2016年10月

地域づくりにおける生活圏と意識について、エッセイ148

2016.10.30 地域づくりにおける生活圏と意識について、148
1.はじめに 

(1)目的: 本稿では、居住者の視点で地域づくりは如何にあるべきかを考えるために、日常生活の生活圏をもとにした人の行動と意識に着目し検討することにした。具体的には、これまで調査しかかわってきた取り組み事例における生活圏の様相や意識のデータをもとに地域と人の一体化と意識について整理・考察する。ただし、本稿では村(イコール集落)に対して街という言葉を使っているが、街と村の構図はマクロ的には都市と田舎であったりもする。また、地域を街と村とすることもある。用語はかなり状況に応じて使用する。

(2)問題の所在:

・これまでの街づくりや村づくりといえば、街では商業の賑わいが、また村では村の資源による観光や特産品販売が主に取り組まれて、時には賑わいや風情がウリとなっている。しかしながら、それだけでいいのであろうか。いつも思うには、生業と居住は一体であるという視点、すなわち居住者の視点が今一つ欠けているように見える。そこであらたな方策をと考えたのが、観光や賑わいの前に居住者の生活を充実させる街づくりであり村づくりである。これには、やはり居住者の意識をもとに、地域づくりのポイントである人間関係づくりにも言及でき、しかもその上に種々の方策を上乗せしていくこともできよう。

・住まいづくりの一環に住宅政策のアプローチがある。これには都市計画の論理が上から降ってくるかのようであり、もともと当該地にいる居住者の視点が入りにくいばかりか、その後の展開も定められたガイドラインに従わざるを得ないようにも見え、生活の営みからの生活充実とは路線が異なっている。別途機会があればとしてここでは扱わない。

・なぜ意識を問題にしたのかの理由について、住民の意識改革が必要とか言われることが多いが、そうではなく生活圏に意識がどう根付いてきたのか、そこからどう意識を展開していくべきかが問われているからである。また、土地と人間が一体となっていることこそ居住そのものであり、意識化はそこから始まると考えている。

2.地域の現状、街や村の現状、都会や田舎の現状

(1)社会の様相:
 社会全体では周知のように格差社会、少子高齢化、都市人口集中、経済至上主義、効率化、人間関係の希薄化、孤立生活、(何事にも)かかわりを避ける生活、等があげられる。また、都会ではヒステリックかつ無力感が漂い、田舎では都会に右ならいの傾向が強まっている。

(2)都会と田舎の構成:
 生活のレベルで項目を挙げる。

・田舎ではもとより都会へ目が向きがち。物事の多くは都会から入ってくる。 

・余裕のなさ:多くの共稼ぎ家庭では余裕時間が少ない。折角の土日は自分の時間とする。

・便利さ:買物には一週に一回のまとめ買い。安さと品数の多さを求めて車利用で都市部に。

(3)市域の最近の様相:
 市域では、選択集中に基づくコンパクト化があちこちで着手されようとしている。これまでのコンパクト化で名を挙げた市域をみていると、コンパクト化による重要域だけの改善(市域再生)が目立っており、コンパクト化から外れた区域では人口減少・生活基盤崩壊により廃れが進行し始まろうとしている。

(4)田舎の最近の様相: 
  都市への労働力提供として田舎から若者が流出し、人口減少が止まらず、田舎では居住者の高齢化が進み根本的な危機を迎えていることは周知の事実である。

・生業や観光資源による業があれば、当該地が如何に人口減であっても観光客を介して都会とつながっているとして地域の存在理由を見出すこともある。これは田舎と都会との連携として、当該地生活圏が都会とのネットワーク的存在にあることを意味している。

(5)ヒューマンウエアの視点で: 地域づくりについては、居住の安定と生業の安定が求められている。これを実現するためには、賑わいが必要という考えとあくまでも居住の充実という考えとがある。一方、居住の観点から他地域からの移住定住や当該地域での若者定住の取り組みもある。実際には、両者あわせた形で人を呼び寄せ、産業を起こし、賑わいが図られている。

3 生活圏について

3.1 着目:
 各地域で人間味あふれるコミユニテイが形成されるとした多数の報告事例では、街・村があたかも見渡せるようなイメージの広がりにあり、地域における人的距離が短いことを伺い知ることができる。こうした様相で広がる地域は地域住民の生活圏そのものである。ならば生活圏における営みや街づくりに加えて意識についてもっと理屈を付与したい。

3.2 生活圏のイメージ:
 地域づくりはコミユニテイ形成そのもの。そこには、生業あり、人々の顔が見え、気配が感じられる。すなわち人間味のある環境ということであり、人と自然の調和が図られている。ではそれにはどうするのか。過密や膨大さを避けることで、程よい広さと濃さ(人口密度)が必要として、これらを生活圏の具備する条件としたい。

 しかし、生活圏といっても人の行動は目的によって範囲が様々であり、行動によって仕事圏、通学圏、買い物圏といったように圏がそれぞれ設定されよう。ここでは、日常圏として小学校区の範囲の圏を基準にして、きめ細かな地域活動としてはさらに小さな町内会圏として生活圏を設定し、以後単に圏と呼ぶことにする。

 また、設定した圏の外と内については、例えば買い物は時折圏外といったこともあり、これを圏内外の出入りとかアクセスということにする。

3.3 村や町の生活圏:
 圏は地域として街と村の区別なく設定となっている。とはいえ、街には社会資本の充実があり、村には自然が豊富にあることから、互いの圏を超えての交流があるので、両者を含めて大きな圏を階層構造としても設定できる。そんな階層圏では、圏の出入りやアクセスが頻繁になっていることで問題も浮上している。以下に記す。 

・人的交流、今は圏の結びつきが風化気味。学校単位の圏。

 ・グローバル化→過疎地では学校拠点方式が廃止の方向。

3.4 圏と意識:
 人は土地に根差して成長し、生活し、意識が育まれている。そんな人と土地とのやり取りの集積が土地と人とのアイデンテイテイとなっているものであり、地域意識といってもいいであろう。そして、人は地域民となって地域意識とかかわり、地域での営みの集積を歴史として背負っていくことになる。ここで、そうした様相を私はさりげなく圏や街の匂いと言いたい。これは人の生活感が圏や街に滲み出てくるといったイメージのものである。

3.5 圏が特にスパースな場合 未満集落:
 圏が存在するのかという特殊なケースもある。限界集落にもなっていない場合にはどうなるのか。集落は必ずしも集まることを前提とせずに、限界を通り越して衰退したとしても居住地には変わりはない。しかも、最近は自然農業をする方々が単独で山の中や人里離れて孤立住まいもある。よって、これらを未満集落と呼ぶことにする。

未満集落では、集落形態をとらず散在点在の孤立居住でも、当該集落を含む地域全体でつながる形態もある。そこでは、これまでのような集落内のつながりではなく、直接外部との時折のつながりがあればそれで十分ともいえる。また、インフラについてはライン(ライフライン)でなくパーソナルにすべきであろう。特に下水にはパーソナル化技術の開発を期待したい。

4.地域づくりに向けて

4.1 圏の機能:
 地域づくりとは、圏の整備とともに居住を充実させることである。圏における生活意識の充実には、人づくり、教育、居住の充実、魅力づくり等があり、それを可能にする人の多様性と圏内外の人の交流である。

4.2 人と意識、多様的な人間模様

圏における人間の多様さは日常的には目立たないが、地域づくりの際に顕著になる。

(1)突出する人間:
 街の活性化にはよく言われている「若者、ばか者、よそ者」が立役者である。もちろんそこには地元の人も入っている。圏を出入りする今の状況を見てみよう。

・よそ者の価値:地元の方に比してよそ者の方が良く見えていのは、よそからくるのでそれだけパワフルであることと地元民が事物に見慣れ不感症になっていることの現れである。

・地元の価値:日頃、地元だから見えない、大切にしないこともあり。とはいえ何といっても地域を変えていくのは地元民である。地元がよそ者のエスコートを受けて動くのではなく、お互い尊重しあってあくまでも一緒に動き、地域の良さを互いに協力して見つけ、そして使えるようにアイデアを練り上げていく。これにより、各種取り組みに幅ができ妙案が生まれる。

・トラブル:よそ者でも地元に住まないうえに非常に熱い人が良かれと思って地元民に押し付けもあり、決まってトラブルが生じる。

・ばか者、若者:見返り関係無しに思いを持って進むのがばか者である。エネルギッシュに進めるのはやはり若者である。特別ばかでなくても若者は次世代背負い活気づける。

・多くの地元民の意識:彼らがやってくれるなら、やってもらおうという意識がほとんどである。このため、推進側としては何とか地元民に行動しましょうと働きかけている。

(2)自分中心の意識:
 ビジネス化と押し付けの二点あげたい。

・とにかく活性化を目指して、金を落とすシステムを考えるといったビジネスライクの考えが若者の一部にはいる。これはもう、ばか者ではなく経済人の様相であり、一見、地元に受け入れられるが如くではあるが、トラブルとなる事が多い。

・地域づくりで住民を巻き込んでということが多い。巻き込むとはどういう意味か。そこには巻き込まれる側の人格はまるでない。そのようなことで地域全体を活性できるのか、考え違いの方々が少なからずいる。


(3)
にわか人の参画:
 最近、どこの自治体でも街づくりに関心ある若い方を全国から集め、当該地の合宿付きでアイデアを出していただくのである。行政は、彼らのアイデアのいくつかを施策にしようという。地元民には、彼らとの交流や討議もないばかりか、優秀アイデアも地元民が過去に提出すみのものである。地元民よりゲスト学生を優先ということは地元民無視そのものである。


4.3 圏における価値観:
 地域づくりでは地元民の積極的参加に向けて価値観の転換や認識の是正が求められている。その一方では、賑わいの無理強いにより地域が振り回されることが多い。価値観を変えるなら、地域での営みが充実するように変えていくものである。無理をして地域が疲弊しては何もならない。


4.4 圏における硬直化:
 まず田舎の方では、圏の狭さが硬直化として弊害となっていることから述べる。

・プライド喪失:田舎ではどうしても街に対してのコンプレックスがある。これが田舎対街の対等な関係を損ねてしまい、時として都市部に居を移し、就職先を地域ではなく都市部にすることも多い。根底には地域に対し、自分に対し、へりくだりがみられる。

・孤立居住:地域の絆の必要性を感じない若者が増えている。近所付き合いも希薄化。

・地域居住:移住者と既住者との間の亀裂やアパート居住者と一般居住者との間の亀裂。

・子どもと親:チャレンジ精神が育っていない。子どもの自主性をみとめない。

・価値観:自分中心。地域のつながりよりも職場等のつながりが優先。地域活動に参加せず。

・自己の意識:周りを気にしすぎ、自分から率先した考えを示さず、皆さんと同じ考えにあわせる。しかも何事にもあきらめるように強いられることもままあり。一般社会では、雲上の世界と下界があるといった構図がすりこまれ気味である。

・公共心:公共の概念は近代になってからのものであり、それまではどちらかというとコモンズの考えであった。これがマナーの次元になったときに一本芯がなくなった感がある。このためか、現実には公共を下支えすることは低調なようである。

4.5 人格尊重:
 硬直化の問題は、多分に、地域への愛着、プライド、人間性のものであり、もともとは圏が狭いことによる圏外との交流の少なさが原因かと思う。圏内での交流の密実さは圏外交流と共にあるべきことはいうまでもなく、こうしたとこから、まずは人を大事にするあたり前のことがあたりまえに定着するようにしたいものである。

4.6 人づくり:
 移住定住の取り組みにおけるキャッチは地域での良質な教育や良質な人間関係を謳っていることが多い。しかし、内情は人を育てようといった姿勢がないことがほとんどである。例えば進学に際し地元の高校ではなく市域の高校へ。少しでも大学受験に有利なように。教育は何たるかを今一度議論し、過度の競争の克服を日常生活の充実に求めたい。


4.7 人的かかわり 

(1)ふれあい:
 例を紹介する。
・佐賀ではフットパスの取り組みが盛んであり、来訪者が当該地域にて決められたパスを歩きながらの探訪であるので、地元民と来訪者のコミユニケーションが自然とわだかまりなく行われている。ルートが決められているので、来訪者と地元民とも互いに安心感が生じているという。

・田舎では、(都会からの来訪のように)遊んでいるよその子でも声をかけ、お菓子をふるまうこともしばしばある。

(2)多様な職種人の居住 

・圏に住む教師が多い場合、生徒や児童の親には安心感が生まれる。両者のコミユニケーションが地域のいたるところで日常的に図れる。

・自治体の職員が地元民であることが多いので、職員は地元民のニーズや心意気をよく理解している。地元民とのコミユニケーションも割合容易である。

・職員が(大方が)街内に住んでいるので、あたかも街の人が行政をつかさどり、街の人のために働いているという意識が職員側には根付いている。

4.8 圏の魅力化 
 地域に観光資源があれば人的資源もあり。観光だけでは移住定住はできないので勢い人的資源を重要視したいものである。これには、特に人格尊重が肝要であり、そこから教育が展開し、地域が整備されていくべきと考える。

5 おわりに 

 ここでは地域づくりに向けて、生活圏における居住の様相や意識について事例をもとに検討したところ;
・街づくり村づくりには、お互いの顔が見えるような圏であれば、居住の充実は図れ、人間性がいかんなく発揮されるはずである。
・圏内外の人間模様を意識の面から活力ある圏がイメージできた。  

・以上、圏における意識の議論の蓄積をもって今後に向けて資することができた。なお、体制、過密、経済、合意形成等の問題についてはいずれ扱いたい。


震災にみられる人災的側面を分析する、エッセイ147

2016.10.28 震災にみられる人災的側面を分析する、147

なぜ繰り返されるのか、専門家の倫理や素養を問う

1.はじめに

災害防止や災害軽減に向けて、これまで災害が起こるたびに施工不良、現場技術の未熟さ、設計不備、未耐震化、などの人為的な要因が災害を大きくしたことが指摘され続けている。にもかかわらず、20164月の熊本地震による甚大な被害をまえに(被災地にとって震災は初とはいえ)またしても上記指摘があり、問題は技術の枠を超え社会にも及び、種々の改善が進まないのは社会そのものにその温床があるのではともいわれるようになってきた。

 そこでここでは、人為的原因による災害拡大がなぜ続くのか、現況を整理し、根幹を洗い出し、改善について専門家による教育や啓発の次元から考えてみた。また、なぜ人為的側面が温存され続けているかを社会の問題として捉え、改善策にむけて市民啓発や世論づくりも併せて検討した。なお、扱う事象は主に木造家屋であり、事例も震災調査でみてきた範囲内のものである。また職人を現場人や現場技術者と区別して呼ぶこともありとした。

2.人為的原因による被害

地震による(建築物)被害で指摘されている人為的要因として次の三点(のみ)を扱う。ただし括弧内には究極の要因を記しておく。

(1)宅地地盤崩壊による被害(→専門の総合化不足の弊害): 建物本体には気を配るけれども地盤への配慮が十分でないために、地盤崩壊に追従して建物が損傷を受ける。

(2)ユーザーニーズに応え切れていない被害(→設計の配慮不足の弊害):大きな空間確保の際、安易に壁が間引かれ、壁の不均衡配置がまかり通る。しかも丁寧な構造的配慮があまりない。

(3)施工不良による被害(→現場軽視の弊害): 施工不良は配筋や接合など多岐にわたっている。ここで問題にしたいのは耐震的配慮が現場では理解されていないことである。例えば金物による筋交いと柱梁との接合の場合、単に金具を取り付ければOK、ではないはず。

3.被害の受け止め方とその周辺の様相

 被害の社会的様相として各界の受け止め(意識)について記す。

(1)専門家:(一部の)専門家の間には、今回の地震は特別だったといった諦めさえ見られるほどであり、仕方がないといった感が蔓延しているかのようである。

(2)市民:仕方がないといった諦めがなぜか先行する。自分だけが被害にあった訳ではない、といった妙なもの分かりが強いられているかのようである。

(3)社会:社会の様相も、取り立てて防災や減災に向けて何とかすべし、というよりも今後起こる南海地震・東南海の連動地震に対しての防災・減災が話題の中心になっていて、熊本震災の関心がやや薄れがちである。熊本災害はローカルな被害として押込められそうにある。

4.社会的要因

4.1 専門分化: 災害の防止・軽減には、理学や工学はいうに及ばず社会科学等を含めた広範囲な体系からの支援が必要であるが、各体系はそれぞれに細分化され、なかなか総合的な観点からの協働が難しい状況がある。建築においてさえも、構造と意匠が分かれており、構造でも、地盤と建造物とか、材料ごとの区分とかがある。とりわけ地盤と建築物の分離が災害をよりひどくしている要因にもなっていると思える。なお、こうした分化・専門化は、社会運営の効率化を図るためであったことはいうまでもない。

4.2 経済性: 建築行為を経済活動と捉えられているだけに、経済性がきめ細かな配慮の建築行為の遂行を妨げるかのように設計者や現場人の行動をも束縛している。例えば;

・設計では例えば大きな空間を確保する場合、これにみあう構造的配慮がコスト高を理由になされずじまいである。

・ローコストの価値観が浸透しているためか、敷地難で地盤が悪く建設用地にせざるを得ない場合でも基礎工事に十分な配慮がなされないことがほとんどである。また上屋の耐震化に際して、あまり費用がかからない場合でもそこにお金が投入されていないことが多い。

・ローコストのしわ寄せが施工監理しない設計者を容認し、また工法の刷新・簡素化とあいまって現場人(熟練者も)の意欲と尊厳を低下させている。

5.改善に向けて

上記三種の被害はいわば社会の産物であるので、三種を個々に扱うよりも社会全体からの対応として災害社会学の観点で、各界における問題を深堀し今一度検討したい。

5.1 専門家から:設計方法の開発はどちらかといえば部分部分を対象としがちに見えるので、防災設計といった総合的な視点での対応も考えていくべきかと。また設計の徹底として建築基準法の4号規定である木造構造は壁率検討だけでよいという項目の見直しも必要である。地盤については土木分野のみとするのではなく建築でももっと扱うべきである。

5.2 教育から:技術者の姿勢づくりについて倫理教育がその任にあたっている。しかし、倫理とは何かから始まり社会をも問う教育はほとんど行われていない。(後出)

5.3 実務から:住まい手へのきめ細かな配慮が欲しい。そのためには、作り手は作り手側同士の連携やタイアップを住まい手視点で図る。構造分野と意匠設計とが企画・計画段階からタッグを組むとか。たとえ意匠設計家が地盤・構造のことを分からずして設計する場合でも、設計当初から構造家とのタイアップで構造側の意見が十分反映させれば済むことである。

・構造家は設計に際しデイテールでの裁量権がないとはいえ、構造安全性をしっかりと確保していく責務がある。そして「現実よりコンピュータ」という考えの打破としても震災の視察・調査を通して現実から大いに学びたいものである。

5.4 現場から:現場を見ない設計家。設計監理のなおざり。現場を知らず避ける技術者。設計と現場は一体ということをもっと配慮すべきである。これは設計側の多忙さや不勉強によるものといわれている。

5.6 行政から:建築系団体や行政側の要人・若手との冗談めいた話では「世の中はそのようなもの」、「金具を使っているからまだまし」、「現場の実態を口に出すことも、改善に向けての動きもしないしできない」と。行政には本来業務として「規準を作った以上、それを守らせる努力をすべき。守れない規準が多い場合、規準の見直しを行うべき」を期待したい。

5.7 社会倫理から: 市民啓発や専門家教育においては、教える側の姿勢が問題であり、学んだことと現実が違うという妙な割り切りがある。問題の本質は、(システムや人を含めた)専門家のあり方にあり、それこそ倫理にかかわるものといえる。

5.8 経済性から: 4.2に述べたように専門分化と合理化がローコスト風潮を支えている。専門分化が建築行為に際しきめ細かな配慮を失わせることにつながりやすく、また合理化は現場軽視を生み出す源となっている。


5.9
 構想: 世の中の風潮をまず改めたい。それには健全な世の中の雰囲気(世論)を作りから始めたい。なお、教育(倫理も含む)、啓発、住民意識の三点に絞り節6-8に議論する。

(1)防災・減災の取り組み:防災・減災に向けて、市民、専門家、行政の総ぐるみで実施されるべき取り組みを以下に列挙する。

・市民側:家具の転倒防止、他

・行政側:耐震化工事推進、被害想定、避難路確保、等

・専門家:現場技術、設計、教育・研究、建築行為の際に市民へ啓発。耐震化配慮の理解

・他:マスコミによる災害報道、等


(2)
世論作り:市民啓発を通して市民良識の醸成があり、世論づくり・世の中づくりがある。そこには、専門家による良質で真の知識が必要であり、専門家の姿勢が市民視点であることである。世間に情報公開や方向性づくりはもちろんのこと、これがパワーとなっていく。これをもって、世論作りは専門家や市民とともに充実かつ定着へと進むといえる。なお、教育から啓発へのプロセスについて、以下に流れを示す。

     技術教育 →技術世論 → a.市民の啓発 →自ら主体者に

             :・・ → b.行政の啓発 →市民サービスへ 

6.教育

6.1 技術者教育

(1)学びのスタンス: 今までの専門化推進の結果、設計と施工の分離、意匠と構造の分離、建築と地盤の分離の世の中、連携・総合化を市民視点から展開すべきと思っている。

(2)設計:現場とリンクする設計であるべき。構造をも念頭に置いた(意匠)設計であるべき。


(3)
構造教育:・構造分野で検討すべきことが多いなら、これに対応して教科内容を増やすか、各内容に精通するもの同士でタイアップを図るかのいずれかである。

・多くの専門家では地盤の知識が少ない。教育からして(選択科目ゆえ)それを助長。地盤はN値程度の知識ではなく、斜面すべりの知識も必要である。

(4)技術倫理:今の倫理教育は「何をしてはいけません」など分かり切ったことを教えているという「やらないよりやった方がまし」の段階と思う。最近、学術の世界では倫理は価値観まで入り込んで経済の問題をも取り込んでいくべしという声が出始めている。これまでは経済性を前提としての倫理が叫ばれ、しかも学術の中立を重要問題から一線を画すことに終始していた段階からは大きな進歩である。この勢いで実のある教育をすべきである。

6.2 現場教育: 設計と施工の橋渡しは設計者と現場人。この観点からの教育が必要である。現場技術者と職人との仕事上のコミユニケーションは言うに及ばず、である。


6.3
 職人対応: 職人に対してどうするのか。一つには教育が必要とか、他には工法の刷新・簡素化(作業単純化・無思考化)といった意見がある。私は第三の意見として職人仕事の適正な評価と職人の人格尊重が必要と考える。職人教育は関連機関で実施されているものの職人は技術者にあらずとして低い地位に押しやられている。人格を認めるところから始まれば種々の展開が可能と考える。


7.
啓発

7.1 啓発: 啓発は市民にことの本質を分かりやすく解説し、市民の良識の磨き上げを支援することにあり、市民側と啓発側との切磋琢磨の努力をもって市民良識の自主行動が世論形成や世直しへとつながっていく。ここに、具体的な項目について述べる。

・市民にとっては、震災を対象とした啓発の目的は、災害から自らを守るとして耐震の概要を知り、効果的な対策を理解し実施することにある。(建築の構造に対する理解不足解消)

・啓発側にとっては、誰がどのように実施するかといえば、専門家による市民向け図書や専門家(学協会)による市民向け講座やマスコミによる解説報道などがある。また、新築増改築の際には専門家による建築主(市民)との直接コミユニケーションもある。


7.2
 マスコミ震災報道:

(1)マスコミの災害報道そのものが市民にとって災害の詳細を伝達している。これにはニュースと解説報道がある。いずれの場合もアウトラインおよび詳細の作成には専門家がかかわるだけに、専門家の役割は貫徹させたいものである。現状は専門家からのインフォメ提供に終わりがちであるので、今後は責務が果されるべきである。すなわち、専門家は、報道目的そのものの妥当性や細部にわたる検証を行うとともに、災害の人災的側面について責任の明確化を含め住民視点の姿勢を堅持し事に当たるべきである。もう一言、御用専門家を皆無にしたい。


(2)
啓発内容の例:防災や減災に向けての耐震化推進の内容であれば、a.当該地における将来の到来地震、b.行政の耐震化にむけた施策・施策推進、c.具体的耐震化工事、家庭内の家具転倒防止などの耐震化、の項目で概ね構成されている。余談だが、某TV番組で耐震化工事の施工現場にカメラが入り、TV関係者や指導の専門家の趣旨とは別に、目に余る施工のずさんさや「専門家の目の節穴や施工業者のレベルの低さ」が図らずも映し出されていた。


8.住民意識

8.1 社会全体の風潮: 災害では市民にとっては見てわからないような複雑さがあるためか、分業化のせいか、住民を含め社会全体が観察力の低下や思考力の低下をもたらしているかのようである。そんな状況下では、世の中、経済活動を持続させることが急務といった論理がある。これより、現場を正すよりも現場が回ればいいという風潮が定着してしまった。しかも、通常は事態の改善には事件や事故の発生をきっかけに事態の改善が進むが、震災のように広範囲に崩壊が起こればかえって責任の所在が不明確になり、原因究明がおろそかにされてしまいがちである。改善は地道な世論作りからも始めたい。


8.2
 被災地において: 住民には質の高い情報提供が緊急に必要である。これがなければ被災地外の建設業者が地震後すぐに現地で営業し、住民は何もしない行政や専門家よりも彼らに感謝してしまい、間違った専門家の指示を受け入れることもしばしばである。私たちは、(中越や能登半島沖地震の時に)現地に訪れたときには、先行している誤った情報をいちいち検証し、間違いを正したものである。


9.おわりに: 
何が防災・減災の動きを鈍らせているのか。災害の人為的側面に着目して、現状を洗い出し検討を加え、改めて以下のことを思う次第である。

・分業化で事象を総合的に見ることが少ないことや、現場で諸物を正すことよりも現場が回転することをよしとする風潮が強いことが人為的原因による災害を繰り返させている。

・人為的側面の主な要因は施工不良。その要因は現場軽視にあり。専門家(熟練者含む)が正しく評価されるようにすべきである。 
・改善として発言できる方々がそれぞれの持ち場からどしどし発言し、教育(倫理含む)や啓発をもとに健全な世論づくりも進めるべきである。

なお本稿では扱った問題は極一部であり、また一部の建築の方々の姿勢を問題にした。善良な方々の一層の奮起に期待したい。その思いで一歩離れた所からの展望とした。


プロフィール

essey7

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ