Chisitomare_Esamanihi

インターネット新聞JANJAN。インディーズ系メーデー中部。アースデイあいち・LOVE&ビンボー作戦本部。
反貧困名古屋。生存組合。などで活動する、Esamanのページです。 Twitter??

Kunne_Imeru=aiこのブログではEsamanインターネット新聞JANJANに掲載した記事を主に転載して保存しています。時々、JANJANの記事ではない情報も掲載されます。

JANJAN各記事のリンク元は記事上のURLです。ただし2009年12月31日以前のJANJANの記事は、2011年5月1日から保存サーバーの移転に伴ってアドレスが変更になっています。(http://www.news.janjan.jp/の部分をhttp://voicejapan2.heteml.jp/janjan/に置き換える)

記事アドレス変更の例:"「麻生さんのおうちを見にいこう」のどかな企画に警察暴力 2008/10/27" の場合
旧アドレス: http://www.news.janjan.jp/living/0810/0810270277/1.php(リンク切れ)
新アドレス: http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0810/0810270277/1.php

アイヌ民族・民族問題

それが人でれ境遇であれ経験であれ「アイヌ」は存在する。

それが人でれ境遇であれ経験であれ「アイヌ」は存在する。
しかし忘れてはならないのは「民族」という概念自体が近代の産物であることだ。
「民族」などという概念が発明・流布されるはるか以前から「アイヌ」は存在した。

同時に忘れてはならないのは「民族」とは、強者が勝手に「観察」することによって強化されたきた側面もあることだ。
現在流布されている「アイヌ」にまつわるメディアイメージ、学術研究のほとんどは、アイヌが求めた・堀り下げたアイヌ像ではない。

これは同様に、メディア上で(ネトウヨ諸氏含む)流布されたり、海外から逆輸入されたり、あるいは「民俗学者」が研究する「日本人像」と現実の日本人像との距離感が、
アイヌのそれと、はたしてどれほど違うか、という意味である。
日本のメディア上の「日本人像」も虚像である。
しかしその虚像には、かなりの部分、日本人が形成したものも含まれるが、
アイヌの場合はアイヌが形成に関与しているとは言いにくい。

アイヌも、日本人同様に自分達のメディアで「アイヌ像」を形成する権利や必要性が(たとえ虚像であったとしても)、あるのかもしれない。
しかし、私がここで話題にしたいのは、その部分とは異なる。

かつて、アイヌを「民族」と呼称することに違和感を覚えるアイヌが複数居たことを、私は覚えている。
私は、それをもって「アイヌは民族ではない」ことの証拠だといいたいのではない。
それは日本「民族」と、改めて主張することに違和感を覚える「日本人」を探すのは、さほど難しくないのと、同様の現象ともいえるだろうか?

かつてアイヌの多くは、学校でも家庭でも、時には血縁集団の中ですら、アイヌは和人の中に同化して消えていくことが正しいとされる世界で生きていた。
アイヌという現実は存在しても、それを「民族と呼んでもよい」ことを、たんに知らなかっただけである、と説明することも出来るのではないだろうか?

しかしながら、アイヌを「民族」と呼称することに違和感を覚えた、アイヌのその感情の中には、
「日本人(この場合より正確には和人とすべきか?)」が、日本人を民族と呼称することに違和感を覚えるそれとは、随分と異なる要素が含まれていたのであろうことは、想像に難くない。

「アイヌ」がいかなる境界と広がりを持ったものであるか、支配者である和人が理解していないのは当然として、アイヌ自身も、十分に分かっているとは言いがたいのが現実である。

もちろん、分かっている人には分かっている。
しかし、その知識や蓄積は「アイヌ」と名指されうる多くの人に、行き渡っているといえるだろうか?

アイヌが「民族」かどうか(あるいは「日本人」が民族かどうか)などは、実のところ、どうでもいい話とも思える。
そもそも曖昧で恣意的な概念である「民族」という概念に、ある集団が適合するかどうかを議論すること自体、成立し得ない。
民族という概念に明確な基準がない以上、どこかの集団が民族かどうかも、決めようがない。

いま必要なのは、アイヌが民族かどうか、などという乱暴な話ではなく、
「アイヌという現象」とは何だったのか、そして、いまどうなのか、ということではないだろうか?

(「アイヌという現象」とは、必要に応じて和人の植民地支配とも換言出来るが、これは説明的でありすぎるし、なにしろ手触りが違う)



無論、ハナから話を聞く気のない相手には、何を話しても無駄なのも確かなのだが。
なにごとも、他者に説明する能力がなければ、説得力も生まれないよなぁ。

アイヌ刺繍教室@Queer+s(名古屋・新栄) #アイヌ #Ainu

Queer+s Ethnic Day 第一弾!
アイヌ刺繍教室@Queer+s (要・申込み)

Queer+s Ethnic Day 第一弾! アイヌ刺繍教室@Queer+s






日時:2013年9月22日(日)13時-17時頃
*会場では11時頃から人がいて、刺繍などをしています。
場所:ダイニングバーQueer+s (栄と新栄の間)052-931-7707
料金:初回2000円(材料費込み) 継続参加1000円
申込み:jn.t75sdaimos(@)gmail.com までメールしてください

セクシュアリティからエスニックマイノリティグループまで、
オールMixダイニングバーQueer+sでは、
9月から、様々な国の文化や料理を体験し理解する企画を展開します。

第一弾は、先住民族であるアイヌ民族!
「日本人でも外国人でもない」立場にあるアイヌの文化に、少しだけ触れてみましょう。

今回は、アイヌ民族の伝統的な刺繍を、ブックカバーに刺繍してみます。
アイヌ民族の伝統的なお茶や、伝統食材を使った料理も(少しだけ)出る予定です。


■LGBTIQA Mix Dining & Bar Queer+s
460-0005
名古屋市中区東桜2-22-14 キングビル1F
TEL&FAX 052-931-7707
http://queer-s.com/
https://twitter.com/Queer_s


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Queer+s Ethnic Day 第一弾! アイヌ刺繍教室@Queer+s (要・申込み)

Queer+s Ethnic Day 第一弾!
アイヌ刺繍教室@Queer+s (要・申込み)

日時:2013年9月8日(日)13時-17時頃
場所:ダイニングバーQueer+s (栄と新栄の間)052-931-7707
料金:2000円(材料費込み)
申込み:jn.t75sdaimos(@)gmail.com までメールしてください
https://www.facebook.com/events/500272550060277/

セクシュアリティからエスニックマイノリティグループまで、
オールMixダイニングバーQueer+sでは、
9月から、様々な国の文化や料理を体験し理解する企画を展開します。
第一弾は、先住民族であるアイヌ民族!
「日本人でも外国人でもない」立場にあるアイヌの文化に、少しだけ触れてみましょう。
今回は、アイヌ民族の伝統的な刺繍を、ブックカバーに刺繍してみます。
アイヌ民族の伝統的なお茶や、伝統食材を使った料理も(少しだけ)出る予定です。 

■LGBTIQA Mix Dining & Bar Queer+s
460-0005名古屋市中区東桜2-22-14 キングビル1F
TEL&FAX 052-931-7707
http://queer-s.com/
https://twitter.com/Queer_s

昨日、東京のコリアタウンでのヘイトスピーチとカウンターの衝突あり、8人逮捕の模様。

昨日、大久保駅(有名なコリアタウンです)周辺で行われた、在特会のヘイトスピーチと、
それに対抗するレイシストしばき隊などによるカウンターアクションとの間でもみ合いがあり、
多数の逮捕者(4人+4人=8人)が出た模様です。
その中には在特会の桜井会長も含まれているそうです。

また、あくまでツイッターなどによる未確認情報ですが、

在特会側は「14人もっていかれた」
カウンター側は「任意同行も含め4人」
在特会の桜井会長が、カウンターアクションに対する被害届けを出しにいったら逮捕された
などの情報もあります。ただし、これは未確認のツイッターによる「噂話」レベルのものです。

【速報】在特会の桜井誠会長 逮捕!(ツイッターなどの「噂話」を集めたもの。現場付近の写真もあります)
http://matome.naver.jp/odai/2137137332704498201

現場には、名古屋の着ぐるみ活動家「だんごむしマヤ」氏も居合わせており、
滞在日程を一日延ばして取材活動中です。
現場にいたらかといって、必ずしも真実がわかるわけではないですが、
映像などを撮っていると思うので、続報を期待して待ちましょう。


■だんごむしマヤ
https://twitter.com/the_96
http://www.youtube.com/user/msa111934

■マスコミ報道
在特会会長らを逮捕 対立団体と互いに暴行の疑い(朝日新聞)

 反韓デモの参加者と、それに反対するグループが互いに暴行をふるったとして、警視庁は16日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)会長の自営業桜井誠
(本名・高田誠)容疑者(41)ら同会の関係者4人と、対立する「レイシストをしばき隊」のメンバー4人の計8人を暴行の疑いで現行犯逮捕し、発表した。
 新宿署によると、16日午後2時ごろ、桜井容疑者らがデモのため東京都新宿区の新宿駅東口に着くと、待ち構えていたしばき隊が取り囲み、もみあいになった。桜
井容疑者が、しばき隊の清義明容疑者(46)につばを吐き、清容疑者も桜井容疑者の眼鏡を手で払いのけた疑いがある。その後も同区でのデモが終わった午後4時
45分ごろまでに、6人が互いに顔を殴るなどの暴行を加えたという。
 桜井容疑者は「つばをかけるつもりはなかった」と供述。他の7人も「やっていない」「正当防衛だ」などと否認、または黙秘しているという。
 在特会は「韓国人は帰れ」などのヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返すデモで知られ、この日は約200人が参加。一方のしばき隊も、在特会に対抗するため約
350人が集まっていた。
http://www.asahi.com/national/update/0617/TKY201306160224.html


「在特会」会長ら8人逮捕=新宿排外デモで暴行容疑-警視庁(時事通信)

 在日韓国・朝鮮人の排斥などを主張するヘイトスピーチ(憎悪表現)デモが行われている東京・新大久保で、デモ隊と対立グループの衝突があり、警視庁新宿署は
16日、暴行容疑で、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」会長の桜井誠こと高田誠容疑者(41)=東京都江戸川区平井=ら男女8人を現行犯逮捕した。
 同署によると、16日はJR新宿、大久保駅周辺で午後3時ごろから「新大久保桜田祭り」と称してデモが行われたが、開始前の同2時ごろから駅周辺で対立するグ
ループ同士の衝突が起きた。逮捕者はデモ隊側が高田容疑者を含む4人、批判グループ側が写真家の久保憲司容疑者(48)=世田谷区宮坂=ら4人。デモをめぐるけ
が人はいなかった。
 高田容疑者の逮捕容疑は同日午後2時すぎ、新宿区新宿の路上で、批判グループの自称会社経営の男(46)=逮捕=の胸倉をつかみ、唾を吐きかけた疑い。高田容
疑者は容疑を否認しているという。(2013/06/17-01:14)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013061700018

アイヌの伝統家屋、その後。野外民族博物館リトルワールド

http://www.janjanblog.com/archives/93962 

アイヌの伝統家屋、その後。野外民族博物館リトルワールド

2010年2月に新築された「ポロチセ」。新築時には萱の黄色をしていたが、風雨にさらされて色合いが渋くなっている。左手の小さいものはトイレ。

2010年2月に新築された「ポロチセ」。新築時には萱の黄色をしていたが、風雨にさらされて色合いが渋くなっている。左手の小さいものはトイレ。

新築後3年のアイヌの伝統家屋チセ。手前に見えるのは熊の檻。熊猟のさいにみつけた小熊を連れて帰り、屋内で育てて、大きくなったら外の檻に移す。檻は家の主人が窓から見える位置にある。

新築後3年のアイヌの伝統家屋チセ。手前に見えるのは熊の檻。熊猟のさいにみつけた小熊を連れて帰り、屋内で育てて、大きくなったら外の檻に移す。檻は家の主人が窓から見える位置にある。

愛知県犬山市にある「野外民族博物館リトルワールド」には、
アイヌ民族の伝統家屋「チセ」が三棟立っています。

この三棟のチセのうち、もっとも大きな「ポロチセ」の建て替えが
2010年2月に行われました。

その当時の様子は、JANJANでの詳細にレポートしています。
(記事を大量に書きすぎて、当時の編集部の人に「文化欄がアイヌの家で埋まってしまう」と苦情を言われた記憶があります)

建て替えから3年が経過したいま、アイヌ民族の伝統家屋はどうなっているでしょうか?
現在の姿をレポートします(2月23日訪問)。

その前に、アイヌ関連の記事を書くのはひさしぶりなので、知らない人も多いでしょうから、
アイヌと和人の歴史について、軽く説明しておきます。

●先住民族アイヌの、おおまかな歴史。
北海道を中心に、千島・樺太。東北の一部に住んでいた先住民族であるアイヌ民族は、
和人(日本国の主流民族。「ヤマト民族」が指す民族概念と多分同じもの)とは
異なる言語、文化、習慣をもつ、異なる民族です。

和人とは(もちろん他の民族とも)交易を通じての交流がありましたが、
江戸中期には交易相手というよりは、日本経済で流通する物産を生産する下層の生産者となっていきます。
和人との間には、交易レートや劣悪な労働環境を起因として三度の戦争がありました。
(コシャマイン戦争1457年、シャシクシャイン戦争1669年、クナシリ・メナシ戦争1789年)
三度の戦争があったものの、アイヌ民族が和人化する、ということは基本的にはありませんでした。

江戸末期にロシア帝国南下を受けて、当時の政権が、
アイヌは日本人でありアイヌの住む土地は日本領だと主張するために、
アイヌ民族の和人化を推進しますが、当時は北海道(蝦夷地)に和人はあまり定住しておらず、
効果は上がりませんでしたが、明治二年の北海道の植民地化(1869)以後、
大量の植民者(開拓者)が移住し、文化や習慣が法的に禁止され、ほとんどのアイヌは生活基盤を失い、
急速に「和人化」していきました。

和人化しても、明治期のアイヌの戸籍には「旧土人」などと記載されており、行政上も区別(差別)が存在しました。
戦後にその記載はなくなったものの、アイヌ民族の子孫らの経済状態は、かなり劣悪な状態が続き、
日本政府は生活格差を解消するために、北海道限定で福祉対策などの事業を行いました。

アイヌ民族としての権利や自覚が見直される中、アイヌ文化振興法が制定(1997)。
2007年の国連での先住民族の権利宣言採択の際には
「アイヌ民族が先住民族かどうかわからない」としていた日本政府も、
翌年2008年には国会でアイヌ民族を先住民族とする決議を行い、
「アイヌが先住民族として存在すること」が認められた次第です。

とはいえ、政府に存在が認められたり、文化振興の法律ができたとしても、
今を生きるアイヌにとって、アイヌ文化が身近であるかどうかは、また別問題であり、
また、多くの日本人(和人)が、いろいろとビミョーな問題も多いアイヌ民族の現在について、
どれだけ理解している人がいるか、という問題も、また別問題です。

新築後3年のアイヌの伝統家屋チセ。手前に見えるのは熊の檻。熊猟のさいにみつけた小熊を連れて帰り、屋内で育てて、大きくなったら外の檻に移す。檻は家の主人が窓から見える位置にある。

新築後3年のアイヌの伝統家屋チセ。手前に見えるのは熊の檻。熊猟のさいにみつけた小熊を連れて帰り、屋内で育てて、大きくなったら外の檻に移す。檻は家の主人が窓から見える位置にある。

チセの解体新築プロセスの書かれた展示パネル。北海道から職人と材料の両方がやってきて現地でくみ上げた。

チセの解体新築プロセスの書かれた展示パネル。北海道から職人と材料の両方がやってきて現地でくみ上げた。

●アイヌ民族の伝統家屋「チセ」新築3年後。

新築後3年たったアイヌの伝統家屋「チセ」のレポートに移ります。
アイヌといっても、親や身内が伝統文化に携わっていたり、地域のアイヌ民族コミュニティとの関係性が維持されている、
ということでもない限り、基本的にはアイヌ文化とは無縁の生活を送っている人が大半だと思います。

筆者は内地(*1)出身なので、もちろんアイヌ文化などにはほとんど接していないわけですが、
意識的に縁のあった年寄りに学びに行ったりしており、多少は詳しいほうですが、
それでも伝統家屋が実際に建てられるのを見るのは初めてでした。

チセは、観光地や資料館などには建っていることがあります。
アイヌ文化振興法もできたので、最近ではその資金を使ってチセを建てることも多くなってきました。
新築時の棟梁、尾崎さんへのインタビューにもあるとおり、
2010年頃はチセの建築ラッシュで、何棟も建てるということもあったそうですが、
尾崎さんが建築技術を学んだ当時(数十年前)は、チセが建てられることは多くは無いので、機会を見つけて手伝いに行って学んだ、ということでした。

リトルワールドで2010年建て直されたチセは、
1983年に萱野茂氏(故人)が監修して建てたもので、
1993年に一度屋根の葺き替えをしたものの、そのままになっていたものです。

2010年の新築時には、全体が綺麗な萱の黄色をしていたものが、外観は灰色っぽく変色しています。
アイヌの伝統家屋の特徴ともいえる、段々になっている屋根の構造は残っています。
建て替えられなかった隣の古いチセと見比べると、この屋根の段が経年劣化でなくなっていく様子がわかります。
アイヌの伝統家屋は、萱を束ねたものでできており、立てて縛ってある壁とは違い、
屋根の部分の萱は引き抜くことができるので、子供が引き抜いて怒られる、ということがよくあったそうです。
チセの北側の日のあたらない部分には、コケが生えており、ところどころ緑色になっている部分もありました。

屋内の萱は、それほど退色しておらず、割と綺麗な黄土色をしていました。
人が住んでいないので、雨漏りしているところもあるようですが、それほど深刻なものでもないようでした。
人が中に住んで煮炊きをしていると、雨漏りも少なくなる、という話も聞きます。

基本的に屋外展示でまどなども開けっ放しなので(窓には簾がついています)、
全体的に埃っぽくなっています。
これは開口部が空いたままになっている、リトルワールドのほかの野外建築にも起きている現象なので、
時々中でなにかをして、掃除するなどしないと、解決できないものかもしれません。

チセの屋根などに飾られているイナウ(*2)も、まだ色も白く綺麗なままでした。
このチセでは、新築時にチセノミ(*3)をして、その際に祭ったイナウも安置場所に無事刺さっています。

チセの内部。正面に見えるのはイナウを安置する場所。大きな2本のイナウが刺さっているのは、このチセで大きな儀式が2回行われたことを意味する。右上に出ている棒は、新築時に厄除けのために屋根に打ち込まれた矢である。

チセの内部。正面に見えるのはイナウを安置する場所。大きな2本のイナウが刺さっているのは、このチセで大きな儀式が2回行われたことを意味する。右上に出ている棒は、新築時に厄除けのために屋根に打ち込まれた矢である。

リトルワールドにはアイヌの伝統家屋が三棟ある。写真には二棟写っており、左手のものが古いチセ。経年劣化で屋根が平たくなっているのがわかる。

リトルワールドにはアイヌの伝統家屋が三棟ある。写真には二棟写っており、左手のものが古いチセ。経年劣化で屋根が平たくなっているのがわかる。

新築後3年経過してもチセ内部はまだ新しい状態で、見る部分もたくさんあると思いますが、
それは筆者がアイヌの伝統文化に興味があるからそう思うだけかもしれません。
このアイヌのチセは、リトルワールドのわりと入り口に近い部分にあるので、通る人は多いようですが、
割と良い状態が維持されていて、民具なども置いてある、チセの中まで訪れる人がすくないようなので、残念です。

また訪問時にリトルワールドでは、トルコのモスクを建設中でした。


●野外民族博物館リトルワールド・トルコイスタンブールの街OPEN
日時:3月16日(金)より公開
(同時期開催「トルコ写真展」「世界の肉料理」は6月30日まで開催)
場所:野外民族博物館リトルワールド(0568-62-5611)


*1 内地
北海道や沖縄で「日本本土」を指す言葉。割と若いでも普通に使う。
沖縄と北海道は「外地(植民地)」であったことの名残りである。

*2 イナウ
アイヌが紙を祭るときに作る御幣。木をうすくリボンのように削ったもので、色々な形がある。
儀式用の冠も、このイナウの束から作る。

*3 チセノミ
新築時にする祭事。カムイノミ(神事)のひとつ。
このチセのカムイノミでは、家を守るチセコロカムイの雇用継続も行われた。
筆者の過去の記事に詳しい。


関連記事:
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http://janjan.voicejapan.org/archives/2596674.html
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http://janjan.voicejapan.org/archives/2584943.html
「野外民族博物館 リトルワールド」アイヌの伝統家屋建て直し、急ピッチで進行中 2010年02月10日
http://blog.livedoor.jp/esaman/archives/51353620.html
http://janjan.voicejapan.org/archives/2584023.html
「野外民族博物館 リトルワールド」でアイヌ伝統家屋の建て直し始まる 2010年02月03日
http://blog.livedoor.jp/esaman/archives/51350357.html
http://janjan.voicejapan.org/archives/2527809.html
「先住民族サミット」初日。上村英明さんにCOP10での戦略を聞く。2010年10月16日
http://blog.livedoor.jp/esaman/archives/cat_50042682.html
http://janjan.voicejapan.org/archives/19438
上村英明さんに聞く(2) 先住民族・土人の定義について
http://blog.livedoor.jp/esaman/archives/51434246.html
http://janjan.voicejapan.org/archives/2854100.html
上村英明さんに聞く(1) 先住民族とCOP10の意外な関係
http://blog.livedoor.jp/esaman/archives/51434116.html
http://janjan.voicejapan.org/archives/2824354.html
導入にも学問の施設としてのプライド 野外民族博物館 リトルワールドのボランティアガイド制度 2008/06/21
http://janjan.voicejapan.org/area/0806/0806130504/1.php
http://blog.livedoor.jp/esaman/archives/51470479.html
イヨマンテを知っていますか?「アイヌと共に語る」講座より(小宮朗) 2009/05/22
http://janjan.voicejapan.org/culture/0905/0905173539/1.php
http://ameblo.jp/komiya-journal/entry-10544146374.html

「公開講座・『先住民族って何?』」報告(酒井徹の日々改善)

先日、話をした講演会の内容を、酒井徹氏が報告を書いてくれました。
http://imadegawa.exblog.jp/16236037/


「公開講座・『先住民族って何?』」報告
 

――講師はEsamanさん――

名古屋ふれあいユニオン運営委員で
アイヌ民族活動家のEsamanさんが
6月24日に、
名古屋市昭和区の日本聖公会マタイ教会で開催された
公開講座・
「『先住民族』って何?―アイヌについて学ぼう―」で
講師を務めた。

Esamanさんは
親が北海道から出稼ぎで「内地」に出てきた
アイヌであったといい、
その人と「和人」(いわゆる「日本民族」)との間に
生まれた。
親が「和人になろうとしたアイヌ」であった
Esamanさんは、
アイヌ文化やアイヌ語を
独学で勉強せざるをえなかったという。

Esamanさんはまず、
「先住民族」という言葉についての説明から
講座をはじめた。
「アイヌが先住民族であると言うと、
 『日本人も昔から日本に住んでいたんだから
  日本の先住民族だ』と言い出す人が
 時々います。
 しかし、
 『先住民族』という言葉は、
 単に『昔から住んでいた』ということを
 意味する言葉ではありません」。
Esamanさんによると先住民族とは、
近代にいわゆる「国民国家」が成立した際、
自らの民族の利益を代表する国家を持つことができず、
他民族主導の国家に組み込まれた民族のことを
指すというのだ。

アイヌ民族は
日本が近代化する明治期に
「和人」主導の日本国に組み入れられた歴史を持つ。
学校教育も自らの言語で行なうことができず、
アイヌの子供たちは
日本の言語・日本の歴史・日本の文化を
教育されていったのである。

そうした際に、
一生懸命努力に努力を重ね、
「立派な日本人」になろうとしたアイヌも
少なからずいた。
日清・日露戦争などで
「日本人」に負けず天皇陛下のために武勲を挙げた
アイヌもいた。
だが、
日本語を覚えても、
日本文化にとけ込んでも、
大日本帝国に貢献しても、
アイヌ民族に対する「和人」からの差別が
解消することはなかった。
また、
川で鮭を捕ったり山で山菜を採ったりする生活を
突然禁止されて
「文明的」な生活を強制されたアイヌの中には、
それについていけない人たちも少なくなかった。

そして、
こうした現象はアイヌ民族だけに起こったことではなく、
「文明化」された近代国家に勝手に組み入れられた
様々な民族に共通して見出せる現象なのだ。
そうした民族を表す概念として、
「先住民族」という言葉が使われるようになったのだと
Esamanさんは説明した。

「たとえば、
 日本の学校教育では歴史の時間に
 卑弥呼とか紫式部とかを
 『私たちの先祖』ということで教えますよね。
 紫式部はともかく、
 卑弥呼なんか今の日本人とどうつながっているのか
 実のところよく分からないわけですけど、
 とにかくそういう『歴史』を学校教育では共有します。
 ところが、
 私たちアイヌはそうした歴史を共有できないのです。
 今でこそ歴史の教科書に
 シャクシャイン
 (「和人」に対抗して反乱を起こしたアイヌの英雄)も
 出てくるようになりましたが、
 私たちのころはありませんでした。
 それが、
 先住民族であるということです」。

日本政府は2008年、
ようやくアイヌ民族が先住民族であることを認めた。
アイヌ民族の経済的水準や進学水準は
「和人」と比べて格差が大きく、
アイヌ語を解する人間はごく少数になっている。
結婚に際しての差別もなくなっていない。
先住民族であることを認めたということは、
本当は、
日本国が
アイヌ民族をこうした状態においてきた責任を自覚し、
是正に向けた何らかの措置を取る責任が
課せられたということを意味する。

ところがEsamanさんによると、
アイヌ民族に対する生活向上のための施策は
先住民族認定とは全く関係なく行なわれており、
しかも北海道でしか講じられていないというのだ。
Esamanさんの親のように、
「出稼ぎ」のために「内地」に移住せざるをえなかった
アイヌも少なからずいたというのに……。

筆者自身、
Esamanさんに会うまでは、
日本国内の先住民族問題には
非常に疎かったのが実情だ。
だが、
筆者がEsamanさんに会うまでにも、
Esamanさんの親のように
「和人になろうとした」アイヌ民族や、
「あえてアイヌだと言わなかっただけ」の友人・知人も
いなかったとは限らない。

そうした意味では
アイヌ民族の子供たちに対する教育だけではなく、
いやそれ以上に、
「和人」の子供たちに対する教育も
今後は問題にしていかなければならないのではないか。
この国が決して、
いわゆる「日本民族」だけのものではないという
当たり前の事実を、
当たり前のこととして受け止めるために、
有意義な公開講座だったと思う。

シリーズ「知らなかった!」第12回・「先住民族」って何?―アイヌについて学ぼうー

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シリーズ「知らなかった!」第12回
「先住民族」って何?―アイヌについて学ぼうー

お話:Esaman(エサマン)さん(名古屋アイヌ語に触れよう会)
日時:2011年6月24日(金)18:30~20:30
場所:日本聖公会・名古屋聖マタイ教会ホール(名古屋市昭和区明月町2-53-1)
参加費:500円(茶菓代含む・「あの有名な」北海道銘菓の予定)
申込み:下記主催者までTEL・FAX・e-mailでお願いします。

日本政府は2008年になってアイヌの人たちを「先住民族」と認めました。
でも「先住民族」っていったい何でしょうか? 先に住んでいた人?
日本は、誰かが言っていたけど、「単一民族」じゃないの?
アイヌの人は北海道にしか住んでいなの? などなど、解らないことばかり。
少しだけでもいいから、ご一緒に学びませんか。

会場へのアクセス:地下鉄鶴舞線・桜通線「御器所」駅下車 
(お車でお越しの場合は、近隣のコインパークをご利用下さい)
地図→http://www.nskk.org/chubu/cdc/bridal/Access.html

主催:日本聖公会中部教区センター(名古屋市昭和区明月町2-28-1)
TEL:052-858-1007 FAX:052-858-1008
E-mail center.chubu@nskk.org http://www.nskk/chubu/

共催:名古屋アイヌ語に触れよう会 後援:名古屋市教育委員会

シンポジウム「さまよえる遺骨たち アイヌ墓地“発掘”の現在」(6/10札幌)

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シンポジウム「さまよえる遺骨たち アイヌ墓地“発掘”の現在」

 

「私が大学に資料開示を請求したのは、研究の名の下に行なわれたアイヌ民族に対する差別を明らかにするため」——小川隆吉(アイヌ長老会議議長、北大開示文書研究会)

「背景には研究者による強烈なアイヌ差別観があったと思う」——清水裕二(少数民族懇談会会長、北大開示文書研究会共同代表)

「アイヌと和人の関係性の歴史に深い影を落とすこの問題を放置したままでは、ともに未来を開いていくことなど、できない」——殿平善彦(強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム代表、北大開示文書研究会共同代表)

【報告1】 小川隆吉(アイヌ長老会議)「私が北大に文書開示請求した理由」
【報告2】 城野口ユリ(浦河文化保存会、少数民族懇談会)「暴かれたお墓の真実」
【講 演】 植木哲也(苫小牧駒澤大学)「なぜ遺骨問題なのか—歴史的背景」
【討 論】 「さまよえる遺骨たち」(コーディネーター:殿平善彦)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【日 時】 2011年6月10日(金) 18:30〜21:00
【会 場】 札幌エルプラザ中研修室
      札幌市北区北8条西3丁目 Tel:011-728-1222(代表)
【参加料】 無料(シンポ資料を500円でお分けします)
【主 催】  北大開示文書研究会(共同代表:清水裕二、殿平善彦)
      〒077-0032
      留萌市宮園町3-39-8 三浦忠雄方(事務局長)
      TEL(FAX)0164-43-0128 E-mail ororon@jade.plala.or.jp
      http://hokudai-monjyo.cocolog-nifty.com/blog/
【後 援】 少数民族懇談会、
      強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム
      さっぽろ自由学校「遊」

「TOKYO アイヌ」上映会 in 名古屋

「TOKYO アイヌ」上映会 in 名古屋

映画「TOKYOアイヌ」のチラシ

◆日時 2011年3月27日(日)
◆15時開場 16時上映開始
※上映後、希望者だけで交流会あります。

◆会場  live & lounge VIO
〒460-0007
名古屋市中区新栄2-1-9
雲竜フレックスビル西館B2F
tel: 052-737-7739
mail: vio@club-mago.co.jp
blog: http://loungevio.blog.shinobi.jp

◆アクセス 地図
http://www.chizumaru.com/map/map.aspx?x=492924.212&y=126598.239&scl=500&memo=1&tab=cz_07sta&lk=&msz=&svp=&ex=492924.212&ey=126598.239

※地下鉄東山線新栄町駅2番出口から南へ徒歩3分

◆料金 前売り2000円 当日2300円
(資料代込み&前売りの方のみマクロビスイーツ付き)
◆主催 TOKYOアイヌ名古屋上映実行委員会
◆問合せ/申込み
Mail tokyoainu.nagoya★gmail.com
(★をアットマークに変えて送信してください)
VIO  052-737-7739
実行委員 090-8133-9149 or 090-8422-1760

※会場は50席程のスペースのため、事前予約をお勧めいたします。当日入場可ですが、立ち見になる可能性もございますのでご了承ください。

参考記事:
都心の隣人としての肉声を伝えるドキュメント「TOKYOアイヌ」
http://www.janjanblog.com/archives/25982
都心の隣人としての肉声「TOKYOアイヌ」熊谷たみ子さんの話
http://www.janjanblog.com/archives/26072

朝鮮高校にも差別なく無償化を求める1.15緊急集会

朝鮮高校にも差別なく無償化を求める1.15緊急集会

1.日時  2011年1月15日 (13:40開場)14:00~16:20
2.会場  名古屋市公会堂4階第7集会室(JR/地下鉄鶴舞線・鶴舞駅下車2分)
3.主催  朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知
(連絡先:「ネットワーク愛知」事務局;TEL 0562‐97‐1815 FAX
 0562‐97‐6419)
4.資料代  500円
5.<集会プログラム予定>

・来賓あいさつ
・サムルノリ、詩・短歌等の朗読
・状況報告
・アピール・意見交換
・決議文採択など

 <集会参加の呼び掛け>
私たち「朝鮮高校にも差別なく無償化適用を求めるネットワーク愛知」は、
2010年3月以来、朝鮮学校にも差別なく高校無償化が適用されることを求めて、
愛知朝鮮高級学校の生徒たちと共に、何度も、署名活動、街頭宣伝、学習会、
多くの市民集会でのアピール、政府・文部科学省への無償化要請活動などを行ってきました。

 文部科学省は、2010年11月5日、
2010年4月に施行された「高校無償化」の朝鮮学校生徒への適用基準について、
教育内容は問わずに、日本の専修学校と同等の基準で制度的・客観的に審査する
と決定しました。同決定に従い、無償化審査の申請期限が11月30日と定められ、
愛知朝鮮学校を含む10校すべての朝鮮学校が申請書を文部科学省に提出しました。

 ところが、11月23日に起きた大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との砲撃戦を受けて、
菅直人内閣総理大臣は11月24日、文部科学大臣に対し、
朝鮮学校への無償化制度適用プロセス停止の指示を出し、文部科学省は、現在、
無償化制度の適用プロセスを停止しています。

 今回の無償化プロセス停止は、市民への人権侵害を防止すべき立場にある政府自ら、
率先して外交問題と特定民族学校の生徒を結びつける差別行為を容認したことを意味します。
よって、私たちは、政府及び文部科学省に対し、
朝鮮学校への無償化プロセス停止を即時撤回し、
文部科学省が定めた朝鮮学校への無償化適用基準に従い、
すみやかに朝鮮学校生徒への「無償化法」適用を最終決定することを強く求めます。

都心の隣人としての肉声「TOKYOアイヌ」熊谷たみ子さんの話。

http://www.janjanblog.com/archives/26072

都心の隣人としての肉声「TOKYOアイヌ」熊谷たみ子さんの話。

12/5-6の二日間、新横浜のスペースオルタで行われた「TOKYOアイヌ」の上映会に行ってきました。

この「TOKYOアイヌ」という映画は、「TOKYO アイヌ映像製作委員会」が3年半の歳月をかけ、今年7月に完成した映画で、北海道を離れ、首都圏で生活しつつも、自らがアイヌ民族であることを忘れずに生きている人々の声を追ったドキュメンタリー映画である。
まだ映画の上映会がはじまったばかりであるので「ネタバレ」になるかもしれないので、映画の内容についてはの詳細は控えて記事を…といっても、実際には「ドキュメンタリー映画」であるので、ネタもなにもないように気もするので、ぼちぼちにしておきます。

筆者はこの上映会に2回行きました。
一日目の人数は少なめ、20人いないほどで、大丈夫かと思いましたが、二日目にはかなりの数のお客がきており、質疑応答も盛り上がっていました。

映画の内容としては、アイヌの歴史についての年表(*1)なども随所に出てきて、アイヌのことをまったく知らない人でも、ちゃんと注意してみていれば、かなりのことが、わかるようにできています。
ただし、2時間も延々とインタビューが続き、それなりに興味のある人でないと、最後まで見ることが困難かもしれません。
内容としては、首都圏で生きるさまざまな「アイヌ」が、色々な立場で話をしています。
子供の頃の記憶、差別意見、東京に出てきた理由、文化伝承に際して思うこと…

この映画、筆者は出演者のそれなりの人を知っているのですが、それぞれの人は、映画に出るからということで「余所行き」の話をしている、ということもないと思います。
なぜ、このようなことを言うかというと、講演などで呼ばれたときには、どうしても話を「わかりやすく」する必要があるのと、人によっては、また呼んで欲しいので「お客(の欲望)にあわせた話」をするため、日常とはかけ離れた「演技(時には自然体という演技)」が行われます。
(このアイヌ幻想スパイラルのようなものを、筆者は「アイヌと和人の共犯関係」と呼んでいる)
この映画のと登場人物たちは、普段から、その人は、そのようなことを言っている、という内容が語られています。

そのような意味では「とくに驚きもない」映画なのですが、それは筆者が特殊な環境にいるからであって、かなりよい映画ではないかと思います。
予断を配して丁寧にみることができれば「アイヌの置かれている複雑な状態を、複雑なまま理解する」ことが可能な映画に仕上がっていると思います。
みなさま、機会があれば、ぜひともご覧ください。
身近に上映会がない場合は、自ら企画することも良いと思います。

DVD化は1年以上先の予定とのことでした。


TOYKOアイヌ完成記念上映会報告・前回の記事
・都心の隣人としての肉声を伝えるドキュメント「TOKYOアイヌ」
http://www.janjanblog.com/archives/25982

・ドキュメンタリー映画「TOKYO アイヌ」プロモーション用映像(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=_cxFfl9mcyU


今回は、映画の上映後におこなわれた、映画にも出演しているジャズシンガー、熊谷たみ子さんのステージと質疑応答の模様をお伝えします。

会場で「アメイジンググレイス」を披露する熊谷たみ子さん。隣で座ってトンコリを弾いているのは音楽家の千葉伸彦さん。(12/5撮影)

会場で「アメイジンググレイス」を披露する熊谷たみ子さん。隣で座ってトンコリを弾いているのは音楽家の千葉伸彦さん。(12/5撮影)


●映画の時よりも上手くなっている? 熊谷たみ子さんの「アメイジンググレイス」

映画の上映後、この映画のなかでも、アイヌ語訳したジャズの歌であるアメイジンググレイス(*2)を披露してくれた熊谷たみ子さんが、会場で歌を披露してくれました。
映画中では、ピアノとともに歌を披露していましたが、今回はトンコリの演奏とともに披露してくれました。
トンコリの演奏は、トンコリやアイヌ歌謡の実践者でもある、音楽家の千葉伸彦さんです。
千葉さんがステージ上に座ってトンコリ(*3)を調整している間、熊谷さんが会場に話しかけます。
来場者のおおくが、トンコリを見たことがない、という反応に驚いた様子でした。
最近では、トンコリはどこにでもあるので(10万円~30万円ほど?)、会場の客層が「アイヌのイベントによく顔を出す層」ではないことをうかがわせました。

熊谷さんの歌は、さすがはジャズシンガー、かなり良いものでした。
アイヌの伝統歌謡は、マイクの前で一人で歌う、という形式のものはなく、みなで輪唱したり、踊りのさいに歌うものであったりするので、なかなか難しいのではないか、と思いましたが、アイヌ語の歌詞の継ぎ目も割りと自然であり、ピアノに比べて「音の足りない」はずのトンコリも、演奏者の腕でしょうか、なかなかよく会っていたと思います。
音が少ないので、かなり素朴な感じになっていました。

熊谷さんは、ときおり歌詞カードをみながら、魅力的に歌声を披露してくれました。
実際のところ、映画中の歌よりも、数段うまかったと思います。
映画の中の熊谷さんの歌は、もともとの歌声はかなり良いことはよくわかるものの、あまり「慣れていない」感じられるものでした。

 
●熊谷さんの話

自分の父は東京に就職していました。
家の農家を継がなければならないので、北海道に帰ってきたのです。
私は北海道で育ちながら、父の東京の話を聞いて憧れをもっていました。
だから差別がないといわれている大都会の東京に出てきたのですが、結局は一緒でした。
差別はどこにでもありました。
それでも、自分も知らないうちに人を差別したり、苛めている言葉もあるかもしれません。
だから、一生懸命にがんばりました。
そうしているうちに、東京への憧れはなくなっていきました。
そして今度は、アメリカにあこがれるようになりました。
アメリカのジャズを勉強して、歌って、アメリカにわたって、色々とがんばりました。
そうして、ここまでがんばってきて、死にそうになったら、いきなりアイヌにもどってしまいました。
自分はそんな気の弱い人間です。
アイヌ語を習い初めてまだ2年です。
TOKYOアイヌの上映会ではじめて、自分が生まれた北海道の地で歌いました。(*4)

アメイジンググレイスは「神様の恵みで」という意味ですが、アイヌ語では「カムイレンカイネ」になります。
アイヌもおいしい物食べ物を食べたりしたときや、いいことがあったときには、そのように言って感謝したそうです。
アイヌ語を長く研究している千葉大学の中川先生(*5)が、カムイレンカイネという言葉をのせてくれました。

ドキュメンタリー映画「TOKYOアイヌ」のHP。(作成委員会HPよりキャプチャ)

ドキュメンタリー映画「TOKYOアイヌ」のHP。(作成委員会HPよりキャプチャ)


●会場からの質疑応答。アイヌになれるか問題と、差別の話。

質問者は会場の人、上映委員会のスタッフ。
回答者は熊谷さんと千葉さんが含まれます。


Q:(スタッフ)
熊谷さんは、アメイジンググレイスを歌うことがきっかけで、アイヌであることをカムアウトされたんですよね?
A:(熊谷)そうです。
やはり顔に特徴があるので、周りの親しい友人はアイヌであることは言っていました。
ですが、いわゆるカミングアウトはしていませんでした。
病気になるまで、アイヌであることをカムアウトするとは、これっぽっちも思っていませんでした。
ジャズシンガーを仕事にして、これで十分に食べていましたし、いまさらカムアウトする必要はないと考えていました。
「いままでどうして言わなかったの」と聞かれても、疲れますからね。

私にとっては15才までの北海道での経験が、やはり小さいときのものですから、大きいです。
大きくなって東京に就職しても差別がありました。
だから、どうして言わなかったの、と言われても、答えようがないくらい言葉に詰まってしまいます。
差別があっても、食べて生きていかなければならないので、働らかなければなりませんでした。
「なにくそ」と思いつつ、毎日働いていました。
アメリカかぶれでジャズを歌ってきましたが、病気と向き合って、はじめてカミングアウトしてしまいました。


Q:(スタッフ)
トンコリ奏者の千葉さんにも一言お願いします。
A:(千葉)楽器を弾く人によくある話ですが、マイクをもつと、しどろもどろになってしまいます。
僕自身は、なぜアイヌの音楽に興味をもったのか、よく思い出せない部分もあるんですが、
アイヌのおばあさんと知り合いになって、心が通じるものがありまして、そのおばあさん方がすごく歌がすきたっだものですから、
歌を託された部分がありまして、それを伝えてゆくのが僕の使命なんだなと思っています。
さきほど、どなたかの質問で、アイヌになれるか、というような質問がありました(*6)
その言葉をひっぱると、かなり失礼な誤解になる可能性もありますが、言葉から連想してということで言わせてもらうと、
血を引いている人は、自分が望む望まないに関わらず、アイヌ以外にはなれないわけです(*7)
血は引いていないけど、アイヌに育てられた人が、むかしは沢山いまして、その人もアイヌにしかなれない。
僕は、なれることならアイヌになりたいと思ったとこもあるくらいですが、でもやっぱり日本人です。

しりあったアイヌのおばあさんに、歌について色々と聞いていると「おまえこれ聞いてどうするんだ」と聞かれるわけです。
僕は「よくわからないけれど、大切なことだと思うんですよ」と答えるわけです。
そういったら「うん、そうだな」と言って、また続けて教えてもらえる。
そしてまた聞かれるわけです。

「おまえこれどうするんだ」

そのおばあさんが亡くなって、長い時間がたって、考えたことがあります。
僕はアイヌの血は引いていません。
ですが、そのおばあさんの精神とか、心のバイブレーションみたいなものは、確実に僕の中に伝わっていて、それが、また人から人に伝わっていくこと、というのはあると思っています。
そのおばさんと同じものに、僕がなるわけではありませんが、おばあさんの一部が、僕に中に伝わっているのは確かだと思います。
僕の場合は、そのような体験が、血の問題よりも大きなみのになっています。
差別の問題も社会問題もとても大切なことです。
僕は幸いというか、音楽をやっているので、頭で考えるのではなくて人と接することをしています。
そのおばあさんが、人として生きた存在を、伝えていければと考えています。


Q:(会場)
ジャズはアフリカからつれてこられた黒人達の音楽ですが、始められたことは、それに関係がありますか?
A:(熊谷)すっごく良い質問です。
私は北海道に生まれて差別されて生きてきました。
東京にあこがれて出てきました。東京にきたらアメリカに憧れて出て行きました。
そうしたら、差別の問題が大きすぎました。
私が苛められた差別と、天と地ほどの差がある、といっていいかどうかわかりませんが、とても強かったです。
ですが、アメリカ人によく聞いて見ると、差別をしてきたことを、すごく後悔している方もおおいんです。
それだけ意識をしている人が多いということは、これから良くなっていくことだと思います。
いまから40年ちかく前にアメリカに行ったときに、バスに乗ったら、黒人と白人で座るところが明確に分かれていました。
境界線があるんじゃないんです、みんな自然と分かれて座っている。
私は黄色人種に見られていたので、白人側に座っていました。
レストランとかでもそうなんです。
北海道でのアイヌの差別とは、まったく性質の違うものでした。
20代前半で世界の問題に、びっくりしてアメリカから帰ってきました。

アイヌの場合はアメリカの黒人問題と違って人口も少ないので、あまり表面化はしにくいかもしれませんが、
アメイジンググレイスは、私たちと同じ経験をした黒人達の歴史のこもった歌ですから、とても気に入って歌っています。
良い質問をありがとうございます。

Q:(会場)
具体的にどういうアイヌ差別をうけましたか?
A:(熊谷)一番新しいものは、先々週の■曜日にありました。
とてもではないですが、話したくないような内容なので、これとは別の話をします。

子供の手が離れた頃に、ある音楽グループを応援するために一緒にニューヨークに行きました。
そのツアーの中に12人~13人の人がいました。
一週間以上一緒に旅をして、最後のほうの宴席で、隣に座ったひとに、
「熊谷さんって、ちょっと個性的な顔をしているけど、沖縄?」と聞かれました。
私は「近いです」と答えたら「沖縄のどこ?」ときかれました。
私は「近いといったけど、北海道ですよ」と答えたら、その人は「えー、ぜんぜん近くないじゃん」と言う訳です。
私は「ニューヨークに来ているのに、北海道も沖縄も同じじゃない」と言いました。
そうしたら、その人は「えー、北海道?」と言って、絶句に近い状態になってしまいました。
「ほっかいどうーっ」という感じに、絶句するんです。それから会話は一切無し。日本帰るまで、一度も目も会わせません。
他にもこういう経験をしたアイヌは沢山います。
いつも「ほっかいどうーっ」といわれて、そのまま絶句される。
「北海道なら、じゃあアイヌ?」って普通に言ってくれればいいのに。

日本に帰ってきて、またしばらくして、音楽関係のイベントなどで会ったときも、完全に無視なんです。
なにか悪いものでも見たような反応をされる。何度か会っていますが、ずっとそのままです。
どうしてそんな反応をされるのか、どうしても聞きたい。
でも聞けないんです。体は大きくても気は小さいんです。
いまでもその人の名前は覚えています。

もっと大変な話としては「あー、イヌー」と言われて石を投げられました。
小学校低学年の頃のはなしです。
大きくなっても、その男の子が私がアイヌだから石を投げたのかな?
でもどうなんだろうと思います。

なぜかというと、東京で就職してから、立川のデパートで歩いていたら「おまえ■■(旧姓)でないか、元気か」と、その石を投げた男の子に声を掛けられました。
自分としては、絶対に会いたくない相手だったのですが、どうも相手は懐かしいらしくて、声をかけて来たんです。
そして相手は「元気だったか、またな」と悪びれもなく別れたんですが、私のほうは、小っちゃい頃に石投げただろうと、ずっと覚えているわけですよ。
あれはなんだったのでしょうか? 私はイジメの対象になっていたのでしょうか?(*8)
まだ発展途上の6才~10才の間に、石を投げられたら、誰でも傷つきますよ。
こんな話ばっかりです。それだけで一冊の本が書けます。

大腸ガンと戦いながら歌い続けるジャズシンガー、熊谷たみ子さん。(12/5撮影)

大腸ガンと戦いながら歌い続けるジャズシンガー、熊谷たみ子さん。(12/5撮影)


●筆者から熊谷さんと千葉さんへの質問
ここの部分の質問は、筆者が行ったものです。


Q:(Esaman)
アイヌの音楽を始められたことについて、もっと聞かせてください。
A:(千葉)私がおばあさんから受け継いだものは、具体的にはトンコリではなくて歌のことです。
僕が色々と歩いて回った頃には、すでにトンコリの奏者の方は亡くなっていました。
弾き方がわからなかったので、トンコリの引き方を色々と研究していました。
お年寄りについて、音楽を習っているときは夢中ですが、逆になぜやっているのか、ということに悩んだ時もあります。
僕がならったおばあさんは、ウポポをしているその土地の中心的な方でした。
時代が悪くて、自分の子供たちが習いに来なかった。
教えたいのに誰もやってくれない。
僕みたいなものでも、聞きにいったことが、きっとうれしかったんだと思います。
人間的なことも含めて、本当にいろんなことを教えてくれました。
最近、アイヌの人にも教える機会が少しづつ、できてきました。
それは僕にとっても嬉しいことです。


A:(Esaman)
当のアイヌにもそのような悩みはあります。
アイヌといっても、アイヌのことを親から習うわけではない人が大半です。
場合によっては自分の先祖とは別の地方、全く違うやり方を習うこともある。
そのような機会がなければ、血が入っていたとしても「アイヌになってゆく」ことは、難しいので、そういうものなのかなとも、思います。
また、たまたま色々な事情とめぐり合わせがあって、親類ではない人に色々と教えてもらったけども、その人の子孫が、アイヌとしてなにかを始めたときに、どういう距離をもてば良いのか。
アイヌといっても赤の他人。自分が「本当に受け取るべき対象」なのかどうか、悩むこともあります。


Q:(Esaman)
トンコリですが、人体を模していて女性であると。そして毛があって陰部の穴がある、という説明がされていますが、穴がないものもありますよね?
A:(千葉)トンコリには、穴が無いものもあります。樺太のアイヌの方が作ったものでも、ないものもありますね。
楽器としての実用上いらないから付けない、ということもあったみたいです。
トンコリには魂として玉が入っているものもあります。
玉の代わりに胡桃が入っているのは最近の流行ですね、この流行は、阿寒で作られたものが始まりかもしれません。


Q:(Esaman)
トンコリは何のケースに入れるのが良いですか?
A:(千葉)自分はスノボケースを利用しています。
トンコリは頭の部分が弱いのですが、レジャーシートのようなものに包んで入れると、2本入ります。


Q:(Esaman)
私の世話になったフチが、熊谷さんの歌がとても好きだと話していました。
A:(熊谷)色々な所に歌いに行きたいのですが、最近では体力がなくなってきています。
2-3日どこかにいったら、すぐに戻ってきて放射線治療をしないと、すぐに疲れてしまいます。
でも余命1年と言われて、もう1年半もたっています。
放射線治療の効果が出ているんじゃないかと思います。

このまえも、北海道の私の生まれ故郷で歌ってほしいと言われたので、主人に付き添ってもらって、放射線の機材も持ち込んでいってきました。
ですが体調を崩してしまいました。
こちらに戻ってきてから、一週間ずっと毎日点滴をしていました。
今日は一日点滴をしなかったら、とても調子が悪いです。
調子が悪かったのですが、今日は無事に歌えてよかったです。


Q:(Esaman)
映画中の「アメイジンググレイス」とは、今回の歌はかなり「うまくなっている」という印象をうけます。
A:(熊谷)そうだと思います。映画中の歌は、実は初めて歌ったものです。
この歌を歌うのは、実は今回で5回目くらいです。
あまり練習しないようにしています。
初心を忘れずに歌いたいからです。
ジャズならば、眠っていても歌えるぐらい練習をします。
歌詞カードを見ながら歌うなんてことをしたら、クビになってしまいます。
でも最近は薬が体の中にはいっていて、とても疲れやすくなっているので、練習はありましていません。

アイヌ語の歌詞は間違えてはいけない、歌詞を間違えてはいけない、ということもあるようなので、歌詞カードを見ながら一生懸命歌っています(*9)
それでも間違えたものであれば、きっとカムイも許してくれるだろうと思っています。
映画の中のアメイジンググレイスは、アイヌ感謝祭で歌ったものです。
あの日は普通の衣装でジャズばかり歌って、一番最後に民族衣装でアメイジンググレイスを歌いました。
あのときに初めて歌いました。


Q:(Esaman)
アメイジンググレイスの元の歌詞は英語なので、アイヌ語とは切れ目が違うので、歌うのが難しくないですか?
A:(熊谷)実は、ほかにもいろいろとジャズソングをアイヌ語に訳してもらいました。
チャップリンのスマイルだとか、スターダストなど何曲か訳してもらいました。
ところが、ほかの曲は非常に歌いにくかった。
でもアメイジンググレイスはとてもピッタリで、歌いやすかったです。
これからジュピターやスマイルを歌ってみたいと思っています。


Q:(Esaman)
お聞きした話を記事で紹介したいと思います。その際に差別の話はカットしたほうがよろしいでしょうか?具体的な差別の話を公開することには意義があると思います。
A:(熊谷)大丈夫です。嫌な話は、思い出すだけで寝込んでしまうようなものもあります。
アイヌに生まれたことは、親にのせいしてもいいんじやないか、と思うときもあります。
でも、親はちゃんと親のせいにさせないように、育てているんですよね。
ああいう時代の親というのは、グチを言わないんですよね。
古い時代の、差別のきつかった時代の人達は、どれだけ酷い目にあっても、グチを絶対に言わないんですよね。
姿勢を崩さないし、弱みをみせない。
学校で苛められても、そんなのがなんなのよ、と言われました。
外でどれだけ苛められても、家の中では悲惨な空気は無くて、不思議だなあと思って育ちました。

 

 

◇◇◇

 

「TOKYOアイヌ」のプロモーション映像の最後「今、TOKYOアイヌの語る声に、深く聞き入ろう」とある。(YouTubeよりキャプチャ)

「TOKYOアイヌ」のプロモーション映像の最後には「今、TOKYOアイヌの語る声に、深く聞き入ろう」とある。(YouTubeよりキャプチャ)

都心の隣人としての肉声「TOKYOアイヌ」熊谷たみ子さんの話・注釈

本記事がながくなったために、注釈部分を分離しました。
JANJAN上の投稿ではおなじになっています。

都心の隣人としての肉声「TOKYOアイヌ」熊谷たみ子さんの話。
http://www.janjanblog.com/archives/26072

 

*1 アイヌの歴史年表
アイヌを中心に据えた年表で、現代まで網羅したものは、筆者が活動をはじめた当初にはまったく存在せず、いちから作る必要があったほどである。

参考:
アイヌモシリ・通史(筆者作成の年表) http://www.alles.or.jp/~tariq/kampisosi/historymain.html


*2 アメイジンググレイス
「すばらしい神の恩寵」という意味の賛美歌。
作曲者は不明。作詞者氏は奴隷貿易船船長で、後にその過去を悔いて牧師に転進したジョン・ニュートン。
原詩は「すばらしい神の恩寵。私のような道を踏み外したものを、神は救ってくださり、いままで見えなかった神の御恵みを、いまは見出すことが出来る」という歌詞で始まる宗教色の強い歌である。


*3 トンコリを座って調弦
トンコリとは樺太アイヌ(エンチゥ)に伝わる縦長の弦楽器。
主に5本の弦があるため「五弦琴」という和名で呼ばれることもある。
カー(糸というアイヌ語。この場合は弦を指す)という呼称もある。
見た目がカッコよいことや、演奏法が簡単であるたる、最近では北海道のアイヌも広く弾いているが、本来は樺太アイヌの楽器。
最近の奏者は立って弾いたり椅子に座って弾いたりするが、昔の資料などによると、地面に座って弾くことが多かったようである。
なお、トンコリの演奏方法は確立していたとは言いがたく、音楽の得意な人が、それぞれ弾きやすいように調弦して弾いていたもののようである。


*4 熊谷さんが生まれた故郷で歌った
熊谷さんは帯広と釧路の間にある本別町出身。
TOKYOアイヌの上映会に伴い、熊谷さんは釧路での上映会で歌声を披露した。
釧路、帯広とも、アイヌ差別の厳しい土地である。
差別を逃れて離れた土地で、アイヌ語で歌った熊谷さんの感慨は、いかばかりかと思われる。


*5 アイヌ語を長く研究している千葉大学の中川先生
中川裕。千葉大学文学部教授。アイヌ語・アイヌ文学研究者。


主な著作
カムイユカラでアイヌ語を学ぶ(中本ムツ子との共著・白水社/2007)
エクスプレス アイヌ語(中本ムツ子との共著・白水社/1997 CD付/2004)
アイヌ語をフィールドワークする(大修館書店/1995)
アイヌの物語世界(平凡社/1993)


*6 血を引いてなくてもアイヌになれるか? という質問。
前回記事「会場からの質疑応答」を参照のこと。


参考:
都心の隣人としての肉声を伝えるドキュメント「TOKYOアイヌ」
http://www.janjanblog.com/archives/25982


*7 血を引いている人、アイヌに育てられた人は、自分が望む望まないに関わらず、アイヌ以外にはなれない?
差別もあり周囲から「アイヌとしてしか扱われない」ということも、その原因のひつとと考えられる。
アイヌを人種だと思っている人には、奇妙な話に思われるかもしれないが、北海道ではアイヌに育てられた和人ですら「人種差別」に晒されてされている。しかし、ここの文脈上での「アイヌ以外にはなれない」とは差別だけを意味しているのではなく「生れ落ちた運命の違い」と考えるほうが妥当である。
アイヌ差別の本当の原因は、実は「人種」ではない可能性が高い。


参考:
『アイヌ』にまつわるQ&A 純血なアイヌは、もういないのですか?
 
*8 差別ではなくてイジメの対象だったのか?
熊谷さんは、かつて自分に石を投げた相手が、あまりにも「あっけらかん」としていたことに疑問を持ち、アイヌ差別ではなくて、単に自身がイジメの対象になっていたのではないか、ということで判断をしかねているが、これは差別に他ならない。
イジメにしろ差別にしろ、する側は全く覚えていないか、悪いとすら思っていない場合が多いものであるので、この反応は、むしろ当然とも言える。された側は、何十年たっても、いつまでも覚えているものである。


*9 アイヌ語の歌詞は間違えてはいけない?
厳密には、アイヌの習慣の中で、カムイノミの伴う行為(イナウ削りや祝詞など)は、練習というこういはせず、すべて本番である、という言い方をされることがよくある。
もちろんアイヌ語の祝詞も神に伝えるものなので、言葉を間違えてはいけないので、カンペを手にしながら読み上げることもある。
これはアイヌの言葉を大切にする文化の表れといえる。
だが普通の歌の文句の場合、そこまで厳密な解釈はされないものであるが、アメイジンググレイスの場合、歌詞の内容に神が関わっているので、祝詞のような扱いを受けている、とも考えられる。

「TOKYOアイヌ」のプロモーション映像の最後「今、TOKYOアイヌの語る声に、深く聞き入ろう」とある。(YouTubeよりキャプチャ)

「TOKYOアイヌ」のプロモーション映像の最後には「今、TOKYOアイヌの語る声に、深く聞き入ろう」とある。(YouTubeよりキャプチャ)


参考リンク:
ドキュメンタリー映画 TOKYO アイヌ
http://www.2kamuymintara.com/film/index.htm
『アイヌ』にまつわるQ&A
http://www.alles.or.jp/~tariq/Q&A/What_is_ainu.html


関連記事:
都心の隣人としての肉声を伝えるドキュメント「TOKYOアイヌ」
http://www.janjanblog.com/archives/25982
アイヌ感謝祭 盛況に終わる。
http://www.janjanblog.com/archives/6542
「イフンケに守られて」映像にあふれる思い
http://www.news.janjan.jp/culture/0907/0907257745/1.php
ウタリ協会が「アイヌ協会」に名称変更した意味
http://www.news.janjan.jp/area/0904/0904020714/1.php
日本:衆参両院がアイヌ決議を可決
http://www.news.janjan.jp/world/0806/0806169755/1.php
ようやく認められたアイヌ「列島の先住民族」決議
http://www.news.janjan.jp/area/0806/0806070930/1.php
東京の街に響くアイヌの歌声~フィールドワーク「アイヌと歩む……東京アイヌ史」に参加して
http://www.news.janjan.jp/culture/0708/0708231209/1.php
アイヌ民族の今と未来 「文化振興法制定」10年
http://www.news.janjan.jp/living/0705/0705165569/1.php

都心の隣人としての肉声を伝えるドキュメント「TOKYOアイヌ」

http://www.janjanblog.com/archives/25982

都心の隣人としての肉声を伝えるドキュメント「TOKYOアイヌ」

12/5-6の二日間、新横浜のスペースオルタで行われた「TOKYOアイヌ」の上映会に行ってきました。

ドキュメンタリー映画「TOKYOアイヌ」のチラシ。

ドキュメンタリー映画「TOKYOアイヌ」のチラシ。


この「TOKYOアイヌ」という映画は、「TOKYO アイヌ映像製作委員会」が3年半の歳月をかけ、今年7月に完成した映画で、北海道を離れ、首都圏で生活しつつも、自らがアイヌ民族であることを忘れずに生きている人々の声を追ったドキュメンタリー映画である。

まだ映画の上映会がはじまったばかりであるので「ネタバレ」になるかもしれないので、映画の内容についてはの詳細は控えて記事を…といっても、実際には「ドキュメンタリー映画」であるので、ネタもなにもないような気もするので、ぼちぼちにしておきます。

ネタバレになりそうな部分は、記事の一番下につけてあるので、見たくない人はみないでください。

筆者はこの上映会に2日間、2回行きました。
一日目の人数は少なめ、20人ほどで、大丈夫かと思いましたが、二日目にはかなりの数のお客がきており、質疑応答も盛り上がっていました。

映画の内容としては、インタビューが中心ですが、アイヌの歴史についての年表(*1)なども随所に出てきて、アイヌのことをまったく知らない人でも、ちゃんと注意してみていれば、かなりのことが、わかるようにできています。
ただし、2時間も延々とインタビューが続き、それなりに興味のある人でないと、最後まで見ることが困難かもしれません。
内容としては、首都圏で生きるさまざまな「アイヌ」が、色々な立場で話をしています。
子供の頃の記憶、差別体験、東京に出てきた理由、文化伝承に際して思うこと…

この映画、筆者は出演者のそれなりの人を知っているのですが、それぞれの人は、映画に出るからということで「余所行き」の話をしている、ということは、殆どないと思います。

なぜ、このようなことを言うかというと、アイヌが講演などで呼ばれたときには、どうしても話を「わかりやすく」する必要があるのと、人によっては、また呼んで欲しいので「お客(の欲望)にあわせた話」をするため、日常とはかけ離れた「演技(時には自然体という演技)」が行われます。

(この「アイヌ幻想スパイラル」のようなものを、筆者は「アイヌと和人の共犯関係」と呼んでいます)

この映画の登場人物たちは、普段からその人は、そのようなことを言っているだろうな、という内容が語られています。
そのような意味では「とくに驚きもない」映画なのですが、それは筆者が特殊な環境にいるからであって、首都圏のアイヌの「肉声」のこめられた、かなりよい映画ではないかと思います。
予断や幻想を廃して、丁寧にみることができれば「アイヌの置かれている複雑な状態を、複雑なまま理解する」ことが可能な映画に仕上がっていると思います。
みなさま、機会があれば、ぜひともご覧ください。
身近に上映会がない場合は、自ら企画することも良いと思います。


DVD化は1年以上先の予定とのことでした。


ドキュメンタリー映画「TOKYO アイヌ」プロモーション用映像
http://www.youtube.com/watch?v=_cxFfl9mcyU


●TOKYO アイヌ映像製作委員会の人たちの話。
質問者は筆者で、回答しているのは製作委員会の人(複数)です。


Q:
この映画はどのように成立したのでしょうか?
A:当初、宇梶静江(*2)さんから、アイヌの映画をとってくれ、という話を持ちかけられましたが、断り続けていました。
やはりアイヌの映画はアイヌが撮ったほうが良いと思ったからです。
ですが、撮る人がいないということで、今回の映画監督の森谷博(*3)さんに出会って、せくせいしようか、ということになりました。
最初は「アイヌの治造(*4)」という映画を撮ろうと思っていましたが、とっている間に社会の情勢が大きく変化をしてきましたし、首都圏のアイヌの人たちの参加もあって、次第に映画の内容が変わっていきました。
製作委員会のスタッフが中野に住んでいて、当時中野にはレラチセ(*5)があって通っていました。
もちろん、私たちが「アイヌの治造」という映画を作ろうとしている、ということは、一部の人たちは知っていましたから、レラチセのスタッフの方から、どうせ撮るならば、首都圏のアイヌに呼びかけて、すべて一緒に撮る様なものにならないか、という話になりました。
それまで出身地方などの理由で、バラバラになっていた首都圏のアイヌの団体(*6)が、みんな一緒に動こうという機運がたかまっていたことも良い影響がありました。


Q:
たしかに首都圏には複数のアイヌの団体があり、いまはお互いに仲が良くなかったと思いますが、なぜ一緒に動けたのでしょうか?
A:関わってくれるアイヌの当事者の中に、いろいろなところに話を通してくれて、4つの団体が一緒に動けるように、という目標をもって動いてくれた人がいたからです。
また、当時の社会状況としても、国連で先住民族の権利宣言が可決(*7)されたり、アイヌを先住民族と認める国会決議(*8)があったりと、異なる団体が団結するのに良い状況があったのも、幸いしました。


Q:
この映画の作成には、いろいろな苦労があったと思いますが。
A:僕達の努力というよりも、アイヌ当事者のみなさんの協力があったのと、社会情勢的にも追い風であったという、気運が作り上げた映画だと思います。
社会状況もあって成立しているので、カムイが取り計らってくれた、といってもよいと思います。
自分たちが撮ったのではなく、ウタリの人たちからの要望とカムイの取り計らいによって成立(*9)した映画だと思います。
同じものは二度ととれないなと思います。


Q:
アイヌ当事者にたいして、かなりの時間をインタビューされたようですね。
A:180時間撮影をしました。それを2時間に縮めました。かなり長い時間インタビューヘして、まったく出ていない人もたくさんいます。
何時間も話を聞いたのに、一人当たり、3-10分ほどの時間しかなくなっています。
きいた話の殆どを削ってしまっているので、たたかれるのを覚悟していましたが、皆さんすごく良いといってくれました。


Q:
その膨大な録画を、どのように編集をされましたか?
A:まず、5時間にまとめたものを2本、合計10時間にまとめました。
それを何度も何度もスタッフで見て、編集を行いました。
そのさいに、毎回、必ず初めて見る人もいれて、何度も煮詰めました。このような会合を4回しました。
毎回、どの部分を削るのかをやっとの思いできめました。映画に出てはいない人たちの話も、どれもとても大切なものです。
そして最後は、監督の森谷さんにお渡しして、最終的な編集をお願いしました。

当初は今年の3月頃に完成予定でしたが、6月に、今回の上映会の会場でもあるスペーオルタで「アイヌ感謝祭」というイベントが、首都圏のアイヌの団体の合同によって開催されるということで、それを撮影してから撮影を終わろう、という話になってしました。
アイヌ感謝祭も、今回開催するのが始めての事で、どうなるのかもわからないけども、それでも撮影することにしました。
感謝祭まで撮影を延ばしたことで、治造エカシの最後の発言(記事下部に記載・ネタバレ注意)も撮れたし、熊谷さんのアメイジンググレース(*10)も撮影することができました。
これは当初はまったく予想していなかった展開ですが、この映画にとって欠かせないシーンです。
このようにすばらしい映画が成立したのは、監督も、実行委員も、映画に協力してくれたアイヌの人たちも、それぞれがんばっていましたが、それらの人の力ではなく、なにか特別な幸運があったというほかありません。


Q:
当初、浦川治造さんを撮ろうと思ったのは、なぜですか?
A:浦川さんは存在が面白い人です。インタビューをしても、あまり話を聞けるタイプではありません。そうではなくて、話をしていて反応が面白い。
ある意味「アイヌを体言」している、といってもいいかもしれません(*11)
アイヌモシリの中で、子供のころから苦労をして、自然の中で、体でいろいろと覚えてきた人です。
そのようなひとが、ポンと都会に出てきて、ベンツに乗っている。
人としての存在が面白いので、ただ画面の前に座ってもらって、インタビューするだけでは、もったいないと思いました。
浦川さんの作ったカムイミンタラも、アイヌの施設というよりは、いろいろなものがたくさんある面白いところです。なお、映画に出てきた建設中の家は、あのあと倒壊してしまったそうです。


Q:
この映画の北海道のアイヌから反応はどうですか?
A:北海道でも何度か上映会を行っていますが、あまりまだ詳しく聞いていません。
釧路では200人、札幌では50人ほどきたようです。
北海道のアイヌの人の話には、
「北海道を出て行ったアイヌは北海道を捨てて出て行った人だ、と思っていたけども、そんなに簡単な話ではなかった。
自分たち(北海道に在住のアイヌ)には守られているものが沢山あるんだなと思った」という声があったと聞いています。


Q:
この映画の出てくるのは首都圏のアイヌでも「移民第一世代」(*12)だと思いますが、第二世代以降の人の反応はどうでしょうか?
A:そのような捉え方(移民代何世代)をしたことはありませんでした。
移民第二世代以降のアイヌの人たちの反応は、あまり把握できていません。
若い人たちの反応では、アイヌのことにいままで興味がなかったけど、苦労がわかって少し興味が出た、という人もいました。


Q:
和人の人たちの反応はどうでしょうか?
A:70年代に、当時のアイヌ民族の活動をサポートしていた世代の人たち(団塊の世代よりもすこし前)からは、
自分たちが関わっていた頃から考えると、このような映画が撮られるようになる時代が来るとは思っていなかった、という反応がありました。
当時はもっと混沌としており、アイヌの当事者も出てこなかったし、いても名乗らなかった。
なかなか状況が変わらなかったこの国に、ひとつの風がふいてきたのではないか、という話もいただきました。

若い世代の人の反応では「うらやましい」というものもあります。
自分のルーツがはっきりわかってうらやましい(*13)、とか、自分とは何かを考えさせられる、といった反応です。
これは、日本人がなにかがわからない、ということも背景にあるのではないかと思います。
アイヌの問題なので「構えて見る」人も多いです。
構えて見て、実際に画像をみると輝いていると、自分と比較する人もいます。
「アイヌのことを知らなかったです」という人も多いですね。
そして、見たびっくりする。東京にアイヌの人が住んでいたとは思いませんでした、という反応です。


Q:
この映画が多くの人に見られるといいですね。
A:試写会では、のべ500人を超える人に参加していただきました。
この映画は市民のボランティアによって支えられています。
製作費用も半分も集まっていません。製作費用の問題も重要ですが、それよりも、一人でもおおくの人に映画を見てもらうことが大切であると思います。
私たちはこの映画で語られている事実について、あまりにも知らなすぎます。
まず事実をることから初めて、アイヌの人たちとの関係を作っていく必要があると思います。
そしてその経験を、アイヌの人たちだけでなく、日本国内にいるさまざまなマイノリティの人たちとの関係を作っていくことに役立てていければと思います。

 
上映後の質疑応答の様子。(12/5撮影)

上映後の質疑応答の様子。(12/5撮影)


●会場からの質疑応答
映画終了後、会場で行われた質疑応答で、印象に残ったものを記述します。
質問者は映画を見た人。回答しているのは製作委員会のスタッフのみなさんです。

(なお、この項目以降「やや映画のネタバレ」的な情報がありますのでご注意ください)


Q:
映画の中で「文化にだけ注目する和人が、アイヌをジョーズのように飲み込んでゆく」(記事下部に記載・ネタバレ注意)という話が出ていました。
A:ジョーズの話はとても重要なシーンです。
インタビューだからこそでてくる言葉であり、文字では引き出すことが難しいもののひとつです。
和人との関係は、それぞれのアイヌの人で違います。
マスメディアが取材にやってきたとしても、それはつながりが出来るということではなくて、あくまで取材対象とされるという意味です。
仲間ではなくた対象です。
和人社会はアイヌの人達を、研究対象、取材対象として、特別なものとして見ます。
そのような対象としてみられるようになったらどうなるか?
アイヌの誰かが、どこかに呼ばれて話をしたりするようになります。
呼ばれる人と呼ばれない人が出てくる。
そのような関係性が膨らんでいくと、横の繋がりがなくなって、呼ばれた人のはなしだけが膨らんでいきます。
これはアイヌの問題にだけある話しではありませんが、
ある人だけがマスメディアに注目されて、ちやほやされることによって、コミュニティが壊れゆく原因になります(*14)


Q:
アイヌ語にも地方差があるのでしょうか?
A:アイヌ語も地方によって少しづつ違います。
たとえば、アメリカの先住民族は、もともとはまったく別の民族であったものを、無理やりまとめて一緒に「インディアン」と呼んでいます。
アイヌ民族も同様で、アメリカの先住民族ほどまったく違う、というほどでもないのですが、それぞれの地方で違いがあります。
歌の拍子や文句は、それぞれの地方で違います。首都圏のアイヌの皆さんが集まるときには、今回はどこどこの地方の節回しでやろう、という打ち合わせをしてやります。
このような口承の文化は、口伝えで伝わっている間に、どんどん変化していくものです。
伝承を繰り返していくうちに「関東のやり方」のような、独自の節回しというものが出来ていくこともあるかもしれません。
そのようなものもアイヌ文化の進化の一つの形ではないかと思います。
世界の先住民族の多くは、先祖の土地から離れて移動しています。たとえば、マオリの80%は移動をしています。
先祖の土地との関係は大切ですが、先祖の土地を離れても、先住民族として生きていきます。


Q:
アイヌの血が入っていない人はアイヌになれないのでしょうか? 血と結びついているものなのでしょうか?
A:ウタリ協会(アイヌ協会)の現在の基準では、アイヌの血が入っている人がアイヌです。ほかにはアイヌの配偶者になった人、血がはいっていないけども、アイヌの家庭で育てられた人が、一代限りでアイヌである、ということになっています。
北海道では、そのようなアイヌの人にたいして、奨学金があったり色々な制度がありますが、これらの制度は法的な根拠のあるものではなく、それぞれの役所ができることをより合わせて実施しているものです(*15)
今後、アイヌ民族の権利が獲得されてゆくと、法律的にも権利が認められると思いますが、そうなった場合「どこまでがアイヌなのか」ということが、問題となってきます。
アメリカなどでは「1/4までが先住民族」という法律が定まっているところもあります。
ニュージーランドやオーストラリアでは、混血の度合いは無視して、血がはいっていれば良いことになっています。
日本ではそのような法律の基準が定まっていないので「だれがアイヌなのか」は、これからの問題となります。
また、アメリカでの一部先鋭的なグループでは「その先住民族の価値観を共有したものが仲間である」という方針をとっているところもあります。

アイヌ語のもともとの意味の「アイヌ」とは、人間という意味でした。
これは動物学的な意味ではなく、完成した人間がアイヌと呼ばれていました。
アイヌというのは立派な人という意味でした。
そのような価値観から学べば、私たちも努力すれば「立派な人間(アイヌ)」になれるという意味にもとれると思います。

◇◇◇


ほかにも、会場からからは多数質問が出ていましたが、スタッフのみなさんは知識も豊富で対応になれており、非常にうまく説明していました。筆者よりもうまかったかもしれません。
とくに「血がなくてもアイヌになれるか」云々の話は、かなりビミョーな方向(*16)にいくものなのですが、うまくまとめておられました。
また、スタッフのみなさんの「姿勢」も、なかなか良いものでした。
映画の紹介のために、スタッフのみなさんのことを紹介して写真を載せたいのですが、という話には「今回の映画の主役はあくまでアイヌの人たちですから、スタッフは前面に出ないようにしています」ということでした。

アイヌのことを「紹介」する企画の場合、アイヌの代わりに和人が得意気に解説をしている場面(場合によっては着物まで着ている)にも遭遇します。そのような光景は、当事者にとっては不快に写る場合もあるわけですが、TOKYOアイヌのスタッフのみなさんは、かなり丁寧に対応を考えているようでした。

上映会が行われたスペースオルタ。新横浜から線路沿いに歩いて数分のところにある。

上映会が行われたスペースオルタ。新横浜から線路沿いに歩いて数分のところにある。


●映画を見た人の感想。ルーツ、右傾化などについて話す。

会場で積極的にに質問をしていた人がいたので、いろいろと話を聞きました。
質問者は筆者。回答者は映画を見に来られていたS藤さんです。


Q:
アイヌには、どのようなイメージがありましたか?
A:アイヌには以前から興味がありました。なにか惹かれるものを感じます。
アイヌレブルズ(*17)も好きでしたし、レラチセでも友人が働いていました。
どうしたら「つながれる」のだろうと思います。


Q:
映画をみてどう思いましたか?
A:なにか「腹の底に刺さる」ものを感じました。
宇梶さんのジョーズの話はかなり強烈でした。自分自身もそうだったからです。
アイヌの文化にたいする憧れだけでアイヌを見ようとしていました。


Q:
「アイヌにたいする憧れ」とは、どのようなものでしょうか?
A:ネイティヴの生き方です。魂のあり方とでも言ったらいいのでしょうか?
自分のそのようなことに興味があります。
TOKYOアイヌに出てきた人たちは、そのような生き方をできている「腹の据わった」「魂の座った」感じがします。(*18)
映画に出てきているアイヌの人たちは、先祖から自分たちへの繋がりを継承できている感じがします。
自分もルーツを考えて生きてゆきたいと思いました。


Q:
自身の親や先祖から直接、伝統や歌を継いだり出来ている人は、アイヌの中でも稀で「スーパー伝承者の家系」といってもよい存在です。(*19) 私もうらやましく感じます。あなたは自身の親や、その親からは、なにかを継いだりしていませんか?
A:まったくありません。お盆や正月に会う程度でしょうか。
いままで、そのようなものが必要なものだとは思っていませんでした。
現代の人たちは、そのような繋がりから離れて、どこか孤独に個として生きているところがあると思います。


Q:
最近、若い人の中でも「右傾化」が見られると思いますが、どう思いますか?
ある意味で、あれも先祖とのつながりの回復をもとめている行動のような気もしますが、方法が間違っているような気がします(*20)
A:私は右傾化は好きではありませんが、あれはあれで、求めているものは、わからないでもないです。
私たちはバブル崩壊後の生まれで、若い頃にデフレや脱サラがインプットされています。
未来がない感じがするのに、日本の良さのようなものを伝えてもらえずに育ちました。
日本人としてのルーツに触れずに育ってきたので、それを肯定したい。
でも歴史を調べると、親の世代が周辺国を侵略した話とかが出てくるので、とりあえず、それを無理やり肯定してみたい、みたいな。


Q:
日本の伝統文化には興味がありますか?
A:とても興味があります。
若い人の間でも流行っていると思います。民族舞踊や箏をしている友人もいます。能などにも興味があります。
若い人たちは日本の文化に限りませんが、伝統的な文化の価値を見直そうと思っている人は多いと思います。
文化的なものからはいる人は多いですし、入りやすいと思います。
伝統文化にきょうみのある友人に会ったら、TOKYOアイヌの話をすると思います。色々な人に伝えて生きたいと思います。


当日、会場で歌を披露してくれた、熊谷たみ子さんのお話は、次便でお送りします。


都心の隣人としての肉声を伝えるドキュメント「TOKYOアイヌ」・注釈とネタバレ部分

本記事の注釈部分があまりにも長くなったことと、映画のネタバレ部分が含まれるために、別にしました。JANJAN上では同じ記事になっています。

都心の隣人としての肉声を伝えるドキュメント「TOKYOアイヌ」

http://www.janjanblog.com/archives/25982

*1 アイヌの歴史年表
筆者が活動をはじめた当初は、アイヌのことを中心に、古代から現代まで記載した年表がなく、自分で作るしかなかった。とくに近現代の事柄について記載されたものは皆無だった。当時の歴史教科書に掲載されていた「アイヌ」の文字は2行。シャクシャインとコシャマインが「反乱」を起こした、というだけの記載であった。アイヌが何かという説明もなく、何かの職業か階級と誤解される可能性もある記述といえた。

参考:
アイヌモシリ・通史(筆者作成の年表) http://www.alles.or.jp/~tariq/kampisosi/historymain.html

*2 宇梶静江
1972年に新聞に「ウタリよ手をつなごう」という投稿を写真入りで行い、首都圏でのアイヌ民族としての活動を開始した。(東京ウタリ会)
現在は刺繍作家。息子は俳優の宇梶剛士。

*3 森谷博
元TBSデイレクター。
代表作に「森の哲学者メイナク族」などがある。

*4 アイヌの治造
浦川治造。宇梶静江さんの弟。

治造さんが題材となっている書籍
「アイヌの治造」(アイヌの治造刊行会/2002)

*5 レラチセ
東京中野・新井薬師にあったアイヌ料理店。アイヌの民族団体・レラの会が運営。
店内には組み立て式のアペオイ(囲炉裏)があったりと、独自の工夫が凝らされていた。
1994年の設立当初は高田馬場の早稲田大学の近くにあった(お好み焼き屋の地下1階)。
2000年に新井薬師に移転。2009年11月に閉店。

*6 バラバラになっていた首都圏のアイヌの団体
東京アイヌ協会
(1996年結成)、
レラの会(1983年結成)、
関東ウタリ会(1980年結成)、
ペウレウタリの会(1964年結成。和人も参加しており民族団体ではない)の4つ。
なお、アイヌウタリ連絡会とは、これらの首都圏のアイヌ団体の連携を図る組織である。

*7 国連で先住民族の権利宣言が可決
差別の禁止、自らの文化にもとずく教育の保障など、先住民族の個人・集団の権利を謳いあげた宣言。人権宣言の先住民族版といえる。
2007年9月、ニューヨークの国連総会において可決。(賛成144、反対4、棄権11)
反対票を投じたのは、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどの国内での先住民族の権利獲得活動が活発な国々であった。この採決にあたり、日本政府は賛成票を投じつつ、採択直後に「日本に存在するアイヌの人々が、同宣言における先住民族にあたるかどうかはわからない」という発言を行った。

*8 アイヌを先住民族と認める国会決議
2008年6月6日、日本政府はアイヌ民族を「先住民族」であると認める国会決議を全会一致で行った。
同年7月の北海道洞爺湖サミットを控えての「駆け込み認定」であった。
この国会決議の前に、国会前にて北海道ウタリ協会(当時。アイヌ協会への名称変更は2009年4月)からの動員も行われる認定要求デモが行われたが、デモ実施時点で「採択は確実」という情報がすでに流れていた。このデモには首都圏のアイヌも多数参加したが、参加者からは「この採択に賛成している国会議員は、ほんとうに先住民族の意味がわかっているのか?」という疑問の声が出ていた。
なお洞爺湖サミットでは、各国閣僚関係者を迎えて、アイヌ民族文化などを交えたレセプションが企画されていたが、世界標準ではアイヌのような人たちを「先住民族」とするのは常識であり、認めないままサミットに突入した場合、通訳が相当の困難を強いられたと予想される。

*9 カムイの取り計らいによって成立?
アイヌの世界観では、人間世界とカムイの世界は相互に補完しあいながら成立している。
アイヌがカムイノミを行う場合、火の神に色々なことを話をして伝えて「とりなし」を頼み、それぞれの神にも伝える。
そうすると、知り合いの多い火の神からと、人間からの両方から当該のカムイに話が伝わり、その神様がやる気になる、という大変人間くさい構造をもっている。
なお、そのような「とりなし」によって話がうまくいった場合、お礼を伝える。
うまくいかなかった場合は、苦情を言う。
カムイノミに伴って、天候が変わったり、なにか超常現象のようなことが起きた場合も、あくまでカムイのとりなしによるものであり「カムイノミをしたその人物に超能力がある」とは解釈しない。

*10 アメイジング グレイス
「すばらしい神の恩寵」という意味の賛美歌。
作曲者は不明。作詞者氏は奴隷貿易船船長で、後にその過去を悔いて牧師に転進したジョン・ニュートン。
原詩は「すばらしい神の恩寵。私のような道を踏み外したものを、神は救ってくださり、いままで見えなかった神の御恵みを、いまは見出すことが出来る」という歌詞で始まる宗教色の強い歌である。

*11 「アイヌを体言」している?
浦川治造さんは独自のキャラクターがあり、それをさしたもの。
同様の雰囲気をもった人物は、海外の日本人の開拓入植地生まれ第一世代で、学校にあまりいっていない人などにみられるので、アイヌ特有のもの、というわけではないかもしれない。

*12 この映画に出てくるのは「移民第一世代」?
自身が北海道出身であり、首都圏に出てきて生活をしている世代、という意味。
アイヌが北海道を出て全国に散らばるのは、戦前から見られた現象であり、第二世代、第三世代は普通に住んでいる。
このような活動の場において発言を行うのは、年齢を問わず、移民第一世代が多い。
一時期もてはやされたアイヌ・レブルズ(*16)も、年代は若いが移民第一世代が中心である。

アイヌの場合、沖縄や在日と違い、なぜか「血が何分の一」という表現が使われることがおおい。これには「一世の住む本国が存在しない」(先住民族とは、そういうものである)ことと、長年行われてきた、日本政府による差別的な政策(血統主義の戸籍をもとにしての諸政策、学校教育、血統に偏った研究、など)によるものが大きい。しかしながら、そもそも「純血の人種」などは妄想の産物であり(従って、現代においても、アイヌに何分の一かを聞くのはナンセンスである)、現在のアイヌの置かれている状態を理解するのには「血の度合い」ではなく、先祖の土地を離れて何代目か、という部分に注目して「移民何世代目」と表現するほうが現実的である。

参考:アイヌにまつわるQ&A・質問集 純血なアイヌは、もういないのですか?

*13 自分のルーツがはっきりわかってうらやましい?
「アイヌであるからルーツがはっきりわかって羨ましい」という意味だと思われる。
映画に出てきている人たちは、アイヌであるという意識を強く(良い意味、悪い意味、あるいは他のもの)もっている人たちなので、そのように見えるかもしれないが、実際にアイヌの血が入っているという程度のことで、そのような強いアイデンティティが発生するわけではないので、誤解である(アイデンティティとは、当人の努力によって獲得されるものでないと腐敗する)。
また、映画の登場人物達も、いろいろと丁寧に話をみていると「強くアイヌを意識」している原因には、過酷な差別体験、出自を隠さざるおえない状況、などが見られるので、そのような体験が含まれるものを「羨ましがる」のは、人間として、いかがなものであろうか。

参考:アイヌにまつわるQ&A・質問集 アイヌの人はルーツがあっていいですね。

この「TOKYOアイヌ」に通底している主題、あるいは現代を生きるアイヌの共通課題のひとつとして「先祖との繋がりの回復」があると筆者は考えるが、なぜ回復する必要があるのかといえば、それが奪われて失われてきたからである。むしろ現代において「アイヌ」であるとこは、一部の恵まれた環境の人たちを除くと、むしろ「ルーツの消失」と同義語である場合も少なくない。
この映画に出ているアイヌたちは「先祖との繋がり」を「もともと持っていた」のではなく、長く失われていたものを努力によって取り戻したのである。ルーツを羨望のまなざしでみるのではなく、その点を評価することを忘れてはならない。
なお和人の場合「先祖との繋がりの回復」は、同化政策と差別の厳しかったアイヌのそれよりも、数段と容易である。容易すぎて誰も大切とは考えない。ルーツがあってうらやましいと感じる人は、まずは、みずからの縁者に話を聞きにいってはどうだろうか? その際には、自分の好みによって先祖(親類)の取捨選択をできるとは考えないことが大切である。

*14 ある人だけがマスメディアに注目されて、コミュニティが壊れてゆく
マスメディア(和人メディア)にとって重宝される人ばかりが「アイヌ」の代表として注目され、その人物の発言だけがアイヌであるかのような錯覚を広められ、妬みや誤解の増幅によってコミュニティに亀裂がはいること。
また呼ばれる人も、マスメディア(和人メディア)の求めるもの把握して「演ずる」ことにより、誤解と軋轢は増幅してゆく。

具体的に筆者が目撃した現象としては…
・アイヌ文化振興法の成立以後「アイヌ文化」の出来るアイヌが、国家の費用を使い、全国各地で(主催者や来場者からみて)無料で講演や展覧会などが開催されるようになり、アイヌ=文化というイメージが流布されて(予算化されて)、それ以外のアイヌの体験や活動が無視されるようになった。
・アイヌと和人がともに参加する活動において、常に多数派の和人の要望にひっぱられる形で意思決定が行われ、いつまでも「入り口としての文化」の活動しかできなくなる。和人は刺繍がうまくなるが、隣人としてのアイヌの声は聞かないまま放置(入り口から次の段階には進まない)。怨嗟が募る。
・多数派の和人による「どちらのアイヌが気に入るかの選挙」のような状態が発生、当のアイヌもそれを意識して「アイヌのスピリチュアルワールド」の話を展開。和人からの「人気度合い」によりアイヌ同士の軋轢が増幅。同時に和人気獲得のために「アイヌ性の安売り」のような状態に陥り、普通の生活をしているアイヌがついていけなくなる。あるいは誤解する。軋轢に巻き込まれてコミュニティから遠ざかる。

*15 北海道におけるウタリ福祉対策
アイヌの家庭の平均所得が低すぎる、生活保護率が高すぎる、などの状況に対して、北海道のみで行われている各種制度。
北海道に住民票のある「ウタリ」にのみ、職業訓練、奨学金、住宅改善基金、年末一時金の貸付などが行われている。
ただし、それぞれの施策に明確な法的根拠は特になく、関係各所ができることを自治体レベルで実施しているにすぎない。
対象である「ウタリ」の認定方法が曖昧、あるいはアイヌの置かれている状況が曖昧(そもそも戸籍に不備が多い←不正のためではなく社会状況による。同世代の北海道の和人の戸籍も不備が多い)であるために、恣意的な運用がある、利権化しているという批判もある。
ただし、このような状況を作ったことの原因には、長年、日本政府が「アイヌは同化していなくなった」という姿勢をとっていたために、建前上はいないもの(でも低所得層が集中)に特別措置をする、という、無理のあることをしていたことが原因であることも、忘れてはならない。

*16「血がなくてもアイヌになれるか」云々の話は、かなりビミョーな方向?
おおくの場合、マスコミイメージ、あるいはアイヌフリークの妄想、場合によってはアイヌ当事者による間違った情報発信、などをもとに作られた「アイヌ像」になりたがる和人が「血は関係なくアイヌになりたい」ということを欲望しているために発生する。
実際に多くの当事者は、当人の意識とはまったく無関係に「アイヌの血」を背負わされており、中には自身が和人だとしか思えない環境で育ちながら、いきなり差別されることで、自身が「アイヌ」であることを知った人もいる。
そのような人たちを前にして、妄想をもとにしたアイヌイメージ(虚構)に同化したい、などと言うのは失礼な話である。
このような話は、つきつめると「差別は見たくないが文化だけ欲しい」という話になる場合が多い。
ただし、同様の発想は当のアイヌでもしていることがある。
なお、このような話の変種としては、アイヌから差別や公式謝罪などの「厳しい話」が出てくると「仲間だと思っていたのに残念だ」「独立しないで日本国内にいるなら我慢しろ」と言い出すものもある。
このような発想も、背景にある欲望を精査すると「差別は見たくないが文化だけ欲しい」という意味になる場合が多い。

*17 アイヌレブルズ
2006年~2009年にかけて関東圏で活躍した団体。
関東圏に移り住んだ、若い世代の「移民第一世代」のアイヌ達が、アイヌ文化を自分流にアレンジした表現活動を行った。
2008年の北海道で開催された先住民族サミットなどでも活躍。各地のステージなどでも人気があったが、結成3年後の2009年に解散した。

*18「腹の据わった」「魂の座った」
アイヌ語では「地に尻のついている」などの表現は、ほめ言葉として使われる。
ただし、ここでそのように表現している人は、そのような文化的背景を知らずに発言している点(しらなかったことを直接確認した)が面白い。

*19 親子代々文化を継いでいるのはアイヌの中でも稀?
「アイヌの人は親子代々、先祖の文化を継いでいる」というのは幻想で、実際には、おおくのアイヌは親から伝統文化を教わっていない。
そのようなことが「できている」人は存在するし、「絵になる」ために、メディアなどにも出る機会が多いが、平均値ではない。

*20 先祖とのつながりを回復する方法が間違っている?
右傾化している人たちの中には「国家」や「天皇」と「自分の先祖」を履き違えている場合がある。それぞれ全く別のものである。
自分の先祖との繋がりが良好でない、あるいは実感できない、あるいは親と仲が悪いからといって、本当の先祖をないがしろにしたり、勝手にデザインしてはいけないはずである。


参考リンク:
ドキュメンタリー映画 TOKYO アイヌ
http://www.2kamuymintara.com/film/index.htm
『アイヌ』にまつわるQ&A
http://www.alles.or.jp/~tariq/Q&A/What_is_ainu.html
アイヌウタリ連絡会
http://ameblo.jp/ainu-utari-renrakukai/
mixiコミュニティ「TOKYOアイヌ(映画)」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5375504

関連記事:
アイヌ感謝祭 盛況に終わる。
http://www.janjanblog.com/archives/6542
「イフンケに守られて」映像にあふれる思い
http://www.news.janjan.jp/culture/0907/0907257745/1.php
ウタリ協会が「アイヌ協会」に名称変更した意味
http://www.news.janjan.jp/area/0904/0904020714/1.php
日本:衆参両院がアイヌ決議を可決
http://www.news.janjan.jp/world/0806/0806169755/1.php
ようやく認められたアイヌ「列島の先住民族」決議
http://www.news.janjan.jp/area/0806/0806070930/1.php
東京の街に響くアイヌの歌声~フィールドワーク「アイヌと歩む……東京アイヌ史」に参加して
http://www.news.janjan.jp/culture/0708/0708231209/1.php
アイヌ民族の今と未来 「文化振興法制定」10年
http://www.news.janjan.jp/living/0705/0705165569/1.php

 

}{}{ 以下、映画のネタバレあり。気にする人は見ないでください }{}{

 
●映画の本編において、かなり印象に残った話
「内地に出てくると、北海道のような差別がない。それがうれしくてうれしくて」
「内地では表面上は差別がなくなっているように見えるが、実は差別はきつくなっている」
「なぜアイヌが首都圏にでてきたのかと、毎回聞かれるけども、それは出てこざるおえなかったからである。変わらなければならないのは、アイヌのほうではなくて和人のほうであるはずだ」
「(アイヌ民族が先住民族だと認定された後で)しかし、政治家は誰一人として謝罪はしなかった」 
 
 
宇梶静江さんのジョーズ発言
「和人がアイヌの文化をみてカッコイイという。そのような和人を見るたびに、なんつったか、人食い鮫が人を食べにくる映画…ジョーズか、あのサメの大きな口のように、和人にアイヌが飲み込まれていくような気がした」

浦川治造さんの最後の言葉
「本当はね、関東でもアイヌ問題はいろいろあった。4団体もあって仲が悪かった。アイヌの恥。ここだから言う。言わないとわからない。だけどさいきん仲良くなったね。手をつないで、上を向いて歩こう」

先住民族にたいする公式謝罪のあり方と市民社会の和解努力(札幌)

札幌でのイベントの企画ですが、かなり重要な演目なので、ご紹介します。

日本政府はアイヌを先住民族と認めたものの、まだ公式謝罪はしておりません。
というか、全会一致で可決したものの、賛成票を投じた議員の何割が
「先住民族」の意味が、わかっているのかどうか怪しい、といっても良い状況です。

(先住民族は「先に住んでいた」というだけの意味ではありません
参考: http://www.janjanblog.com/archives/19438   http://www.janjannews.jp/archives/2854100.html)

「公式謝罪」は、もちろん政府のすることですが、じゃあ市民(和人)社会は、政府を非難していればいいのか?
ところがどっこい「先住民族の意味がわかっていない」のは、市民(和人)も同様ではないでしょうか?

国会議員は国民の代表。
なかには代表と言いがたい人もいると思いますが、代議士が意識しているのは、有権者の興味の動向です。
この日本国において、主力の有権者である和人のみなさまが、アイヌについてまったく興味がない、
あるいは適当に自分勝手な理解をしている、という状態では、代議士がこの問題に無責任なのも、無理はないかもしれません。

***

世界先住民族ネットワークAINU学習会・第六回

先住民族にたいする公式謝罪のあり方と市民社会の和解努力
~オーストラリアの事例から学ぶこと~


日時:2010年12月10日(金) 18時開場
場所:札幌エルプラザ(札幌市男女共同参画)2階「環境研修室2」
(地下鉄さっぽろ駅下車・北口地下通路12番出口から直通)

参加費:無料 資料代:500円
講師:寺地五一

主催・問い合わせ:
ら会先住民族ネットワークAINU
札幌事務局(島崎)TEL:090-2056-0272 FAX:011-593-0655
阿寒事務局(秋辺)TEL:090-9519-9392 FAX:0154-67-2457
http://www.win-ainu.com/index.html

ピリカメノコ展

ピリカメノコ展

アイヌ文化にふれる
人間と自然は共に生きていくものという考えをもっている「アイヌ」が独自に育んできた文化。
その中でも生活の中から生み出された芸術アイヌ文様に光を当て、着物やタペストリーなどをご紹介します。
文様から「アイヌ文化」をご覧ください。

日時:11月16日(火)~21日(日) 9:30-18:00
場所:中区市民ギャラリー(地下鉄・市バス「栄」下車徒歩5分)

主催:川上裕子
助成:財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構
協力・デザイン:齋藤祐二

「13人のグランマ」COP10で記者会見。会場からの発言で質問時間消滅。

http://www.janjanblog.com/archives/19940

「13人のグランマ」COP10で記者会見。会場からの発言で質問時間消滅。

10/19、先日プロモーションビデオを見て、日本語では紹介されていない「先住民族としての政治性」についての報告を行った、「13人のグランマ」達が記者会見を行いました。
その記者会見での出来事をリポートします。

・「13人のグランマザー」精神性の影に強い「先住民族としての政治」を見る。(10/18-20)
http://www.janjanblog.com/archives/18772

記者会見の会場は「フォーラム会場」と呼ばれている、白鳥国際会議場の隣にある、名古屋学院大学体育館で開催されました。
路上、会場内ともに、棒を持った警官がウロウロしており、過剰警備で色々と面倒くさい白鳥国際会議場周辺ですが「フォーラム会場」である大学構内には、棒を持った警官がおらず、ノルマ職質をかけてくる警察(*1)もおらず、普通に安心して出入りをしたり、写真を撮ったり、周囲を見て回ることが可能です。
過剰警備を跳ね返す、大学のこのような雰囲気の違いに「学問の自由」の威力を感じます。

さて、ただの記念撮影にも難癖をつける警察による過剰警備の指摘はこれくらいにして、本題に移ります。

「13人のグランマ」と、スタッフのみなさん。中央手前はCBD市民ネットワークのスタッフ。左端には山道さんも写っている。

「13人のグランマ」と、スタッフのみなさん。中央手前はCBD市民ネットワークのスタッフ。左端には山道さんも写っている。

●13人のグランマザーの記者会見。

「フォーラム会場」である体育館の2階にある、大きな体育館では、内部がいくつかの空間に仕切られていて、環境に関するポスターが張られていたりします。
そのなかのもっとも大きい空間が記者会見会場でした。
会場正面の演題の上には、海外から遠路はるばるやってきた「13人のグランマザー(実際に来たのはメンバー11人+じいさん1人)」がズラっと並んでいます。
カラフルな民族衣装の人もいれば、普通の洋服の人もいます。
何か羽のようなもののついた大きな杖をもった人と、口の下に3本の線のペイントをした人(*2)が目に付きます。
それぞれのお年寄りのうろしの席には、通訳や縁者とおもわれる人が座っています。
みなさんかなり高齢であることから、舞台の照明がかなり暗めの設定なので、表情はちょっとわかりにくいです。
記者会見にやってきていたメディア関係者は100人ほど。
会場のスタッフや関係者には、白っぽい服装をした「スピリチュアルっぽい人(*3)」が結構まじっています。

代わる代わる、グランマザーの皆さんが話をします。
日系移民2世のブラジルのクララさんは日本語で話しますが、他の先住民族の人の多くは英語。
中には、スペイン語の人や、聞きなれない北米先住民族っぽい言語(おそらくラコタ語)の人もいました。
入り口で配られていた同時通訳機は、英語・日本語の2チャンネルだけなので、英語か日本語以外の話し手の場合は、後ろに控えている通訳者が話してから同時通訳が入ります。
同時期に開催されていた先住民族サミットでは、機械を使った同時通訳ではなくて、話者と通訳者が交互に話す、ということをしてたのとは対照的です。
同時通訳は設備も必要で、通訳者のレベルも高くないといけないので(日本語と英語は意味構成が逆なので同時通訳しにくい)、さすがは大学での開催といったところでしょうか。

語られる内容は、現代文明は自然環境を破壊してきたとか、精神的な価値や祈りを軽視してきたとか、
これからの子孫のために生物多様性を大切にするためには、先住民族の知識が必要だとか、
先住民族はもともと生物多様性とともに生きてきたとか、
先住民族のもつ薬草知識などを普及し、役立てるプログラムを実施しているとか、
私達の次世代を教育するために何をしているとか、
そのような話を、それぞれの地域の先住民族の話とともに、ずっとしていました。

「13人のグランマ」の記者会見の様子。お年寄りに配慮してか、照明が落し気味である。

「13人のグランマ」の記者会見の様子。お年寄りに配慮してか、照明が落し気味である。

それぞれのお年寄りの話は、かなり興味深いものでしたが、いかんせん人数が多く、お互いの話が被ってしまう部分も散見されて、(似た話が出るのは、違う民族の別のお年寄り達への共感をこめて語っているのも、あるかもしれませんが)
やや冗長な感じがしましたが、COP10会場にある色々な展示物や出展物のノリから見れば「13人のグランマザー」の存在は異色であり、精神性といいつつも、話している内容は具体的だったりするので、よいものであったと思います。

全体的に記者会見を意識してか、精神世界の話は控えめになっていました。
ですが、筆者としては、13人のご老人方が、体を張って世界をまたにかけて「ローマ法王に異議申し立てをした」アクションについての話が紹介されていないのは、非常に不満だし、その一点が欠けていると、メディアのみなさんの見方も違ってしまう、というか、さすがに精神世界とか、先祖伝来の話とか、先住民族の知恵という抽象的な話ばかりでは、マスメディアの人たちも記事にしにくいんじゃないか、と思ったこともあり、質問時間には、ぜひとも「この件」について話をしようと、英語に訳しやすいような話し方を、色々と考えながら待機していました。

●「チーフシアトルのメッセージ」が紹介される。ただし、これは作り話である。

グランマザーの人たちの長い話が一通りおわって、司会者のほうから「インスピレーションを得た」日本語の文章が紹介されました。
それは「シアトル首長から宛てられた手紙」(*4)でした。
グランマの一人のクララさんの考えによると、この「メッセージ」は、もともと日本人や他の人も先住民だったけども、いまはもう忘れているだろうから、紹介します、という話になってました。(*5)
なぜか「チェロキーの話」になっていたのは、ご愛嬌でしょう(シアトル氏はチェロキーではなくドゥアミッシュ出身であるが、クララさんはブラジルの日系移民2世で開拓地のジャングル暮らしなので、北米インディアンについての情報に疎いのも無理はないかもしれない)。

その話の内容としては、土地を買いたいといってきたアメリカ大統領に向かって、チーフシアトルが、

「アメリカ大統領が土地を買いたいと言って来たが、自然は美しく人の作ったものではない。
動物達も人間もひとつの家族である。大地や自然は売り買いできるものではない。
白い人たちに土地を売っても、私達がしたように大切してくれ」

というようなことを言った、あるいは書簡で送った、という話です。
ネットで「シアトル首長」などと検索すると、かなりの数の違う形式のものが出てきます。
絵本として出版されたりしており、先住民族文化に憧憬のある人や、スピリチュアルなことが好きな人たちの間で、かなり「もたはやされて」いる話です。

ですが、実はこの「メッセージ」は、実態としては存在していない「後世に都合よく作り上げられたイメージ」なのです。
「シアトル首長」は実在の人物ですが、そのようなメッセージは存在していません。

よく考えて見れば、かなり凄惨な殺し合いをしたあと、しかも虐殺の遺族が存命している時期に、敵(アメリカ大統領)に対して土地を売った上で「私達の土地を私達のように愛してほしい」とか「私達は兄弟である」などという人が、いやしくも部族の長と押される人物(利益代表でもある)に、いるはずもないと思います。先住民族もごく普通の人間であり、憎しみや悲しみの感情はあるのですから。

筆者は「シアトル首長のメッセージ」からは、先住民族を聖人か、はたまた人間ではないものとして見たがっている「欲望」を感じます。
もちろん、当の先住民族自身も、そのような「欲望」を戦略的に利用することがあるので、非先住民族ばかりを責められませんが、居留地のインディアンの若者が仕事がなくて困っている、という話を「ありがたいスピリチュアルな話」として拝まれても(*7)、それは話を無視されいるのとどう違うのか、と思います。

この問題は、かなり困った話なのですが、このような場面で、何度も何度も引用されています。
問題を指摘しても「シアトル首長の意向には逆らっていない(逆らっている可能性甚大。*4参照)」という話になったり「書簡ではなくメッセージにしたので嘘ではない」などという理屈で、執拗に語られ続けています。
この件については、後日改めて、記事を起こす必要があるかもしれません。

「13人のグランマザー」の皆さんに謝意を伝えるCBD市民ネットワーク顧問の武者小路公秀さん。武者小路氏も十分に「長老」である。

「13人のグランマザー」の皆さんに謝意を伝えるCBD市民ネットワーク顧問の武者小路公秀さん。武者小路氏も十分に「長老」である。

●やっとで記者会見タイム。その顛末は…

さて、メディアの人が優先して質問できる、ということでしたが、自分の場合はメディアといっても賃金の出ていない独立系メディア(*6)ですので、誰か職業メディアの人が質問をしてから、おもむろに質問しようと身構えていると、
前のほうに、アイヌの服を着込んだ人たちと一緒に座っている一団の中に、随分と恰幅のいい人がおり、手をあげて質問を開始しました。
二風谷で独自の活動を展開する山道康子(*8)さんと、そのお仲間のみなさんでした。

山道さんは、5分間もマイクを握りっぱなしで、延々と話をしていました。
内容としては、グランマザーの人たちが話をしていたようなことと、似たようなことで、質問というか自分の考えの披露、といたった傾向のものです。
山道さんがマイクを話したところで、時間がなくなってしまい、質問時間が欠乏。
主催者の方が「質問にお答えしたかったのですが、撤収しなければならない時間がきてしまいました」ということでしたが、
グランマザーの一人の方が気を利かせて「最後に一人だけ」ということを会場にアナウンスして、質問者が出ました(主催者泣かせのグランマ、偉いぞ)。

会場では多数の人が手を上げますが、前の方に座っていた人が、
「日本の森は戦後に針葉樹を植林して、実がならなくなり、わずかに残された自然の森も、今年は大凶作で食べ物がない。それで動物が山から出てくるのですが、政府は動物にエサをやらないようにして殺していますが、どう思いますか?」という質問をしました(質問時間・1分半)。
この質問の後、司会者からまとめて質問に答えたいので、もうひとつ質問はないでしょうか、3分ほどでお願いします。
ということだったので、筆者も質問をしようかと思っていると、会場から「ヒーラーをしている」というヒゲをはやした外国の方(?)が出てきて、グランマザーの人たちを差し置いて、勝手に質問に答え始めました。
この間、実にきっかり3分間。
これで、グランマザーの方が「気を利かせて(主催者を泣かせて)」確保してくれた時間が大幅になくなってしまいました。
グランマザーの皆さんは、通訳を介するという困難の中、かなりがんばって答えていましたが、質問への答えも不十分な感じで終わってしまいました。
同時通訳の方が、イヤホンの向こうで思わずつぶやいた「あの人、(グランマを)無視して勝手に会場からの質問に答えているよね」という言葉が印象に残ります。

このような「質問時間に皆で共有できる話題ではなく、自分の決意表明、思想表明、活動紹介などを繰り返し、挙句の果てには質問者同士で勝手に話をして、肝心のパネラーに何も聞けなくなる」という現象は、日本の市民集会、とくに団塊の世代の多い集会などで、よくみられる「日本の市民活動のレベルの低さ」を象徴する現象ともいえるのですが、まさかメディアが多数きている記者会見の場所で発生するとは思っていなかったので、かなり「度肝を抜かれ」ました。

 
●武者小路先生の挨拶
このあと、フォーラムの世話人をしている
武者小路公秀(CBDネットワーク顧問)(*9)さんからの挨拶がありました。

「皆さんがお話してくださった、母なる大地を癒すこと、生物多様性を守ることに関して、これから10日間、女性達と話し合いをし、先住民族とも話し合いをします。
そのはじまりの日に、はじまりの終わりだけども、実ははじめの日に、頭で考えるのではなく、心でもって話し合う、その準備をつけてくださったことは、すばらしい出発になったことで、お礼を差し上げたいと思います。
とくに、母なる大地について考えることには、近代的な言葉で考えるだけでなく、先住民族の人たちの保持してきた知識や感覚を大切にすることが大事なことです。」

武者小路さんは、日本語で話をしたあとに、自分で英語で話をしていました。
このあと、壇上に並んだ「13人のグランマザー」の人たちの撮影タイムがあり、照明が少し明るくなります。

「13人のグランマザー」は、アメリカの運動らしく、撮影OKな時間とそうでない時間の区別がハッキリしているようです。

「バチカンは先住民族の皆さんに謝罪する必要がありますが、今の法王では難しいでしょうね」と語る武者小路先生。

「バチカンは先住民族の皆さんに謝罪する必要がありますが、今の法王では難しいでしょうね」と語る武者小路先生。

質問時間のあまりの展開に、かなり「腹のたった」筆者は、武者小路先生を捕まえて、質問内容を伝えることにしました。

Q:COP10という会議の場に「13人のグランマザー」の皆さんが来られたことはどう思われますか?
A:みなさんに来ていただいたのは、大変すばらしいことでした。
国際会議には専門家が多くなり、どうしても頭で考える人ばかりになりがちです。
今回のCOP10でも、先住民族の権利や英知といったことが話題になるわけですが、来ている人達は頭のほうがおおきくなっている人たちが多いので、そうではない価値観の人たちが着てくれるというのは大きいことです。

Q:「13人のグランマザー」のみなさんは、精神性や先住民族の知恵、のような部分ばかりクローズアップされていますが、英語サイトをみていると、実はバチカンに対して異議申し立て活動を展開したりしています。バチカンでは警察まで呼ばれていました。
A:そうなんですか。それはまったく知りませんでした。バチカンは世界の侵略に加担していますから、対抗アクションをすることは、とても意義深いことです。
具体的な資料がほしいですね。どのようなことへの異議申し立てですか?

Q:具体的には、コロンブスの大陸発見をきっかけとして、1492年にローマ法王が出した「新しく発見されるキリスト強国ではない国は侵略してもよい」という声明にたいするアクションです。
この声明はヨーロッパ世界の先住民族世界への侵略を公認し、翌年のトルデリシャス条約による世界分割を保障するものとなりました。
A:トルデリシャス条約のことは知っています。あの頃の条約によると日本も勝手に分割されてしまいますよね。

Q:「13人のグランマザー」のみなさんは、バチカンに要望書を送ったり、ダライラマに会いに行ったりしてアクションを起こしていますが、日本のメディアは注目していません。
また、その当時の侵略許可の声明は、カトリック内部でも問題視されていたはずですが、特に前進はしていないようです。
A:それはすばらしいですね。
非常に意味のあるアクションで私も応援したいのですが、今のローマ法王相手(*10)では、なかなか難しそうですね。

Q:質問時間に質問して、みなさんと共有したかったのですが、それが出来なかったことが無念です。カトリック教徒でもある武者先生に、なにかの機会に話題にしていただけるようにお願いしたいです。
A:わかりました。情報ありがとうございます。

記者会見で質問の時間がとれなかったことは、かなり残念でしたが、
武者小路先生は、このフォーラムでもCOP10でも、色々なところに顔を出していると思うので「13人のグランマの先住民族としての政治」の話は、少しは広まるかもしれません。

肝心のCOP10会場での記者会見で、質問時間がなくなってしまった13人のグランマ達。
各メディアでは、どのような取り上げ方をされるのかが気になります。

記者会見のあった日の午後、熱田神宮で開催されていた「13人のグランマ」の会合。長旅で疲れていたにも関わらず、みなさんがんばっていた。

記者会見のあった日の午後、熱田神宮で開催されていた「13人のグランマ」の会合。長旅で疲れていたにも関わらず、みなさんがんばっていた。

*1 ノルマ職質
「職務質問をノルマのように仕掛けてくる警官」の意味。
職務質問とは、とくに犯罪などを犯していない通行人に対して、警官がなにをしているのか、などと難癖を付けて、色々と聞いてくる行為であるが、ほとんど屁理屈に近い「難癖」であることが多い。
一説には、この職務質問には「ノルマ」が課せられており、とにかく一定数こなさないといけないので、誰彼かまわず(あるいは気の弱そうな人を選んで)職質しているらしい。
COP10会場には、そのようにしかおもえない警官が多数、棒をもってうろついていた。

「職務質問」の根拠となる法律は下記。
警察官職務執行法2条第1項
警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行なわれた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問をすることができる。

「職務質問」にたいし、された側には協力する義務は無いので「協力しない。理由は言いたくも無い。(あるいは警官の対応に問題があり気に入らない)」という対処で法的にも十分である。
しかしながら、警察が質問される側の知識不足につけこんで「協力する義務がある」「従わないといけないことになっている」などという事を言う場合があるが、法律や判例では従わなくてよい事が明示されている。
さらには、職務質問を明確に拒否しているにもかかわらず、警察側の違法な行為(制止する、無理やり荷物を調べる、等)の結果「犯罪」が立証された場合でも、その証拠能力が無効とされて無罪となる判例が多数存在しており、有無を言わさぬ職務質問の強要は犯罪の検挙にとって逆効果になる場合もある。

参考リンク:白川勝彦Web 政治理念 忍び寄る警察国家の影(元国家公安委員長の弁護士が不当な職質に会った話)
http://www.liberal-shirakawa.net/idea/policestate.html
警察官による人権侵害 (前) 三上英次(ノルマ職質について書かれている)
http://www.janjanblog.com/archives/19151

*2 口の下に3本のペイントをした人
アグネス・ベイカー・ピルグリム(Agnes Baker-Pilgrim)。オレゴン州南部、先住民族タケルマの人。

*3 白っぽい服装をしたスピリチュアルな人
筆者が勝手にそう言っているだけで、服装で思想傾向が判るわけではないが、スピリチュアルな世界に興味がある関係者には、白っぽくてゆったりした服装の人が多い傾向があるように思う。

*4 シアトル首長からのメッセージ
「シアトル酋長がピアス大統領に宛てた手紙」ともいわれる創作ストーリー。
先住民族ドゥアミッシュとスクウォミッシュのリーダーであったチーフシアトルが、1854年に、アメリカ大統領がドアミッシュの土地を買いたい、という申し出をした際に、書簡で送った、あるいは演説をした、ということになっている。

おもな「ストーリー」の内容としては…
「土地や水や空気は誰のものでもないので売り買いできない。不思議なことだ」
「バァッファローがいなくなった」
「動物も人間も生命の織物なのだ」
「この土地を我々が愛したように愛してほしい」
「インディアンと白人は兄弟である」というのよな語句が並べられているものが多い。これらはすべて侵略者である白人側の創作物である。

ただし、シアトル首長は実在しており、スティーヴン知事(大統領ではない)と1854年に土地の交渉について会談したことは事実である。その会談の際の話の内容について、会談の33年後の1887年に、ヘンリー・A・スミス博士がメモをもとに新聞向けに書き起こした「原文」が存在する。

しかしながら、その内容は…

「我々の時代は終わった。白人への復習を考える若者は多いが、年寄り達は平和を望んでいる」
「白人の大統領は我々を保護せず、白人の神は我々を守らない」
「白人とは兄弟になれない。朝と昼が共に来ることのないように、共存はありえない(だから我々は居留地に移る)」
「先祖の墓を離れて旅をする白人とは違い、我々は先祖の灰とともにある」
「土地を売り居留地に移ることに承諾しても良いが、先祖の墓を訪れる権利は保障しろ」
「我々が滅び去っても、この世界が白人のものになるわけではない。死者には力があり、我々の霊はいたるところに居る」
(英文の原文はコチラ→http://www.synaptic.bc.ca/ejournal/SeattleSpeechVersion1.htm)

というような内容であり、現在流布されている「シアトル首長のメッセージ」とは、まったく異なる内容である。
この「原文」を、後世の自然至上主義の白人の活動家達が、あるいは映画の脚本家が、自分達にとって「気持ちのいいもの」に書き換えたのが、現在流布されている「シアトル首長のメッセージ」である。

…実在した人物であるシアトル首長は、この状況をどう思っているだろうか?
言ったとされることとは真逆の内容を流布されて、シアトル氏が草葉の陰で泣いているような気もする。なお、シアトル首長が土地の条約に調印した翌年、シアトル・インディアン戦争と呼ばれる戦争が勃発した。
当たり前だが、インディアンと白人は兄弟ではなかったのである。

参考:インディアンの言葉・シアトル首長の言葉(典型的な創作ストーリーが書かれている)
http://www.aritearu.com/Influence/Native/Nativeword/Word4.htm
偽書の精神史:シアトル酋長がピアス大統領に宛てた手紙(日本史・世界史) – ヒロさん日記(偽書疑惑を告発)
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1416929
先住民族スクワミッシュの公式サイト(英語)
http://suquamish.org/Home.aspx

*5 日本人もかつて先住民族であった?
よく話される言説であるが、Martinez-Cobo(1984)による先住民族の定義によると、明確に間違いである。
ただし「先住民=自然との共生をしていた民」という解釈のもとであれば、間違いとは言いがたい。
筆者は、日本人の農村部の老人からは、アイヌの老人達から学ぶのと同様に「自然との共生の知恵」を学んだり触れたりすることをしてきたので、そのような生活をしている人たちのことを「自然との共生の知恵に関しては先住民のようなもの」と捉えることは可能である。
ただし、COP10などの国際会議で定義されている先住民族と、そうではない人たちとでは、共生の知恵を保持している「自然民」であったとしても、直面している課題には、かなり違いがある(自然民には入会権問題はあっても同化政策などの問題はあまり存在しない)。
なお、先住民族サミットで発表されたCOP10に向けた声明では、そのような「自然民」のことを「里人(SATO-BITO)」という用語を使用して、先住民族と里人の相互の連携を訴えていた。

*6 賃金も出ていない独立系メディア
このJANJANのこと。
もちろん、記者として無責任にならないように勤めているものの、一般的なメディアのように編集部デスクが機能しているわけではないので、質を担保するものがなく、内容的には玉石混交である。
筆者の場合、取材現場などで鉢合わせをした場合、仕事で来ているメディアには一歩譲ることにしている(マスメディアは取材に時間をかけないことがおおいので、放っておいてもいなくなることが多い)。

*7 先住民族の現代の課題の話を、ありがたいスコピリチュアルな話として拝まれる。
アイヌ民族の話をする催しなどで、かなり頻繁に発生している。実際に「先住民族サミットinあいち」でも目撃したし、参加者から、話の内容ではなく「話者からの(スピリチュアル)エネルギーがすごかった」という話をふられて、返答に困ったことが(何回も)あった。先住民族が現在も抱える深刻な社会問題の話を聞かずに、エネルギーとか波動を「受信」するだけというのは、どうなのだろうか?
なお、筆者が講演で呼ばれるときには、そのようなお客はめったに来ない。きっとオーラが悪いのだろう。

*8  山道康子さん
アシリ・レラ(新しい・風)という名前で活動しているアイヌ民族の活動家。
ヒッピーな人やスピリチュアルな人達に、大変な人気があり、日本三大ヒッピー祭りとも言われる「アイヌ一万年祭(夏頃開催)」などを主催している。
アイヌ民族の文化をベースとして、独自に発展させた世界観をもっており、その活動には、和人の人たちにアイヌ語の名前を与えてみたり、和人も1/4アイヌだと言ってみたり、周囲に集まる人たちが個性的すぎたり、自らシャーマンだと言ってみたりなど、他のアイヌ民族の活動には見られない、かなり個性的なものが含まれている。
そのような山道さんの話を聞いた人が、他のアイヌも山道さんのようなものだと誤解して、軋轢が発生している場合がある。
もちろん、アイヌ民族の中にも「ヒッピーやスピリチュアル」の好きな人、レゲエの人、それらを容認する人などが、それなりにいるので、アイヌ民族の中でも、そのような価値観の人には人気がある。

参考リンク:アシリレラ公式サイト
http://www14.plala.or.jp/AsiriLela/

*9 武者小路公秀
1929年ベルギー生まれ。父親は日独伊三国同盟を調印した武者小路公共。研究者。活動家。カトリック教徒。
幼少の頃に海外在住があり「マイノリティ日本人」として、特殊な環境下にあったことも影響してか、移民、異教徒、先住民などの民族的マイノリティ問題に理解を示すことが多い(公秀氏の「幼少」時代は相当に古い時代であることに留意)。
アメリカ同時多発テロ事件に対して、アメリカが事件を最大限に利用した事、その際に噴出したイスラムに対する偏見は、かつて(あるいは今も)日本に向けられていた偏見と同質のものである点を指摘したが、これにたいして「テロ擁護者である」という書き方をされることの多い人物である。

参考リンク:武者小路フォーラム(ウィキペディアに私について大変迷惑な解説が出ていた事をきっかけに作成したウェッブサイト←本人談)
http://mushakoji.com/hajimeni.php

*10 今のローマ法王(教皇)
ベネディクト16世。ジェンダーや同性愛、イスラムに対する批判だけでなく、他のキリスト教会に対する保守的・排他的な言動で知られる。
HIV流行地域のアフリカでコンドームの使用に反対したり、教皇辞任を求めるデモを起こされたり、ミサで参加者に襲われたり、人相が悪いので画像を悪役キャラにされたりと、話題に事欠かない人物である。

 
特集・COP10:
・祝島(上原)原発に世界の注目を。COP10会場にてハンスト決行中。
http://www.janjanblog.com/archives/19830
・「先住民族サミット」初日。上村英明さんCOP10での戦略を聞く。
http://www.janjanblog.com/archives/19438
・COP10おむすび村開村。祝島(上関)原発からのSOSに答えて人を送り出す。
http://www.janjanblog.com/archives/19336
・「先住民族サミットinあいち」G8での開催に続き、今度はCOP10でも開催。(10/15-18)
http://www.janjanblog.com/archives/19290
・「13人のグランマザー」精神性の影に強い「先住民族としての政治」を見る。(10/18-20)
http://www.janjanblog.com/archives/18772
・人と人を結ぶ空間に」COP10期間中宿泊OK。「おむすび村」(10/10-29)
http://www.janjanblog.com/archives/18728
・生物多様性フォーラム、MOP5報告会(10/10,10/11,10/16)
http://www.janjanblog.com/archives/18342
・まもなくCOP10開催。みんなで作る村と通貨のアースキャンプ。(10月8日~11日)
http://www.janjanblog.com/archives/18348

「先住民族サミット」初日。上村英明さんCOP10での戦略を聞く。

http://www.janjanblog.com/archives/19438

「先住民族サミット」初日。上村英明さんにCOP10での戦略を聞く。

愛知県では、COP10(MOP5)が開催されていますが、同時期に「先住民族サミットinあいち」が開催されています。
この先住民族サミットは2008年に洞爺湖で開催された「先住民族サミット2008」の続編のようなもので、世界古代文明フォーラムとともに「世界の里フェスタ」として、複数の会場で開催されます。

「マウコピリカ音楽祭」で、伝統舞踊のフッタレチュイを披露する、ミナミナの会のみなさん。

「マウコピリカ音楽祭」で、伝統舞踊のフッタレチュイを披露する、ミナミナの会のみなさん。

15日の初日は、名古屋市の中心部の朝日新聞社のホールで開催されました。
前半は学者のみなさん、先住民族のみなさんによる講演。
後半は音楽祭が行われました。

演目の中から、筆者の印象に残ったものを紹介するとともに、
会場でお会いした市民外交センターの上村英明さんに、COP10における先住民族の位置付けや、会議での戦略をお聞きしましたので紹介します。

「先住民族サミット」の会場で、COP10について解説してくれた上村英明さん。

「先住民族サミット」の会場で、COP10について解説してくれた上村英明さん。

まずは上村英明さんにお聞きした、今回のCOP10での先住民族の位置付けについての話を紹介します。

Q:今回のCOP10は、先住民族も絡んでいるという話ですが、どういう意味でしょうか?
A:1992年に国連の会議でさ委託された「生物多様性条約(CBD)」の条文の中に、具体的に「先住民族」という文言がでています。
生物多様性を保全したり、遺伝子資源の権利に関係することについて、先住民族の存在を無視できなくなってきているということです。
具体的には8条J項、10条C項などに「先住民族」という言葉が入っています。

生物多様性条約(CBD)の目的には
「生物と生息環境の保全」
「生物資源の持続可能な利用」
「遺伝資源から得られる利益の公正・衡平な配分(ABS)」の三つがあります。
このABSに関する話で、生物資源の利用法を伝統的な知識として保持してきた先住民族にも利益配分を行ったり、地域の環境保全に先住民族の知恵を活用したり、先住民族に活躍してもらうことが謳われているわけです。

ただ、条文に書かれているだけでは強いアクションにつながりませんが、2007年に「先住民族の権利宣言案」というものが採択されています。
このような大きな動きのあとにあるCOP10ですから、先住民族の存在感は、より具体的に、強く意識されるはずであり、今回のCOP10においては、先住民族との関係が強いといわれています。

Q:世界的な流れの中で、先住民族が強く認識される会議であることはわかりましたが、具体的にはなにを実現することが目標でしょうか?
A:今回の愛知県での会議ではABSに関する議定書がつくられます。その中に具体的な文言として、生物資源へのアクセスや、遺伝子資源などの利用について、その資源を保全したり、利用法を伝えてきたり、資源のある地域に住んでいる、先住民族の承認が必要である、という言葉を、文章の中にいれることが目標です。

Q:表現を具体的に入れるといっても、その認証を求める権利主体の「先住民族」が誰か、という問題は、いろいろとありそうですね。
A:そのとおりですが、誰が先住民族であれ、国家ではなくて先住民族に権利がある、ということをいれておく必要があります。
誰が先住民族であるかと、遺伝子資源や生態系についての話を、国家同士がすべて管理してしまってよい、という問題は、別の問題です。
南北問題も大きな課題ですが、いままでの条約や国際的な流れのように、国家の間同士でなにかを決めてしまう、先進地域、行進地域ともに、とにかく国家がきめてしまい、支配することができてしまう、という話にしてしまっては、意味がありません。
そうしないと、いままで国家が管理していた多くの問題のように、問題が解決しないおそれがあります。
国家同士の力関係の中に「先住民族」という要素をいかにいれるか、ということをできるかが大きいと思います。

Q:そのような駆け引きは、いつごろはじまるのでしょうか?
A:具体的には来週はじまるCOP10での話し合いから、その駆け引きがはじまります。
COP10参加者で、この会場に来ている人達も、そのあたりの会議に出て戦うためにやってきた人達です。

Q:COP10での先住民族の存在を主張していく方法は、うまくいきそうですか?
A:残念ながら、かなり厳しいといわざるおえません。
この会議に出てくる人達の多くは、環境の専門家です。
どうしても、貧困や人権、先住民族のことは話題になりにくいです。
みなさん本当に頭にないのか、戦略としてまだ話題にしていないだけなのかは、わかりませんが、現在のところ、人権や先住民族の話は、ほとんど出ていません。
抽象的な「環境の権利」ではなくて、具体的な人権、誰かの権利として具体化を実現していかないと、効力はほとんどないと思います。
状況はとても厳しいですが、市民の力でおしかえしていきたいと思います。

Q:もし、名古屋議定書で、生物資源の活用する際に、先住民族の権利も配慮すること、という文言が加えられた場合、たとえば、アイヌ民族の場合、ギョウジャニンニク(*1)などを利用した商品にも影響が出るということでしょうか?
A:当然、利益分配の対象となりえます。ギョウジャニンニクだけでなく、カバノアナタケなどのアイヌ民族が伝統的に使用していた薬草も対象となります。

上村英明さんは、この日に名古屋入りをしたばかりで、とても忙しそうでした。
先住民族サミットの合間に、戦略会議をしている時間をぬって、状況についてご紹介いただきました。

今回の「先住民族サミット」にも、そのような傾向がありますが、
「おむすび村」などの「便乗イベント」では、広告代理店のイメージ戦略に騙されないぞ、という意気込み画あったとしても、実は会議の中身がよくわっていないことは変わらないので、「いのちのちながりが大切」というような、広告代理店の流布しているものとたいして変わらない、抽象的な話に傾倒しがちです。
ですが、実際に国際会議を戦場としている方の話は、わかりやすく具体的であり、「正体不明」な感じのする会議の匂いに、少し触れることができたような気がします。

「先住民族サミット」で発表する、カナル・キソル・チャンドラさん(左)。右手には、司会の広田奈津子さんと稲村哲也教授が見える。

「先住民族サミット」で発表する、カナル・キソル・チャンドラさん(左)。右手には、司会の広田奈津子さんと稲村哲也教授が見える。

次に「先住民族サミット」で印象に残ったものを紹介します。

渡邊欣雄さん。
「中国の風水」の研究をしている人ですが、中国で発表した際には、中国の人達に風水の専門家だと間違えられたそうです。
宗教家ではなくて研究者です。
この方の話では、東西南北という概念を使用していた一番古い民族は漢民族だそうです。
「先住民族の知恵」といういみでは、このような古い知識を持つ漢民族もはいるのではないか、という主張もあるそうでした。
中国はかなりの時代を通して大帝国ですが、現在の中国の版図は清の時代であり、漢民族の時代ではないので、そういう発想もあるそうです(*2)

カナルキソルチャンドラさん。
日本に来て12年になる研究者。
非常に複雑なネパールの民族問題・先住民族問題についての紹介をしてくれました。
101の民族と30ほどの言語がある。公式に認定されているのは59民族。
ネパールでは長い間、ヒンズーの影響の強い、バラモン・クシャトリアなどのカースト階級の文化が支配的でした。
それ以外にもたくさんの少数民族も先住民族(15民族)がいましたが、あまり注目されず、
先住民族をあらわす「」という単語は蔑称として使われていました。
1990年代に、様々な変化が発生し、先住民族などの組織化の自由が認められて、活動が活発化するとともに、話が複雑になっていきました。
その後内戦が発生。
マオイストの勢力が、それまで放置されていた先住民族のことを認知して、協力的な政策をとったことにより、多くの若者がゲリラとして内戦に参加しました。
そして各党派も対抗して先住民族のことを認知しはじめて、広く一般的になっていきました。
その語、250年続いた王制が廃止になって、協和制になりました。
マオイストがネパールの州を、代表する民族を設定して再設定する低案をしますが、いろいろと問題があり実現しませんでした。
先住民族達は、内戦前の認知されていなかった時代から、自分達を先住民族だと主張してきました。
民族の独自性の保持や、いろいろな問題から、ただ民族というのではなく、先住民族としての必要性があったからです。
ですが、内戦後、それまで蔑称だった先住民族がいろいろ国際的にも国内的にも認知されはじめると、それまで先住民族ではなかった人達も、自分も先住民族だといいだして、大変な混乱が続いています。
特に、ここ数年のネパールは、民族・先住民族問題が噴出しており、大統領も選出できない状態になっています。

Q:多数派を形成している人達が、先住民族が差別されている間は興味もなくて、社会の認証が進むと「俺も先住民族だ」と言いだす現象は、日本や中国でも発生していますが、ネパールでの「先住民族と民族の違い」はな、んだとお考えですか?
A:侵入者のやってくる以前から、そこに住んでいたかどうか、だと思います。
ほかの地域から入ってきた少数民族などは先住民族ではないと思います。

Q:最近ネパールも近代化が進んでおり、田舎の人達が生活のために都心部に移動する、という現象が急激に発生していると聞きますが、そのような境遇の「先住民族」達は、どう判断されますか。
A:そのような社会構造の急激な変化にともなう問題は、たしかに発生しています。ですがここ数十年で急激におこったことであり、どのように捉えていくかは、今後議論になっていくと思います。

シン・オラムさん。
台湾の先住民族アミの人ですが、かつて台湾が日本領であったこともあり、日本語を話すことが可能です。
日本語の名前は田村英夫、中国語ではリンシェイアン、台湾語ではリンセイアン、キリスト教の名前がアンドリュー、アミの言葉ではシン・オラムという名前があります。
いろんな国の政府が名前をつけたのですが、一番気に入っているのは両親がつけてくれたシン・オラムという名前だそうです。

左から、カラフトアイヌ協会の田澤守さん、WIN-AINUの島崎直美さん、WIN-AINU代表の萱野志郎さん。

左から、カラフトアイヌ協会の田澤守さん、WIN-AINUの島崎直美さん、WIN-AINU代表の萱野志郎さん。

このほかにも、カラフトアイヌの方が「アイヌというよりはエンチュと言ってほしい(*3)」と発言したり、
過去の記事で紹介した、結城幸司さんが企画していたDVDの作成が大幅におくれていたり、
アメリカ先住民族の若者たちが、居留地をはなれて、伝統的な土地や文化、年長者とのつながりを喪失しているが、若者にも年長者にも、相互に異質なものと歩み寄る姿勢が大事だ、という話などがさけており、とても興味舞台ものとなっていました。

また、これらの前半の話には、取材者や観客はすくなめでしたが、
後半の「音楽祭」になると、取材者や観客が相当に増えており(150名ほど?)かなり盛り上がっていました。
いろいろな方と話をできて、示唆を得ましたので、今後とも報告を続けます。

「マウコピリカ音楽祭」でライヴするアイヌアートプロジェクトの皆さん。伝統舞踊ではなくロックな感じである。

「マウコピリカ音楽祭」でライヴするアイヌアートプロジェクトの皆さん。伝統舞踊ではなくロックな感じである。

*1 ギョウジャニンニク
アイヌ語でキトピロ、キト、プクサなどと呼ばれる薬草の和名。5月~6月ころに収穫する。
ニラとニンニクを混ぜたようなもので強壮作用が強く、アイヌは薬草や魔除け、供物として使用していた。
最近、ハウス栽培方法が普及したために、北海道ではスーパーなどで見られるようになったが、生産量はおおいとはいえず、出回るのは5月~6月頃のみである。

*2 漢民族も先住民族?
Martinez-Cobo(1984)による先住民族の定義によると、現在成立している近代国家である中華人民共和国において、主要な構成民族としてかかわっている漢民族は、先住民族とはいえない。
単純に「近代国家の枠組み絵の異議申し立てとしての”先住民族”」と「牧歌的伝統世界の住人としての”先住民(原始人に近い意味)”」という意味が、混乱して使用されている可能性もあるが、
先住民族会議において「中国国内の先住民族は、中華帝国の中で独自性を維持しており、先住民族問題はない」などと主張する、中華帝国の立役者である漢民族を甘くみてはいけないだろう。
同様の発想は「日本人」もおこしていることがあるが、漢民族の場合、清の時代の被支配体験を「先住民族と主張すること」の引き合いに出している点が、日本人の場合とは異なる。

参考:先住民族の定義
「先住民族は侵略者が来る以前の民族の後継者。不法に奪われた土地を取り戻し、自らの社会制度や文化、言語を将来の世代に伝えようとしている人々」 (Martinez-Cobo, 1984)

*3 カラフトアイヌというよりエンチュと言ってほしい
アイヌ民族は、樺太・千島・北海道・東北と、かなり広範囲な地域に居住していた。
もともとは人間という意味である「アイヌ」が民族呼称となったのは、和人との支配関係から発生した語彙の変化であり、むかしの時代は、それぞれの地域の「アイヌ民族」は、別の呼称を使用していた。
この語彙の変化は「インディアン」という呼称にたいする、北米先住民族運動の姿勢に似たものがある(*4)
樺太の「アイヌ民族」は、北海道と違い、近隣に文化の相当に違う諸民族が多数住んでいたことから、
その服飾文化、儀礼文化などにに独創的なものが多数あり、その遺産は現代のアーティストにも大きな影響を与えている。
樺太アイヌは、日本政府とロシア政府の領土交渉に巻き込まれ、日露の国境線の都合によって、何回も強制移住を繰り返され、疫病の流行、生活習慣の激変などにより多数の死者を出し、凄惨な被害を出した。
近年、樺太アイヌ協会が結成されて活動が開始されたが、長年活動してきて多くのものを獲得「アイヌ民族」の代名詞となっている北海道アイヌが、カラフトアイヌからみると支配的に見えるのは、和人とアイヌの関係性を考えれば、自然と頷ける話である。

*4 インディアンという呼称
もともと北米大陸には、2000万人、550言語の「先住民族」が住んでいたといわれている。
大航海時代、この土地を「インド」と勘違いした発見者により、その先住民族は「インディアン」と呼ばれることになった。
もともと言語も文化も違い、場合によっては相互に殺し合いをしてきた諸民族を「インディアン」とまとめて呼ぶのには無理があったのだが、侵入者である白人勢力との戦いの結果「インディアン」とまとめて扱われた諸民族は、ほぼ似たような末路をたどることになり(「先住民族」の発生)、お互いに敵対していた民族同士も共闘する関係が発生、もともと異なる民族だが境遇は似ており敵も共通する者達の呼称として「インディアン」が、差別的な呼称を超えて「自分たちの呼び名」として、ポジティブなものとして獲得されるに至る。
なお一時期「インディアンは差別的であるネイティヴアメリカンと呼ぶのが正しい」という話が流布されていた時期もあったが、そもそもアメリカ大陸の先住者は「アメリカン(*5)」ではないので、この話はズレて発想である、と認識いる「インディアン」もすくなくない。

*5 インディアンは「アメリカン」ではない。
アメリカ大陸を「アメリカ大陸」となったのは、到達して「発見」したものの、インドと勘違いしたクリストバル・コロン(コロンブス)ではなく、この大陸はインドではない別の大陸であることを「再発見」したアメリゴ・ヴェスプッチに由来している。
よって「アメリカ大陸」に居住していた先住民族たちにとって「ネイティヴなアメリカ人」という呼称は、勝手につけられた大陸名を関している以上、自称たりえない。
同様に「ファーストアメリカン(最初のアメリカ人)」といいう呼称も、最初にアメリカ人になったのは、独立戦争を戦った植民者であって「インディアン」ではないだろう、という話もある。
とはいえ「インディアン」も微妙な呼称ではあるが、ほかに適切なものがないし、もっとも流布されている呼称である。

関連リンク
先住民族の権利ネットワーク(上村英明さんの主催するNGO)
http://indigenousnet.blog75.fc2.com/
いたちまる雑記 【Indig-Env】生物多様性条約COP10(名古屋会議)での先住民族の主張(COP10での先住民族の戦略について詳しい)
http://itacim.blogspot.com/2010/10/indigenvcop10.html

特集・COP10
・COP10おむすび村開村。祝島(上関)原発からのSOSに答えて人を送り出す。
http://www.janjanblog.com/archives/19336
・「先住民族サミットinあいち」G8での開催に続き、今度はCOP10でも開催。(10/15-18)
http://www.janjanblog.com/archives/19290
・「13人のグランマザー」精神性の影に強い「先住民族としての政治」を見る。(10/18-20)
http://www.janjanblog.com/archives/18772
・人と人を結ぶ空間に」COP10期間中宿泊OK。「おむすび村」(10/10-29)
http://www.janjanblog.com/archives/18728
・生物多様性フォーラム、MOP5報告会(10/10,10/11,10/16)
http://www.janjanblog.com/archives/18342
・まもなくCOP10開催。みんなで作る村と通貨のアースキャンプ。(10月8日~11日)
http://www.janjanblog.com/archives/18348

「右翼の戦争展」こと「もうひとつの戦争展」を取材。民族派に「日本人とはなにか」と聞く。(後半)

http://www.janjanblog.com/archives/12712

「右翼の戦争展」こと「もうひとつの戦争展」を取材。民族派に「日本人とはなにか」と聞く。(後半)

 

「もうひとつの戦争展」の会場の様子。
「もうひとつの戦争展」の会場の様子。

 

●「アイヌの国の右翼(*3)」日本の右翼に、根掘り葉掘り聞く。    

「民族派」であることを自覚しておられる福眞さんに興味が出たので、いろいろとお話をお聞きしました。    

Q:「日本人」とはなんですか? 「日本人」は、なにが基準で成立していると思いますか?
A:実は、1年くらい前に、インターネットで仲間が集まって、そのようなことを議論したことがありました。
ある人がこうじゃないかと定義すると、ほかのひとがそれをひっくりかえしてしまいます。
もちろん、悪気があってではなくて、議論を発展させるためにやるのですが、
結局「なにが日本人なのか、わかんないね」ということがありました。
もうちょっと勉強している人達だと定義があるかもしれないわけですが、私達は素人ですから、よくわかりませんでした。    

(なんと「民族派・保守・右翼」の方にも「日本人」というものがなにかは、わからないそうです。
「わからない」ということを話せるという点に、むしろ興味がでて、いろいろと質問をしてしまいました)    

Q:会場のパネルをみていると「創世神話」「十七条憲法と聖徳太子」「白村江の戦いと元寇」「明治以後の維新や事件や戦争」がメインであると思います。
明治以後が大きいのはわかりますが、それ以前の話が「神話と外国との戦争」しかないのは、偏っていませんか?
A:展示できるパネルの数に限りがありますので、偏りはあると思います。    

Q:外国との衝突の際に「日本人」が意識される、明治のような近代国家の成立のときに強く意識される、というのはわかりますが、たとえば「日本人とはなにか」と考えるにあたり、江戸時代や平安時代のような「平和が続いて文化の日本化が深化した時代」に注目するということは、ないのでしょうか?
アイヌの場合でも、アイヌ民族とは何か、という話をする際に、歴史や先祖の話ではなくて「和人との違い」がトピックになってきがちで「ちゃんと話ができない」感じがあります。    

A:えっと(かなり考えて)…白村江の戦い当時は、まだ「日本」という国号がありませんでしたが、初めて外国に対して敗戦したわけです。
敗戦をして、天智天皇や天武天皇が日本の制度について整備をします。
そのときに「日本民族」という概念が出てきたのかな、と考えます。
ですが、その当時には大量の帰化人達が日本にはいってくるわけです。
その人たちは、はたして「日本人」なのだろうか? もちろん長い時間の中で、同化していくわけですが、
そのようななかで、天皇をお慕いする人たちが日本人である、というものが形成されてきたのではないか、とかん考えます。
循環論法やトートロジーのようになっていますが、そのような言い方しかないかもしれません。    

Q:やはり天皇が中心なのでしょうか?
A:十七条憲法を制定したのは聖徳太子ですが、天皇が中心の国が成立するのは、鎌倉時代からではないでしょうか?    

Q:天皇が中心となるのは、鎌倉時代なのでしょうか?
左翼の人も鎌倉時代が契機で天皇が中心の国家になった、ということを話していましたが、この時代にはなにかがあったのでしょうか?
印象としては、古代から平安時代までが、天皇が実際に戦争をしたり政治をしたりしていて、話題の中心にいて、鎌倉時代以降は武士の時代になって「お飾り」になったという印象があります。
A:やはり外国との衝突を経緯として考える、ということはあると思います。
鎌倉時代には元寇のときに、天皇をが中心になってお祈りをするということがあります。
日本という国をまとめるためには、天皇をシンボルとして必要とする、ということがおきてきたのではないかと思います。    

Q:「日本文化」としては、室町から江戸にかけての文化が、一番親しみがあるのではないでしょうか?
A:うーん。(かなり考えて)…自分としては、室町時代のことも書こうと提案していたのですが、パネルの数に限りがあって書けませんでした。
武士の世の中になっても、形式としては天皇が頂点にいる形になっていました。
いまでも総理大臣が一年に一回位変わってしまっても、天皇がどーんの頂点にいるから、日本は大丈夫だ、ということがあるのではないか、と思います。    

Q:自分としては、外国人との衝突によって自民族はなにか、ということを考えるよりも、自民族が平和に発展していた時代に、なにを考えていたか、ということを注目することは大切ではないかと思いますが。
A:それはやっている人がいると思います。今回の展示では重要視はされていませんが。    

Q:明治期以降の「日本人」、たとえば坂本竜馬の手紙の中の「日本を洗濯いたしたく候」という言葉の「日本」は、いまの「日本」と同じだと思いますが、それ以前の時代の「日本」というのは意味が違う気がします。
たとえば、江戸時代の農民は「日本」を語らない気がします。明治以降教育されて、語るようになったのではないでしょうか?
それについてはどうお考えですか?
A:鎌倉時代以降は、話が通じるのではないかと、印象ですが、思っています。
平安時代は、どうしても貴族の話しか記録されていないので、一般民衆のことはわからないので、議論できない気がします。
江戸自体は、藩ごとに違う国だったのですが、それが国としてまとまっていたのは、幕府の上に天皇が頂点にいたからではないかなと思います。    

Q:パネルには日本の創世神話のことも書かれていますが、この神話世界を「民族派」の人たちは親しみをもって理解しているのでしょうか?
A:創世神話を歴史的な事実として理解している人はいないと思います。
ですが、直感的にというか、日本人というのはこのような宇宙観である、という理解をしています。
たとえば神武天皇などは、神話であって歴史的な人物ではないと人もいます。私もそうです。    

Q:いま「民族派」として自覚する人たちが、なにかを考える場合、判断の根拠とするのは、神話ですか歴史ですか?
A:それは歴史でしょう。
神話は、この事実が、いったい何を述べているのかがわからない、ということがおおいです。
たとえば、イザナギノミコトが、黄泉の国に行くという話しは、何を意味しているのかがかわりません。
お話としては理解きますが、桃を投げたりタケノコを投げたりすることが、どういうことを意味しているのかがわかりません。    

Q:神話や言い伝えは、判断の基準としては使用しませんか?
A:神話のことは意識の片隅にありますが、その後の時代に、日本人がどうとう歴史をたどってきたか、ということに興味があります。    

(ここで気がついたのですが、アイヌの場合、ユカラと呼ばれる神話や物語が、色々な筋の話が、かなり沢山伝えられています。ですが日本の場合、風土記や日本書紀での編纂によって、話の系統が「現在の天皇」を中心何して話しにまとめられていて、統一されてしまって数が少なく、アイヌとは神話や昔話の状態が違う、ということに気がつきました)    

Q:たとえば日本の中世の知識階級の部族集団である武士の場合、源頼朝はこのような出来事にこう対応した、ということを話しに引用して議論したようですが、右翼の人達はそのような「基準となる物語」はありますか?
A:三島由紀夫さんは、いまで話題になるようです。11月には三島さんの供養に集まって、決起したときの檄文をみて、意識を新たにする、ということをしている人たちもいますね。    

Q:先祖供養はしますか?
A:???(かなり戸惑って)それはどういう意味でしょうか?    

Q:今の自分があるのは、同じくナントカ民族であった親、祖父母、曾祖父母があって、さらにその先祖がいて、いまの自分があるわけですよね?
もちろん、自分の場合のように、そのナントカ民族が両親で違う場合もあるわけですが、そういう人たちを思い起こして、いまナントカ民族である自分を確認する、ということはしますか?
A:先祖供養は人並みにしますが、それほど強い意識があるわけではありませんね。
民族としての意識をあらためるために先祖供養をするのかどうかは、よくわかりませんね。    

Q:たとえば自分の先祖が、いまの自分をみた場合、どう思うだろうか、ということは考えますか?
A:ああ、それは考えますね。    

Q:その場合の「先祖」というのは、いつごろの人たちでしょうか? 戦時中ですか? 江戸時代とかでしょうか?
A:うーん(かなりの時間考えて)…ちょっとわからないですね。
小さいときから、先祖を大切にと言われてきましたが、具体的に意識したことはありませんね。    

(実は、在日朝鮮人の人達や、ほかの先住民族の人達と話をしていると、この「先祖供養で再認識」の話は、かなり盛り上がりますので、右翼の人は民族というよりは国民なのかな、という印象が強くなりました)
福眞さんは、この展示パネルの監修をしている方との事で、パネルのないようについても詳しく知識もあり、とても話しやすかったです。
在特会でアジっている人たちとは、ずいぶん違う印象でした(在特会の人ではないのだから当たり前ですが)。    

自分のように「先祖や○○民族とは何か」ということを、日常的に意識しまくっている人も、アイヌの中では少ないと思うし、
日本人のなかではもっと少ないと思うので、わからないことをわからないと言っていただけるのは、とても良い傾向だと思いました。    

福眞さん的には、かなり「想定していない質問」が多数でていたようで、返答にずいぶん困っておられましたが、誠意を持って答えていただけたと思います。
在特会の人たちも、このパネルを見て「日本人とはなにか」ということを、もっと勉強したほうがいいのでは、などとおせっかいなことを考えてしまいました。    

 
 

 

「もうひとつの戦争展」の会場の様子。
「もうひとつの戦争展」の会場の様子。

 

    

●パネル展示について    

64枚のパネルのうち…    

日本創世神話について7枚
聖徳太子と十七条憲法について13枚
白村江の戦いと元寇について6枚
明治維新と日清・日露戦争について13枚
日本の朝鮮半島支配・朝鮮半島の歴史について18枚
皇室・日本の祝日について7枚    

という構成になっています。
全体的に、パネルのできはとてもよく、素人仕事とは思えない良い仕上がりになっています。
ところどころ、紙を張って文字を変えてあるものがありますが、会期にまにあわなかったのでしょうか。    

内容としては、明治維新~日清日露の時代と、朝鮮半島との関係が31枚、
白村江の戦いも朝鮮半島との関係とカウントすると、34枚が、日本の近代化と朝鮮半島についてのパネルになっています。
明治期は近代国家日本ができる過程ですから、パネルが多くなるのは当たり前ですが、
「日本人」というものは、それ以前から続いている、ということになっているので(*4)
それ以前の「日本人」についての解説パネルがもっとあるのではないかと、筆者は期待していたのですが、
残念ながら、ほとんどなく、トピックとなるのは「外国との戦争の話」のみでした。
もちろん「シャクシャイン戦争」などの、異民族であるアイヌとの戦い(*5)も一枚もありません。    

私は「日本文化」といった場合、その多くは皇室文化ではなくて、平安時代~江戸時代にかけて成立したものではないか、という印象をもっています。
宗教や文化や産業などが「もっとも日本化(和風化)した時代」なのではないかと思います。
このような部分についての解説がないことは「右翼と話をしていても、日本文化や先祖を大切にしていない気がする」という、筆者の印象につながってきています。
もっとも、この部分が薄いという点については、パネル作成に関わった福眞さんも自覚していました。    

ほかには「聖徳太子の時代の日本には民主主義があった(重要なものごとはみなで話し合いなさい、という条文が根拠)」や
「元寇に対して暴風雨と天皇の祈りによって勝利した」や、
「伊藤博文は安重根の銃弾によって絶命したわけではないという説もある」という解説などが
「そんなところにこだわるのかー!」という感じで、印象的でした。    

「祈りに効果を見出す」というあたりに、最近流行のスピリチュアルなことに興味のある(そして先住民族を幻視しがちな)人たちと、似ていたりするのか、ということが気にかかりました。
スピリチュアルな人たちは、無条件で肯定されることを欲望したり、似たような人たちだけで集まりたがる、という特徴がある気がします。    

私は、具体的な対象の決まっている(誰に祈っているのかが明確な)先祖供養や伝統儀式と、抽象的で消費物のような扱いをされている「祈り(スピリチュアルな商品やサービスや妄想)」とは、明確に別のものだと思います。
もっとも、天皇が執り行う祭事は、祈りの対象は明確化していると思うので、立派に伝統儀式で「政治」ではないかと思いますが。(筆者はアイヌの伝統的な儀式も「ご利益のあるまじない」ではなくて「政治」であると理解しています)
それが一般化(消費)される過程で、なにか「勝手なもの(シャーマニズムとかなんとか)」が入り込むのでは、という印象があります。(*6)
 
   

「もうひとつの戦争展」のチラシと、展覧会の開始を伝える中日新聞の記事。
「もうひとつの戦争展」のチラシと、展覧会の開始を伝える中日新聞の記事。

 

    

●日本人はいつから『日本人』で、アイヌはいつから『日本人』なのか

私の答えは『明治時代に入って以後』です。
その際、アイヌの場合は『うまく日本人になれなかったし、もともと日本人ではない』と理解しています。    

アイヌが「日本人」となってしまうのは、具体的には日露和親条約(1855年・安政元年)の際に、北海道や樺太や千島列島には、日本人は定住していないでしょ? という指摘をするロシア側に対して「アイヌも日本人だ」というハッタリをかまして、アイヌの居住する地域も、全部日本領にしてしまおう、という国家戦略が原因です。
そして、蝦夷という表記では日本人ではないとバレるので「土人」にして(その当時は差別語ではなかったが、アイヌに「だけ」使用して以後は微妙となった?)、言語も習慣も違うと困るので、ドロナワ式に習俗和風化を強要して逃散された、という歴史的経緯があるのですが、もちろんそのようなことは、展示パネルには、まったく書かれていない、というか、アイヌのアの字も登場していませんでした。    

明治以後、アイヌは和人化するために、日露戦争でがんばったり(*7)、白瀬中尉を犬ぞりで南極につれていってあげたり(*8)、生き埋めにされそうにならながらも、戦争末期の危険な突貫工事を担ったり(*9)、いろいろとがんばります。
そのような「がんばり」が必要だったのは、自ら日本人になりたかったというよりは、もともと住んでいた土地が日本になってしまって、当人の意思とは関係なく日本人になったものの、それ以前から続いていた差別がまったく解消されていなかった、ということが大きいと思います。
差別が解消されていなかった背景には、日本政府は、もともと異民族であるアイヌを国民化するという「荒業」をやっておきながら、対策としては、ドロナワ式の対処療法以外、ほとんど何もしていなかった、ということもあると思います(だから「先住民族」なのです)。
また、誰が差別していたのかというと、それはアイヌの土地に入植した和人であり「日本人」なのです。    

そのようなことも、展示パネルには、一言も書かれていませんでしたが、もっともこれは「左翼の戦争展」でも、一般的に発生している放置現象なので「右翼の戦争展」で取り上げられていないからといって、ことさらに文句を言うのは、場違いというものだと思います。    

実は「民族派」だったら、そのあたりのことは気がついてくれるのでは、とも、ほんの少しは思っていたのですが、そのあたりは左翼の人たちと同じ状態だったようです。
しかしながら、民族派である福眞さんとの対話によって「「民族」という言葉のさしている意味も違うし、そもそも民族自体もまったく違う」ということが認識できたことは、大きな成果であるといえます。    

アイヌ民族であることを強く意識する人たちが「日本の一員」として、生き辛さを感じることなく生活できる日は、まだまだ遠いのかもしれません。(*10)    

今後、「右翼の人たち」が、差別を解消するために「日本人化」に邁進したアイヌのことを愛国者としてクローズアップするだけでなく、実際には巨大な差別があり大変だったのでそうなった、という点も、ちゃんと紹介できるかどうかが、大きな試金石になると思いました。  

アイヌには朝鮮民族のように、主張を代弁したり援護してくれる「本国」がないので、大変です。  

次回は、左翼の人たちの主催する「平和のための戦争展」の報告を行います。    

●「もうひとつの戦争展」の冊子の販売。
展示されているパネルはすべて冊子にされており、誰でも購入することができます。
問い合わせは下記まで。    

466-0021 名古屋市昭和区小坂町2-14-5
TEL 052-741-4853 FAX 052-811-2660
「もうひとつの戦争展」の会 水野淳子    

*1 中小企業センター
愛知県名古屋市中村区名駅4丁目4-38に建っていた貸しホール。
名古屋駅の前と立地条件もよく、利用料も手ごろで人気があったが、2009年にWINCあいち(愛知産業労働センター)に建てかわった。
建てかわって立派なビルになったが、利用料が高くなったと評判である。    

*2 日韓基本条約
正式には「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」で1965年に日本政府と大韓民国(韓国・南朝鮮)政府が結んだ条約。
過去の条約の無効、賠償問題としての支援金などが話し合われたが、竹島領有問題は留保事項となった。
この条約には「大韓民国政府を朝鮮半島に存在する唯一の政府とする」という条項が含まれていた。
日本は条約締結後、独立祝賀金・途上国支援として8億ドルの支援(有償支援・民間への支援含む。韓国政府の当初要求額は21億ドル)を行った。
旧植民地の資産の放棄は、サンフランシスコ講和条約締結の条件だったので、これにしたがって放棄したが、実際には、半島に残してきた日本統治時代の資産53億ドルは、朝鮮半島を占領した連合国によって接収されている。
この条約締結には色々な問題がある。
「過去の条約の無効」にかんして、日本政府は過去にあった条約は有効で、条約締結後無効になった、と考えているが、大韓民国政府は、過去にあった条約はすべて無効である、と考えている。
(韓国政府は当時、日本との間に締結されたとする条約の無効を訴えるべく国王の使者が国際会議に出向いて抗議活動を展開した。→「ハーグ密使事件」)    

*3 「アイヌの国の右翼」
これはEsamanの自称ではない。言葉から一般的に連想されるイメージとは真逆の意味である。(「日本の右翼になったアイヌ」ではない)
前回の記事の掲示板において「アイヌにとっての右翼、日本にとっての左翼」と参加者に称されたので、使用してみた(アイヌの国での右翼、和人の国での左翼の意味か?)。
アイヌ社会(正確には「業界」?)にとって、Esamanはまったくもって「保守勢力」ではないと思うので、アイヌにとっても右翼という言い方も、ビミョーである(反米右翼が保守勢力なのかもビミョーである)。
アイヌの習慣や、お年寄りの話(たとえアイヌでなくとも)は大切にしたいと思っていますが。
なおEsamanは「日本人とはなにか」ということを考えている人たちには、おおいに興味があるが、天皇制や外国との衝突の際の正当性の主張などには、興味がない。    

*4 「日本人というものは、それ以前から続いている、ことになっている」
自分の理解している限りでは、現代のような「日本人」というものは、近代化以降の教育によって成立しいるものだと思います。
それ以前の社会には「日本人」という枠組みは、かない曖昧にしか存在していなかったのではないでしょうか(国民国家の設立)。
そして、近代国家設立の際に、それ以前の社会制度、教育体系や部族社会は破壊され(武士の消滅、農村文化の消滅)、一律に「日本人」としての教育が始まったので、言葉も通じるようになったと思います。
そして、新しく教育によって編み出した「日本国民」に、それ以前の時代の「日本人ではなかった」人々も、ひとしく「日本人」としてつながっている、という教育を施しました。
そのできごとの際に、アイヌもついでに日本人にしてしまったけど、実は全く日本人じゃなかったので、アイヌからすると「先祖とのつながり」を抹消されてしまった。
その出来事が「先住民族アイヌ」を生んだのだと思います。    

参考までに…先住民族の定義
「先住民族は侵略者が来る以前の民族の後継者。不法に奪われた土地を取り戻し、自らの社会制度や文化、言語を将来の世代に伝えようとしている人々」(Martinez-Cobo, 1984)    

*5 異民族であるアイヌとの戦い
アイヌ民族は、もともと日本人(和人)とは言語も習慣の違う異民族である。
北海道が日本領となったのは、明治2年であり、それ以前は「蝦夷地」「蝦夷が島」などと呼称されていた。
北海道とは、アイヌ民族が主に住んでいた土地で、和人は北海道南部のごくかぎられた土地(松前藩)以外には、季節労働者や交易者として一時的に済むだけで、ほとんど居住していなかった(越冬できなかったことも大きい)。
アイヌ民族は「隣人」である和人と交易を行っていたが、時代を追うごとに、対等な交易相手→相手を制限された支配的な交易相手→生産物獲得のために直接使役される存在、と変化していった。
それぞれの変化の節目に、アイヌ民族と和人の間では、三度の大きな戦争が発生している。
(コシャマイン戦争1457年・シャクシャイン戦争1669年・クニシリ・メナシ戦争1789年)   
また、日本の江戸期の「蝦夷(エゾ)」はアイヌ民族のことであるが、それ以前の時代に登場する「蝦夷(エミシ・エゾ)」はアイヌと関係が強いといわれているが、もしそうであるとしたら「征夷大将軍の任命」などにみられるように、異民族(アイヌ?)との戦いは天皇が直接国造りに関与していた太古の時代からの一大国家プロジェクトであったといえる。

*6 スピリチュアルな消費行為

アイヌにたいして「霊的な能力のあるルーツマンでシャーマンである」というような、いい加減なイメージが、執拗に流布されており、「存在の複雑さを理解せずに、好き勝手に消費」される傾向があり、さらには一部のアイヌ自身も「らしくふるまって乗っかっている」現象が発生している。
このような状態の継続が、いつまでたっても、アイヌの抱える問題の、本当の意味での理解が進まない事の原因である可能性もある。
とはいえ、一部の「(自称)アーティスト」の人たちにとっては、そのような幻想の存在が営利に繋がっており、悩ましい話である。    

*7 日露戦争でがんばった
日本国民となっても、それまで続いていた差別は解消されなかったため、当時のアイヌ達の戦略のひとつとして、
自ら進んで兵役を果たして差別解消につなげようという動きがあった。
「アイヌ部隊」の編成の嘆願書を出したりして、日露戦争には63名が出征。新聞記事などでその活躍が報じられた。
なお、この活躍が差別解消にどれだけ効果があったのかは、定かではない。    

*8 白瀬中尉を犬ぞりで南極につれていってあげた
白瀬矗中尉率いる探検隊は、1912年に南緯80度の地点に到達。
しかしながらノルウェーのアムンゼン隊(極北の先住民族の装備と知識を使用し生還)とイギリスのスコット隊(近代的装備中心で帰路遭難)が白瀬隊よりも先に南極点に到達していた。
白瀬隊はカラフトアイヌを同行し犬ぞりを使用していた。
探検隊内部では内紛が発生、帰国後も予定していた支援などが受けられず、白瀬中尉は莫大な借金を抱えた。
また同行したアイヌの隊員も、大切にしていた犬を南極に放置してきたことの道義的な責任を問われて民族裁判にかけられた、という話である。    

*9 生き埋めにされそうになりながらも、戦争末期の危険な突貫工事を担ったり
川村カネト率いるアイヌ測量隊。
アイヌの隊員を中心とした測量隊を率いて、北海道各地、三河~長野を繋ぐ飯田線、朝鮮半島などで測量を行った。
飯田線の工事の際、危険な突貫工事の中「アイヌが監督であること」を理由に、生き埋めにされかかったという。
当時は鉄道人足でも、アイヌと和人とでは賃金が違った。    

*10 アイヌが日本の一員となる…云々
ここでは「民族意識」の話だけに注目している点に注意。
「アイヌの子孫」の中には、民族意識など欠片もなく、ただの日本人として生活している人、そう望む人も多いが、
そのような人たちにも、時々ではあるが「アイヌである」ということによって、差別が発生する場合がある。
その差別には「身体的特徴によるもの(人種差別)」「日本人ではない(アイヌではない)とからかうもの(アイデンティティの否定)」「当人には関係のないことを関連づけるもの(偏見)」などが含まれる。
民族意識を強くもっている人間には、差別があまり「効かない」あるいは「火に油を注ぐ」ことが多いが、差別する側は、弱いものを狙い撃ちにするものである。   

民族意識を強くもっている人であれば、差別には対抗できるし意識強化につながる場合もあるが、そもそもその民族に属しているという意識が弱いか、全くない人であっても、その民族であると見做されることで攻撃をされる、という構造が差別問題を認知し辛くしてしている。そして「見做されないようにふるまう被差別層、場合によって差別対象にならないために自ら差別する被差別層」を形成して、事態はより混乱していく。
これにたいして「もっと誇りを持て」という「マッチョで考えの足りない」発想を、被差別の当事者でない層(なにが起きているのかを認知する力がない)が無神経に言い放つことによって、再差別が発生したり、「意識や気概が足りないから負ける」という方向に問題の摩り替えが行われ、その人のしている差別も含めて、差別が隠ぺいされてゆくことになる。 


関連記事:
「日韓併合100年映画会」にて在特会と遭遇。特に騒ぎは発生せず、警察に邪魔される。2010年8月13日
http://www.janjanblog.com/archives/12200
巨大な地下工場の跡地を歩く?。~水浸しの中、蝙蝠に囲まれつつ壕内を探検。2010年8月7日
http://www.janjanblog.com/archives/11354
巨大な地下工場の跡地を歩く?。~岐阜県が「地上戦の最終防衛ライン」とされていた頃。2010年8月6日(川村カネトの生き埋めの話題が少々)
http://www.janjanblog.com/archives/11322   
中国戦線、沖縄戦を戦った元兵士の体験談 2009/10/01
http://www.news.janjan.jp/living/0910/0909280877/1.php

「韓国併合100年」東海行動企画・見て!知る!朝鮮と日本の100年間 映画上映会

●見て!知る!朝鮮と日本の100年間 映画上映会●
   
日時:2010年8月7日(土) 開館10:15 閉館17:00
場所:YWCA4階(403)名古屋「栄」地下鉄5番出口東へ2分

前売券 一般 1000円 学生 700円  
当日券 一般 1200円 学生 1000円 
※1回の鑑賞分です。「通し」も「途中入出場OK」です。
※中学生以下無料です。
 
【プログラムと上映時間】
『日韓併合への道』ドキュメント   10:30~
1910年(明治43年)8月29日、この日、大韓帝国の名前は世界地図から消えることになる。
いわゆる韓国併合であり、日本による本格的な朝鮮半島の植民地支配の始まりであった。
両国の歴史的認識の違いはどこから起こったのかがはっきりするのではないか。

『朝鮮半島植民地支配の実態』ドキュメント   11:25~
日本と韓国・北朝鮮との間には、未解決の問題が多く残されている。強制連行、従軍慰安婦、
B・C級戦犯問題などである。朝鮮半島を植民地支配をした日本は土地を奪い、皇民化教育
により言葉・名前さえも奪った。朝鮮の民族性を完全に否定した植民地支配は、どういうもの
だったのか

『朝鮮戦争』映画 13:00~       
1950年から3年半にわたり、朝鮮全土が戦場となった国際戦争。この悲劇により朝鮮は南北
二国に分断された状態のまま、今も停戦状態が続いている。日本の戦後復興の足がかりとなり、
アジアの軍事緊張の原因ともなっている。

『ウリハッキョ(私たちの学校)』14:00~
北海道朝鮮初中高級学校での日常を描いたキン・ミョンジュン監督のドキュメンタリー映画
(2006年釜山国際映画祭雲波賞受賞作品)

主催:「韓国併合100年」東海行動 実行委員会
【問合せ先】名古屋市昭和区鶴舞3-8-13労働文化センター2階 ℡(052)731-7571

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