2016年08月26日
心の通い合う医療を
卒業後 愛知県のK歯科医院勤務
『ここで学校と現場開業医の世界とのギャップに大きなジレンマに陥る。1日に70人〜80人は来院する医院にてとにかくスピードが最優先され、昨今の患者さんへの説明や同意という観点は2の次とならざるを得なかった。マシーンの如く治療治療の毎日でした。夜9時までの所で終わるともうクタクタで、ご飯も喉を通らない状況でした。』
しばらくして
「おかしいな〜?」
「何かが違う」
と感じ始めましたが、いずれにせよ使われの身です。
何事にも素直で忍耐強いのが利点の私。
「まずは良い所を見て学ぼう!」
と一大決心をする
あたかも患者さんをベルト・コンベアーに乗せて技を出すだけ
「何か足りない。」
あ!そうだ!患者さんとの信頼関係の構築は?
患者さんの心や本質は?
でもいずれこのやり方・考え方は淘汰される時代が来るに違いない
左脳人間の私は何故か時代を先取りする「閃きと直感」
を天から与えて下さっている
ここは技術を学んで3年後に開院するのだ!
という突拍子も無い閃きが来ました
木・日は他の歯科医院で勤務。
又月3日は患者さん1人1人とじっくりと対応する所で、自費診療中心の所で勤務する。
『ここでは高度な医療、矯正等を学ぶ。』
自費中心の歯科医院。
精度が高いな〜
印象(型)が少しでも切れると
上の技工室から
「先生すみませんが再度印象お願いしま〜す。」
え??
最初習った所の技工士さんは
「先生ここでは再度はないんです。血まみれの印象で境界が分からなくても我々が適当に合わせるんです・・・」
院長に物を言おうものなら即刻退場(笑)
この両方全く体系の違う所で学び、昭和60年3月に縁ありて閉院した愛知県の医療法人(K林会)の分院を居抜きで購入。初日2人、2日目3人、3日目1人・・・・。
7月には運転資金も底をつき、毎日焼きソバライスで体調を崩し、何度も諦めかけたが、持ち前の粘り腰とスーパープラス思考にて、秋口より一気に盛り返す。
(今でも一人目の老婦のSさんの笑顔が難局を迎えた時に脳裏をかすめます。)
何時までも感謝してます!
周りからも
「よそ者が来たところでダメたよ。」
「ここが部落民意識が強いところだから。」
規制も厳しいしはみ出すと生きていけないよ・・・
ある患者さんの身内からも
「先生閑古鳥だって妻から聞いたよ。」
等と弱い時にさらに追い打ちをかける発言
ある時寿司屋に行くもある公的な病院長の会話
店主に向かい
「どうだ俺の給料はこのように札束が立つんだ!」
「欲しいかい・・」
唖然としました
この資質の人が病院長?
この町の公的病院もいずれダメになるだろうな・・・
私が開業1週間目に合うも
「そうか〜やりはじめたのか。まあ3月だな。」
ここで座右の銘「臥薪嘗胆」がでる
「この町で自分の歯科医院を作ってやる。」
と心で思うも
「そうですね〜頑張りま〜す!」
とあえて如何に地域で地位が高かろうとも、人間的にレベルダウンの人とは戦わない不文律
幼いころから父に
「人に嫌な感情を与えたり発言をすれば、必ず己に反ってくるよ。」
「人の喜ぶ事や困っている人を助ければこれも己に反ってくるよ。」
この父の黄金律は今現在でも生きています
平成3年5月 現在地に医院併用居宅を新築移転。
これを機に岐阜県歯科医師会に入会する。
巨大組織の歯科医師会で厚生労働省とも折衝してあくまで中立的な立場を堅持して、会員擁護にも尽力を費やし日々研鑽を積んでいます。
現在は常に前向きに患者さん1人1人と真正面から向き合い、各人のニーズを的確に把握して、説明第一主義を貫いています。
又私一人の力何てたかが知れている。
皆の協力があってこそだ。
感謝してます!
患者さんとの協同作業。お互いに歩んで行きませんか?
我々は治す集団では無くあくまで患者さんの口腔内を快適にして
「健康な毎日を笑顔で暮らせる様にする」
お手伝い集団です!
『ここで学校と現場開業医の世界とのギャップに大きなジレンマに陥る。1日に70人〜80人は来院する医院にてとにかくスピードが最優先され、昨今の患者さんへの説明や同意という観点は2の次とならざるを得なかった。マシーンの如く治療治療の毎日でした。夜9時までの所で終わるともうクタクタで、ご飯も喉を通らない状況でした。』
しばらくして
「おかしいな〜?」
「何かが違う」
と感じ始めましたが、いずれにせよ使われの身です。
何事にも素直で忍耐強いのが利点の私。
「まずは良い所を見て学ぼう!」
と一大決心をする
あたかも患者さんをベルト・コンベアーに乗せて技を出すだけ
「何か足りない。」
あ!そうだ!患者さんとの信頼関係の構築は?
患者さんの心や本質は?
でもいずれこのやり方・考え方は淘汰される時代が来るに違いない
左脳人間の私は何故か時代を先取りする「閃きと直感」
を天から与えて下さっている
ここは技術を学んで3年後に開院するのだ!
という突拍子も無い閃きが来ました
木・日は他の歯科医院で勤務。
又月3日は患者さん1人1人とじっくりと対応する所で、自費診療中心の所で勤務する。
『ここでは高度な医療、矯正等を学ぶ。』
自費中心の歯科医院。
精度が高いな〜
印象(型)が少しでも切れると
上の技工室から
「先生すみませんが再度印象お願いしま〜す。」
え??
最初習った所の技工士さんは
「先生ここでは再度はないんです。血まみれの印象で境界が分からなくても我々が適当に合わせるんです・・・」
院長に物を言おうものなら即刻退場(笑)
この両方全く体系の違う所で学び、昭和60年3月に縁ありて閉院した愛知県の医療法人(K林会)の分院を居抜きで購入。初日2人、2日目3人、3日目1人・・・・。
7月には運転資金も底をつき、毎日焼きソバライスで体調を崩し、何度も諦めかけたが、持ち前の粘り腰とスーパープラス思考にて、秋口より一気に盛り返す。
(今でも一人目の老婦のSさんの笑顔が難局を迎えた時に脳裏をかすめます。)
何時までも感謝してます!
周りからも
「よそ者が来たところでダメたよ。」
「ここが部落民意識が強いところだから。」
規制も厳しいしはみ出すと生きていけないよ・・・
ある患者さんの身内からも
「先生閑古鳥だって妻から聞いたよ。」
等と弱い時にさらに追い打ちをかける発言
ある時寿司屋に行くもある公的な病院長の会話
店主に向かい
「どうだ俺の給料はこのように札束が立つんだ!」
「欲しいかい・・」
唖然としました
この資質の人が病院長?
この町の公的病院もいずれダメになるだろうな・・・
私が開業1週間目に合うも
「そうか〜やりはじめたのか。まあ3月だな。」
ここで座右の銘「臥薪嘗胆」がでる
「この町で自分の歯科医院を作ってやる。」
と心で思うも
「そうですね〜頑張りま〜す!」
とあえて如何に地域で地位が高かろうとも、人間的にレベルダウンの人とは戦わない不文律
幼いころから父に
「人に嫌な感情を与えたり発言をすれば、必ず己に反ってくるよ。」
「人の喜ぶ事や困っている人を助ければこれも己に反ってくるよ。」
この父の黄金律は今現在でも生きています
平成3年5月 現在地に医院併用居宅を新築移転。
これを機に岐阜県歯科医師会に入会する。
巨大組織の歯科医師会で厚生労働省とも折衝してあくまで中立的な立場を堅持して、会員擁護にも尽力を費やし日々研鑽を積んでいます。
現在は常に前向きに患者さん1人1人と真正面から向き合い、各人のニーズを的確に把握して、説明第一主義を貫いています。
又私一人の力何てたかが知れている。
皆の協力があってこそだ。
感謝してます!
患者さんとの協同作業。お互いに歩んで行きませんか?
我々は治す集団では無くあくまで患者さんの口腔内を快適にして
「健康な毎日を笑顔で暮らせる様にする」
お手伝い集団です!