2019年01月10日

離れたところから人を呼べる商店街

名古屋の円頓寺商店街に関するコラム。

「どこにでもありそうなアーケード商店街」(=シャッター商店街)が、
外国人が「わざわざ来る」街に変わったようです。

商店街は近隣住人の日常の買い物の場。
その機能をなくした商店街が、いくらイベントをやっても活性化するわけない・・・

で、ここの核のひとつが、カフェ・宿・情報発信の融合施設。
地域の人が集まるカフェと、外国人旅行者のゲストハウスを一体化させたわけ。

曰く、外国人が求めるものは、街の日常。

ゲストハウスでは英語が通じる安心感もあって、
商店街では身振り手振りのコミュニケーションを楽しんでるんだって。

これ、私たちが旅行に行った時もそうですもんね。

至れり尽くせりでなくてもいいんだっていう、
大きな気づきがありますね。


【英語は通じないのに外国人客が集う「名古屋の商店街」の秘密】

明らかに外国人や「他人」が多い

 名古屋駅と名古屋城の間に位置する円頓寺商店街。ぱっと見たところは昭和的匂いがする日本全国どこにでもありそうなアーケード商店街だ。

 しかし、この商店街を歩いてみると、他の商店街との違いにすぐに気がつくだろう。それは「歩いている人」だ。ご近所の住民に混ざって、あきらかに他の地域に住んでいる人、そして外国人旅行者が多いのである。

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「どこにでもありそうなアーケード商店街」と山口あゆみさんが話す円頓寺商店街だが、実は数年前まで「どこにでもありそう」どころか、半分以上空き店舗となった「シャッター商店街」だった。奇跡の蘇りを見せたその経緯は山口さんの著書『名古屋・円頓寺商店街の奇跡』や過去の記事に詳しい。今回は復活劇に大きな役割を担った「インバウンド」をどのような作戦で得ていったのかをお伝えいただく。京都のような寺社が多いわけではない。秋葉原のように電化製品に特化しているわけではない「地方のシャッター商店街」は、なぜ外国人「も」集う活気あふれる街と変貌を遂げたのだろうか。
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「商店街の役割」が大きく変わった

 商店街とはそもそも地域の人のためにそこにあり、近隣住民が生活に必要なものを調達する場であった。郊外型の大型ショッピングセンターが登場する高度経済成期までは、街の中心にある商店街はその地域の商売をほぼ独占していた。

 商店街に並ぶ品物が、その地域で手に入る商品のセレクションのすべてだった。商店街のまわりには住民がたくさん住んでおり、商店街が行う販促イベントは近隣住民により足を運ばせ金を使わせるための仕掛けだった。

 しかし、人々は郊外に住むようになり、買い物も場も多様化した。「商店街=近隣の人の日常の買い物の場」という構造自体が失われ、商店街はシャッター街となった。だから、元気をなくした商店街が従来型のイベントや販促に一生懸命力を入れても、商店街活性化の効果を生まないのである。

 円頓寺商店街は名古屋の三大商店街のひとつで、その発祥は清州越しにあり、江戸から昭和40年代にかけてまさに近隣の商売を独占する賑わいを見せていた。しかし、平成に入った頃には、日本全国にどこにでもあるシャッター商店街になった。

 ところが、そこから”奇跡的“に甦り、いまでは名古屋でもっとも人気のあるエリアのひとつとなっている。

 空き店舗・空き家対策を、リノベーションと個性的で力のある店を誘致することを支点にして活気を取り戻したのだが、その店舗誘致を含め、近隣だけでなく、円頓寺とそれまで縁がなかった店や客を呼び込んだことが成功の鍵となった。そして、呼び込むだけでなく、円頓寺商店街自らも外へ関心を広げ、繋がっていくことにより、その復活を「進化」させている。

「店主にファンがつく店」を誘致

 まず、店舗誘致である。円頓寺商店街復活の立役者であり、空き店舗のリノベーションを手掛けた建築家の市原正人は、誘致する店舗を慎重に選んだ。そして近隣だけでなく愛知県全体にアンテナを張って、候補を探した。

 そのポイントは「長く続いていくポテンシャルがある店」である。市原に言わせれば「すなわち、店主にファンがつく店」。自分ならではの考えやセンスがあり、他では手に入らないモノやサービスを提供している店主には、感度の高く、発信力がある客がつくからだ。

 いま円頓寺界隈で人気のパン店「芒種」やオーダー靴の専門店「Antico Ciabattino」などがそれにあたる。いずれも「ここにしかない店」として、ファンが名古屋駅から15分歩いて客がやってくる店である。

また、米蔵をリノベーションし、奥三河の老舗酒蔵「関谷醸造」の酒と酒に合う食を提供している「圓谷」は開店から5年。名古屋市内の客だけでなく、名古屋に出張してきたビジネスマンも訪れる予約がとりづらい人気店となっている。日本酒を美味しく飲める店を開店したいと場所を探していた関谷醸造の関谷さんは「日本酒の価値を伝えてゆくには、この場所、この米蔵はぴったりだと思った」と言う。一方、客から見ても「円頓寺界隈、米蔵、奥三河の酒と食」という3つの組み合わせが「ここにしかない」感を感じさせる。経営側と客の感じる価値が一致していることも、円頓寺の店が長続きしている理由だろう。 いまや名古屋の秋を代表する祭りとなったパリ祭も、外との繋がりに着目したからこそ生まれたイベントである。名古屋の商店街がなぜ、パリ? と思うが、いかにもな老舗商店街らしさにこだわらなかったという点が重要だ。

 清州越し祭りでもなく、芭蕉祭りでもなく、パリ祭。パリにちなむセンスのよいものを集めることで、それまで円頓寺に興味がなかった客が足を運び、円頓寺を知ることになる。そこを重視したのだ。

 パリ祭とは唐突に見えて、そこには「円頓寺はパリをテーマにしてもおかしくない歴史や文化的背景がある」という自負を感じる。その証拠に2015年にアーケードを新しくしたのを機に、パリのパッサージュ「パッサージュ・デ・パノラマ」と姉妹提携までしたのである。

 パッサージュ・デ・パノラマは二区にある、パリ最古のパッサージュ(アーケード商店街)である。そこに提携を申し出るとは、ある意味、パリ祭開催以上に勇気ある唐突といえよう。

 しかし、提携調印式に来たパッサージュ・デ・パノラマ理事長のメスメー氏はあいさつで「円頓寺商店街では、商店街とこの街を愛する人が一緒になって活発に街づくりに関わっている。パリではこうはいきません。これからも文化的にも商業的にも関係を深めていきたい」と語った。

 外、それもフランスから来た人にこのように評価されたことは、円頓寺商店街の人々が自分たちの客観的価値に気付くきっかけになった。

 またメスメー氏は重要なことに触れている。「商店街とこの街を愛する人が一緒になって」という部分である。

 既存の商店街の人々がないがしろにされていないこと、ずっと商店街にいる人と商店街に関わり始めた新しい人の間にコンセンサスがとれていることに気付いている。今までの円頓寺と円頓寺に根を下ろしてきた人に無理を強いない進め方がそこにあったのである。

「わざわざ来る外国人」が増えた理由

 円頓寺では以前から外国人の姿を見かけることはあった。徒歩10分ほどのところに名古屋国際交流センターがあるし、名古屋城も徒歩15分ほどだからだ。ただ、そういう地の利だけであって、円頓寺商店街が吸引力をもっていたからではなかった。

 それが今では違う。円頓寺商店街を「面白いところ」として訪ねてくる外国人が増えたのである。

 それには、「喫茶。食堂。民宿。なごのや」(旧名:西アサヒ)の存在が大きい。「なごのや」は田尾大介さん(41歳)が経営するゲストハウス兼カフェレストランだ。もとは80年も続いた「西アサヒ」という昭和な老舗喫茶店だった。しかし喫茶店の後継者がなく、閉店を余儀なくされた。

 そのときに市原正人は「このまま、終わらせるのは偲びない」と思った。喫茶店というのはまさに人々が集う場所。商店街には重要な存在だからだ。また「リノベーションすれば魅力的な建物になる」とも思った。そこで白羽の矢を立てたのが、田尾さんである。

 田尾さんは山口県出身。大手旅行会社に勤めたあと、辞めて海外に留学し、欧米を中心にあちこち旅をし、ワーキングホリデーを経験して帰国した。そしてインバウンドの旅行会社『ツーリズムデザイナーズ』を設立して日本の文化を体験できる英語のツアーを催行していた。

 「外国から来る人は日本らしい文化や価値観に興味があるんです。とくに旅の上級者はそうでしょう。自分も海外を旅していたときにいちばん面白かったのは、その地の日常や文化に触れることだったので、日本に来る人もそうに違いないと思いました」

 ツアーの催行以外にもうひとつやりたいと思っていたのは、地域の人が集まるカフェと、海外からの旅行者が泊まるゲストハウスが一体化した、カフェ・宿・情報発信の融合施設だった。そこに西アサヒを託す人を誰にしたらよいかとアンテナを張っていた市原から声をかけられたのである。

「英語は通じないが、問題ではない」

 多くの人の目から見れば、近くに駅もないシャッター商店街の真ん中で、昭和の古びた喫茶店をリノベーションして外国人を呼べるとは思えないだろう。しかし田尾さんはそうは思わなかった。

 「円頓寺に来てみて、界隈の古い町並みと駅周辺の高層ビル群とのコントラストが面白いと感じました。外国人にも喜ばれるだろうと思いました。そして喫茶店という地域の人が集まってきた場所こそ、外国から来た人にとっても面白いのです」

 そして、普宿泊施設をつくるときに気になる「名古屋駅から徒歩15分」についても、「日本人にとっては遠いと受け取られる距離ですが、外国人は新幹線の駅から歩ける距離ならいい立地だと考えます」。

 来日するリピーターが増えている昨今、観光地だけでなく、日本の普通の生活や暮らしの文化が味わいたいというニーズは大きくなっているという確信があった。それが的中して「なごのや」は今年春、別館をオープンするほどに人気になっている。

 最初は、東京から富士山を見て高山に行く旅行者が、名古屋で1泊しなくてはならないときに、ホテル予約サイトで見つけて泊まりにくるという「おこぼれ需要」だった。しかし、SNSや口コミサイトの力もあり、いまやあえてここに泊まりに来る客が増えてきた。

 「なごのや」に泊まって名古屋城など名古屋の名所にも行きつつ、円頓寺商店街の店を覗いたり、買いものをしたり、食事をして「ローカル感」を楽しむ。アメリカの人気バンドのメンバーがわざわざ泊まりに来るまでになった。

 商店街で撮った写真がインスタにアップされる。そうすると、「あそこに行ってみたい」とやって来る外国人がまた増える。外国人にまで「円頓寺ファン」ができてきたのである。

 重要なのは、外国人旅行者が言葉の壁を感じずに商店街を楽しんでいるということだ。ゲストハウスでは英語が通じる安心感も背景にあるからだが、商店街の店での英語が通じない状況、そのときの身振り手振りのコミュニケーションを含め、彼らは気に入っているのだ。

 ホテルサイトの口コミにもこう書かれている。

 「円頓寺では英語は通じないが、それは問題ではない。みんな親切でホスピタリティがある。円頓寺でのショッピングは外せない楽しみだ」

 日本人にとって当たり前すぎる商店街が、外国人にとって魅力あるコンテンツに成り得るということだ。外に向かってアンテナを伸ばし、外と交わることで活気を増した円頓寺商店街が示唆することは多い。

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●離れたところから人を呼べる商店街になるには
・ここに来ないと手に入らないモノ・サービスを提供する店を誘致する
・今までの販促方法やイベントの踏襲にこだわらない
・外国人が求めるものは、街の日常であると心得る
・商店街のなかに泊まれる場所をつくる
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(1月10日 現代ビジネス)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190110-00059268-gendaibiz-bus_all


土地家屋調査士 大阪 和田清人
esouzoku at 09:21│Comments(0)不動産よもやま話 

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