2014年09月

街づくりについての教育的議論、富山の街を題材に、エッセイ116

2014.09.30、街づくりについての教育的議論、富山の街を題材に、116

   2006.10.409.5.21記
1.      はじめに

 住まい・街づくりは、地域住民のより良い環境作りとして行われている。これを下支えする、住民の自立・自律を促すという観点で教育というか学習が行われている。実際には、両方がリンクさせたいところではあるが、教育は教育として別物となっていることが多い。

街づくりの歴史は1970年代にまでさかのぼり、70年代は公害等から如何に自分らの街を守るかという死活問題に端を発し、その後70年代後半からは文化財保全として街並み保全の問題に入り、その後、市民参加の街づくりを経て、今2000年代では住民との合意形成を如何にしていくかという活動の時代である。街づくりは、多くの研究者によりシステムや方法が研究され、一方、実践活動家は街に在住しながら実践している。これに加えて行政サイドでは、政策として、地域振興や観光資源開発としても実施に移してきている。

 ここでは、街づくりを体系的に論ずるということではなく、富山の地において、どのような街づくりがなされているのか、一個人の目から見た検討ということで論を起こすことにした。そして教育の視点で論議することにした。扱う事例は、以下の三点である。

1.           富山市都市景観条例策定のための基本構想立案に際して;行政主導、アイデアはコンサルが提供

2.           八尾町のまちづくりについて:行政・住民主導、アイデアは建築専門家が提供

3.           井波町のまちづくりについて:住民主導、アイデアは皆で

 

2.まちづくりのセオリー

一般論の論述は省略して、主体者と市民のかかわりを帰してみたい。

a.行政主導: 結果的には市民の声の反映や進め方について問題あり。富山の例からひとつのコミユニテイをかいまみる。

b.専門家集団:八尾がこの範疇であり、まちづくりが成功し、街が活性化した。しかし本質的問題の解決は難しい。技術的解決のみが目立つものといえる。それにもうひとつ、後発のケースがこの範疇に入る。後発で町並み保全ということが多い。先行する街を参考にしたもの、専門家の考えのみが先行してしまう。

c.市民先行:やはり専門家とタイアップ。しかし、専門家主導ではない。

 

3.教育的視点で

 人がどう町を粋に住まうか、人がどう町を愛していくか、住み着いていくか、といった日常でもあり、身近なことでもあることに、健全な生深夜感性が如何に育成していくかということが、次に必要なことと思っている。そうなると、人間的な関係ということになり、教育的視点は欠かせない。

 教育というと、何かものを教えようという強圧的な雰囲気が若干感じられる。街づくりでも、街づくり教育といったりするが、どうも私には性に合わない。むしろ、身の回りでお互いに学びあっていくにはどうすべきかということではなかろうか。これを教育というなら教育ということにしておこう。

<教育項目>

・街づくり教育

・建築そのものを教える系統

・一般の方に建築的要素を知ってもらい、楽しく街で暮らすように願う。

 

4.まちづくりの現状

 街並みを一生懸命やっておられる方には申し訳ないが、街並みというとファザードのことばかり関心をもってしまい、いいファザードはいい街づくりそのものという主客転倒のことをいう方が割合多い。びっくりである。なぜよい街づくりが先にこないのか、不思議である。確かに、街づくりのアプローチにはファザードもあるが、それは全体の一部分でしか過ぎない。こうしたところに、専門家の陥りやすい視野の狭さがあるというところであろうか。街づくりをしているから視野が広いのではなく、視点や観点が健全であって初めて可能なのである。

 

5.ものごとの良さの発見と育成はまず自分とその周りから

 自然鑑賞・名所旧跡訪問・文化財鑑賞など観光と言えば、直ぐに著名な所へ行きたがるが、本当にそのような選択でよいのか。観光地の過密化、逆にまた荒廃の危惧はこの安易さの結果ではないか。文化財保全とか自然保護というと、とかく、それは特定(観光地)のものだけを対象としがちである。また、対策も対症療法的な感が否めない。ものを守り育てるという観点を見失いがちなのはなぜか。本来守り育てるべき対象は、むしろ私たちの日常や周辺のものではないか。日常に目を向けて初めて、ものについての愛着が生まれるのではないか。

 愛着とは、やはり自分や自分の周りから育むものであり、物事の価値や素晴しさはその結果見えてくるのだろう。その意味で、郷土のよさの発見と育成は欠かせないことと思う。さらに付け加えれば、「人にやさしい、環境にやさしい」という「やさしさ」は「まず自分から、自分のまわりから」を原点にしなければならないと思う。

 

6.倫理について

 倫理教育を進めることに皆さん熱心であるが、それでももう倫理の構築の熱は冷めてきているのが心配である。(20069月の建築学会全国大会で倫理教育のシンポジウムがあったが、参加者は極めて少なく、関心の程度が低下したことを物語っていた。) 倫理教育のカリキュラムも大いに結構であるが、これまた自分と自分の周りから何とかすべきである。企業のコンプライアンスとかいっているが、まずは人が変わらないとシステムが変わるはずもない。ある大会で、えらい方が倫理教育うんぬんを語っていられたから、そのあとの懇親会のときに、「あのー、家庭ではいい親父ぶりですか」とつい聞いてしまった。もちろん相手は苦笑いであった。

 すぐにシステムに頼ろうとする雰囲気は本魔物にあらず、必ずシステムが機能しなくなるかザルシステムになるか、まあーそんなところであるとしか思えない。

 

7.建築的対応

 景観のファクターを造形物と空間としてとらえる。いくら「見てくれ」を大事にしても、それも適当な空間とその背景があって初めて成立するものである。なのに、今議論されているのは、都市のわじゃくさい密集空間はそのままにして、どうして景観が論ぜられるのだろうか。もちろんなかなか出来ないからである。

 まず都市の中で公共空間をもっと作るようにしたい。今の空間は個人空間におおいに頼っている。土地私有制の制限も当然、空間確保に大事である。そうなると、大都市中心を想定した容積率緩和をもっと見直してほしい.規制は必要なのである。事実、1968容積率の緩和を中小都市にしたものを中小都市に一律に広げたら、ごらんのように中小都市の構成が乱雑となってきた。 建築とそれがもたらす空間、そしてさらに公共空間、そこにボイドな空間をやはり景観論議の一方で推し進めてほしいものである。

 ここで、具体的に街づくりとしての仕事のスタイルをあげると;

  発注者に発注させるニーズ

  発注者がプラン策定。

  合意形成

  実施プラン策定と実施、市民側のフィードバックあり

といったプロセスとなるかと思う。

 合意形成ということは、そうした世論の熟成が必要であろうし、また発注者側の教育が必要である。

 ここで、景観についてふれておく。景観の構成の要素は何か。それは建物であり、道路であり、植生であり、公共空間であり、河川であり、田畑であり。それに加えて視界の構造として視覚、見え方、雰囲気、居心地などからなっている。何の事はない、われらの生活の営みそのものである。当然そこには経済活動があり、市場経済、土地の私有制、文化歴史の遺産、市民関与がある。

 

8.富山県では3つの件で参加

街づくりはいまや市民参加は当然のこと、いまや合意形成をもとめるところまで発展し、自治体においては市民憲章の制定や地域では住民協定の締結など、街づくりが充実してきている。多くの方々の献身的な活動が実りを結んできている。これにいたるハード面や関連するソフト面では並大抵の苦労があったことでしょう。

 私も最近、種々の街づくり運動に顔をだすようになり、推進する行政の方、有識者の方、地元住民の方と種々の場でお話しする機会が増えた。

彼らの言い分は;

   美しい町をつくる。それをハード面で達成。

          建築的にサポート、協定でサポート。

 町に付加価値を付与する;物語を作るなどのソフト面

   町の生活を充実。掃除をする。教育など。

街づくりの三つの柱は上記のものであり、異論のないところである。

 多くは、項目1を熱心にしている。項目2にいたっては、むりやりの面はあるが。大事なのは項目3であり、最近ようやくこのことが言われだしている。

 

 

9.富山市都市景観について

 景観条例策定のため。特に野外広告塔の規制をする。

 コンサルタントが知的ブレーンとなって、市民からアイデアを収集しながら、有識者からなる審議委員会を設けて、景観条例を制定した。とくに、看板の見え方が中心である。

 特別に街づくりではないためか、地域住民という集団はいない。しいて言えば、富山県民の集団がいるというべきである。

 

10.八尾町の街づくりについて

富山県南部の町

 江戸時代には、八尾町が越中と飛騨との交通の要所として栄えた町であり、町人が街を支えた街でもある。この街は不思議なことに平地ではなく高台を切り開いてできている。おそらく度重なる水害から身をまもるためのものであろう。とにかく、ひとつの尾根を町にしたような形状であり、町の軸線は尾根稜線となっている。従って、尾根筋と直行する方向には斜面隣、特に西側には井田川という河川があって斜面は急峻である。

 町は商いで繁栄しており、商人と農民の両方の文化として、そのことが豪華絢爛たる「曳山」「おわら節」となって文化財として受け継がれている。こうした文化を支える技術もまた八尾町ではぐくまれ、職人の町としての長い伝統を持っている。また、おまつりでは、町民がこれを支え、街とともに。賑わいと風情をかもし出している。

 町の美しさは、町全体の西側斜面の大規模な石垣、坂の町として石畳の通り、軒の深い町や特有の家並み、主通りのみならず小路も整備されている。しかしながら、今は、道の拡幅のため、軒がカットされ、軒の出の少ない屋根となっていて、何となく建物全体では不釣合いな感じがする。

 街づくりの経緯については:

具体的には、86年から八尾町地域住宅計画を策定、家づくりの手引書を作成。

行政による公 共空間の石張舗床、無電柱化石垣景観の保全や、八匠(地元の職人たちの集まりで98年に結成)による伝統工法を用いた家づくりが進められてきた。

98年には、建設省のHOPE計画により街並み再生事業推進。

行政・民間組織・地区住民が一体となって地区固有のまちなみ再生に取り組み

そこには、八尾の風土にあった家に住みたいという住民の思いが八尾の歴史や風土を育んできて、今まちづくりとして定着してきている。今は、新幹線開業に合わせて観光資源の良質化をめざして官学連携の委員会方式で取り組みが始まっている。

 

11.井波町の街づくりについて

 富山県南西部の山際域にある町

1390年本願寺系の寺、瑞泉寺が建立された、これより町ができたいわゆる門前町である。金沢の文化を受け塚たちで木彫が盛んであり、「進行と木彫り」の街として知られている。

瑞泉寺の表参道である八日町通りと、新町通りの町並みが有名である。これ以外のとおりには本通りがあったり、風情がある。

瑞泉寺債権で全国から職人を集めたのが契機として木彫は否み彫刻として知られ数々の伝統工芸品を生み出している。今では、300人余りの木彫家が町内に住んでいる。

  町は何回も大火に会っている。このため、道は拡幅され、それを前提に町が作られているので、町の密度は少し希薄である。これが道を挟んで両側のコミユニケーションを疎にしているように思える。

景観法が出来て全国初めての協定作成。でかっきてきなことである。街のかたがたが何とか、井波町の文化と伝統を守りたいとの一念で、街づくりがすすみ、景観条例が制定されたことを受けて富山県から行政からの手助けもあって、住民協定が締結された。八日町通りと新町通りである。

 街をきれいにしてからは住民の意識が変わった。外出するときにおめかしするようになったと。

 建築家の皆さんが見学にこられる。井波町を参考にして皆さんが各地に戻って街づくりして欲しい。

 

12.街づくりについて専門家と市民の声

(1) 建築家の声

着目点:軒や屋根に着目。 住民協定が出来た.八日町や新町とおりでは、協定により、町の風情を感じられるものとなっている。ちょっとのことで町の見え方はずいぶんと異なるものである。

指摘事項:軒の不ぞろい。 軒の出を改善。電線の埋設化。八尾の町なのにひだの様式があったりするので、とういつかんがくずれる。 

積算電力計やクーラー室外機は木のルーバーで覆う。

結論:美しくすることがよい街づくりという。

コメント:専門家は目的が先行してしまっていて、いい街づくりの結果が美しいまちをとりちがえるくらいである。専門家はそうした点で先行していくが、もしもし「(あなたの行く道は)こっちですよ」といってあげる方の存在また必要かと思う。

家の中を見せることが、訪れた方には一番いい。家の中と外がいったいで町の形成。

街づくりというとすぐに概観をいうがそうではない。そのことを地元民から聞けた。研究者に聞かせてあげたいくらい。

(2) 地元の職人

地元を良くすると言ったことは、考えていないほどあたりまえのこととなっている。

また地域の方からも頼りにされている。

職人の子供は職人を引き継いでいる。

八尾:棟梁が八尾人で、弟子は他地域から集めている。

井波;大きな工務店はない。

(3) 町の人の声

町の声といっても良くしゃべられる方の声しかきいていないが、そうした方々は地元の名士であり、皆さんの意見をよくは把握しておられたので、大変貴重であった。

着目点:

指摘事項:家の中まで見てほしい。家と街並みは連続していると。ただし、見せたくないうちが多いので、空き家ならいいでしょう。(八尾)

建築家に注文:そこにおいて地元の名士の方は訪れた人は自分のところへ帰っていい街を造って欲しいと(井波)。

街をどうしようかということは、地元の建築屋に聞く。相談も含めて。勿論、大工は地元の大工で。また大工もその使命に燃えている。どことなく彼には誇りが感じられた。

街を良くしたら、住民の意識が確かに変わった。

住民の女性は出かけるときにはお化粧をするようになった。

しかし、ここに至るまでどろどろしたものがあったという。

 八尾のいいところを外部の方はいってほしい(地元民が気づかないところを)

 いくつかの街づくりアイデアとして、次のことがあげらていた。

  ・案内板を増やす  ・ストーリーをつくる。

(4) 我ら野次馬

 我らの視点は、以下の二点である。

・生活の匂いを前提にして街づくりを。(井波、八尾)

・子供にひきつぐ教育的対応。

 

13.おわりに

自分が関心を持ち関わった街づくりについて、思いをこめて論述してみた。一口に街づくりと言っても、都市づくりや、伝統的家並み保存の街づくり、自分らの住まいの街づくりなど、滝に分かれており、それぞれの固有な特性を生かした街づくりをしていくことになるが、人づくりという基本理念は変わらない。日々尽力したいものである。

各地域の小さな活力を県全体でつなぎ、市民サイドから生涯学習の活性化を!、エッセイ115

2014.09.16 各地域の小さな活力を県全体でつなぎ、市民サイドから生涯学習の活性化を!、115


 あるところから生涯学習の新しいフレームにつて意見を述べる機会があったので、以下のことを申しのべた。
 

◆現状の生涯学習で物足りないことが四点ある。第一は受身の姿勢が蔓延していて積極姿勢が育たず。第二は学習が活力へと転化せず。第三は自己完結型という狭さにもいいが、生涯学習ならではの外に向かった社会性が認識されず。 もともと生涯学習は、効率優先社会に対し人間性復権を目指した自己教育(自己学習)と捉えることもでき、人間性追求の充実した社会作りという大事な使命をも持っていると思っている。こう考えると、生涯学習の視点から社会に対し滲み出るような心意気を念頭に置いて生涯学習そのもの自身が広がっていくべきであり、そこには多様的かつ市民的をつらぬき、自身内部で個々のグループや個人をつなげて(連携)、上(行政)からも下(市民)からも細く大きなネットワークを構成していくべきである。


◆少し大上段にかまえたが、具体的提言の形で話をすすめる。

1 仕事社会へのつながり:仕事社会では、人間性に関する教育は個人まかせである。仕事社会に生涯学習の心意気が染み出すには、地域の学習機会に加えて組織内にあるミニな学習サークルをも県全体でつなぐ。 

2 地域における学習として:町内会でもどんな集まりでもいいが、自分たちの住んでいるところでの学習機会を持っていることが多々あり、例えば街づくりや歴史のサークルなどが県内に散在している。これもつなぐ。

3 活力醸成:多様な集団が集まり、多様な方々が集まれば、自然と交流が活発になり活力が増して易く。


◆以上難しく延べたが要点はひとつ、県側の県民カレッジや自遊塾などの取り組みに加えて、県内にあるあちこちの学習サークルに光を当ててつながりを促進することが効果的な施策と考える。一度つながれば、生涯学習の多様性やいつでもどこでも誰でもの理念が生涯学習そのものを活性化させるものと思う。

ジェオパークについて、大地における人間の営みの再認識のために、エッセイ114

2014.09.01 ジェオパークについて、大地における人間の営みの再認識のために
、114

 

ジェオパークについて、大地における人間の営みの再認識のために

◆1.はじめに

 人間は大地と共にその歴史を刻んでいる。とりわけ、山については格別の思いを持っている。ここでは、そうした思いについて記してみることにした。

 そもそも、なぜそう思ったかというと、第一には、富山にある黒部立山がジェパークに認定されることで山を見直してみたくなったこと、第二には、森林愛好団体が森を子ども教育の場にして山を特別視していることにコメントをはさみたくなったことにある。

 

◆2.ジェオパーク 世界遺産になると保全が第一であり、そこに立脚した経済活動ができなくなるとして新たなシステムとして考え出されたのが、自然遺産としてのジェパーク構想である。富山における黒部立山ジェパークの構想のポイントは六項目あり、高低差4000m38億年の大地の歴史、ダイナミックな水循環、特有の生態系、地形により育まれた文化、住民主体の積極的活動である。 

私は、それらのうち、六番目の住民活動に着目をしている。推進側の方々によると、六番項目は文化や自然を体験し守り伝えることという。私は、それに加えて、「皆さんの居する」を入れたい。もともと、自然は人と一帯となっているもで、自然を守り育てることは当然のこと、それに加えて自然の中に居することが人間の感情・感性の育みとなって、風土の情緒性をかもし出していくのである。この点がいつもどこでも見逃されていることに憂いている。以下に、なぜ山と人が一体となっていかねばならないかを述べることにしたい。

 

◆3.山と人

山と人は一体 神話で海彦と山彦が登場しているが、これは生活の場が海と山という捉え方の示唆そのものである。

 最近、里山運動が盛んである。里山が人に数々の恵みをもたらし、子どもを里山で遊ばせ、日本人の自然観や意識構造が里山によって形成された、といった調子である。しかも、里山の概念が最近拡大し、奥山や海にまで及んでいるとも言う。果たして、里山がそんなに持ち上げなければならない対象なのであろうか。確かに、里山は人の手が入って自然を守り育てている。それ以外は、単に山なのであろうか。そうではない。生活圏はそんなに狭くはない。山全体が生活圏なのである。例え高い山に入らなくても、高い山も含めて有形無形に生活圏があるのである。

 

◆4.山そのものが原点

 富山湾の浜辺に立って陸側を望むと、山が里とつながった一大スペクタクルな大空間を間もあたりにする。これが山なのであり大地なのである。そこにせせこましく里山なんていう必要はないのである。人はそうした大空間において生活を営んでいるのである。

 人間の精神活動もまた、そうした営みの中で生まれるものである。直接に山とのふれあいの中で文化や、そうしたところで育む人の中での文化など挙げることが出来る。

 

◆5.現代社会に向けて

 山と人間が一体であることをしばしば忘れさせる現代であるだけに、いま自然を強調することはそうした現代におけるいびつな様相に対しての一極として対峙し、現代を変えていくことが必要となっている、いや責務といった方がいいかもしれない。

 一方、人間にとっては、大空間に居することをごく自然に当たり前のようにしていきたいものである。そこに居することにより、自然と人が一体となって人間を意識しなおし、大地を意識しなおして、これを誇りとしていくのである。

 また、他府県から当地に訪れた方は、少しでも居することにより、その良さを持ち帰り、各人の家の中、地域の中で少しでもスピリットをかもしだして堪能しておきたいものである。

 

◆6.楽しみ方、堪能の仕方(接し方、居する仕方)

 居する仕方について考えてみよう。居するとはまさにその場にいることであり、住居を構えて居することもあれば、数日間の滞在もあれば、数時間の滞在もある。ただし、忘れないで欲しいのは、滞在ではなく居することにある。

a. 長期・定住の居 富山にお住まいの方は、まさに居している訳であるから、堪能は十分といえるはずである。例え、毎日大空間を意識しなくとも、もうそこには大空間の空気を吸っているのであり、その空気のありがたみを忘れるだけの日常で堪能していると思えば十分である。その昔、越中人は成人(立山)登山をして一人前といわれていたように、人の精神構造にバックボーンを形成しているといえる。

b. 短期的あるいは一時的な居 とにかく富山に来るビジネスや登山や観光の方々のケースである。大地の上で空気は十分吸うことにもなるが、何といっても五感で堪能して頂きたいものであるから、私は歩くことを進めている。その昔、なぜ人々が自然と一体となって風土を造ってこれたのか、それは大地のかかわりが大きかったからである。農耕にしてもあるいは旅にしても。歩くことをまず勧めたい。

 では、どのくらいの滞在が必要であろうか。キャンプファイヤーに関する調査によれば、非日常をしっかりと体験できるのは一週間からという。三泊四日では効果は無しともいう。ましてや、日帰りなどは、といいたいが。それでも何か効果があるとすると、別に何を考えるべきであろうか。

c. 来訪者の帰りの思い 来訪者が現地に来てそれでおしまいではなく、何かを持って戻っていくはずである。思いでしかり、感動の事実しかり、各自の日常に残るものとしたいし、そうなるようにすべきである。

また、各自が自分の家や地域において富山の心意気をなんとか保持できるようにしたいし、その感覚で自分らの生活空間を見直し、そこに自信を持っていただきたいものである。富山に雰囲気がそのまま各地域にて再現や記憶として残ることも必要だが、もっと大事なことは富山の心意気が形を変えてその地域に根ざすことでもあり、その地域の魅力作りに貢献することでもある。

 持ち帰るものとしては、感動はいうにおよばないが、他には物の見方があると思う。遠景、中景、近景といった見方の他に、自然と人との一体、自然が大地として生活空間になっていることを、どんな形であれ、実感していくのではなかろうか。実際には生活において実感できなくても、その種の雰囲気を持ち帰るかと思う、もちろん、何も富山だけの風景のほかに、いくつ物風景が織り交ざってなさる業かもしれない。

d. 来訪者による空間のクロスオーバー 来訪者はもともと居住地の風土や歴史を背負っている。来訪者が来訪地に来るとは、彼の背負ったものと、等が位置の風土や歴史のクロスオーバーを織り成すことになる。すなわち、居住空間と居の空間との関連・結びつきが、他界に相互に作用しあうのである。これは、地域間の種々交流ということにもつながっていく。ただしそこには、連携や相互尊重があることはいうまでもない。よく地域連携という言葉があるが、連携の本質はクロスオーバーにあることをしっかりと理解したいものである。

 

◆7.大空間の捉え方

 冒頭に示したようにジェオパークの関係者は6項目を挙げていた。私はこの捉え方のほかに二つの観点を盛り込みたく思っている。すなわち、ひとつは、山と平地とのリンクである。いまひとつは日常性である。

a.ダイナミックに捉える:平地からの捉え方、頂からの捉え方

 立山連邦はどこからも見えるために、平野の各地域では立山にゆかりを持たせることになっており、この観点からの文化財や芸術作品も多い。最近では、各種の博物館が立山とのゆかりをもっと前面に押し出すべく各種の博物館を作り、名所旧跡の整備なども行ってきている。私はこのほかに、北国街道や大岩街道、立山街道などの街道をもっと整備して、立山大空間においては河川とともに、旧街道という交易路も大事にしたいと考える。

 そしてまた、山側からのアクションとしては、山頂に立つと山からのオーラを感じる雰囲気が満喫できるようにしたいものである。だからといって山頂に看板を立てるのではなく、そうしたことを平生から認識しているならば、例え何も人工物のない山頂に立っても、オーラーのある空間を堪能することが出来る。

 なお、上記のことは山が地域をつなぐといったことではなく、山と地域が一体となっていることを意味する。

 

b.日常性

 極当たり前に大空間に接するのである。これは何度もいうように居することである。山を見ながら見られながら、山に語りかけ語りかけられながら。我らはこの大空間を着用しているともいえ、大空間の中で粋にカッポしているともいえる。

 

◆8.おわりに

 チョット書くつもりがかなりの分量になった。言いたいことをここにまとめてみる。ジェオパークがどんな呼び方をされてもかまわないが、我らの生活圏が大地とともに設定することを認識できるまたとないチャンスと捉えることができる。これは現代の生活で困窮を深める閉塞感を元に戻す原動力となり、生活を大いに楽しみ堪能できることが期待できる。

 視点は、地域富山の一体、そして人との一体とするところにあり、そこに精神構造がつくられ、文化や芸術、もちろん科学技術もそこにあり、といえる。人がいるのだから当然である。

 県内住む方々にとっては、生活圏での堪能を誇りに変えて広く発信していきたいものである。また訪れる方にとっては、しばしの滞在としても、富山の生活空間を持ち帰って、自分の心に再現してもいいし、あるいは形を変えて自分らの生活空間改善に向けての肥やしにされてもいい。そうしたことで、相互尊重として、人と地域との全国的な広がりが期待出来ることになる。

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