2015.12.27 公衆トイレ、雑感、127
 公衆トイレについて意見を求められたので、2014.03.25に雑感を記した。ここに掲載。

 

 

1.はじめに

 これまでは、トイレは必要であるが、厄介者といった捉え方があった。住宅の場合で、昔は家の外にあったトイレが家の中に取り込まれるようになったのは近代になってからである。最近は、ファミリースペースとして、場合によってはマイトイレや仕切りなしでの家具のひとつとして、トイレの扱われ方が様変わりしている。

 しかしながら、公共となると、話が違ってくる。もともと、公共とは何か、公とは何か、を考えると、公の意識が熟成されているとは言いがたいものである。 

そこでここでは、公衆トイレの意味合いを公共性から検討し、雑感とすることにした。具体的に扱った問題は次の通りである。公共、設置者の意思、モラルレス行為防止、仮設トイレ、トイレ利用のあり方、公共トイレ廃止。

 

2.問題の整理

トイレについて、その性能は、臭いについては清潔性の範疇に入れて「清潔、耐久性」の二点である。

公共トイレと家庭用トイレの決定的な違いは利用者の属性にある。家庭用など特定者の使用であれば、掃除もまたおおむね特定者であるので、きれいに使用することが当然義務付けられている。この点、公衆トイレは、不特定多数の使用にあるため、使用に際しての汚れには、使用時のマナーとモラルでしか清潔さを保てない。また、これ以外には管理者であり、実際には清掃業者の方々になっている。

公衆トイレの公共性とはまさに使用に際してのものである。もちろん、ボランテイアで清掃もあることを付記しておく。

このようにみてくると、行政と利用者の両方にトイレの運用を義務付けられているとも言える。

 

3.利用者側の問題

3.1 人の目がモラルレス行為を防止する

 公衆トイレよりコンビニトイレを利用することが多いのではなかろうか。それはどうしてであろうか。コンビニの方が店員もいればお客もいて何となく安心感があるからである。

 常に人が介在するということの意味は何かといえば、モラルレス講義がないであろうというその一点である。この点から、現状の公衆トイレの改善案を出したいものである。

 福島に本宮公園という街中公園がある。ここは、イタズラやマナーの悪さがまったくみられない。普通のそうした公園は見るに無残なこともしばしばであるのに。何が違うのか。それは、市民の目である。当該公園が街中にあるので、言ってみれば市民の目が始終そこにそそがれているのである。これがモラルレス行動を抑制するのである。公共空間はそうした面を持つことが重要と考えている。まちづくりもまさにそこに確信があるといいたい。よってそうした観点からのトイレ提案があってもいい。地域におけるとはまさにそこが核心なのであるといいたい。

 

3.2 仮設トイレについて

 三陸を幾度となく視察していて思ったことがある。災害には、広域下水道ですべてに対処は無理である。そこで、バイオを生かしたトイレにしてはどうかと。福島でも公園に有機トイレがあった。ドラム缶2本だったか4本だったかで1年間はすべてまかなえるとのこと。実際に見たが、匂いの面も問題なく、汚らしさもなかったのが印象的であった。

仮設トイレが、実身寒々としたしろものである。ここに有機トイレをぜひ導入すべきと考える。

 

3.3 公園でのトイレ利用の方々について

 公園に来てながいをする方々は当然、公園を愛好する方々である。そうした方々がトイレを利用するにあたり、きれいに使うのは当たり前であり、公園の一部としてトイレを位置づけてくれる。しかしながら、夜になると、酔っ払いが割合トイレを汚すことが多い。歓楽街には歓楽街で用を足して欲しいものである。 


公共サービス縮小としての公共トイレ廃止

3.4  有料トイレについて

 よく外国では有料トイレがある。しかもそこには番する方がおられる。番人の方にとっては、不快な職場にならないように、利用者も気をつけるものである。また、有料トイレを有する方々にとっては、採算を考えての有料化ではないことはいうまでもない。しかも、メンテの人や掃除の人がといれをかいしてかかわるということになれば、そこにはなにかしらの信頼関係まではいかないかもしれないが関係が出来るかと思う。

4.設置者側の問題

4.1 設置者の意識について

 トイレのデザインはこれでいいのであろうか、と思うことがしばしばある。どうしてそのようなことになるのであろうか。建築設計者のデザイン能力が低いからであろうか。建築側からの反論として、設計というものづくりの専門家が快適性を設計条件に入れて設計するのは当然であるという。

では、どこに原因があるのであろうか。それは、発注者側が設計条件を決めてしまい、そこには快適などの用件が入っていないことが多々あるからである。すなわち、行政のいわゆる右から左へと仕事をまわす方式が原因といっていいのである。

ではどうするのか。改善となると、それこそ設計者からのアプローチと市民からのアプローチが必要となろう。

 

4.2 

 採算が合わないからといって公共サービスの切捨てが横行するこの世の中である。公衆トイレも廃止に際しては、行政は慎重に検討して欲しいものである。公共サービスを採算のみで評価することこそ大きな問題であるからである。

 

5.おわりに

 公共トイレを皆さんのものとするには、公共というものを動捕らえるか、そのことに尽きるといえる。これは、個人レベルでの対応としてモラル向上としての公共もあるが、やはり他者を事故と同一レベルにすることから始まろう。それとともに、我らが行政をもっと使うようにしたいものであり、行政にはもっと公共を推進していくように考えさせたいものである。それには、市民側からどしどし意見を言っていくことが肝要である。身近なところから、どしどしと市民側からプッシュしていきたいものである。