得級あるいは受験予定級、8)これまでの参加回数、9)【雑談質問】京都で好きな近代建築は?、10)その他ひとこと(連絡事項等)、などをお知らせください。 折り返しこちらからご連絡します。(※は必ず入力してください)

なお、何度も参加いただいてる方でも申し込みフォーム・メールいずれかの方式(できるだけ申し込みフォーム)でお申込みください。毎回ちょっとずつ違う質問も入っています。
ちなみに、フィーチャーフォン(ガラケー)からだとフォームが使えないのかもしれません。

また、申し込み後(こちらからの確認メール後)に、この記事のコメント欄にもひとことあると嬉しいです(任意)。
申し込み〆切は、2月8日(木)までとします。→受付終了しました!(1/31)

質問・ご希望・ご意見も承ります。答えられる範囲でお答えします。
どうぞよろしくお願いいたします。


+++++
【おまけ】
事前のコース打ち合わせを、武田五一建築である、あの場所で行いました。いい天気!

京都府立図書館

京都府立図書館の2階にあるナレッジベースを使わせてもらいました。

事前に相談して図書館の方に集めてもらった、武田五一関係の資料。
五一資料
資料を見ながら、「ちょ、これ、武田五一と藤井厚二の共著だよ」と、おかしな萌え方する人たちがいました。

五一企画会
あと、壁面がホワイトボードになってるので、プロジェクタでマップを投影して、そこに直接書き込んでいく…という使い方をしました。これでルートの相談がだいぶはかどりました。

この日の準備がどのように活かされるかは、当日のお楽しみ。ご参加お待ちしております。
(う)
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