Chisitomare_Esamanihi

インターネット新聞JANJAN。インディーズ系メーデー中部。アースデイあいち・LOVE&ビンボー作戦本部。
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Kunne_Imeru=aiこのブログではEsamanインターネット新聞JANJANに掲載した記事を主に転載して保存しています。時々、JANJANの記事ではない情報も掲載されます。

JANJAN各記事のリンク元は記事上のURLです。ただし2009年12月31日以前のJANJANの記事は、2011年5月1日から保存サーバーの移転に伴ってアドレスが変更になっています。(http://www.news.janjan.jp/の部分をhttp://voicejapan2.heteml.jp/janjan/に置き換える)

記事アドレス変更の例:"「麻生さんのおうちを見にいこう」のどかな企画に警察暴力 2008/10/27" の場合
旧アドレス: http://www.news.janjan.jp/living/0810/0810270277/1.php(リンク切れ)
新アドレス: http://voicejapan2.heteml.jp/janjan/living/0810/0810270277/1.php

祭事・伝統・民俗

■CNN48回放送・チンコ祭り。レズビアン安間奥妻がチンコ飴咥える。




■CNN48回放送・チンコ祭り。レズビアン安間奥妻がチンコ飴咥える。

CNN放送の第48回目は、愛知県北部の田縣神社で開催されている
豊年祭り(別名チンコ祭り)の会場からのお届けです。
このお祭りは、毎年3月15日に開催されているもので、
ヒノキで作った大きな男根型のみこしが町を練り歩き、
おなじく男根型のオブジェをもった巫女さんのような格好をした女の人も練り歩き、
道行く人に男根型を触らせる、という、なかなか盛り上がるお祭りです。
言語の壁を越えて、たいへん判りやすい企画のためか、
会場周辺は外国人の方の参加も多数あり、大変な人出となっていました。
神社の境内には、チンコ型をして様々なグッズや食べ物が売っており、
とても盛大なにぎわいです。
チンコ型の飴、ソーセージ、チョコバナナ…
女性器の形の灰皿、男女の形の焼き物、男根型の醤油さしなどもあります。
安間奥妻は、さっそくチンコ形の飴を買い、二人で仲良く舐めながら会場を歩いていました。

●田縣神社公式サイト
豊年祭(ほうねんまつり)
 豊年祭とは、毎年新しく檜で大男茎形を奉製して田縣神社の神様にお供えし、今年一年が豊かな年であることを祈るとともに、万物の育成、子孫の繁栄を祈願する当社
最大の神事です。
日 時 平成25年3月15日(金)午前10時頃より午後4時頃まで
場 所 田縣神社(本年のお旅所は「熊野社」となります)

◇イベント情報

●3.17 NO TPPアクション名古屋
日時:3月17日(日)13:30集合 14時出発
場所:栄公園(栄第二公園 オアシス21と中部電力の間)
主催:アクション名古屋
共催:LOVE&ビンボー作戦本部
技術提供:氷河期世代ユニオン

●なやばし日本酒祭り2013
日時:3月23日(金)17-21 23日(土)11-20
場所:なやばし堀川沿い遊歩道
http://natsu1yoichi.blog133.fc2.com

●アースデイサミット2013・プレ企画
ゆるヘジ五平餅と稲荷寿司を囲んでアースデイについて語ろう
日時:3月24日(土)14-
場所:畑の台所INUUNIQ(旧・陽菜052-263-8620)
企画:アースデイあいち2013・LOVE&ビンボー春祭り作戦本部
問合せ070-5640-0219 
http://blog.earthday-aichi.net/?eid=156
https://www.facebook.com/#!/events/346204665479090/

●第五回脱原発ツイッターデモ名古屋
日時:3月31日(日)13:30-
場所:久屋都民広場(松坂屋東)
http://www.twitnonukes758.org/ 

◇展覧会など

●第24回平和展 支配と「文化」
日時:3月15日(金)-23日(土)10-18
場所:名古屋教務所講事件堂(名古屋別院境内内東側)
主催:真宗大谷派名古屋教化センター(052-323-3686)
植民地の「文化」、占領地の「文化」など

●野外民族博物館リトルワールド・トルコイスタンブールの街OPEN
日時:3月16日(金)より公開
(同時期開催「トルコ写真展」「世界の肉料理」は6月30日まで開催)
場所:野外民族博物館リトルワールド(0568-62-5611)

●311大船渡・陸前高田写真展 大震災の現実と復興への歩み
日時:3月12日(火)-17日(日)9:30-17
場所:名古屋市博物館ギャラリー7

●トーマス展inエーボン(大阪天王寺)
日時:3月14日(木)-4月14日(日)11-20 休:月火水
場所:エーボン(大阪市東住吉区桑津1-12-11)
http://www.oct.zaq.ne.jp/e-bon/

鶏を殺して食べる方法を学ぶ(JANJAN)

http://www.janjanblog.com/archives/59494

鶏を殺して食べる方法を学ぶ

名古屋市北区にあるオーガニックレストラン「INUUNIQ(イニュニック)」にて、
「年忘れ収穫祭・餅つき&鶏解体ワークショップ」と題したイベントが開催されました。

同店舗で以前に開催された鶏解体ワークショップの模様は、以前記事にしています。

ニワトリを捌いて食べる。「いのち」について、それを扱う職業について、考えた一日。
http://blog.livedoor.jp/esaman/archives/51432908.html
http://www.janjannews.jp/archives/2813025.html

今回は、鶏を締めて(殺して)解体する過程をEsaTubeとCNN市民放送局で中継しました。

●EsaTube動画
(再生回数が12/30現在、A12 B41 C14となっていますが、一番面白いのはCの解体作業です)
鶏解体ワークショップ in INUUNIQ A 鶏「トクジ」
http://youtu.be/nRalr5NGDIg
鶏解体ワークショップ in INUUNIQ B 鶏二匹、殺して血抜き
http://youtu.be/aItsWKcmMxk
鶏解体ワークショップ in INUUNIQ C 解体してお肉になる様子
http://youtu.be/-6KiM6FwOc8
鶏解体ワークショップ in INUUNIQ D 餅つき
http://youtu.be/zLByKtnay_I

●CNN市民放送局による中継
CNNプロジェクト第十九回放送1・北区黒川のINUUNIQ初取材
http://www.ustream.tv/recorded/19372785
http://youtu.be/HjDR0-Brpb8
CNNプロジェクト第十九回放送2・鶏解体ワークショップ
http://www.ustream.tv/recorded/19373051
http://youtu.be/PJ26mYltMhI
CNNプロジェクト第十九回放送3・鶏解体ワークショップ2
http://www.ustream.tv/recorded/19373203
http://youtu.be/kOTbdQ-jtos

綺麗に解体された鶏。左上のボールの中の丸いものは、卵になる元と、産卵直前の卵である。卵の元は、愛知県ではよく食べられる食材である。

綺麗に解体された鶏。左上のボールの中の丸いものは、卵になる元と、産卵直前の卵である。卵の元は、愛知県ではよく食べられる食材である。

解体後、おいしくなった鶏。このときに使用された鶏は、卵をあまり産まなくなった年寄りなので、煮ると味が出る。

解体後、おいしくなった鶏。このときに使用された鶏は、卵をあまり産まなくなった年寄りなので、煮ると味が出る。

●年忘れ収穫祭・餅つき&鶏解体ワークショップ
日時:2011年12月25日(日)13時open
場所:みどりの屋根INUUNIQ
http://www.cafe-inuuniq.com/
料金:2000円(お餅&鶏料理付き)
定員20人(完全予約制)

14時~お餅つき(1回目)
15時~鶏解体ワークショップ
17時~お餅つき(2回目)
18時~鶏料理を食べましょう
20時 終了

「年忘れ収穫祭・餅つき&鶏解体ワークショップ」のチラシ

「年忘れ収穫祭・餅つき&鶏解体ワークショップ」のチラシ

この日のメニュー

この日のメニュー

名古屋ビーガングルメ祭り開催。食と社会について考える

http://www.janjanblog.com/archives/57128

名古屋ビーガングルメ祭り開催。食と社会について考える

9月25日。
鶴舞公園で開催された「名古屋ビーガングルメ祭り」にスタッフとして参加しました。
名古屋ビーガン(*1)グルメ祭りは、名古屋では初の開催となります。  

ビーガングルメ祭りとしては初開催ですが、前身となる人の集まりは前年度からあり、
高畑で小規模ながら、ビーガンのイベントを開催していたそうです。
そのよう事情があるので、参加しているスタッフによっては「今年が二回目」という説明をする人もいました。
会場は鶴舞公園にある「噴水」と「奏楽堂(*2)」の周辺と、その間に続く並木道です。  

多数の人ですし詰めになっている「名古屋ビーガングルメ祭り」の会場。奥に見えるのが奏楽堂。

多数の人ですし詰めになっている「名古屋ビーガングルメ祭り」の会場。奥に見えるのが奏楽堂。

 

奏楽堂周辺にはステージが設置されています。
丸くなっている普選檀の上には、ビーガン料理レシピを紹介するコーナーなども設置されています。  

メインの会場は並木道で、二車線ほどの広さの並木道両側に、
さまざまなビーガン料理や食材の店、コスメや手作り品のコーナーが所狭しと並んでいます。
出店されている料理は多岐にわたり、カレー、ハンバーガー、サンドイッチ、点心、ピザ、弁当、ジャム、クッキー、パンなどが並んでおり、非常にうまそうな匂いが漂っています。
手間のかかったメニューがおおいためか、それぞれの店舗のメニューの在庫は多くはなく、開始早々に売切れてしまうお店もチラホラ見られました。  

噴水周辺には本部がおかれていて、その周りには、ヨガのコーナーや、アニマルライツの活動紹介のコーナー、フリーマーケットのように雑貨を売っているコーナーなどがありました。
特に目を引いたのは、ヒヨココスプレでアピールしているお姉さんのいるアニマルライツ活動、
放射能震災で立ち入り禁止になった地域に取り残された動物達を救出する活動の紹介コーナー、
ホームレスの支援活動をしている人たちの出展でした。 

実は筆者は、震災当時、現地にボランティアとして「突撃」してゆく若い人たちが遭難しなうように、24時間、電話でオペレーターとして支援する活動をしており(*3)、その際に原発近くまで「進入」した人たちが直接目撃した話として
「対入り禁止エリアに連日連夜侵入してくるトラック」の話を多数聞いていました。
その中には「組織的な窃盗普団」と「動物を救出に来ている人たち」などの、違う目的をもった人たちがいるようだと聞いていたので、原発近くでの救出劇の報告パネルが見れたのは感慨深いものがありました。
報告パネルには、救出されたやせ細った動物達や、餓死してしまった動物達の写真が多数含まれていました。  

原発周辺での動物たちの共助活動を伝える写真展。原発震災では、たくさんの動物たちが餓死をした。

原発周辺での動物たちの共助活動を伝える写真展。原発震災では、たくさんの動物たちが餓死をした。

 

ヒヨコになって体を張ってアピールしている、アニマルライツセンターのスタッフのみなさん。

ヒヨコになって体を張ってアピールしている、アニマルライツセンターのスタッフのみなさん。

 

海外では、実際に原発の避難シュミレーションをしてみたところ、動物を連れて避難できないことがわかり、原発を停止することになった、という話もあるようなので、今回の動物達の被害は回避可能であったにもかかわらず発生した「人災」のひとつではないかと思います。  

出展ブースに、ホームレス支援活動の人たちの出展もあったのは、良いことだと思います。
動物の命も大切ですが、自分達の足元で、野宿せざるおえなくなって、場合によっては死んでしまう人たちもいるのも事実です。そのような活動は「動物のことではない」といって取り合わないアニマルライツ活動もありますが、このイベントの主催者は違うようです。
筆者は、見ず知らずの動物(*4)は大切にするけど、見ず知らずの人間は大切にしないというのでは、本末転倒ではないかと思います。  

会場、特に並木道に集中しているグルメなお店には、人がものすごい数集中しており、歩くのもは大変なほどでした。
来場者には、若い人から年配の人まで、色々な人たちが含まれて居ます。
また外国人率が高いのも特徴です。
また、頭を覆う布をかぶっている女性(イスラム教徒)も多数見られました。
  

●ビーガンとムスリム。日本の食につての慣用度

イスラム教というと「酒と豚肉を食べず、妻が4人」という、随分とエキセントリック(極端な)な情報が流布されていますが、そのようなステレオタイプとムスリム(イスラム教徒)の実態は著しく異なります。
イスラム圏の多くでは、豚肉の禁忌はかなり徹底されていますが、酒については非常に幅があります。
国や地方によって、飲酒が普通、昼間に外では飲まないけど夜に家庭内では飲む、「そういうアングラの店」では飲む、外で飲んだだけで逮捕、という具合に酒についての寛容度は著しく異なります。
一方、豚肉についての忌避は酒よりは厳密なもので、イスラム教徒の豚肉を嫌い嫌い方は、たとえるなら日本においての「犬や猫、あるいは虫などを食べる場合の嫌悪感」に近いようです。
もっとも、日本でも犬くらいは平気で食べる人もいるのと同じく、豚肉を平気で食べるムスリムも居ますが、豚肉を気にせず食べる人は、酒を気にしない人より圧倒的に少ない気がします。 

また肉についての禁忌は、厳密には豚肉だけでなく、食べてもよい羊、鳥、牛などの肉でも
「宗教的な手順にのっとった屠殺解体(*5)」に従ったものでなければ食べてはいけない、とされています。
ですから、真面目なイスラム教徒の人の場合、そのような手順に従って加工された肉(ハラルな肉*6)でなければ、食べてはいけない、という話になります。 

(戒律にどこまでこだわるかは人によります。なおイスラム教には「誰がどの程度戒律を守っていて良い人間か悪い人間かは、最終的にはすべてを知っている神が、善行との兼ね合いで判断することなので、もともと判断力に問題のある存在として作られた人間がとやかく言うのは良いことではない」という考え方もあり、過干渉はしない人も多いですが、最近は戒律を守ることに精を出す若者も多くなっており(保守化?)、うるさい人もいるようです)。  

厳密に戒律にこだわる真面目なイスラム教徒は、外では肉類は食べることができず、そのような禁忌な食品を揚げた油と同じ油を使用した揚げ物も食べられず、外食は殆どできない、ということになります。
海外などでは「ハラルフード使用」と表示しているレストラン(つまり厳密なムスリムが食べられる肉がある)も多数あり、それがなくても「ベジタリアン対応」をしているレストランくらいは、ある程度ありますが、日本ではどちらも稀な存在です。
そうなると真面目なイスラム教徒達は「付き合いの上での面倒を避ける」ために、日常的にはイスラムコミュニティ内部だけで完結するように生活するようになり、外に出て歩くことも稀になっていきます。
そのような人たちにとっても、またイスラム教徒以外でも食べ物に戒律のある人たちにとっても、ビーガン料理というのは食べてもOKになることが非常に多い料理法になります。  

 

 
●動物を自分で殺して食べる筆者が、ビーガングルメ祭りに協力する理由

 

筆者は、今回の「ビーガングルメ祭り」にスタッフとして全面的に協力していますが、全くベジタリアンではありません。
また、動物は機会があれば自ら殺して解体して食べることが良いことである。とすら思っています。
筆者にとって「アニマルライツ」とは、屠殺解体する動物に恐怖と苦痛を与えず、速やかに殺して解体すること。
肉食する全ての人は、可能な限りその作業を体験し、そのような作業に従事する人と動物達に敬意を払い存在の意義を理解すること、ということになります。
(そのような行為を通して、部落差別なども減少するとのではと期待しています) 
このような考えはおそらく、一般的な「アニマルライツ」の活動からは、随分とかけ離れたものですが、筆者は、一般的なアニマルライツの人たちの多数参加する、ビーガンフェスなどの普及には全面的に協力することにしています。 

なぜなら、日本社会では
「理由はどうあれ、食習慣が異なる人たちに対して寛容に接する。同席できるように配慮する」
という習慣も文化も、皆無だからです。 

その原因が宗教戒律であれ、主義主張であれ「肉が食べられない」とか「酒が飲めない」などの食に関するそれぞれのローカルルール(好き嫌いではなくて習慣となっているもの)に対して「わがままだ」「郷に入っては郷に従え」とばかりに否定したり、場合によっては「豚肉を食えないなんて不幸だ」とイスラム教徒にたいして騙して豚肉を食わせたりする人もいます。
このようなことは、恥ずかしく野蛮な行為であると筆者は考えます。 

いちいち習慣の違う人たちに配慮してなにかを準備するというのは、面倒くさいしコストもかかることですが、その手間をかけることが共生への具体的な努力です。
そのコストは、日本は単一の民族や習慣の人たちで構成されている国ではないので、必要経費でもあると思います。  

◇◇◇  

この日は9月も終わりだというのに、会場はかなりの猛暑に見舞われ、色々な人達が参加しており、非常ににぎわっていました。
筆者は「記録係」として、出展者の写真を撮ったり、出展者の話を聞いたりしていましたが、そうこうしている間に、美味しそうなメニューの大半が売り切れ状態となり、狙っていた食べ物が殆ど食べられない、という間抜けな事態に陥りました。  

名古屋でのビーガン関連の大きなイベントとしては初開催となった「名古屋ビーガングルメ祭り」は、来年も開催予定とのことでしたので、来年も参加して、リベンジしたいと思っています。  

筆者撮影の写真はいずれブログに掲載される模様ですので、ご期待ください。  

名古屋ビーガングルメ祭りのブログに掲載されている筆者紹介。Esamanなので「かわうそ」。エサマンとはアイヌ語でカワウソのことなので、そのままである。

名古屋ビーガングルメ祭りのブログに掲載されている筆者紹介。Esamanなので「かわうそ」。エサマンとはアイヌ語でカワウソのことなので、そのままである。

 

*1 ビーガン
言語の表記がveganなので、日本語のカナではヴィーガンとも表記。
純菜食主義とも訳されるが、訳語は一定していない。
宗教的戒律ではなく、主義主張を伴って行われるベジタリアンの一種。
動物性食品にたいする制限のレベルはさまざまで、単に肉を食べない人、動物由来の原料も食べない人、乳製品も食べない人、蜂蜜も食べない人、などが含まれる。
また食べ物だけでなく、衣類も同様の基準で選択する人も多く、アニマルライツの活動をしている人も多い。  

*2 奏楽堂
鶴舞公園をJR鶴舞公園から入って、最初にみえる噴水の奥に見える
「水の出ていない噴水」のような建造物。
鶴舞公園は愛知県で初のメーデーが開催された会場でもあり、残っている当時の写真には、この奏楽堂が写っている。
最近の流れにつながる、愛知県でのアースデイが最初に開催された年(2004年)でもある。
特に2004年のアースデイは、環境と労働をつなぐ重要な社会運動であることを意識して、メーデー開催地の奏楽堂を囲んで開催された。  

*3 現地に突撃する若者達のオペレーター
震災発生当時、筆者の周辺の若い人たちの何人かは、自ら車に荷物を搭載して、被災地に単身乗り込む人たちが多数表れた。筆者もその車のひとつに便乗して原発に肉薄する予定でいたが、猫の介護のために出遅れた筆者のもとに「ガソリンや電源がどこで補充できるか判らない」「あるはずの場所に道路が存在しない」「瓦礫の山に阻まれて移動できない」「街頭も消えていて真っ暗で現在地がわからない」などの報告が、メールやツイッター、携帯電話などでもたらされていたので、筆者は地元に残り、ネットで情報収集をしつつ、すでに出発した人たちのオペレーターに徹することにした。
直接現地に入ることはできなかったが、複数の現地入りした人の話をリアルタイムで聞くことにより、かえって幅広く、色々な情報に接することができた。  

*4 見ず知らずの動物
自宅で買っているペットや近所でよく見かける動物と、全く縁のない動物とでは接する場合の意識は当然違うし、死んだり困ったりしているときにどう思うかも違うはずである。
人間の場合でも同様である。
見ず知らずの動物(人間)でも、よく知っている動物(人間)でも、等しく保障されるべきものがあるという発想が、つまり人権やアニマルライツである。  

*5 宗教的な手順に従った屠殺解体
戒律に従って解体された肉類はハラルミートと呼ばれる。
イスラム教の経典であるクルアーンには 

「かれがあなたがたに,(食べることを)禁じられるものは,死肉,血,豚肉,
およびアッラー以外(の名)で供えられたものである。だが故意に違反せず,
また法を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない。アッラーは寛容にして慈悲深い方であられる。」
(2:173) 

とあることから、そのような戒律がある。
文中の「かれ」とは神のことである(天使が神のメッセージを預言者に伝えているため)。
異なる食文化に理解のない日本で生活することは、文中の「必要に迫られた場合」にあたるという解釈もありうる。
具体的な作業としては、アッラーの名を唱えながら頚動脈を切って血抜き作業をして解体された肉類が「ハラルミート」となる。 

*6 ハラルな肉
ハラル、あるいはハラールは「許された」の意。対義語は「ハレム(禁忌)」で禁忌という意味。
後宮をハーレムというのは、王以外の人物が入ってはいけない(禁忌)場所、という意味である。  

ビーガングルメ祭りのあと、大須にあるブラジル料理店で、鳥の丸焼きを食べる氷河期世代ユニオンの小島さんと、占い師の忍者まちこさん。大豆ミートのお肉はなかなかの味ですが、まだ本物には及ばないようでした。

ビーガングルメ祭りのあと、大須にあるブラジル料理店で、鳥の丸焼きを食べる氷河期世代ユニオンの小島さんと、占い師の忍者まちこさん。大豆ミートのお肉はなかなかの味ですが、まだ本物には及ばないようでした。

 

EsaTube動画:
名古屋ビーガングルメ祭りin鶴舞公園A オープニング
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/104/gyxaVW145YI
名古屋ビーガングルメ祭りin鶴舞公園B 会場の様子
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/103/fJ7ytsmZhUM
名古屋ビーガングルメ祭りin鶴舞公園C 氷河期小島USTと主催者インタビュー
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/101/RVI2fbPgYCU
名古屋ビーガングルメ祭りin鶴舞公園D 主催者キミコさんインタビュー
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/102/dWL4DvnMKjg  

氷河期世代ユニオン・小島鐵也のUST:
会場の様子
http://www.ustream.tv/recorded/17492481
会場の様子2
http://www.ustream.tv/recorded/17492678
小島鐵也が食べる・画期的なパイ?
http://www.ustream.tv/recorded/17492481
小島鐵也が食べる・カレー
http://www.ustream.tv/recorded/17493822
奏楽堂で主催者に取材
http://www.ustream.tv/recorded/17494156
小島鐵也が食べる・マハマヤバートのブリン
http://www.ustream.tv/recorded/17494774
小島鐵也が食べる・鳥の丸焼き
http://www.ustream.tv/recorded/17495431  

関連記事:
ニワトリを捌いて食べる。「いのち」について、それを扱う職業について、考えた一日。
http://www.janjannews.jp/archives/2813025.html
http://blog.livedoor.jp/esaman/archives/51432908.html  

関連リンク:
名古屋ビーガングルメ祭りby ベジライフ推進部
http://vegefes.web.fc2.com/

CNN市民放送局・第九回放送・納屋橋ビール祭りと脱原発路上宴会

CNN_Rainbow市民放送局
http://www.ustream.tv/channel/cnnproject

CNN市民放送局の第九回目は、納屋橋夜ビール祭りの会場からのお届けです。
午後は会場の紹介、夜はビール祭り会場をジャックしての「脱原発路上宴会」の中継です。

CNNブロジェクト第九回放送1・納屋橋ビール祭り
http://www.ustream.tv/recorded/17469508



午後の心地よい時間帯の堀川沿い、納屋橋ビール祭りの会場からの中継です。

まだ本格的に人が集まっていないので、イベント情報などを紹介しています。
もっと人があつまって、YUKIさんの酔いが回ったら、もう一度放送したいなと思っています。



CNNブロジェクト第九回放送2・納屋橋ビール祭り会場で脱原発の打ち上げ
http://www.ustream.tv/recorded/17472404


CNN放送もなんと九回目を迎えました。
9.19サヨナラ原発で知り合った人たちによる路上宴会です。
ビール祭り会場をジャックして開催してまいす。
ESAMANが、用意した唯一の照明器具のカーバンシランプを、証明を忘れた占い師の人に貸してしまったので、真っ暗になっています。



■番組で紹介した情報

●大内果樹園・かやば梨通販
〒960-8057福島市笹木字内畑15-2
TEL&FAX 024-556-0363
http://space.geocities.jp/miraijuku_subaru/index.html
福島県産なのに、除洗作業によって9ベクレルを達成した美味い梨です。

●名古屋ビーガングルメ祭り
日時:9月25日(日)10:00-18:00
場所:鶴舞公園
主催:ベジライフ推進部
http://vegefes.web.fc2.com/

●二人展・砂糖だと思っていたら塩だった
日時:9月27日(火)-10月2日(日)
場所:名古屋市市民ギャラリー矢田・第七展示室(052-719-0430)

●ボーダレスアート祭MIAX vol.3
日時:10月1日(土)11:00-17:00
場所:アスナル金山ホール
主催:あいうえオノマトペ
http://onomatopee.jp/

●ドイツパンの店・フライベッカーサヤopen
日時:10月12日(水)~
場所:名古屋市名東区亀の井3-91(052-753-6522・日月休み)
http://www.freibaecker-saya.com/

●原子力災害と私たち、何をなすべきか
日時:9月27日(火)18:30-21:00
場所:伏見NPOセンター・集会室(052-222-5781)
主催:戦争と平和研究会/メディア夜塾(連絡先・052-523-3501)
近森秦彦(中電OB、ATUサポート市民の会)、ほかパネラー多数

●「放射能・原発・エネルギーと私たち」第1回
「福島で何が起きているのか、これからどうなるのか」
日時:10月4日(火)18:30-21:00
場所:名古屋YWCA(地下鉄栄駅徒歩5分)
主催:未来につなげる・東海ネットhttp://vegefes.web.fc2.com/
受講料:1000円・全7回受講5800円
原発のニュースが複雑で理解出来ない…原子力発電の基本的な仕組みと福島原発事故のメカニズムを学びます。

●第13回あいち沖縄まつり・毛遊び
日時:10月23日(日)10:30-16:30(雨天順延30日)
場所:名古屋港ガーデン埠頭つどいの広場
主催:愛知県沖縄県人会連合会
入場無料
琉球舞踊、沖縄屋台、エイサー、沖縄体感コーナーなど


納屋橋ビール祭り二日目・暗くなる前にビール半分なくなる?

ブログネタ
ビール に参加中!
http://www.janjanblog.com/archives/51682

納屋橋ビール祭り二日目・暗くなる前にビール半分なくなる?

地元名古屋に、アジアのナイトマーケットのような活気のある場所を作りたいと、若者達が企画している「納屋橋夜イチ」。
夜イチは毎月開催されている夜イチですが、3ヶ月に一度開催される拡大夜イチが9月23日と24日の二日間、開催されました。

今回の拡大夜イチは「納屋橋ビール祭り」。
納屋橋の狭い裏路地のような空間に、11社20種類以上のビールが勢ぞろいしています。
そして今回はなんと、夜イチのスタッフのみなさんが、自分達で育てた麦を、新潟のビール会社に託してビールに醸造してもらったという
「原料から手作りビール」も登場しました。

初日記事:
手作りビール解禁・納屋橋ビール祭り、初日から大盛況
http://www.janjanblog.com/archives/51411

なやばしビール祭り・二日目の様子。初日は西側(写真対岸)のみの出店だったが、この日は両岸が埋まった。

なやばしビール祭り・二日目の様子。初日は西側(写真対岸)のみの出店だったが、この日は両岸が埋まった。

なやばしビール祭り東岸の出店。BBQや焼き肉、ドイツパンなど、ビールと合いそうな出店物が多い。

なやばしビール祭り東岸の出店。BBQや焼き肉、ドイツパンなど、ビールと合いそうな出店物が多い。

2日目のビール祭りは11時からの開催です。
肌寒かった前日とは違い、この日は少し日差しが強めでした。
午前中からの開催ですが、平日ということもあって、日中はやや人手が少ない感じです。
それでも、ビールを片手にした人が、あちらこちらを周遊しています。
2日目は、ビール販売所や屋台が、堀川の両側を埋めていて、販売面積も拡大しています。
屋台も増えていて、焼肉や焼きそばなども売っています。

とくに目立ったのが、本場ドイツのパンと、ザワークラウト、ソーセージなどを盛り合わせたプレートで、来月の10月12日にパン屋をオープンする人の出店でした。
なんでも、ドイツのパンというのは、ビールのつまみにするためのものが沢山あり、パン屋をはじめて、いずれはビールも作ってみたい、という野望があるそうでした。

2日目にはビールも23種類勢ぞろいしていましたが、夕方になるまでに、すでに売り切れた銘柄も出ていました。
とくに、実行委員会のメンバーが手作りした麦から作った「夜イチビール」は、早々に売り切れていました。

夕方になると前日に負けないほどの人が来場して、再び開示要はすし詰め状態になっていました。、

大勢の人がビールを飲んでいましたが、とくに酔っ払って大変なことになる人もおらず、ビール祭りは大盛況のうちに終了しました。

また来年も開催されることを期待したいと思います。

10月12日にお店をオープンする「フライベッカー・サヤ」の出店。ソーセージ2本、ザワークラウト(キャベツの漬物)、ドイツパン2枚の盛り合わせで480円。安い。「夜イチおじさん」のカンバン(右)は、パンで出来ている。

10月12日にお店をオープンする「フライベッカー・サヤ」の出店。ソーセージ2本、ザワークラウト(キャベツの漬物)、ドイツパン2枚の盛り合わせで480円。安い。「夜イチおじさん」のカンバン(右)は、パンで出来ている。

なやばしビール祭り二日目の夜(西岸)。人での多かった西岸では、すべてのビールが完売した。

なやばしビール祭り二日目の夜(西岸)。人での多かった西岸では、すべてのビールが完売した。

関連リンク:
なやばし夜イチ 公式ブログ
http://natsu1yoichi.blog133.fc2.com/

関連記事:
手作りビール解禁・納屋橋ビール祭り、初日から大盛況
http://www.janjanblog.com/archives/51411
アジアのナイトマーケットか?闇市か?「納屋橋夜イチ」
http://www.janjanblog.com/archives/44549

EsaTube動画:
●二日目
納屋橋夜イチ・ビール祭り二日目A 明るいうちに会場一周
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/16/jGPkaLrL6JM
納屋橋夜イチ・ビール祭り二日目B 堀川東側
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/15/VOiokjhT8Jw
納屋橋夜イチ・ビール祭り二日目C 堀川西側・ZipFM取材中
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/14/o_SRRcbJjjo

●初日
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日A 1/8 開始直後
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/20/ZeAsvlOGO8A
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日B 2/8 だべり場のえぐれささしま
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/18/9OEKzbCmgAM
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日C 3/8 宵の口
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/17/SYp2bhZRJes
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日D 4/8 チンドンと舞台のHappyTime
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/16/6tdW7CKHYJo
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日E 5/8 猫 HappyTimeの赤いトラクターほか
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/15/TBOm4QmDilU
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日F 6/8 福島から避難してきた佐藤さんの話
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/14/8vDjiP_Nb00
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日G 7/8 ダンスホールになった舞台
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/13/Hbzfk5jsA4A
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日H 8/8 えぐれささしま ダンゴムシまや感想
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/12/LV3bj-b3VsE

納屋橋ビール祭りのパンフレット。二日目は、堀川を挟んで両側に出展が並んだ。

納屋橋ビール祭りのパンフレット。二日目は、堀川を挟んで両側に出展が並んだ。

ビール祭り出店ビール会社(銘柄):
アサヒビール(レーベンブロイ)
http://www.asahibeer.co.jp/
伊勢角屋麦酒(ブラウンエール、ペールエール)
http://www.biyagura.jp/index.html
NPO法人志民連いちのみや一ノ宮ブルワリー(一宮ブルワリー)
http://www.38ya.org/
キリンビール(ハートランド、キリンブラウマイスター)
http://www.kirin.co.jp/index.html
盛田金しゃちビール(金しゃち名古屋赤味噌ラガー、同プラチナエール、同ホップ香るビール)
http://www.kinshachi.jp/
御殿場高原ビール(ヴァイツェンボック、ペールエール)
http://gkb.co.jp/
小弓鶴酒造(犬山ローレライ麦酒ヴァイツェン、同ピルスナー)
http://www.loreleybeer.co.jp/index.html
サッポロビール(琥珀エビス)
http://www.sapporobeer.jp/
新潟麦酒(夜イチビール、ヨーロピアンケルシュ、スパークリングマンゴー)
http://www.niigatabeer.jp/
南信州ビール(オクトーバーフェスト、ゴールデンエール)
http://www.ms-beer.co.jp/index.html
ヤッホーブルーイング(よなよなエール、インドの青鬼、東京ブラック、サンサンビール)
http://www.yonasato.com/

手作りビール解禁・納屋橋ビール祭り、初日から大盛況

http://www.janjanblog.com/archives/51411

手作りビール解禁・納屋橋ビール祭り、初日から大盛況

地元名古屋に、アジアのナイトマーケットのような活気のある場所を作りたいと、若者達が企画している「納屋橋夜イチ」。
夜イチは毎月開催されている夜イチですが、3ヶ月に一度開催される拡大夜イチが9月23日と24日の二日間、開催されます。

今回の拡大夜イチは「納屋橋ビール祭り」。
納屋橋の狭い裏路地のような空間に、11社20種類以上のビールが勢ぞろいしています。
有名メーカーも何社か出店していますが、小さな地ビールメーカーがたくさん出展しています。
地ビールのおおくはまだ酵母が生きており、発行が進んでしまうので、樽も冷蔵庫で保管しなければならないそうです。
(流通しているビールのほとんどは、酵母はすでに取り除かれているので、それ以上が進まない)

そして今回はなんと、夜イチのスタッフのみなさんが、自分達で育てた麦を、新潟のビール会社に託してビールに醸造してもらったという
「原料から手作りビール」も登場します。

前回記事:
アジアのナイトマーケットか?闇市か?「納屋橋夜イチ」
http://www.janjanblog.com/archives/44549

開始直後の納屋橋ビール祭り、本部周辺の様子。すでに人がすし詰めになっている。

開始直後の納屋橋ビール祭り、本部周辺の様子。すでに人がすし詰めになっている。

ビール祭り参加者に笑いを振りまく路上芸人えぐれささしまさん。この日は何時間も熱演した。

ビール祭り参加者に笑いを振りまく路上芸人えぐれささしまさん。この日は何時間も熱演した。

17時、まだ明るい会場には、すでに長蛇の列が…
本部前でビールチケット(1000円で4杯分)を買う人の列、ビール販売コーナーでビールを買う人たちの列で、堀川沿いの遊歩道は埋まっています。
毎月の夜イチは、こじんまりした感じのイベントですから、それに比べたらかなりの人です。

次第に周囲が暗くなっても、人出は一向に弱まることはなく、どんどん人が集まってきていました。
会場にはビール販売コーナー以外にも、ごはん屋さん、占いの店、手作りアクセサリー販売、ヘナ(植物性の染料のタトゥー)のお店なども並んでいますが、ごはん屋さんも大繁盛、売り切れる店が続出していました。
ビールのほうも、初日ということもあって、まだ少し少な目の出展しかなかったのですが、それでも売り切れる銘柄が出るほどの売れ行きでした。

先日、脱原発のデモ/パレードのあった19日には、9月とは思われない猛暑だったのですが、その後にやってきた台風が去った後、一気に気温が下がって肌寒い感じになっていただけに、ビールの売れ行きが心配されていましたが、ほとんど影響がなかったようです。

会場に設置された畳スペース「たべり場」には、ビールを手にした人たちがたくさん集まっておりにぎわっていました。
だべり場には、名古屋を代表するウクレレ路上芸人「えぐれささしま」さんが登場。
笹日労の大西委員長とともに、歌と踊りを披露していました。

会場北側の端のたもとの設置されたステージでは、アーティストのみなさんが音楽を披露していました。
ステージには、以前筆者が取材したフクシマから岐阜に避難してきた、佐藤瑛気さんも登場。
さいきん、フクシマからお子さんが避難してきたときに話をしていました。
福島県内では、福島県産の野菜が普通の値段で売っていて、県外産のものが3倍の値段で売っているそうです。
内部被爆を避けるために、こちらで売っている野菜を集めて送りたいと話していました。

前回記事:
フクシマから岐阜に避難してきた人の話
http://www.janjanblog.com/archives/48645

納屋橋ビール祭り、明日24日は11時より開催されます。

会場には17時頃、ZIPFMが取材に来る予定です。
19時頃からは、9.19サヨナラ原発サウンドデモの打ち上げが会場をジャックして行われる予定で、
名古屋を代表する市民放送局CNNがその様子を中継する予定です。

CNN市民放送局
http://www.ustream.tv/channel/cnnproject

畳スペース「たべり場」で熱演する、えぐれささしまさんと、笹日労の大西豊さん。大西さんはたくさんビールを飲み上機嫌だった。

畳スペース「たべり場」で熱演する、えぐれささしまさんと、笹日労の大西豊さん。大西さんはたくさんビールを飲み上機嫌だった。

暗くなっても、人出は減ることはなく、えぐれさんの熱演も続く。この日はお客の反応もよく気持ちが良かった、とのこと。

暗くなっても、人出は減ることはなく、えぐれさんの熱演も続く。この日はお客の反応もよく気持ちが良かった、とのこと。

なやばし夜イチ・ビール祭り
毎週第四金曜日は、名古屋のど真ん中でナイトマーケット
日時:2011年9月23日(金)17:00-21:00・24日(土) 11:00-20:00
場所:納屋橋~錦橋・堀川沿い遊歩道
http://natsu1yoichi.blog133.fc2.com/blog-entry-180.html
主催:夜イチ実行委員会
462-0844 名古屋市北区清水5-10-8 グリーンフェロー1F
みどりの屋根INUUNIQ(イニュニック)内
TEL:052-916-5390(担当:寺園) 定休日・日曜日

関連リンク:
なやばし夜イチ 公式ブログ
http://natsu1yoichi.blog133.fc2.com/

関連記事:
アジアのナイトマーケットか?闇市か?「納屋橋夜イチ」
http://www.janjanblog.com/archives/44549

EsaTube動画:
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日A 1/8 開始直後
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/20/ZeAsvlOGO8A
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日B 2/8 だべり場のえぐれささしま
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/18/9OEKzbCmgAM
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日C 3/8 宵の口
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/17/SYp2bhZRJes
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日D 4/8 チンドンと舞台のHappyTime
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/16/6tdW7CKHYJo
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日E 5/8 猫 HappyTimeの赤いトラクターほか
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/15/TBOm4QmDilU
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日F 6/8 福島から避難してきた佐藤さんの話
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/14/8vDjiP_Nb00
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日G 7/8 ダンスホールになった舞台
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/13/Hbzfk5jsA4A
納屋橋夜イチ・ビール祭り初日H 8/8 えぐれささしま ダンゴムシまや感想
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/12/LV3bj-b3VsE

なやばしビール祭りのパンフレット。カタッフ手作りのビールと11社のビールが勢ぞろいした。

なやばしビール祭りのパンフレット。カタッフ手作りのビールと11社のビールが勢ぞろいした。

ビール祭り出店ビール会社(銘柄):
アサヒビール(レーベンブロイ)
http://www.asahibeer.co.jp/
伊勢角屋麦酒(ブラウンエール、ペールエール)
http://www.biyagura.jp/index.html
NPO法人志民連いちのみや一ノ宮ブルワリー(一宮ブルワリー)
http://www.38ya.org/
キリンビール(ハートランド、キリンブラウマイスター)
http://www.kirin.co.jp/index.html
盛田金しゃちビール(金しゃち名古屋赤味噌ラガー、同プラチナエール、同ホップ香るビール)
http://www.kinshachi.jp/
御殿場高原ビール(ヴァイツェンボック、ペールエール)
http://gkb.co.jp/
小弓鶴酒造(犬山ローレライ麦酒ヴァイツェン、同ピルスナー)
http://www.loreleybeer.co.jp/index.html
サッポロビール(琥珀エビス)
http://www.sapporobeer.jp/
新潟麦酒(夜イチビール、ヨーロピアンケルシュ、スパークリングマンゴー)
http://www.niigatabeer.jp/
南信州ビール(オクトーバーフェスト、ゴールデンエール)
http://www.ms-beer.co.jp/index.html
ヤッホーブルーイング(よなよなエール、インドの青鬼、東京ブラック、サンサンビール)
http://www.yonasato.com/

第26回帽子供養祭(名古屋)

第26回帽子供養祭
日時:8月10日(水)(ハットデー)午前11時より
場所:名古屋市中区 大須観音境内 小雨決行

古くなった帽子、冠ぶらなくなった帽子を供養します。ぜひお持ち寄り下さい。 
当日(10日)午前9時30分より会場にて受け付けます。 
*供養料等は要りません。

第26回帽子供養祭
9:30 帽子受取開始
11:00 法要
11:30 火入れの儀
12:00 終了


お知らせ
供養する防止をご持参の皆様へ
昨今のダイオキシン問題等、環境問題のため、燃えにくい物、悪臭を発する有害物質
の物は燃やせませんのでご了承ください。

問い合わせ
名古屋帽子協会
TEL:052-321-0292
FAX:052-332-5545

名古屋帽子協会
http://www.aiweb.or.jp/hat/

歯と入れ歯の安住の地? 歯歯塚を発見

http://www.janjanblog.com/archives/45944

歯と入れ歯の安住の地? 歯歯塚を発見

7月某日。
猛暑の中、大須観音をうろうろしていると、大須観音の赤い柱に「歯よ」と書いたポスターを発見しました。
なにごとかと思って見てみると「歯や入れ歯」の供養際が行なわれるとの事でした。

それだけなら、よくある話ですが、そのポスターをよく見ると、
会場は大須観音境内にある「歯歯塚」というもので行なわれるとありました。

大須観音にそんなものあったかな?
と、ポスターに書いてある位置をもとに境内を探すこと30秒、大須観音の境内の西側、
門の脇に当たり、木が生えていて人目につかない場所に「歯歯塚」がありました。

大須観音境内で「発見」した「歯歯塚」。歯並びのような円錐状の石に囲まれている。

大須観音境内で「発見」した「歯歯塚」。歯並びのような円錐状の石に囲まれている。

「歯歯塚」の碑文。昭和52年に立てられた模様。

「歯歯塚」の碑文。昭和52年に立てられた模様。

発見した「歯歯塚」は、牙のような形をした1対の白いオブジェの周りを、歯列を思わせる円錐状の石がとり囲んでいます。
白いオブジェには「歯歯塚」と書かれており、碑文が刻まれています。
オブジェの前には黒い四角い石があり「納歯口」とかかれています。

碑文にはこのように書かれています。

「歯よ、入れ歯よ、よく働いてくれた。
不用になったからといって、どうしてお前を捨てられよう。
その安住の地が即ちこの「はは塚」である。
これからはもう物を噛む必要も無い。のんびりとこの塚の中でおしゃべりして休養してもらいたい。
その意味で建立されたのがこの塚である。歯よ、入れ歯よ、長い間ご苦労さんでした。」

なるほど、歯だから「おしゃべり」するんでしょうか。
この碑文は昭和52年の8月8日に立てられたもののようでした。

筆者は大須観音にはもう20年以上来ていますが、このような塚があることちは今回初めて「発見」しました。
ずっとあったのでしょうが、全く気が付きませんでした。
「歯歯塚」の隣には「人形供養塔」も建っていました。

筆者は入れ歯をしたことがありませんが、人工物の中でもずっと体内で使用して、
しかもその様が使用者に常に意識される(人工臓器は毎日磨いたり、出し入れしたりしない)ものなので、
ずっと使用している人には、体の一部として認識されるのかもしれないと思いました。
その点、メガネは入れ歯と同じく、体の一部として機能していますが、供養会は入れ歯ほどは普及していないようです。

供養と言えば、いまよりも家庭での針仕事が盛んだった頃は、各地で針供養(*1)なども盛んだったようですが、最近は少なくなりましたね。
「CPU供養(*2)」とかもやってみたら、案外ウケののではないか、などとも考えました。

「歯歯塚」のオブジェ。牙のような1対の白い石碑の前には、納歯口がある。

「歯歯塚」のオブジェ。牙のような1対の白い石碑の前には、納歯口がある。

*1 針供養
折れた針や古くなった針を供養するために、2月や12月に行われる。
豆腐やコンニャクに針を刺して供養する場合もある。
つめたくて気持ちがいいのだろうか?

*2 CPU供養
針供養に着想を得て筆者が企画したもの。
コンピューターの中央演算処理装置であるCPUは、分解してみると「たくさんの細かい針が出ている板」のような形をしている。
このCPUを「日々熱を出しながら働いてくれてありがとう」といって、豆腐に針状の部分を刺して読経する、というパフォーマンス。
なお、筆者が行った「CPU供養」に使用されたCPUは
Celelon 800MHz、PentiumIII 850MHzなどである。
宗教行事というよりはパフォーマンスアートの一種であったが、そもそも「〇〇供養」というイベントも、宗教の教義とはあまり関係の無いパフォーマンスアートのようなものなのかもしれない。

大須観音境内に貼られていた「歯歯塚供養会」のポスター。

大須観音境内に貼られていた「歯歯塚供養会」のポスター。

歯歯塚供養会
日時:平成23年8月8日(月)午前8時45分~午前10時
場所:大須観音境内・歯歯塚(名古屋市中区大須3丁目)

歯よ、入れ歯よ、長い間ご苦労さんでした。
日々、いのちの糧を咀嚼して、
健康維持によく働いてくれた歯や入れ歯に感謝。
その役目を終えた入れ歯を歯歯塚に納め、謹んで供養します。

ご供養を希望される方は、歯・入れ歯をかかりつけの歯科医院を通して、
愛知県歯科医師会までお納めください。
また、直接歯歯塚にお納めいただければ、当日ご供養させていただきます。
多くの皆様の供養会へのご参列を心よりお待ちしています。

主催:社団法人愛知県歯科医師会(052)962・8020

アジアのナイトマーケットか?闇市か?「納屋橋夜イチ」。

http://www.janjanblog.com/archives/44549

アジアのナイトマーケットか?闇市か?「納屋橋夜イチ」。

「納屋橋夜イチ」の様子。立ち並ぶ店舗と堀川の間のすき間にテントが立ち並ぶ。

「納屋橋夜イチ」の様子。立ち並ぶ店舗と堀川の間のすき間にテントが立ち並ぶ。

6月24日、25日と納屋橋で「納屋橋夜イチ・旅人EXOP」が開催されました。

「納屋橋」は、名古屋駅と町の中心部である栄までの間に位置する商店街で、名古屋の古い町並みの残る繁華街です。
名古屋駅から栄までは、歩こうと思えば歩ける距離なので、多くの人が行き交っています。

「夜イチ」は、学生やオーガニックなお店の人や、イベント企画をしている人たちなどが中心となって実行委員会形式で開催しているもので、今回で11回目。
毎月開催していますが、3の倍数のつく月は2日間開催して、よりおおきな催し物になっています。
今回は「旅人EXPO」と銘打って、いろいろな国の料理や音楽などが集まるイベントになっていました。

納屋橋にある堀川沿いの、建物と川の「隙間」のような所に、屋台形式で無数のテントが並んでいます。
夕方から開催された初日には堀川の片側だけ、朝から夜まで終日開催される2日目の「旅人EXPO」では、堀川の両側を埋め尽くす無数のテントが出ており、ところどころに設置された舞台スペースでは、弾き語りやアフリカンダンスなどが披露されています。

納屋橋の堀川沿いには飲食店などが多く、店の裏側の川沿いのエリアに机やイスを置いている店舗も時々あります。
この日の納屋橋の堀川沿いには「夜イチ」のテントと、それらの飲食店のスペースが並び、とても活気に満ちていました。
もともと、テントを設置するように設計されていないのか、堀川沿いのスペースはやや狭く、テントを張ってしまうと、人が通れる通路は大変せまく、裏路地のような感じになっています。
ですが、薄暗い明かりに映し出されたその狭い路地が、かえって雰囲気を出してるといえます。

「納屋橋夜イチ」には、世界各国の料理、手作りアート作品などか並ぶ。

「納屋橋夜イチ」には、世界各国の料理、手作りアート作品などか並ぶ。

主催者に話を聞きました。

納屋橋夜イチスタッフ・伊藤ゆめみさん

Q:
どのようなきっかけで夜イチをはじめたのでしょうか?
A:東南アジアや台湾、中国などのナイトマーケットの雰囲気を目指しました。
実行委員課のメンバーの多くが、そのような地域のナイトマーケットの雰囲気がとても好きでした。
名古屋にある商店街などを見ていても、アジアの国々のナイトマーケットを訪れるときのワクワク感がありません。
名古屋や栄の商店街では、消費活動だけのために成立している場所だと思います。
アジアのナイトマーケットでは、消費活動以外のこと、たとえば座って話をしたり、お店の人と交渉したり、買わないで見ているだけで楽しかったりと、いろいろとあると思います。
自分たちの住んでいる町を面白くしたくて企画を始めました。
みんなで集まって計画をしはじめたのは2年ほど前です、最初にあつまったのは3人でした。
本当に「夜イチ」を開催できたのは昨年(2010年)の8月です。
毎月第四週の金曜日に開催しています。
3の倍数の月には大きな夜イチということで2日間開催しています。
今回もその大きな夜イチですが、今回ははじめて「旅人EXPO」と名付けて本格的に出展者を募集しました。
おかげてはじめて堀川の両側をお店で埋め尽くすことができました。
堀川の両側を店舗で埋め尽くすのが、ひとつの目標だったので、達成で着てよかったです。
毎回テーマのようなものはあるのですが、しっかりと打ち出して実施したのは初めてでした。

納屋橋夜イチスタッフ・奈良雄一さん

夜イチのみなんとは、バーで知り合って一緒に始めました。
今回はステージの担当をしました。ステージでは、いろいろな国の方が43組の方が出演してくれました。
夜イチがもっともっと盛り上がって、名古屋の名所になってくれるとよいと思います。
お客さんに聞いてわかったのですが、昭和40年代には、この納屋橋にも夜イチのような雰囲気の屋台がたくさん出ていたそうです。
意図していたわけではないですが、昔あったものがまた再現していめというのは面白いと思います。

◇◇◇

企画者も参加者も、たいへん若くて面白いイベントだと思います。
昭和40年代の、暗くて狭い路地にテントが建ちなぶ、という風景は「闇市」のことじゃないのか、などと思いましたが、そのようなものがこの現代によみがえってきているというのも、面白いのではないかと思います。
9月には、なんと自分たちで仕込んだビールと、各社のビールが揃う「夜イチビール祭り」も企画しているとのこと。
今後に注目です。

「納屋橋夜イチ」のみなさん。中央3人が実行委員の伊藤さん、奈良さん、寺門さん(中央下2人と「旅人屋の看板左」)、と当日スタッフの愛知大学ボランティアサークルRUFFのみなさん。

「納屋橋夜イチ」のみなさん。中央3人が実行委員の伊藤さん、奈良さん、寺門さん(中央下2人と「旅人屋の看板左」)、と当日スタッフの愛知大学ボランティアサークルRUFFのみなさん。

「納屋橋夜イチ」の出展者の多くは、タープ(屋根だけのテント)で出展している。通路のほうが狭くて行き違うのもやっとだ。全体的に暗い。

「納屋橋夜イチ」の出展者の多くは、タープ(屋根だけのテント)で出展している。通路のほうが狭くて行き違うのもやっとだ。全体的に暗い。

「納屋橋夜イチ」には、店舗ではない場所も。写真は本部横に設置された「だべり場」。畳が敷いてあり座ってたべっている人が居る。

「納屋橋夜イチ」には、店舗ではない場所も。写真は本部横に設置された「だべり場」。畳が敷いてあり座ってたべっている人が居る。

EsaTube動画: 
納屋橋夜イチ第11回2日日タビビトEXPO3 最後の挨拶 2011.6.25
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/12/XhpXxhimA9M
納屋橋夜イチ第11回2日日タビビトEXPO2 2011.6.25
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/13/tce0jJLXHmQ
納屋橋夜イチ第11回2日日タビビトEXPO1 2011.6.25
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/14/4mnPHI6sgCU
納屋橋夜イチ第11回初日 2011.6 24
http://www.youtube.com/user/esamanihi#p/u/15/UkPkdN-aL9c

関連リンク:
なやばし夜イチ 公式ブログ
http://natsu1yoichi.blog133.fc2.com/
Ruff 愛知県立大学国際ボランティアサークル
http://www.geocities.co.jp/new_ruff/

かわうそ道中記・オキュート、イキナリ団子(だご)、馬刺、太平燕…火の国で食い倒れ。

http://www.janjanblog.com/archives/17296

かわうそ道中記・オキュート、イキナリ団子(だご)、馬刺、太平燕…火の国で食い倒れ。

「かわうそ道中記」では、Esamanが方々を移動中に見たものを報告します。

今回の報告物は、9月初頭、北九州から熊本にかけて縦断した時の発見物です。

今回九州まで足を伸ばしたのは、全国のインディーズ系メーデー(*1)の人たちが全国から集まって、なにやら謀議をするという話があったので、それに便乗したものです。
そのイベントの報告は、また後ほどするとして、今回は道中で発見した珍しい(中部では見られない)食物について報告します。

北九州のスーパーで買った「オキュート」。海草で作られた、寒天をもろくしたような食感のもの。

北九州のスーパーで買った「オキュート」。海草で作られた、寒天をもろくしたような食感のもの。

●塩鯨、なめ味噌、オキュート。

まず北九州。
門司港から南下、道中JAやスーパーなどに訪問しました。
いくつかのスーパーで「塩鯨(なまり節のようになっている)」「なめ味噌(要冷蔵の食べる味噌、上が縛ってある袋に入っている)」「ちゃんぽんの具セット」をみかけるが買わず。
「イキナリまんじゅう」というヘンな名前の、鬼まんじゅう(*2)に似たものを見かけるものの、あまりの名称に、なにかの冗談だろうと思いやりすごす(後に九州全域にあるものと判明)。

海鮮コーナーで「オキュート」なるものを発見。
しかも「海鮮生物」という表示もある。
海草を煮て作ったもので、コンニャクに似るものとのこと。
福岡や佐賀などで食べられるもので、熊本の人は存在をしらない人もいた。
食感は、やわらかくてもろい寒天のような感じで、酢味噌、醤油などで食べる。単体でおかずになるようなものではない。
北陸に存在する「エンゴ(ンは鼻にかかる音)」という食べ物に、味は似ているが食感が、やや異なるものらしい。
(実際にオキュートを食べた東北出身者によると、製法の違うだけで原料は同じではないか、という話でした)

山越えの最中に発見したお店で買った干しタケノコと、年代物(?)のカキ氷。

山越えの最中に発見したお店で買った干しタケノコと、年代物(?)のカキ氷。

●干しタケノコ

次の報告物は、佐賀から熊本への山越えの最中に発見。
国道沿いにある、ボロ家のような販売所に入ったところ、中で老母が寝ており、話をきいたところ、この周辺では干しタケノコで名物で東京では高値で取引されている、という話だったので購入。
メンマとは別のものだという話である。
いくつか買ってきたものの、まだ食べていないので、いずれ機会があれば報告する。

●イキナリまんじゅう、豆だご、芋だご、ダゴ汁

熊本に到着。
なんと現場は真宗大谷派の熊本別院であり、かなり驚く。
なんでも「弱いものに寄り添うことが真宗の勤めではないか」という熊本インディーズ系労組の方(*3)の呼びかけに答えて、会場を提供してくれたとのことでした。
大谷派の若い僧侶の皆さんとお知り合いになれたのですが、僧侶の皆さんは、檀家回りなどで、いろいろにお宅でお菓子をごちそうになることも多く、年寄りと話すこともおおく、熊本の法事菓子事情について、いろいろと伺いました。

・「イキナリまんじゅう(だんご・だご)」というものは、サツマイモを厚めに輪切りにしたものを芯にして蒸して作るまんじゅうのことで、イキナリな来客の時にでも出せるからこの名前になっている
・イキナリまんじゅうには、サツマイモにあんこが塗ってあるものと、そうではないものとがある。
・イキナリまんじゅうは、九州で広範囲に食べられているようだ。
・まめだご、いもだご、と呼ばれるものもあり、こちらはお菓子というよりは小昼(*4)に食べるもので、本来は甘くなく塩味であるが、最近では甘くしてお菓子として売られている。法事で出ることは稀である。
・まめだご、いもだご、の残ったものを、翌日に汁に入れたものを「だご汁」と言う。

町で販売しているイキナリまんじゅうは、さすがにちゃんと作ってあり、それなりにおいしいです。
まんじゅうのサイズとしては、やや大きめ。サツマイモが入っているので腹持ちも良いです。
なかには温かい状態で売っているお店もあり、なかなかおいしかったです。

蛇足ですが、九州のお寺さんの先祖には、秀吉の配下の小西行長が九州に攻め込んできて、負けた豪族が出家させられた人たちが先祖の家がすくなくないそうです。
また、真宗大谷派熊本別院の宿直室は「地獄部屋」といわれているそうです。

熊本の甘いもの大集合。「イキナリまんじゅう」は、皿の中央に乗っている切られたもの。中のアンとサツマイモが見える。

熊本の甘いもの大集合。「イキナリまんじゅう」は、皿の中央に乗っている切られたもの。中のアンとサツマイモが見える。

●「馬野骨介(*5)」とともに馬肉三昧。

熊本であるから、やはり馬刺だ、ということで観光案内をみていると、熊本の夜のスポットには相当に詳しい、大谷派の若い僧侶の皆さんが、いろいろとアドバイスをしてくれました。
観光案内などに掲載されている馬刺家は、地元民は絶対にいかないような、僧侶でも人に呼ばれないといかないような高い店ばかりだそうです。

熊本では、馬肉が普通に流通しており、ホルモンは馬のホルモン煮が一般的で、豚や牛のものはそのように断り書きがしてある。
食べるのは食用の馬がいて、競走馬ではない。
馬を刺身でたべるのは、火を通すと硬くなるからで、刺身で食べるのが一番良い、とのことでした。

さっそく、地元情報をもとに買出しに走ったところ、
「肉のドッキン市」という、なんともドッキドッキな名前(*6)の業務スーパーと「ホルモン食堂・馬の骨」に遭遇。
ドッキン市では、四角い店の内部の一辺が、すべて「馬コーナー」になっている光景に愕然としました。
愛知県や東京の人間は、馬刺しというと一種類の肉しか想像できませんが、ここ熊本では、馬刺し用にいろいろな部位の肉があり、値段もピンキリなのでした。

・コウネ(タテガミ)…タテガミ部分の脂身。全体的に白い。かむのにはやや力が要るが、コリコリとしておりコクがありおいしい。安い。
・フタエゴ…白身と赤味が合わさっている部分。腹の周辺のことらしい。肉は硬めだが、味は相当に良い。安い。
・小間…普通の小間肉の塊。ここも刺身でたべる。やや固めだが馬刺しの味である。かなり安い。

このほかに、200グラムで数千円もする霜降り肉とかもありました。
このお店にはなかったのですが、店の人の話によると、せんぼこと呼ばれる血管、タンの刺身、肋骨の肉をそいだバラヒモなどの部位もあるそうです。
タレは濃い目の馬刺用の醤油にニンニクを入れたりした食べます。
九州の醤油は、馬刺用でなくても、甘さが強い気がします。
霜降り肉などに手を出さなければ、馬刺しの値段はかなり安めです。
ですが、あまり欲張って色々と食べると、翌日アゴが痛くなります(かなり硬い)。

「ホルモン食堂・馬の骨」は、食堂となっていますが、馬のモツ煮込みを販売しているお持ち帰り専用のお店です。
車椅子の主人が一人で切り盛りしています。
このご主人、かつては日本料理家で板前をしていたのですが、足が不自由になってしまい板前を辞めることになったそうです。
そして、板前だった当時から、時々頼まれて作っていたモツ煮込みの店をはじめた、とのことでした。
馬ホルモンのことをいろいろと効いていると、ご主人と地元の人との会話が、だんだんと熊本弁になっていき、最後のほうには、ほとんど聞き取れない言語になっていました。
九州に上陸してから、コンビニやスーパーなどでは、意外なほど訛りを聞かなかったのですが、やはり話す人同士だと、出で来るものだと感心しました。

まったく聞き取れなかった熊本語の一例を紹介します。

熊本語:しるがすくなかと、ひとでておいしゅうなかけ…なんやらやらやら
日本語:(モツ煮込みの)汁が少なくなると、○○して(?)おいしくないので…

文字で書くと、まだ意味がなんとなくわかりますが、実際の話し言葉では、イントネーションの違いでしょうか、何を言っているのか、さっぱりわかりません。
また「ひとでて(ひとでる?)」の意味が、何度か聞いたにもかかわらず、よくわかりませんでした。
「吹き出る」に互換は近いですが、汁が少ないので吹き出るはずもないので、汁が濃くなりすぎでおいしくなくなる、という状態を表す言葉なのかもしれません。
「馬の骨」で買ったホルモン煮込みは、かなりおいしかったです。
ただし、知らない人に食べさせても、馬のホルモンだとは気がつかないのではないか、と思えるほど、クセのない味でした。

馬刺し三昧の様子。赤と白のものが「ふたえご」。白いものが「コウネ」。赤いものが「小間」である。

馬刺し三昧の様子。赤と白のものが「ふたえご」。白いものが「コウネ」。赤いものが「小間」である。

●熊本人の常識? タイピーエン。

最後に紹介するのは、熊本では給食に出るほどポピュラーな料理、タイピーエンです。
太平燕と書くこの料理は、つまりはハルサメスープなのですが、熊本では一般的な料理のようで、
ある人の母親などは、東京の食堂で普通にタイピーエンを注文しようとして、メニューにないことを知って愕然としたほど、全国にあると思い込まれているそうです。
位置づけとしては、なにかよいことがあったときに外食で頼む料理のようなものだそうです。
起源はよくわかりませんが、どうやら熊本に住んでいた中華系の人たちが、郷土料理かなにかを模して作ったものが定着したもののようです。
熊本市内には「元祖」の店がいくつかあるようで、筆者も「元祖」の店のひとつで頂きました。

白いスープにはチャンポンのように野菜がたくさん入っており、中にある透明なハルサメがそれに映えます。
揚げたゆで卵が入っているところが、ややお祝い事っぽさを出しています。
味としてはたいへん食べやすく、これは全国にあってもよいかもねと思いましたが、腹持ちはまったくよくなく、筆者も含め食べた人はみな、夕飯前に、すぐに空腹を訴えていました。

熊本の郷土料理、タイピーエン(太平燕)。白いスープに野菜と揚げ卵が入ったハルサメスープである。

熊本の郷土料理、タイピーエン(太平燕)。白いスープに野菜と揚げ卵が入ったハルサメスープである。


*1 インディーズ系メーデー・インディーズ系労組
連合系、共産系などの上位団体をもつ大手の労働組合や、セクト系、企業の御用組合、などの背後団体をもつ労働組合とも違い、そのような関係性から独立した活動をしているメーデーを指す。
「インディーズ系メーデー」の主催者であるインディーズ系労組の多くは(地域によっては労組が主催ではないメーデーも存在する)、個人加盟制労組であり(職場で労組をつくれるほど力がない)、比較的若者が多く(不安定な働き方は若者に顕著)、非正規労働やフリーターの労働問題、生存組合運動などの、大手労組が取り組まない活動分野で活動していることが多い。
2005年頃から各地でフリーター労組などの活動が全国で活発になり、その活躍を目の当たりにし、実際に参加した雨宮処凛が命名した。
一方、個人加盟制の労働組合は以前から存在しており「コミュニティユニオン」という呼称でも呼ばれている。
一説には「インディーズ系労組」とは「コミュニティユニオン」のこととされているが「インディーズ系」として語られている運動との「ノリの違い」も大きく、はたして同一のものかどうかは微妙である。

参考:社民党OfficialWeb┃特集┃雨宮処凛のかりんと直言┃ホッピー系労組
http://www5.sdp.or.jp/special/karinn/karinn06.htm

*2 鬼まんじゅう
薄力粉と砂糖と角切りサツマイモを混ぜて蒸した菓子。
愛知県では非常に身一般的な菓子で、ごくふつうのスーパーにも必ず置いてあるが、他地域ではまず見られない。
見た目はゴツゴツしており、人によっては「ゲロのような外見のもの」と感じる場合がある。

*3 熊本インディーズ系メーデー
熊本のインディーズ系労組は「KUMASO」という団体であるが、メンバーの多くがメンタルヘメス問題などを抱えており、生存そのものが危ういことから「天国に一番近い労組」という別名(自称)をもっている。

*4 小昼(こびる)
昼飯の前にたべる軽い食事のこと。だいたい9時~10時の間である。
農家の多くは早朝(4~6時)から働いていることも多く、昼飯前の作業の合間に軽食を食べる習慣は、全国的にある。

*5 馬野骨介(うまのほねすけ)
熊本のインディーズ系メーデーでは「馬野骨介」という名前で活躍している、かなり面白い人がおり、参加者は「馬野骨介とともに馬の骨で買った馬を食べる宴」などといって騒いでいました。

*6 肉のドッキン市
愛知県には『肉のビックリ市』という名前の店があるが、ドッキン市のほうが名前で勝っている。
熊本市民なら知っている、市内に何店舗あるお店のようである。

関連リンク
熊本労働生存組合(KUMASO)公式ブログ
http://kumamotounion.blog103.fc2.com/
マガジン9?雨宮処凛がゆく!?(063)(KUMASOの馬野骨介が話題になっている)
http://www.magazine9.jp/karin/080730/080730.php
全国インディーズ系メーデー・2010(アースデイあいち・LOVE&ビンボー作戦本部)
http://blog.earthday-aichi.net/?eid=1222239
ホルモン食堂・馬の骨 熊本県熊本市蓮台寺1-318-3 TEL:096-360-2086
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M01018/43201/G0963602086-001/

関連記事
NO 貧困~名古屋行動集会(9)東京で雨宮処凛さんと考えた運動のこれから
http://www.news.janjan.jp/living/0804/0804170095/1.php
「独立系メーデー全国交流会」参加報告      ボラと餃子を食べつつ、ミラノ・メーデーの報告を聞いた
http://www.news.janjan.jp/living/0906/0906034527/1.php
「逃げろ!」と訴えるデモ。ドラム缶風呂。京都「逃散や不服従メーデー」
http://www.pjnews.net/news/777/20100430_17
穴から地上に出た「棄民」達。インディーズ系メーデー東京・同行記録。
http://www.janjanblog.com/archives/1717

かわうそ道中記
かわうそ道中記・奈良山中の郷土資料館にて、90歳の館長と遭遇。
http://www.janjanblog.com/archives/16738
かわうそ道中記・通りすがりの小山町で災害ボランティアに参加
http://www.janjanblog.com/archives/15487
台風による被害大・静岡県駿東郡小山町よりSOS・平日ボランティア、飲料水など求む。
http://www.janjanblog.com/archives/15199
かわうそ道中記・日本の象徴? (食用)菊を喰う。
http://www.janjanblog.com/archives/15178
かわうそ道中記・奈良山中にて修験者の修行する滝を発見。
http://www.janjanblog.com/archives/14913
かわうそ道中記・奈良山中にて古代の冷蔵庫「氷室」を発見。
http://www.janjanblog.com/archives/14643

かわうそ道中記・日本最古の氷室神社、江戸時代からある大井戸の杉。

http://www.janjanblog.com/archives/16820

かわうそ道中記・日本最古の氷室神社、江戸時代からある大井戸の杉。

「かわうそ道中記」では、Esamanが方々を移動中に見たものを報告します。

今回の報告物は、大阪方面から奈良県を名古屋方面に通過中、旧25号線で発見した
「郷土の資料館」の館長さんが、20年間、氷室神社の宮司をしていたと聞き、見に行った氷室神社です。

・かわうそ道中記・奈良山中にて修験者の修行する滝を発見。(帰路)
http://www.janjanblog.com/archives/14913
・かわうそ道中記・奈良山中の郷土資料館にて、90歳の館長と遭遇。(帰路)
http://www.janjanblog.com/archives/16738
・かわうそ道中記・奈良山中にて古代の冷蔵庫「氷室」を発見。(往路)
http://www.janjanblog.com/archives/14643

氷室神社境内。とても涼しく、風通しもよい。

氷室神社への参道。境内の杉の木がとても高い。

古文書にも記録があり、1000年以上前からそこにあるという氷室神社は、郷土の資料館の前の道を、そのまま山のほうに行って数分のところにありました。
山裾の部分にあり、表からは本堂が見えないように作られている神社です。
それほど大きくない神社に向かう途中には、水田、畳屋などがあります。
神社に入る前の民家の軒先(?)に、整備されていない、手作りの小さな祠のようなもの(たいへんボロい)があったのが、かえってリアルに感じられます。
神社には、小さな水路を渡って入ります。
坂道をやや入ると、右に曲がっていて、山門のような柱があり、しめ縄が渡されています。
境内の石造りの構造物は、古いもの…といっても、古くて明治期ですが、いくつかあります。
いつも日陰になっている境内らしく、苔むしていて雰囲気が出ています。

氷室神社境内。とても涼しく、風通しもよい。

氷室神社境内。とても涼しく、風通しもよい。

やや坂になっている道を登ると、開けた所に出て、本堂があります。
正面には本尊(?)の祭られている祠があり、祠の向こう側には日の差している林が見えます。
家屋の影を通して、反対側に見える神を祭るエリアが外の明かりで明るくなっている、というのは、アイヌの家屋の祭壇の配置に、若干似ています。
右側は、舞台のようになっており壁のない建物があります。
なにかの作業をしている最中なのでしょうか、左手の建物の中には、色々なものがおいてありました。

本堂の前にある賽銭箱の上には、大幣が置いてあります。
この御幣は、白い紙切れと麻糸のようなものを棒の先に縛り付けたもので、2本置いてありました。
このような祭具が、誰でも触れる状態で置いてある神社というのは初めて見た気がします。
アイヌの場合、ヤナギなどの木を削ってリボン状にしたイナウ(御幣)を使用します。
大幣とイナウは、なんとなく似ていますし、アイヌのユカラ(物語)には「和人は神でイナウを作る」という表現も出てくるのですが、実際の使い方や位置づけは、かなり違うようです。

・アイヌの伝統家屋の建て直し「みどころ」の紹介
http://www.janjannews.jp/archives/2930002.html

本堂前の賽銭箱の上におかれている大幣。

本堂前の賽銭箱の上におかれている大幣。

本堂の左裏手には、小さな池があり、その奥には、大きな木の間に小さな祠が立ててあります。
苔むしている池の周辺を歩くと、無数の蛙が飛び跳ねます。

この生き物がたくさんいる感じは、以前、使っていない水田を利用して、無農薬でガマを育てているお年寄りの所で、ガマの収穫を手伝ったときと似ています。
その「ガマの養殖池」では、無数の蛙が飛び跳ねており、それを目当てにトカゲ、ヘビ、スズメなどが寄ってくる、ということで、鳥よけに網がかぶせてありました。

神社の裏手の池の周囲には、カエルが多数いますが、トカゲやヘビや鳥は見当たりません。
復元氷室のところにあった池とも違い、刺す虫もおらず、適度に日が指しており、とても快適な空間が出来ています。
とてもよく餌付けされているのか、自分が歩き回る姿を追って、池の中のコイが付いて回ります。
なぜか池のところにも賽銭箱が設置されていますが、日本人は、こういう池を見るとコインを投げ込む習慣があるので、その防御策でしょうか?

本堂裏手にある池。

本堂裏手にある池。

氷室神社は、この日はまったく人気が感じられませんでしたが、池の様子や、建物の様子などから、適度に人の手が入っているのが伺えました。
山中などにある神社や祠の多くは、わりと「放置気味」の場所が多く、人が長く滞在するのを拒むような空間になっているところも、少なくありません。
また「大社」では、最新式の監視装置などが張り巡らされていて、これまた居心地が悪いことがあるのですが、氷室神社は、とても快適な空間になっていました。

快適な境内で持参した弁当を食べ、神社の境内でしばらく休憩して、日本最古の神社を後にしました。

大井戸の杉

もうひとつの「見所」を紹介します。
旧25号線沿いには、氷室神社より東側に、地域の人たちが作った「復元古代氷室」があります。
そしてそれよりも東側に「大井戸の杉」があります。
この杉は、昔の街道の脇にあった湧き水のところに、5本植えられていた杉が、長い時間をかけて癒着してしまったもの。
現在は4本生き残っています。
樹齢は350年~400年ではないか、ということです。
国道の脇(確か南側?)に、そのまま大杉があるので、発見は容易です。
足元には湧き水が合った、ということでしたが、現在は覆いがかけられており、もし湧いていたとしても、飲める状態ではありません。

大井戸の杉。江戸時代に湧き水に植えられた4本の杉が癒着して大木になったもの。

大井戸の杉。江戸時代に湧き水に植えられた4本の杉が癒着して大木になったもの。


氷室神社
(近鉄奈良駅の近くにある氷室神社とは別のものです)
632-0122 天理市福住町浄土1842 TEL 0743-69-2971(神社なので普段は人が出ませんので、お祭りなどの問い合わせは下記にどうぞ)
天理市観光課 TEL 0743-63-1001

関連リンク
地域の特徴 – 天理市立福住小学校(地域の祭事情報がある)
http://ed.city.tenri.nara.jp/fukusumi-el/index.cfm/13,0,34,html
奈良の寺社 氷室神社(福住)(周辺地図がある)
http://narajisya.blog.eonet.jp/mahoroba/2008/12/post-e6f9.html

かわうそ道中記
かわうそ道中記・奈良山中の郷土資料館にて、90歳の館長と遭遇。
http://www.janjanblog.com/archives/16738
かわうそ道中記・通りすがりの小山町で災害ボランティアに参加
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台風による被害大・静岡県駿東郡小山町よりSOS・平日ボランティア、飲料水など求む。
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かわうそ道中記・日本の象徴? (食用)菊を喰う。
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かわうそ道中記・奈良山中にて修験者の修行する滝を発見。
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かわうそ道中記・奈良山中にて古代の冷蔵庫「氷室」を発見。
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かわうそ道中記・奈良山中の郷土資料館にて、90歳の館長と遭遇。

http://www.janjanblog.com/archives/16738

かわうそ道中記・奈良山中の郷土資料館にて、90歳の館長と遭遇。

「かわうそ道中記」では、Esamanが方々を移動中に見たものを報告します。

今回の報告物は、大阪方面から奈良県を名古屋方面に通過中、旧25号線で発見しました。
行きで「古代氷室」を発見したルートを逆にたどっている最中のできごとです。

・かわうそ道中記・奈良山中にて修験者の修行する滝を発見。(帰路)
http://www.janjanblog.com/archives/14913
・かわうそ道中記・奈良山中にて古代の冷蔵庫「氷室」を発見。(往路)
http://www.janjanblog.com/archives/14643

途中、修験者の修行するという滝を発見し、そこで野焼きをしていたおっさんに「物の怪が出る」と言われて退散。
眺めのよい天理ダムを通過、一山超えて、流れのきつい名阪国道(新25号線)の下をくぐったあたりの農村部の三叉路で、
「浄土」という、なんともありがたい名前のバス停を発見。
バスの時刻を見てみると、なんと朝に1本、午後3時ごろに2本しか出ていないことが判明。

福住町浄土にある「郷土の資料館」の外観。立派な石碑があるが、建物はプレハブである。

福住町浄土にある「郷土の資料館」の外観。立派な石碑があるが、建物はプレハブである。

周囲を見回してみると「郷土資料館」という矢印を発見。
行ってみると、そこには割と広い敷地にプレハブを建てた、なんともいえない手作り感満載の建物がありました。
あまり草取りをしていない模様で、結構な高さに草が茂っています。

声をかけるも人の姿はなし。
資料館の入り口には「館長が不在でも入って見てください」という張り紙があったので、
おそるおそる開けてみると…
かなりの広さの室内には、片隅にポツンとなぜか鎧が一組飾ってあり、周囲の壁には、一面に写真や手書きの年表、雑誌の切り抜きなどが飾ってあります。
なんだか作っている途中のような印象です。

周囲の壁に飾ってあるものは、歴代村長の写真、市長の写真、昔の役場の集合写真、神社での集合写真、歴代天皇の想像図、日本神話の絵、雑誌の城特集の切り抜き、神社の由緒を書いた古文書の写しなどでした。
手書きの年表は、世の中の動きと、天皇家の出来事と、氷室神社の出来事をまとめたもので、氷室神社の記述は、それほど多くはないものの、かなり古い時代から、ところどころにポツポツと名前が出ていたことがわかります。
雑誌の切り抜きは、天然氷の作り方や、氷室神社の由緒などです。
いろいろと見ていると、行きで取材した「古代氷室」で何かの作業をしている写真なども飾ってありました。
ここの資料館には、どうやら古代氷室復元の関係者がいるようです。

「なんでもかんでも、ありったけ精一杯並べた」印象のある資料館の様子は、さながら、やや田舎にある、しなびた観光地(山中の鍾乳洞など)などに見られる、「秘宝館」の雰囲気に似ています。

福住浄土の「郷土の資料館」の内部。なぜかおいてある鎧兜のほかね周囲の壁には、所狭しと年表、写真。パネルなどがならぶ。

福住浄土の「郷土の資料館」の内部。なぜかおいてある鎧兜のほか、周囲の壁には、所狭しと年表、写真。パネルなどがならぶ。

いろいろな写真には、あまり解説がなく、どのようないわれのものかがわかりませんが、モノクロ時代の、かなり古い時代から現代にいたるまでの写真があるようでした。
貼り出しているものを一通り読んで、さて帰ろうかと外に出たところ、にわか雨のようなものが突然降ってきました。
この山道を振り出しの雨の中を二輪車で行くのは心配なので、しばらく資料館で雨宿りします。
そろそろ止んだかと思うと、また少し振り出すという、人を足止めするような、ビミョーな雨が続きます。

雨も止んで、しばらくして、もう降らないので出発しようかと準備をしていると、
人気のない道のむこうのほうから「JA福住」の帽子をかぶって、杖を付いたご老人がヒョコヒョコ歩いてきます。

この町の見所でも聞こうかと待ち構えていると、迷わず資料館の中に入ってくるので、声をかけてみたところ、この資料館の館長の方でした。

榊勉さん90歳。
長く氷室神社(この資料館の近所)の宮司を勤めた方で、老後の楽しみとしてこの資料館を自分で作ったそうです。

福住浄土の「郷土の資料館」の館長の榊勉さん。福祉センターの所長や氷室神社の宮司も勤めた人だ。

福住浄土の「郷土の資料館」の館長の榊勉さん。福祉センターの所長や氷室神社の宮司も勤めた人だ。

Q:この資料館はいつからあるのですか?
A:自分のもっていた土地に建てました。600坪あります。
建てて公開したのは昨年の4月ですが、まだ閑静していない部分があって、来年の4つきに完成するとよいなと思います。
来年の4月には図書室を作る予定です。

Q:資料館はご自身で作られたのですか?
A:全部自分で作りました。建設の構想は10年前からしていました。
その頃から、すこしづづ桜の木を植えたりして準備をしました。
自分は役所に35年、宮司を20年勤めていましたので、年金があります。
誰も手伝ってくれる人も居ないので、大工さんを呼んで、色々なものをしつらえました。
この土地も昔は貸していて、水田になっていたものを、返してもらって資料館に作り変えたものです。
桜の木は水田だった当時に畔に植えたものです。

Q:展示資料もご自身で揃えられたのですか?
A:はい。この年表は手書きをしました。
手書きの年表は色々な古文書に出てくる氷室神社の歴史を、124代の昭和天皇の時代までまとめたものです。
氷室神社の倉庫が明治4年に火事にあって古文書などはなくなってしまったのですが、いつのころのものかまではわかりませんが、神社の由来を書いた古文書が、先祖から引き継いだものが榊家にはありましたので、それを寄付しました。その写しも展示してあります。
鎧兜も置いてありますし、全国55箇所の天守閣のある城のパネルもあります。
私が役所に勤めた19歳の頃の役場の人たちの写真や、54歳のときに福祉センターの所長をしたときの写真、氷室神社で献氷祭をしたときの写真など、色々なものを飾ってあります。
特に役所の写真は誰が写っているかなどば、自分が書かないとわからないと思うので、整理しています。

手作り年表について解説する榊勉さん。年表は上段が歴代天皇、下段は氷室神社についての記述がある。

手作り年表について解説する榊勉さん。年表は上段が歴代天皇、下段は氷室神社についての記述がある。

Q:「古代氷室」を作っているところの写真もありますね。
A:あれは私が撮ったものです。未来クラブの人たちが茅葺で建物を作った「復元氷室」ですね。
あの氷室には、毎年氷を保存して、7月の夏祭りにカキ氷にして振舞っています。
未来クラブは、村の有志で作っているものです。
他にも13段の石の塔があります。いまは8段しか残っていませんが、当時からあるものです。

Q:お祭りでカキ氷とはいいですね。氷室に入れた氷の歩留まりはどれほどでしょうか?
A:お祭りは小学校の近くの公民館でしています。中にいれる氷は、天然氷ではなくて大阪の業者から買っています。
2月頃に氷を買って入れて、7月の20日頃に出して夏祭りをするころには、だいだい3割~4割ほどしか残りませんね。

Q:今年は氷を運ぶイベントがあったみたいですね。
A:今年は平城京遷都1300年ということもあって、平安時代の衣装で氷を運ぶイベントがありました。
その様子は、このあたりでもテレビで放映されましたよ。

Q:氷室神社では氷を祭ると聞きましたが?
A:献氷祭では、埼玉県と栃木県で天然氷を作っている業者から、天然氷を買ってきてお供えをします。
家でも12月頃に天然氷を買ってきて、お供えしています。

Q:氷室神社で行われるお祭りにはどのようなものがあるでしょうか?
A:毎年7月1日には献氷祭、10月第二日曜日には秋祭があります。
秋祭りでは、お神輿が出て、昔の衣装で氷室神社から学校の方へ練り歩くこともします。
7月20日頃には、氷室の氷のかき氷が出る地域のお夏祭りがあります。

Q:日本最古の神社というのは本当でしょうか? 氷室神社はその当時からに同じ場所にあるのですか?
A:氷室神社は日本でもっとも古い神社で、仁徳天皇の時代の1600年前から記録があります。
古文書に出てくる氷室神社と現在の氷室神社は同じものです。
仁徳天皇の弟が狩に出たときにここで氷を保管庫しているのをみつけて、それを献上するようになったと記録にあります。

Q:このあたりの地名は、なかなかよい地名ですね。
A:福が住む、浄い土の町に、神様祭られたわけです。
460年の允恭天皇のころに神社として作られたみたいです。
老後の楽しみとして資料館をやっていくつもりです。

Q:先ほど資料館におられませんでしたが?
A:食事をしに家に帰ってましたんや。またきたってください。

館長の榊勉さんが撮影した「古代復元氷室」の建設時の写真。

館長の榊勉さんが撮影した「古代復元氷室」の「氷出し」の写真。

館長さんの話では、この資料館は、もともと水田だったとのことでした。
そうして見ると、確かに土地を囲うように水路が走っているのもうなづけます。
肝心の氷室神社にまだいっていないので(あること自体を知らなんだ)、資料館を出て、早速向かいます。
氷室神社と、周辺の見所スポットをあわせて、次回紹介します。


氷室神社
632-0122 天理市福住町浄土1842 TEL 0743-69-2971
(神社なので普段は人が出ませんので、お祭りなどの問い合わせは下記にどうぞ)
天理市観光課 TEL 0743-63-1001

「かわうそ道中記」シリーズ
かわうそ道中記・奈良山中の郷土資料館にて、90歳の館長と遭遇。
http://www.janjanblog.com/archives/16738
かわうそ道中記・通りすがりの小山町で災害ボランティアに参加
http://www.janjanblog.com/archives/15487
台風による被害大・静岡県駿東郡小山町よりSOS・平日ボランティア、飲料水など求む。
http://www.janjanblog.com/archives/15199
かわうそ道中記・日本の象徴? (食用)菊を喰う。
http://www.janjanblog.com/archives/15178
かわうそ道中記・奈良山中にて修験者の修行する滝を発見。
http://www.janjanblog.com/archives/14913
かわうそ道中記・奈良山中にて古代の冷蔵庫「氷室」を発見。
http://www.janjanblog.com/archives/14643

かわうそ道中記・奈良山中にて古代の冷蔵庫「氷室」を発見。

http://www.janjanblog.com/archives/14643

かわうそ道中記・奈良山中にて古代の冷蔵庫「氷室」を発見。

「かわうそ道中記」では、Esamanが方々を移動中に見たものを報告します。

今回の報告物は、奈良県を大阪方面に、旧25号線をたどって移動中に発見しました。
現在の25号線は自動車専用道路になっており、高速道路のような感じの怖い道路です。
旧25号線は、怖く早い25号線の周りを這うように東西に進んでいます。

復元された「古代氷室」の正面。温度管理のためか入り口が大変小さい。

復元された「古代氷室」の正面。温度管理のためか入り口が大変小さい。

この山中の25号線を通過中、道路脇に「ヤマトタケルのようなアニメ絵」が書いてあり、その奥に茅葺の古めかしい建物が立てられている場所に遭遇しました。
国道沿いの少し上になった場所の、杉などの生えている茂みの中に建てられています。
とはいえ、国道といっても、車の行き来かあまりないのですが。

併設されている看板によると…

「日本書紀の仁徳天皇六十二年の条に、額田大中彦皇子(ヌカタオオナカヒコノオオジ)が、
闘鶏(ツゲ…この周辺の地名。現在の表記は「都祁」)に狩にきて、光るものを発見して、
この地方の支配者に聞いたところ、天然氷の貯蔵庫であったので、
それ以後、冬場に蓄えた氷を、夏場に献上するようになったという記録がある。

昭和62年の発掘調査で「都祁氷室(ツゲヒムロ)」「都祁氷遣始日(ツゲノコオリオハジメチハコブヒ)」などの表記とともに、
氷室の作り方や輸送の責任者の名前を書いた木管が出土して、日本書紀の記述が証明された。

その当時の氷室跡は福住小学校北側や福住中学校裏山などにのこっているが、貴重な史跡なので、
有志の方に提供してもらった場所に、1999年に氷室を再現した。」

(文中のカナ読みは、設置してあった看板・プリントの表記による)

とのことでした。
この氷室を作ったのは「福住未来(ゆめ)クラブ」という団体のようです。
昔風な建築とのことだったので、早速内部を探検。
ひょっとしたら、アイヌのチセ(家)とも似ているかもしれません。

国道(旧25号線)からみた古代氷室。「ヤマトタケル」のような絵の描かれた看板が目に付く。

国道(旧25号線)からみた古代氷室。「ヤマトタケル」のような絵の描かれた看板が目に付く。

その建物は、国道沿いの杉林の中に建てられており、裏には小さな池があります。
周囲はとても湿気が多いです。
建物は、壁のない屋根だけの構造で、内部は地面を掘り下げて貯蔵庫が作られています。
壁は苔生しています。
素材は萱ではないかと思います。
屋根は「合掌造り」などにも見られるような、側面をきれいに切りそろえたタイプの茅葺ですが、
屋根によってできる三角の部分の壁面は、茅葺が段になっており、アイヌの家屋の壁に少し似ています。
(合掌造りの場合、三角の壁面は板作りになります)

「古代氷室」内部の様子。縄と丸太で作られている屋根と壁の構造がわかる。

「古代氷室」内部の様子。縄と丸太で作られている屋根と壁の構造がわかる。

小さな入り口から内部を除いてみると、なんがたゴチャゴチャとものが置かれていますが、屋根裏の構造がよくわかります。
屋根には釘などは使われておらず、縄と丸太でつくられており、その構造は合掌造りの屋根ととても似ているようでした。
(アイヌの家屋の場合、この屋根の組み方、茅葺の仕方が、かなり異なる)

内部の中央には、囲炉裏の穴を大きくしたような真四角の穴が掘られており、この部分に氷を保存するようでずか、現在はカラになっていました。
内部は発泡スチロールが置かれており、断熱の補助としているようでした。
古い時代は、気温が何度か低かったので、昔ながらの方法でも氷が保存できたでしょうが、最近では難しいのでしょうか?
これも温暖化の影響かもしれません。
氷室の印象としては、アイヌ家屋とは違う構造であり(*1)、それよりも、合掌造りや、遺跡などで復元されている竪穴式住居に近いように思いました。

古代氷室内部の貯蔵庫。この部分に氷をいれたのだろうか?

古代氷室内部の貯蔵庫。この部分に氷をいれたのだろうか?

氷室の周囲には、百葉箱や資料ボックスが建てられており、立ち寄った人の寄せ書きノートなどもありました。
ノートの記載を見ると、意外と数多く人が立ち寄っています。
自転車で関東から大阪に向かう人の感想などもあり、旧25号線に、多数の人が行き来している様子がわかりました。
中においてある持ち帰り用の紙には、氷室の由来などが書いてありますが、何度もコピーを繰り返したのでしょう、細かい文字が読めなくなっています。

いろいろと探索していると、多数の蚊、虻などが寄ってきて、だんだんと痒くなります。
この「氷室」は、とても湿気の多い土地に建てられているので、湿地帯に多い血を吸う虫の格好の待ち伏せ場所になっているようでした。

痒くなってきたので、ノートに感想を書き、古代氷室を後にしました。

実は、この氷室をめぐる話は、つづきます。

復元氷室側から国道を望む。国道のすぐ隣にあるが涼しい。

復元氷室側から国道を望む。国道のすぐ隣にあるが涼しい。

 

*1 アイヌの伝統家屋と日本の古代家屋は似ているか?
よく「アイヌは縄文人で日本人の先祖だから日本の古代の姿が残っている」ということを言う人がいますが、日本の古い建築や文化に、かなり興味を持って見聞きしている感想としては、意外と似ていないぞ、というのが筆者の結論です。
似たような環境で、似たような素材を利用しているのだから、確かに似ている部分はあります。
現代建築からみたら、どっちも似たようなものですが、アイヌのものはアイヌらしく進化しており、和人のものは和人らしく進化しているので、もし仮に「縄文人」という「共通の先祖」みたいなものがいたとしても、違うものが出来上がっているといえると思います。
もちろん、アイヌは進化が止まった原始人ではないので「アイヌ=縄文人」ではありません。

関連記事
アイヌの伝統家屋の建て直し・チセノミの儀式 その(3)ハルランナ、イナウの安置、ご馳走
http://www.janjannews.jp/archives/2971876.html
アイヌの伝統家屋の建て直し・チセノミの儀式 その(2)チセチョッチャ
http://www.janjannews.jp/archives/2956730.html
アイヌの伝統家屋の建て直し・チセノミの儀式 その(1)大勢の観客の前でカムイノミを開始
http://www.janjannews.jp/archives/2945842.html
アイヌの伝統家屋の建て直し・ついに完成! 監修者の萱野志郎さんに話を聞いた
http://www.janjannews.jp/archives/2760034.html
「野外民族博物館 リトルワールド」アイヌ伝統家屋建て直し・棟梁の尾崎剛さんに聞く
http://www.janjannews.jp/archives/2596674.html

関連リンク
川村和正の古代氷室論文
http://www.manabook.jp/iceman-library09kawamura.htm
ひんやり氷室、子ら歓声…天理・福住町氷の一部を1300年祭へ(読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/nara/news/20100720-OYO8T00298.htm
goo 地図・都祁の古代氷室
http://map.goo.ne.jp/blogparts/map.php?from=gooblogparts&MAP=E135.55.38.697N34.36.29.155&ZM=4

謎のドブロクで供養。猛暑の笹島夏祭り。

http://www.janjanblog.com/archives/12498

謎のドブロクで供養。猛暑の笹島夏祭り。

8月13日、則武公演で開催された笹島夏祭りに参加してきました。
この夏祭りは、2010笹島夏祭り実行委員会が主催しているものです。

夏祭りは、越冬闘争と並び、名古屋の寄せ場である笹島地区の2大年中行事です。
「越冬闘争」は、役所が閉まってしまう年末年始の期間、公園にテントを建てて、焚き火をして行うもので、その期間に仕事もなく、行政の対応もされないホームレスの人たちにたいして、炊き出し、診察、無料散髪、もちつき大会、交流会、夜回り(公園以外の場所で寝泊りしている人たちを訪問する)などを行います。
「闘争」と名前がついているのは、厳しい冬を乗り切って、生き残るための戦いだからという位置づけがあるようです。
筆者も何年か参加していますが、活動する期間も長く、炊き出しや夜回りなどすることも多く、寒さも厳しく、また越冬中に亡くなる人もチラホラいて、確かに大変な行事です。

夏祭りの様子。昨年と違い時間通りにスタート。

夏祭りの様子。昨年と違い時間通りにスタート。

一方、夏祭りは、お盆の期間に、お金がなかったり、いろいろと事情があったりして、故郷に帰れない日雇労働者や季節労働者、ホームレスの人たちに、夏祭りの雰囲気を楽しんでもらうために毎年企画されています。
こちらは「闘争」ではなくお祭りです。

「笹島夏祭り実行委員会」は、夏祭りが終わると、メンバーや参加団体は、ほぼそのままで、今度は「越冬闘争実行委員会」となります。

・人のつながりを確認できる祭り、笹島夏祭り開催(2009年の夏祭りの記事)
http://www.news.janjan.jp/area/0908/0908168822/1.php
・日雇い ホームレスたちの癒しの祝祭~笹島夏祭り(2007年の夏祭りの記事)
http://www.news.janjan.jp/area/0708/0708160881/1.php

今年も、笹島の夏祭りがやってきました。
炊き出しや「越冬闘争」は、支援活動であるので、なかなかとっつきにくいイベントですが、
夏祭りは「お祭り」なので、気軽に参加できるお祭りです。
参加団体の多くも、普段の活動よりは少し気楽に、自分たちも楽しむ感じで参加しています。

チラシには「15時開催」とありましたが、昨年はそれでも昼前に既に普通に始まっていたので、今年も昼前に行ってみましたが、会場は設営されているけども、始まっていません。
今年は、チラシに書いてあるとおりに、15時にはじめるために、メインの食材の搬入を直前の時間に行うことにした団体が多数いたようです。

15時になったら販売開始。
いっせいに各店舗が営業開始です。
飲食コーナーだけでなく、同時に無料散髪コーナーなども開始。

飲食コーナーには、夏祭り名物のひや汁。
チラシずし、ゴーヤの炒め物、たけのこ煮、焼き鳥、カキ氷、ジュースやお酒、おにぎりなどが並びます。
ビルマカレーは、ごはんがなくなってしまい、ほぼ一瞬で完売。
でもカレーは残っているので、カレーだけを無料で配ってくれます。
どれも価格は50円~100円。
現金がなくても、空き缶3個~5個で買うこともできます。

この日のために集めたのでしょうか?
名古屋市の資源袋にいったぱいの空き缶をもって並ぶ、おっちゃん達の姿がそこにありました。

今年の人手は、猛暑にもかかわらず、昨年とかわらない感じがします。
普段、炊き出しなどの支援活動をしている人、市民活動などで見られる人、名古屋近郊のホームレスの仲間や日雇いの仲間にまじって、毎年、この時期になると必ず見かける「仲間」も多数います。
いつもは、どこかで仕事をしているか、野宿をしているのだと思いますが、毎年、この夏祭りを楽しみにして、やってきている人たちです。

則武公園は、神社が隣にくっついている構造をしているのですが、
その神社の境内や、公園の日陰、遊具の隙間など、思い思いの場所で、
久しぶりに会った仲間達が、食べ物や飲み物を手に談笑しています。

ひらき座の人たちが、太鼓や人形劇を披露するなか、
スイカや冷凍みかんなどが配られます。
スイカ割り(実際にはスイカ形の浮輪をたたく)、カラオケコーナーなども開始され、夏祭り気分が盛り上がります。

カレーの配食を待つ参加者の列。イスの上にあるのは、昨年に亡くなった仲間の位牌。

カレーの配食を待つ参加者の列。イスの上にあるのは、昨年に亡くなった仲間の位牌。

お店にまじって、位牌がたくさん並んでいるテントがあります。
この一年で亡くなった野宿の仲間の位牌を並べているテントです。
「氏名」が書かれている位牌もありますが、おおくは上の名前だけ、漢字が分からないのでカタカナで書かれているものもあります。
中には「男性」とだけ書かれたものがあります。
年齢も、性格にわかるものもありますが、多くのものは「60代くらい」というような感じで書かれています

ホームレスの人たちには、いろいろな事情があり、自分の名前をあまり言わなかったり、どこの人かよくわからない事も、珍しくありません。

そして、このテントの位牌との対面は、毎年ちよっと心配になる出来事です。
時々、しばらくみないな、と思っている人が、亡くなっていることがあるからです。

ホームレスや日雇いの人たちが「突然いなくなってしまう」ことは、珍しくありません。

仕事のためにほかの場所に行く(ホームレスの多くは何かの仕事をしています)、仲間同士の人間関係で大変だから移動したり、勿論、福祉をとって生活をはじめる場合もあります。

そういった人たちと「久々に会う」のは、夏祭りや越冬などのイベントのときです。
ひさしぶりだと声を掛け合うこともありますが、並べられている位牌の表記となって、無言で対面する場合もあります。

もちろん、ここの位牌は名古屋の支援活動が把握している人たちですから、ほかでなくなっている場合はわかりませんし、
ほかの名前を名乗っている場合も、分かりません。
今年は、知っている人の名前はないようでした。

テントの中には、ずっと位牌を眺めながらお酒を飲んで、線香がなくなると、火をつけて、またお酒を飲んでいる人がいました。

人がたくさん集まっており、夏祭りもにぎやかになってきました。
ひととおり人が集まって、陽射しが少しやわらいだ頃、普段の夏祭りでは見られないコーナーを発見しました。

その名も「秘密のどぶろくコーナー」。
冷や汁、おにぎりといった、毎年おなじみの飲食コーナーの中に、ひっそりと混ざって存在していました。
この「どぶろく」どうも自家製のようで、桶の中を覗くと、まだブツブツと泡が発生していました。
近づくと甘いにおいがします。

誰が作成したのかは、よくわかりませんが「どぶろく」のお題はタダ。
筆者も一杯もらってみましたが、米の粒が残っていますが、なかなかの良いできのようです。

アイヌ民族の先祖供養などの行度などでも、よく「トノト(*1)」と呼ばれる「どぶろく」が作られていることがありますが、
このお酒は、その「トノト」によく似ています。

・イオマンテ[料理編] トノト(アイヌ文化研究推進機構のHPの掲載されているトノトの作り方)
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/ryouri/ryouri_02_tonoto.html

「どぶろく」といえば、かつてはコリアタウンなどで「密造酒」が造られていた、という話を思い出したので、在日2世のお年寄りにお聞きしたところ、

「自分は作ったことがないけど、近所のおうちでよくつくっていた。
ドブロクを作っている家からは、甘いにおいがしてきたから、すぐにわかったよ。
警官がやってくるとね「犬が来たぞー」と朝鮮語で言ってね、
そうすると防衛のために、みんな作っていたドブロクを道に捨てていたよ。そのときくの匂いは今でも覚えているね」

とのことでした。

突如会場に出現した「秘密のどぶろくコーナー」

突如会場に出現した「秘密のどぶろくコーナー」

そういえば、カムイノミ(*2)などの行事でアイヌが集まると、よくドブログを作ってみんなで飲んでいますが、それは何かの法律違反なのでしょうか?

会場にいた人に聞いたところ

「自家製ドブロクは酒税法違反である」
「作っても自分達で飲んで販売しなければ良い」
「酒税法によると自家製の梅酒も違反となるので、法律の方がおかしいし機能していない(*3)

などの意見がありました。
よくわかりませんが、いずれにせよ、誰かが作ったものを自分が飲む分には、特に問題はないようです。
もちろん、菌がまだ生きているモノのですから、飲みすぎるとおなかを下す人もいるようです。

ドブロクというと、筆者の場合、自宅で作っていたことも、村祭りで目撃したこともないので、アイヌが集まっている所を想像します。

アイヌといえば、この則武公園は、かつて、アイヌ差別が元で発生した殺人事件の舞台となった所です。(*4)
筆者がその事件を知るのは、事件が「支援活動」も含め、一通りおわって、当事者の人が刑期を終えて、外に出てきてから(つまり事件の終わったあと)のことなのですが、筆者が笹島界隈の活動に継続的に関わるきっかけとつなった事件でもあり、また「差別(いろいろな意味で)」というものについて、かなり深刻に考えさせられる事件でもあったので、きわめて印象的に覚えています。

もらったドブロクを、事件があった場所(当時とは別の構造物が立っている)に行き、周辺にワリバシで垂らして(*5)、一通り回って戻ります。

笹日労芸能部の皆さん。左から、大西豊さん、ボリ(野里)さん、えぐれささしま、さん。

笹日労芸能部の皆さん。左から、大西豊さん、ボリ(野里)さん、えぐれささしま、さん。

もどってみると「秘密のどぶろくコーナー」には、人だかりができていました。
中には10杯ほど飲んだツワモノもいたようです。

かつて肉体労働者として活躍していて、夏祭りには毎年来ているというお年よりは、
「自家製のドブロクを飲んだのは久しぶりだ。郷里のお祭りの日を思い出すよ。この甘さとキツさがいい。市販品にはない味だね。生きている酒だから回りが速いね。夏祭りには毎年来ているけれど今年は大当たりだった」
と、顔を赤めつつ、にこやかに語っていました。

このあと、ビンゴ大会や、夏祭り恒例の「カレーの炊き出し」などが行われました。
食べ物や飲み物がほとんどなくなっても、夏祭りは延々と続けられ、あたりが暗くなる頃には、夏祭りに集まった仲間達は、合板とビール箱で作った舞台の上で歌う若者の周りで踊ったり、太鼓をたたきながら盆踊りを踊ったりしていました。

楽しみにしている人がたくさんいる笹島夏祭り、毎年続けられるとよいなと思います。

ビール箱と合板で造った即席舞台の上で歌う若者に合わせて、参加者のみんなが踊る。

ビール箱と合板で造った即席舞台の上で歌う若者に合わせて、参加者のみんなが踊る。

 *1 トノト
アイヌ語で酒のこと。
昔は稗や粟で作っていたが、現在は米が中心。雑穀などを混ぜて作る場合もある。
味のよしあしは材料もあるが、つくりの手の腕に左右されるようだ。製法は日本のドブロクと、ほぼ同じである。

*2 カムイノミ
神に拝むことを意味するアイヌ語。
野外に囲炉裏を作って、大勢の人が集まって行われるものや、家の近くで行われる先祖供養、屋内で行われる拝みごとなどをさすが、この場合は「野外で囲炉裏を組む」大きな催し物をさす。

*3 自家製梅酒を造ると犯罪?
1962年の酒税法改定により、アルコール20度以下のものに、米、麹、ブドウ以外のものを漬ける行為は例外とされたが、伝統的に行われているレシピでは、20度以下の酒を使用する果実酒は無数にあり「自家製梅酒を造ったら犯罪」である状態は改善されていない。
なお、酒税法によると、どぶくろを自家製造した場合は「5年以下の懲役または50万円以下の罰金」となっている、それでも自家製造は行われいた。
その後、度重なる改正があり、現在(2008年以降)では「どぶろく特区」なるものが設定されて、祭りや旅館などで提供されている地域がある。
また、日本各地で伝統的に行われていたドブロク製造が禁止になった背景には、戦時中の酒類の大増税にたいして、酒類製造業者へのごきげん取りの意味もあって行われたという説もある。
(当時の明治政府にとっては酒造税は全体の3割と、税収のかなりの部分を占めていた。同時に農村では自家製ドブロクが盛んに消費されていたという背景もあった)
どぶろくを製造は幸福追求権にあたるとする「どぶろく裁判」という裁判も戦われたが1989年に敗訴している。

*4 笹島事件
アイヌ新法制定運動などが盛んになっていた1990年、名古屋の則武公園で発生した殺人事件・差別事件。
則武公園で、あるアイヌの労働者に対して差別的な言動が行われ、その内容と、あまりの執拗さに反撃したところ、相手が死亡。
拘置中のアイヌ労働者に対して、笹島周辺の活動家らによる支援活動が行われたが、その結果は、けっしてスムーズだったとは言いがたいものだった。なおウタリ協会(現・アイヌ協会)は本件を支援しなかった。被告だった人は刑期を終えて出所して名古屋で生活していたが、既に亡くなっている。
笹島会館21周年の際に出された冊子には、この事件当時の通信が少し掲載されている。

*5 酒をワリバシで垂らす
アイヌの習慣には、先祖やカムイに酒をささげるときに、イクパスイ(捧酒箸)という彫刻のはいった棒の先につけて捧げると、言葉を添えて捧げられるし、より意味があるという考えがある。
おそらくアイヌにしかない風習のひとつ。
イクパスイがない場合、ワリバシを使ったほうが、そのままあげるよりは良い、あるいは、そこに生えている枝でよい、簡単にすませて後でちゃんとやればよい、という話も聞いたことがある。
ここでは、周囲の人に聞かれて、いちいち説明するのが面倒なのもあり、ワリバシを使用している。

 

関連リンク
人業劇団ひらき座(太鼓・人形劇で出演)
http://www.hirakiza.com/
ささしま共生会(出店)
http://www6.ocn.ne.jp/~sasasima/
ホームレス 生活保護 名古屋 医療 笹島診療所(出店)
http://www4.ocn.ne.jp/~sasasima/
日日是丹精~野宿労働者の人権を守る会の不定期日記&備忘録(出店)
http://d.hatena.ne.jp/homeless758/

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「部落」聞き書き 「太鼓ロード」と文化・産業行政から外れる皮革の話

http://www.janjannews.jp/archives/2934937.html
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「部落」聞き書き 「太鼓ロード」と文化・産業行政から外れる皮革の話

Esaman

 関西でもっとも大きな部落地区のひとつであり、皮の町としての歴史も長い「浪速部落地区」で、「あとりえ西濱」というお店を営んでいる方にお話を伺う機会を得ましたので紹介します。
 
 今回は、現在の西濱で活躍する太鼓の話と「文化財」に関する話題です。
 
●太鼓集団「怒」と「太鼓ロード」
 
 西濱には「怒」という太鼓を演奏するグループがあります。
 1980年代に、読谷村(沖縄)の人たちから太鼓の注文が入り、作っているところを見たい、ということで、実際に太鼓を叩く人たちが、やってくることになりました。
 ですがそれまで、太鼓作りをしている町なのに、西濱には太鼓を叩く人たちがいなかったそうです。
 叩く人たちとの交流の中で、地元にも太鼓グループがほしい、ということでグループが結成されました。
 伝統文化を自分たちの手に取り戻し『太鼓の音が聞こえる町』という願いをもって、世の中のすべての差別に怒りを、という意味で結成されたものだそうです。
 
 現在の西濱周辺には、4件の太鼓屋さんが太鼓を作っているそうです。
 
 また、芦原橋の駅から大阪人権博物館「リバティおおさか」へ行く道すがら、よく見てみると、ベンチが太鼓の形をしていたり、太古を叩いている像があったりしています。
 これは「太鼓ロード」というものです。
 
 芦原橋の駅から、「リバティおおさか」までの道には、意外と何もありません。
 道路はよく整備されていますが、お店もなくて、少し寂しい感じがします。
 このことをアンケートなどに書かれていることを知った地域の人たちが、当時ドイツで受賞していた「人権ロード」を見てヒントを得て整備したものだそうです。2002年に実行委員会が立ち上がり、何年かかけて整備されました。
 
 パンフレットなどによると「人権のまちづくり」の一環ということですが、案内板が太鼓の形をしていたり、電話ボックスの上の部分が太鼓になっていたりと、どちらかというと、人権啓発というよりは「街中に隠れた太鼓を探せ」的なノリなので、宝探し的な楽しみ方ができるかもしれません。

1

「太鼓ロード」のひとつ。バス停にあるベンチが太鼓型になっている。意外と座りやすい。これは分かりやすい例で、他の太鼓ロードのアイテムは、見つかりにくいものもある


●「文化・産業」の制度からもれてしまう太鼓・あるいは皮革産業
 
 日本の有形・無形の「文化財」は、5年ごとに調査されて保護政策がとられています。
 無形文化財には演劇、音楽、工芸技術などがあります。
 文化財は、その演奏方法だけでなく、関わる楽器や、その部品を作るそれぞれの職人も保護されています。
 
 たとえば「箏」(そう)の場合、それを演奏する演奏者も保護されますが、箏の部品を作っているそれぞれの職人も、部分ごとに保護を受けます。
 
 人間国宝が認定されると、それを支える道具類も認定を受けるわけです。
 
 ですが「三味線」などは、少し事情が違いました。
 三味線棹の部分は認定をされていました。胴の部分も認定されていましたが、胴に張る「皮」だけは認定をされていませんでした。
 関係者が抗議を続けて、95年にやっとのことで認定をされたそうです。
 他の楽器や、三味線のほかの部分はずいぶん早く認定されていたのに、ずいぶん遅い認定だったそうです。
 
 また「太鼓」は、文化財としての認定はされていないそうです。
 やはり「皮革」に関わっている産業には、高い技術や伝統があったとしても、扱いの違いが各所に残っているそうです。
 
 太鼓業者には、他の伝統技術の産業と同じく、中小の企業が多くて経営は厳しいそうです。
 伝統工芸としての援助ができないので、他の方法を利用して工夫していますが、そこでも障害があります。
 
 たとえば「産業認定」をとると、色々な制度が使えて便利なのですが、太鼓の業者は数が少なくて認定されにくい。
 普通は10社30人雇っていると認定されるのですが、そこまでの規模がないので、
 行政とかけあって、5社でも良い、という話を取り付けた。
 しかし、しばらくすると「太鼓は一般家庭では使用されない」という理由で不認可になってしまった。
 太鼓が「一般家庭で使用されない楽器」だとすると、三味線や箏はどうでしょうか?
 よほど「一般的」なような気がしますが、実際には認定されない、ということがあるそうです。
 
 これは皮革に関わる人たちに対する差別が、制度面でも残っている例なのではないか、とも思いました。

 とはいえ、現在は西濱地区でも、太鼓や靴などに関わっている人の数は、とても少なくなってしまっているそうです。
 実際に皮革産業が盛んだった頃は、町並みも整備されておらず、暗い路地裏などもあり、場所によっては「エチオピア」や「台湾」などと呼ばれる、不思議なエリアもあったそうです。
 ですが、その時代には人も多く、仕事もあり、町にも活気があったようです。
 
 お話を伺った人たちの口から何度か出た、
 「どうせ覗くなら部落らしい時代を見てほしかった」
 「部落の問題は、もともとは貧困の問題ではない」
 
 という言葉が、とても印象に残りました。
 そのような「皮の匂いのする部落らしい町並み」があったころの西濱を見てみたいと思いました。

2

芦原橋の液にある「差別落書きをなくしまょう」のパネル。このようなパネルがあるのは、部落地区っぽい? と思っていたら、大阪では割と一般的な光景のようである。


関連リンク
 あとりえ西濱
 太鼓集団・怒
 

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「部落」聞き書き 忘れられない「かわのまち」の匂い

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「部落」聞き書き 忘れられない「かわのまち」の匂い

Esaman

前回記事:「部落」聞き書き 浪速部落、西濱村、「あとりえ西濱」の話
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 関西でもっとも大きな部落地区のひとつであり、皮の町としての歴史も長い「浪速部落地区」で、「あとりえ西濱」というお店を営んでいる太田恭治さんにお話を伺う機会を得ましたので紹介します。
 
 「部落」地区にある、西濱(芦原橋周辺)は、かつて「かわのまち」として栄えていました。
 江戸時代には西日本の皮革産業を統括する巨大産業都市として、戦前、戦後には、全国の靴業者が修行や仕入れ、修理のために訪れる活気ある町として、人の行き来も多い地区でした。
 
 現在の西濱は、行政の部落地区整備事業によって、住宅や病院なども整備され、町並みはきれいになりましたが、靴産業、皮革産業の機械化や高齢化などによって、人通りの少ない寂れた風情になっています。
 
 今回は、その西濱地区が活気のあった時代に働いていた人の話を紹介します。
 
●実際に、むかし西濱で働いていた人の話

 当時の町は、駅に降りた途端に、独特の匂いがした。
 周辺の建物も、いまのように立派なものではなく、全体的に低く粗末なものが多かった。
 中にはバラックのようなものが立ち並んでいる地区もあった。
 暗い路地裏、屋根の無い家。地図に無い細い路地。
 そのような家々のほとんどすべてが、皮革の産業になんらかの形で関わっていた。
 駅を出るとすぐ目の前には皮を干して作業をしているところがあった。
 街中にも、屋根に皮を干す家、ブラシに使う毛を干す家、軒先で皮を加工している家、窓から加工した皮を干している家などが有った。もちろん屋内での作業も沢山あった。
 すべて、工場というよりは作業場のようなスペース。
 広くて2畳か3畳ほどのスペースがある程度で、ひと一人が座って作業するのか精一杯。
 作業場がある家はいいところで、屋内に作業場が無いので軒先や路地で作業している人も沢山いた。

1

豚一匹分の皮を広げる太田恭治さん。なめされた皮はゴワゴワしているが、湿らすと柔らかくなる。枠に突っ張るように張って乾かすために、周囲には引っ張った後がある。


 1970年代に仕事に就いた。
 「抜き」と呼ばれる、皮を型抜きして靴の部品をつくる作業です。
 仕事はすべて手で覚える。
 はじめは、使い終わったハギレをもらって型を抜いて作る。
 半裁という、一枚皮を半分にしたものをもらったら一人前。
 自分の場合は手が早くて、一ヶ月で半裁をもらった。
 靴作りにはいろいろな工程があるが、抜きは簡単な作業で、一人前になるのには、長くても2~3ヶ月で習得できる。
 作業によってはもっと時間がかかる。
 「スキ」と呼ばれる作業は、皮の表面を削って加工する作業で、最低でも1年以上かかる。
 「底着け」は難しく、3年以上かかる。
 長い時間のかかる作業が儲かるかというと、そうでもない。
 抜きなどは数をこなす作業で単価は安いが、たくさんこなせば賃金は良い。
 スキなどは手間がかかって単価は高いが、数がこなせない。
 自分の場合は手が早くて、仕事も沢山あったので、一ヶ月15万円ほどもらっていた。
 大卒の初任給が7万7千円ほどだった。
 携わる工程によるが、だいたい9万~15万円ほどの賃金だった。
 仕事のある時期には、収入としてはかなり良いほうだった。
 これは、いまでいうと、派遣社員やフリーターでも、景気のいいときには手取りが高いこともある、というような話と似ていると思う。

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皮を「すく」作業をするための道具。40年ほど使用されていた道具だが、現在も問題なく使用できる。機会の仕組みは、今も昔もあまり変わっていないらしい。


 靴の作業には、ほんとうにいろいろな作業があり、その作業を一つ一つ、部落全体で分業していた。
 どんなに小さな作業でも、それ専門の職人さんがおり、分業していた。
 たとえばこの部品を抜く人、その部品を「スク」人、などなど、それぞれか、ある作業ばかりしていた。
 自分でなんでもやるのではなくて、あらゆる作業を外注していた。
 そうやって、靴一つ作るにしても、部落全体で作業を分業していて、仕事がみんなに回るようになっていた。
 
 1969年から同和対策事業が始まり建物が整備されてきた。
 それでも、長い間、西濱は皮の町だった。
 建物の整備は進んでも靴や皮の仕事はなくならなかった。
 1980年代までは、町にはまだ皮の匂いが残っていた。
 原料の皮の匂いだけでなく、染めた皮の匂い、染色に使う染料やラッカーの匂いなどがあたりに漂っていた。一度嗅いだら忘れられないような、強烈な匂いだった。
 
 皮の匂いが強いと、日によっては洗濯物を干すのがためらわれるほどだった。
 1970年代の調査では、西濱では75%以上の世帯が、何らかの形で皮革産業に携わっていた。
 
 1990年代になると、靴の生産が機械化されたり、海外のものが入ってきたりして、採算があわなくなり、西濱での靴作りの仕事は徐々に減ってきた。
 最近では甲皮(靴の上の部分)の部分は、まだ手仕事もあるが、底着けの仕事は無くなって、みんな接着になってしまった。
 
 皮革産業や靴作りが盛んだった当時は、近畿一帯の部落から、大勢の人が靴作りの修行にやってきた。
 ここで何年か働いて、それぞれの地元に帰って靴屋や靴職人、修理の職人となった。
 西濱で数年働いて得た技術や人脈は、そのあとの仕入れや材料の手配、新人の教育などにとっても重要な意味があった。
 そのような人の行き来もあって、西濱は日本の皮革加工や靴職人にとっての中心地だった。
 
 現在は、当時よりも町並みも整備されて、集合住宅や大きな病院もできたし、会館などの施設もできて、道路も舗装されたけども「部落らしい町並み」は、なくなってしまったように思う。
 
 さいきん、地区にやってきて、車の中から降りもしないで写真をとっている人たちを見かける。
 この地区はそんなに人通りもないので、そのような人たちは、とてもよく目だつ。
 「部落」のことを見たくてしているのかなと思うけども、どうせならば、町並みもきれいになって、ほかの町とかわらなくなってしまった西濱ではなくて、当時の、道路も舗装されていなくて、皮なども干されていて、もっと人もいて活気のあった頃の「部落らしい風景」を撮ってほしいなと思います。
 そのほうが、もの珍しさから見たい人にとっても面白いでしょうに、残念です。

(以上でお話終わり)

(続く)

3

豚皮で作ったランプシェードと昆虫。この皮は腐りかけていた皮を試しに「なめして」みたもので、白い点が無数に出来て、かえって面白い仕上がりになった。偶然の産物で二度と作れないとの事。



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 あとりえ西濱


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「部落」聞き書き 浪速部落、西濱村、「あとりえ西濱」の話

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「部落」聞き書き 浪速部落、西濱村、「あとりえ西濱」の話

Esaman

 関西でもっとも大きな部落地区のひとつであり、皮の町としての歴史も長い「浪速部落地区」で、「あとりえ西濱」というお店を営んでいる方にお話を伺う機会を得ましたので紹介します。
 
 この一連の記事では、「あとりえ西濱」の取材だけでなく、かつて「西濱」と呼ばれた芦原橋周辺の話などを、少しづつ紹介してゆき「部落」の実感に、少しでも触れていければと思います。
 
●浪速部落地区…西濱、あるいは芦原橋の歴史
 
 「あとりえ西濱」というお店は、駅でという「芦原橋」というところにあります。
 芦原橋の駅周辺には大阪人権博物館「リバティおおさか」があります。
 このエリアは「浪速部落」と呼ばれている地区で「日本最大の被差別部落」のひとつだといわれています。
 
 この地域は、かつて江戸時代には「カワタ村」や「渡辺村」と呼ばれていました。
 始まりとしては、秀吉が皮革職人を強制移住して作らせた村だったようです。
 
 戦国時代、武具の材料として、皮革の加工や生産をする職人の人たちはきわめて重要な役目を持っていました。
 ですから各地の戦国代表は、そのような技術をもっている人たちを管理していました。
 秀吉が人を集めて作った村は、商業都市大阪のお膝元であったこともあり、やがて日本最大の皮革産業都市に発達します。
 実際には、このエリアで取り仕切っていたのは西日本なのですが、当時の日本の皮革職人は西日本に多く、実質日本最大の町になったそうです。
 
 皮革加工などの仕事は、被差別部落の人の仕事になっていたのですが、その流通を扱うのも被差別部落の人になっていました。
 被差別部落の人たち「しか」扱えないといいうことで、ある意味特権のような部分もあったそうです。
 とはいえ、部落の人でもお金持ちであったのは一部の人たちで、多くの従事者が儲かっていたわけではないそうです。
 ですが、実際に江戸時代などにおいては「部落問題は貧困の問題ではなかった」そうです。
 
 明治から戦前にかけて、渡辺村は「西濱」と呼ばれるようになります。
 このころから、皮革産業が部落だけの特権、ということでもなくなり、経済構造は変化してゆきます。
 ですがそれでも多くの職人を抱え、流通ルートを押さえている西濱は、皮革産業の一大都市でした。
 
 戦中、大阪も大規模な空襲に見舞われ、人が大勢移動したり、各地でスラムを構成したりしました。
 そのころになると、西濱は「浪速部落」と呼ばれるようになります。
 
 筆者のように大阪に馴染みのない者には「浪速」と聞くと「大阪全体」を指す言葉のように捉えるのですが、この地域の人たちにとっては、そうではないそうです。
 また行政区の「浪速区」と「浪速部落」とは、また少し違うものだそうです。
 
 戦後、浪速部落地区は靴産業で栄えます。
 ですが、工業化などが進み、次第に仕事はなくなり、貧困化が進行。
 行政の部落対策なども行われ、現在に至るそうです。
 
●皮・靴・太鼓の交差点「あとりえ西濱」
 
 「あとりえ西濱」は、靴や皮に関するお店です。
 芦原橋の駅のすぐ近く、線路沿いにある、外見はソバ屋さんのようなお店です。

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「あとりえ西濱」の外観。なんだかソバ屋のようであるが、靴や太鼓などの皮に関わるお店である。撮影・Esaman、以下同じ


 ここの店主は太田恭治さんです。
 太田さんは、昨年の5月に「リバティおおさか」を退職されて、「あとりえ西濱」をはじめました。
 「リバティおおさか」の前は、部落開放同盟の職員や、塾の講師などもされていたそうです。

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あとりえ西濱で扱っている豚皮のランプの説明をする太田恭治さん。豚皮ランプ作成キットなども販売している。


 太田さんが若い頃は、この芦原橋周辺は、たいへん皮革産業が盛んなところで、そこかしこで皮を干したりしていて、駅を降りると匂いですぐにわかったそうです。
 そのころは、町全体が皮革産業に携わっており、町に住むあらゆる人が、靴作りのさまざまな工程に、少しづつ関わっていました。
 いまでは多くの工程が機械化されて、手作業の仕事は採算があわなくなったものもあり、芦原橋周辺では、靴の仕事に携わっている人も少なくなってしまったそうです。
 ですが、当時靴の仕事をしていた人も沢山住んでいます。
 太田さんは、「あとりえ西濱」を通じて、そのような人達と若くて靴作りや皮革産業に興味の有る人達とをつなぐ場所にしたい、とのことでした。
 いまは、靴作りを学んでいる職人さんがいつもお店の番をしています。
 
 芦原橋周辺には、かつて職人として働いていて、いまはリタイヤした人たちが沢山住んでいます。
 そのような人たちに、皮や靴を手作りしている様子を見てもらって「お、なにかやっているな」と興味をもってもらって、少しずつ地域に馴染んでいきたいそうです。
 
 太田さんが若い頃に見かけた「職人の座っている風景」を少しでも取り戻したい、とのことでした。
 
 「あとりえ西濱」では、靴の他にも太鼓やランプなど、皮にまつわる品物がおいてあったり、靴作りをしたい人に工房を貸し出したりもしています。
 
●「あとりえ西濱」にいる若い人・トップジョージさん
 
 「あとりえ西濱」は、靴と皮のお店ですが、何人かの職人さんが関わっています。
 いつもいることの多い人は山本寛之さんという方で、自らのブランド「topgeorge (トップジョージ)」というものを立ち上げている方です。

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「あとりえ西濱」にいることの多い、topgeorgeの山本寛之さん。靴のかなりの部分を手作りする、今では珍しい職人さん。


 山本さんは、靴作りに興味があって、工場などでセメント着けを学びました。
 靴メーカーにも勤務。
 現在は、靴の工程も多くが機械化されてしまって、手作りの部分は少なくなりました。
 その手作りのものも、手縫いの作業は減っており、セメント着けの工程が多くなっているそうです。
 山本さんは、靴作りのことを学んでいるうちに、もっと靴のことが知りたかったので、縁のあった「あとりえ西濱」で学ぶことにしたそうです。
 「あとりえ西濱」では、直接お客さんと接するので、お客さんの声が返ってくるのがうれしいとのことでした。
 
 靴作りの工程は、全てで200ほどあり、何人もの職人が関わっているのですが、山本さんは、なるべく多くの工程を手作りしてみたいそうです。
 
(続く)


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 あとりえ西濱
 topgeorge
 大阪人権博物館


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野田農場の秋祭り・その二 危機にある里山での肌寒いマワシの感触

http://www.janjannews.jp/archives/2928719.html

野田農場の秋祭り・その二 危機にある里山での肌寒いマワシの感触

Esaman

 11月23日、名古屋の北東部、守山区にひろがる里山地帯に有る専業農家、野田農場の秋祭りに参加しました。
 
 ・野田農場の秋祭り・その一 「ブルドーザー事件」の話とお昼ご飯Esaman2009/12/22
 
 野田農場の作付けをしている畑が、ある朝いきなり「ブルドーザーによって破壊」された事件の話を聞いた後、なかなか豪華なお昼ごはんを食べて、野田農場周辺を探検してみました。
 野田農場は、市内最大のクロガネモチの生えている丘というか林のような場所の近くに、いくつかの建物とビニールハウスが建っており、その周辺に田畑が広がっています。
 農場といっても、周辺はすべて農地というわけではなく、ススキが一面に生えている場所も多数ありました。
 もともとが水田だった場所で、水はけはあまり良い場所ではないそうです。
 ビニールハウスの中には、古くなって使われていないものもあり、その中には黒ヤギが何頭か飼われていました。
 ビニールハウスのほかにも、大きなパオのようなものも建てられていて、そのまえには、おが屑で作られた土俵が作られています。
 おが屑のところには「1袋200円」とかかれた看板があります。
 その土俵の上では、子供達がズボンの上からマワシを付けてはねまわっています。
 おが屑でできた土俵は、子供達がとび跳ねたり転んだりしても怪我をすることもなく、なかなかよさそうですが、靴の間におが屑がつまるのが難点です。

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体格がよいから強いわけではないのが相撲の醍醐味である。この日、野田農場は非常によく晴れていた。


 まず、名古屋大学の相撲部の人達が、相撲の見本を見せます。
 裸にマワシだけをつけた若い力士が二人、オカクズでできた土俵の上で見合って相撲をとります。
 さすが相撲部、見合う姿も、組み合いも、投げられる様子も、すべてが様になっています。
 相撲部の方の解説では、土俵の上では礼儀が大切であるとのことでした。
 まず対戦前、土俵の上で蹲踞(そんきょ)の姿勢をとり、見合って対戦、勝敗がついた後、勝った側が行事から勝ち名乗りを受ける、という手順で進みます。
 
 ズボンの上からマワシをした子供達が、順番どおりに対戦してゆきます。
 本格的な土俵の上に立って、多くの観衆の前で相撲をとって、恥かしいのでしょうか、最後に土俵に向かって礼をすることを忘れる子が、やや多かったです。
 総当たり戦なので、すべての取り組みが終わるまでには時間がかかります。
 
 子供の相撲の後に、大人の相撲が開始される予定なので、そのための準備の声が会場に設営されていパオの中からかかりました。
 人が足りないようで、筆者も大人力士の数に入っています。

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土俵の前に並んだ参加者達。筆者もほぼ中央、左から5人目に映っている。


 筆者は、子供相撲が主役で、大人のほうは余興程度かな、と思っていたところ、実は大人のほうが主役であることが判明。本格的にハダカになってマワシを着けることになりました。
 マワシを締めるなど、はじめてのことです。
 他にも参加した力士の面々からも「マジかよ」という声がかかりますが、みなさん、意を決してハダカにり、マワシを締められます。
 名古屋大学の相撲部の方が、マワシを締めてくれるのですが、これが、なかなかのものでした。
 
 マワシというのは、一枚の長い帯のようなもので、締め方は「ふんどし」と似たような構造になっていますが、布の硬さが違います。
 途中、マワシを締めるために、後ろから股のところをくぐっている(?)マワシを引っ張り上げて、よく締める作業があるのですが、このときの感じがなんともヘンな感じです。
 皆さん後ろから吊り上げられて、驚きの声を上げていました。
 初めて「直マワシ」を締めた人が殆どであり、皆さん、後ろから、どう見えるかを気にする人、マワシがズレて何かが出ていないか気にする人などもいて、なんとも奇妙な感じになっていました。
 ハダシに感じる地面の冷たさと、マワシの布の硬さが非常に印象的でした。
 
 さて、大人の相撲が開始されました。
 子供と同じで、総当たり戦ですから、結構な時間がかかります。
 おが屑でできた土俵の上で蹲踞の姿勢となり、対戦します。
 実は、筆者は相撲をとってこと自体がはじめてであり、どのように対戦してよいのかも分からず、あっという間に負けてしまいました。
 背中に、おが屑がチクチクします。
 
 筆者は、この段階になって、相撲は見かけよりも単純ではない競技であることに気がつき、人の対戦を見ながら、夕方にTVでやっている相撲の放送の記憶を手繰りながら、色々と研究しました。
 その甲斐あってか、次の対戦では辛勝。
 その後の対戦でも、まずまずの成果を上げますが、取り組みの数が多く、次第に体が動かなくなっています。
 おが屑の上での取り組は、足場が不安定なため、力が余分にかかり、かなり疲れました。
 これは他の力士も同じであり、取り組みが進むたびに、皆の動きが鈍くなっていきます。
 最後のほうは、重い体を引きずって土俵に上がり、少しでも動ける側が勝つ状態になっていました。
 結果、1人だけ圧勝していた人がいただけで、あとの勝敗は似たようなものでした。筆者も同様です。

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取り組みの後半、力士も参加者も疲れ気味。おが屑でできた土俵は弾力がありケガをする心配もないが、足をとられるし、力が余分に必要。ビニールハウスの向こうに見えるのが、県下最大級の「クロガネモチ」のある林である。


 特に印象に残っている取り組みとしては、自分より大きな相手を「すくい上げ(?)」で、あっという間に倒したときと、最後のほうの対戦で、自分より大きな筋骨隆々たる若者(優勝者)との取り組みです。
 筋骨隆々たる若者が、肩から落ちかかるように挑みかかってきたときは、さすがにどうなるかと思いましたが、足を踏ん張ることで、持ちこたえることができました。結局4度ほど挑みかかられて、結果として負けるわけですが、後から思い返すと、横にかわして押し出してみたら、いけたんじゃないか、など、色々と相撲の面白みが少しわかった気がします。
 とはいえ、対戦していた当時は、既に体が満足に動かなくなっていて、それどころではなかったのですが。
 
 肌寒い季節に、晴天の下でとった相撲は、なかなかよい思い出となりました。
 
 この野田農場は、現在、区画整理による立ち退き騒動の真っ只中にあります。
 また、その区画整理の執行には、意図的に「野田農場に知らせるな」という指示のもと、隠密に計画が進められて、ある朝突然、ブルドーザーがやってきて、作付けした農地を掘り返してしまうという、本当に現代の日本で発生したことなのか疑いたくなるような事件が起きたりもしていました。
 
 そのブルドーザーによる奇襲攻撃は、野田農場の人達の抗議によって一旦止まりますが、掘り返された農地は破壊されたままであり、誰が「指示をした」のかも、よくわからないままになっているそうです。
 
 野田農場の農地は、かなり昔の生態系が保存されており、いまでは絶滅危惧種である水草やカエルなども、普通に生息しています。
 名古屋市の河村市長も、野田農場の敷地内にある「クロガネモチは残したい」という発言をしているようですが、実際には、大きな木だけ残してもあまり意味がないので、周辺の生態系にも配慮が必要でしょう。
 
 今年の10月にはCOP10が開催され、行政や市民団体も「自然が大切だ」などとスローガンを掲げている名古屋市において、行政も関わって、このような無茶な破壊活動が進行していることは、非常にナンセンスなものを感じます。
 
 野田農場の今後には、注目をしていく必要があると思います。
 

関連記事:
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関連リンク:
 野田農場ホームページ
 野田農場の危機(事件が時系列でわかる)
 相生山の自然を守る会(野田農場と連携して申し入れ行動をした)
 平針の里山保全連絡協議会(野田農場と連携して申し入れ行動をした)
 
 
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【オムニバス】ニワトリを捌いて食べる。「いのち」について、それを扱う職業について、考えた一日。

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【オムニバス】ニワトリを捌いて食べる。「いのち」について、それを扱う職業について、考えた一日。

Esaman

 かなり以前の記事ですが、投稿します。
 
 2007年の12月2日、「生きている鳥をさばくところから、そしてそれを食べるところまでを(催し物として)やります」との案内を、友人のお店からもらったので、早速出かけました。
 
 名古屋市北区にあるお店で、本のたくさん置いてあるオーガニックフードのお店です。
 
 会場にはいると、かなりの人が集まっています。
 ゆうに30人以上はいたでしょうか。そんなに大きくはない店の内外には、かなりの人数の人達が集まっていました。
 一昔前の言葉でいうと「ヒッピー風」という表現にでもあるのでしょうか? そういった感じの人たちが多い中、OL風の人、親子連れ、少し年配の人など。いろいろな人たちが集まっています。
 
 そのお店の中庭には、カゴに入れられた鶏が何羽かいて、そのうちの一羽が庭に放されていて、土を掘り返して何か探していました。

 人も十分に集まってきたところで、まず最初に、この企画の主催者の飯尾さんが、庭に放たれていた鶏を抱えて、今回のイベントの説明をしてくれました。
 
飯尾:
 この鶏は、肉をとるためではなくて、卵を採るために飼われている種類のものです。
 少し歳がいって卵を産む効率が悪くなった鶏で「廃鶏」と呼ばれているものです。
 この鶏は、現在は卵をだいたい2日に一回生みます。
 廃鶏といっても年寄りというわけではありませんが、効率が悪いので安く取引されています。
 この鶏は、食べるものなどを管理して育てられている良い鶏で、一羽600円くらいです。
 この鳥は食肉用ではないし、ピークを過ぎて肉も多くありません。一羽から取れる肉もすくないので、今回は6(?)羽用意しました。

 鶏を殺すときは、よく磨いだ刃物で頚動脈を切ります。
 そうすると、鶏はあっという間に死んでしまいます。
 みなさんも、今日は、自分の手の中で命が消えてゆくことを実際に経験してみてください。
 そういったことを通じて、私達の食について考えると同時に、いのちの大切さに触れて考えてほしいと思います。
 
 そう説明したあと、飯尾さんは、形にもって鶏の両方の羽を固定して、頭を反らせて首の頚動脈を確かめます。
 そして、よく磨いだ刃物で頚動脈を切って、血を下に流します。
 
 血は、多くの人が想像するほどは出ません。
 
 切った瞬間の鳥は、思っているより反応がないものですが、絶命するときに、体が動きます。
 このときに、しっかりと両手で固定しておかないと、体が動いて血が飛んでしまいます。
 
 飯尾さんは、実際に鶏の頚動脈を切って殺したあと、庭に用意された布団を吊るす大きな金具のようなものに吊るしました。

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鶏の持ち方、刃物をいれる場所を説明する飯尾さん。熱心に見ている女性が最初にチャレンジした。この女性は、自分が生き物を殺せるとは思っていなかったそうです。(撮影・Esaman)


 それを見て、まずはじめに、飯尾さんの説明を間近で熱心に聴いていた女性がチャレンジしました。
 動物を殺すこと自体が初めての方とのことでした。
 ちょっと力が入っていますが、頚動脈を切り離された鶏のアタマは、すでに意識がないようでしたが、何度か羽ばたいてから痙攣を始めました。
 女性は、そこまで強い力で動くとは思っていなかったようで、うまく抑えることが出来ず、筆者のほうにも少し血が飛んできました。
 
 自分が首を切った鶏が金具に吊るされた後、女性は、しきりに「手際が悪くて苦痛を与えたかどうか」を気にしていましたが、筆者の目には、当人が気にするよりも、遥かに手際よく出来ていたのではないかと思いました。
 この女性の話によると、まさが自分に動物が殺せるとは思っていなかったそうです。
 
 このあと、他の参加者の人たちが順番に、それぞれの鶏の頚動脈を切ってゆきます。
 鶏によって、非常におとなしいもの、暴れるものなどいろいろとありました。
 みなさん、鶏が絶命したあとに拍手をしたりして、真剣に取り掛かってゆきます。
 こういったことが、まったく初めての人が多く、始まる前には「ほとんうにできるか」と悩んでいる人も居たようですが、自分の手を切ってしまうとか、中途半端に切った鶏を取り逃がしてしまう、という失敗もなく、みなさんうまくやっていました。
 
 そして血抜きのために、布団を吊るす大きな金具に吊るしてゆきます。
 
 「血抜き」といっても、そんなに多くの血がでるわけでもないので、お店の庭の土で十分です。
 子供が、逆さに吊るされた鶏を不思議そうにながめていました。

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頚動脈を切って血を下に流しているところ。新聞紙についている血は三羽分のもの。実際にはそんなに出ない。


 すこし休息し、2時間ほどたって、血が程よく抜けたら、今度は解体作業に移ります。
 本当に大変な作業はここからです。
 
 まず、大きな鍋にお湯を沸かして、そこに鶏を2分ほどつけてから毛をむしります。
 周囲に水に濡れた鳥の毛独特のにおいが広がります。
 飼っていた鶏を殺す場合は、この作業がもっとも「効く」ところでしょう。
 慣れ親しんだ動物の場合、においがもっとも記憶に残る部分だと思います。
 
 ですが、今回の鶏には誰も親しんでいないので、みなさん「ヘンな匂いだ」と言いつつ、結構手際良く進めていきます。
 
 意外と簡単に羽毛が抜けることに驚く人、徐々に「裸」になってゆく姿を見て「見覚えがある」と喜ぶ人、においに絶えられずどこかへ行く人…反応はさまざまです。
 吊るされていたのと、死後硬直が起こっているので、なんだか「こむらがえり」にあったような姿勢になっている、ハダカのトリが出来上がって行きます。
 
 抜いた羽毛をごみ袋にいれていきます。
 「土地に埋めたら」という声もありましたが、髪の毛や羽の類は、非常に土になりにくいので、廃棄します。
 
 さて、みなさんのお手元の鳥がきれいに裸になったところで、解体作業に移ります。
 まずは、主催者の飯尾さんが、お手本に解体工程をみせてくれます。
 
 頭を切り落として、首の部分を切ります。
 ここが「ネック」などといって飲み屋などで出されることのある部分。
 
 その次は手と足。
 それぞれの部位の根元にナイフを入れ、肉を切った後、ホネの接合部分をはずして行きます。
 
 ここが「手羽先」、ここが「手羽元」、これが、よくスーパーでも見かける「太もも」…飯尾さんの解説が続きます。
 みんな静かに注目する中、会場に、骨を断ち切る音が響きます。
 
 いよいよ、大きな部分をはずし終わって、胴体だけとなった部分の解体に取り掛かります。
 胴体の胸の部分の「ささみ」と「胸肉」をはずしたあと、次は内臓に取り掛かります。
 
 筆者も何度か鶏や、ほかの鳥を解体したことがありますが、さすが飯尾さんは農業高校出身というだけあって、ちゃんと教育を受けた専門家です。ここらあたりからの手並みの良さが違いました。
 
 肩甲骨のほうから切り込みを入れて、骨と肉を切り離し、根元のホネがつながっている部分(人間でいったら肩のあるはずの部分)を断ち切った後、肋骨のある胸板を、一気に胴体からひきはがします。
 シールか何かがはがれるような音がして、胸板の部分がきれいにはがれて、脂肪に包まれて、湯気の立つ内臓が露わとなります。
 
 「年の割には脂肪がおおいねー」といいつつ、黄色いプリンのような塊の脂肪を取り除き、内臓をより分けて行きます。
 心臓とレバー、この地域では「はらたま」という名前で呼ばれることの多い卵の黄身の部分、砂肝、普通は食べることはしない腸、などが取り出されてゆきます。
 砂肝を裂いて見せて、中に鶏が食べて溜め込んでいた砂利や砂のようなものを見せたときには、参加者の人達は「本当に砂肝だ」と歓声を上げていました。
 解体作業の最後のほう、内臓の入っている腹部の下の部分には「産道」があり、その中からは、薄皮に包まれたままの卵が入っていました。
 産道を取り出し、薄皮だけになった卵をとり出して、参加者に見せます。
 内臓のほかの部分を切断して中身を出さないように注意しながらよけて、解体作業は終了です。

3

飯尾さんが解体をしてみせているところ。腹部の奥にある産道からまだ殻のできていない卵がでてきている。


 解体作業を見終わったあと、参加者がそれぞれに刃物を持って、自分の締めた鶏の解体作業に移ります。
 手羽先を切り落としたり、ももを切り落とすという作業も、普段はやったことがない人達にとっては、なかなか難しい作業だったようです。
 多くの人が、どこで骨が繋がっているいるのかわからなかったようで、はずす作業に苦労をしていました。
 また、肩甲骨をはずしてから内臓を出す作業は、やはり難しかったようで、自力でできる人はいませんでした。
 筆者が胸板をはずして内臓を出してあげると、何人かで一羽の鶏に集まって、これが砂肝だ、といいながら熱心に解体していました。
 内臓さえ出てしまえば、あとはそんなに固い部分はないので作業もしやすかったようです。特に産道の中に卵が入っているのには、皆さんいたく感動したようで、熱心に解体をしていました。ですが、やはり腸などを切ってしまう人がいて、中身が出てきて大変なことになっている人もいました。
 
 手足が大方はずされたところで、炭火を起こしてのヤキトリが始まりました。
 手羽先、砂肝、レバーなどが串に通されて焼かれます。
 
 初めて鶏を解体する人達には、すべてを解体するのは難しかったようで、この時にはお客の多くはヤキトリに移ってしまっていて、胴体だけになった鶏が何体も残されていていました。
 筆者はその解体作業に追われて、ヤキトリには、なかなかありつけませんでした。
 そのあと、産道とハラタマなどはスープにしてみんなで食べました。
 
 今回の解体作業に使った鶏は、廃鶏とはいえ、なかなか味もよく、みなさん満足していたようです。
 とくに「さすが本物は歯ごたえが違う」と感動していた人が多数いました。
 歯ごたえが良い(つまり硬い)のは、実は廃鶏だからなのですが、ブロイラーばかりを食べている人たちにとっても、廃鶏は、けっこうおいしいものだったということでしょうか。
 
 飯尾さんの話では「内臓は匂いがキツイので、できない人がでるかもしれない」との話でしたが、特にそういうわけでもなかったです。
 これは、よく管理された鶏だったからではないかと思います。
 
 最後まで解体出来ない人が多かったのは少し残念なことですが、ニワトリの形をしている肉を触るのがはじめてだった人が殆どだったことを考えると、十分に及第点なのだろうと思います。
 
 自分のイメージでは、オーガニックフードのお店のお客は、ベジタリアンも多く、動物の解体作業は苦手な人が多いのではないか、と思っていたのですが、思ったよりも積極的な人が多かったように思います。これは、かなり意外なことでした。
 
 また、これだけ観客の参加を引き出せていたのも、主催者の方が最初に自信を持って、鳥を殺して解体するところを、最後までみせてくれたことも、大きな一因だと思います。
 
 「食」について考えるならば、野菜や穀物にこだわって、少しでもその工程(農作業)を体験してみようという人達がいるのと同じように、食肉の生産工程にもこだわって、自分でその工程(解体作業)を体験しよう、という人たちが、もっと出てくる可能性は、意外とあるのかもしれないと思いました。
 

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名古屋・大須商店街で節分の豆まき

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名古屋・大須商店街で節分の豆まき

Esaman

 名古屋の中心部にある古くて新しい町「大須商店街」が、節分の豆まき、縁日、パレードなどでにぎわっています。

1

仁王門通りを「宝船」が通過中。(以下すべて撮影・Esaman)



2

大須観音の境内に特設されたお立ち台から豆がまかれる。下では観客が帽子や袋を広げている。鬼のまいた豆が、1つだけ筆者の懐に飛び込んだ。これは縁起がよさそうだ。



3

お立ち台の上で、福の神に追い払われていた鬼。出番の後は境内で子供たちにサービスしていた。近くで見ると、なかなかよい衣装だ。




関連リンク:
名古屋大須商店街公式ホームページ「アット大須」

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