コスプレイングマネージャー録

コスプレもしながら同人誌も書く、という意味合いでつけただけの名称。 でもアニメを視たらそのことも書きますし、小説読んだら感想書きますし、声優好きなのでそんな話も書きます。 つまりそういう人間の書くブログです。

早よ起きらんないかんわけよ

 薩摩剣士隼人をようやく視ることができました。
 ネットでも視られるんですがね。パソから視ると、他のことができなくなってしまうから、動画は基本ネットで視ないようにしているのです。
 タイミングよく、わが町ロケの回だったせいもあり、一発で気に入りました。
 造型が結構よくできているのに驚く。

 なんといってもスポンサーと連動しているのがいい。
 スポンサーロゴを背負って闘っていたヒーローが、今年は席巻していたわけですが、あの放送枠内で実際に広告を拝見したのはペプシネックスだけ。他にもやっていたのかもしれないけれど、やや寂しすぎた感じがいたします。
 商業性を押し出しすぎると、金儲けの批判を受けてしまうんだろうけれども、予算なくしてものは創れないわけでね。
 そういう循環は、自分は正しい循環だと思ってます。
 まぁ、薩摩剣士隼人の場合、作品の性質上も広告と連動してあまり違和感ないってのもあるかな。
 ちょっと思ったのは、たぶん、難色示したり断ったりした企業あるはずなのよね。今ごろ絶対、悔しがってるだろうさ。
 いや、おぢさん不勉強じゃッた。毎回視るでよ。
 どうせ日曜の朝でも、早く目が覚めてしまう習慣がついてるしの。

ハロウィンに思うこと

 コスプレの影響で、というよりは商業的な理由でハロウィンが、ずいぶん一般化した今、思うことがあるからひさびさに書きます。実際には今思ったのではなく、コスプレというものに浸るようになった数年前から、思っていることであったりします。
 子供のころ、ハロウィンというのは、オレンジのかぼちゃがあって、お菓子もらいに行ってという部分は知ってはいたけれど、あくまで外国の習慣で、日本にはなじまないと思っていました。
 それが、こんなに一般的にされるとは、商魂ってすさまじいなと感じています。
 ただ、こうして一般的になればなるほど、そして同時に仮装やコスプレも拡散と浸透をすすめていけばいくほどに、子供のころに接した事件の存在が大きくなります。
 自分にとっては、何年たっても、ハロウィン=射殺事件です。
 ハロウィンパーティーに参加しようとした日本人が、訪問先を間違えて、ライフルで撃ち殺されたあの事件の存在は、自分がコスプレというものに関わっている現状において、大きな問題として占めています。
 この事件自体が、アメリカの銃社会の深刻さを知らしめた事件であったにもかかわらず、もはや忘れ去られてしまったかのように、世の中がハロウィンをとりいれ、浮かれていることに々苦いものを感じざるをえません。
 当時から今日に至るまで、一貫して自分が感じているのは、ハロウィンに仮装をする、という習慣が存在する国の人間が、なぜ仮装した人間をみて、即座に銃を持ち出す発想にいたったのかということ。
 日本人に対する海外のイメージで「サムライ」「ハラキリ」というやつが、たぶんいまだにあるんだろうけど、「フロンティア精神」「ライフル」が実際に存在し続けているのに、云われたくはないなとも思ってました。
 このハロウィンの事件をきっかけに、銃規制がなされていったかといえばそうではない現状で、海外にコスプレが広がっていく、日本にハロウィンの習慣が定着していく、というのはあまり良いことではないように感じています。
 この部分で自分は、コスプレ活動における小道具としてのモデルガン、模造刀の取り扱いや、屋外でのコスプレロケというのに、他の方とはある種の異なった考え方、スタンスを持っているのかもしれません。

女性向けジャンルに接するということは

 アニメの「君に届け」の一話目がいい感じであった。
 なので、前に全部保有していると話していた、会社の子に借りることにする。
 すでに横にあったりする。
 一巻の半分まで読んだが、いいね。
「きゅんきゅんしてくださいねっ」
 と云い残していったが、この11月で33のわしに、まだそんな感覚が残っているであろうかと思う。
 この読書は、そんな試金石でもある。
 きゅんきゅんできたら、しめたもんだろう。

 すすめられるままに、コバルトやらティーンズハートやらなかよしやらあすかやらの小説とマンガを読む習慣がついて、ほどよく17年ぐらい。全然キリがよくないがね。
 思えば、「時の輝き」が映画化されて、その話が図書室で出たときに、
「あんた、こういうのも読んだことが無いのねー」
 と鹿児島弁で叱咤されて、読まされたのが運のつきであったのだ。そんな彼女は、すっかりリア充どころか、子持ちでバツイチになっている。オタクの道に引きずり込んだ連中は、だいたいそんな感じになっているからふしぎではある。

 でも、そういう彼女達ですら、BL的な小説の話題や、それをすすめるということは、してこなかった記憶がある。生徒寄贈本で存在していた大陸書房の本なんか、手にとろうものなら、
「それはちょっと……。えっ、本気で読むの?」
 というあんばいであった。
 ボーイズラブという言葉は、まだおぢさんの高校時代は一般でなく、帯には「耽美小説」とあったのである。手渡されたルビー文庫の帯には「月明かりの下で静かに読みたい本が―」とかいうコピーのあった時代のね。高校卒業するかしないかの時期に、ぱふや活字倶楽部あたりで、ボーイズラブという、やおいや耽美よりポピュラーなというか、もっと重苦しくなく気軽に男の子同士の恋愛模様を楽しめる感覚の言葉として、あっというまに広まっていった感覚を個人的には持っている。
 そんなおぢさんからして、現状というのは、まぁ想像もつかなかった世界ではある。

 正直なところ、BLの話題を振る男子は、少々警戒心を持たなくは無い。それは、このジャンルの開拓者である栗本薫先生からはいったが故の感覚なのかもしれないが、うーん、とは思う。
 おぢさんの場合は、ものを書く以上、何が読まれているかを知りたいという部分と、いま一番読まれているジャンルがなぜ読まれているかも考えたい、というやや邪道な読み方である部分がある。もちろん、そのうえで物語として楽しむ心はもってはいるがね。
 であるからこそ、のっけから少女漫画やBL的作品に理解と、関心、興味を示す男子には、もうしわけないが警戒心がある。自分ばかりを棚に上げてる書き方になるんだが、本当に好きで触れてるのか、内心では疑ってしまうのだ。
 疑心暗鬼はよくないことだと思うけどね。
 んー、何でこういう方向に流れてしまったかね。
 まぁつまり、だから女性向けのジャンルに接するということは……、なのだ。
 全然つまりではないね。
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