August 2005

August 16, 2005

自由民主党の終末4

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自由民主党、

小泉総裁は、

「ぶっ壊す」と言っていたが、

 

とどのつまり、

 

「俺のいう事をきかねぇ奴らは、ぶっ殺す」ということだろう。

 

自由民主党という政党というのは、不思議な政党で、

様々な法案も、賛成もいれば反対もいる。

それらが、それぞれの方向性で派閥を作っている烏合の集団なのだ。

これらが、まあ裏でどろどろしながらも、

全体の方向性を作っていく。

これまでの手法はそうだ。

 

だから、不思議な集団なのだ。

 

ただ、今回は違う。

小泉総裁に従わなければ

公認しない=党として金をださない

となってしまった。

 

そして、郵政反対派の選挙区には全て対立候補を出すという。

この人間達は、小泉総裁に全面的賛成を誓わされているに違いない。

 

これは、

自由民主党という政党が上位下達の集団に成り下がるということだ。

 

つまり、全ての議員は小泉総裁の思想的支配化になければならないということであろう。

 

この構造は、日本共産党の方式と一つも変わらない。

思想的金太郎飴なのだ。

 

しかも、まったくの素人が多数立候補するらしい。

国会議員というものは、そんなに簡単になれるものなのだ、ということを

思い出させてくれた。

 

まったく、恐ろしい世の中だ。

彼らは、自由民主党の数合わせの、人柱にしかすぎないのにだ。

 

当選したあかつきには、ロボット達は自由に意見することも許されないだろう。

 

さあ、あたらしい形の独裁政党の始まりです。

 

そこをついたらどうなのかと思うよ、民主党諸君。

君らの烏合の集団の方がすこしは、ましだろうから。


August 15, 2005

朝日新聞および、大手新聞社の戦争責任を問う。5

今日、八月十五日、敗戦記念日である。

この時期になると、必ず大東亜戦争を批判する記事を載せる朝日新聞。

 

昨日の「声」の欄には、ついに

「戦争は国民自身にも責任がある」

などといった投書も載せている。

 

私は、あえて聞きたい、

その当時、

世界情勢について、一般臣民が、充分に情報を得られたのか。

また、帝國の中央で何が起こっていたかを充分に知りえたのか。

新聞社は、その情報を正確に報道していたのか。

 

この三点を考えれば、おのずと答えは出てくるだろう。

もちろん、全ての責任が臣民になかったとは言わない。

 

だが、

戦争を美化し、

戦争で死ぬことを国体護持のために必要なことと報じ、

ごく普通の臣民を戦争に駆り立てたのは誰だったのか。

 

やはり、それは新聞社だったのである。

 

肉弾三勇士、

玉砕という全滅の美化、

 

その他、多くの扇動。

 

戦争が終わってみれば、

「あれは、いたしかたなかった。」

「大本営発表だけしか、情報がなく、軍部に統制されていた。」

 

そんな言い訳は、後付の理屈であって、自分達の生き残りのための詭弁でしかありえない。

 

我々国民は、常に新聞に騙されている。

殺されている。

 

朝日新聞社、その他大手新聞社は、

自らを自己批判して、解体することをせず

その体制のまま戦後も生き残っているのである。

 

A級戦犯。

そう、君達も、そのA級戦犯と、共に手をとりあって、儲けてきたのだろう。

朝日新聞社の社員達も、靖国神社に合祀してもらいたまえ。

 

君らには、その資格がじゅうにぶんにある。

 

そして、敗戦から六十年、

君らは変わったか。

 

今年の社説には、自分達の反省は一言もない。

 

君らの紙面を信じ、殺された多くの一般臣民に、

黙祷。


August 13, 2005

三等国家のススメ5

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敗戦記念日が、今年もやってくる。

 

もし、日本が戦争を行なわずにいたら、

現在のような一等国家にはなりえなかったろう。

昭和天皇も、そう言っていたようだ。

 

昭和天皇にとって、国家とはなんだったのか。

という疑問にも突き当たるのだが。

 

もし、昭和11年の2.26事件で、

統制派が追い落とされていれば、日本はその辺の普通の国家になっていたろう。

首謀者 北一輝は、公には国家社会主義を主張していたが、

北の中には、大正時代に培われた、自由主義的国家感、あるいは無政府主義的国家感が同居していたものと思われる。

 

これは、当時の無政府主義者の代表と言っても過言ではない、大杉栄との親交、両者の尊敬具合が、その想定を思わせるのだ。

 

北自身も、帝国主義時代の一等国家を目指すのではなく、

天皇の下、平等なる、温和な国家を目指していたのではないか。

たぶん、天皇の存在はあくまでも飾りであって、その下での体制が重要であったのだろう。

 

つまり、日本という国家が、世界の中でどのような位置に値しても構わなかったのだと想像できる。

 

そう、三等国家を目指していたのである。

 

そこで、思うのは・・・。

三等国家、それでもいいじゃないか・・・。

という発想というものが、現在の日本にはないのだろうか。

 

非礼を承知で私の考える三等国家の定義を書いてみると、

その国家自体に「売り」がない。

その国家の企業を二つ以上知らない。

大体、どこにあるのかわからない。

しかし、生活水準は決して悪いほうではない。

 

上記を考えてみると、

オランダ、(但し、帝国主義全盛時代、猛烈なる植民地からの搾取をしていたが)

スペイン(但し、帝国主義全盛時代、猛烈なる植民地からの搾取をしていたが)

ポルトガル(但し、帝国主義全盛時代、猛烈なる植民地からの搾取をしていたが)

ベルギー

フィンランド

オーストリー

ポーランド

ハンガリー

 

このような、イメージの国が、私の三等国家イメージなのである。

 

彼らは、一等国家を目指しているのだろうか、

たぶん、目指していないだろう。

一等国家の意味と言うもの感じていないだろうから。

 

しかし、日本は、戦後の世界の体制の中で一等国家になってしまった。

一等国家というものは、一度階段を上がると、降りられないものだ。

 

我々が、三等国家であれば、

現在のような、自営業、中小企業の社長が自殺することもなかったろう。

くだらない一部の国家に支配された国連に分担金を払うこともなかったろう。

国連という、戦後体制の悪しき固定化制度に苦しむこともなかったろう。

労働時間も減っていただろう。

全ての価値観が、世界の平均的国家像になっていたはずだ。

人間が、人間として生きる余地があったろう。

 

一等国家でなければならない、という刷り込み、

それが、全てを苦しめている。

 

だから私は敢えて、日本が三等国家であることを望む。


日本航空の社員第一主義4

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そう、あれから20年といわれる、

日航機123便の事故。

犠牲者の方のご冥福をあらためてお祈りいたします。

 

日本航空という会社、

あれから何が変わったのか。

 

本質的には、あのときよりも悪化している。

 

日本航空という会社の社員の賃金が、

他の会社より安いとは聞いたことがない。

 

会社も、労働組合も、社員の雇用と賃金を守るために

整備も、外注化、窓口も、客室乗務員も派遣社員化。

 

派遣社員を送り込む会社も日本航空系なのだから、

上前はねて、その上前も日本航空の利益だ。

派遣社員で、二度おいしいというところか。

 

整備の外注化も、整備で問題があれば、外注先の責任に転嫁できる。

自分達にとって、これほど楽なことはない。

外注先は、明日にでも変えられる。

社員は労働組合に守られて、直ぐ解雇することはできない。

 

しかし、考えてもみたまえ、

労働組合は、自らの賃金を下げてでも、

利用客の安全は日本航空で守らなければならない

その責任は、自分達が全身全霊をかけて行なわなければならない、

という事が主張、実行できなかったのか・・・。

 

君達労働組合は、利用客の安全よりも、

自らの、賃金、雇用、無責任化を守りたかっただけだろう。

 

そのような、会社の御用組合であれば、

労働組合など、存在しなくてかまわない。

 

日本航空とその労働組合が、現在の視点を持ち続ける限り、

123便の悲劇は明日にでもおこるのであろう。

 

そして、それとは関係なく、社員の賃金だけは守られていく。

 

現在の日本の最も利益の上げ方の姿を表わした体質の会社

それが日本航空なのかもしれない。


August 06, 2005

広島の原子爆弾投下に思う5

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1945年(昭和20年)8月6日 朝

広島に原爆が投下された。

これは、人間が、人間を実験材料として行なった、

最大の悪事であり、

その被害にあわれた方々の冥福を祈らずにはいられないのである。

 

ご存知のように、長崎にも同年8月9日原子爆弾が落とされ

8月15日に、日本は、ポツダム条約を受諾することで敗戦を受け入れた。

 

その後、あの悪名高き「東京裁判」が行なわれたのであるが、

日本の戦争指導者には有罪の判決が下されたのであるが、

原子爆弾投下には、有罪の判決は下されなかった。

 

その後、日本は、サンフランシスコ講和条約に締結 1951年(昭和26年)

やっと、占領下の国から、独立国への復帰を認められた。

 

しかし、ここで問題となるのは、

日本および、連合国は「東京裁判」を前提にその後の政治的国家間取引を行なってきた。

 

つまり、彼ら連合国の言葉を借りて、荒っぽく言えば

原子爆弾は、投下して、非戦闘員の命を奪っても有罪にはならないものであり、国際的に合法なる戦闘手段である。」

ということだ。

 

いま、日本は、まがりなりにも公には「東京裁判」を国家的に肯定している。

つまり、原子爆弾を肯定する立場なのだ。

 

いまだ、日本が「東京裁判」の呪縛から解き放たれていないとすれば、

そろそろ、日本が核兵器を持つべき、という勢力が出てきてもおかしくないのだ。

核兵器は誰のもので、どのように使うものか

私は、教えてほしいのだ。


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eric_brea

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