新年を迎えて 元日の朝に届く年賀状・・・ 

しかしこの年賀状を読んで感じるのは 「本当に年賀状と言うものは必要なのか? 」というもの 多くの年賀状に書かれている 常套の文面文句 

「旧年中はお世話になりました。」 
「本年もよろしくお願いいたします。」 

しかし この年賀状のあいさつ文をよく読んでみると 実際には昨年1年間に一度も会ったことも なければ、電話で声も聞いたことのない知り合いがおそらく3分の2以上はいる。 
「本年もよろしくお願いします。」と言われても おそらく今年1年間会うことは無いのでは ないだろうか? 

学生時代の友人あたりなら たまに街で出会ったり、同窓会で会うことはあるかもしれないが、その友人達でも 特段お世話をした事もなければ ちょっと話した程度であろう。 

たとえ 肉親に不幸があったとしても、そうした知り合いたちとって 我が肉親の父親や 母親なんて知らない人がほとんどだろうし、おそらく見た事があったとしても感慨もないことだろう。 

毎年 会った事も無い人に 

「旧年中はお世話になりました。」 
「本年もよろしくお願いいたします。」 

って年賀状を出す事って 常識なのだろうか? 
昨年末も 年賀状を書く時 幾人か毎年出していた相手に もう出さなくていいだろうと 何人かを年賀状リストから外した・・・
ところが、年が明けて やはりその知人から年賀状が届いた。 頂いたことで、私自身も返礼として、「今年もよろしく・・・」と書いてしまったのだが、、、、

友人関係の場合は、 「あいつもまだ生きているのか? 頑張っているかなあ??」という感覚での年賀状は確かにある。 しかし、仕事関係の年賀状などは数年前に1〜2度仕事をしただけという場合もありちょっと疑問でもある。

また 新年になると 大学の2年生にはリクルート社などから 就活の為の資料が届けられるという大学3年生の春には 会社訪問などが動き出すそうなのだが、あの町を闊歩する リクルート姿の学生達は あれが常識だと考えているのだろうか?
 
学校では就職指導として模範解答が配られ、会社訪問時のマニュアルが配られる。 
私の友人にある上場企業の面接担当官がいるのだが、彼に言わせれば スーツなどむしろ ちょっと違ったジャケットでも着てくる方が印象に残ると話していた。 

紺色のスーツに 地味なネクタイ、髪を短く刈り上げたヘアースタイルなどわざと個性を無くしているように感じてしまう。 面接担当官の彼曰く 就活にたまに現れる外国人の学生は、その能力もともかく スタイルや服装も印象に残る姿で現れ むしろその事が日本人学生とは違ったイメージで注目してしまうと・・・・ 

常識って一体何なのだろうと考えてしまう。