2013年07月

山村の古民家にて親子の方々が ありのままを ありのままに楽しんでいます、アニメ「おおかみこどもの雨と雪」の世界にて、エッセイ49

2013.07.20 山村の古民家にて親子の方々が ありのままを ありのままに楽しんでいます、エッセイ49
アニメ「おおかみこどもの雨と雪」の世界にて

 アニメ「おおかみこどもに雨と雪」が空前のヒットとなりました。あらすじは、母と子ども2人が住みにくくなった都会を離れ、田舎の山村にきて農業をいとなみながら、自然の中で子どもが母の愛のもとたくましくすくすくと育っていく、というものです。

親子が主人公とあって、世代を超えて若者はもちろんのこと多くの親子の方々が鑑賞し、大変感動されておられました。

皆さんは、まず舞台環境を写実的に大変きめ細かく描きこまれたことによる人間描写にびっくりし、続いて大自然のもとでの愛と育ちという人間としてのごく自然なことに感動したのです。

このためか、どうしてもアニメ舞台の世界を見たいとして、場所を公表していないにもかかわらず、モデル地には連日、 家族連れや若者が土日は20人を超えるくらい訪れています。モデル地は低い山が連なる静かな雰囲気の山村でそこに古民家があります。来訪者はふもとから40分もかけて道々自然を満喫しながらやってこられるのです。

訪れた方々に「何に感動しましたか」と聞ききますと、女性の方々は「母と子のきずなや子育てに感動」と言われ、男性の方々は「なかなかうまく言えないけれども感動した」とのことでした。また、古民家についてはどうですかと聞いたところ、「匂い、澄んだ空気、落ち着く」といった感覚的なことは当然の事、「古民家とその中に住む方々に魅せられ感動した」と言われる方もおられました。まさに、感動の核心は人間ドラマだったのでしょう。だから、彼らはアニメの舞台に(複数回)来て、舞台を「見る」のではなく、舞台で演じられるドラマを「堪能する」のです。

一方、子どもはと申しますと、あたかもアニメの世界に入り込んだかのように、庭で遊んだり、絵を描いたり、しまいに家の中を走り回り、ごく自然な光景でした。また、子どもが親に「おおかみこども」の絵本を読んでもらっているうちに、絵本に描かれた親子の愛情に感極まって親も子も泣きだし、まわりにいた方々ももらい泣きするということもありました。

皆さんの古民家でのくつろぎをみていますと、古民家という非日常空間の中で、来訪者全員があたかも大家族を構成しているかのように、日常性に感動し楽しんでいます。

そこには何の仕掛けも何の施設もなく、あるのはごく普通の自然とごく普通の人間であり、人間と自然が一緒になって風景風土を作っているのです。そうした風景の中で、子どもがおり、親がおり、様々な来訪者がおり、和やかなコミユニケーションがなすドラマは、ありのままをありのままとする本当にいい光景ですね。

 建築の立場からは、文化性の高い古民家を保存再生するためにじっくりと「見る」ことを主体にしがちで、「場の堪能」はなかなかできないものです。しかしここでは、子どもたちが一般の方々とともに古民家を息づかせてくれているといっても過言ではないでしょう。

この古民家は私の友人の住んでいる町にあり、アニメ監督細田守氏は私の友人の住む村の出身です。ここで、皆さんとともにアニメの世界を堪能したいですね。

山村における古民家の今日的意義,アニメおおかみこどもの雨と雪の世界、エッセイ48

2013.07.18 山村における古民家の今日的意義(1)、アニメ「おおかみこどもの雨と雪」の世界より、エッセイ48
 

1.はじめに

 空前のヒットとなったアニメ「おおかみこども、雨と雪」では、自然にいきる母と子のきずなをテーマとして、(山村の)原風景や古民家・木造小学校を舞台に人間ドラマが生き生きと描かれている。これが、鑑賞者を大いに感動させていた。また、(建築)専門家でも、アニメの魅力的な写実描写により、原風景や古民家に改めて惚れ直したというところが正直なところである。

 では、古民家を含めた木造建築について、専門家としての魅力や意義とは何なのであろうか、考えることにした。

そこで、古民家を視察し、住人の方々と語り合い、古民家とその周辺について専門家とは一線を画して一般人の視点でまとめてみることにした。



2.アニメの舞台の概要

舞台となった地域は富山県東部にある、平安期に真言密教の寺院(日石寺)で有名な大岩一帯の山麓の山里である。

 平安期以降の南北朝期のころ、相模から来た豪族土肥氏が富山平野東側一帯を支配し、この地にも山林を生業として定住した。当該家の持ち主である山崎さんも土肥氏の系列である。

当地には、土肥一族の立派な家がいくつもあったと思われる。このうち山崎さんの家(古民家)については、明治20(1887)に築造されたという(築126年)。

時代が下るに従い、山の方々が里に下り、山崎さんもまた8年前に山を下りた。その際に、山崎さんは家(古民家)について、取り壊すにしのびないとして活用の道を選び、近くの山に来るハイカーのための無人休憩所として、あるいは地域の会合の場として開放した。皆さんからは、古民家は「みんなのいえ」と称されて親しまれていた。

 そうこうしているうちに、アニメ制作の細田守監督が3年前にやってきて、当該古民家がアニメの舞台に決まった。その後、ロケ隊が頻繁に訪れたという。

 映画がヒットしてからは、映画で感激された方々が当地を訪れ、多いとき日に20人にも達している。(今では100人程も、多くは県外、しかも何回も訪問) 映画ファンのうち熱烈な方が中心となって、献身的な対応で多忙な山崎さんを助けるためにサポーターズというクラブが設立され、皆で古民家と風景を守り今日に至っている。

 写真は、古民家のアプローチ、正面、当該集落、棚田、はなの家案内図、玄関、大広間、縁側、和室、囲炉裏のある居間、、の順に載せた。

 なお、当該地では、戦後疎開には200軒あった家が現在では2軒のみとなっている。



3.当該地の風景 

 当該地は大岩川をさかのぼっていったところである。ある程度さかのぼると、浅生集落がある。ここに自然の中で子どもをすこやかに育てることを目的とした「あそあそ自然学校」があり、子どもたちの声が当地一帯にこだましている。

 ここらかさらに奥に行くと、大きな谷にでる。そこら一帯には美しい棚田と集落がある。田植えの頃は、水田に水が張られているので、棚田が鮮明に浮かび上がるほどである。

 なお、当該地一帯からは富山のシンボルである立山がみえない。これが幸いしているのであろうか、周辺の低い山々が何かしら落ち着いた雰囲気を醸し出している。



4.今なぜ古民家や木造校舎なのか

4.1 アニメの舞台と人間ドラマ

 アニメの概要を簡単に紹介する。母と子ども2人が住みにくくなった都会を離れ、田舎の山里にきて農業をいとなみながら、自然の中で子どもが母の愛のもとたくましくすくすくと育っていく、というのがストーリーである。

このアニメを観て、なぜ人が感動したのであろうか。当該地を訪れた方々に聞くと、女性の方々は「母と子のきずなや子育て」に感動といわれ、男性の方々は「なかなかうまくいえない」けれども感動したとのことであった。また、古民家についてはどうですかと聞いたところ、「匂い、澄んだ空気、落ち着く」といった感覚的なことは当然の事、「古民家とその中に住む方々に魅せられ感動した」というようなことをいわれる方もおられた。まさに、感動の核心は人間ドラマだったのでしょう。だから、彼らはアニメの舞台に(複数回)来て、舞台を「見る」のではなく舞台(で演じられるドラマを)「堪能する」のである。

ここで、我らは、皆さんがかくも感動したその背景として主に古民家について多少専門的に理屈をつけてみることにする。



4.2     古民家の意義、役割(風景と共に)

古民家の良さを市民の観点から分析するために、今(現代)を起点として時間をさかのぼって生活面から論じてみよう。ここでは、観点となるキーワードは「囲い、エネルギー、コミユニケーション、かまい過ぎ、遠慮、エコ、音、感触」である。



(1.1) 建物内の囲い; 建築の囲いによる空間構成そのものが人間の行動に制約を加えているのではなかろうか。まず学校では一見広い空間としてのクラスという囲いがあり、逆に住宅では細かな部屋割りという壁による囲いがある。最近、子供には自閉症が多発している。囲いと関連させる研究者も多い。

一方、古民家には、そのようなバリヤーは一つもなく、しかも空間は隙間だらけそのものである。子どもの成長に障害となることはなにも無い。アニメでも子供が家の中を走り回って伸び伸びしていたことが印象的である。



(1.2) 建物外の囲い: 通常住宅回りや団地回りなど、建物外周に塀がある。これに見慣れている人にとっても、そのような障害のまったくない山村という自然が自然と受け入れられる。しかも、人は山村に居るだけで、現代特有のイライラがいつしか落ち着きに変わっていく。当地への来訪者は数時間にもわたりただずんでいかれる。



(1.3) 外界と融合する空間: 古民家では、囲いが開放的なことに加え、自然の中に立地しているので、自然ののどかさや生命のいきづかいが室内にまで及んでいる。これが人に対しては心をのどかにかつ温和にし、古民家そのものに対し自然の匂いとなるのであろう。



(1.4) コミユニケーション; 現代建築は(家の)中と外をしっかりと分離しているので、ご近所さんとのコミユニケーションには努力して実現させるものといった感がある。これに対して古民家には縁側があり、(家の)中と外が連続していて、どこまでも見通せる。この見通しは、家のみならず外でも集落でも一緒である。家の中の生活の匂いが外にまで流れている。そんな雰囲気のもので、コミユニケーションはごく自然に図られている。



(2.1)         何でもそろっていると考えなくなる;

 何もない広場で子どもが集まると、どうやって遊ぶかを皆で考えそして遊ぶ。何もないとは押し付けないということである。しかしながら、都会では野外遊具を置いて決められた遊び方を押し付け、子どもの思考能力がむしばまれつつある。家の中でも一緒のことがいえる。子どもにとって、遊びは、本来学びでもあり、勉強でもあるからである。



(2.2) 家の囲い(); 古民家の囲みのない様相とはまさにそうしたものであり、住人がどうやって営もうかと、考えながら多様性をむしろ楽しむことができる。それを可能にするものが古民家なのである。

 なお、ここでの議論はあくまでも現代と昔の対比であり、古民家のもつ、その地域の気候風土に合った住まい方の知恵や文化性については省略する。



(2.3) 遠慮のいらない空間: ヒステリックな雰囲気が漂いぎみの都会では生活には遠慮が必要であり、囲いが必要とされている。一方の山里の古民家では、囲いのないことがおおらかなコミユニケーションを図り、例えば子どもが大きな声で語り合い走りまくるように、住人の行動が束縛されず実に自然である。



 (3.1) エコ; 最近便利になるのはいいが、洗面所では手を出せば水が出て、廊下を歩けばスイッチを入れなくても電灯のオンオフができてしまう。人間は少しずつ何も考えなくなってきている。

ある研究者は、白熱電灯の家とLED電灯の家とでエネルギー消費を調べた結果、白熱の家の方が断然に消費電力が少ないことを結論した。理由は、前者の家では住人自ら考えてこまめに電灯(のスイッチ)を入り切りするからである。

では、古民家はどうであろう。白熱電球云々は別にして、古民家ではのどかな自然のもとでエネルギー浪費は似合わず、節約の心がけが自然とできていくものといえる。

なお、上記の話については最新技術の否定と受け止める方がおられるが、そうではなく、最新技術の使いこなしが大事であると主張しているのである。



(3.2) 音環境; 現代建築は遮音に気を配っている。自分の都合以外の音は騒音としているので、公園で遊ぶ子どもの声も騒音なのである。研究によれば、音なしの世界では人は余計に落ち着かなくなるという。

 古民家では、もともとの立地が山里であることもあるが(平地であっても)、外からの音や気配も中への侵入は歓迎なのである。少なくとも、遮音のないことがかえって落ち着ける空間が醸し出されている。



(3.3) 感触と視線; 木造校舎にしてもしかり。なぜ木造なのか。空間の構成が硬い無機質な囲みによるものではないからであろう。確かに、隙間の多い木造の開放空間では、壁であっても閉じられた空間ではなく、しかも、壁そのものが木であるゆえに木のぬくもりという暖かさで寄り添っているという印象が醸し出されている。これが人にやさしいということである。



4.3 古民家の現代的役割

以上のようにみてくると、古民家が最初から種々要因を考慮した設計されていたという訳ではなく、現代建築と比較して初めてその良さがにじみ出てくるかのようである。では、現代建築がなぜ反面教師になっているのであろうか。

 詳細は略すが、個々の技術は個々の対象に限定されている。種々の対象が絡む場合に不都合が起これば個々に対症療法するだけの事であり、何の解決にも届かないこともままある。よって、今の技術がバランスを欠きながら複合化・肥大化していることを認識して、複合以前の段階まで時間を巻き戻したところからの検討が必要といえる。古民家はこうして現代に問題を突き付けているともいえるすぐれものなのである。

 そして(建築の)設計について一言。設計において機能の効率化は人間力を奪うことにもなり兼ねないので、機能と人間力とのバランスを考えたいものである。



◆すこしまとめる:古民家と生活の特徴

古民家の開放的な囲みと単純な空間構成が住まいの多様性と生活考を可能にし、自然と集落とのかかわりをも密にする。また生業の拠点としての躍動感も手伝って、自然のなかで健康的な育があり、愛情や感性など人間性が醸成されていくといえる。

現代建築の中での生活では、得てしてそうしたことを忘れがちである。



5.古民家の捉え方、市民と専門家

5.1 市民と専門家の違い

 専門家は、現代への活用のために古民家から学ぶとして古民家を捉えている。一方の市民は如何に。今回のアニメを鑑賞された方々は古民家ファンというよりも古民家舞台のドラマファンである。このため、彼らはドラマ世界の堪能として、舞台としての古民家の良さを堪能しているのであり、その根底には、前半述のように、現代の生活の対極として感覚的な(つくりあげた)世界がある。すなわち、市民は、古民家を含めた感覚世界が広がっており、専門家の世界とはまるで違う。



5.2 アニメの舞台としての古民家と風景

 細田監督は自然のもとで愛と育ちをテーマにして、このイメージをかなえる舞台を探しにスタッフと共に全国を回った。しかし、イメージにあう場所が見つからず、意気消沈して郷里富山にもどり、何気なしに山里に入ったところ、おさえきれないものを感じ、更に奥へ入って当該の古民家に対面したという。ちょうどその時、雨が降っていて、時雨模様の古民家とその周辺の風景がまさに監督の心をつかんだのであった。

 彼の建築観は何だったのであろうか。それは、人間ドラマの舞台そのものであったのであろう。また、アニメを通して、愛と育みが原風景のもとで奏でられるものといいたかったに違いない。だから、作品において、風景とイメージとがもののみごとにマッチングしていたのである。



5.3 古民家に寄せる思い

 ここに訪れた皆さんの思いを紹介したい。

(1)少し専門的な観点で

・垂木が二重のようになっているのは、雪の重みに耐えるためだろうか。先人達の知恵を知る。

・手入れしてあるから、そんなには傷んでない。この家の後ろにある家は築60年ほどというが人が住んでいないために、傷みが激しい。(周辺には雪の重みで崩壊した建物がいくつかある)

(2)アニメに魅せられて

・子どもが巣立ていく様は感激です。学生ですけれども、じんときます。

・子育てんときを思い出しました。(母親)

・映画館で泣きました。DVDでもです。(リピーターの男性スポーツマン)

(3)古民家の魅力

・何といっても古民家って風景とマッチするんですね。

・古民家はひきつけますね。魅せられますね。

・ハイカーの方は結構多いですね。

・匂いがいいですね。

・よくこの類の古民家は商売屋か博物館じゃないですか。どことなく、つっけんどんでよそ向きであり、人の気配を心底感じません。ここは(古民家は)生きてますね。

(4)訪問者

・県外から来る人の多くは里から(40分かけて)歩いてくるって。でも、県内の方の多くは車なんですね。

・建築の専門家はあまり語りもせずさっと帰っていかれた。

・皆さんと出会えて話ができ、うれしかった。

・ここに来られる方々は、ロマンチックな方々なんですね。

 (5)古民家での過ごし

・子どもにおおかみこどもの絵本を読んでいた母も子も涙を流し、まわりの皆さんももらい泣きされていました。

・古民家で日常をすごすことできませんね。

・家族の方が多いですね。

・子どもがお絵かきしたり、絵本を読んでもらったり、しまいに家の中を走り回ってにぎやかこのうえなし。

・訪問者同士で会話なんてびっくりですね。

・皆さんにとって古民家は自分の家のようですね。

・山も古民家も素晴らしい。でも人間はもっと素晴らしい。

・子どもたちが一般の方々とともに古民家を息づかせてくれています。





6.古民家、保存と活用

 以上のように古民家・木造校舎と風景について、我らの受け止め方や我らに与える影響を分析して、その効用の測り知れなさが再確認された。この節では、古民家等の維持・発展について、保存、活用、人間、参加型、をキーワードに検討してみることにする。

(1) なぜ保存か; これについては、古民家と原風景を堪能したいから、風景をなす古民家は絶対あってほしい。それに、上記論評のように古民家が現代へ警鐘

を鳴らし続けて欲しいし、古い建物の生命を奪う現代の理不尽さに抗議もしたいからである。



(2) 保存の実際: 当該古民家もアニメでヒットする前までは朽ち気味のものであったが、アニメ舞台として人の手が入った。ヒットしてからは、地元の方が常駐するようになり、古民家が来訪者と共に息遣いをするようになって蘇っていた。人とのかかわりが保存再生そのものである。



(3) 活用に際して; 動態保存の活用としては、(各地でみられる)観光地の商業施設の方向ではなく、古民家の現代へのメッセージが生き生き続けさせる方向が目指されている。しかも、そこにただずむという日常が自然と受け入れられ、(自販機一つも不要とし)現代を忘れるかのように原風景・古民家の舞台での人間ドラマが堪能できるようになっている。これが活用の実際であり、とにかく息づいていることが何よりも魅力であり、何かしらの力強さが感じられる。



(4) 不便さが訪れる方を選別; 古民家を訪れている方々は、古民家を守っている地元の方々と何かをしたいとの思いを持って全国および外国から集まってこられる方々であり、不心得の方はいない。理由は、当該地が不便だから、話題性だけで来訪することはほとんどありえないのである。このため、多くの心ある方々(都会の方も)は里から歩いて当該地一帯の雰囲気をじゃまされることなく堪能することができる。ここは、道路を拡幅しないことになっており、商売主義の入る余地は全くないという。我ら安堵している。



(5) 皆で参加型の活用; 当該地では、来訪の方々や地元の方々が互いに語りの輪をつくり、あたかも大家族のように共に空間を満喫し共に時を過ごしておられる。そして皆さんが家主となり(遠隔地)地元民となって、その思いが古民家再生にも自然と大きな力にかわり、全国ネットワークの充実や賦役活動への積極的参加に加えて、なによりも今後の種々問題に対する問題解決能力が醸成されている。

すなわち、保存再生には一般に「やれ資金が、やれ補助が」といったことを先行させることが多いなかで、当該地では問題解決能力を皆さんで高めていくといったことも大家族的コミユニケーションが結果的にそうさせているようにみえる。こうした点が他に類を見ないユニークなものであり、コミユニケーションのヒューマンネットワークそのものが保存活用なのである。



7.おわりに

今回のアニメにより保存再生問題を深く考える良い機会を得た。これまでは古民家を含めた木造建築について専門的な役割うんぬんを考えていただけに、原風景や古民家を鑑賞し堪能するという行為を通して謙虚にかつ熱く論議ができた。これは大きな成果であると思っている。以下に、結論を述べたい。

今の建築はバランスを欠きながら種々の技術を複合化した産物であるから、そのことによる弊害が随所にみられるようになってきた。そこで抜本的な対処として、現代の技術複合以前の状態にまでさかのぼっての検討が必要と考える。これが古民家を含めた木造建築の現代へのメッセージであり、これを可能にしたのは現代を反面教師として蘇った古民家を含む木造建築である。もちろん、そこには人間の愛があり育ちがある。今後に向けて大いに考えていきたいものである。



最後になりましたが、古民家の持ち主の山崎様、サポーターズの方々、新建築家技術者集団富山支部の方々、富山県建築士会青年部会の方にはお世話になりました。記して謝意を表します。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

プロフィール

essey7

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ