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「右翼の戦争展」こと「もうひとつの戦争展」を取材。民族派に「日本人とはなにか」と聞く。(後半)

 

「もうひとつの戦争展」の会場の様子。
「もうひとつの戦争展」の会場の様子。

 

●「アイヌの国の右翼(*3)」日本の右翼に、根掘り葉掘り聞く。    

「民族派」であることを自覚しておられる福眞さんに興味が出たので、いろいろとお話をお聞きしました。    

Q:「日本人」とはなんですか? 「日本人」は、なにが基準で成立していると思いますか?
A:実は、1年くらい前に、インターネットで仲間が集まって、そのようなことを議論したことがありました。
ある人がこうじゃないかと定義すると、ほかのひとがそれをひっくりかえしてしまいます。
もちろん、悪気があってではなくて、議論を発展させるためにやるのですが、
結局「なにが日本人なのか、わかんないね」ということがありました。
もうちょっと勉強している人達だと定義があるかもしれないわけですが、私達は素人ですから、よくわかりませんでした。    

(なんと「民族派・保守・右翼」の方にも「日本人」というものがなにかは、わからないそうです。
「わからない」ということを話せるという点に、むしろ興味がでて、いろいろと質問をしてしまいました)    

Q:会場のパネルをみていると「創世神話」「十七条憲法と聖徳太子」「白村江の戦いと元寇」「明治以後の維新や事件や戦争」がメインであると思います。
明治以後が大きいのはわかりますが、それ以前の話が「神話と外国との戦争」しかないのは、偏っていませんか?
A:展示できるパネルの数に限りがありますので、偏りはあると思います。    

Q:外国との衝突の際に「日本人」が意識される、明治のような近代国家の成立のときに強く意識される、というのはわかりますが、たとえば「日本人とはなにか」と考えるにあたり、江戸時代や平安時代のような「平和が続いて文化の日本化が深化した時代」に注目するということは、ないのでしょうか?
アイヌの場合でも、アイヌ民族とは何か、という話をする際に、歴史や先祖の話ではなくて「和人との違い」がトピックになってきがちで「ちゃんと話ができない」感じがあります。    

A:えっと(かなり考えて)…白村江の戦い当時は、まだ「日本」という国号がありませんでしたが、初めて外国に対して敗戦したわけです。
敗戦をして、天智天皇や天武天皇が日本の制度について整備をします。
そのときに「日本民族」という概念が出てきたのかな、と考えます。
ですが、その当時には大量の帰化人達が日本にはいってくるわけです。
その人たちは、はたして「日本人」なのだろうか? もちろん長い時間の中で、同化していくわけですが、
そのようななかで、天皇をお慕いする人たちが日本人である、というものが形成されてきたのではないか、とかん考えます。
循環論法やトートロジーのようになっていますが、そのような言い方しかないかもしれません。    

Q:やはり天皇が中心なのでしょうか?
A:十七条憲法を制定したのは聖徳太子ですが、天皇が中心の国が成立するのは、鎌倉時代からではないでしょうか?    

Q:天皇が中心となるのは、鎌倉時代なのでしょうか?
左翼の人も鎌倉時代が契機で天皇が中心の国家になった、ということを話していましたが、この時代にはなにかがあったのでしょうか?
印象としては、古代から平安時代までが、天皇が実際に戦争をしたり政治をしたりしていて、話題の中心にいて、鎌倉時代以降は武士の時代になって「お飾り」になったという印象があります。
A:やはり外国との衝突を経緯として考える、ということはあると思います。
鎌倉時代には元寇のときに、天皇をが中心になってお祈りをするということがあります。
日本という国をまとめるためには、天皇をシンボルとして必要とする、ということがおきてきたのではないかと思います。    

Q:「日本文化」としては、室町から江戸にかけての文化が、一番親しみがあるのではないでしょうか?
A:うーん。(かなり考えて)…自分としては、室町時代のことも書こうと提案していたのですが、パネルの数に限りがあって書けませんでした。
武士の世の中になっても、形式としては天皇が頂点にいる形になっていました。
いまでも総理大臣が一年に一回位変わってしまっても、天皇がどーんの頂点にいるから、日本は大丈夫だ、ということがあるのではないか、と思います。    

Q:自分としては、外国人との衝突によって自民族はなにか、ということを考えるよりも、自民族が平和に発展していた時代に、なにを考えていたか、ということを注目することは大切ではないかと思いますが。
A:それはやっている人がいると思います。今回の展示では重要視はされていませんが。    

Q:明治期以降の「日本人」、たとえば坂本竜馬の手紙の中の「日本を洗濯いたしたく候」という言葉の「日本」は、いまの「日本」と同じだと思いますが、それ以前の時代の「日本」というのは意味が違う気がします。
たとえば、江戸時代の農民は「日本」を語らない気がします。明治以降教育されて、語るようになったのではないでしょうか?
それについてはどうお考えですか?
A:鎌倉時代以降は、話が通じるのではないかと、印象ですが、思っています。
平安時代は、どうしても貴族の話しか記録されていないので、一般民衆のことはわからないので、議論できない気がします。
江戸自体は、藩ごとに違う国だったのですが、それが国としてまとまっていたのは、幕府の上に天皇が頂点にいたからではないかなと思います。    

Q:パネルには日本の創世神話のことも書かれていますが、この神話世界を「民族派」の人たちは親しみをもって理解しているのでしょうか?
A:創世神話を歴史的な事実として理解している人はいないと思います。
ですが、直感的にというか、日本人というのはこのような宇宙観である、という理解をしています。
たとえば神武天皇などは、神話であって歴史的な人物ではないと人もいます。私もそうです。    

Q:いま「民族派」として自覚する人たちが、なにかを考える場合、判断の根拠とするのは、神話ですか歴史ですか?
A:それは歴史でしょう。
神話は、この事実が、いったい何を述べているのかがわからない、ということがおおいです。
たとえば、イザナギノミコトが、黄泉の国に行くという話しは、何を意味しているのかがかわりません。
お話としては理解きますが、桃を投げたりタケノコを投げたりすることが、どういうことを意味しているのかがわかりません。    

Q:神話や言い伝えは、判断の基準としては使用しませんか?
A:神話のことは意識の片隅にありますが、その後の時代に、日本人がどうとう歴史をたどってきたか、ということに興味があります。    

(ここで気がついたのですが、アイヌの場合、ユカラと呼ばれる神話や物語が、色々な筋の話が、かなり沢山伝えられています。ですが日本の場合、風土記や日本書紀での編纂によって、話の系統が「現在の天皇」を中心何して話しにまとめられていて、統一されてしまって数が少なく、アイヌとは神話や昔話の状態が違う、ということに気がつきました)    

Q:たとえば日本の中世の知識階級の部族集団である武士の場合、源頼朝はこのような出来事にこう対応した、ということを話しに引用して議論したようですが、右翼の人達はそのような「基準となる物語」はありますか?
A:三島由紀夫さんは、いまで話題になるようです。11月には三島さんの供養に集まって、決起したときの檄文をみて、意識を新たにする、ということをしている人たちもいますね。    

Q:先祖供養はしますか?
A:???(かなり戸惑って)それはどういう意味でしょうか?    

Q:今の自分があるのは、同じくナントカ民族であった親、祖父母、曾祖父母があって、さらにその先祖がいて、いまの自分があるわけですよね?
もちろん、自分の場合のように、そのナントカ民族が両親で違う場合もあるわけですが、そういう人たちを思い起こして、いまナントカ民族である自分を確認する、ということはしますか?
A:先祖供養は人並みにしますが、それほど強い意識があるわけではありませんね。
民族としての意識をあらためるために先祖供養をするのかどうかは、よくわかりませんね。    

Q:たとえば自分の先祖が、いまの自分をみた場合、どう思うだろうか、ということは考えますか?
A:ああ、それは考えますね。    

Q:その場合の「先祖」というのは、いつごろの人たちでしょうか? 戦時中ですか? 江戸時代とかでしょうか?
A:うーん(かなりの時間考えて)…ちょっとわからないですね。
小さいときから、先祖を大切にと言われてきましたが、具体的に意識したことはありませんね。    

(実は、在日朝鮮人の人達や、ほかの先住民族の人達と話をしていると、この「先祖供養で再認識」の話は、かなり盛り上がりますので、右翼の人は民族というよりは国民なのかな、という印象が強くなりました)
福眞さんは、この展示パネルの監修をしている方との事で、パネルのないようについても詳しく知識もあり、とても話しやすかったです。
在特会でアジっている人たちとは、ずいぶん違う印象でした(在特会の人ではないのだから当たり前ですが)。    

自分のように「先祖や○○民族とは何か」ということを、日常的に意識しまくっている人も、アイヌの中では少ないと思うし、
日本人のなかではもっと少ないと思うので、わからないことをわからないと言っていただけるのは、とても良い傾向だと思いました。    

福眞さん的には、かなり「想定していない質問」が多数でていたようで、返答にずいぶん困っておられましたが、誠意を持って答えていただけたと思います。
在特会の人たちも、このパネルを見て「日本人とはなにか」ということを、もっと勉強したほうがいいのでは、などとおせっかいなことを考えてしまいました。    

 
 

 

「もうひとつの戦争展」の会場の様子。
「もうひとつの戦争展」の会場の様子。

 

    

●パネル展示について    

64枚のパネルのうち…    

日本創世神話について7枚
聖徳太子と十七条憲法について13枚
白村江の戦いと元寇について6枚
明治維新と日清・日露戦争について13枚
日本の朝鮮半島支配・朝鮮半島の歴史について18枚
皇室・日本の祝日について7枚    

という構成になっています。
全体的に、パネルのできはとてもよく、素人仕事とは思えない良い仕上がりになっています。
ところどころ、紙を張って文字を変えてあるものがありますが、会期にまにあわなかったのでしょうか。    

内容としては、明治維新~日清日露の時代と、朝鮮半島との関係が31枚、
白村江の戦いも朝鮮半島との関係とカウントすると、34枚が、日本の近代化と朝鮮半島についてのパネルになっています。
明治期は近代国家日本ができる過程ですから、パネルが多くなるのは当たり前ですが、
「日本人」というものは、それ以前から続いている、ということになっているので(*4)
それ以前の「日本人」についての解説パネルがもっとあるのではないかと、筆者は期待していたのですが、
残念ながら、ほとんどなく、トピックとなるのは「外国との戦争の話」のみでした。
もちろん「シャクシャイン戦争」などの、異民族であるアイヌとの戦い(*5)も一枚もありません。    

私は「日本文化」といった場合、その多くは皇室文化ではなくて、平安時代~江戸時代にかけて成立したものではないか、という印象をもっています。
宗教や文化や産業などが「もっとも日本化(和風化)した時代」なのではないかと思います。
このような部分についての解説がないことは「右翼と話をしていても、日本文化や先祖を大切にしていない気がする」という、筆者の印象につながってきています。
もっとも、この部分が薄いという点については、パネル作成に関わった福眞さんも自覚していました。    

ほかには「聖徳太子の時代の日本には民主主義があった(重要なものごとはみなで話し合いなさい、という条文が根拠)」や
「元寇に対して暴風雨と天皇の祈りによって勝利した」や、
「伊藤博文は安重根の銃弾によって絶命したわけではないという説もある」という解説などが
「そんなところにこだわるのかー!」という感じで、印象的でした。    

「祈りに効果を見出す」というあたりに、最近流行のスピリチュアルなことに興味のある(そして先住民族を幻視しがちな)人たちと、似ていたりするのか、ということが気にかかりました。
スピリチュアルな人たちは、無条件で肯定されることを欲望したり、似たような人たちだけで集まりたがる、という特徴がある気がします。    

私は、具体的な対象の決まっている(誰に祈っているのかが明確な)先祖供養や伝統儀式と、抽象的で消費物のような扱いをされている「祈り(スピリチュアルな商品やサービスや妄想)」とは、明確に別のものだと思います。
もっとも、天皇が執り行う祭事は、祈りの対象は明確化していると思うので、立派に伝統儀式で「政治」ではないかと思いますが。(筆者はアイヌの伝統的な儀式も「ご利益のあるまじない」ではなくて「政治」であると理解しています)
それが一般化(消費)される過程で、なにか「勝手なもの(シャーマニズムとかなんとか)」が入り込むのでは、という印象があります。(*6)
 
   

「もうひとつの戦争展」のチラシと、展覧会の開始を伝える中日新聞の記事。
「もうひとつの戦争展」のチラシと、展覧会の開始を伝える中日新聞の記事。

 

    

●日本人はいつから『日本人』で、アイヌはいつから『日本人』なのか

私の答えは『明治時代に入って以後』です。
その際、アイヌの場合は『うまく日本人になれなかったし、もともと日本人ではない』と理解しています。    

アイヌが「日本人」となってしまうのは、具体的には日露和親条約(1855年・安政元年)の際に、北海道や樺太や千島列島には、日本人は定住していないでしょ? という指摘をするロシア側に対して「アイヌも日本人だ」というハッタリをかまして、アイヌの居住する地域も、全部日本領にしてしまおう、という国家戦略が原因です。
そして、蝦夷という表記では日本人ではないとバレるので「土人」にして(その当時は差別語ではなかったが、アイヌに「だけ」使用して以後は微妙となった?)、言語も習慣も違うと困るので、ドロナワ式に習俗和風化を強要して逃散された、という歴史的経緯があるのですが、もちろんそのようなことは、展示パネルには、まったく書かれていない、というか、アイヌのアの字も登場していませんでした。    

明治以後、アイヌは和人化するために、日露戦争でがんばったり(*7)、白瀬中尉を犬ぞりで南極につれていってあげたり(*8)、生き埋めにされそうにならながらも、戦争末期の危険な突貫工事を担ったり(*9)、いろいろとがんばります。
そのような「がんばり」が必要だったのは、自ら日本人になりたかったというよりは、もともと住んでいた土地が日本になってしまって、当人の意思とは関係なく日本人になったものの、それ以前から続いていた差別がまったく解消されていなかった、ということが大きいと思います。
差別が解消されていなかった背景には、日本政府は、もともと異民族であるアイヌを国民化するという「荒業」をやっておきながら、対策としては、ドロナワ式の対処療法以外、ほとんど何もしていなかった、ということもあると思います(だから「先住民族」なのです)。
また、誰が差別していたのかというと、それはアイヌの土地に入植した和人であり「日本人」なのです。    

そのようなことも、展示パネルには、一言も書かれていませんでしたが、もっともこれは「左翼の戦争展」でも、一般的に発生している放置現象なので「右翼の戦争展」で取り上げられていないからといって、ことさらに文句を言うのは、場違いというものだと思います。    

実は「民族派」だったら、そのあたりのことは気がついてくれるのでは、とも、ほんの少しは思っていたのですが、そのあたりは左翼の人たちと同じ状態だったようです。
しかしながら、民族派である福眞さんとの対話によって「「民族」という言葉のさしている意味も違うし、そもそも民族自体もまったく違う」ということが認識できたことは、大きな成果であるといえます。    

アイヌ民族であることを強く意識する人たちが「日本の一員」として、生き辛さを感じることなく生活できる日は、まだまだ遠いのかもしれません。(*10)    

今後、「右翼の人たち」が、差別を解消するために「日本人化」に邁進したアイヌのことを愛国者としてクローズアップするだけでなく、実際には巨大な差別があり大変だったのでそうなった、という点も、ちゃんと紹介できるかどうかが、大きな試金石になると思いました。  

アイヌには朝鮮民族のように、主張を代弁したり援護してくれる「本国」がないので、大変です。  

次回は、左翼の人たちの主催する「平和のための戦争展」の報告を行います。    

●「もうひとつの戦争展」の冊子の販売。
展示されているパネルはすべて冊子にされており、誰でも購入することができます。
問い合わせは下記まで。    

466-0021 名古屋市昭和区小坂町2-14-5
TEL 052-741-4853 FAX 052-811-2660
「もうひとつの戦争展」の会 水野淳子    

*1 中小企業センター
愛知県名古屋市中村区名駅4丁目4-38に建っていた貸しホール。
名古屋駅の前と立地条件もよく、利用料も手ごろで人気があったが、2009年にWINCあいち(愛知産業労働センター)に建てかわった。
建てかわって立派なビルになったが、利用料が高くなったと評判である。    

*2 日韓基本条約
正式には「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」で1965年に日本政府と大韓民国(韓国・南朝鮮)政府が結んだ条約。
過去の条約の無効、賠償問題としての支援金などが話し合われたが、竹島領有問題は留保事項となった。
この条約には「大韓民国政府を朝鮮半島に存在する唯一の政府とする」という条項が含まれていた。
日本は条約締結後、独立祝賀金・途上国支援として8億ドルの支援(有償支援・民間への支援含む。韓国政府の当初要求額は21億ドル)を行った。
旧植民地の資産の放棄は、サンフランシスコ講和条約締結の条件だったので、これにしたがって放棄したが、実際には、半島に残してきた日本統治時代の資産53億ドルは、朝鮮半島を占領した連合国によって接収されている。
この条約締結には色々な問題がある。
「過去の条約の無効」にかんして、日本政府は過去にあった条約は有効で、条約締結後無効になった、と考えているが、大韓民国政府は、過去にあった条約はすべて無効である、と考えている。
(韓国政府は当時、日本との間に締結されたとする条約の無効を訴えるべく国王の使者が国際会議に出向いて抗議活動を展開した。→「ハーグ密使事件」)    

*3 「アイヌの国の右翼」
これはEsamanの自称ではない。言葉から一般的に連想されるイメージとは真逆の意味である。(「日本の右翼になったアイヌ」ではない)
前回の記事の掲示板において「アイヌにとっての右翼、日本にとっての左翼」と参加者に称されたので、使用してみた(アイヌの国での右翼、和人の国での左翼の意味か?)。
アイヌ社会(正確には「業界」?)にとって、Esamanはまったくもって「保守勢力」ではないと思うので、アイヌにとっても右翼という言い方も、ビミョーである(反米右翼が保守勢力なのかもビミョーである)。
アイヌの習慣や、お年寄りの話(たとえアイヌでなくとも)は大切にしたいと思っていますが。
なおEsamanは「日本人とはなにか」ということを考えている人たちには、おおいに興味があるが、天皇制や外国との衝突の際の正当性の主張などには、興味がない。    

*4 「日本人というものは、それ以前から続いている、ことになっている」
自分の理解している限りでは、現代のような「日本人」というものは、近代化以降の教育によって成立しいるものだと思います。
それ以前の社会には「日本人」という枠組みは、かない曖昧にしか存在していなかったのではないでしょうか(国民国家の設立)。
そして、近代国家設立の際に、それ以前の社会制度、教育体系や部族社会は破壊され(武士の消滅、農村文化の消滅)、一律に「日本人」としての教育が始まったので、言葉も通じるようになったと思います。
そして、新しく教育によって編み出した「日本国民」に、それ以前の時代の「日本人ではなかった」人々も、ひとしく「日本人」としてつながっている、という教育を施しました。
そのできごとの際に、アイヌもついでに日本人にしてしまったけど、実は全く日本人じゃなかったので、アイヌからすると「先祖とのつながり」を抹消されてしまった。
その出来事が「先住民族アイヌ」を生んだのだと思います。    

参考までに…先住民族の定義
「先住民族は侵略者が来る以前の民族の後継者。不法に奪われた土地を取り戻し、自らの社会制度や文化、言語を将来の世代に伝えようとしている人々」(Martinez-Cobo, 1984)    

*5 異民族であるアイヌとの戦い
アイヌ民族は、もともと日本人(和人)とは言語も習慣の違う異民族である。
北海道が日本領となったのは、明治2年であり、それ以前は「蝦夷地」「蝦夷が島」などと呼称されていた。
北海道とは、アイヌ民族が主に住んでいた土地で、和人は北海道南部のごくかぎられた土地(松前藩)以外には、季節労働者や交易者として一時的に済むだけで、ほとんど居住していなかった(越冬できなかったことも大きい)。
アイヌ民族は「隣人」である和人と交易を行っていたが、時代を追うごとに、対等な交易相手→相手を制限された支配的な交易相手→生産物獲得のために直接使役される存在、と変化していった。
それぞれの変化の節目に、アイヌ民族と和人の間では、三度の大きな戦争が発生している。
(コシャマイン戦争1457年・シャクシャイン戦争1669年・クニシリ・メナシ戦争1789年)   
また、日本の江戸期の「蝦夷(エゾ)」はアイヌ民族のことであるが、それ以前の時代に登場する「蝦夷(エミシ・エゾ)」はアイヌと関係が強いといわれているが、もしそうであるとしたら「征夷大将軍の任命」などにみられるように、異民族(アイヌ?)との戦いは天皇が直接国造りに関与していた太古の時代からの一大国家プロジェクトであったといえる。

*6 スピリチュアルな消費行為

アイヌにたいして「霊的な能力のあるルーツマンでシャーマンである」というような、いい加減なイメージが、執拗に流布されており、「存在の複雑さを理解せずに、好き勝手に消費」される傾向があり、さらには一部のアイヌ自身も「らしくふるまって乗っかっている」現象が発生している。
このような状態の継続が、いつまでたっても、アイヌの抱える問題の、本当の意味での理解が進まない事の原因である可能性もある。
とはいえ、一部の「(自称)アーティスト」の人たちにとっては、そのような幻想の存在が営利に繋がっており、悩ましい話である。    

*7 日露戦争でがんばった
日本国民となっても、それまで続いていた差別は解消されなかったため、当時のアイヌ達の戦略のひとつとして、
自ら進んで兵役を果たして差別解消につなげようという動きがあった。
「アイヌ部隊」の編成の嘆願書を出したりして、日露戦争には63名が出征。新聞記事などでその活躍が報じられた。
なお、この活躍が差別解消にどれだけ効果があったのかは、定かではない。    

*8 白瀬中尉を犬ぞりで南極につれていってあげた
白瀬矗中尉率いる探検隊は、1912年に南緯80度の地点に到達。
しかしながらノルウェーのアムンゼン隊(極北の先住民族の装備と知識を使用し生還)とイギリスのスコット隊(近代的装備中心で帰路遭難)が白瀬隊よりも先に南極点に到達していた。
白瀬隊はカラフトアイヌを同行し犬ぞりを使用していた。
探検隊内部では内紛が発生、帰国後も予定していた支援などが受けられず、白瀬中尉は莫大な借金を抱えた。
また同行したアイヌの隊員も、大切にしていた犬を南極に放置してきたことの道義的な責任を問われて民族裁判にかけられた、という話である。    

*9 生き埋めにされそうになりながらも、戦争末期の危険な突貫工事を担ったり
川村カネト率いるアイヌ測量隊。
アイヌの隊員を中心とした測量隊を率いて、北海道各地、三河~長野を繋ぐ飯田線、朝鮮半島などで測量を行った。
飯田線の工事の際、危険な突貫工事の中「アイヌが監督であること」を理由に、生き埋めにされかかったという。
当時は鉄道人足でも、アイヌと和人とでは賃金が違った。    

*10 アイヌが日本の一員となる…云々
ここでは「民族意識」の話だけに注目している点に注意。
「アイヌの子孫」の中には、民族意識など欠片もなく、ただの日本人として生活している人、そう望む人も多いが、
そのような人たちにも、時々ではあるが「アイヌである」ということによって、差別が発生する場合がある。
その差別には「身体的特徴によるもの(人種差別)」「日本人ではない(アイヌではない)とからかうもの(アイデンティティの否定)」「当人には関係のないことを関連づけるもの(偏見)」などが含まれる。
民族意識を強くもっている人間には、差別があまり「効かない」あるいは「火に油を注ぐ」ことが多いが、差別する側は、弱いものを狙い撃ちにするものである。   

民族意識を強くもっている人であれば、差別には対抗できるし意識強化につながる場合もあるが、そもそもその民族に属しているという意識が弱いか、全くない人であっても、その民族であると見做されることで攻撃をされる、という構造が差別問題を認知し辛くしてしている。そして「見做されないようにふるまう被差別層、場合によって差別対象にならないために自ら差別する被差別層」を形成して、事態はより混乱していく。
これにたいして「もっと誇りを持て」という「マッチョで考えの足りない」発想を、被差別の当事者でない層(なにが起きているのかを認知する力がない)が無神経に言い放つことによって、再差別が発生したり、「意識や気概が足りないから負ける」という方向に問題の摩り替えが行われ、その人のしている差別も含めて、差別が隠ぺいされてゆくことになる。 


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