フランス、リタイアとボランティアの生活

定年退職はしても、心のリタイアはまだまだと、フランスの西の端に居を定めながらも、"ルーツは日本"を意識しているミセスシニアの社会参加ブログです。

フランス様々

テロ犠牲者の家族の悲しみ

今年は秋から以後冬になった今もとても暖かくて超寒がり屋の私には有難いのですが、いくらなんでもこの気温は異常というしかありません。

ですから、今全世界の指導者達がパリに集って温暖化対策国際会議COP21を開いているのももっともなこと、地球が生き延びる為の解決策を練らねばならない緊急事態に今なっていることを身に沁みて感じます。

この会議が始まったのはあのおぞましいテロ事件が起こって首都が右往左往の大騒ぎになってから10日も経っていないという緊迫した雰囲気の中でした。

又、この会議の主題である気候変動は人々の生きる環境を破壊し、日常生活を脅かし、それがテロを引き起こす大きな要因になっていることから、この二つは関連していることを人々に理解させる機会にもなりました。

当初の動揺の中で 皆の心は年末、年始のお祝いをする気にはとてもなれなかったのですが、12月に入るとイルミネーションの灯りは街並を華やかにし、どこの家庭もツリーを飾る用意をし、子供達の為にプレゼントを探す人達で店は賑わいとやはりクリスマスのお祝いは欠かすことができません。

しかし、今度のテロ銃撃の犠牲になった人達の家族、友人にとっては今年のクリスマスは人生で最悪のものとなるだろうと同情に耐えません。犠牲者の人数は140にものぼるので、身近じゃなくてもどこかで繋がりがあった人がその中にいたとわかって衝撃を受ける人も多くいて私もその中の一人でした。

つい1週間前、テレビを見ていて去年までイコンを教えてもらっていた先生クリスティーンの24歳の孫娘マリーがロックコンサートの劇場でテロリストに撃たれた一人だったことを偶然知った時のショックは大きかったです。


テレビで見たシーンは カルナックのビーチで、マリーの従兄弟が夏のバカンスをいつも一緒にここで過ごしたと回想しながら、上に貼った彼が彼女の為に作曲、作詞した歌がバックに流れるというもので、見ていて「えぇ!?彼知ってる!私がリハビリに通っている所で先月研修生として働いていたマチューじゃない、彼はクリスティーンの孫、ということは殺されたマリーは先生の孫だったんだ!!」衝撃的な事実でした。

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こんな時、慰めの言葉を見つけるのは難しく、唯寄り添って悲しみを聞くことしかできません。
3週間経った今も溢れる涙を抑えることはできないままクリスティーンはマリーの事を語ってくれましたが、彼女は小さい時から活発で明るく、音楽に情熱をかけていて、パリで音楽ネット配信に関わる仕事についていた、彼女が育った町ナンシーは広場の一つに彼女の名前をつけることに決めた、等話してくれました。
そしてクリスティーンもカルナックの教会で追悼ミサを行うので是非出席して欲しいと頼まれました。

実はクリスティーンのもう一人の孫娘、クロチルドは4年前日本の鹿児島の高校で1年滞在した経験を持ち、日本へ行く前に私が日本で生活するに関しての知識を与えたことがあり、1年後帰って来てからも会って上手な日本語でホームステーや日本の高校の印象を話してくれたことがあり、ブログの記事にもしました

マリーとクロチルドは従妹、もう一人の従兄弟マチュー、こうして三人のクリスティーンの孫を私は知っていたことになり、家族皆の今の悲しみを思うと胸が塞がります。

又、12月8日は例年リオン市で「灯りの祭典」が行われ歴史的な建物を映像が照らしてとても美しく多くの観光客を集めるイベントなのですが、今年はテロ事件を受けてキャンセルされました。
その代わりにどこの家庭も窓際にローソクを灯してテロ犠牲者の為に祈りを捧げることになりました。



私の健康状態報告ですが、少し前迄は調子よくて殆ど毎日の料理ができるようになったので主人一人の肩にかかっていた重荷を軽くすることができると喜んでいた所が 少し前から又首と背の動きが固くなり 痛くて眠れないなど心配なことが出てきたので医者の診察を受けなければなりません。

幸いだったのは次男が帰省していた三日間の後に起こったので、彼のいた間は好きそうな料理を毎日作ることができたことです。
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オマールエビのグリル、トュルボ(ヨーロッパカレイ)白ワイン蒸し、鴨の胸肉オレンジソース等を用意し、2週間の難民キャンプでの仕事は食事を取る間もないほど忙しかったので少し痩せた身体に栄養を補給し、元気に帰っていくことができたのを私はとても満足しています。

暖かいホームのようなリハビリセンターでした

ケルパップリハビリセンターの1階には真ん中に暖炉を備えた大きなレクリエーションルームがあり 赤々と薪が燃える火を囲んでリハビリで努力して疲れた後の身体を休めることができます。

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そこは、患者の憩いの場であり、アルコール以外の飲み物が飲めるバーがあるので、お見舞いに来る家族や友人達と一緒にコーヒーやお茶を飲みながら談笑できて、病室を離れての楽しい一時を過ごすことなります。

又、患者が望めば 日曜日に家庭料理を用意して持ってきた家族と一緒にここで昼食を獲りながら長い間帰ることができないでいる家庭の雰囲気を味わえることができるようにと配慮されているのは嬉しいことです。

ここではよくイベントが催されていて、お笑いスケッチ、演劇、コンサート等バラエティーに富んだ番組を企画して余興の一時を皆に与えてくれ、患者のケアに一役買っています。



ある日には 男性コーラスグループがやってきて元気一杯に海とか船乗りの歌で雰囲気を盛り上げてくれ、皆も手を打って身体を揺さぶって知っている歌をくちずさんだりして楽しみました。

IMG_0218同時に ボランティアの夫人達が焼いたたくさんのクレープが好きなだけ食べられ、皆に配られたブルターニュの名物でもあるフィシュスープもとてもおいしく作られていました。



時にはここのスペースを借りて美容学校の生徒達が道具を広げ、フェーシャルやマニキュアのサービスを無料で提供してくれるのは女性患者にとってはとても有難いことです。
たとえ健康が損なわれていても外観をきちんと整える心を失わない婦人たちを見ていて、そのような心構えがない私には学ぶことがありました。
それで、私もマスクで皮膚をきれいにしてもらい、エステには普段縁がないのですが、気持ちよく、姿勢も一新されたような経験を味わうことができ感謝です。

このように患者の心のケアにまで気を配るセンターのおかげで、物理的打撃を受けた身体で心にも傷を持ってここに運ばれてきた私達も次第に回復していき、心身共に元気を取り戻して退院できるようになります。

三ヶ月間ここで大変世話になった私にもドクターのOKが出て先日帰宅することができましたと、大変心配して下さった皆さんに報告できることを喜んでいます。そして、今回のことで私の為に祈り、心を込めて回復を願って下さった皆さん本当に有難うございました。


IMG_0246エルゴセラピーはモザイク作りでもってプログラムが終りましたが、この工作を今迄やったことがなかった私も指導を受けながら、タイルを切り、貼り付けと楽しんでいるうちにこの鍋敷きが出来上がりました。


テーブルの上に置くこの作品がセンターでの日々のことを思い出させてくれるでしょうが、三ヶ月の入院の間に貯まった思い出は数尽きず、痛みで苦しくて余裕がなかった最初の頃を除いては感謝すことばかりでした。

それは医療関係の人ばかりじゃなく、ケアに携わる従業員、食堂で食事を共にした人達、お互いを励ましあって連帯感で繋がった患者仲間等、皆驚くほどいい人達ばかりでこのようにハーモニーのとれた環境で怪我の治療ができたことは本当に恵まれたことだと思っています。

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センターの一人一人の顔が浮かんできますが、一番恩恵を蒙ったのは何といってもキネジセラピストのアランで、忍耐強く丁寧に四肢の動きを取り戻す運動を指導してくれ、親しみ深い人柄でエクササイズをしながらも色々な話をして仲良しになりました。


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こうして 車椅子も杖も使わずに自分の足で公園を歩きながら長らく横たわっていた病室のある建物を眺めていると、暖かいホームのように迎え、看護、リハビリをしてくれたこのセンターを去ることに一抹の寂しさをお覚えざるをえませんでした。

手術で頚椎には7本ものネジはめられ、背骨にもセメントが埋まった私の症状はまだまだ要リハビリで、背中にコンクリートのブロックを抱えているような重い感じが四六時中あり、平常の生活に戻るにはまだまだ時間がかかりそうです。

でも、この年になってみるとせく事は何もないのは幸いで、こうして我が家に戻り、何もかもしてくれる主人のおかげで、唯養生していればいいだけという有難い環境を感謝しながらこれからの毎日を過ごしていきたいと思っています。

フランスで行われるリハビリについて

今日は私が毎日ケルパップでどんなリハビリを受けているかについて書いて こちらで行われている健康障害回復に頻繁に使われているシステムを紹介してみたいと思います。

私がケルパップで経験している1日3時間に渡る活動は キネジセラピーとエルゴセラピーに分かれていて、前者は身体の骨格を基盤に置き 理学的原理を使用しながら受けた障害を治していくというものです。

フランスでは キネジセラピーの効用は信頼されていて 内臓疾患で具合が悪い時以外なら良くしてくれると、子供が気管支炎でせきに苦しむ時キネに呼吸改善してもらうとか、五十肩、リューマチをキネにかかって軽くしてもらう等、誰でもよく利用し、どこの町にもキネジセラピストの診療所があり、皆よく通っています。

私が今いる所は交通事故とかスポーツ事故で大きな被害を受けたり、生まれつきの身体障害者が再生教育を受けているので、規模も設備も大掛かりだし、経験豊かなキネが揃っているので完全に信頼して訓練を受け始めました。

最初のうち 歩けなくなるのではと不安だったのがキネが部屋に来てマッサージして少しずつ動くようになった時はほっとしたものです。
その後下の階にある大きな部屋に移ってから本格的なリハビリとなり弱った身体にはきつすぎて失神しそうになったので、医者がキネに手加減するように注意するというハプニングもありました。これは 丈夫とはいえないけど、以前走ったりヨガをしていたことから私の身体に柔軟性が残っていてたことから、キネがプログラムを早く進めすぎた結果のことでした。

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キネジセラピーの資格を得る為にはバカロレアの後3年間専門学校で原理と実習をみっちり学んだ専門家が行う運動は本当によく研究されていて、バラエティーに富んでいるのに感心します。
私も おぼつかない足を一歩ずつ前に出しながら歩く練習から始めて異なる器具を使ったり、風船投げのようなゲームをしながら毎日身体を動かしでいるうちに中枢の機能も大きく改善されていき、芝生の先に広がる海を眺めながらマシーンで歩行練習をする余裕もでてきました。

私達が練習している部屋は身体の中枢神経が通る骨髄に被害を受けた患者が集る所なので、見るも悲惨な姿で連れてこられる人達が最初はロボットのような器具をはめて歩き始め、そのうち歩行補助器具を使いながらも自足を使って歩いているのを見ると感動してしまいます。

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33℃〜36度という暖かい海水プールでキネが付き添ってエクササイズを指導してくれ、泳ぎが苦手な私も背泳ぎクロールができるようになり、背中の痛さを忘れて身体を軽く浮かばせることの快適さが体験できました。

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次の段階はスポーツ再開で、私はピンポンを取りましたが、子供の頃しただけで手に取ることがなかったラケットを握ってトレーナー相手にうまく球を打ち返すことができて嬉しかったです。
又この大きなジムでは時々ハンディスポーツ競技が行われ、車椅子で駆け回る人達がいきいきと活躍している姿に応援しながら私達も勇気をもらいます。

そして、走ることは無理でしょうけど 歩けるようになったんだからと、前からやりたいと思っていたノルディックウォーキング/Marche Nordiqueのやり方を今コーチに教えてもらっているところで、カルナックビーチの砂浜の上をバトン2本を使いながら早足で歩くのを今から楽しみにしています。

もう一つ紹介したいのは キネジセラピーと平行して行われるエルゴセラピーで、日本語では作業療法と訳されていますが、これは腰から上に受けた神経障害を治して以前と同じ平常の生活ができるようになるのを目的にしていて、 使えなくなった指や手の動きが最初は針のような小さな物体を指でつまんだり、レゴ組み立てのように遊びゲームをしているうちにだんだんほどけてきました。

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そこで次に自分の趣味でしていたものは何ですかと聞かれ、私はイコン絵画だったのでモデルを元にアクリリック具で練習し、限られた絵の具と指の動きで未熟なものになりましたが、筆を運ぶのはとても楽しく時間を忘れて熱中できました。

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それから 主婦にとっては大切な料理で、3回に分けて実習を行い、まずアップルパイ、次に巻きスシ、最後にオードブルからメイン、デザート迄入れた料理一式が限られた時間内にできるかどうかのテストでした。
私が選んだメニューはキュウリとオレンジの酢の物、チキン照り焼きとしいたけ炊き込みご飯、クレームキャラメルというもので、時間に追われてしまい、写真を撮るゆとりがなくてお見せすることができないのが残念です。

まず、セラピストの運転でスーパーに行き、材料を選ぶことから始まり、まごまごすることがないか、疲れすぎることがないかの観察でセラピーの進歩具合がわかるということで、彼女によると、患者の回復に一番有効なのが料理の実習でということで、私もリンゴを切っていると腕が疲れたり、ノリをきゅっと巻く力が足りなかったり、鶏足の骨を切り取ることができなかったりを体験しましたが、毎日料理していれば足りない力もすぐ戻ってくると確信できました。

作ったものを自分とセラピストと食べながら評価し合うのですが、私は他の人達にも分けて喜んでもらいましたが、一番評判がよかったのは何といっても ”Sushi" で、その後知らない人からも「マダムが作ったスシが食べたかったなあ」等と声をかけられたりと、私が作ったのは簡単な細マキにすぎませんが、スシの力の大きさに今更ながら気がついたものです。

このようにエルゴセラピーという、聞いたこともなかった治癒法で恩恵をこうむりましたが、本当に何もかも考えてくれると感心したのは、自動車運転ができるサービスを利用させてもらうことができ、事故のショックでトラウマを受けた人が自信を取り戻す為、ケルパップに用意されている自動車教習用の車でまず敷地内を、その後近くの道路を走って感覚を取り戻すという、これもセラピーの一つでした。

しばらくは車の運転はしたくないと思っている私ですが、今回の試運転で全然怖くなかったし、順調に走ることができたので、これならと自信がつきました。







病院の食事が食べられない時ーリハビリセンター(3)

今の私の世界はリハビリセンターしかないので 今回もここでの毎日の生活に限られてしまいますが、あまり食欲がない病気の時に病院で出されるあまり食欲がわかない食事について書いてみます。

IMG_0181センターでの朝は7時半に始まり、看護婦さん達が血圧、温度を測りに来た後、朝食が運ばれます。オレンジジュース、カッフェオレ、パンかビスコットといった簡単なものですが、日曜日にはクロワッサンがつきます。


同時に与えられた薬を飲むのですが、起き掛けに何種類もの錠剤や粉末剤を飲み込むのは容易ではありません。でも、時間割が決まっている慌しい病院と違いここでは十分な時間が与えられていてボーとした頭もコーヒーをゆっくり飲んでいると気分も整っくるのでシャワーを浴びたり洗面してリハビリルームに行く用意をします。

そして、朝のリハビリの後12時半に昼食を取る為に食堂に集り、6〜8人が一つのテーブルを囲んで食事をしますが、寝たきりだった最初の頃にも、気分を変えましょうとベッドのままここに運ばれてきて食べさせてもらっていました。

IMG_0184夕食は6時半で、昼、夜と一緒に食事をする患者仲間とは自然に気が溶け いい雰囲気の中で食べるのですが、中でも1ヶ月間斜め前にいたジョジョは朗らかでいつも冗談で皆を笑わせてくれ、私のことをコガネムシちゃん(プチットスカラベ)と呼んで元気ずけていてくれました。

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その食事の一例がこのカスレ、牛タン、パエラ、鶏の胸肉ソースかけですが、いくらカロリーが計算され、バラエティーが考えられといっても大衆用キッチンで用意された料理がおいしいはずないと観念するよりしょうがありません。それでも、テーブルの他の人達がパンでソースをきれいに拭きながらおいしそうに平らげているのが不思議でしょうがありませんが、彼らは障害がマイナーで胃腸は健康体のままなのでしょうと羨ましい限りです。

IMG_0195最初の頃、私の食欲があまりにもなく、皿に手をつけないのを案じた介護人がセンターつきの栄養士に連絡をとり、少しでも食べられそうなメニューに変えたり、栄養ドリンクを加えてくれたりしたのですが、あまり変化がないので、それならここの規則に反するけど、あなたが本当に食べたいと思っているものを持ってきてもいいと許可が出て、こちらのスーパーでも手に入るようになった日進のラーメンとか、日本から妹や親友が送ってくれたり、こちらの友達が持ってきてくれたりしたご飯、佃煮、たくあん、吸い物、ふりかけのおかげで少しずつ食欲が出てきました。

私のように長く西洋社会に住み着き、毎日西洋料理を作り、食べ慣れている者にとっても、大病したりすると、以前国で子供の頃口にした物がむしょうに食べたくなるものなんだなあとつくずく感じました。

でも、やはり週末に帰ってくることができるようになった今、にわかシェフになった主人が用意してくれる料理をゆっくり味わいながらおいしく食べることができるのが一番嬉しいです。

ウーマンパワー再考とマイカーハプニング

フランスで女性が投票権を得たのは1944年の4月16日だったということで、それから70年を記念する行事が 先日 パリで選ばれたばかりの女性市長の発動でオランド大統領を招いて行われました。

3月の国際婦人デーには関連する話題が広い面でとりあげられたし、行政面での男女平等性とか 今迄女性に閉ざされていた建築業の現場監督とかの力仕事につく女性、潜水艦に女性軍人が乗れるようになった等等、人々の意識を啓蒙する為なのか、男女平等に関してはメディアがしょっちゅう話題を提供してくれます。

長い歴史が引きずってきた男女差別の風習とか人々の頭にこびりついている偏見を変えるのは並大抵のことじゃなく、メディアコミュニケーションを通して 目に触れ、耳に聞かせる機会を出来るだけ多くして慣れさせようとするのは確かに賢い道です。

それと法律を改善すること、その為に代々の女性運動家の並大抵でない努力があった訳で、私達女性は感謝すべきですが、それをしてきた方達は例外的に強い意志と勇気、行動力を持っていたからこそできたのですよね。

そして、今の時代に生きている私達は老いも若きもが得られた男女平等社会を謳歌していますが、古い時代の私なんかには、男女同権を求める動きが時には本質を越えたことろまでエスカレートしているように思えることがあります。

生理学的に男と女は違いを持って生まれてきているのに、それを無視してすべてに平等を求めるのは 本質に叶っていず、結果的にゆがみが生じて男性にも女性にもフラストレーションをもたらすだけではないかと思えるのです。

私自身は 優柔不断で意志が弱く、自信もなく行動力もなくと頼りない人間なので、男性は女性の弱さを補って引っ張ってくれる存在と有難く甘えてきていて、同等の権利を与えろなんて考えてみたこともなく、女性には女性にしかない利点が備わっているから、男女が補い合っていけばいいんだと思っているのです。

この信念を裏ずけてくれるようなハプニングがあったので聞いていただきたいのですが、その前に私の車を紹介します。
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1年前、それまで乗っていた大型の車からこのフォルクスワーゲンの小さな車、モデル”Up" に変え、車で遠出することも少なくなった今、多分これが最後のマイカーになるだろうと思いますが、私のサイズに合った快適で楽な車として近郊を走っています。

この前の日曜日でしたが、修道院での礼拝に与った後、小道から2車線道路にかかる前の所で”Up"の右前タイヤが溝に落ちた車は動きません。後から他の車がどんどん下りてきます。さあパニックです。避けて通り越すこともできますが、いくつかの車が停まって人々が降りてきて、マダム達はできることがないかと尋ねてくれ、次にきたムッシューは様子がわかると息子に運転席に座らせギアのバックをかけさせ、3,4人でフロントを押しているうちにタイヤは道にのることができました。

助けてもらった事を感謝しながら、こんな時、力がいる仕事はやっぱり男性がいなくては、女性だけではどうにもできないと、とても有難く思えたものです。

長い間女性を苦しめてきた男尊女卑はもう誰も受け入れられません。そのような風潮には断固として戦うべきです。
そして、男女同権を唱えるのもいいけど、お互いの領分をわきまえた上で主義主張を唱える方がいいと私には思えます。





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