2017.02.09 動物愛護を人間世界の生命尊重として考える、154

 動物愛護に関して、ここでは根本に立ち返って、動物と人間との関わりそのものの健全化を念頭におき、人間世界の生命尊重について言及したい。

 まずは基本理念から。人間は、生命体であるがゆえに生命には日常意識しなくても、尊厳として常に思っていることである。これが、他の生命の尊重ともなり、精神的にも影響を及ぼしあうものと考えられている。

 

 ところが、最近、この感覚が怪しくなることがまま起きている。かわいさやものめずらしさで愛玩動物を飼育していても、そのうち飽きがきたり手に負えなくなったりすると、いとも簡単に動物との関係を絶つのである。これは、人間の身勝手そのものが問題であることを意味し、人間世界の問題として改善が図られるべしと考える。

 

 まず、自然界では人間は謙虚になるべきかと思う。人間が自然界の頂点に立っていたものがいつの日にか莫大なエネルギーを手にし、自然改変の技術などの文明を持った。そんな時代に入ってからは、自然界のシステムを超越してしまい、その意味では自然界の生命にはうとくなり、動物が食物や愛玩の対象となってしまったとみている。

 また、地球は人間だけの独占物ではないことは自明であるだけに、人間をどう自然の摂理の世界に引き戻すのかが問われている。これには、人間の自制やバランスが必要とはいっても、具体的な行動が日常に伴わない限り、立ち行かないとみている。

 

 ではその行動とは。身近に生命を感じ、身近に人の尊厳や人格を感じとることで、動物が人間の日常生活に入り込むことが肝要といえる。しかし、実際には動物愛護の基本を言及するよりも、事態は身勝手さをどう取り繕い人間を満足させていくべきという方向に流れている。そのさいたるものが、最近浮上してきた人工物での代用という愛玩ロボットの存在である。福祉の分野では効果が上がっている。だからといって健常者家庭や地域でも右ならえの強要は困るのであり、人間の身勝手さを後押しする流れに対して、もっともっと生命を感じ取る世界の充実を本来的意義として文化を創っていくべきかと思う。そしてまた、そんな姿勢で日常生活を送ることこそ、一番と考える。特別なシステム構築は要らないのである。

 

 以上、動物愛護として、日常を充実させる行為をごく普通に楽しみ大切にしていきたいものである。