2017年03月27日
愛岐道路は廃墟ストリート
愛知県名古屋市守山区の竜泉寺から瀬戸市に向かって伸びる(愛知)県道15号線という道路があります。
この道路を瀬戸市に向かって走ると、道路は片道3車線から2車線、そして1車線へと細くなっていきます。
道路沿いに庄内川が流れ始めたぐらいから道路の名前は「愛岐道路」に変わります。
愛岐道路は、その名前の通り、愛知県と岐阜県を結ぶ道路で、庄内川に沿って作られた道路です。
川沿いの道路なので、非常に曲がりくねった道のりになります。
川の向こう側にはJR中央本線が走っていて、愛岐道路の途中途中にも駅があります。
愛知県側から走って岐阜県側に到着すると、そこは多治見市平和町という場所になります。
以前はたぶん、結構な交通量があったと思いますが、今では国道19号線が北側を走っているので、愛岐道路を使う車両はそれほど多くありません。
で、そういう歴史的な変動もあり、この愛岐道路、実は沢山の廃墟が道沿いにある道路なんですね。廃墟ストリートと言っても良いぐらいです。
一つ目の廃墟は工場の廃墟です。
平和工業と言う会社らしいんですが、今は使われなくなった工場が道路からも見えます。
平和工業自体は今も普通に営業している会社らしいので、単に使わなくなった工場を放置している、と言うことだと思います。
ちなみに、今回ご紹介する写真はGoogleストリートビューのものです。
同じ写真が見れると思うので、興味のある方はストリートビューで確認してください。
次の写真は廃墟ではないんですが、道路沿いにあった奇妙な場所です。
ガラクタが整然と並べられていて、そのまま放置されたような場所でした。
写真はGoogleストリートビューのものですが、ボクが見た最近の状況はもっと荒廃している感じでした。
ここは何なんでしょうね?
次の写真は、定光寺 千歳楼(じょうこうじ ちとせろう)です。
定番中の定番といった廃墟です。
定光寺千歳楼はボクが子供の頃にはテレビでもCMを流しているような、有名な旅館宿泊施設でした。
名古屋の奥座敷、みたいな位置づけで昭和な時代にはそれなりに流行っていたみたいですが、時代が平成に入り客足が遠のき、倒産してしまいました。
その後、経営者が夜逃げして取り壊しや改装などもされず、その後に放火事件や白骨遺体発見などなど、廃墟としては泊が付くイベント目白押しで今に至っています。
なお、この千歳楼の周囲にも打ち捨てられた建物がいくつもあります。
JR中央本線の定光寺駅と庄内川の間と、庄内川と定光寺の間にこれらの廃墟は点在しています。
定光寺が頑張って参拝客を集めていれば、この門前所帯はもう少し潤ったんじゃないかと想像してしまうんですが、当の定光寺は山林開発するのが趣味なようで、度々、愛知県から違法な開発を指摘され問題になってるみたいですね。
山林開発するぐらいなら、駅前の廃墟を何とかしてあげたらいいのに。
愛岐道路をさらに岐阜県側に進むと、JR中央本線の次の駅、古虎渓駅(ここけいえき)が見えてきます。
その少し先にあるのが「古虎渓廃墟群」です。
誰がそう名づけたのか知りませんが、そう呼ばれているみたいですよ。
なお、古虎渓の読み方を「ここっけい」と読む人がいるようですが、正式には「ここけい」です。
この古虎渓廃墟群は、トンネルの手前にある廃墟で元々は旅館のような施設だったみたいですね。
レストランも併設して、ドライブインのような営業形態をしていたようですが、岐阜県側に向かえば20分もしないうちに多治見市内の中心街に行けますし、愛知県側に向かえば20分で瀬戸市、1時間で名古屋の中心地に行ける場所で、わざわざ宿泊するというニーズがどれほどあったのかは疑問です。
もちろん、古虎渓駅で下車した人が宿泊する可能性はありますが、古虎渓周辺には観光地なんてありません。あるのは市之倉ハイランドという新興住宅地ぐらいです。
結局、ニーズを見誤ったのか、時代に取り残されたのか、どういう事情があったんでしょうね?
最後の廃墟は、愛岐道路から少し離れた場所にある「古虎渓ハウス」と呼ばれる廃墟です。
ここも宿泊施設だったようですが、今では廃墟になっています。
と、以上が愛岐道路沿いの廃墟のご紹介だったわけですが、こういう廃墟が放置されたまま人目に映る場所にあり続けるというのは何とも悲しいものです。
もちろんこれが都会の真ん中にあるなら、どこかの業者に買い取られて再開発されるんでしょうけど、田舎のこのような物件は放置されたままになることが多いです。
愛岐道路を走ると、そういう経済の冷たい側面が見える気がして、興味深いですね。
この道路を瀬戸市に向かって走ると、道路は片道3車線から2車線、そして1車線へと細くなっていきます。
道路沿いに庄内川が流れ始めたぐらいから道路の名前は「愛岐道路」に変わります。
愛岐道路は、その名前の通り、愛知県と岐阜県を結ぶ道路で、庄内川に沿って作られた道路です。
川沿いの道路なので、非常に曲がりくねった道のりになります。
川の向こう側にはJR中央本線が走っていて、愛岐道路の途中途中にも駅があります。
愛知県側から走って岐阜県側に到着すると、そこは多治見市平和町という場所になります。
以前はたぶん、結構な交通量があったと思いますが、今では国道19号線が北側を走っているので、愛岐道路を使う車両はそれほど多くありません。
で、そういう歴史的な変動もあり、この愛岐道路、実は沢山の廃墟が道沿いにある道路なんですね。廃墟ストリートと言っても良いぐらいです。
一つ目の廃墟は工場の廃墟です。
平和工業と言う会社らしいんですが、今は使われなくなった工場が道路からも見えます。
平和工業自体は今も普通に営業している会社らしいので、単に使わなくなった工場を放置している、と言うことだと思います。
ちなみに、今回ご紹介する写真はGoogleストリートビューのものです。
同じ写真が見れると思うので、興味のある方はストリートビューで確認してください。
次の写真は廃墟ではないんですが、道路沿いにあった奇妙な場所です。
ガラクタが整然と並べられていて、そのまま放置されたような場所でした。
写真はGoogleストリートビューのものですが、ボクが見た最近の状況はもっと荒廃している感じでした。
ここは何なんでしょうね?
次の写真は、定光寺 千歳楼(じょうこうじ ちとせろう)です。
定番中の定番といった廃墟です。
定光寺千歳楼はボクが子供の頃にはテレビでもCMを流しているような、有名な旅館宿泊施設でした。
名古屋の奥座敷、みたいな位置づけで昭和な時代にはそれなりに流行っていたみたいですが、時代が平成に入り客足が遠のき、倒産してしまいました。
その後、経営者が夜逃げして取り壊しや改装などもされず、その後に放火事件や白骨遺体発見などなど、廃墟としては泊が付くイベント目白押しで今に至っています。
なお、この千歳楼の周囲にも打ち捨てられた建物がいくつもあります。
JR中央本線の定光寺駅と庄内川の間と、庄内川と定光寺の間にこれらの廃墟は点在しています。
定光寺が頑張って参拝客を集めていれば、この門前所帯はもう少し潤ったんじゃないかと想像してしまうんですが、当の定光寺は山林開発するのが趣味なようで、度々、愛知県から違法な開発を指摘され問題になってるみたいですね。
山林開発するぐらいなら、駅前の廃墟を何とかしてあげたらいいのに。
愛岐道路をさらに岐阜県側に進むと、JR中央本線の次の駅、古虎渓駅(ここけいえき)が見えてきます。
その少し先にあるのが「古虎渓廃墟群」です。
誰がそう名づけたのか知りませんが、そう呼ばれているみたいですよ。
なお、古虎渓の読み方を「ここっけい」と読む人がいるようですが、正式には「ここけい」です。
この古虎渓廃墟群は、トンネルの手前にある廃墟で元々は旅館のような施設だったみたいですね。
レストランも併設して、ドライブインのような営業形態をしていたようですが、岐阜県側に向かえば20分もしないうちに多治見市内の中心街に行けますし、愛知県側に向かえば20分で瀬戸市、1時間で名古屋の中心地に行ける場所で、わざわざ宿泊するというニーズがどれほどあったのかは疑問です。
もちろん、古虎渓駅で下車した人が宿泊する可能性はありますが、古虎渓周辺には観光地なんてありません。あるのは市之倉ハイランドという新興住宅地ぐらいです。
結局、ニーズを見誤ったのか、時代に取り残されたのか、どういう事情があったんでしょうね?
最後の廃墟は、愛岐道路から少し離れた場所にある「古虎渓ハウス」と呼ばれる廃墟です。
ここも宿泊施設だったようですが、今では廃墟になっています。
と、以上が愛岐道路沿いの廃墟のご紹介だったわけですが、こういう廃墟が放置されたまま人目に映る場所にあり続けるというのは何とも悲しいものです。
もちろんこれが都会の真ん中にあるなら、どこかの業者に買い取られて再開発されるんでしょうけど、田舎のこのような物件は放置されたままになることが多いです。
愛岐道路を走ると、そういう経済の冷たい側面が見える気がして、興味深いですね。
ese_admin at 00:00│Comments(0)│TrackBack(0)