主観性ということ

うまく書けるかどうかわからないが、主観性ということについて。


読んでいるうちに軽くなった感じがする、という類の本が好きで、このブログに挙げたのはそんな本ばかりだ。

自分が軽くなったという感じとは、主観性ということと大いに関係がある。

言葉の使い方が間違っているかもしれず、説明はうまくできないが、好きな表現をここにお借りして、今年の締めにしたい。


まずはより(これの8章がすごい好きで、そこから引用)。

最初何のことかわからなかったのだが、Object Consciousness (もの、対象の意識)の対義としてSpace Consciousness (空間の意識)という語を用いて記述がある。




形への全面的な同一化から離れると、意識――本来のあなた――が形という牢獄から解放される。
この解放が内なる空間の誕生だ。
たとえ悪いことが起こっているように見えるときでも、この空間は静寂と不思議な平安をもたらしてくれる。
これもまた過ぎ去るだろう、と。

さまざまな出来事、現象のまわりに、ふいに空間ができる。
感情の起伏や苦痛にさえも、そのまわりに空間が生まれる。
何よりも、あなたの思考のまわりに空間が生じる。
その空間から「この世のものならぬ」平安がにじみ出る。
この世は形であり、この平安は空間だから。
それが神の平安である。



主観性とは、スペースのことである。




続いてはこちらより。




オープンフォーカスのような瞑想状態にあると、見る対象と見る主体とは分かちがたいようだ。自覚しか存在しないのだ。

(この訳者は主にawareness:自覚 と訳しておられるが、他ではawareness:気づき、という訳もよく見られる)


視力を変えるということは、実は自覚を変えることにほかならないのだ。しかし、必死にやろうとする習慣が身についてしまうと、たいてい自覚の変化はそのぶんだけむずかしくなる。


真に重要な体験ー奇跡ーは、いつも自分が探していないものであることが多いようだ。一つのものを見つめていると他のすべてを失うし、何も見ないでいるとあらゆるものが見えるようになるかもしれない。



この手の文章の意味が理解できようが、できなかろうが、そんなに大事なことではない。
それよりもなんだか、ちょっぴり軽くなった気がしませんか?


それでは、今年もありがとうございました。
良いお年をお迎えください。





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熱帯の書店とブックフェアにて

空港の書店とか、たまに海外にいるときに書店に行って自分の好きな本があると、なんか嬉しくなる。

今回書店で遭遇したのはこれで、10th anniversary edition(10周年記念版)となっていて、著者による前書きが新しくなっていて、思わず購入してしまった。


で、次の日に友人に連れていかれた巨大なブックフェアでは、これを購入。新品なのだが、1冊300円弱で売っていた。


何年か前、これらによって「俺、人間をやっとると思い込んでただけやったんや」というような自分の主観性に目覚める、というような体験をさせてもらったのである。

そんな本たちがイスラム教がメジャーな国にもあり、なんだかほっこりとなってしまった。



Awakening
Enlightenment
目覚める。
悟る。

ここで、何に目覚め、何を悟るの?
というのが、人によって、時期によって、非常にわかりにくくなっているみたい。
必死に追い求め、もう無理、とあきらめるとやってくることもあるようだ。


主観性に目覚める、という。

この表現が自分にはしっくりくるのだが、この主観性ということは、対象物ではない、ということだ。

あ、これのことか、とはならない。
自分がいて、何かを見つけて、あ、これだ、とはならない。


というようなことをエックハルトトールが教えてくれた。
というか、読んでいるうちにそういうふうになってしまった。



同様のことが
この本では、

主観性を取り戻す、主観性の再建、などと表現されている。


タバコを吸ってしまうのは、自分の運命の一部である。禁煙をすることは自分の運命を変えるほどに難しい。

だから、俺は反省は無駄だと思った。

反省しなくなったのは、尊大になったからでも、不遜になったからでもない。
反省しなくなったのは、自分自身に近づく進歩であった。







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再び熱帯にいた

2週間ほど熱帯にいた。

2年前と違うのはタバコを持たないで行ったこと。
そういえば20年近く前の初海外のときにはすでにタバコを吸っていたわけで、飛行機の中では毎回必ず、あと〇時間でタバコが吸える、、というのをやっていた。
出発前は大丈夫かななんて思っていたのだが、何とか無事に、免税店でも機内販売でも、タバコを買う気にならなかった。

別に禁煙の誓いをしたわけでもなく(そういうのは何度か挑戦したが自分には無理だと思っている、今でも)、タバコの誘惑と戦っては負け続け、俺には禁煙なんて無理だ、と心の底から悟ったことで、逆にタバコを毎日定期的に吸うのがばからしくなってきた、というのが正直なところ。何とも不思議だ。

とはいっても東南アジア特有の、タバコを挨拶代わりに勧める、というのに遭ってしまい何本か吸ったが、それでも自分で買って吸わなかったのが、不思議でしょうがない。

くどいが、この本の、

彼の解釈は大きく変わっていた。
古い解釈では、彼は自分で酒をやめられると思っていた。
だから、何度も何度も決心をして断酒した。血を吐くような苦しみも何回も経験しているから、その決心に嘘はなかった。
しかし、その度ごとに断酒は失敗した。失敗は、後悔と反省を彼から引き出し、さらに強い決意表明の言葉を見つけ出させたが、彼自身を変えることはなかった。

ところが新しい解釈では、彼は断酒は不可能であると思っている。酒を飲んでしまうのは、自分の運命の一部である。断酒をすることは自分の運命を変えるほどに難しい。

だから、彼は反省は無駄だと思った。

反省しなくなったのは、尊大になったからでも、不遜になったからでもない。
反省しなくなったのは、自分自身に近づく進歩であった。

反省しなくなったアルコール依存症の患者は治癒すると、私はかねがね思っている。
それほどこの病気には根が深いところがあり、自分を変えなければ治らない病気なのだ。


というのは、本当だと思う。素晴らしい文章だと思う。酒をタバコに代えると、自分が似たようなことを体験しただけに、ほんとにそうだよな、と思う。


タバコを吸ってしまうのは、自分の運命の一部である。禁煙をすることは自分の運命を変えるほどに難しい。

だから、俺は反省は無駄だと思った。

反省しなくなったのは、尊大になったからでも、不遜になったからでもない。
反省しなくなったのは、自分自身に近づく進歩であった。




自分自身に近づけたのだとしたら、ものすごく嬉しい。


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