2008年05月04日

本ブログの内容の一部移行について

このブログの内容は一部、次のブログに移行しました。引き続きよろしくお願いします。

移行先 精神世界・瞑想・気功〜読書の旅

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★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという世界的な映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと190集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られる可能性が見えてきます。

ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。

本ブログの内容の一部移行について

このブログの内容は一部、次のブログに移行しました。引き続きよろしくお願いします。

移行先 精神世界・瞑想・気功〜読書の旅

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★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという世界的な映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

皆様による、数分でできる投票が、あと190集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られる可能性が見えてきます。

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2007年08月19日

『日本のポップパワー』中村知哉 小野打恵編著(日本経済新聞社2006年)

スタンフォード日本研究センター所長の中村知哉氏らが、「日本ポップカルチャー委員会」なる産学官コミュニティで4年にわたる議論をつみあげ、その成果に基づいて分担執筆したのがこの本である。日本のポップカルチャーの現状と影響力を非常に広い視野からとらえた貴重な本だと思う。今までジャーナリスティックにとりあげられたことはあても、この分野の本格的な研究は、はじまったばかりのようだ。まずは、現状をできるかぎり正確にとらえて、その意味を考える。そういう作業がようやくはじまったのである。

序章では、日本のポップカルチャーのパワーの源泉がどこにあるのかを分析している。一番目にあげられるのは、メディア融合という特徴である。日本のマンガ、アニメ、ゲームは、それぞれが独立した分野というよりも、マンガはアニメ、ゲームの素材となり、逆にアニメに基づいてマンガが描かれ、ゲームがつくられるというような相互依存的な関係をなしている。アニメやゲームはまたJPOPの人気と一体となっている。第二に、欧米ではこども文化であるマンガ、アニメ、ゲームが、日本では大人向けの領域としても確立している。また日本では、子供が自分で欲しいものを買うという形で、子供の需要がストレートに商品化される。第三の特徴は、第二の特徴と深く結びつく。子供と大人の領域が融合しているため、エロや暴力の表現が、子供の世界にまで入り込んでいるのだ。これがコンテンツの国際競争力の強さになっている現実もある。

ここでは、その一端を紹介することしかできないが、本書ではさらに、アメリカのポップカルチャーが世界に波及していったプロセスを、日本のポップカルチャーのこれからと重ねあわせて考察する章(第3章)や、中国、フランス、アメリカなどで日本のポップカルチャーがどう見られているかの現状報告(第4章)、日本の今後のポップカルチャー政策の展望(第6章)など、多方面から論じているのが特徴だ。

最後に、これはこの本を含めた関連するいくつかの本を読んでの感想だが、日本のポップカルチャーが世界に広がっていく流れは、私たちが自覚する以上に重要な意味をもっているのではないかということだ。もしかしたらそれは、日本人が庶民レベルでもっている世界観、人生観がポップカルチャーという媒体に乗って知らず知らずのうちに世界に広がっていく過程なのかも知れない。大宗教、大思想に強く縛り付けれた一神教的世界観から比較的自由なライフスタイルが世界に波及していく過程なのかも知れない。イデオロギー同士が深刻にぶつかり合って戦争を繰り返してきた歴史に対し、「武器よりもポップを!!」というメッセージを世界に広める意味をもっているのかも知れない。

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2007年08月18日

『覚醒へのネットワーク』上田紀行(講談社1997年)(3)

国家という暴力、自然破壊の暴力はそれだけで存在しているのではなく、私たちが「殻をかぶった自我」であり、集団としても同様の「殻」をかぶって、他を排除する構造を維持していることの必然的な帰結なのだという。ある集団で問題が起これば、その暴力を放出する別通路を作ろうとする。集団内で生じた対立や暴力をひとつ上のレベルに棚上げし、もっと大きな敵を作ることでそれを正当化して、切り抜ける。「愛国心」によってその場しのぎをするわけである。そして今度は「愛国心」相互の対立が生まれる。

「核兵器」も私たちの外にあるのではなく、「殻をかぶった」私たちのあり方のシンボルだという。大きな国家的な暴力の根源が私たちの中にある。しかし、逆に私たちがその構造に気づき、それに対して行動するならばそこに解決の方向が見えてくる。「殻をかぶった個」やそれに根ざす「殻をかぶった共同性」の排他性を解き放つ方向こそが求められている。

いままでは、現実の社会状況を変革する「社会運動」と自分の内面を見つめ、内面的な成長をめざす「精神世界」は、むしろ対立するものと考えられてきた。しかし、一方には「社会運動」にのめりこみながら、自分の内面の暴力性に気づかずに独善的になっていく「運動病」がある。そして他方には、「精神世界」にのめりこんでそこからなかなか出てこれないとう「セラピー中毒」がある。本当に必要とされるのは、両方の流れを深いところで結びつけ「覚醒のネットワーク」を築いていくことであると筆者はいう。

「学校でのいじめを解決する運動は、私たちのからだを考える医療の運動とも、世界の貧困をなくしていく世界平和の運動とも深くつながっています。『いま、個々で』暴力を止めていく運動は、世界のいたるところで同時に起りつつあります。そして『いのち』のネットワークは、地球上のすべての生きとし生けるものの癒しをいま生み出しつつあるのです。」p237

この本は、筆者が大学院生の時に書き始められ、1989年に出版されたという。この本でやさしい言葉で語りかけられたような、魂の目覚めと社会的な変革とを深く結びつけてネットワークを築いていこうとする動きは、徐々にではあるが日本の社会にも広がっているかに見える。しかし、その動きは、まだまだ大きなうねりにはなっていない。

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『覚醒へのネットワーク』上田紀行(講談社1997年)(2)

「殻をかぶった自己」が目指すのは「抜け駆け」である。自分だけの幸せを求めて、人や自然をとことん利用しようとする。それは競争の修羅場を生む。自分だけの幸せの追求は、いつか限界に突き当たる。

「自己」はまた、国家などの集団と同一化する。集団もまた「殻をかぶった集団」として機能する。他の集団を否定し、他との違いをきわだたせることで自らのアイデンティティを保つ。「あいつらとは違う私たち」として集団のアイデンティティが生まれる。

個としても集団としても、殻をかぶって自己の利益を追求する以上、他との争いは避けられない。個としての「自己」も、集団としての「自己」も、他を押しのけて競争に勝とうとする以上、その内側に暴力を秘めている。その「自己」性、利己性を前面に出せば、争いは避けられない。しかし、争えば集団解体の危機にさらされる。

そこで危機を避けるために「身代わりの羊」が求められる。「問題が起こるのは、あいつのせい、あいつらのせい」と理由を押し付けるスケープゴートを作る。共通の敵を作り、そこに責任の一切をなすりつける。そうすることで集団内や集団同士の暴力による自滅を回避するのだという。ヨーロッパにおいてユダヤ人は、そのようなすケープゴートとして機能した。

家族、学級、会社のなかでも、いけにえの羊はよく発生する。それは多数のものが、誰かの犠牲のうえにたって安易に幸福を手に入れる方法である。「いけにえの羊の存在によって集団の幸福が乱されている」と、本気で感じる人もいる。実は、その羊の存在によって自分たちの安物の幸福がなりたっていることを忘れてる。集団は、いわばその「影」の面をすべて、いけにえの羊に押し付け、自分たちはあくまで正しい人間として行動しようとするのだろう

結局は、個にしても集団にしても、「殻をかぶった自己」という、排他性や利己性が、問題の根源に横たわるのいうのだ。その「殻」から解放されないかぎり、暴力は続いていく。そして誰かが犠牲になっていく。(続く)

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2007年08月15日

『覚醒へのネットワーク』上田紀行(講談社1997年)(1)

・上田紀行の本は、この本以外にも何冊か手元にあったが、読む気にならないでいた。この本が1989年にカタツムリ社より出版されたとき、かなり反響があり、世に受け入れられたことを最近、ある本で知った。それで2年前にブックオフで買ったままになっていた文庫本版を読んで見るきになった。

一読して世に広く受け入れられただけのことはあると思った。そしてこの本で扱われているテーマが私自身の関心とほぼ重なることを知った。まずは、「殻をかぶった自己」からの解放というテーマ。これは、私自身にとっての「自己」とそこからの開放としての覚醒というテーマと同じなのだが、著者は、それを非常にかみくだいた平易なことばで語っている。

著者は、「殻をかぶった自己」が、その殻を破ったときに見えてくるネットワークと、その中の自分の輝きを語る。と同時に、「いま世界で噴出している排除、暴力の問題」」、そして危機に瀕する地球環境の問題が、実は「殻をかぶった自己」の問題と全く同根であると語る。これらは、すでに多くの思想家が指摘し、語ってきたテーマだろうが、この本の価値は、それをきわめて分かりやすく整理し、親しみやすい語り口で語ったことにあるだろう。(続く)

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2007年08月04日

『マインドマップ読書術』松山真之介(ダイヤモンド社2005年) 

マインドマップ(Mind Map)という手法がある。トニー・ブザンが提唱した、図解表現技法の一つだという。「表現したい概念の中心となるキーワードやイメージを図の中央に置き、そこから放射状にキーワードやイメージを繋げていくことで、発想を延ばしていく図解表現技法」とのこと。本書は、この手法を読んだ本の読書ノートとして使おうという内容である。

確かに、本を読んだすぐあと、あるいは読んでいる最中でも、忘れないうちに読み取ったことをメモすることは重要だ。しかし、文章で書くのはまとまった時間がいるし、単語の羅列程度ではものたりない。そんな時、マインドマップで本の裏表紙の反対側にでも図解しておくと、あとで文章化するにも非常に便利だ。実は、この文章もマインドマップ化したものを元に書いている。とても書きやすい。

マインドマップの手法が、単なる図解と違うのは、思考の流れにそったリアルタイムの構造化ができるということだ。あらかじめ整理されたものを図解するのではなく、図に記入しながら思考が整理されたり、新たなアイディアが生まれたり、発想の拡大が生じるということだ。幹をなす部分から枝へと樹系の構造で描いていくが、思考の流れや転換や飛躍をそのまま表現していけるので、非常にクリエイティブな作業になる。

読んだ本についてこれを行う場合も、本の内容を忠実に写すのではなく、そこから自分が得たインスピレーションを自由に追加していってよい。それでこそ、本を読むことがより創造的な営みとなる。常に新たな発想を付け加えつつメモをとることで、本の読み方が変ってくる。速読をした後のアウトプットという意味も持つだろう。

本の裏に乱雑に描いたマップをもう一度白紙に書き写してもよい。しかし、その時にはまた新たな発想が付け加わっているだろう。そうして出来上がった用紙をファイルすれば、立派な読書ノートになる。

マインドマップの技法そのものは、本のまとめ以外に様々な場面でつかえる。会議の場での様々意見をマインドマップにしながら、自分の意見をそこに展開していくのもよい方法だ。現在の自分の心を構造化し、視覚化するのもよいだろう。ヴィパッサナー瞑想でいう心随観をグラフィックに行うという発想だ。あるいは、短期、中期、長期の自分の目標なり必要な行動なり、やりたいことをマインドマップかするのもよい。大いに利用すべきだ。ある意味で、これは心の曼荼羅を描く作業だろう。

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2007年07月28日

『齋藤孝の速読塾』齋藤孝(筑摩書房2006年)

・かつて『速度勉強術』宇都出雅巳著 (すばる舎 2007年) という本を読んだ。すみからすみまでゆっくり一度読むよりは、ざっとでもよいから何度も反復してよんだ方が記憶や理解ができる、という主張。ざっと読んで本の全体像をつかんでおくことは、非常に大切だ。重要箇所を拾って何回も回転させて読む速読法は、私にとって画期的で、それ以来本の読み方も読書への意識も確実に変った。この読書法に変って大きな喜びを得たが、ただこの2週間ほどは、また昔の読み方が懐かしくなり、迷いが生じていた。

齋藤孝のこの本を読んだおかげで、また「高速回転法」としての速読法の素晴らしさを再確認し、意欲を取り戻す形となった。もちろん、この本独自のよさもあるので、速読法に疎い人も、すでに多くの速読法に詳しく、いろいろ試みている人にも、充分に読む価値があると思う。

ポイントは、キーワードを絞り込んで、それをひたすらマークしていく方法と、引用すべきベスト3を見つけるという目標をもって読む「引用ベスト3方式」である。

「高速回転速読法」の問題は、「ざっと読む」時にどの部分をざっと読むかだ。目次を読んだり、前書き・後書きを読んだり、何回か、ページを最後までめくっているうちに重要箇所や興味を引く箇所が出て来るのも確かだが、なおどこを読んだらよいのか明確にならない時もある。

そんなとき、「キーワード・マーク法」は役に立つ。その本のキーワードベスト3を探しておいて、ともあれキーワードにマークをつけていくのだ。内容を理解している否かは気にしない。キーワードをつける作業に間に無意識にうちに様々な情報が飛び込んでいるからだ。そうすると、その本の重要箇所も見えてくる。

そうやって重要箇所が分かったら、今度は、引用する価値のあるベスト3を探しながら読んでいく。そういう目標を設定することで、その本の本当に重要な箇所をさらにしぼりこんで行くことができるだろう。

このよう重要箇所をピックアップして読んでいく速読法は、やってみるとその素晴らしさがよく分かるのだが、この本は、そういう速読法の、知っていて損はない他の様々なテクニックが随所に散りばめられており、私には本当に参考になった。

たとえば、重要箇所が分からなくとも、とりあえず一ページにつき一文、目に飛び込んだ文章を読んで行く。なるほど、これなら、迷うことなくともあれ「ざっと」最後まで読める。これを繰り返すことで自ずからそのページの本当に重要な箇所を即探し出せる力がつく。

このようなテクニックを使ってベスト3を決めたら、ルーペ感覚でそこをフォーカスして、少し詳しく見ていく。そして「引用ベスト3箇所」は何回か人に話すことで完全に自分の見につけてしまう。

著者は、速読法をヘリコプターでの移動にたとえている。「ペリコプターで重要な荷物を拾いながら、いちおう最終目的地まで飛ぶ。最重要な身もつは最初の一回の飛行で拾ったので、次のフライトでは二番目に重要なのを拾います。それを4回、5回とやっているとその風景を覚えてしまいます。」

ヘリコプターのように何度も飛べば、地上を一歩一歩、歩いていたのでは見えない風景を、何度も繰り返して見ることになり、目に焼き付けてしまう。まさにこれが速読法の醍醐味だろう。

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2007年07月16日

アニメ『はだしのゲン』を世界へ

突然だが、「はだしのゲン」を世界へというブログを新たに作った。そして、今その最初の投稿を終えた。なぜこんなことを始めたかは、ブログを読んでいただければ分かるのだが、ここにもその最初の投稿をコピーしておきたい。

ぜひ一人でも多くの人にご協力をいただけるよう、お願いします。

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IMDbという英語のサイトをご存知でしょうか。正式名称は、The Internet Movie Databaseで、世界中のほとんどの映画の情報が網羅され、それぞれに映画に世界中の人々が10ランクで投票した結果や、投稿されたコメントを見ることができます。

たとえばアニメーション部門のランキングを覗いてみましょうか。

IMDbアニメーション部門ランキング

トップ10の中に日本の、スタジオ・ジブリから4作品も入っているでしょう。『千と千尋の神隠し』が、8.4の評価で第2位、『火垂るの墓』は、8.0で第8位です。

ところでアニメ『はだしのゲン』は、ここでどれぐらいの評価を得ているでしょうか。8.5という高い数字で評価されています。しかし、アニメーション部門のランキングには載っていません。理由は、投票数が全部で490(7月15日現在)と圧倒的に少ないからです。ちなみに『千と千尋‥‥』は51,664もの投票数があります。

この投票数からしても『はだしのゲン』は、世界でまだほとんど見られていないことが分かります。もし、『はだしのゲン』への投票が1,000を超えれば、アニメーション部門のランキングのトップに躍り出る可能性があるのです。

そうすると、世界中で見られているIMDbの影響力から言っても、アニメ『はだしのゲン』の認知度は飛躍的に高まります。そして、今とは比べものにならないほど多くの人々がこのアニメを見ることになるでしょう。そして、原爆の悲惨な現実について、知る人が多くなるでしょう。

私たち一人ひとりのわずかな努力でそれが可能になるのです。みなさん、ぜひIMDbを訪れて『はだしのゲン』(IMDb内でhadashi no genで検索できます)に投票してください。(以下略)

IMDbの「はだしのゲン」のページ

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2007年07月08日

再び『臨死体験研究読本』の新品入荷あり

拙著『臨死体験研究読本』は、Amazonでもまた新たに入荷があったようで、新品が定価で購入できるようになりました。

なお、読者レビューも新たに追加されたようなので、ご覧ください。→Amazon『臨死体験研究読本』

★ただ、残念ながらレビュー4本のうち最初の2本がなぜか文字化けしてしまっており、読めない状態です。

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2007年06月17日

『生命観を問いなおす』森岡正博(筑摩書房1994年)

・ちくま新書の一冊。一読して、その問題提起の深さ、視野の広さに強い感銘を受けた。学ぶことが多かった。

環境の問題、生命の問題が問われている。しかしその問題は、機械論的な世界観や資本主義の論理という私たちの外部にある制度が引き起こしたというべきではない。問題は、私たちの外部にではなく内面にあるのではないか。私たちの内面、あるいは生きるという営みそのものに目を向けなければ、環境倫理学や生命倫理学に共通する限界を超えていくことはできないのではないか。それが著者の問題提起である。

環境や生命の問題を論じながら、ディープエコロジー、さらに精神世界やニューエイジ、ニューサイエンスといった、一時代を築いた潮流に触れつつ、その限界や問題点を明らかにしようとする。私もその潮流に深くかかわってきただけに大いに学ぶものがあった。

著者によると、ほとんどのディープエコロジーや生命主義の思想は、私たちの欲望や執着が、生命の根源から発している点に関する思索が貧弱であるという。「生命」「自然」というと、すぐに「調和」や「共生」を語ることで思考をストップさせてしまうことが多い。近代二元論を克服して、自然と一体となればよいという浅薄なロマン主義に留まってしまう危険性こそが、ディープエコロジーや生命主義の問題点であるという。(続く)
 

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『臨死体験研究読本』の購入について

・拙著『臨死体験研究読本』は、再び、Amazonでは品切れとなりましたが、ユーズド商品が、¥ 4,960 で出品されています。

しかし、セブン&ワイなどでは、定価 \ 2.940 で購入できます。
ぜひ、定価でご購入ください。

こちらです。→ セブン&ワイ 

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2007年06月10日

少食・断食に関する本のレビュー

サイト・臨死体験・気功・瞑想の「本の世界の旅」というコーナーに、新たに

少食と断食

という新しいジャンルを付け加えました。

今のところ次の書評を取り上げています。順次追加していく予定です。

◆『断食・小食健康法』甲田光雄(春秋社、1980)
◆『長生きしたければ朝食は抜きなさい』東茂由著、甲田光雄監修(河出書房新社、2002年)
◆『朝食を抜いたらこうなった』甲田光雄(春秋社、2003年)
◆『食べ方問答』甲田光雄、サンプラザ中野(マキノ出版、2004年)
◆『「半断食」健康法』石原結實(講談社、2004年)
◆『朝食抜き!ときどき断食!』渡辺正(講談社、2003年)

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2007年04月29日

『99・9%は仮説』:心を柔軟にするために

◆『99・9%は仮説』竹内薫(光文社2006年)
去年ベストセラーになっただけのことはある。常識を覆す見方を提示する。固定観念を覆し、科学といえども結局はいつ反証されるかも知れない仮説の集合にすぎないことを分かりやすく説く。このような斬新な見方を、大きめの活字で、気軽に読める親しみやすい語り口で示す。読み終わって「なるほどそうだったのか」と大切なことを学んだという思いを深くする。

取り上げられている事例がまた面白い。次から次へと出てくる。飛行機がなぜ飛ぶのか科学は説明できない。悪名高きロボトミー手術は、当初ノーベル賞まで授与された評価の高い医療技術だった。その評価がいっきに覆るいきさつ。日本人学者のノーベル賞がうわさされていたペンタクォークの発見が疑問視されていく経緯。進化論と知的設計説との関係等、読んでいてあきない。

しかも副題に「思い込みで判断しないための考え方」とあるように、人生や社会を見る態度においても、すべてを仮説としてとらえることがいかに大切か、というとことろまで読者に語りかける。

私自身は、気や臨死体験など、科学の枠組みでは捉えきれない現象に興味をもち、探求してたので、近代科学の枠組みでは説明できない現象には目を閉ざす、ないしは頭から否定するという「常識的」な態度にはつねに不満をもってきた。本書では「大仮説」という考え方も提示し、宇宙を創造する「知的設計者」を仮定する説が真剣な科学論争になっていることも紹介している。

科学にたいしてこのように柔軟な見方が広まれば、精神世界の探求もよりオープンな形で進んでいくだろう。精神世界に関心をもつものも是非読んでおきたい一冊だ。

☆精神世界と心理学に関するこれまでのレビューは、サイト臨死体験・気功・瞑想の「本の世界の旅」をご覧ください。

☆また、Noboruの精神世界書店もご覧ください。

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2006年10月21日

アートマン・プロジェクト10(サトル領域03)

◆『アートマン・プロジェクト』第8章(3)
《要約》自我とケンタウロスを超えたより高次の意識レベル、人間の本性のはるかなる到達点について、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教、イスラム教を問わず、洋の東西の偉大な神秘化たちが、ほとんど異口同音ともいうべき一致を見せているのは、きわめて重要なことである。

第六チャクラ、アジュナ・チャクラ(眉間の辺り)から、意識は超個的な領域に進入しはじめる。意識はいまや超言語的かつ超個的な様相を呈し、真の微細圏(サトル・スフィア)に足を踏み入れる。このプロセスは、最高位のサハスラーラを超えた七つのより高次の意識段階に進むとともに、超―心的なものとなっていく。このアジュナ、スハスラーラ(頭頂)、および七つの高次レベル全体を併せて、微細領域と呼ぶことにする。

微細領域は、便宜上、下位微細と上位微細とに分けられる。下位微細は、アストラルおよびサイキック現象の両方を包含し、支配するといわれるアジュナ・チャクラ――「第三の眼」に集約される。(p143-144)


このあたりは、とくに心に響く論述があるわでけいないが、ケン・ウィルバーが、こういう段階付けをしている、ということで、とりあえず要点をおさえておく。


アートマン・プロジェクト09(サトル領域02)

◆『アートマン・プロジェクト』第8章(2)
《要約》粗(グロス)領域を超えた世界は、オーロビンドによれば次のように語られる。

「ふつうの人間は、自分自身の外側、自分の意識の外部にある世界と触れながら、心と諸感覚(粗い身心)の中で生きている。意識が微細化すると、それははるかに直接的に事物と接触するようになる。つまり、事物の形や外面的影響だけでなく、それらの内部にあるものとも接触をもつようになる。ただし、まだその度合いは小さい。しかし、意識はさらに拡大することも可能であり、まず世界内の広範な事物の宇宙と直接的接触をもちはじめ、次にはいわばそれらを内包する――自分自身のなかに世界を見るといわれるように――形となり、ある意味でそれと同化するようになる。自己の内に万物をみ、万物の内に自己を見る‥‥‥これを普遍化(宇宙化)という」。

多くの聖者たちによれば、「われわれの覚醒時の心性の背後にはより上位の広範な意識の諸相があり‥‥‥われわれは変則的それを自覚することがある」のである。つまり、粗領域を超えた最初の段階とは、微細(サトル)な世界にほかならない。(p141〜143)

☆いわゆる至高体験とは、上位の意識の諸相への、一時的、変則的な接触なのであろう。サイト『臨死体験・気功・瞑想』の「覚醒・至高体験の事例集」では、とくに覚醒と至高体験とを区別せずに並べて掲載している。しかし、至高体験の事例の方が圧倒的に多く、覚醒(オーロビンドのいう普遍化・宇宙化)の事例は、はるかに少ない。

2006年10月02日

アートマン・プロジェクト08(サトル領域01)

◆『アートマン・プロジェクト』第8章(1)
《要約》本書では、発達心理学的な段階を追って「意識の初歩的根源」、「テュポーン的自己」、「メンバーシップの自己」、「心的―自我的領域」、「ケンタウロスの領域」と記述が進められてきた。

しかし、そのすべては、伝統的な心理学が「粗(グロス)領域」と呼ぶものに属し、それを超えたところには微細(サトル)領域と元因(コーザル)領域が広がっている。粗領域(仏教用語では、ニルマーナカーヤ(応身)は、通常の覚醒時の意識領域であり、粗い物理的身体とその構築物である通常の時空間に基盤をおき、それを中心に展開するあらゆるレベルからなる。(p1389)

☆新しい章に入る。通常の時空間に属するこれまの段階をすべて「粗(グロス)領域」=応身(おうじん)として一括し、いよいよサトル領域やコーザル領域の記述に入る。





2006年08月30日

アートマン・プロジェクト07(ケンタウロス05)

・◆『アートマン・プロジェクト』第7章(5):
《要約》超言語的、超概念的ケンタウロスこそ、ベルグソンのいう「直観」やフッサールの言う「純粋直観」の本源であろう。ベルグソンやフッサールが、ケンタウロスよりさらに高次の諸領域を見たことを否定しないが、彼らの哲学がケンタウロス特有の志向性、ヴィジョン・イメージ、直接的な知覚把握といったリアリティをもっとも鮮やかに反映していると感じる。

実存的ケンタウロスは単に自我、身体、ペルソナ、影のより高次な統合であるばかりでなく、同時にさらに上位にある微細(サトル)および超個的諸領域への主要な転換点でもある。(P130−134)

☆ベルグソンの哲学が、ケンタウロスレベルに対応するという指摘はよく分かる。しかし、フッサールの「純粋直観」が、そのようなものと対応するという理解は、きわめて刺激的だ。そういう視点からフッサールを読み直して見る必要がある。




再び見出された神04(統合心理学への道)

◆『統合心理学への道』ケン・ウィルバー(春秋社、2004年)
《要約》「ウィルバーのモデルは、自己を包含するかわりに、全否定している」という批判がある。答えは、エゴ(自我)をどう定義するかによる。エゴという言葉によって、固体の心身への専一的な同一化を意味するのなら、確かにエゴは、それ以降の「大いなるアイデンティティ」が出現すれば、そのほとんどは解体される。

そのとき個人の人格の中心は、単一の有機体から「すべて」に転換する。しかし、エゴという言葉によって、それがもっぱら粗大な慣習的世界と感覚運動的リアリティに対処する自己意識の側面を意味するとするなら、もちろんエゴが引き続き存在する。

つまり機能としてのエゴは、高次の成長のなかでも保存される。一方専一的なアイデンティティとしてのエゴは、より広い、より高いアイデンティティのなかでは、解放される。両方とも真実である。(P218-219)

☆このウィルバーの議論には全面的に賛成である。同じことが言語の使用に関しても言えるだろう。覚者は、言語を使う。しかし、機能としての言語は使用しても、言語の枠組み、概念体系への専一的な固着はなされていない。言語という固定的な枠組みから自由に現象に接することができるのである。




2006年08月27日

再び見出された神03(統合心理学への道)

◆『統合心理学への道』ケン・ウィルバー(春秋社、2004年)
《要約》「ウィルバーのモデルは、かたくなに直線的(リニアー)であり、人生の非定型的で、非直線的な局面を無視している」というのは、ウィルバーモデルに対するかなり一般的な批判である。これに対してウィルバーは言う。厳格な意味では、基本構造のみが直線的である。なぜなら、構造が出現する順序において、ある特定の段階をとばしたり、その順序を逆転させることはできないからだ。

どんぐりが樫の木に成長するのは、直線的(リニアー)で、逆転できない(非可逆的な)段階を踏んでいく。同じように人間の心の発達も、ホロン階層的な分化−統合のプロセスを踏んでいく。

しかし、こうした拡大する意識の領域を航行する自己の旅は、まったく直線的でない。自己は、いつもすべての場所にいることができる。自己の発達は、身体、心、魂、スピリットへの自己同一化の発達であるが、にもかかわらずそれは、直線的な階段を登るというよりは、ローラーコースターに乗っているような、混乱したものである。

直線的な基本構造、偏在的な自己システム、不安定であるが漸進的な移行構造の三つの要素を組み込んだものでなければ、東洋と西洋の膨大な、瞑想的な意識の変容状代の例を、充分に組み込むことはできないだろう。(p213-215)