2015.12.09 東日本と西日本の文化・民俗の様相、214
1.はじめに
地方創生や地方重視の施策が叫ばれ実践されている今日、地域においては地域・文化のルーツからの魅力づくりが必要不可欠となっている。これには、日本全体の社会的要件もさることながら、地質地形条件を古の時から広範囲に展望してみることが必要と考え、特に、日本が島国であること、中部山岳が日本を東と西に二分していることに着目すべきと思っている。
ここでは、後者の「日本の東西二分」について、その様相を把握し、次いで文化性を論ずることにする。もちろん、究極の目標は富山地域の文化・民俗に関する地形的・社会的な諸様相を紐解くことにあるが、それには日本全体を対象として、中部山岳地帯の果たす役割の歴史的意味が必要であるとした。
具体的な論の展開においては、日本を東と西に二分する分断線はどこにあるのかが最大の関心事となる。これは、分断線北端は後立山連峰末端の親不知域や糸魚川域と明確であるが、南側の境界では北端部程の明確さはない。それでも東西は二分されている。そこには、地形学的に加えて地の利の要因(地勢的要因)も見え隠れする。
そこで、何がどのように関与して列島が二分され、東と西の各域が文化的・民俗的・風土的にどのような様相を呈しているか、整理することにした。なお、富山についても触れておく。なお、本稿では東日本を東、西日本を西と略記することもある。
2.東西日本の相違
(1)地域のくくり方
全国各地にはそれぞれに個性があり、特徴がある。この場合の各地とは、市町村や県レベルであり、道州的レベルでもあり、いわゆる生活圏のくくり方で生み出される領域とする。このうちもっとも際立ったくくり方が日本を東と西とで分けることであり、地域間相違には日本の東西間相違が基本になっていることが多いからである。そこで、そうした東西二分のくくり方で、日本文化の特徴、あるいは各地域の根源的な地域性の把握に努めることにした。
(2)東西間の境目
日本を東西に二分した場合、境目はどこなのか、なぜそうか、が問題となる。これには、地形的要因が一番であり、連山の存在や河川の存在がある。もちろん、技術の発達した近代ではそのような障害が完全に克服されていることはいうまでもない。
a.まず山について;連山が交易路を塞ぐ(中断)ような難所となると、難所を挟んで手前側路と後側路とが分かれてしまい、生活の交流も円滑さを欠いてしまう。ちなみに、人為的難所としては関所があり、これは山間部鞍部に設けられ、地形を利用して人為的に交流を制御・遮断する機能を持っている。
b.次に河川;大河川が関所の様相ありと思われるが、平野の真ん中を流れる大河川は船による水上交易の要であり、渡河なら渡し舟で何てことはない(今は橋)。むしろ、関所の様相となる河川は、人里離れたど田舎のものである。
(3)東日本と西日本の盟主
東と西に分けた場合の各地域の盟主は、京都・大阪と東京である。歴史的には京都が日本の盟主であり、京都文化が各地に伝わり、各地を文化的地域にしていった。一方、新興勢力は西に対抗して東に栄え、逆に東の文化が西にも伝搬し互いに交じり合っても、根底部では交じり合うことはなかったのである。かくしていわゆる東西の境目が発生し、東と西でそれぞれの文化が関東文化や関西文化として独自性を保ちながら後世へと受け継がれていったといえる。
(4)生活面での様相
東西二分により交易が十分ならずとあらば、東西それぞれにおいて、食文化や言葉が独自に発展し、民俗的な差異が生ずるのは自然の理である。
3.東西二分の境界線(地質学的論)
東日本と西日本との区分けであれば、東京と京都の中間域に境界を設ければいいようなものだが、そうはならず、境界線は地形的要因や地勢的な要因による交流不活発な所に定まる。この観点で境界線を考えてみる。
・大規模断層線は、大規模地殻変動の結果として地表に出現する地層不連続形状であり、また断層線付近には地殻変動による連山がそびえたっている。断層線は地表では段丘になることがあっても、文化性二分の境界線とはなりにくい。
・連山による国境線は交易には難をもたらすので境界線として適している。中部地方の北部と中央部の連山は東西二分の境界となっている。
・南部には境目となる明瞭な山が少ない。南部では地形的要因が関与するものの地勢模様が加わり、また連山に代わるものとして河川がある。このような様相を状況に応じて使い分け、境界線が設定されている。
ここに、境界線を3種記すことにする。
a.断層;糸魚川静岡構造線(これは東日本と西日本の文化的二分には適さず)
糸魚川・・・・大町・・・・松本・・・・諏訪・・・・・韮崎・・・・静岡
b.連山A;北アと南ア及びその付近を通過する線として
後立山連峰・・・・穂高連峰・・・南アルプス連峰や中央アルプス・・・→
中央アルプス以南は;矢作川と知多半島の2説。
c.連山B;富山・石川・福井・滋賀・三重の県境連山を通る線
富山県東・南境界・・・石川県東南境界・・・福井県東南境界・・・滋賀県東境界・・・不破関所・・・三重県鈴鹿・・・三重県南部(伊勢湾に注ぐ)の川
d.日本の中心域の関所で区分する方法もあり。関西と関東の区分けはそこ (不破の関)からきている。区分線は、越前南部の愛発の関、美濃の不破の関、伊勢の鈴鹿の関の三つの関所を結んだ線である。現在の関東は箱根の関所の東側としている。
4.東と西の文化的民俗的差異
東日本と西日本とでは文化に相違がある。これについて、「食」、「言葉」、「建築(畳)」に着目して、東と西での相違を箇条書にし、文化の核心に若干迫る。
(1)言葉
・地形;西では「谷」、東では「沢」
「谷」は弥生期以降の漢字文化が(中国から)入ってきて西日本で定着した。それまでは日本古来の言い方が「沢」であり、東日本では漢字文化の影響をあまり受けず、古来の言い方をしていたとみれよう。
・味 ;西では「辛い」、東では「しょっぱい」
西は塩や唐辛子の柄井を一括して辛いといい、東は塩分多用で塩味だけがと吐
出し、塩はからいとした。
・イントエーション;西では言葉の「後半で高く」、 東では「前半で高く」
例えば、雲という語の発音には、西では「く」より「も」が高く、東では「く」が高い。
例えば、雲という語の発音には、西では「く」より「も」が高く、東では「く」が高い。
西に対し東では、語尾簡略化により単語の先頭音節を高くした
(2)食
・味付;西では「薄味」、東では「濃味」
上品な味(西)、労働向けの味(東)
・餅 ;西では「丸餅」、東では「角餅」
円満イメージで手で丸め(西)、板状餅を角状に切断(東)
・豆腐:西では「絹豆腐」、東では「木綿豆腐」
繊細な滑らかさ(西)、煮物にしようしても形崩れず(東)
・稲荷寿司;西では「俵形」、東では「三角(狐耳形)」
お稲荷を五穀豊穣(西)とする、稲荷山形状や狐耳形状(東)とする
・寿司;西では「巻寿司・押寿司」、東では「握り寿司」
華やかさの西、粋の東
・汁粉;西では「こし餡」、東では「粒餡」
繊細で滑らか口あたり(西)、触感をそのまま粒で(東)
(3)味とたしなみ;西日本の繊細さに対し東日本の無骨さ
京文化は繊細さと優美さから成るのに対し、東の文化は新興勢力らしく独自流でつくられた。すなわち、東では新興勢ゆえに普請・作事の仕事(社会基盤づくり)が多く、力仕事(労働)の世界であった。このため、食には塩分が欠かせず、しかも大量の食事が入用となれば、手間暇かけず、味は繊細にはならず、合理性追求の無骨なたしなみが定着していったといえる。
(4)畳の大きさ;畳敷き居室の基本寸法も東日本では合理的
京間(西日本):6尺3寸(191cm)、江戸間(東日本);6尺(182cm)、
居室では、畳を敷き詰めるので、部屋の大きさは畳の枚数で決めている。畳は、本来は京都流に大きさが決まっていたところ、江戸期では人口増・住宅増の状況にあわせて合理的に対応した。それは畳寸法の見直しである。京都風では畳の寸法には端数が出ていたので、江戸では切りの良い寸法6尺にして建物施工を容易にした。これにより部屋は端数分だけ空間が狭くなった。
(5)文化のルーツ
西日本は弥生文化(大陸文化)であり、東日本は縄文文化である。古代や中世では、西の文化は中国からの文化を取り入れより洗練されていった。一方の東の文化はは上述のように無骨者(江戸っ子気質も)の独自性を発揮していった。
5.富山の自然や気風の特徴
東西文化の相違を念頭に置いて、西側文化圏である富山について、自然的風情を述べるとともに、京文化との関係で論じてみよう。
(1)地形
中部山岳系が列島軸に直交していることにより、アルプス山系が異常に高くかつ連山になり、富山平野の東部域には屏風のようにそそり立ち、富山以東の新潟域が遠避けられているかのようになる。また、北アルプスが日本海に突き出している親不知域は北陸街道の難所として名高い。
(2)自然災害
・対地震;「立山が地震から我らを守っている」といった願望として立山信仰が(2024年の能登地震があっても)実は今なお健在である。当時の方々が経験的にそう思ったのか神にすがりたかったのかは定かではないが、地震学からは以下のような理論根拠が最近出された。北アルプス黒部川(黒部ダム付近)直下に大規模マグマ溜りが確認され、このマグマ溜まりによって太平洋側で生起した地震は勢力を弱めて富山に到来する。by川崎先生(京都大学名誉教授、元富山大教授)
・対台風;列島南岸域は台風の直撃域だが、富山に到来の台風は南岸域に上陸の後に勢力を多少落として富山に到来している。最近では、2010年10月、大規模学会の富山開催日1~2日前に富山直撃と予想されていた台風が富山の手前でわざわざ南に進路方向を変え(ていただい)た。これまた専門家の間でも立山が守っているという信仰(願望)につながっている。
・対降雨;富山は自然災害の少ないところ、というのが定着している。しかしながら、1969年豪雨は富山に大被害をもたらした。とはいえ、富山では災害が少ないことは確かである。だからといって災害は発生しないということではない。これを認識したいものである。
(3)言葉
富山はいうに及ばず全国どこでも、TVの普及とともに、標準語(東京言葉)が昔使っていた各地の方言を駆逐していった。今となっては昔の方言を知る由もないが、かつての富山言葉をまとめてみたい。
・相手を主とした用語;相手のところに行く場合、50~60年前までは「あなたの家に来る」といっていた。今は「あなたの家に行く」である。この表現はあくまでも相手を敬うかのような富山独特な気風によるのでは。
・方言では語尾を簡略化している。「行きます」を「行くちゃ」、「そうなのです」を「そいが」という。言葉の意味ある基幹部のみが明確に伝わるようにとのことか、基幹部以外どうでもいいということなのか。親しみや簡略化のなせる業のようか。
6.諸分野での東西二分
諸分野に目を転じて東西二分の様子を垣間見る。
(1)行政区分
日本の東西二分の他には首都圏とそれ以外の分け方や道州制もあり
・道州的区分;北海道、東北、関東、北陸、中部、東海、近畿、中国、四国、九州
・首都圏;茨木、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨
・広域関東圏;関東、甲信越(山梨、新潟、長野)
・広域首都圏;関東、甲信越、静岡、福島
・東西二分の境界
東西二分の東側:関東甲信越の西側
東西二分の西側:富山・岐阜・静岡の東側
(2)電気事業
民間企業による勢力分布
東京電燈(東電の前身)と大阪電燈(関電の
前身)で勢力圏住み分け
・事業体の勢力圏
西日本系;九州、四国、中国、関西、中部、北陸
東日本系;東京(新潟、関東)、東北、北海道
・交流周波数も勢力圏ごとに設定、
日本と西日本で発電機輸入先が異なる
日本と西日本で発電機輸入先が異なる
東日本は独逸系で50Hz、西日本は米国系で60Hzの仕様
周波数の東西境界;富山の東側、長野の東側、東海では富士川
境界線付近(糸魚川域、長野北西部);周波数混在
(3)鉄道
政治経済的な事情からの区分
東日本;JR北海道、JR東日本
中間粋;JR東海(東海は東や西に族せず独立。政治経済的理由より)
西日本;JR西日本、JR四国、JR九州
7.おわりに;文化の俯瞰考
日本の文化は伝統的京風の西の文化と江戸風の東の文化の二系統を中心に、各地域文化をも構成しながら栄えていた。近年に入ると、欧米文化の摂取で東京文化が(江戸文化を超えて)発展し、国内を席巻するにつれ、どこも変わらぬ風情や民俗の様相が定着してきた。これに伴い、東京文化(文明)の一元化が批判されるようになり、改善として近代前の文化をも含め現代文化との俯瞰的広がりを持たせることが叫ばれるようになってきた。もちろん、無骨な文化や風情の伝統を守る文化や各地固有の土着文化をもの現代的な繁栄はいうまでもなく、これらをもって全国一律文化の対極としたいものである。すなわち、空間軸として地形的・地理的・地勢的・民俗的な視点で日本東西二分や各地域固有の文化構成を含めて、時間軸として歴史かおる味わい深いものなればと思う。
実は列島二分論の背景としてそんなことを考えており、その延長として富山の文化が特徴化されることを望んでいる。
8.あとがき
我ら、富山平野の東側にある立山連峰・後立山連峰については西側文化圏の東側境界(果て)という感覚はあまり持ってはいない。これは地勢的に不自由なく生活していることもあるが、立山連峰を風光明媚な存在として見とれているからであり、時には大伴家持のように自然を愛好し、文化性も味わっているのである。これが地域により奥みをつけるといいたい。だからこそ、文化のルーツについて俯瞰的にアプローチしたいのである。