若者

若者へのメッセージ(0)、メッセージは日常から、エッセイ59

2014.04.22 若者へのメッセージ(0)、メッセージは日常から、エッセイ59

 学生には、教室のみならず、街の中やいきつけの食堂などでも、勉学に関する討議を楽しむとともに、さりげなく発破をかけ元気付けている。それは、もちろんケースバイケースであり、その人にあったものとなることもあれば、全員に共通するものもあり、さまざまな様相を呈したコミユニケーションでもある。
 こうした場でのコミユニケーションをもっと多くの方に聞いていただきたいと思っていたところ、2000年度より学生用のミニコミ紙に年2回のペースで執筆することになった。これは学生全員に発破をかける良いチャンスととらえて、執筆にいそしみ、若者へのメッセージを公式にかつ定期的に発信し続けてきた。メッセージの内容については、枠外思考の実践、感性の研ぎ澄まし、など多岐にわたったものである。
 
以下に、私からの若者へのメッセージとして、No.1からNo.6までを記すことにした。内容は、教育のことから始まって、感性や風土自然までも扱うことにした。(2014年3月25日から30日まで掲載)
 No.1 夏休みは有意義に No.2 専門家を目指して学ぶ
 No.3 勉学の姿勢    No.4 ものづくり
 No.5 文化と郷土    No.6 スポーツと食
 

若者へのメッセージ(6)、スポーツと食、エッセイ57

2014.03.26  若者へのメッセージ(6)、スポーツと食、57
若者へのメッセージをいくつか送りたい。第六回目は「スポーツと食」と題して建築の話を一般向けに2本をおくる。かなり以前に書いたものであるが、内容は今も変わっておらず、面白いはず。
10年7月: 「 今だからこそ、もっとスポーツを」
07年7月: 「食 とコミユニケーション、大いに楽しみましょう」

「皆さん、今だからこそもっとスポーツを!!」
 学生の皆さん、もっとスポーツを楽しみましょう。でもそのまえに、皆さん「なぜスポーツですか」と聞かれたら何と答えますか。「スポーツ観戦ならまだいいけど、スポーツするのはダヤイし面倒」とか、「体力造りや健康づくりに当然」とか「楽しいから、面白いから」といった思いなどが様々にあるかと思います。続いて、私は「なぜ面白い」かを問いたくなります。「やってれば面白いのです」といわれそうですが、その面白さは何に起因するのでしょう。スポーツの特質に触れてみたくなりました。

 まずスポーツとは、少し気取って、ルールの上で相手との体を動かし競い合うことによるコミユニケーションといったところでしょう。となりますと、特質は、コミユニケーションという社会性にあるかと思います。例えば子供遊びでもルールが少しずつ入ってきて子供が楽しみながら社会性を身につけるといいます。こうしたことが積み重なって大人になり、家族や地域のコミユニテイが育まれていくものだといいます。社会性あっての楽しみ、あるいはその逆があるのです。スポーツは人間づくりといわれる由縁でもあります。

 ちょっと理屈ぽくなりすぎましたので、ソフトな事例として私が年に数回市民マラソン大会に参加したときの様相について紹介します。
 一つには、中学生が「何でうい目にあって走っているのか」といいながらも一生懸命走っておりました。中学生くらいまでなら、「なぜ(走るのか)」を思いつつも頑張るものですが、大人になると「なぜ」に納得する答えがないと頑張らないものです。これが、皆様の一部の方が持つダヤイの正体です。皆さん、「なぜ」についてかっこいい答えを見出しましょう。
 二つには、沿道の方々が惜しみない声援を送っておられました。市民ランナーはもちろんただの(無名)ランナーです。住民の方々は沿道にたち、頑張っている人には自然と声援を送りたくなるのでしょう。また市民ランナーの方も声援に後押しされて頑張ってました。このような様相は本当にホットな地域社会のありようを映し出しています。

皆さん、頑張ることはすばらしいこと、スポーツで頑張ってみましょう。

「食とコミユニケーション、大いに楽しみましょう」 
 私があるグルメ番組に素人コメンテーターとして出演したとき、「なぜ人は食してコミユニケーションするのでしょうか」と尋ねられ、「なぜかしらねえ」 と相手に同調しながら「コミユニケーションと食」について語ったことがあります。

 もともと、問いかけのきっかけは「食とコミユニケーションが今まさに歪な状態にある」というところにありました。確かに、食については食の安全性の問題、 飽食の問題、飢餓の問題などいうならば食生活の貧困化・不均衡があり、またコミユニケーションについてはシステム的な人間社会に内含するコミユニケーショ ン不足が取りざたされています。「歪な状態」とはまさにそれであるということができます。

 では、なぜそのような歪さが今日的に取りざたされているのでしょうか。まずは、食とコミユニケーションの根源から考えてみます。動物学によれば、我ら人類 の祖先が集団で狩をするときに声で合図したのがコミユニケーションの始まりであり、また食とコミユニケーションのリンクについては、獲物を分け合い、動物 のようにうめき声をあげながら食していたことが起源であるといいます。そうした本能的なものが理性にとりこまれ、人間独自のコミユニケーションとなり、コ ミユニケーションはまさに生活の文化的な営みの源となったといえるでしょう。

  次に、そうした根源が現代文明社会にどう埋没しているのでしょうか。ここで、我らの日常生活に視点を移し、食とコミユニケーションについて身近な事例をい くつか挙げて考えてみることにします。

(1)家庭における孤食;家庭では(小さな)子供が家族と一緒に食事をとることが少なくなっており、家族構成そのものがゆらぎかけています。また、「暖かな団 欒」の暖かさはいつのまにか温度そのものを意味し、「暖かい食事ならならレンジでチンする」と。(あれ、れ、れ。子供のみならず大人の孤食も本当は問題で すよね。)

(2)人間関係の輪の狭まり;(どの職場でも似た話があると思いますが)職場全体で忘年会や歓送迎会以外の食とコミユニケーションはなかなか成り立たちにくいと いいます。理由は、「昼にあの顔を見て(上司のことのようだ)、夜に何であの顔を見て食するのか、食がまずくなる」というのだそうです。何事にも気の合っ た者どうしでとのことなのでしょう。老若男女、おおらかな交流はどこへやら。

(3) コミユニケーションの重要さを教育;ある学校のゼミにて会食会が企画されたおり(どこでもありそうな)次の会話がありました。学生が「金がないから欠席し ます」。(コミユニケーションを大切にする)教員は「ばかもん、借金してでも出て来い」と。若者気質の一断面なのでしょうか。

(4)苦労をともにすれば楽しいコミユニケーション;本学では、毎年、卒業生が卒業パーテイを企画し、先生方を招待して学生時代最後の瞬間をコミユニケー ションにより大いに楽しんでいます。そこでは、卒業制作の苦労話や学生同士切磋琢磨の話などで、夜のふけ行くのを忘れるかのようです。いい話でしょう。

(5)粗末なものでも美味しい;山のぼり。山頂でお昼になり、インスタントラーメンを食べることもしばしばでありますが、これがまた格別においしく話もは ずみます。いい話ですよね。

  ちょっと書きすぎたかもしれませんが、項目(1)-(3)の例を挙げるまでもなく、日常生活における食とコミユニケーションには確かに危うさが感じられま す。しかし、そうしたなかでも例えば項目(4)、(5)のように、我らは結構自然体で楽しんでもおります。ただそうした楽しみを味わうことが日常において 難しくなっているといえます。日常の社会システムそのものが、何か人間味のある楽しみをもしかすると奪っているのではないでしょうか。我らは、そうした日 常においても自然体で本能を呼び戻し、自然体で味わい楽しむことにしたいものです。コミユニケーションとは、相手とともに(食を介し)五感を総動員した体 全体の行為そのもの。大いに味わい楽しみましょう。

若者へのメッセージ(3)、勉学の姿勢、エッセイ54

2014.03.23  若者へのメッセージ(3)、勉学の姿勢、54
若者へのメッセージをいくつか送りたい。第三回目は「勉学の姿勢」と題して3本をおくる。かなり以前に書いたものであるが、内容は今も変わっておらず、面白いはず。
08年7月: 「勉強にも人との出会いが不可欠!!」 
07年5月: 「勉学にむかう姿勢について、学生とのディスカッションより」
05年7月: 「スケッチをはじめませんか」  

勉強にも人との出会いが不可欠!!」      
   皆さんは、専門を通して社会の営みに参画するために専門の勉強に頑張っておられますが、その勉強の過程の中でいくら知識を修得しても知識の社会的活用がなければ無意味であることを痛切に感じていることでしょう。その意味で皆さんは「専門教育を通じての人間教育」の勉強が真の勉強であることを大なり小なり自覚されています。

  ではそんな自覚のもとで、勉強をどのように進めていくのでしょうか。ちょっと理屈っぽくなりますが、勉強の社会性ということになれば、人とのかかわりは避けて通れません。そんな中での勉強となれば、人との出会いのもとで勉強がより一層意味を持つことになり、学校はもちろんのこと皆さんの周りの社会がまさにそのスペースとなります。そこでは、人とのつながりが勉強であるということが思い当るかと思います。

  ここで、人との出会いを私の趣味を例にしてみていきましょう。私は囲碁が好きでよくたしなんでいます(五目並べとおもって気楽に読み進んでください)。(どんなものでもそうでしょうが)囲碁というものは習いたてのときも面白く、また上達するにつれて面白さが増していくものです。しかし、ただ闇雲に毎日たしなんでいても上達するものではありません。

   上達の秘訣には3つの条件があります。すなわち、勉強における人との出会いには次の三つがあります。
     (1)良き師にめぐりあうこと、
      (2)良きライバルにめぐりあうこと、
    (3)良き本にめぐりあうこと。

    囲碁で良い手筋(よい手)は、自分だけで単に時間をかけて考えていたのでは思い付きません。そんなとき、良き師のもとでよい手筋を見たり聞いたりすることが必要となります。よい手筋を熟知すれば、さらによい手筋を追究していきたくなります。

   また良いライバルがいれば、互いに励みになります。そういえば、中学校や高校のとき100メートル競争でみんなと競い合って走っていたことを思い出してください。一人で黙々と走るのも結構ですが、競い合いは活力になっていきます。

    では、良い本とはどんなことでしょう。客観的な分析として役立てる情報データベースの活用といった即物的な効用はもちろんありますが、それよりも著者の生き様との出会いがあります。本を通して先人たちの人生観や哲学観などをメッセージとしてしっかりと受け取ることになります。

    以上の話はなにも囲碁の世界だけに限らず、どんな世界でも同じです。要は、前へ進むというパッション(情熱)をもって、よき出会いをものにしてくださいということです。めぐりあいは、求めてはじめて意味のあるものであり、すれちがいではありません。野球でいうと好球必打であり、好球の見逃しではありません。良い出会いをしっかりとものにしていってください。皆さん、この夏にも良い出会いを!!

「勉学にむかう姿勢について---学生とのディスカッションより」 
  皆さんは、新学期に入り教師からはハッパをかけられながら当然自ら勉学に励んでおられることと思います。そんな時期だからこそ(実は毎年)勉学にむかう姿 勢について皆さんから多くの質問を受けます。
  
  まず第一は、「A先生は本をどしどし読め、B先生は本をむやみに読むなというように、先生方によって言っていることが違っている。混乱することはなはだし い」という質問です。そんな時、私は「精読と乱読の違いであり、両方のスタイルは必要」といっております。いろいろな本に出会いを求め、そこからいろいろ と吸収していただきたいものです。

  続いて第二は、上記と似たような内容で「学校で沢山のことを学べという方がおられれば、学校で教わっているようではだめという方もおられる。どう対応すれ ばいいのでしょう」という質問です。特にパイオニアワークをなされる方が後者のコメントを若者に発しておられます。今の若者にはなかなか真意が伝わらず誤 解することもあるので、「学ぶとは一体何なのか」少し考えることにしましょう。

  パイオニアワーク(創作活動)とは何か。これまでの体系に創造的に積み上げていくものといっていいでしよう。そのためにはまず体系に(言ってみれば)よじ のぼらなくてはなりません。これは習うということです。学ぶとは真似ることからはじまり、それが習うこととなり、学ぶことへと変わっていきます。

  では、教 わらないとは何なのか。これは真似ることをはなれて、自分の考えや個性を出しましょうということに他なりません。でも勘違いしないでいただきたいのは個 性や創造性は、普段の学びに基づいているものです。では、「学び始めの際になぜややこしいことをコメントする方がおられるのか、混乱する」という学生もお ります。実は、読書の場合と同様、バランスです。何のために学ぶのか、創造的活動のために真似ることと個性・創造性を発揮することを、学び始めの段階を含 めてどんな時点でもミックスさせていきましょうということです。

  第三には、「我らはなぜ教師から教わるのですか。教師も本を読んで勉強しているのなら、自分は手っ取り早く直接本を読むということはどうなのでしょうか」 という質問です。まずは「なるほどね」といいながら、「実はね、教師は、本の内容を伝えているのではなく、本を道具として、教師の人間性を介して皆さんと 教育コミユニケーションしているのです。さらにいえば教師の生き様を見せているのです」と。

  ここまでくると学生諸君は結構納得しますが、それでも「いまなぜそんなことを言うのですか」、すかさず「それは、皆さんが今フレッシュに学んでいるときだ からこそ言いたかったからです」と、ディスカッションラリーは続きます。

  とにかく、皆さん、春というすがすがしい季節だからこそ、こうした勉学にむかう姿勢の話がスパイスとなるはずです。そんな季節に、専門を修得し、人間性を 養い、センスを磨きましょう。皆さんにとっては、乾いた砂に水がしみこむかのように旺盛な探究心や勉学心がますます光り輝くことでしょう。がんばってくだ さい。

「スケッチをはじめません か」

 皆さん、これから夏休みを迎え ようとしております。勉学に励むのも良し、旅行に出かけるのも良し、仕事に打ち込むのも良し。とにかく充実した夏休みを過ごしてください。そんな皆さんの 夏休みに、私はスケッチすることをおすすめします。

  デザイン系の学生なら当然でしょうが、多くの学生にとってみれば、子供の場合ならいざ知らず「今またな ぜ」と思われることでしょう。私は、何も丁寧にうまく描いてといっているわけではありません。この世の中、感動することは多々あるかとは思いますが、その 感動を「ほんまもん」にすることをどのくらい真剣に考えていることでしょうか。割合、好球を見逃していることがあるのではないでしょうか。そうでなくて も、今は情報過多の時代であり、感性や人間性が問われ続けております。そうしたときに、感動のひとつの表現として、紙に自分の想いを描くというスケッチを するのです。それは、もしかすると、丸や三角形や何やらの抽象的構成となるかもしれませんし、自己流に描く風景かもしれません。そうした想いがじっくり時 間をかけ、手を動かすことによって醸成される感性となるものです。描くことで手を動かし、その手から頭のほうに感動が伝わってくるのです(本来は頭から手 へ)。でも目で見れば十分という人がいるかもしれません。目でみればたちどころに頭の中に光景が入り込むことも事実です。そんなときは、ただ漠然としてみ るだけのことが多く、メリハリのない光景になり、最終的には見飽きてしまうといったことになることでしょう。その点、スケッチでは描きながらのことですの で、自然とメリハリをつけてみていることになります。また、時間をかけて描くことにより、感動の雰囲気が体にしみ込んでもきます。

  私はそんな体験を皆さん にしていただきたいから、スケッチをすすめるのです。スケッチはカメラやビデオにとって代わられるものではありません。この夏休みに一度トライしてみま しょう。ものの見方が変わることでしょう。もちろん、自己流でも何でもありです。なお、スケッチの好きな方はどしどしやってください。

若者へのメッセージ(1)、夏休みは有意義に、エッセイ52

2014.03.21 若者へのメッセージ(1)、夏休みは有意義に、52
 若者へのメッセージをいくつか送りたい。第一回目は「夏休みを有意義に過ごしましょう」と題して4本をおくる。かなり以前に書いたものであるが、内容は今も変わっておらず、面白いはず。
03年7月記; 「この夏、身近なところからすばらしいさを見つけ楽しみましょう!!」
02年7月記; 「皆さん、この夏休みは全力でフィーバーを!!」  
01年7月記; 「たっぷり時 間をかけて情念の蓄積を!~夏休みを有意義に過ごしましょう」  
00年7月記; 「 ”夏休み”、大きく飛躍するために! 」

◆<1>「この夏、身近なところからすばらしさを見つけ楽しみましょう!!」
 いよいよ夏休みです。意味あるすばらしい体験を積み重ねて楽しんでいただければと思います。いろいろ なことにチャレンジし行動し、皆さんなりにすばらしさを発見してください。すばらしいことは身近に沢山あります。私は山について面白く楽しんでいます。紹 介します。

  『事の起こりは数年前の夏。富山の活発な 建築系団体の方が「全国の活動的建築家多数を富山に招いて勉強会を開催し、アトラクションで立山高原道路の排ガスによるブナ林を見学したいが」としてコメ ントを求められた。すかさず持論をぶった。「排ガス公害を専門にしている研究者ならいざ知らず、せっかく富山にこられるなら立山のすばらしさを満喫すべき ではないのか。これ無くしての見学ですか?」。立山の脇役かもしれないが大辻山のハイキングをすすめた。もちろんその方も当然大賛成でアトラクションが実 施され、多くの方から「富山はすばらしい」と感慨深げに語っていただいた。

  立山のすばらしさを満喫されたい方におすすめしたいのは立山の前座に位置する大辻山(標高1360m)へのハイキングである。この山からは、立山三山(雄山、大汝山、富士の折立)、剣、大日岳、桑崎山、薬師 岳、という立連邦邦がパノラマとして一望でき、また弥陀ヶ原の高原台地に加えて称名滝も見え、本当に山が地球からはみ出した大きな大きな塊に映る。

 一般に 山については、頂上に立ってみると、展望が開け遠くまで実に雄大にみわたせるが、自分の立っている山そのものは見ることはできない。当然、見たい山はその 山から離れてみることになるが、これは離れすぎても近すぎても今ひとつである。我らの立山連邦。富山平野から連邦をみると離れすぎであり、確かにシルエッ トとして屏風としてみる山の広がりと頂きは絶景であるが、難をいうと奥行きがわからないし、遠くにあることにより全体のボリュームが実感としてわからな い。これに対して、剣岳のまん前にある中山のように高い山の直近の場合には、迫力がありすぎ圧倒され迫力を観賞するといったゆとりはない。

 山については、 何も常に最高点を求めるのではなく、最高点の雄大さを目の当たりにして観賞する観賞もまた絶景なり。がむしゃらな時期を越えてくると、中規模の山に登る楽 しみがしみじみと実感できた。そして病みつきになり中景の良さを知った。 自然破壊がどうのこうのというなら、大辻山からの展望を楽しんでから大い
に語り 合いましょうと。』


 皆さん、専門家を目指されて日夜頑張って おられますが、もちろん最高点を目指すけれども、最高点のすばらしさもぜひ知っていただきたい。これが専門家に奥味を持たせ、なによりも人間を大きくする ことでしょう。

◆<2>「皆さん、この夏休みは全力でフィーバーを!!」 
 皆さん、もうすぐ夏休みがやってきます。長い夏休みは通常の授業とは違って自分で自由にできる時間は タップリですので、こうした時間を有意義に活用することを考えてください。長期旅行するのもいいし、長編の読書もいいし、課題制作とは別に何か作品制作も いいし。スポーツでもいいし。ただし、思い切り楽しみフィーバーしながら。
  そういえば、2002年ワールドカップが終わり、サッカーフィーバーがようやくここに一段落しまし た。皆さん大いに沸き立ったのではないでしょうか。サッカー好きの人はもちろんのことニワカサポーターも大いに沸き立っていました。ニワカはけしからんと はいってもフィーバーを楽しんでいたことは事実です。とにかくあのフィーバーぶりは凄かったといえます。ここでふと考えてみましょう。なぜあのように燃え 上がったのでしょうか。サッカーでなくても、駅伝でもマラソンでもなぜ淡々と走っている様がドラマになるのでしょうか。それは、全力疾走しているからでしょう。走る側も見る側もそれがあるからでしょう。


 我ら日常生活において必要に応じて全力疾走をしているでしょうか、あるいは燃えに燃えているでしょう か。すぐに「だやい」とか「疲れた」といったことが多いのでは。例えば野球で野手の近くにボールが飛んできて、走って取れそうにない微妙なタイミングだ としたら、走って間に合わないなら走らない方がいいと野手が合理的に考えてプレーをしたら、観客には緩慢プレーとしか写らないことでしょう。観客は野手の そうした判断を見にきているわけではないので、たとえ取れなくても走るというチャレンジをやはり期待していることでしょう。


 この世の中、妙な合理主義がはびこっていて全力疾走するチャンスと場がなくなってきています。それだ けに、そうしたドラマには観賞者側からは大喝采があるのでしょう。もちろん、フィーバーは理屈ぬきでフィーバーであります。皆さんも、そうしたフィーバー を自分自身にもむけて、この夏休み、勉学でも作品制作でも遊びでも大いにフィーバーして正常な感覚を研ぎ澄ませて欲しいものです。それが皆さんのチャレン ジ精神の醸成や活力の醸成につながるからです。頑張ってください。


◆<3>「たっぷり時間をかけて情念の蓄積を!~夏休みを有意義に過しま しょう~」
   これから皆さんは夏休みに入ります。高温多湿な日本の夏を効果的に過ごす為の夏休みですが、小・中・高の時代には夏休みの盛り沢山な宿題に苦しみ悩まされた人も多かったことでしょう。では専門学校はというと、(二年生の方は承知でしょうが)夏休みの課題をだされる教師もいらっしゃることでしょうが、大方は宿題といったものはあまりなく、人から言われる事なく皆さん自身で有意義に行動することが当然要求されております。私は、「夏休みにはまとまった時間を自由に使うことが出来る」のだから、旅行や自由な研究やボランテイアでもなんでも積極的に行動すべしとよく言っております。今の時代には三度の飯よりも作品造りが好きとか暇だから作品を造ろうといった雰囲気はなく、そうした雰囲気も自ら造る時代になったといってもいいでしょう。ですから、「ものづくり」の気迫というか情熱というかそういったものを養うには自ら積極的に行動しなければなりません。

 ちょっと先人達の例をみましょう。イサムノグチという著名な彫刻家がおられました。彼は年老いても創作が衰えることを知りませんでした。ある人が彼に次のように聞きました。「なぜ若々しいみずみずしい感覚でしかも創作意欲が衰えないのか」と。彼は答えました。「若い時代に考えていたことを今の年までずーと作品にしてきているだけです」と。そうです、皆さん。イサムノグチは若いときに多くの体験を積み重ね、自分のバックボーンを構築して下さいといっているように思えます。また、アインシュタインもしかり。時計と物差しが一緒に見えたという子どもの時の遊びを通して信念や哲学めいたものを培ってきた経験が後年になって相対性理論として花開いたのです。

 皆さんには、世界的発見や世界的創作を目指して頑張って欲しいのは正直なところですが今そういったことを主張したいのではなく、皆さん自身の道を勢力的に歩むための羅針盤がこうしたたっぷりと余りある時間と空間で造り上げられていることを知っていただきたいのです。もちろんこうした余裕が次への飛躍を生みます。ただし、余裕を有意義にするのも皆さんの心意気一つです。大きな視野で見通しを持って、歩みを小さくてもいいから着実に一歩ずつ。そうした時期が夏休みですので、健闘を。

◆<4>「 “夏休み”、大きく飛躍するために! 」               
 本学コンピュータ校では7月7日で 前期授業が、本学美術校では7月22日で第一期授業が終わり、夏休みに入ることになります。専門学校では修学期間が二年間と短く、その期間の中で各専門における基礎から実践までを修めねばなりません。ですから、夏休みは有意義にしかも活動的に過ごして欲しいものです。といいますのも、これまでの学習成果を自分自身の力で総合的にまとめてみることが、学期の終わりに位置するロングフリータイムという夏休みにはぴったりだからです。そんな夏休みに、大いに創作し、自主的に自発的に自分のパッション(情熱)を形にしてみるならば、後期や第二期に向けて大きく飛躍することができることでしょう。もちろん、夏休みの制作課題がたんまりと出ていることでしょうが、上述のようなスタンスであくまでも自主的に大いに励むならば、結果として自然と作品ができあがるものです。

 学校側では、学生諸君に夏休みを有効にということで、インターンシップを企画しまた集中講義・資格取得特訓講座などを開催することにしております。インターンシップは各専門分野の企業における就業体験を通して、社会に旅立つ予行練習や本番練習をすることになり、美術の二年生(デザインの学生や建築の一部の学生)は今出番を心待ちにしております。

 資格試験対策については、これまでに修得した知識を自由に円滑に頭脳から出し入れの練習と考えております。実社会でスピーデイに仕事をするために「あれはえーと...」などといってはおれません。即答という頭脳から情報を直ぐに検索できる訓練と思えば、ただ忘れないように、覚えていなくてはという強迫観念は無くなり、資格にも大いにチャレンジする気持ちが沸き上がり、資格へまた一歩近づくことになることでしょう。

 最後に、私たちから先人として一言。私たちの若かりし頃もまた皆さんと同じように三度の飯よりもデッサンや作品制作、それにプログラミングが好きでしたし、今も初心は変わりません。初心を大きく膨らませるように日頃から感性を磨くこと。また、大いに旅行すべし。もの造りは、本物をみたり触ったりすることが大きな感動を呼び起こします。それが感性の糧となります。研修旅行とは違って、自ら企画し、自ら歩いて。北海道一周でもいいし、ヨーロッパでもいいし。大きな飛躍のために。


 
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