2009年12月01日
幸本 陽平 Yohei KOMOTO
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
■Twitter
http://twitter.com/y_komoto
★お仕事のご依頼は、ウェブサイトをご覧ください★
------
「企業診断」2009年12月号に、4ページを寄稿しました。
http://www.doyukan.co.jp/store/item_200912.html

メインの「デザインが中小企業を救う!」という特集記事です。
その冒頭の4ページ、「中小企業診断士とデザイン」を執筆しました。
診断士がデザインをいかに「使う」か、というテーマです。
私自身デザインができるわけではありませんが、だからこそ経営にデザインをうまく活かそう!という内容になっています。
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
http://twitter.com/y_komoto
★お仕事のご依頼は、ウェブサイトをご覧ください★
------
「企業診断」2009年12月号に、4ページを寄稿しました。
http://www.doyukan.co.jp/store/item_200912.html

メインの「デザインが中小企業を救う!」という特集記事です。
その冒頭の4ページ、「中小企業診断士とデザイン」を執筆しました。
診断士がデザインをいかに「使う」か、というテーマです。
私自身デザインができるわけではありませんが、だからこそ経営にデザインをうまく活かそう!という内容になっています。
2009年11月25日
幸本 陽平 Yohei KOMOTO
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
■Twitter
http://twitter.com/y_komoto
★お仕事のご依頼は、ウェブサイトをご覧ください★
------
【1.実名・匿名は永遠のテーマ】
ウェブ上の記述・言論に関するテーマで、「実名か匿名か」は永遠のテーマです。
これには様々な立場・様々な考えがあるので、どちらがいいか、あるいはどうすればいいか、といったことは一概には言えません。
実名だから責任が・・・とか、匿名だからこそ言えることが・・・など、それぞれもっともで、正しい・間違いの問題ではないと思います。
それでも一般に、日本は匿名文化が強い、と言われています。
アメリカなどでは多くの人がFacebookやMyspaceやLinkedinなどで顔も名前も堂々と出しているのに対し、日本ではまだまだ少数です。むしろ、有名なブログでも、別にアングラな内容ではないにも関わらず、ひたすら顔を出さないようにしている人もいます。
【2.日本でWEBといえば匿名、なのは・・・】
一体なぜだろう?と考えたとき、日本は、
「肩書きを重んじ、”何を言ったか”よりも、”誰が言ったか”を重んじる社会だから」
では、という仮説が思い浮かびました。
あくまでも私の肌感覚なので、実際に他国と比較などをしたわけではありませんが、よく日本では「何を言ったかは重要でない、誰が言ったかが重要なんだ」という言い方をされます。
つまり、発言内容の正誤などよりも、それを言った人の社会的立場や肩書きなどが重視される、というわけです。
【3.名前を出すことで損をする?】
例えばワイドショーで大学教授や会社経営者などがコメンテーターになっていますが、これも不思議なことです。
その人たちは、本業では有名かつ有能な人なのかもしれませんが、コメンテーターとしての能力が一流だという保証はどこにもありません。
むしろ、的外れなことも多くあります。
しかし、視聴者にとっては、有名で、実績のある○○さんであることが重要なわけで、どんなに頭脳明晰で的確であっても、無名素人のAさんの発言など聞きたくないわけです。
ウェブ上で匿名が多いのは、それと反対で、匿名な人は「自分の名前を出すことで、自分の意見が”不当に軽んじられる”ことがない」ことを期待しているのではないか、と推測されます。
実名で何か書けば、それは職業は○○で××歳のBさん、男性、といったパーソナルデータが事前にインプットされます。もし職業があまり社会的立場が高くないものであったり、年齢が若すぎる、あるいは年配すぎるといったバイアスがかかる情報があったりすると、意見そのものよりも、「どんな人の意見か」がまずありき、になってしまいがちです。
そういったことを避けるために、「自分のパーソナルデータであれこれ前提条件をインプットされて、偏見をもたれるくらいなら、純粋に匿名で自分の意見・声を出したほうがトクなのでは」となるのではないでしょうか。
【4.私の態度は】
もちろんこれはあくまでも私の仮説なので、一概に日本では、海外では、などと論じることはできませんが、「匿名は責任がない」と批判するのではなく、「匿名は、不当なジャッジを避けるための自己防衛策」という見方があってもよいのではないかな、と思います。
逆に私のように名前を出して書いていると、「幸本陽平が書いた文章」というフィルターで読まれるわけです。それがアドバンテージになる場合もあれば、ハンデキャップになる場合もあるでしょう。ですが、私はあまりその辺は深く考えていません。むしろ、「30歳・男でマーケティングを仕事にしている人が書いた文章」という前提で読んでもらったほうが、よりわかりやすいかも、くらいに考えています。
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
http://twitter.com/y_komoto
★お仕事のご依頼は、ウェブサイトをご覧ください★
------
【1.実名・匿名は永遠のテーマ】
ウェブ上の記述・言論に関するテーマで、「実名か匿名か」は永遠のテーマです。
これには様々な立場・様々な考えがあるので、どちらがいいか、あるいはどうすればいいか、といったことは一概には言えません。
実名だから責任が・・・とか、匿名だからこそ言えることが・・・など、それぞれもっともで、正しい・間違いの問題ではないと思います。
それでも一般に、日本は匿名文化が強い、と言われています。
アメリカなどでは多くの人がFacebookやMyspaceやLinkedinなどで顔も名前も堂々と出しているのに対し、日本ではまだまだ少数です。むしろ、有名なブログでも、別にアングラな内容ではないにも関わらず、ひたすら顔を出さないようにしている人もいます。
【2.日本でWEBといえば匿名、なのは・・・】
一体なぜだろう?と考えたとき、日本は、
「肩書きを重んじ、”何を言ったか”よりも、”誰が言ったか”を重んじる社会だから」
では、という仮説が思い浮かびました。
あくまでも私の肌感覚なので、実際に他国と比較などをしたわけではありませんが、よく日本では「何を言ったかは重要でない、誰が言ったかが重要なんだ」という言い方をされます。
つまり、発言内容の正誤などよりも、それを言った人の社会的立場や肩書きなどが重視される、というわけです。
【3.名前を出すことで損をする?】
例えばワイドショーで大学教授や会社経営者などがコメンテーターになっていますが、これも不思議なことです。
その人たちは、本業では有名かつ有能な人なのかもしれませんが、コメンテーターとしての能力が一流だという保証はどこにもありません。
むしろ、的外れなことも多くあります。
しかし、視聴者にとっては、有名で、実績のある○○さんであることが重要なわけで、どんなに頭脳明晰で的確であっても、無名素人のAさんの発言など聞きたくないわけです。
ウェブ上で匿名が多いのは、それと反対で、匿名な人は「自分の名前を出すことで、自分の意見が”不当に軽んじられる”ことがない」ことを期待しているのではないか、と推測されます。
実名で何か書けば、それは職業は○○で××歳のBさん、男性、といったパーソナルデータが事前にインプットされます。もし職業があまり社会的立場が高くないものであったり、年齢が若すぎる、あるいは年配すぎるといったバイアスがかかる情報があったりすると、意見そのものよりも、「どんな人の意見か」がまずありき、になってしまいがちです。
そういったことを避けるために、「自分のパーソナルデータであれこれ前提条件をインプットされて、偏見をもたれるくらいなら、純粋に匿名で自分の意見・声を出したほうがトクなのでは」となるのではないでしょうか。
【4.私の態度は】
もちろんこれはあくまでも私の仮説なので、一概に日本では、海外では、などと論じることはできませんが、「匿名は責任がない」と批判するのではなく、「匿名は、不当なジャッジを避けるための自己防衛策」という見方があってもよいのではないかな、と思います。
逆に私のように名前を出して書いていると、「幸本陽平が書いた文章」というフィルターで読まれるわけです。それがアドバンテージになる場合もあれば、ハンデキャップになる場合もあるでしょう。ですが、私はあまりその辺は深く考えていません。むしろ、「30歳・男でマーケティングを仕事にしている人が書いた文章」という前提で読んでもらったほうが、よりわかりやすいかも、くらいに考えています。
2009年11月24日
幸本 陽平 Yohei KOMOTO
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
■Twitter
http://twitter.com/y_komoto
★お仕事のご依頼は、ウェブサイトをご覧ください★
------
【1.身の程を知ろう。】
語弊があるかもしれませんが、人は、「自分の身の程を知る」ことが大事だと思います。
身の程を知る、というとネガティブですが、要は、自分の立ち位置を知る、ということです。
マーケティングには、ポジショニングなどの概念があります。
例えば商品なら、その商品は他の商品と比べてどのような特徴があって
(高い、壊れにくい、デザインが良い、コンビニで手に入る・・・etc)
それをどのような顧客に対して、どのようなメッセージで届けるか、といったことを考えます。
【2.人生を、マーケティングする。】
人間を商品に例えるのはなんですが、人生にも同じようなことが言えるのではないかと思います。
例えば、単なるカラオケ好きな人が、「自分のコンサートで武道館を一杯にする」と言っても、いきなりそんなことができるわけがありません。無名の食品メーカーが、いきなり「コカコーラを超えるソフトドリンクを作る」と言うのも同様です。
もし、武道館が夢なら、じゃあまずは歌手デビューしなければ、そのためにはオーディションに受かる必要がある、ならボイストレーニングをして・・・と、「自分の身の程」と「夢までの距離」を冷静に考える必要があるわけです。
つまり、夢や目標を持つのなら、「じゃあ、今はどうなんだ」ということを知らなければならないわけです。
【3.教育に問題あり!?】
話は飛びますが、日本の教育、特に近年は、その「自分の立ち位置を知る=身の程を知る」ことを避けているような気がします。
外国の多くの国では、良くも悪くも、生まれたときからある程度は階級が決まっていて、「自分は社会のどの辺にいて、どのくらいの生活ができそうか」ということを身にしみて感じるわけです。
ところが日本では、私が記憶している限り、「人間は皆平等」であることが当然として教えられていました。この平等というのは、基本的人権が、という意味ではなく、人間の根本の能力や可能性は平等だ、優劣はないんだ、といったような意味です。
だから、スポーツが出来るのも、勉強が出来るのも、「長所」という「一つの個性」であるかのように扱われていた気がします。「○○(勉強など)ができる人は、できない人よりスゴイ、偉い」という教育はあまりされなかったように記憶しています。
そんなこんなで、人によって能力や親の財力、その他もろもろの差はあるにもかかわらず、まるで「ない」かのように扱われ続けるわけです。そして、大学入試や就職試験、あるいは社会に出て始めて、その「立ち位置」の違いに気づかされるわけです。
【4.自分の幸せのために。】
別に貧乏な人が金持ちを目指すとか、歌手で一発当てることを夢見るとか、そういったことを否定しているわけではありません。ただ、「身の程を早めに知っておかないと、その分あとでアンラッキーな目に合うことが多いのではないか」ということです。
できること、できないことを見極め、できることを伸ばす、あるいはできないことを出来るようにする、といったことが本来望ましい姿です。「武道館を目指す」のは自由ですが、いつまでもそれを夢見ていたら、ハッピーにはなれません。
もっと、ネガティブな意味ではなく、「自分の身の程を知る」ための教育が必要なのではないかな、と思っています。
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
http://twitter.com/y_komoto
★お仕事のご依頼は、ウェブサイトをご覧ください★
------
【1.身の程を知ろう。】
語弊があるかもしれませんが、人は、「自分の身の程を知る」ことが大事だと思います。
身の程を知る、というとネガティブですが、要は、自分の立ち位置を知る、ということです。
マーケティングには、ポジショニングなどの概念があります。
例えば商品なら、その商品は他の商品と比べてどのような特徴があって
(高い、壊れにくい、デザインが良い、コンビニで手に入る・・・etc)
それをどのような顧客に対して、どのようなメッセージで届けるか、といったことを考えます。
【2.人生を、マーケティングする。】
人間を商品に例えるのはなんですが、人生にも同じようなことが言えるのではないかと思います。
例えば、単なるカラオケ好きな人が、「自分のコンサートで武道館を一杯にする」と言っても、いきなりそんなことができるわけがありません。無名の食品メーカーが、いきなり「コカコーラを超えるソフトドリンクを作る」と言うのも同様です。
もし、武道館が夢なら、じゃあまずは歌手デビューしなければ、そのためにはオーディションに受かる必要がある、ならボイストレーニングをして・・・と、「自分の身の程」と「夢までの距離」を冷静に考える必要があるわけです。
つまり、夢や目標を持つのなら、「じゃあ、今はどうなんだ」ということを知らなければならないわけです。
【3.教育に問題あり!?】
話は飛びますが、日本の教育、特に近年は、その「自分の立ち位置を知る=身の程を知る」ことを避けているような気がします。
外国の多くの国では、良くも悪くも、生まれたときからある程度は階級が決まっていて、「自分は社会のどの辺にいて、どのくらいの生活ができそうか」ということを身にしみて感じるわけです。
ところが日本では、私が記憶している限り、「人間は皆平等」であることが当然として教えられていました。この平等というのは、基本的人権が、という意味ではなく、人間の根本の能力や可能性は平等だ、優劣はないんだ、といったような意味です。
だから、スポーツが出来るのも、勉強が出来るのも、「長所」という「一つの個性」であるかのように扱われていた気がします。「○○(勉強など)ができる人は、できない人よりスゴイ、偉い」という教育はあまりされなかったように記憶しています。
そんなこんなで、人によって能力や親の財力、その他もろもろの差はあるにもかかわらず、まるで「ない」かのように扱われ続けるわけです。そして、大学入試や就職試験、あるいは社会に出て始めて、その「立ち位置」の違いに気づかされるわけです。
【4.自分の幸せのために。】
別に貧乏な人が金持ちを目指すとか、歌手で一発当てることを夢見るとか、そういったことを否定しているわけではありません。ただ、「身の程を早めに知っておかないと、その分あとでアンラッキーな目に合うことが多いのではないか」ということです。
できること、できないことを見極め、できることを伸ばす、あるいはできないことを出来るようにする、といったことが本来望ましい姿です。「武道館を目指す」のは自由ですが、いつまでもそれを夢見ていたら、ハッピーにはなれません。
もっと、ネガティブな意味ではなく、「自分の身の程を知る」ための教育が必要なのではないかな、と思っています。
2009年11月23日
幸本 陽平 Yohei KOMOTO
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
■Twitter
http://twitter.com/y_komoto
★お仕事のご依頼は、ウェブサイトをご覧ください★
------
本日は、祝日スペシャルということで、過去のメルマガを再編集します。
ぜひ、上記メルマガのページから、ご登録ください。
-----------------------------------------------------------
【1】ビジネスは、シンプルが一番!
-----------------------------------------------------------
私は、ビジネスにおいて、「シンプルであること」を重視しています。
経験上、複雑なもので、うまくいった例を知りません。
逆に言えば、複雑に見えるものも、シンプルに再構築しなければならない、
ということです。
パッと「今、業績が良い」と思われる企業を思い浮かべてください。
それらの企業は、複雑なことをやっているでしょうか?
おそらく、極めて単純なことではないでしょうか。
たとえ、BtoBの企業やなじみの薄い企業でも、実際の事業は
極めてシンプルで、わかりやすいことを繰り返しているものです。
だからこそ、ややこしいだけの流行の用語や、業界用語の類は、
なるべく使わないほうがよいものです。
-----------------------------------------------------------
【2】「ビジネスモデル」とは・・・
-----------------------------------------------------------
私が先日、ある会社の中期計画を見ているときのこと。
その会社の今年の目標の一つが、
「○○事業のビジネスモデルを確立する。」
でした。
みなさん、違和感を抱きませんか?
「おいおい、ビジネスモデルを確立するのが目標かよ!」
「ビジネスモデルを確立してから事業に参入しろよ!」
とツッコミを入れたくなりませんか?
ビジネスモデルの本来の意味は、
「どうやって収益をあげるかといった、ビジネスの仕組みや構造」
です。しかし、その会社では、
「収益を安定的にあげることができる、ビジネスの(完成された)【状態】」
といった意味で使っているのでした。
ビジネスモデル、といったほぼ常識とも言える用語でさえ、
このような認識ギャップが生じるのです。
これだったら、最初から、
「○○事業を安定的に黒字にする。」
のほうがわかりやすかったですね。
-----------------------------------------------------------
【3】「わかりやすさ」の基準は、小学5年生。
-----------------------------------------------------------
私が、わかりやすさを重視するにあたり、基準としているのは、
「それを、小学5年生が理解できるか?」
です。
ビジネスモデルにせよ、何にせよ、難しいことがいいことだと
思っているのは一部の頭でっかちな人だけです。
本当にすばらしいプランとは、誰に説明しても、たとえ小学5年生でも
わかるものでなければなりません。
「いや、うちのギョーカイは特殊で複雑だから」
と言う人も必ずいますが、それは勝手に自分が”特殊で複雑”と
思い込んでいるだけです。もしくはそう思いたいだけです。
実際の商売のポイントは、極めて単純だったりするものです。
あなたの商品やサービスを、小学5年生に説明できますか?
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
http://twitter.com/y_komoto
★お仕事のご依頼は、ウェブサイトをご覧ください★
------
本日は、祝日スペシャルということで、過去のメルマガを再編集します。
ぜひ、上記メルマガのページから、ご登録ください。
-----------------------------------------------------------
【1】ビジネスは、シンプルが一番!
-----------------------------------------------------------
私は、ビジネスにおいて、「シンプルであること」を重視しています。
経験上、複雑なもので、うまくいった例を知りません。
逆に言えば、複雑に見えるものも、シンプルに再構築しなければならない、
ということです。
パッと「今、業績が良い」と思われる企業を思い浮かべてください。
それらの企業は、複雑なことをやっているでしょうか?
おそらく、極めて単純なことではないでしょうか。
たとえ、BtoBの企業やなじみの薄い企業でも、実際の事業は
極めてシンプルで、わかりやすいことを繰り返しているものです。
だからこそ、ややこしいだけの流行の用語や、業界用語の類は、
なるべく使わないほうがよいものです。
-----------------------------------------------------------
【2】「ビジネスモデル」とは・・・
-----------------------------------------------------------
私が先日、ある会社の中期計画を見ているときのこと。
その会社の今年の目標の一つが、
「○○事業のビジネスモデルを確立する。」
でした。
みなさん、違和感を抱きませんか?
「おいおい、ビジネスモデルを確立するのが目標かよ!」
「ビジネスモデルを確立してから事業に参入しろよ!」
とツッコミを入れたくなりませんか?
ビジネスモデルの本来の意味は、
「どうやって収益をあげるかといった、ビジネスの仕組みや構造」
です。しかし、その会社では、
「収益を安定的にあげることができる、ビジネスの(完成された)【状態】」
といった意味で使っているのでした。
ビジネスモデル、といったほぼ常識とも言える用語でさえ、
このような認識ギャップが生じるのです。
これだったら、最初から、
「○○事業を安定的に黒字にする。」
のほうがわかりやすかったですね。
-----------------------------------------------------------
【3】「わかりやすさ」の基準は、小学5年生。
-----------------------------------------------------------
私が、わかりやすさを重視するにあたり、基準としているのは、
「それを、小学5年生が理解できるか?」
です。
ビジネスモデルにせよ、何にせよ、難しいことがいいことだと
思っているのは一部の頭でっかちな人だけです。
本当にすばらしいプランとは、誰に説明しても、たとえ小学5年生でも
わかるものでなければなりません。
「いや、うちのギョーカイは特殊で複雑だから」
と言う人も必ずいますが、それは勝手に自分が”特殊で複雑”と
思い込んでいるだけです。もしくはそう思いたいだけです。
実際の商売のポイントは、極めて単純だったりするものです。
あなたの商品やサービスを、小学5年生に説明できますか?
2009年11月19日
幸本 陽平 Yohei KOMOTO
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
■Twitter
http://twitter.com/y_komoto
------
【1.「仕事」に感じる違和感】
ワークライフバランスや「仕事で自己実現」などについての文章を読んだり話を聞いたりすると、どうも腑に落ちないことが多々あります。
それは、「仕事」に対する考え方や価値観についています。
もちろん世の中には、生活のために好き・嫌いなど関係なく、やむなく今の仕事をされている方も多いと思います。
クリエイティブで、イノベーティブな仕事ばかりではないと思います。
しかし、たとえどういう仕事の中身であれ、私は「仕事とは、生活の一部である」という考え方をしています。
だから、「仕事と生活のバランスをとる」などという表現を見ると、「・・・?仕事は生活に含まれないの?」などと思ってしまいます。
(もちろん、言いたいことはわかるのですが。)
【2.仕事=苦しい、辛いのが普通というイメージ?】
こういったコミュニケーション不全=仕事についての考え方のギャップが起こってしまう一因は、「仕事」という言葉へのイメージもあると思います。
なんとなく、「仕事」や「働く」という言葉には、こんなイメージを無意識に持っている人が多いのではないでしょうか?
・辛くても、がんばるもの。
・手を抜いたり、ラクをしてはいけないもの。
・私情をはさんではいけないもの。
・一生懸命に取り組むことが尊ばれるもの。
・効率性や収益性を重視しなければならないもの。
・プライベートを犠牲にしてもやむをえないもの。プライベートより優先するもの。
と、思いつくまま挙げてみましたが、大方こんなところではないでしょうか?
もし、仕事以外の時間、例えば趣味や家族と過ごす時間において、上記のような考え方が強制されたらどうでしょう?
ものすごくイヤですよね。
でも、なぜ仕事ではその「イヤなこと」を「仕方ない」としてしまって受け入れているのでしょう?
なぜ、仕事を「プライベートの理論が通じない(通じることがあってはならない)特別なモノ」にしてしまっているのでしょうか?
【3.仕事とWORKの違い】
そのような考え方が日本人の特性だ、と言ってしまってよいかはわかりませんが、例えば「働く」という言葉ひとつとってみても、英語のWORKとはずいぶんかけ離れている気がします。
英語のWORKには、「作品」や、「(機械などが)機能する」という意味もあります。
私なりにくだけた解釈をすれば、WORKとは、何か人によって生み出されたもの・他に働きかけるものすべて、すなわち「何らかの活動の結果や過程全般」を指す言葉であるように思えます。
これは、「仕事」「働く」といった単語とはずいぶん違いますよね。
【4.仕事よりも、WORKしよう!】
私たちは、仕事をするときに、従来の価値観の仕事ではなく、WORKを考えたほうがいいのではないでしょうか。
仕事だから生活のために我慢する、プライベートと切り分ける・・・のではなく、これは私の人生の中のWORKである、と考えるだけで、ずいぶん違う気がします。
たとえ生活のための労働であっても、お金を手に入れる苦役と考えるか、自分のWORKの対価としてお金を手に入れているか、考え方次第です。
というわけでみなさんも、仕事をWORKにしてみてはいかがでしょうか。
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
http://twitter.com/y_komoto
------
【1.「仕事」に感じる違和感】
ワークライフバランスや「仕事で自己実現」などについての文章を読んだり話を聞いたりすると、どうも腑に落ちないことが多々あります。
それは、「仕事」に対する考え方や価値観についています。
もちろん世の中には、生活のために好き・嫌いなど関係なく、やむなく今の仕事をされている方も多いと思います。
クリエイティブで、イノベーティブな仕事ばかりではないと思います。
しかし、たとえどういう仕事の中身であれ、私は「仕事とは、生活の一部である」という考え方をしています。
だから、「仕事と生活のバランスをとる」などという表現を見ると、「・・・?仕事は生活に含まれないの?」などと思ってしまいます。
(もちろん、言いたいことはわかるのですが。)
【2.仕事=苦しい、辛いのが普通というイメージ?】
こういったコミュニケーション不全=仕事についての考え方のギャップが起こってしまう一因は、「仕事」という言葉へのイメージもあると思います。
なんとなく、「仕事」や「働く」という言葉には、こんなイメージを無意識に持っている人が多いのではないでしょうか?
・辛くても、がんばるもの。
・手を抜いたり、ラクをしてはいけないもの。
・私情をはさんではいけないもの。
・一生懸命に取り組むことが尊ばれるもの。
・効率性や収益性を重視しなければならないもの。
・プライベートを犠牲にしてもやむをえないもの。プライベートより優先するもの。
と、思いつくまま挙げてみましたが、大方こんなところではないでしょうか?
もし、仕事以外の時間、例えば趣味や家族と過ごす時間において、上記のような考え方が強制されたらどうでしょう?
ものすごくイヤですよね。
でも、なぜ仕事ではその「イヤなこと」を「仕方ない」としてしまって受け入れているのでしょう?
なぜ、仕事を「プライベートの理論が通じない(通じることがあってはならない)特別なモノ」にしてしまっているのでしょうか?
【3.仕事とWORKの違い】
そのような考え方が日本人の特性だ、と言ってしまってよいかはわかりませんが、例えば「働く」という言葉ひとつとってみても、英語のWORKとはずいぶんかけ離れている気がします。
英語のWORKには、「作品」や、「(機械などが)機能する」という意味もあります。
私なりにくだけた解釈をすれば、WORKとは、何か人によって生み出されたもの・他に働きかけるものすべて、すなわち「何らかの活動の結果や過程全般」を指す言葉であるように思えます。
これは、「仕事」「働く」といった単語とはずいぶん違いますよね。
【4.仕事よりも、WORKしよう!】
私たちは、仕事をするときに、従来の価値観の仕事ではなく、WORKを考えたほうがいいのではないでしょうか。
仕事だから生活のために我慢する、プライベートと切り分ける・・・のではなく、これは私の人生の中のWORKである、と考えるだけで、ずいぶん違う気がします。
たとえ生活のための労働であっても、お金を手に入れる苦役と考えるか、自分のWORKの対価としてお金を手に入れているか、考え方次第です。
というわけでみなさんも、仕事をWORKにしてみてはいかがでしょうか。
2009年11月16日
幸本 陽平 Yohei KOMOTO
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
■Twitter
http://twitter.com/y_komoto
------
【1.趣味の釣りから漁師へ】
小さくても強い企業・お店・個人になるためには、「釣り人」を脱却して、「漁師」にならなければいけません。
それはつまり、趣味・楽しみのレベルを脱却して、プロ・事業家にならなければいけない、ということです。
なぜそんなことをわざわざ書くかと言うと、残念ながら、「趣味の釣り」レベルなのに、自分は「漁師」をやっている、と思っている人が非常に多いからです。
【2.努力は、プロならして当たり前!】
例えば、「努力すること」が挙げられます。
努力することそのものは大事です。しかし、努力自体が、価値を生むわけではありません。努力して、その結果、成果や結果を生み出して、初めて価値になるわけです。
ところが多くの人は、「努力至上主義」に陥りがちです。
例えば私がクライアントに「それはあまり意味がないですよ、やるだけムダだと思いますよ」と(実際にはもっと優しく丁寧ですが)言ったとします。
そこで返ってくる反応は、「では、何をすればいいでしょう」ではなく、たいていが「でも、やらないよりはマシでしょう。やったら売上に結びつくかもしれないじゃないですか」というものです。
これが、私が「努力至上主義」であり、「趣味の釣りレベル」と呼んでいるものです。
【3.趣味と事業の違い】
漁師さんが、「漁に行かないよりは行ったほうがマシ」「魚が獲れるかわからないけど、漁に出たら獲れるかもしれない」と言うでしょうか?
そんな行き当たりばったりな漁をしていたら、いくら生活費があっても足りません。漁師さんは、今の海の状態、最近の漁獲高、その他網や船、天候などをチェックした上で、最適な漁場を判断して漁に出ているはずです。もちろん漁に不確定要素はあるので、100%万全にすることはできませんが、少しでも漁の成果を高める判断をしてから漁に出るはずです。
趣味の釣りでしたら、その釣りそのものを楽しんでいるわけですから、別に釣れなくても、海の状態を無視した仕掛けや餌を使っても、誰からもとがめられるわけではありません。自分で好きなように釣りをして、自分が楽しめばいいわけです。「この餌よりもあの餌のほうがいい気がする、変えないよりはマシかな」でいいのです。
しかし、漁師さんはそうはいきません。生活がかかっていますし、プロとして業績が問われます。漁師さんが「がんばったから、魚が獲れなくてもいいじゃないか、一生懸命やったんだから」と言っていたら、生活できなくなります。
【4.過程よりも結果を】
趣味の釣りの延長で、漁師になることはできません。
あなたの事業(会社、お店など)は、あなたの趣味でしょうか?趣味なら、自分で好きなようにやればいいでしょう。もし趣味ではなく、プロフェッショナルでありたいのならば、「漁師」、すなわち成果にこだわらなければなりません。そこでは、「がんばっているのだから」「やらないよりはやったほうがマシ」なんて言い訳は通用しません。
漁師さんが最良の漁獲高を追い求めるように、プロであるあなた自身も成果を追求しなければならないのです。
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
http://twitter.com/y_komoto
------
【1.趣味の釣りから漁師へ】
小さくても強い企業・お店・個人になるためには、「釣り人」を脱却して、「漁師」にならなければいけません。
それはつまり、趣味・楽しみのレベルを脱却して、プロ・事業家にならなければいけない、ということです。
なぜそんなことをわざわざ書くかと言うと、残念ながら、「趣味の釣り」レベルなのに、自分は「漁師」をやっている、と思っている人が非常に多いからです。
【2.努力は、プロならして当たり前!】
例えば、「努力すること」が挙げられます。
努力することそのものは大事です。しかし、努力自体が、価値を生むわけではありません。努力して、その結果、成果や結果を生み出して、初めて価値になるわけです。
ところが多くの人は、「努力至上主義」に陥りがちです。
例えば私がクライアントに「それはあまり意味がないですよ、やるだけムダだと思いますよ」と(実際にはもっと優しく丁寧ですが)言ったとします。
そこで返ってくる反応は、「では、何をすればいいでしょう」ではなく、たいていが「でも、やらないよりはマシでしょう。やったら売上に結びつくかもしれないじゃないですか」というものです。
これが、私が「努力至上主義」であり、「趣味の釣りレベル」と呼んでいるものです。
【3.趣味と事業の違い】
漁師さんが、「漁に行かないよりは行ったほうがマシ」「魚が獲れるかわからないけど、漁に出たら獲れるかもしれない」と言うでしょうか?
そんな行き当たりばったりな漁をしていたら、いくら生活費があっても足りません。漁師さんは、今の海の状態、最近の漁獲高、その他網や船、天候などをチェックした上で、最適な漁場を判断して漁に出ているはずです。もちろん漁に不確定要素はあるので、100%万全にすることはできませんが、少しでも漁の成果を高める判断をしてから漁に出るはずです。
趣味の釣りでしたら、その釣りそのものを楽しんでいるわけですから、別に釣れなくても、海の状態を無視した仕掛けや餌を使っても、誰からもとがめられるわけではありません。自分で好きなように釣りをして、自分が楽しめばいいわけです。「この餌よりもあの餌のほうがいい気がする、変えないよりはマシかな」でいいのです。
しかし、漁師さんはそうはいきません。生活がかかっていますし、プロとして業績が問われます。漁師さんが「がんばったから、魚が獲れなくてもいいじゃないか、一生懸命やったんだから」と言っていたら、生活できなくなります。
【4.過程よりも結果を】
趣味の釣りの延長で、漁師になることはできません。
あなたの事業(会社、お店など)は、あなたの趣味でしょうか?趣味なら、自分で好きなようにやればいいでしょう。もし趣味ではなく、プロフェッショナルでありたいのならば、「漁師」、すなわち成果にこだわらなければなりません。そこでは、「がんばっているのだから」「やらないよりはやったほうがマシ」なんて言い訳は通用しません。
漁師さんが最良の漁獲高を追い求めるように、プロであるあなた自身も成果を追求しなければならないのです。
2009年11月13日
幸本 陽平 Yohei KOMOTO
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
■Twitter
http://twitter.com/y_komoto
------
【1.ネットの書き込みとかけまして・・・】
「(SNS、mixi、Twitterなどの)ネット上の書き込み」とかけて、「飲食店経営者にとっての、お店のトイレ」ととく。
そのこころは、
「悪いとその噂は広がって、マイナスの影響が出ますが、よくても別にプラスの影響はあまりない」ということです。
飲食店のトイレが汚かったら、誰もそのお店には行こうとは思いません。
でも、トイレがきれいだからといって、それでお客さんの数が大幅に増えるということはありません。
飲食店にとっては、メニューや従業員、店内の内装などのほうが、客数に影響を与えます。
【2.ネットではマイナス情報が2乗のスピードで広まる】
現在、いくらネットの影響が強いといっても、どうしてもプラス情報より、マイナス情報の広がりのほうが強いのが実情です。
例えば、ある民主党の議員がTwitterのアカウントを持っていて、選挙後2日目くらいに「まだ2日目なのだから、記者クラブの問題とかはこれから取組んでいく、早急に成果を求めないで欲しい」という趣旨のツイートをしました。
私は民主党支持者でもなんでもないですが、このツイートはまあ妥当でそりゃそうだろう、と思いました。始まって2日目で何ができるというものでもありません。いろいろなしがらみもあるでしょう。
ところがこの議員は”炎上”しました。
記者クラブ問題などに不満のあるネットユーザーが、「記者クラブは廃止すると約束していたじゃないか、公約破りだ」と怒りをぶちまけ、この議員のブログなどに殺到しました。
(どうせ炎上で突撃しているのは暇人なんだから無視しておけばいいんだよ、という正論はさておき。)
このように、WEB上の書き込みというのは、基本的に「批判の対象」になりやすいものです。反対に、「賞賛の対象」にはなりにくいものです。議員の書き込みが賞賛を受けて各地に転載され、ニュースになったなどというのは聞いたことがありません。
例えば私が、ブログに「横断歩道で倒れたおばあさんがいたので、おぶって助けて救急車を呼んだ」と書いたとしましょう。
すごいね、とか、勇気あるね、などのコメントはつくかもしれません。しかし、この善行が全国に広がって話題になることはないでしょう。
一方、私が「横断歩道で倒れたババァがいたけどシカトしたwあの後車に轢かれたかなwww」などと書き込んだらどうでしょう。
もし誰かに発見されたら、瞬く間に広がって「炎上」するかもしれません。
【3.ネットとの距離の保ち方】
このように、基本的にネットの書き込みは、実生活以上に、マイナスの評判が広がりやすいものです。一方、プラスの評判というのはさほど広がりません。つまり、ネットの世界もネット外の世界も、基本はそう変わらないということです。
だから私が言いたいのは、ネットについて、ブランディングだとか、集客だとか、注目を浴びるとか、あまり「自分、もしくは何かを”上に引っ張りあげるもの”だと期待しないほうがいいですよ」ということです。トイレ掃除をしたからって人気の飲食店になるわけではないのと同様で。
でもネットから人気が出たものってあるじゃない?という疑問もあるかもしれません。
それはおそらく、ネットがなくても人気になる要素があって、たまたまネット上に露出された、もしくはネットで展開するにむいていた、というだけのことです。つまり、ネットはあくまで「表現をするためのアシスト」であり、そのものの魅力や面白さがあってこそ、なのです。
そこを勘違いして、まるでネットが魅力や面白さを3割アップしてくれる魔法のようなものだと勘違いをするから、「ネットでブランディング」などと言い出すのです。「ブランディングに、ネットを効果的に使おう」ならまだわかるのですが。。。
ブログやメルマガが書籍化、というのも、あくまでもそのコンテンツそのものに魅力があり、その表現方法がたまたまネット上にあって目に留まりやすかった、というだけです。そこを勘違いして、ネット上で何かやること自体がブランド力向上、と勘違いをすると、マイナス情報ばかり広がって痛い目にあいかねません。
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
http://twitter.com/y_komoto
------
【1.ネットの書き込みとかけまして・・・】
「(SNS、mixi、Twitterなどの)ネット上の書き込み」とかけて、「飲食店経営者にとっての、お店のトイレ」ととく。
そのこころは、
「悪いとその噂は広がって、マイナスの影響が出ますが、よくても別にプラスの影響はあまりない」ということです。
飲食店のトイレが汚かったら、誰もそのお店には行こうとは思いません。
でも、トイレがきれいだからといって、それでお客さんの数が大幅に増えるということはありません。
飲食店にとっては、メニューや従業員、店内の内装などのほうが、客数に影響を与えます。
【2.ネットではマイナス情報が2乗のスピードで広まる】
現在、いくらネットの影響が強いといっても、どうしてもプラス情報より、マイナス情報の広がりのほうが強いのが実情です。
例えば、ある民主党の議員がTwitterのアカウントを持っていて、選挙後2日目くらいに「まだ2日目なのだから、記者クラブの問題とかはこれから取組んでいく、早急に成果を求めないで欲しい」という趣旨のツイートをしました。
私は民主党支持者でもなんでもないですが、このツイートはまあ妥当でそりゃそうだろう、と思いました。始まって2日目で何ができるというものでもありません。いろいろなしがらみもあるでしょう。
ところがこの議員は”炎上”しました。
記者クラブ問題などに不満のあるネットユーザーが、「記者クラブは廃止すると約束していたじゃないか、公約破りだ」と怒りをぶちまけ、この議員のブログなどに殺到しました。
(どうせ炎上で突撃しているのは暇人なんだから無視しておけばいいんだよ、という正論はさておき。)
このように、WEB上の書き込みというのは、基本的に「批判の対象」になりやすいものです。反対に、「賞賛の対象」にはなりにくいものです。議員の書き込みが賞賛を受けて各地に転載され、ニュースになったなどというのは聞いたことがありません。
例えば私が、ブログに「横断歩道で倒れたおばあさんがいたので、おぶって助けて救急車を呼んだ」と書いたとしましょう。
すごいね、とか、勇気あるね、などのコメントはつくかもしれません。しかし、この善行が全国に広がって話題になることはないでしょう。
一方、私が「横断歩道で倒れたババァがいたけどシカトしたwあの後車に轢かれたかなwww」などと書き込んだらどうでしょう。
もし誰かに発見されたら、瞬く間に広がって「炎上」するかもしれません。
【3.ネットとの距離の保ち方】
このように、基本的にネットの書き込みは、実生活以上に、マイナスの評判が広がりやすいものです。一方、プラスの評判というのはさほど広がりません。つまり、ネットの世界もネット外の世界も、基本はそう変わらないということです。
だから私が言いたいのは、ネットについて、ブランディングだとか、集客だとか、注目を浴びるとか、あまり「自分、もしくは何かを”上に引っ張りあげるもの”だと期待しないほうがいいですよ」ということです。トイレ掃除をしたからって人気の飲食店になるわけではないのと同様で。
でもネットから人気が出たものってあるじゃない?という疑問もあるかもしれません。
それはおそらく、ネットがなくても人気になる要素があって、たまたまネット上に露出された、もしくはネットで展開するにむいていた、というだけのことです。つまり、ネットはあくまで「表現をするためのアシスト」であり、そのものの魅力や面白さがあってこそ、なのです。
そこを勘違いして、まるでネットが魅力や面白さを3割アップしてくれる魔法のようなものだと勘違いをするから、「ネットでブランディング」などと言い出すのです。「ブランディングに、ネットを効果的に使おう」ならまだわかるのですが。。。
ブログやメルマガが書籍化、というのも、あくまでもそのコンテンツそのものに魅力があり、その表現方法がたまたまネット上にあって目に留まりやすかった、というだけです。そこを勘違いして、ネット上で何かやること自体がブランド力向上、と勘違いをすると、マイナス情報ばかり広がって痛い目にあいかねません。
2009年11月12日
幸本 陽平 Yohei KOMOTO
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
■Twitter
http://twitter.com/y_komoto
------
遅ればせながら、「批判は認められたい欲求の裏返しである」という記事を読みました。
http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY200911010097.html
一読して、以下の一文が非常に引っかかりました。
すなわち、「私は批判が自己承認の欲求かどうかを判断させてもらいますよ、だから私は批判でダメージを受けませんよ、ただ批判をする人より”みなす側”として一段上に立っていますよ、ヨロシク」という宣言のように感じられました。
確かに、世の中で目立てば、批判が多いのでしょう。的外れの批判や単なる嫉妬も実際にあるのでしょう。そういうものをいちいち全部気にしていたら身が持たない、というのもわかります。
しかし、「批判は自己承認の裏返しだ」と言いきってしまうのはどうなんでしょう。ようは、「負け惜しみに付き合ってられない」ということなのではないか、と私は解釈しました。
確かに批判のための批判、というのもあるでしょう。しかし、もう少し聞く耳を持ってもいいのではないでしょうか。こう言ったら、おそらく筆者は「いや、私は聞くべき批判はちゃんと聞きます。すべて自己承認欲求だと切り捨てているわけではありません」と理路整然と反論するでしょう。
しかし、香山リカ氏との対談でもありましたが、筆者は「自分の考えと違う人がいる、という事実を受け止める力」が不足しているような気がします。批判を受けたとき、それをどう解釈するかは筆者の自由です。しかし、批判をする人も、その人なりの考え、意見といったものがあって批判しているわけで、もうちょっとそれに対して、「私はそうは思わないけれど、そういう考え方の人もいるのか。なるほど。」といった受け止め方ができてもよいのではないでしょうか。
筆者の「批判は認めてもらいたい裏返し」というのもわかります。実際にそれもあると思います。しかし、批判する人を「自分をうらやましがっている人」と切って捨てては、意見を統合させてより良いものにする、という機会もないと思います。
「自分とは違う考えもある」
「少なくとも自分の意見は、批判したい人にとっては批判の対象なのである」
という事実を、もう少し受け止めてもいいのではないでしょうか。
え、自分も批判してないで自分の意見を書けって?ごもっともです。失礼しました。
私が思うに、批判ってのは税金みたいなものだと思うんですよね。
目立って、活躍すれば、その分増える。ある程度工夫して減らすことはできる。しかし、なくすことはできない。ある程度利益についてくるのはしょうがない。でもそれが増えるっていうことは、何か行動を起こして社会に影響を与えている裏返し。と。そんなところです。
※メールアドレスはブログのトップページをご覧下さい
■司法書士幸本明子事務所 / 幸本陽平診断士事務所
http://www.office-komoto.com
■メルマガ「マーケティングで小さくても強い企業作り!」
http://www.mag2.com/m/0000285487.html
http://twitter.com/y_komoto
------
遅ればせながら、「批判は認められたい欲求の裏返しである」という記事を読みました。
http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY200911010097.html
一読して、以下の一文が非常に引っかかりました。
逆に、自分がかかわったことについて批判されたときにも、相手の立場を考えて、どこまでの内容をアドバイスとして受け入れるべきか、そして、どこからが「見て、見て、見て、自分を認めて」という相手の自己承認の欲求なのかをある程度、見極められるようになってきました。「自己承認の欲求なのかをある程度、見極められるようになってきました」というのは、つまり、「私は自己承認の欲求を判断する能力がありますよ」という宣言です。
すなわち、「私は批判が自己承認の欲求かどうかを判断させてもらいますよ、だから私は批判でダメージを受けませんよ、ただ批判をする人より”みなす側”として一段上に立っていますよ、ヨロシク」という宣言のように感じられました。
確かに、世の中で目立てば、批判が多いのでしょう。的外れの批判や単なる嫉妬も実際にあるのでしょう。そういうものをいちいち全部気にしていたら身が持たない、というのもわかります。
しかし、「批判は自己承認の裏返しだ」と言いきってしまうのはどうなんでしょう。ようは、「負け惜しみに付き合ってられない」ということなのではないか、と私は解釈しました。
確かに批判のための批判、というのもあるでしょう。しかし、もう少し聞く耳を持ってもいいのではないでしょうか。こう言ったら、おそらく筆者は「いや、私は聞くべき批判はちゃんと聞きます。すべて自己承認欲求だと切り捨てているわけではありません」と理路整然と反論するでしょう。
しかし、香山リカ氏との対談でもありましたが、筆者は「自分の考えと違う人がいる、という事実を受け止める力」が不足しているような気がします。批判を受けたとき、それをどう解釈するかは筆者の自由です。しかし、批判をする人も、その人なりの考え、意見といったものがあって批判しているわけで、もうちょっとそれに対して、「私はそうは思わないけれど、そういう考え方の人もいるのか。なるほど。」といった受け止め方ができてもよいのではないでしょうか。
筆者の「批判は認めてもらいたい裏返し」というのもわかります。実際にそれもあると思います。しかし、批判する人を「自分をうらやましがっている人」と切って捨てては、意見を統合させてより良いものにする、という機会もないと思います。
「自分とは違う考えもある」
「少なくとも自分の意見は、批判したい人にとっては批判の対象なのである」
という事実を、もう少し受け止めてもいいのではないでしょうか。
え、自分も批判してないで自分の意見を書けって?ごもっともです。失礼しました。
私が思うに、批判ってのは税金みたいなものだと思うんですよね。
目立って、活躍すれば、その分増える。ある程度工夫して減らすことはできる。しかし、なくすことはできない。ある程度利益についてくるのはしょうがない。でもそれが増えるっていうことは、何か行動を起こして社会に影響を与えている裏返し。と。そんなところです。
2009年11月11日
WEBのアプリケーションサービスを利用したり、海外ニュースを読んだりするときに、(やむなく)海外の英語サイトを見ることがあります。ほとんどはアメリカです。
そこで気づいたのが、ニュースサイトでも、アプリのサイトでも、サイトには必ず見えやすいところに、"SEND FEEDBACK"など、「何かあったらコメントを送ってね!」というボタンがあることです。
メールフォームであったり、メールアドレスであったり、形式は様々ですが、「我々は、ユーザーであるみなさんの声を受け付けていますよ、だから寄せて下さいね」と表明することが、当たり前として定着しているのです。
これは私(というよりも日本企業全般だと思いますが)の感覚からすると、そう簡単にできることではありません。
多くの人が、企業にメールを送ろうとして、お問い合わせフォームがものすごく奥の階層にあってなかなか見つからなかった・・・といった経験をしたことがあると思います。つまり、そういうことです。
多くの日本企業は、
・そのメールの回答は誰が行うのか
・メールの回答がそれでいいかどうかは誰がチェックして責任を持つのか
・クレーマーからメールが送られたらどうするのか
・「返信できないこともあります」などと明記した方がいいんじゃないか
・「返信には○○営業日かかることがあります」と書いたほうがいいんじゃないか
・・・などなど、「いかにめんどくさいことが起こりうるか」を考えます。現実に起こるかどうかはともかく。
そして、「だったらメールでの問い合わせ受付なんて、やらないほうがいいよ。やるとしてもひっそりやろう。」となるわけです。
この発想では、サイトのトップページにでかでかと「SEND FEEDBACK」を置こう、などとは思わないわけです。
乱暴に言えば、顧客の声について、日本企業の多くは「やっかいなもの」ととらえ、米国企業の多くは「教えてくれる機会」だととらえているのではないでしょうか。
実際の対応はどうあれ、「顧客の声を聞くことから、我々のビジネスは始まる」と考えるか否かの違いのように思います。
苦情が寄せられたらどう対応するか、なんて、来てから考えればよいのです。
それよりも、「苦情がある人の不満を解決するチャンスを与えられた」と考えるべきなのです。
Web2.0(笑)なんて言葉を持ち出すまでもなく、企業→顧客、という一方的な流れは終わったのです。それに気づくか気づかないか、で企業間に大きな差が生まれるように思います。
そこで気づいたのが、ニュースサイトでも、アプリのサイトでも、サイトには必ず見えやすいところに、"SEND FEEDBACK"など、「何かあったらコメントを送ってね!」というボタンがあることです。
メールフォームであったり、メールアドレスであったり、形式は様々ですが、「我々は、ユーザーであるみなさんの声を受け付けていますよ、だから寄せて下さいね」と表明することが、当たり前として定着しているのです。
これは私(というよりも日本企業全般だと思いますが)の感覚からすると、そう簡単にできることではありません。
多くの人が、企業にメールを送ろうとして、お問い合わせフォームがものすごく奥の階層にあってなかなか見つからなかった・・・といった経験をしたことがあると思います。つまり、そういうことです。
多くの日本企業は、
・そのメールの回答は誰が行うのか
・メールの回答がそれでいいかどうかは誰がチェックして責任を持つのか
・クレーマーからメールが送られたらどうするのか
・「返信できないこともあります」などと明記した方がいいんじゃないか
・「返信には○○営業日かかることがあります」と書いたほうがいいんじゃないか
・・・などなど、「いかにめんどくさいことが起こりうるか」を考えます。現実に起こるかどうかはともかく。
そして、「だったらメールでの問い合わせ受付なんて、やらないほうがいいよ。やるとしてもひっそりやろう。」となるわけです。
この発想では、サイトのトップページにでかでかと「SEND FEEDBACK」を置こう、などとは思わないわけです。
乱暴に言えば、顧客の声について、日本企業の多くは「やっかいなもの」ととらえ、米国企業の多くは「教えてくれる機会」だととらえているのではないでしょうか。
実際の対応はどうあれ、「顧客の声を聞くことから、我々のビジネスは始まる」と考えるか否かの違いのように思います。
苦情が寄せられたらどう対応するか、なんて、来てから考えればよいのです。
それよりも、「苦情がある人の不満を解決するチャンスを与えられた」と考えるべきなのです。
Web2.0(笑)なんて言葉を持ち出すまでもなく、企業→顧客、という一方的な流れは終わったのです。それに気づくか気づかないか、で企業間に大きな差が生まれるように思います。
2009年11月10日
今回も、世間でよく言われる/誤解されているケースです。
それは、ほとんどの人は
「この業界は特殊だから」
と言うことです。
私から言わせてもらえれば、「どんなに特殊なようでも、経営という点では共通だ、ただその”勘所”が違うだけ」です。
例えば、ある法律を中心としたサービス業の人にアドバイスをしたときのこと。
その人は
「法律業はさまざまな規制があり、法に触れたら資格を取り上げられたりする。そうなったら二度と仕事が出来ない。だから慎重にしなければならない。普通の会社とは違うんだ。」
と力説していました。
でも、さまざまな規制・法律があるのはどのような企業も一緒です。電機メーカーであればPL法があるし、化粧品メーカーであれば薬事法があります。チラシひとつ作るにも、景品表示法などが関わってきます。
私がそう言うと、その人は、
「でも、それは普通の商売の場合でしょう。私たちの仕事はそういうのじゃないんです。法律のニーズってどこにでもあるわけじゃないし、こちらから営業をしたって仕事が来るわけじゃないんです。だから、マーケティングとか、営業とか、そういうのでどうにかなるものではないんです」
と。
確かに言いたいことはわかります。いきなり目の前に弁護士が現れて、「あなたを法律で助けます!だから私に今すぐお金を払って!」と言われても、ほとんどの人が「いや別に困ってないし・・・。」と答えることでしょう。(離婚などでもめている人は別かもしれませんが。)
だから、営業とか、そういうのやったってどうにかなるものではない、という理屈です。
でも、それなら例えば住宅のリフォームの会社だって一緒です。リフォームの必要の無い人のところに行って、「リフォームしますよ!」と言ったところで、成約率は0.01%程度でしょう。極端な例かもしれませんが、葬儀屋だってそうです。
じゃあ、リフォーム会社や葬儀屋は、まったくマーケティングをしていないでしょうか?そんなことはないですよね。個々のノウハウを挙げることはしませんが、例えばチラシで知名度を上げたり、他の企業と連携したりして「イザというときに、自分のところに声がかかる仕組みづくり」をしたりと、あれこれ工夫しているのです。
だから、法律サービス業だって、例えばわかりやすい法律セミナーを開催して自分の人柄を理解してもらうとか、ウェブサイトに法律のコラムを書いて法律をわかりやすく伝えるとか、他の企業と連携して自分に声がかかりやすくするとか、いくらでもやりようはあるわけです。営業=客のところに出向いて仕事をとること、と思っている人が多いですが、必ずしもそれだけではありません。こういった活動だって営業です。
・・・と、いろいろと例を出しましたが、これと同様に、「特殊な業界なんてない」ということです。
どんな業界でも、営業やマーケティングは存在します。ただ、そのやり方や考え方が他の業界とちょっと違う、というだけです。
厳しいようですが、「この業界は特殊だから」というのは、思考を放棄する言い訳です。
「では他の業界だったら、どんなことをやっているかな?」という視点で考えてみてはいかがでしょうか。
それは、ほとんどの人は
「この業界は特殊だから」
と言うことです。
私から言わせてもらえれば、「どんなに特殊なようでも、経営という点では共通だ、ただその”勘所”が違うだけ」です。
例えば、ある法律を中心としたサービス業の人にアドバイスをしたときのこと。
その人は
「法律業はさまざまな規制があり、法に触れたら資格を取り上げられたりする。そうなったら二度と仕事が出来ない。だから慎重にしなければならない。普通の会社とは違うんだ。」
と力説していました。
でも、さまざまな規制・法律があるのはどのような企業も一緒です。電機メーカーであればPL法があるし、化粧品メーカーであれば薬事法があります。チラシひとつ作るにも、景品表示法などが関わってきます。
私がそう言うと、その人は、
「でも、それは普通の商売の場合でしょう。私たちの仕事はそういうのじゃないんです。法律のニーズってどこにでもあるわけじゃないし、こちらから営業をしたって仕事が来るわけじゃないんです。だから、マーケティングとか、営業とか、そういうのでどうにかなるものではないんです」
と。
確かに言いたいことはわかります。いきなり目の前に弁護士が現れて、「あなたを法律で助けます!だから私に今すぐお金を払って!」と言われても、ほとんどの人が「いや別に困ってないし・・・。」と答えることでしょう。(離婚などでもめている人は別かもしれませんが。)
だから、営業とか、そういうのやったってどうにかなるものではない、という理屈です。
でも、それなら例えば住宅のリフォームの会社だって一緒です。リフォームの必要の無い人のところに行って、「リフォームしますよ!」と言ったところで、成約率は0.01%程度でしょう。極端な例かもしれませんが、葬儀屋だってそうです。
じゃあ、リフォーム会社や葬儀屋は、まったくマーケティングをしていないでしょうか?そんなことはないですよね。個々のノウハウを挙げることはしませんが、例えばチラシで知名度を上げたり、他の企業と連携したりして「イザというときに、自分のところに声がかかる仕組みづくり」をしたりと、あれこれ工夫しているのです。
だから、法律サービス業だって、例えばわかりやすい法律セミナーを開催して自分の人柄を理解してもらうとか、ウェブサイトに法律のコラムを書いて法律をわかりやすく伝えるとか、他の企業と連携して自分に声がかかりやすくするとか、いくらでもやりようはあるわけです。営業=客のところに出向いて仕事をとること、と思っている人が多いですが、必ずしもそれだけではありません。こういった活動だって営業です。
・・・と、いろいろと例を出しましたが、これと同様に、「特殊な業界なんてない」ということです。
どんな業界でも、営業やマーケティングは存在します。ただ、そのやり方や考え方が他の業界とちょっと違う、というだけです。
厳しいようですが、「この業界は特殊だから」というのは、思考を放棄する言い訳です。
「では他の業界だったら、どんなことをやっているかな?」という視点で考えてみてはいかがでしょうか。



