観光

富山から発信したいこと~~双方向コミユニケーションを載せて、エッセイ129

2015.12.29 富山から発信したいこと~~双方向コミユニケーションを載せて、129
富山のPRをどうしたらいいのか聞かれ以下のようにお答えしたことがある。


 富山が北陸新幹線開業により一段と東京に近づき、富山への関心が一挙に高まった。これにあわせて、富山の自然や文化について観光サイドで発信が開業直前から一挙に急増し、マスコミ系が中心になって「どんな内容のものを発信すれば良いのか」観光サイドと連携して検討が加速している。

私は、観光の視点も大事だが、それよりも富山と東京いや全国とのコミユニケーションを図ることを第一として、受信する側のニーズを分析することにより、発信内容を気持ち的に双方向のコミユニケーションになるようにすべきと思っている。

 まずは、コミユニケーションのイメージから述べると、発信は受信側のニーズを想定しての発信ということにする。もちろん、メデイアの性能上双方向は難しいことはいうまでもないが、そこに、気持ち的にそんな雰囲気がかもし出されるようなことにしたい。

 ではどうするのか。それは、発信が一方的にならないよう、極度の差別化にならないようにする。要は相互尊重の姿勢が盛り込まれていれば良いとするのである。本来、観光でも、相手地域でみた光(エネルギー)を自分や自分の家庭に持ち帰り、自分らの世界づくりに役立てていくのである。

 もうひとつ忘れてはならないのは、県外向け発信でも県内人がこれをサポートしているということである。これが、双方向コミユニケーションのもうひとつの効用である。発信は一団体や一部の人ではなく、皆が支えた結果が飛び出していくものである。こうしたことが目に見えるようにするために、雰囲気を伝えることを考えるのである。漠然とした言い方だが、手の込んだぬくもりが感じられるのとそうではなく単に受け狙いとは別物である。そうしたところの姿勢から、もっと検討していくべきである。

 すなわち、コミユニケーションには、発信が一方的に成らないよう、要は発信側と受信側との相互尊重の姿勢が盛り込まれることである。たとえ観光でも、相手地域の光をみたものを自分知己や自分の家庭に持ち帰り自分らの世界を良くしていくために、相互尊重は可能であろう。

 もうひとつ指摘したい。県外向け発信でも県内人がこれを支持している。これもまた双方向コミユニケーションの広がりである。発信は一団体や一部の人ではなく、皆が支えた結果が飛び出していくものであり、雰囲気や手の込んだ温もり感が伝えれれば可能かと思う。発信側の姿勢をもっと検討していくべきと思う。


◆最終的には以下の要約をつくった。
 富山が北陸新幹線開業にあわせて、富山の自然や文化について観光サイドで発信が開業直前から一挙に急増してきた。これにともない発信内容の検討は必要となっているが、私は受信する側の参加のイメージを発信側に盛り込むようなことで、発信内容を気持ち的に双方向のコミユニケーションにすべしと思っている。

観光は差別化という偏狭な考えが気になる、エッセイ128

2015.12.28 観光は差別化という偏狭な考えが気になる、128

◆ 新時代の観光をPRする方が、某県の山岳観光資源を他地域との差別化を主張して誇らしげに講演されておられた。講演終了後にその方に「あなたの考えはモット広げた方がいいですよ」と注意したことがある。以下はそのときの話。

◆ どこの地域でも、活性化は観光からと考えていて、観光資源をモーレツにPRすることがほとんどである。特に、若い方々が起業の一環として街づくりと観光をリンクさせて、当該地を宣伝しまくる。そして、行き着く先は差別化であり、手前味噌な宣伝である。例えば「都会なんかに住んでおれないでしょう、ならば当該地に来て」というキャッチフレイズがある。
 彼らの語りは確かに熱い。しかしながら、考え違いもはなはだしい。それでも人が来てくれればということなのだろうか、彼らに注意する方々がほとんどいないのも不思議である。街づくりや観光はそんな次元に陥らないようにしたいものである。

◆ 以下に、具体的に考え違いを指摘する。
(1)
観光におもてなしの心をいれたいといって、手作りを第一として、周辺の方々を巻き込むことが観光サイドで考えられている。それもいいが、当該地の方々が何のための観光かを自分の事として認識しない限り、おもてなしも単なる商品のひとつとなってしまう。商品でもいいという声が聞こえてきそうだが。

(2)当該地のすばらしさをいうあまり、我田引水を通り越して他の地域をさげすむという失態を演じている。確かに、(すばらしい自然景観の)当該地の自然のスケールは他に比して群を抜いている面はある。だからといって、他はだめという論調にはならないのではないか。例えば、男性的な山の魅力は女性的な山の魅力とは違っている。それを男性の方がいいなどということはばかげていることは自明である。馬鹿さ加減がみえていないことがそもそも問題であるが。

(3)地域連携の声が空虚に聞こえる。観光サイドは東京のみならず、近県からも当該地に来て欲しいという。それが連携というものともいう。まるで連携の意味を理解していない。各地域にすばらしい風土があり、それを相互尊重するからこそ他の地域との連携が出来るのであり、他の地域にも出かけ自分のところと違った風景を堪能できるのである。重要なのは、良さを堪能するセンスを自分の中に育てることであり、周辺の地域で良さを見出すことではなかろうか。

(4)特に困ることは風土と地域民とが一体であることを認識できない方がいることである。単にいい景色のみを主張していても、そこには住民の姿さえ見ることもなければ感ずることもないのが実情のように思える。

◆ 結論を展開しよう。彼らの一番の考え違いは、風景風土と人間は一体であることを認識していないことである。山を例に説明する。
 山については、荒々しい山岳地域ではきびしい自然に畏敬の念を持つことになろうし、静岡なら富士山や日本平、あるいは三保の松原など雄大なスケールを情緒とともに堪能する気質も生まれてこよう。このようにどの地域でも、風景と人間がセットになっており、県民性もそこから生まれているといえる。すなわち、人間が風土を作り、風土が人間を育てているということである。
 そこには、人間に優劣などあろうはずもなく、人間とセットになった風景風土にも優劣はない。そこに優劣を入れようとするところに、人間性を忘れてしまい、ただ某地域に観光客が来てほしいというだけになってしまうのであろう。
 それにもうひとつ、連携ということについて。連携は相互尊重である。差別化からは生まれないことに気づかないのも、毒された価値観のなせる業である。(差別化は差別強化の前段階。)
 最近はそんな偏狭な考をもつ方が多くなっているので、今後は彼らに正しい認識が育まれるよう言える方はいつでもどこでも言い続けて欲しいものである。

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