米騒動100年、越中米騒動の今日的意味を考える、エッセイ173

2018.09.30 米騒動100年、越中米騒動の今日的意味を考える、173

1.はじめに

 米騒動は1918年に新川地域一帯の各所で起こり、特に魚津の騒動が有名です。そんな米騒動が起こってから今年で100年目です。

とはいえ、米騒動にはあまり関心がないのが、普通の人かと思います。少し普通の人の代弁をしますと;

・米騒動50周年の時は何の記憶もない。

米騒動の見直しに着手されたとかいっても。

・米騒動は魚津というから魚津のみで発生では。

・米騒動は漁民一揆。百姓一揆とおなじ。

・日本史勉強したが、100周年で改めて存在を知る。

 ・いまさら何で。

ここにきて米騒動100年。にわかに米騒動が取り上げられています。何故なんでしょうか。何で今なんでしょうか。かくいう私もひょんなことから米騒動の問題に関わり、ようやく米騒動の本質を考えることになりました。今では、米騒動が一体何であったのか、なにゆえ今問題にするのか、自分たちの今日的問題として捉えたいと思っています。

そんなノリで本稿において、米騒動の何たるかを垣間見るとともに、米騒動の何が今日的に受け継ぐべきなのかを、論文調論述や解説ではなくエッセイとして自己流で述べていきます。お付き合いください。

構成 1.はじめに  2.米騒動とは、その実際

3.騒動の意義  4.今日的位置づけ

5.受け継がれ  6.教育 

7.住民意識   8.おわりに

 

2.米騒動とは、その実際

2.1 概要

米騒動1918年、富山県では、明治期、米商人が富山の安いコメを買い占め、県外で高く売って巨利を得ていた。1918 年(大正7年)政府のシベリア出兵を機にコメの投機的買い占めが始まり、米価が高騰した。日頃の米価高騰に苦しめられていた県東部沿岸地域の主婦たちが港に停泊のコメ運搬船へのコメ積み出し(写真1)を阻止するとともに、米屋へはコメの廉売を要求し、役所には救済を要求した。これがたちまちのうちに全国に伝わり、各地で民衆が蜂起したが、軍隊によりすべての騒動が鎮圧された。

以降、米騒動が富山県内においてさえあまり扱われてこなかった。最近になってようやく県内で(のみだが)、米騒動の本質「世直し運動」を今日的に受け止めて活動する機運が高まりを見せてきた。

 

2.2 民衆が各地で立ち上がる

県東部沿岸地域一帯のそれぞれの地において主婦たちが自からの生活を守るために立ち上がり、これが米騒動となって社会に激震を与え4か月間続いた。

住民たちの行動は;(前出のとおり)

・地元米を他地域に移出させない

・米屋へは廉価での米販売を要求、移出停止の嘆願

・役所へは救済の要求

2.3 各地の米騒動

 米騒動は県東部沿岸地域にて186月頃から東水橋を皮切りに12月頃まで断続的に各地で起きていた。このうち、(米移出の)実力阻止がセンセーシヨナルだった騒動が7/2346人参加の魚津のもの)であり、一番大規模な騒動は8/62000人参加の滑川のもの(写真4)である。 

 ここで水橋、滑川、魚津、黒部の地区で騒動の起こった月日(文献2)を以下に記す。

   西水橋:8/3 8/58/6

   東水橋:6月下旬~7月初旬、7/208/46

   滑川 :8/48/89/26

   魚津 :7/187/207/22-238/5-8/78/25

黒部(生地、石田)8/3-8/58/10

これより、騒動があちこちで、しかも何回も起きていることがわかる。これは、騒動が一か所で発生し他の地域に伝染していったというよりも、起こるべくして起こる状況が沿岸地域一帯にあったことを示唆している。

なお、普通の人には(他地域での騒動発生は知らず)魚津が発祥という捉え方になっているのは、魚津が滑川よりも先に起きたことにもよるが、魚津(人口15,000)が滑川(人口10,670)よりも町として大きく、県東部新川地域の中心地であったからであろう。

2.4 子どもや男性は何を

世の中の男性はどうしていたのか。事を起こしたのは女性である。これは男性が漁民として海に働きに出て行いて、町にはほとんどでいなかったためである。女性は漁の後を守るのが仕事だから、男性は騒動が起きても漁に出かけていたのである。

では、子どもはどうか。飲み子であれば母親が背中におぶり、子どもであれば村人が「裏山に一日中遊んで来い、帰ってくるな」と言って避難させていた(朝日の村(現朝日町)の住人談)。

 

2.5 救済事業

 民衆からの救済要求は米商や行政にむけられた。まず行政においては、対策が協議されたり、議会にかけて救済事業が制度化されたりして、廉売の指導があった。廉売に際して、地域の富裕層からの寄付金や財閥から等の富豪などからの寄付金があてられた。

次に米商については、窮状を見かねて率先して廉売に応じた米商もあれば、しぶしぶの米商や拒否の米商もあった。なお、拒否米商も最終的に廉売に応じたようである(未確認)

実施された廉売状況については、廉売価格や廉売対象区域などの設定に不備があったりして民衆に不満が残り、騒動の沈静化に時間を要したのではと思える。最終的には、行政による救済事業が所によっては翌年まで実施されて、問題が終結した。

2.6 行政の事前対処

 行政側にとっては、騒動が起こってから救済事業を運用する事後対応ばかりではなく、騒動勃発防止の意味合いもあって事前対応もしていたという。例えば、一部の行政では民衆向けに外米販売に尽力したという。

2.7 米騒動の報道

 当時のジャーナリストが米騒動の本筋を伝えていた。彼らは、女性たちの立ち上がりに魂を揺さぶられたかのごとく、報道人として真実を伝送していた。しかしながら、一般通念として騒動はイコール暴動であったので、報道開始の時点から暴動という文言が入っていた。(県外では「暴動」といってもよいが、県内では「暴動」にあたらず住民の抗議行動的性格であった。)

 また、当時の情報のもとに描かれた米騒動の絵は、当然暴動としてリアルに表現されている(絵1)。すなわち当該絵では、漫画家の岡本一平氏(芸術家岡本太郎氏の父親)により、女性が米蔵から米を奪っていく様が描かれており、これが当時の教科書にも掲載されたことから、一般人に対して米騒動は騒乱と捉えられ定着していった。米騒動は暴動であり、一揆であるというイメージがこうしてより強固に作られていった。

 

3.騒動の意義、位置づけ

3.1 米騒動の本質
 米騒動は人間が生きていくための不正や不合理を鋭く突いた直接行動であった。しかし、その後、米騒動は暴動と捉えられ、「米の争奪、人への危害、商家への放火」といった間違った認識がなされ今日に至っている。確かに全国的にみれば、米騒動は残念ながら暴動に発展したが、富山での真実は「奪わず、危害を加えず、放火せず」であり、あたかも非暴力主義に貫かれていたかのごとくであった。
 こうした行動に対し時の政府は、軍隊を発動し米騒動を鎮圧し、一方では総理大臣(寺内総理)の首を挿げ替えて事の対処とした。

 時代が下ってからは、米騒動は、婦人参政権獲得はいうに及ばず住民の直接行動で社会の不合理不条理に抗議をしたという前例となり、以降、民主主義の礎となった。

3.2 住民蜂起として

 米騒動は、労働者階級・一次産業従事者の蜂起である、として位置付けることもある。実際、富山においてもそのようなスタンスで米騒動を分析し学ぶ団体もある。そんな観点でいえば、米騒動は労働者階級とはいわないまでも民衆一揆という捉え方もあり、江戸時代や明治時代の百姓一揆と相通じるところあり、ということになる。事実、国内全体では暴徒化して騒乱になったではないか。そもそも騒動の特性は騒乱である、としている。

先ほども述べたように、富山の米騒動は、処分者もごく少数であったように、権力側に付け込まれないような運動であったようであり、とにかく米をよそにもっていくな、高く売るなといった率直な抗議運動であった。これを階級闘争の一形態と見るか、そうではないと見るかは社会をどう見るかのスタンスによることはいうまでもない。

 

4.今日的な位置づけ

4.1 我らの位置づけ

 米騒動をどう位置付けて今の時代に受け継いでいくかが今まさに問われてもいる。とはいっても、郷土史といった次元を超えて位置付けるのは、一般社会ではなかなか難しい。理由は、我ら多くは平生から長きにわたって批判精神が育たない教育を受けてきていたからであろう。

 最近は、総合学習や郷土学習といった教育が幅をきかせてきているが、確かにものを知る上ではかかせないながらも、何か基本が抜けていませんか、といいたくもなる。これは何も初等教育の場ではなく高等教育の場でも似たようなことが起こっている。以降の当該節を参照されたい。

4.2 そもそも歴史の意味が

 過去の重大事件や出来事に対して、何となく関心が低く、歴史ファンの範疇ですねとか、昔のことを知って何になるの、といった論調が如何に多いことか。歴史教育の弊害がここに現れていると見てよい。

これは何のことは無い、事の本質を知る上で批判精神が不要となれば、歴史的事実を並べても面白がるのは歴史ファンだけということになってしまう。歴史ファンにとっても、また開明的な方(事実を知ろうとする方)にとってもとんでもない迷惑かつ不合理な話ではないか。

それにもう一つ教育の弊害として困ることには、世の中の歴史観があり、ごく一部の人が好んで日本歴史観を捻じ曲げて、正しい歴史にいちゃもんをつけ、あたかも虚構歴史を楽しんでいるかのようにみえる。困ったことである。

 ところで歴史を知る意味とは何か。「温故知新」や「過去との対話」もいいけれども「それは本来いかにあったのか」とか「現在は過去の結果であり、未来は現在の延長である」といった捉え方をしたいものである。

 以上のように考えて、米騒動を昔の一事実に終わらせずにいきたいものである。

 

5.受け継がれ

5.1 報道、今の時代にて

 100年前、騒動の時代では報道人は真実報道・権力批判に燃えていたがゆえに、米騒動の真実が全国に伝わっていった。しかし今はどうか、ややもすると忖度が横行するこの世の中、報道機関はどうなっているかといぶかる声が多いのも事実である。

そのようななかで米騒動100年を迎えた各新聞社は熱心に米騒動を伝えていたというのが印象である。

 こうした問題はすぐに政治問題につながるゆえに却って自粛する傾向があるかと思っていた。また、米騒動は(権力に対して)無害化しているという見方もあるとのこと。それだけに、マスコミの取り組み姿勢には’(種々の意味で)大いにびっくりしたところである。

ここで今一つ例として原発事故についてみよう。原発事故でも経済活動を憂いて忖度しているとしか思えないこの世の中であるだけに、これを乗り越えて某新聞社が主張を曲げず、各種団体も主張を曲げず、頑張っているのを見るにつけ、頼もしさを感じる程である。

5.2 米騒動の受け継がれ、運動会にて(写真5)

富山では運動会にて米騒動という団体競技種目がある。女性陣数十人が二手に分かれて、俵(ゴムタイヤで代用もあり)を奪い合うのである。不思議なのは、女性同士で俵の争奪。米騒動の時には女性は男性とぶつかったのであり、漁民の女将さん同士で争ったのではない。こんなところにも、騒動が今日的にも娯楽的イベントに化している。(今の社会、男女平等にあらず、女性蔑視が依然として続いている)

5.3 普通に対応、知ることから始まり

かくいう私も、今になって米騒動に関心を持っているが、これまでは一地域の過去の事という捉え方であった。これは皆さん共通の思いではなかろうか。だからこそ、100周年を節目に米騒動が何だったのかが問われ、風化防止と新たな発展が始まったのである。

今後に向けては、米騒動について今日的に問題を掘り起こし、かつ今日的に歴史事実を積み上ることになろう。また、知ることの先にある知の活用があり、米騒動を契機に「この世の中、どうなの」と考えていくこともなろう。これは、楽しみ提供というアミューズであってもかまわない。

 

6.教育

6.1 後世への伝え方、高校教科書にみる

後世への伝え方として高校教科書で米騒動がどう扱われているかをみよう。文献2を参考にすると、伝えなければならない事の本質が時代とともに揺れ動いていることがわかる。概して、今日的には米騒動の扱いは小さくさりげなくといった感じがする。以下、みていく。ただし、斜字体文は著者の感想である。

(1) 50年代:「米騒動が全国に広がる。米屋や高利貸しを襲う暴動。軍隊が出動し静める。」「騒動は生活苦から来た自然発生的なもの。18年に滑川町の漁民主婦が口火を切る。直接参加は1300万人という。」

 →原因明記だが襲うとある。

(2) 61年:「米屋を襲う」がこれまでの標記だが「米屋におしかけ」表記もあり。

暴動とは捉えない姿勢が記述されるようにもなった。

(3) 92年:「おそわれ」や「おしかけ」の表記あり。

「参加者は70万人超え。」→人数が上方修正か。

(4) 2011年:「米の安売りを求める運動が全国に広がる。政府は軍隊を出動させこれを鎮圧。」

→何のために、どこに向けて行動したのかが欠落。

6.2 倫理教育

一部の良心的な米商を除いて、米の適正価格販売をかなぐりすてて大儲けに走る米商。彼らには倫理もへちまもなかったのだろうか。今もその根本はそんなに変わっていないのではなかろうか、といぶかる人も多い。それだけに、世の中では倫理倫理と叫ばれていることに安堵を覚えたい。がしかし、安堵ができるのであろうか。初等教育では道徳教育があり、大学教育では経済人・産業人の倫理教育がある。

ここで大学教育について記す。大学における倫理教育では、この社会をどう良いように作り、育て守っていくのかという視点はみじんもなく、今あるシステムの運営ルールにのっとって、その範囲内で倫理を設定していくための教育としか見えない。企業コンプライアンスにしても、あれは企業を守るための策であって、世の中における企業の役割をいっている訳ではない。

また、倫理教育の実施に際しては企業人やOBを呼んで事に当たっているが、教える範囲は上述のような制約下にある。その点、ある老大学人が倫理教育を買って出て、経済性を乗り越える倫理から内部告発の仕方まで教えている。

 

7.今の住民の意識には

7.1 米騒動について地域住民のとり方

全国に飛び火した米騒動は暴動そのものであったが、富山の米騒動はいわば食料騒乱であり、暴動ではない。しかし、富山もまた暴動としての捉え方が先行したために、民衆は負のイメージの米騒動から一線を画し、ダンマリを決めていたかのようにモノ言わずの状態であった。時代が下り、米騒動100年により歴史的な検証が進み、ここにきてようやく負のイメージからの脱却ができたのではなかろうか。

しかしながら、若者世代では、米騒動は遠い過去の一出来事にしかとられていないように見える。いわゆる無関心がみてとれる。

こうあってはいけないとして、小中学校向けに故郷教育で米騒動が扱われ、地域の世直し系団体とのタイアップで、子どもへの啓発が盛んになってきている。節4.1では厳しい論調にしたが、そんな教育に期待したいものである。

なお、魚津にはタテモン祭りがある。船の帆にみたてていくつもの提灯を縦横につらねて、そのひとつひとつに女性の名前を書いている。これは、米騒動で女性が立ち上がったことに敬意を表してのことなのかもしれない。

7.2 今日的な問題、政治へ
 最近、政権政党がきな臭いことを日常化する政策をとり、ますます国民の生活を窮乏させようとしているのでは、との指摘が多い。ここは、やはり、そうした動きに猛然と抗議をしていかねばならず、その意味でも国民の直接的抗議行動とともに国民を支援するジャーナリズムの果たす役割も大きいと考える。

しかしながら、民衆運動の小休止状態やジャーナリズムの権力対抗姿勢の弱まりも残念ながらみられる。だからこそ、米騒動の原点を思い起こして今後の運動を展開していくべきであろう。

また社会における身近な問題として関わる種々の分野で「おやっ、変だぞ」ということがあれば、背後に潜む本質をあぶりだし、改善に向けた行動が肝要と考える。

以上の二点を我らの今日的な問題として捉えたいものである。

7.3 観光資源として

米騒動発祥地域にはいくつもの米倉が現存している。これを富山の近代歴史遺産として保全していきたいものである。また、これを観光資源としてもっと活用してもいいのではなかろうか。米騒動100年を契機に、これまでの騒動というマイナスイメージが払しょくされたことであろうから、学習対象や歴史認識のよりどころとしても地元の取り組みに大いに期待したいところである。観光が通り一辺倒ではなく本質への接近とならば、この上ないことである。

 

8.まとめ
(1)
米騒動の本質

暴動ではなく生活を維持するための社会不正義に関して激しい抗議であったこと。ジャーナリストがことの本質をしっかりと見極めて権力に抗して全国に報道したこと。この2点が米騒動という直接行動の本質である。また主婦を担い手とした米騒動は一揆でなく「女性による世直し」(by向井氏)と捉えたい。

(2) 米騒動の今日的受け止め方

米騒動という世直しの心意気を我らの生活に反映させていきたく、そこには物事の本質をも極める姿勢や行動が求められ、歴史の本質をしっかりと認識するとともに枠を超えた倫理感が熟成することを望みたい。

◆謝辞

 本稿を纏め上げれたのは、米騒動のシンポ・講演会・展示会に参加・見学したおかげであり、各企画を精力的に進めておられる関係各位には記して謝意を表する。

◆参考、引用文献

1)米騒動100年記念フォーラム;米騒動100年記念フォーラム資料集、2018.6

2)滑川市立博物館;米騒動100---滑川から全国へ、



災害報道におけるジャーナリズムについて雑感、エッセイ172

2018.06.25 災害報道におけるジャーナリズムについて雑感、172 

1.はじめに

災害の報道では技術的クオリテイを高めることが必要として報道側と技術側のタイアップ必要といわれ、その地域でも両者合同の勉強会が催されている。いいことではあるが、報道の根源的な使命も貫徹していただきたい思いもある。そこで、両者のタイアップは如何にあるべきか、報道側の姿勢を中心に技術サイドから論じてみることにした。なお、討議の場は、建築系の災害研究のグループが開設する場とし、専門家側は開明的な方々とする。ただし、文中、ジャナリスムとマスコミをチャンポンに記した。

 

2.富山の民衆運動について

民衆運動のパイオニアとして富山の2ケースについて、以下 に論究する。

ジャーナリズムが民衆運動を支援する特徴的な民衆運動として、富山においては越中米騒動とイタイイタイ病 (以後、イ病)の公害病闘争がある。これらについては、すでに終わったのではなく、いまなお粘り強く運動が進められていて、ジャーナリズムが積極的に運動を取り上げており、ここに、最近の取り上げの二点を紹介する。

第一は、201869日に開催された米騒動100 年記念である。フォラムではどのマスコミも米騒動は世の中の不正をただす住民の直接行動として、民主主義の原点と評価していた。

第二は、2018 6 17 日には BS 日テレで 11:00-11:30 に放映されたNNNドキュメント’18「清と濁 イタイイタイ病――記者たちの50年」の番組である。大企業、権力(自治体を含む)側の患者切り捨て行為や 問題の矮小化行為については、(原発の問題にも通じており)ジャーナリズムの役割が説かれていた。

上記二点の本質を繰り返し言えば、「米騒動とイ病」については、富山が先駆的な役割を担っており、ジャナリズムが権力に対し果敢に支援してきたことがつまびらかにされていた。

 

3.ジャーナリズムの在り方

ジャーナリズムは、原発の時と同じように反原発のノリで災害についても切り込むことができるか考える。たとえ災害時でなく平常時でも、社会問題として、超ローコスト競争を容認する社会、価値観の多様化というなかばごまかしの価値観画一化、中立不偏をかかげる問題逃避、などがある。

 ジャーナリズムは災害報道をどう考えているのであろうか。より正確に本質をつかんで報道は当然であるので、そこに専門家の知識を生かすということで、技術とジャーナリズムの意思疎通を図るのももっともなことである。

しかしながら、項目1でも述べたように技術的な分野にのめりこんで市民の立場を忘れてはいけないことは言うまでもない。とくに、災害の人為的な問題(市民の安全性を二の次にする姿勢などを含む)においては、例えば原発事故のような場合にもあるように、明確な市民姿勢が貫けるかどうかが問われている。種々の事に気兼ねして市民側に「なれとあきらめ」をさりげなく強いるようでは大変こまるのである。原発でも、反原発を主張した新聞は(系列社を含めた)1 社のみで あり、他はやむなしの論調となっている。こうしたことが真剣に問われていないならば、所詮ジャーナリズムは単なる映像屋やビラ屋さんではなかろうか、といった論調も耳にする。この点をもっと考えていきたいものである。

 

4.専門系との交流

専門家側は何も社会変革を求めている訳けではない。いまの社会状況のもとで改善をどう図っていくかが考えられており、まずは百家争鳴でいいのではと考えられ、実際にいくつかのグループがそうした行動をとっている。例えば、3.11の話がいつしか9.11の話になったりしても、 間口は広く、奥行きも広さをあるべしということである。

ジャーナリズムの使命は、「権力を監視し、権力から国民を守る」と開明人は言う。ならば、その延長線上で、技術との交流には技術各論の話に加えて本質的な議論を社会問題としてやってほしい。ジャーナリズムはそん な専門家グループと交流を図ってほしいものである。

 

5.市民サイドではこんなこと知りたい

5.1 社会において

市民にとっては、この世の中はどういうプロセスで変わるのか、教育は如何に役割を担うのか、日常の生活の営みはどんなところで意義深くなっているのか、結構知りたいことである。著者もいち市民として以下に思いつくままに少し項目を挙げてみる。

(1)  社会変革のプロセス:

 ・専門体系からの変革行為はもちろんあり。

 ・教育、市民行動等によるものもあり。

 ・ジャーナリズムによる市民への真実伝達

  →社会がそれによって変革

   例として横浜の杭事件等。 国民の社会的行動として力を持つことのよう。

(2)社会問題としての論議の必要性 技術界では、たとえば騒音問題を数値の問題に置き換えてしまうと、数値の論議で終わってしまうことが多い。本来は、騒音は騒音であり、何とかすべきの論議が必要なのに。結局は、数値の問題に置き換え、すぐに金の問題に置き換えてしまうのは、原発のみならず、 どの問題でも同じことのようにみえる。

(3)行政の姿勢:

 ・政治への忖度として、市民軽視、改ざん、隠蔽は当 たり前か。

 ・経済界や地元に気遣う行政。

   文化行政での一部例→  間違った史跡認定を撤回しない行政。

      これに追随する多くのマスコミ。

(4)学協会の姿勢

・中立を決め込む学協会 →問題を避けたがる

   原発問題を例 →原発問題を避ける多くの団体。

          →原発の問題を学協会から分析し

 質の高い知識の提供。

   公害問題  →当該企業はいまだに本質を避ける姿勢。

 追随する自治体。

(5)マスコミの姿勢

・自主規制  →最近気になるのは不偏不党を標榜した自主規制。

    (ごく一部の問題やごく一部の人の事)

 ・市民へは刷り込み役    なれとあきらめの浸透も一部あり。

    教育とあいまって。

 

5.2 災害では

災害要因には、法律の規制緩和、特別措置などあり。これらは、何のための誰のためのものなのか。都市部の容積率緩和は過密都市形成の原因。特別措置はそこそこの被害が発生には目をつぶって経済が回ることを優先か。建築主の安全よりも経済性志向が問題。特にマンション転売では売れることを先決として後は知りませんの考え。何とかしたいものである。

 

6.おわりに

今、ジャーナリズムに求められているのは、報道の具合論よりも基本姿勢ではなかろうか。専門分野におけるジャーナリズムのあり方としては、報道の正確さは当然であるが、社会的な期待としてはやはり国民を守ることである(いうまでもないが)。しかし、専門とのタイアップでその姿勢がかすむようでは困るので、専門家たちの前にも筋を通して欲しいと思う次第である。災害報道に限らず、政治報道についても、真髄を発揮して欲しいも のである。

富山の住民行動の近代史 米騒動、イ病問題、エッセイ171

2018.06.24 富山の住民行動の近代史 米騒動、イタイイタイ病問題、171

 富山の民主主義の歴史で特筆すべき事象として、イタイイタイ病(イ病)、越中米騒動がある。これら事象の概要は以下のとおりである。

  イ病では三井鉱山を相手に民衆が鉱毒垂れ流しに厳しく抗議
  米騒動では、コメ価格を不当に吊り上げる社会に厳しく抗議
 いずれの事象も、民衆が生活を守るために声を大にして抗議し、運動を展開して全国に嵐がかけめぐったのであり、戦後の民主主義の原点ともいえる運動である。これが富山を発祥の地としているのである。最近は、民衆の歴史よりも観光が富山でも主となってきているが、民主主義あっての平和であり、かつ観光である。こうした観点で、富山の民衆運動についてここで述べることにする。

 

1.越中米騒動、近代民主主義の原点
 越中米騒動は1918年に、越中富山で起こった住民による社会抗議運動のことである。1918年のものは女性が先導したこと、全国に波及したことが特徴的である。富山発の一大社会問題としてここに論述する。

(1)
 米騒動について概説
 寺内内閣の時期、越中米はシベリア出兵に関連して拠出され、地元には販売用の米が当然少なく、しかも法外な値段で販売していた。そこで、地域の主婦たちが自からの生活を守るために立ち上がった。米の価格が不当であること、地元米を他地域に持っていくなと、女性たちは猛抗議をしたのであった。これを越中のジャーナリストが直ちに全国に状況を発信したところ、全国各地で一気に火がついて暴動が各地で起こったのである。


(2)
 米騒動の本質
 米騒動は人間が生きていくための不正や不合理を鋭く突いた直接行動であった。しかし、その後、米騒動は暴動と捉えられ、「米の争奪、人への危害、商家への放火」といった間違った認識がなされ今日に至った。確かに全国では米騒動は残念ながら暴動に発展したが、富山では真実は「奪わず、危害を加えず、放火せず」であった。
 こうした行動に対し、時の政府はどうしたか。軍隊でもって米騒動を鎮圧したが、一方では総理大臣の首を挿げ替えて鎮静化を図った。

 時代が下ってからは、米騒動は、婦人参政権獲得はもちろんのこと、住民の直接行動で社会の不合理不条理に抗議をしたという前例となって、その後は民主主義の原点となった。

(3) 今日的な問題
 米騒動から100年を経過している。日本では政権政党がきな臭いことをも日常化する政策をとり、ますます国民の生活を窮乏させようとしている。ここはやはり、そうした動きに猛然と抗議をしていかねばならず、その意味でも国民の直接的抗議行動やジャーナリズムの果たす役割は大きいといえる。しかしながら、住民運動の小休止状態やジャーナリズムの権力対抗姿勢の弱まりも残念ながらみられる。だからこそ、健全な民主主義を貫徹する上でも、米騒動の原点を思い出して今後の運動を展開していくべきであり、米騒動は一体何であったのか、何故に問題にし、どう対応していくのか、もっと自分らの今日的な問題として捉えたいものである。

(4) まとめ
 上述のように、米騒動は暴動では生活を維持するための社会不正義に関して激しい抗議であったこと。また、ジャーナリストがことの本質をしっかりと見極めて権力に抗して全国に報道したこと。この2点が米騒動という直接行動の本質である。知識人向井氏は米騒動を「女性による世直し」といっておられた。まさにそうだと思っている。これをもってまとめとしたい。

  

2.イタイイタイ病について、その本質とは  事実検証中です!!!
 明治の頃から神通川流域(特に富山県婦中町)にて、原因不明の風土病として捉えられていたこの病気は、太平洋戦争の頃には相当数の患者になり、戦後も一向に減らなかった。1955年には、こうした病気があることが世に向けて報道されたが、その後はすぐに無報道となった。
 その後、1966年には被害者団体が設立された。被害者団体は、196839日には三井金属を相手に提訴した、その直後59日には公害病と認定その一方では富山県は公害病ではないと主張。そうこうしているうちに、黒部にある工場の煙からCdが検出され、農地汚染が問題となった。もちろん、企業側はこれを隠した。
 時代が下り、1971630日には一審で原告側が勝訴、続いて197289日には二審で勝訴。大企業に対して初めて住民側の勝訴であり、勝訴の報道は全国を駆け巡った。
 ところが、巻き返しは1975年に始まった。文芸春秋の19752月号に「イ病は幻の公害病」ということで反鉱毒が主張されたのであった。これが大きく企業側を力づけさせることになり、以降再び論争となった。
 巻き返しの要因は何であったのか。土壌復元で膨大な金がかかる。これを加害企業の三井が負担することになっていたので、こうした住民運動で同種の企業が窮地に陥ること権力側・企業側が懸念して、かかる運動が全国に波及することを恐れたためである。
 また巻き返しは、自治体レベルでは、被害者救済の道を閉ざすかのように、県の患者認定調査会の審査で、委員長に反Cdを主張する御用学者をあて、しかも現場で実際に診察に当たっている萩野医師を除外し、まったくか患者を診たことも無い医師を委員とするえげつなさである。要は、権力側・企業側に加え自治体も、患者救済にも金がかかるから、患者や住民を無視してもケチることに徹したのであった。
 繰り返し言えば、巻き返しは、患者本位の背策が全国に波及すると企業側が困るからである。こうした状況下では、患者も対抗措置として骨生検で対応した。患者の身を削る骨を提供して検査をして患者認定を申請したのであった。こうなれば、いじわる行為ができなくなり、患者側の身を削る抗議が功をそうしたのである。
 権力側では、富山のイ病が全国に波及を恐れた。イ病が、大企業に勝訴し、患者の救済に全力を挙げるという、全国に先駆けてトップランナーなだけに、権力側が潰しにかかったのである。
 こうした潰しにも毅然と抗して運動が展開された結果、20131217日に企業側と患者側とで採集の和解が成立した。これをもって全面解決と謳われたが、未だに患者認定には高いハードルを設け、患者の切捨てが平然と行われているばかりか、未改良の土壌の放置や神岡での大量の鉱屑の放置があり、これについてどうするかがまるで考えられてはいない。

以下検証中

 また、患者については、20185月現在では200人だったが、今生存は5人である。協定を結んだ後も患者が出てきている。今後も出ることであろう。こうした状況にも、真摯な対応が見られないでで、全面解決はとんでもないといわざるをえない。
 今後については、事実を風化させるという権力側の方策に抗して真実を語り継ぐことが一番であり、その活動を推進していかねばならない。要は、公正さをゆがめ、不都合な真実を隠しごまかす、そんな風潮を、福飛ばすためにも、健全な社会世論を作り、これをより強固にしていくべきと考える。

  

 3.おわりに

 以上、富山における近代民主主義の原点が垣間見ることができた。また富山でもっと胸を張って将来に向け歩む自信が強まったように思う。

こうして自分なりにまとめ上げれたのは、イ病や米騒動のシンポ・講演会等に参加したおかげであり、各企画を精力的に進めておられ方々として、特に、ジャーナリストの向井氏、細川嘉六ふるさと研究会代表の金澤氏をはじめ、イ病を語り継ぐ会、米騒動100年記念フォ-ラム実行委員会の皆々様には、記して謝意を表する次第である。

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