人生という名のトレイルを E.R.T.V.  

Everlasting Road and Trail bring the Value (to my life)

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湖面に暗いオレンジの光が滲み始めた、夜明けの本栖湖。
何度も僕は躊躇しながらも、受付に座るスタッフに、絞り出すような声を掛けた。
日本最高峰のトレイルレースUTMF、2度目の参戦となった今回、僕はリタイアした。
長い大会参加人生の中で、ケガでも関門でもなく、充分過ぎる時間を残しながら、ただ自らの判断でレースを下りたのはこれが初めてだ。

2018年4月27日(金)〜29日(日)
ULTRA-TRAIL Mt.FUJI
ウルトラトレイル・マウントフジ
168km 8,000mD+
15:00スタート

結果:DNF
   65K A3本栖湖で自己申告リタイア

僕はなぜUTMFで負けたのか?

早朝、ハイエースでゴール会場に移送された。
絶望的な気持ちで、ゴール会場の芝生に座り込んだ。
スタートから2日目の夜を寝ずに明かしながら、致命的な失敗に関し、その要因を思い巡らせた。
そのうち、この屈辱的な結末は、起こるべくして起こったことに思い当たる。
次々と両手を突き上げ絶叫しながらゴールテープを切る選手。
号泣しスタッフに抱きかかえられる選手。
そんな人たちの姿を見ながら、僕の心の中に、自分に足りなかったこと、劣っていたことが泡のように浮かんでくるのを感じていた。

敗因は胃(明らかに意思を持つ胃)

僕が今回のUTMFで僅か65kしか走れなかったのは、補給の失敗。
つまりあらゆる補給の取り込み口である胃が、完全にその機能を失い、外部からの物の取り込みを病的なまでにシャットアウトしたからだ。
まさかの「水」までも!
胃の不具合は前から認識していたが、今回ここまでひどい状態に陥ることは完全に想定外だった。

胃が機能しなければ、エネルギーはおろか水分を取り込めない。
普段のジョグですら、水を飲み、物を食べながら走るのに、一切何ら補給ができないまま、これからあと100k以上、標高1000m以上の山々の縦走ができるわけがない。
体が停止するのは時間の問題。
まだかろうじて足が微々たる動きを残しているが、万が一エイドとエイドの間で体が完全に動きを止めてしまったら、どうやって山を下りるのか?
どうやって生きて帰るのか?
ケガをして山中に取り残された、ハセツネのあの恐怖が蘇る。
余りある制限時間を残しながら、リタイアを決めたのはそんな経緯だ。

序盤、A1富士宮手前の鉄塔下直線で、まず異様な発汗があった。
真夏のランニングのようだと思った。
キャップのツバから汗の線が絶え間なく伸びている。
やや脱水状態に近いのか、と不安を感じつつ、多めに水を飲む。

A1を過ぎ、天子山塊の登りで、夜を迎え、ライトをつける。
ある瞬間、突然胃が異音を発し始めた。
空腹時の「ぐぅ〜」と似ているが、少し違った、もっと長く続く響くような音。
スタート前に胃薬、A1富士宮エイドでドリンク状の胃薬を飲んでいた。
後で気づいたがH2ブロッカーであるガスター10はまだ飲んでいなかったのだ。

天子山塊の中、苦しい天狗の登りだったか毛無の登りだったか、最初の嘔吐が襲ってくる。
それでもまだ必死に補給しようと、水を飲み、ジェルを吸った。
チョコを口に入れ、飴を舐めた。
耐えられなくて、道端に座り込む。
登りなので、振り返って選手と向き合って座る角度がちょうど良いのだ。

A2麓エイド、もちろん富士宮焼きそばは食べられない。
選手の座るベンチを囲むように柵が立ち、そこからたくさんのギャラリーが見守っている。
咄嗟に吐ける場所を目で探している。
40分ほど何もせずに、座り続け、やることがなくなって再びコースに出た。

子供の頃、よく車酔いを起こしていた僕。
大人になって、酒を飲み過ぎていた僕。
嘔吐の歴史は長いが、どんな嘔吐とも違う。
自分の胃が暴力的な動きを見せ、胃の門から入ろうとする異物を押し戻す。
胃が自ら形を変えてつぶれ、それが波のように上へしごき出すように動き、胃の中の異物を押し出そうとしてくる。
胃が敵だと思った。
胃が自ら意志を持つ、別の人類か生物のように感じ、僕は恐ろしくなった。
飴を舐めれば、十数分後、飴の甘い液体が押し出されてくる。
そして水、飲んだ分だけ数分後に戻ってくる。
飲んだ量を口の中で測ってみるが、ちょうど同じ量が機械のように戻されてくるのだ。
思い出したように飲んだガスター10、しかしすべては遅い。
そのH2ブロッカーの錠剤がザリザリの粒状になって喉から押し出され、口の中が薬の苦みでいっぱいになったとき、僕は本当に「もう終わりだ」と思った。

胃を治そうとする胃薬自体が、胃の中に入れてくれないまさにシャットアウト状態で、この後どんな対策をすればよいのか。
全ての手は封じ込められた。

そして最後の断末魔のような響きが襲ってくる。
吐こうとしても何も出すものがない、いわゆるえづきの状態が、断片的ではなくずっと続くようになった。
えづいている状態が、平常時よりも多い状態、その状態で歩いている。
選手に追い越されるとき、ひどく恥かしい。
痙攣するように、頭が上下に振られる。
天子登りで聞いていた胃の異音そっくりの音が、今度は自分の喉元と口で響いている。
その態勢のまま、まさか走ることはできず、道端にうずくまる。
「Are you OK?」
外国人に声を掛けられる。
そのえづきは、胃が狂ったように
「だから、何も入れるなと言ってるだろ」
と攻撃してくるように感じた。
何も入れないから、頼むから胃よ怒らないでくれ。お願いだ・・・。

胃が空の状態が長くなり、いつしかえづきが収まるようになった。
しかしその後が本当の地獄だったかもしれない。

竜ヶ岳の九十九折りの下り、何度もスイッチバック。
折り返しのところで何度もしゃがみこむ、うずくまる。
夢を見て、ガバッと突然起き、またうずくまる、その繰り返し。
2013年にここでスィーパーをさせてもらったとき、まさにこの竜ヶ岳を走ったのだが、
こんなにきつい山だったか。
山頂から見える、闇の中にそびえる巨大な黒い富士と、その足元リング状に広がる街のネオンを覚えている。
こんなにきついコースだったか。
そのスイッチバックと、本栖湖畔のロード。
補給がないためか、体の動きが固まるように止まってきた。
脳が機能を遅めてきた。
生物として動ける、最後の時がやってきたようだ。
UTMFなどロングの大会に参加してきた経験から、単純な睡眠不足による眠さと、脳に栄養がない低糖状態が、何となく区別できるようになってきた。
低糖の場合、何の前触れ無くふっと意識が遮断される瞬間がある。
足取りが覚束なく、全く無意識にロードの真ん中を蛇行している。
突然頭が落ちて両手をアスファルトに着く。
後ろから抜いていく選手の声が、もはや何を言っているのかわからない。
気味悪がって、大回りで僕を避けていく女性選手もいる。
脳が現実にしがみつこうとする余り、目から入った情報を必死に構築し、勝手な映像に組み替え、様々な幻覚として僕に見せてくれる。
本栖湖畔にあるドラゴンの形の銅像の足元に座ろうとして(もちろん幻覚だ)、僕はガードレールの突端に肘をぶつけた。
「エイドまであと少し」という声を聞き、前方に道の駅にあるような茶色いお城を見掛け、入口に手を伸ばしたが、突然軽自動車に姿が変わり、驚いたりした。

徐々に明るくなってきた湖畔、おそらくA3本栖湖エイドと思われる建物の光が見え、僕はリタイアを決めた。
何度も自分に言い聞かせ、
「これは俺が自分で納得してのリタイアで良いんだな」
「あそこでもっと粘れば良かったという後悔は無いんだな」
と、おそらく200回は声に出して呟いていた。
そして、本栖湖のスタッフに自らリタイアを告げ、帰還の段取りを聞くうちにどうしても涙があふれるので、顔を隠して壁の方を向く。
夜明けを迎えつつある時間、紫色のしっとりした空気が、ゆっくりと夜気に滲んで艶やかに光り始めていた。

加齢、近づくラン人生の終わり

もう一つの要因は、加齢に伴う走力・体力の低下。
そして練習不足。
しかしこれについては、リタイアの直接の原因とは言わない。
もし胃の不調がなければ、リタイアをせずに這ってでも進み続け、制限時間ギリギリでもゴールできただろう。

走り続けるうちにいわゆる「ランナーズハイ」となり、遅くてもそのまま距離だけは稼ぐことができたかもしれない。
決して自分では「ハイ」状態とは思えないが、自分のマイナス意識を極力押しとどめ、無意識な機械となって足と手を動かし続けることを学んでいる。
山と山の間をたゆたう霧のように、明らかに進み続けていくことはできたはずなのだ。
リタイアの直接の要因とは言わない。

とは言え、具体的にどれぐらい走力と練習量が落ちていたのか。

僕は2015年9月のUTMFで40時間2分で完走している。
決して速い記録ではないが、それでも完走者ベースで全体のちょうど真ん中あたりの着順だ。
この時は大雨、および荒天によるコース変更が結果的にもたらした序盤大渋滞のため、関門アウトが続出した年だ。
完走率は40%程度。
さらに僕は、この時コースロストをしていた。
ロスト集団に無意識についていってしまった。
正規ルートに戻るまで、おそらく30分以上は時間を失ったはずだ。
それでも40時間で完走した。
最後の河口湖大橋は、40時間を切ってやるという意識で、キロ5分くらいで走っていたと思う。
その時、僕は45歳。
サブスリーで走っていた頃から2年ほどしか経っていない。

大会直前6ヶ月の走行距離を今回と比較してみる。

2015年9月25日 第4回UTMF
・3月 590k
・4月 504k
・5月 573k
・6月 525k
・7月 530k
・8月 612k
・9月 313k(前日まで)

2018年4月27日 第6回UTMF
・10月 500k
・11月 403k
・12月 362k
・1月 503k
・2月 500k
・3月 507k
・4月 328k(前日まで)

また、大会3ヵ月前からの42k以上のロング練習を挙げてみると、

2015年9月25日 第4回UTMF
・6/27 近江神宮から大文字 47k
・7/4 八丁平から大悲山 56k
・8/11 敦賀から霊仙山 98k
・8/22 ダイトレ 42k
・8/29 皆子山から峰床山 65k
・9/5 京都一周 82k

2018年4月27日 第6回UTMF
・2/3 西山トレイル 46k
・2/10 高槻市ロード 45k
・4/7 北山トレイル 45k
・4/14 京都一周 79k

比べると愕然としてしまうくらい、大きな差がある。

今回2018年は、意を決して長居に行くことを決めた。
合計で8週間、長居ウィンドでペース走を行った。
4分15秒のサブスリーグループで20k、最後の5kは4分近くまで上げる。
スタート当初から4分グループに入った週もあったが、その時は途中脱落してしまい、結局4分15秒までダウンさせて継続した。
2013年にサブスリーを達成した時は、スタートから20kすべて4分で走り切り、しかも最後はビルドアップしていたので、今回、走力の落ち込みを痛感したものだ。

結果的に、ペース走よりもロングトレイルの本数の方が重要だったということだ。
青ちゃんとも話したが、ロングトレイルで好成績を収めるための対策は、ロングトレイルを走るしかない。
ロングトレイルを走り込んだ上で、あくまで補完としてペース走やビルドアップ走があるのだ。
本番を想定したトレイルの場数を踏まずに、ペース走だけで自己満足していては、今回の結果は当然だ。
もちろんペース走が間違った練習法と言っているわけではない。
ご存知の方も多いだろうが、長居のペース走は、驚くべきプラスの効果をもたらす。
僕の過去2回のサブスリーは、100%長居の成果だったと断言できる。
長居での8週間のペース走がなかったら、今回のUTMFでは65kよりもっと早くリタイアしていたかもしれない。

走行距離も、ポイント練習となるイベント参加も格段に減り、また走る楽しみや達成感も加齢とともに薄らいできた気がする。
自己の記録として利用していたブログも、全く更新しなくなった。
走るモチベーションが無くなってきたのだ。
いまでは自分より、娘の大会参加が何よりの楽しみとなっている。

ロングトレイルを走り続けるために

目標として、誰もがUTMFのリベンジを設定すべきと言うだろう。
しかし現時点で、僕はUTMFを走る自信がない。
竜ヶ岳でのあの苦しみに耐えられない。
あの地獄を試しに思い出してみると、恐怖のための反射として、指先が腫れてくる感覚がある。

今の僕の目標は「目標はUTMFリベンジです」と言うことだけである。
その目標達成のためには、まだまだ遥かな道程が残っているようである。

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https://www.youtube.com/watch?v=AgdujOqWOEI
2017年11月25日(土)
第1回京都京北トレイルランニング大会
10:00スタート
SHORT 18km

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結果:完走
記録:3時間20分49秒
順位:101位(完走182人中)
女子順位:14位(完走48人中)
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結果:完走
記録:3時間21分00秒
順位:102位(完走182人中)

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2017年9月10日(日)
第7回白馬国際トレイルラン2017
7:00スタート
51.02km

結果:完走
記録:6時間39分54秒
順位:109位(男子総合 完走584人中)

50kというミドルコースにして、超がつく高速コース。
レース中何度も4分というハイスピードに達し、何度も手の指に痺れが走った。

昨年のリザルトで「完走ベース順位10%切り」は、6時間40分というタイムだった。
ちょうどキロ8分ペース。
それを目標にして今回臨んだら、まさに6秒前ゴールという神がかりの結果に。
昨年とは逆回りなので、単純比較はできないとは言え、目標達成は大きな達成感だった。
僕にはこのくらいの中距離が、ちょうど良いのかもわからんね・・・

しかし、同じタイムでもかなり順位落ちるんだね。
全体のレベルアップか。

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加齢による衰えに抗えず、総力気力練習量が初めて下降トレンド局面を迎えました。
いつかはこんな日が来ると思っていたが、実際に目の当たりにすると、愕然とします。

今後どうなるのか、
人生という名のトレイルは。

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2016年10月9日(日)〜10日(祝)
第24回日本山岳耐久レース
(24時間以内)長谷川恒男CUP
13:00スタート
71.5km

結果:完走
記録:15時間07分29秒
順位:585位(男子総合 出走2453人中/完走率78.4%)

日本山岳耐久レース(ハセツネ)に出ます。

この日が来るのを待っていた。

しかし、気持ちとは裏腹に、あまり自信はないです。
ケガとかあって、ほとんど練習できてません。
完走さえできれば良い。
笑って無事に、家族のもとに帰れたら良い。

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金沢は昔サッカー見に行ったのと、ボードの帰りに寄ったことがある。
新幹線通ってからは初めて。
2日間、早朝だけだけど、しっかり走ろう。
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緑に覆われた美しい公園、昔ながらの町並み、近代的な駅ビル。
素敵な街ですね。

金沢城近くの宿からスタート、1日目の朝は日本海を目指す。
駅を越え、北西方面、海岸線に垂直に伸びる幹線道路をひた走る。
6〜7k走ると、海岸に沿う工場街の丁字路にぶつかった。
あまり時間も無いのでね、ここからUターンしようか。
再び都心に戻る。
そのまま香林坊を越え、片町の若者が集まりそうな繁華街に至る。
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2日目は逆に山の方へ。
昔家族で泊った山沿いの温泉宿はどこだったけな?
行ってみようかな。
「湯涌温泉」の道標がある、これか、かなりの距離がある。
ここまで行くのは無理だけど、時間的に行ける所まで行って戻ろう。

山手に向かう尾根のような形状の県道を南東方面に進む。
視界両側に、金沢郊外の閑静な住宅や森林が続く。
北陸大学などを越え、はちみつの工場がある大きな交差点でUターン。

知らない街を、足の向くまま気の向くまま、景色を楽しみながらゆったり走ることは至高の幸福です。

2日間の合計走行距離31k。

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大津市二本松10-15
電話 077-522-7718
営業 11:00〜15:00 18:00〜22:00 火水休

月に1回、近江神宮の佐藤宮司のお話を聞きます。
ここのレストランの食材のように、傷ついた身体と心に、じわりと沁み込んできます。

ハセツネに出ることを辞めようと決めていたけど、やっぱり、
出なくてはいけないと思う。

仙台市泉区松森陣ケ原23-10
電話 022-776-7228
営業 11:00〜15:00 17:00〜20:30 火金休KIMG7479
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肋骨の痛みは次第にひいてきたけど、前から微妙に気になっていた足底筋の痛みが、だんだんとレベルを上げてきた。
痛みがあると、走ることに対するモチベーションのすべてがダウンしてしまうね。

盆はたくさんビール飲んだ。
飲み過ぎて体調が悪くなるほど飲んだ。

ここはとても美味しい中華料理。
仙台名物マーボ焼きそばは無いけど、マーボラーメンだ。

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2016年7月2日(土)
第6回美ヶ原トレイル&ウォークinながわ
80km 4665mD+
午前4:00スタート

結果:完走
記録:13時間54分58秒
順位:232位(完走463人中/完走率66.8%)

舐めてたわけではなかったが、想像を絶する、思い出したくもない苦行の道でした。
美ヶ原、霧ヶ峰。
走っても走っても、距離が進まない絶望の果ての夢心地。
胃から透明な液を吐き続けるために、もはやエネルギーは枯渇し、ただ這うしかない。

走ることに嫌気がさしました。
ここの景色が素晴らしかっただけに、自分への情けなさが倍増し、感動も何もありませんでした。

帰宅後、しばらく走りことから遠ざかりました。
気まぐれに近所の山にハイキングに行ったところ、下山で足を滑らせ、少しばかりの高さから落ちた。
肋骨の不全骨折で、結局この7月の月走距離は295k。

2012年の4月から月走500kを始めました。
当初は400kにとどまった月もあったが、2013年1月から2016年6月までの30ヵ月2年半は、休むことなく完全500kコンプリートを継続中でした。


終わるときは、こうもあっけなく、終わっていくものなんだね。

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