富山の住民行動の近代史 米騒動、イ病問題、エッセイ171

2018.06.24 富山の住民行動の近代史 米騒動、イタイイタイ病問題、171

 富山の民主主義の歴史で特筆すべき事象として、イタイイタイ病(イ病)、越中米騒動がある。これら事象の概要は以下のとおりである。

  イ病では三井鉱山を相手に民衆が鉱毒垂れ流しに厳しく抗議
  米騒動では、コメ価格を不当に吊り上げる社会に厳しく抗議
 いずれの事象も、民衆が生活を守るために声を大にして抗議し、運動を展開して全国に嵐がかけめぐったのであり、戦後の民主主義の原点ともいえる運動である。これが富山を発祥の地としているのである。最近は、民衆の歴史よりも観光が富山でも主となってきているが、民主主義あっての平和であり、かつ観光である。こうした観点で、富山の民衆運動についてここで述べることにする。

 

1.越中米騒動、近代民主主義の原点
 越中米騒動は1918年に、越中富山で起こった住民による社会抗議運動のことである。1918年のものは女性が先導したこと、全国に波及したことが特徴的である。富山発の一大社会問題としてここに論述する。

(1)
 米騒動について概説
 寺内内閣の時期、越中米はシベリア出兵に関連して拠出され、地元には販売用の米が当然少なく、しかも法外な値段で販売していた。そこで、地域の主婦たちが自からの生活を守るために立ち上がった。米の価格が不当であること、地元米を他地域に持っていくなと、女性たちは猛抗議をしたのであった。これを越中のジャーナリストが直ちに全国に状況を発信したところ、全国各地で一気に火がついて暴動が各地で起こったのである。


(2)
 米騒動の本質
 米騒動は人間が生きていくための不正や不合理を鋭く突いた直接行動であった。しかし、その後、米騒動は暴動と捉えられ、「米の争奪、人への危害、商家への放火」といった間違った認識がなされ今日に至った。確かに全国では米騒動は残念ながら暴動に発展したが、富山では真実は「奪わず、危害を加えず、放火せず」であった。
 こうした行動に対し、時の政府はどうしたか。軍隊でもって米騒動を鎮圧したが、一方では総理大臣の首を挿げ替えて鎮静化を図った。

 時代が下ってからは、米騒動は、婦人参政権獲得はもちろんのこと、住民の直接行動で社会の不合理不条理に抗議をしたという前例となって、その後は民主主義の原点となった。

(3) 今日的な問題
 米騒動から100年を経過している。日本では政権政党がきな臭いことをも日常化する政策をとり、ますます国民の生活を窮乏させようとしている。ここはやはり、そうした動きに猛然と抗議をしていかねばならず、その意味でも国民の直接的抗議行動やジャーナリズムの果たす役割は大きいといえる。しかしながら、住民運動の小休止状態やジャーナリズムの権力対抗姿勢の弱まりも残念ながらみられる。だからこそ、健全な民主主義を貫徹する上でも、米騒動の原点を思い出して今後の運動を展開していくべきであり、米騒動は一体何であったのか、何故に問題にし、どう対応していくのか、もっと自分らの今日的な問題として捉えたいものである。

(4) まとめ
 上述のように、米騒動は暴動では生活を維持するための社会不正義に関して激しい抗議であったこと。また、ジャーナリストがことの本質をしっかりと見極めて権力に抗して全国に報道したこと。この2点が米騒動という直接行動の本質である。知識人向井氏は米騒動を「女性による世直し」といっておられた。まさにそうだと思っている。これをもってまとめとしたい。

  

2.イタイイタイ病について、その本質とは  事実検証中です!!!
 明治の頃から神通川流域(特に富山県婦中町)にて、原因不明の風土病として捉えられていたこの病気は、太平洋戦争の頃には相当数の患者になり、戦後も一向に減らなかった。1955年には、こうした病気があることが世に向けて報道されたが、その後はすぐに無報道となった。
 その後、1966年には被害者団体が設立された。被害者団体は、196839日には三井金属を相手に提訴した、その直後59日には公害病と認定その一方では富山県は公害病ではないと主張。そうこうしているうちに、黒部にある工場の煙からCdが検出され、農地汚染が問題となった。もちろん、企業側はこれを隠した。
 時代が下り、1971630日には一審で原告側が勝訴、続いて197289日には二審で勝訴。大企業に対して初めて住民側の勝訴であり、勝訴の報道は全国を駆け巡った。
 ところが、巻き返しは1975年に始まった。文芸春秋の19752月号に「イ病は幻の公害病」ということで反鉱毒が主張されたのであった。これが大きく企業側を力づけさせることになり、以降再び論争となった。
 巻き返しの要因は何であったのか。土壌復元で膨大な金がかかる。これを加害企業の三井が負担することになっていたので、こうした住民運動で同種の企業が窮地に陥ること権力側・企業側が懸念して、かかる運動が全国に波及することを恐れたためである。
 また巻き返しは、自治体レベルでは、被害者救済の道を閉ざすかのように、県の患者認定調査会の審査で、委員長に反Cdを主張する御用学者をあて、しかも現場で実際に診察に当たっている萩野医師を除外し、まったくか患者を診たことも無い医師を委員とするえげつなさである。要は、権力側・企業側に加え自治体も、患者救済にも金がかかるから、患者や住民を無視してもケチることに徹したのであった。
 繰り返し言えば、巻き返しは、患者本位の背策が全国に波及すると企業側が困るからである。こうした状況下では、患者も対抗措置として骨生検で対応した。患者の身を削る骨を提供して検査をして患者認定を申請したのであった。こうなれば、いじわる行為ができなくなり、患者側の身を削る抗議が功をそうしたのである。
 権力側では、富山のイ病が全国に波及を恐れた。イ病が、大企業に勝訴し、患者の救済に全力を挙げるという、全国に先駆けてトップランナーなだけに、権力側が潰しにかかったのである。
 こうした潰しにも毅然と抗して運動が展開された結果、20131217日に企業側と患者側とで採集の和解が成立した。これをもって全面解決と謳われたが、未だに患者認定には高いハードルを設け、患者の切捨てが平然と行われているばかりか、未改良の土壌の放置や神岡での大量の鉱屑の放置があり、これについてどうするかがまるで考えられてはいない。

以下検証中

 また、患者については、20185月現在では200人だったが、今生存は5人である。協定を結んだ後も患者が出てきている。今後も出ることであろう。こうした状況にも、真摯な対応が見られないでで、全面解決はとんでもないといわざるをえない。
 今後については、事実を風化させるという権力側の方策に抗して真実を語り継ぐことが一番であり、その活動を推進していかねばならない。要は、公正さをゆがめ、不都合な真実を隠しごまかす、そんな風潮を、福飛ばすためにも、健全な社会世論を作り、これをより強固にしていくべきと考える。

  

 3.おわりに

 以上、富山における近代民主主義の原点が垣間見ることができた。また富山でもっと胸を張って将来に向け歩む自信が強まったように思う。

こうして自分なりにまとめ上げれたのは、イ病や米騒動のシンポ・講演会等に参加したおかげであり、各企画を精力的に進めておられ方々として、特に、ジャーナリストの向井氏、細川嘉六ふるさと研究会代表の金澤氏をはじめ、イ病を語り継ぐ会、米騒動100年記念フォ-ラム実行委員会の皆々様には、記して謝意を表する次第である。

人災防止の構想づくりに向け勉強会を、エッセイ170

2018.06.01 人災防止の構想づくりに向け勉強会を、170

◆人為的要因による震災防止に向けた技術・社会に関する勉強会(研究会)を17年4月に立ち上げました。災害問題を広範囲に扱いたいというのがそもそもの思いです。ここで、何がどう問題となっており、その背景は何か、といった観点の構想を描いてみた。以下に紹介する。
◆地震災害の防止や軽減に向けてこれまで地震が起こるたびに施工不良、現場技術の未熟さ、設計不備、未耐震化などの人為的な要因が指摘され続けてきた。にもかかわらず、この種の要因による被害がなくなるどころか却って激しさを増している。このため、問題は技術の枠を超えて社会にも及び、種々の改善が進まないのは社会そのものに温床があるといわれるようにもなってきた。

そこで、本勉強会では人為的要因による震災の防止軽減を目指して人為的要因を社会における制度や経済活動等と関連させ、技術と社会のあり方を検討し、今後に向けての改善を図ることにした。勉強(研究)は二か年にわたっておこうなう。


◆第一年度は、研究目的遂行のための戦略を練ることにした。本来この種の問題には建築のすべての分野を網羅しかつ社会性の次元からの展開を必要とするゆえに、具体的な問題考究を前にして研究の入口と出口
(研究成果の社会還元)を戦略構想として固めた。実際には、勉強会では全国からこの種の問題に関心を示す多岐分野のつわもの達が集まり(設立時から委員)、人為的要因の温床を技術・社会の次元から捉えた自由奔放な熱い論議により勉強会の共通理念・共通姿勢を作り上げた。そして、第二年度にて大規模なシンポジウム開催を念頭に戦略を下記のように練り上げた。

(1)基本方針:委員会では人為的要因の設定から始め、人為的要因を技術そのものや社会システムそのもの不都合と捉え、災害イコール人災とした。

(2)扱う対象:対象を社会システムとしての建築とし、構成の切口を技術と社会を横断する形で「専門分化分業、市民参画(市民主権)、経済優先、(倫理含めた)理念・情念」の四系統とした。また、対象分野は、住宅、大型建造物、街、都市といった形系と、設計、施工生産、メンテ、マネジメント、教育、市民活動といった行為系とに分けた。

(3)アプローチ:実際に問題においては、行為系や形系についての社会的次元での検討と、社会的次元を前提に行為系や形系を絡み合わせての検討とがあるとした。ここでは、研究成果の一層の発展と社会的還元とをバランスさせて、現実の技術の問題として社会的次元の四系統を適宜組み合わせ、設計、コミユニテイ、社会、エコに絞って主題を設定し、人為的要因から災害までの一連を念頭に置いたアプローチが適切と判断した。

 設定した主題は;・構造設計の視点、・住宅設計(意匠と環境)の実務、・防災と災害時における市民参画、・小地域経済圏のコミユニテイ、・建築物の地域社会における価値ある資産、・本気エコの視点 

◆第二年度については、シンポジウムを念頭に設定の主題について深堀し、この種問題の本質を社会的・技術的に明確にして、これを提言にまとめ、併せて研究成果の社会への還元に向けて方策を練ることにする。なお、シンポジウムでは本勉強会委員全員に加えて多くの協力者にも論文執筆により、積極的に成果の各分野への拡散を図ることにする。

 

エッセイ執筆にあたっての基本姿勢、169

2018.04.07 エッセイ執筆にあたっての基本姿勢、169
 エッセイのほうは、なかなか毎日1っ本で書くというわけにはいかず、苦労している。というのも、かなりまとまって主張や思いを書く場合、それなりのぶんりょうになり、そこには脈絡もしっかりと押えないといけないからである。もちろん、エッセイは論文ではないので、書きやすい面はあることも事実であり、だからこそ、何とか書こうと思いを持っている次第である。
 ここで、少し、エッセイ執筆にあたり、基本姿勢を述べておく。
 エッセイの内容については、生活していて感じたことを書くのをモットーとしている。このため、専門、生活、趣味、が多くなっているが、それでもたまには政治経済や組織論にも及ぶこともある。
 水準については、なるべく市民視点をと思っているので、平易をもっともこころがけている。しかし、筋道立てていくと、どうしても論文長になってしまうこともある。バランス感覚でなんとか執筆、というのが実状である。
 オリジナリテイについては、なんといっても気を配っている。新聞に書いてあることをそのまま感動して言うのも、一つのプレゼンではあるが、やはり自分の思いを大切にしたい。時には、新聞の論調とは一緒にならないように、と考えることもある。だからといって、何が何でもオリジナリテイを求めているわけで把握、自分で考えればオリジナルと思っている。
 イジョウ、ソンナオモイヲモッテ、エッセイ執筆にあたっている。
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