ぼちぼち更新するブログ

日常の中で思った事を思いつくまま節操なく書いてます。

カテゴリ: 芸術




ツイッターで気になって買いました。
傍から見れば奇人変人の奇行のような事が書き連ねてあります。
読んでて気になったのが、六本木ヒルズにあるクモの彫刻を作った作家の物語です。
六本木ヒルズの大きなクモの彫刻に「父親への怒り」や「母親への軽蔑」といった背景があるという事に驚きました。人々が行き来する場所に置かれてる作品が両親に対する憎しみが動機になってるって怖いです。

アートは人を幸せにするだの、癒すだの言われてます。自治体や企業は幸せにするアートだの癒しのアートだのをピックアップします。幸福感を感じる作風の作家は注目されます。負の要素がある作品を発表する作家は非難されます。
しかし奇人変人の奇行のような行いには相当なエネルギーが注ぎ込まれます。誰だって絵や彫刻を作れますが、その制作に並大抵ではない労力を注ぐことができる人はあまりいません。しかもお金になるとは限らないし、褒められるとも限りません。そういった事に寝食をも惜しみ取り組むことができる人がどれぐらいいるでしょうか?

そして、相当なエネルギーが注ぎ込まれた奇人変人の奇行のような行いには、大きな不幸が関わっているとこの本には記されています。投獄、迫害、いじめ、飢え、家族の死・・・。第二次世界大戦が現代美術に影響してると言われるように、大きな不幸は作家に影響を与えます。
こないだ、宮城県美術館で見た企画展は、戦後の日本の美術作品が展示されていました。第二次世界大戦の影響が作品からにじみ出てていて、気が重くなりました。
芸術には気が重くなる要素もあり、そういった負の面をきっちり書いた本でした。

今日は休日だったので、宮城県美術館に行って篠山紀信の写真展見ました。

有名な人やそうでない人の写真がいっぱい展示してありました。

昔の後藤久美子の写真が可愛かったです。元祖国民的美少女です。今見ても美少女です。

印象的だったのが、発売当初話題になった宮沢りえのヌード写真集の写真です。
トップアイドルが10代でヘアヌード写真を撮ったということで、発売当初話題になりました。
今でも、トップアイドルが10代でヌード写真撮ったら衝撃的ですよね。
宮沢りえは当時18才だったのでギリギリセーフです。17才だったらアウトです。
エロくはないし、きれいなんだけど、乳首だけは隠してくれよ、と思いました。

乳首がすごくきれいなピンク色なんです。

それを見てるのが後ろめたいんです。
裸の女性の絵画見るのとは違うんです。
実在してる女性の裸の写真を美術館で見ると言うのが後ろめたいんです。しかも当時18才。
何年か前に見た南米の少数民族の少女の半裸がテレビで放送されてた時並に後ろめたさを感じました。
後ろめたさを感じること自体後ろめたいです。

高岡早紀のおっぱいとか、樋口可南子のおっぱいとかも、見れるんですが白黒写真なので、
後ろめたさも感じないし、きれいだなと思うだけです。

でも、宮沢りえ当時18才のカラー写真はまぶしすぎました。私が思春期だったら爆発しそうです。
エロい動画だの写真だのコンビニやインターネットでいくらでも見れるご時世なのに、久々に動揺しました。

※追記
ネットで「宮沢りえ サンタフェ」で検索したら、撮影当時17才のもあったらしいです。どれがそうなんだかは知りませんが。

今日、宮城野区榴ヶ岡にある、ギャラリーチフリグリで行われてる、よしぎの展を見ました。
よしぎのは、ギャラリーチフリグリのある建物の中にある駄菓子屋です。
14年ぐらいの歴史のある店です。
大人も子どもも来る店ですが、展示から「ザ・ガキの溜まり場」的なにおいがします。

よしぎのにある、お客様ノートが公開してあったの読んだら、あまりにガキの落書きであ然としました。
お子様というのは、どこかでフラストレーションが溜まってるのでしょうか。インターネットのあるこのご時世に、自己紹介やら、日記やらがノートに書きなぐってありました。不特定多数の人間が見るのにも関わらず、身内しかわからない話が書かれているという・・・。
それと、悩み相談の紙がファイリングされてたのも見たんですが、あまりにもしょうもなくて、笑ってしまいました。うんこが出ないとか。けれどもうんこが出ないのは深刻ですね。下らないんです。そもそも、「会社を辞めたい」「人生オワタ」なんて悩みは駄菓子屋に持ちこめる話ではないのですが。しかも、回答もしょうもなかったです。悩み相談というか悩み相談ごっこっぽいです。

この店は、人のよさそうなおばあちゃんが営む、子どものオアシスのような店ではありません。40手前の男性が営む、大人も子どもも集うへんてこな店です。

その他には店長が中学校に描いてた番長漫画みたいなものなどが展示してあります。懐かしいような思い出したくないような、子ども時代や思春期のようなものがぎっちり詰まった展示でした。

今日、仙台市一番町にあるenomaというギャラリーで開催されている、菅野麻衣子の絵画展を見ました。

主に、カラフルな背景と少女なのか女性なのかわからない女の子の絵が展示されてました。
お人形のような女の子の顔の向きや目線の動きから、見てる側が絵の中の世界を想像するような絵だと私は思いました。
説明的な描写が無い為、人物の配置とか、動きで、その状況を見てる側が想像するしかない絵です。ですから、見る人によって、解釈が違うでしょう。

私は、幼い姉妹が出てくる絵が気になりました。妹を可愛いと思ってるのか、妹を妬ましいと思ってるのか、よくわからない感じが印象的でした。妹は赤ちゃんなので、なんだかよくわかってないまま生きてる感じがしました。その妹を可愛いと思ってるのか妬んでるのか、はっきりわからない感じがぐっときました。

はっきりわからないんです。これはこういう出来事を書いてる絵です、と、説明出来るような絵ではありません。

また、絵の中に出てくる女の子は目がぱっちりしてて、子どもの時に持ってた女の子のお人形のように見えました。また、女の子だけが描かれてるので、中原淳一とか高橋麻琴のメルヘンチックな少女イラストのようにも見えました。可愛くて素敵なお洋服を着ている女の子。女の子が可愛いと思えるような女の子。そういう女の子が描かれています。
今時っぽいガーリー系イラストなんだけど、大昔の少女漫画のようでもある不思議な絵でした。

思考都市 坂口恭平 Drawings 1999-2012思考都市 坂口恭平 Drawings 1999-2012 [単行本(ソフトカバー)]
著者:坂口 恭平
出版: 日東書院本社
(2013-03-06)


やっと、この本を買いました。買ってよかったです。
先日見た、ワタリウム美術館での展示が、コンパクトにまとめられた感じの本です。倍の値段でもいいから展覧会カタログと呼べるぐらい分厚いのも見てみたいのですが、これはこれでいいです。より多くの人に認知されることが大事だと思うので。

この本や、先日見た展覧会で感動したことは、記録を残す事自体がアートになりうると、実感した事です。子どもの頃に作った、学習机でつくった家のようなもの。学生時代に貯水タンクの中で住んだ事。大学卒業後に路上生活者の生活を取材した事。そういった事をスケッチしたり、写真集にしたり、映像で記録することによって、アート作品として世の中に出すことができる。そういうことに私は感動しました。
それと、あきらめない事の大切さを感じました。巻末の作者の経歴を読んでいたら、20代後半までアルバイトをしながら創作活動をしていた事を知りました。アルバイトをしながら無名のアーティストでいることはしんどい事です。自分の作品は世の中に認知されないわ、労働者として認められないわで。収入が無い事も、社会にとって要らない存在だと思う事も、しんどいでしょう。それでもあきらめず続ける事で、人に「考え方」「ものの見方」を伝える事ができる。そういうことに感動しました。

未だに、日本の美術の世界では、洋画だの彫刻だの抽象だの具象だの、そういった分類があります。美術館によっては、この本の「ドローイング」の部分だけ展示するでしょう。けれども、今の美術館では、ドローイングも考え方を説明する図も映像も立体作品も展示して、「考え方」や「ものの見方」を伝える事が重要なんじゃないかと思います。そもそも美術というもの自体、何かを伝えるためにあるんじゃないでしょうか?

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