コミユニケーション

おしゃべりのススメ~おしゃべり居場所で楽しもかい、エッセイ163

2017.09.09 おしゃべりのススメ~おしゃべり居場所で楽しもかい、163

1.はじめに
 (ある地域の老人会から講演を頼まれました。老人には、人生はかくあるべきとかコミユニケーションは技術を磨いてとかではなく、おしゃべりに着目して40人の老人を前に語り掛けてきました。本稿はその時の資料です。) 

最近、おしゃべりをする機会がどんどん減っております。おしゃべりが健康にもいいというのは分かりきっているとはいえ、いざおしゃべりということになると、案外考えてしまいがちです。

ではどうします? おしゃべりはやはり「おしゃべりの場」あってのものでは。昔でいえば井戸端ですね。

そこで皆さん、どんな場所でも井戸端にして、おしゃべりを楽しむ習慣をつくってみませんか。そして、我が町が笑いを含めておしゃべりで包まれるようにしたいものです。

なお、ここではおしゃべりは会話ではなく、コミユニケーションともせず、口から自然と出る思い(言葉の呼吸)というものとします。

 

◆ 皆様方は人生の先輩。それなのにススメなんてとんでもない。恐縮いたしております。皆様と昔・今をおしゃべりしながら進めていきます。ただし;

・コミユニケーションや人生の勉強ではありません。

・おしゃべりを楽しむ雰囲気と場づくりに着目です。

◆構成:おしゃべり居場所

1.はじめに

2.昔はどうだった:

3.現代では

4.おしゃべりには 

5.おしゃべり居場所、まとまった場所

6.おしゃべりのポイント

7.おしゃべり居場所、探してみれど

8.おしゃべり居場所、賑わっています

(1) 朝活  朝食をみんなで食べて歓談

(2) 街カフェ 昼にコーヒーを飲みながら歓談

9.どうする

10.まとめ

 

2.昔はどうだった:おしゃべりの場はあちこちに

(1)場所

家族で、ご近所で、町内で、校区で

清掃で、新年お参りで、お祭りで、寄り合いで

買い物(お店)で、病院待合室で、床屋・美容室、等

(2)今は少なし

朝活、街カフェ:参加者が自由に話せる。

各種福祉施設、他:   昔の形態もあり。

(3)今の勉強の場:勉強だけ、交流は無い。町民学園

 

3.現代では

(1)おしゃべりの必要性が感じなくなる

(2)今はあまりしゃべらなくてい世の中

(3)出かけているようで出かけていない交流も少なし

 

4.おしゃべりには

要件:人、対象や思い、場所

(1)人:自と他:対人、小集団、大集団、

(2)対象:・身の回りの事:家、子ども、自分たち

・地域まで広げて

おしゃべり:まとまった時間と場所にて

ゆとりによる思いのキャッチボール

(3) :家庭:生活、人は会話でつながる。

(4)効用:おしゃべりは笑いとセット

おしゃべり→五感・五体がフル活動のもの

 

5.おしゃべり居場所、まとまった場

(1)居場所づくり

今は場がない →ならば場づくりから →居場所

→どこにでもあり。→朝活や街カフェも、家庭も

              立話も(道でも店内でも)

条件・ゆとりがある場所(居ること)・自由さ

(2)おしゃべり居場所の様子

・集まってしゃべる。仲間でつながる(いわば交流)

そこに行けばいつでも(誰かがいて)おしゃべり可

 

6.おしゃべりのポイント

・身近なこと:衣食住が主、他は、

子供、家族・家庭、幸せ、健康、生きがい、

学校、地域、ふるさと、

・堅い話:別の場所で。

7.おしゃべり居場所、探してみれど
(1) ショッピング系:K店、P店

いつも閑散。壁設置など今一つ工夫要

(2)飲食系

・喫茶店、・居酒屋、・専門食屋

(3)公的場所

・図書館 ・公民館 ・勉強会 ・公園、等 

(4)行事

 

8.おしゃべり居場所、ただいま賑わっています

有志によりフランクな交流の場づくり→朝活、街カフェ

(1)朝活の趣旨:自宅と職場の往復は味気ないという方、出勤前の朝の一時間、仲間と一緒に交流を。

(2)街カフェの趣旨:皆さん気ままにおしゃべりを。暮らし、趣味や学び等一緒に考えたいこと持ち寄って。

 

8.1 朝活 朝食をとりながら

(1)概要 実施日時:月二回の朝1時間、若者風喫茶店にて 

実施:講師を募りテーマを決め当日話題提供。
 (講師は原則朝活参加者、著名東京人等は呼ばず)

 話題提供後、アフタートーク、そしておしゃべり

参加者 人数:16人前後、時には40人程、町内半分

テーマ:自分磨き、人生楽しみ、夢叶え、幸せ、

 おしゃれ、色づかい、女優、

 健康法、ダンス、演奏(民謡、琴)、マラソン、

 コミユニケーション技術、ものの見方、視覚・感情、

 仕事の進め方、接遇、 立山、自然、我が風土、植栽、桜

 アニメの世界、伝統、我町歴史、公民館、留学生談、若社長談

 障害者問題、福祉問題、介護問題、鬱、医療、保険、

(2) 様相

・各自の職業柄で話題提供。趣味が高じて話題提供。

 情報交換や情報収集の目的の人なし。売込み禁止。

・若さゆえの悶々とした語もあり。

・自分の心情を語り皆さんが共感。共感も楽しみ。

人への押し付けは全くない。

 著名講師による押し付け講演とはちがう。

(3) 朝活でシルバーにとっては
若者に胸を貸す。見聞をひろめる。
・講演の世界に入って楽しめる
・若者とも気負いなくおしゃべり。若者も親父といる感

8.2 街カフェ 昼コーヒーを飲みながらおしゃべり

(1)概要 

実施日時:月一回昼、音杉公民館    

実施要領:参加者全員が話題を持ち寄って提供。

参加者:人数4-5人、多いとき10人、シルバーのみ。

テーマ:我町歴史、大岩歴史、大岩街道、黒川、眼目、

  江戸時代生活、縄文の生活、古代史、神社歴史、

  種の山、立山信仰、剱岳、夫婦別姓、米騒動、

  農村奮戦記、蕎麦、尺八(演奏有)、布橋潅頂絵
(2)街カフェでシルバーは 何の気兼ねも遠慮もなし。

 

9.どうする

おしゃべり居場所を作るには、何といっても集まれるところに定期的に集まることが一番です。お茶飲み会の場であっても、ショッピングセンター休憩所であっても、短くても長くても、おしゃべりが始まります。また公民館のようにまとまった場所であれば、話題の持ち寄りによりじっくりとおしゃべりできます。その意味では、長寿会への期待が大きいともいえましょう。もちろん、立ち話もどしどしとしましょう。

 

10.まとめ

人は場を作り、場は人を作ります(場はおしゃべりを応援します)。よい場を作ることは、人をおもんばかり人格尊重そのものですから、話し方に気を配らなくてもごく自然(自然体)がおしゃべりとなって、皆さんとともに楽しめます。シルバーはそんな味を自身から滲み出せます。


富山から発信したいこと~~双方向コミユニケーションを載せて、エッセイ129

2015.12.29 富山から発信したいこと~~双方向コミユニケーションを載せて、129
富山のPRをどうしたらいいのか聞かれ以下のようにお答えしたことがある。


 富山が北陸新幹線開業により一段と東京に近づき、富山への関心が一挙に高まった。これにあわせて、富山の自然や文化について観光サイドで発信が開業直前から一挙に急増し、マスコミ系が中心になって「どんな内容のものを発信すれば良いのか」観光サイドと連携して検討が加速している。

私は、観光の視点も大事だが、それよりも富山と東京いや全国とのコミユニケーションを図ることを第一として、受信する側のニーズを分析することにより、発信内容を気持ち的に双方向のコミユニケーションになるようにすべきと思っている。

 まずは、コミユニケーションのイメージから述べると、発信は受信側のニーズを想定しての発信ということにする。もちろん、メデイアの性能上双方向は難しいことはいうまでもないが、そこに、気持ち的にそんな雰囲気がかもし出されるようなことにしたい。

 ではどうするのか。それは、発信が一方的にならないよう、極度の差別化にならないようにする。要は相互尊重の姿勢が盛り込まれていれば良いとするのである。本来、観光でも、相手地域でみた光(エネルギー)を自分や自分の家庭に持ち帰り、自分らの世界づくりに役立てていくのである。

 もうひとつ忘れてはならないのは、県外向け発信でも県内人がこれをサポートしているということである。これが、双方向コミユニケーションのもうひとつの効用である。発信は一団体や一部の人ではなく、皆が支えた結果が飛び出していくものである。こうしたことが目に見えるようにするために、雰囲気を伝えることを考えるのである。漠然とした言い方だが、手の込んだぬくもりが感じられるのとそうではなく単に受け狙いとは別物である。そうしたところの姿勢から、もっと検討していくべきである。

 すなわち、コミユニケーションには、発信が一方的に成らないよう、要は発信側と受信側との相互尊重の姿勢が盛り込まれることである。たとえ観光でも、相手地域の光をみたものを自分知己や自分の家庭に持ち帰り自分らの世界を良くしていくために、相互尊重は可能であろう。

 もうひとつ指摘したい。県外向け発信でも県内人がこれを支持している。これもまた双方向コミユニケーションの広がりである。発信は一団体や一部の人ではなく、皆が支えた結果が飛び出していくものであり、雰囲気や手の込んだ温もり感が伝えれれば可能かと思う。発信側の姿勢をもっと検討していくべきと思う。


◆最終的には以下の要約をつくった。
 富山が北陸新幹線開業にあわせて、富山の自然や文化について観光サイドで発信が開業直前から一挙に急増してきた。これにともない発信内容の検討は必要となっているが、私は受信する側の参加のイメージを発信側に盛り込むようなことで、発信内容を気持ち的に双方向のコミユニケーションにすべしと思っている。

職能の構築における専門家と市民のコミユニケーション、エッセイ103

2014.06.17 職能の構築における専門家と市民のコミユニケーション、103
 職能の構築における専門家と市民のコミユニケーションに関する教育的議論 13.10.18

◆ まえがき 

標記研究会において職能を扱う分科会では「国民に信頼される職能の構築を目指して」がテーマである。私は教育に携わる人間として、それを二つの問題として捉えた。ひとつは「職能人のシステムを含む要件」の議論であり、いまひとつは「職能人の育成」あるいは「職能の育み」についての議論である。ここでは職能人を専門家と名称を変えて、後者の問題について扱うことにして、論点を次のように設定した。すなわち、職能人の育成いや専門家の成長は「市民とのかかわりの中での成長」そのものであることに着目して、専門家と市民の間でかわされる種々の行為等をコミユニケーションと総称し、このコミユニケーションの教育的展開が問題の根幹にあるとした。私は、このように考えて日頃の教育やヒューマン次元の視点でコミユニケーション論を(最近の問題として耐震偽装問題や都市景観問題を念頭において)展開することにした。

なお、本レポートの役割は、あまりにも多くの問題が専門家の視点のみからなされていることに警鐘鳴らしをこめて「ちょっとまって」、「教育的視点は大事」を力説するところにある。

 

1.はじめに

1.1 目的

近年、分業化や専門分化が進むに従い、専門家と市民の間の距離が遠のき、これを改善する目的で双方向コミユニケーション(以後コミユニケーション)の必要性が叫ばれ、専門家は市民に分かりやすい言葉で説明責任をまっとうすることや、専門家集団の培ってきた成果を市民とともに共有するといったことが現実に行われ始めてきている。実務行為の真摯な遂行は当然のこと、街づくりや住まいづくりを含めた市民の啓発教育や協調行動がさかんになっており、また学協会でも研究成果の市民との共有を検討し始めている。また時代は、一つには市民側からの知る権利が技術系の専門家にも向けられ、また市民参加が裁判制度や街づくり行政などへと向けられてきている。

そこでこの編では、市民と専門家の間のコミユニケは如何にあるべきかを探るとともに、市民・専門家の信頼を高める関係作りについて検討することにした。具体的には、本来のコミユニケのあり方として、両者間の関係をどうつくっていくのか、これまでのコミユニケの評価コミユニケの実態とそこから皆さんに伝えたいことは何か、について扱うことにした。なおアプローチは評論的展開とした。

 

1.2 問題の所在

コミユニケーション時代の必要性の要因を列挙する。

 (1)市民生活の営みの中で専門家と市民の連携した営みがある。これは、専門家としては実務遂行や、行政の地域サービスのことである。専門家が専門行為をより良きものにするために真摯に遂行している。しかしながら、専門家の意欲が市民に十分届かないことが少なからずあり、,加えてあいもかわらず不祥事が多く(原子力臨界事故JR線事故、耐震偽装など)、結局のところ専門家の視野には市民の存在が時として抜け落ちぎみになっていることが憂いされている。これをもってしても、望ましい信頼関係を築くためのコミユニケーションが今まさに必要となっている。

(2)高度技術社会にて専門家が技術開発や研究に奔走しているので、その成果の共有として市民とのコミユニケーションが必要であるとして、文科省は双方向のコミユニケーションとして活性化を奨励している。勿論、こうした行政主導とは別に、専門家は体系化に励んでいるかたわら、これを市民に還元することも専門家の責務であるとして行動されている専門家も多い。

 

2.市民・専門家の構図

 まず、市民や専門家という言葉は無定義用語といえるくらい、市民生活に定着した言葉であるが、ここでは言葉の定義とともに、市民と専門家の構図について描いておく。

2.1 市民と専門家

 (1) 市民とは 

 市民は専門家以外の方々の総称であり、市民つきが「生産活動」とした場合には建築主や消費者、行政的なものであれば住民であり○○市の市民という名称があり、また社会構成の主権者として市民の名称もある。

(2)  専門家とは 

専門家とは建築に携わる人(生計を立てている人)の総称である。市民の場合と同様に市民・専門家の結びつきの種類で専門家の呼び方が以下のようになる。結びつきとして「生産」をキーとすると;

・生産:生産者。その中には実務者。またその中には技術者(設計者・施工者・設備等技術者)・設計家・職人。

・非生産:研究者・教育者、(学生は準専門家と位置づけ)。

また専門家には専門家集団としての組織として、業界、企業、学協会が入るとしておく。また行政も含めておきたいところである。

 

2.2 市民・専門家の構図

2.2.1 構図

市民と専門家の構図を描いてみると、市民と専門家という構図に加えて、(当該分野以外の専門家という意味での)他専門を持つ市民と専門家というバリエーションがあり、またそこにおいて、実務と研究と教育、営み(生活関連、教養関連)がある。

2.2.2 コミユニケーションの種類

(1)市民と専門家の双方向について記す。

専門家→市民:実務。啓発。成果公開・公表、他

  市民→専門家:依頼、相談、知的欲求、

社会世論や社会ニーズの担い手、他

求めるもの;

専門家はどこまで市民の要求を聞き対応か。

専門家は社会性をどう位置づけて行動か。

  やりとり :もの、成果(情報)。人、他。

  メンタル的:満足、信頼、疑い、不満足、選択性(関心有無)、増幅性(反応の度合い)

(2)コミユニケーションの効用について記す。

専門家の成果を市民に還元。

高度文明社会における生活素養の向上。

市民側の知識欲充足。専門家とのコミユニケーションの楽しみ。知る権利の行使。他

(3)コミユニケーションの必要時について記す。

日常の環境改善として、街づくりなど。

災害時や住宅購入や騒音や立ち退きの時。他

(4)伝えるものの形態

仲介者を介したもの、行政指導のもの、マスコミのもの他

 

3.市民の建築観

市民は建築を介して生活を営んでいる。では今、市民は建築をどのようにとらえているのであろうか。

3.1 住まいの文化

 高度文明社会になればなるほど、市民生活の営みの中で建築の比重は低下し、加えて都市の高密度化はまさにストレスを増産し続けている。実務家が建築主にもっと良い生活のために家にもっと金をかけてとすすめるが、大方はそんな余裕はなく、生活文化の貧困もまた際立ってきている。そうでなくとも、(一部)中高年層ではリストラを憂いて身軽さが第一となっており、また若者層ではITやコンピュータゲームという仮想現実が日増しに膨張している。このように、建築の生活における地位の低下は、建築(住まい)文化の発展を阻害し、ここに建築にお金をかけないという風潮が自然と定着してきている。

 

3.2 建築への理解

市民が建築と向き合う場合、すなわち市民が日ごろ建築を理解する(向き合う)場合を以下に示す。

・自ら啓発のため。いわゆる教養を身につけること。これが他の項目に比較して余裕がないとできにくいものである。

・必要に迫られたとき。例えば新築、増改築のときや、周辺マンション建設で地域環境・住環境が改変するときなど。

・社会問題となったとき。いずれは災難として降りかかるからとか、社会正義をつらぬくため。

 

3.3 建築への評価

 市民は情報を得て、自らの判断軸を持つ。安ければ何でもいいというコストダウンの弊害は皆さん分かっている。しかしながら、実際に自宅の建設となると、やはり予算という大枠は避けて通れないものであり、いきおい安くていいものということが求められている。その点、良さと安さのバランスについては、市民独自の判断がある。

次にその判断基準の育成についてみよう。これは、日常生活の中で先人たちの偉業を受け継ぎながら(社会常識を学びながら)多くの体験・経験のもとに社会常識とリンクしながら育まれるものであり、家庭、地域、学校、企業、社会における勉強の成果というべきものであろう。しかしどうしても、目に見えないものへの評価行為にはより以上の勉強が必要であり、ソフトに対して無報酬ということがどうしても実感としてある。

 

4.市民中心のコミユニケーション

 専門家側から市民への要求があたかも(思慮がないとして)市民の責任を問うかのように聞こえることこそが、コミユニケーション不足そのものを露呈した結果ととれる。ここでは、コミユニケーションを両者間の率直な要求のラリー(キャッチボール)として取り上げてみる。

4.1 専門家側からの市民への要求

 専門行使に役立つような下地づくりとして、専門家側から市民側へは、分かり易さと透明性の提供により、建築について理解を願い、併せて意識変革を求めている。

(1)理解の要求

これについて確かにそのとおりであり、マスコミは専門家と市民の間に入って文字通り、その観点で報道している。ただ、それだけでいいのかといえば、分かり易さで理解していく側の姿勢も必要となっている。特別に建築の勉強をするのが良いということではなく、市民の博識・見識・良識を高めるように、また建築分野に限らず市民生活についての知的な文化水準を向上させるようにして、技術世論の下支えをしていくべきであると考えたい。

(2)消費者の意識改革

このことについては、確かにものをしっかりと見極めて買いましょうということであり、異論はないのであるが、革新系の方が言うように、消費者というスタンスは建築の社会性をまったく考えていないことを前提としていることが問題視されている。そこで消費者でなく市民と読み替えることにする。確かに、この観点の変更がなければ、一部業者のいうように安くてしかも良いものを提供していますといって、依然として安物を売りつけるということにもなりかねないし、コマーシャリズムに載せられることにもなりかねない。

 

4.2 市民から専門家への要求

市民からの要求は、専門家としての責務をまっとうして欲しいというこの一点である。これは、専門家としての信頼や、市民ニーズをよく聞き、専門に反映させるといったことでもあり、また専門家が社会問題で専門家としての役割や正義を貫いて欲しいということにも繋がる。すなわち、市民からは、何と言っても「専門家よ、社会正義を貫いて欲しい」とか、「市民のニーズや声に応えたもの造りを」、「市民に背中を見せよ」といったことである。(例えば食肉問題で専門家は主張をまげるな(2006))。

市民にとって直にいえる相手に身近な実務者がいる。彼らも市民と話したがっている(例えば住宅相談等)。また自分らの声をどこへ持っていけばよいのか分からないケースには、マスコミがその代弁・代行をし、時には行政にも時には政治家にもきびしく対応してくれているといえる。

 

4.3 マスコミの助けを借りて

 市民が社会構成員としての責務を果たすことは一体何であろうか。それはマスコミを介した世論形成ということであろうか。この観点から論じたい。(趣旨はマスコミを味方にということ。)

(1)マスコミ

マスコミの使命は、いうまでもないが市民への情報伝達(正確、迅速、適量確保)、市民の代弁・代行、権力からの市民保護、               社会正義の貫徹、世論形成といったことがあげられる。

市民は、マスコミに真実を正確にしかも分かり易く伝えるプロフェッショナルとして市民の味方として期待している。事実今回の件についても、マスコミは、専門家側の建築生産システムや検査体制などについて市民向けに分かり易く報道していた。ただし、専門家側がマスコミの取材に応じることで、その種の作業を手伝っていたことにもなる。

(2)市民側の情報収集と参画意識

市民側の情報収集には、新聞、TV、(ネット)、実務者とのコミユニケーションがある。市民がものを理解するときは、やはりマスコミの解説報道が役立ち、建築界には沢山の方々が携わっていること、建築には設計・施工という仕事があることなどが市民に理解された。また、このことは市民にとっても真相解明と再発防止、さらに住民救済についての正義貫徹や世論づくりに参加したことにもなった。これは報道の一番の成果といってもよい。ただし、専門家は市民とかけ離れた世界の住人であることを象徴するかのように、マスコミでは、巷の専門家の声よりも、著名人と活動家の声みが取り上げられるという偏りがあったことには注意したい。

(3)市民側の判断基準への影響

市民は種々の事件に対してどう価値判断しているのであろうか。これにはマスコミが大いに影響を与えているといえる。(報道人)や局側の姿勢や理念がそのまま(報道を介して)伝わり、また専門家を取り込んだ解説報道はなんとなく真理をついてくるように伝わってくる(事の是非は別)。こうした報道の中で、市民の判断基準(主義主張も)が生活の営みの中で自然と培われているといえる。

 

5.市民と専門家との教育的かかわり

専門分化・分業先鋭化の時代だからこそ、市民と専門家のより良きコミユニケーションは、日頃の教育に深くかかわっている。特に今回の偽装問題に対して日頃の教育のありようについて論ずる。

5.1 教育の枠組み

 各教育の場では目的に応じて教育が実践されているが、ここでは倫理・道徳等に関連するもののみに絞って実状を述べたい。

(1)学校教育

 初等中等教育において、「読み書きそろばん」ではないが、基本教育をしっかりとすべきとした教育実践に賛同したい。高度文明社会だからこそいたずらに目先のことを追うことのないようにしたいものである。ただし、教材や題材に、なぜ生活観や生活のにおいが感じられるものが少ないのであろうか(これは住まい教育というものではない)。こうしたところから、市民の市民たる基本が醸成されるといえるのに、不思議である。

総合学習について賛否両論ある。ごく普通の教育を飛び越えて独創教育や個性教育という方が一部におられるが、ごく普通の積み重ねをして総合学習へと発展すべきである。現場教師が次のように言っていたことが印象的である。「小学1,2年生ではクラス作りをし、3,4年生では学校づくりを、そして5,6年生では地域づくりを」と。一例の紹介ではあるが、総合学習には、各種事情を考慮して段階をおっていくべきであると主張したい。

上記の教育の延長として何があるか。道徳や倫理が自然と培われ、また高等教育での社会貢献(参画)への基礎固めとしてみずみずしい感性とともに人間性が育成されるものと思っている。

(2)家庭教育、地域教育

 親父の地位低下はおろか、家庭の崩壊まで叫ばれている昨今、この問題を抜きにして倫理教育うんぬんがまかり通るはずがない。親父の背中をみせたくてもみせられない社会環境を何とか是正したいものである。津々浦々、この種の努力は必要であることはいうまでもない。

(3)企業人教育

技術者教育としてCPD大いに結構だが、人間性教育という視点はあるのであろうか。企業倫理教育、技術者倫理教育の実現にむけて、企業の論理優先を超えた教育的仕掛け作りが日々努力で心がけたいものである。(帰宅後は子供に背中をみせ家庭教育をやってほしいものである)

(4)社会に対する教育

 この言葉や概念はないであろうが、いいたいのは世論形成そのものである。今後の課題となると思う。

(5)市民教育

 項目(1)-(4)以外の教育として、学協会を含めた種々の団体から直接市民に働きかける教育がある。これには、形式では講演会やシンポや街の現場での教育などがあり、内容では住まいづくりや街づくり、造形教室などがある。また、消費者運動、市民運動としてのものもある。いずれにしても津々浦々、市民教育としての行動がまず必要と考える。 以下に二点補足する。

(5.1) 営みのコミユニケーション:市民教育のうち、専門家が市民に教え授けるものもあるが、専門家と市民のコミユニケーションを専門分野という土俵の上で楽しみ育むものもある。これについては専門家とのコミユニケーション内容が教育や学習であっても、単に営みのコミユニケーションと呼びたい。

(5.2)プロとシロウト:これはなにも建築だけの問題ではない。啓発教育で注意したいのは、断片的な知識を身に付けた市民が、その知識に頼ってシロウト判断・行動することにある。プロの存在をも啓発教育でしっかりとご理解いただきたいものである。

 

5.2 教育の内容

(1)日常の営みの改善や快適を目指して

街づくり、住まい作りなどについては、地域コミユニテイの形成や感性教育や何やらで、総合的能力の有る人が携わるべきであり、その点、中立,不偏不党、理念のもとに数々の遺産を体系化して知的サービス供与の団体である学協会、いや学会は適任であり、こうした遺産を遺憾なく利用活用することができる。学会中心に積極的に運動を起こして欲しいものである。  

(2)消費者意識改革

消費者という用語の使用が建築を商品とする考えそのものであり、事の本質から外れている。今度の問題で消費者の意識改革をしなければならないという要求には消費についてモラルをもてとか、安くても良いものなら良いということを合理的におしつけ気味が多少危惧される。建築の社会性を謳うのであれば消費面のみに言及するのではなく当然のこと市民の存在を認識した建築生産活動があると考えるべきである。

(3)文化育成

 建築は社会資産であることに異論はないが、どうも市民側ではなかなかそのことが理解されにくいように思える。ならばいっそのこと、文化としてみてはどうか。とはいっても文化とした場合、劣悪な住環境であるウサギ小屋や下宿の住まいが住文化を貧しくしている。住まいにもっともっと愛着を持ち、住まいの文化をもっと成熟させたいものである。

(4)倫理教育

たびかさなる世の中の不祥事を受けて教育界では倫理教育をとり入れだしたが、小中高で受験勉強オンリーなところにいきなり倫理教育ということは木に竹を継ぐような感がする。教育全体でもっと道徳や倫理を扱うようにして、日頃の教育をしっかりと実践することしかないであろう。世の中全体でそうした教育を下支えすることにより、社会倫理・企業倫理のバックグランドが形成されるはずである。津々浦々一人一人の心がけと頑張りが、市民側に不正を許さないという環境を形成されていくことであろう。

 

6.市民と専門家の実務面でのかかわり

 市民にとっては(建築主には)、住宅建設で一番世話になるのは実務者である。ここに、どのような問題があるのかを探る。

6.1 互いの要求

 つきなみだが、実務者は建築主にいいものを作り提供し、建築主は実務者にしっかりとした仕事を望む。両者の関係が健全であれば、そこに信頼が生まれるはずではあるが、互いに多忙なご時勢かつ何でも金ですますご時勢では、(お茶いっぱい酌み交わす)コミユニケーションもままならないところに、専門家は「顔はおろか背中もみせず」であり、建築主も自分で建築をつくっているという実感をもてなくなってきている。今日的な人間関係の希薄さが問題を大きくしているともいえるので、こうしたところに草の根的な活動が両者間の関係を下支えし、信頼が生まれるはずである。

 

6.2 実務者の輪を広げたコミユニケーション

  コミユニケーションが大事といわれながらも建築主との打ち合わせの場合、窓口の実務者(意匠家)のみがコミユニケーション相手を務める。彼にはそこにおけるコミユニケーションが偏った薄いものとなることが分かっており、担当者の心のどこかに意匠上位の考えがあるからである。また不思議なことに、コミユニケーションを除外された方はそのままひきこもってしまうことが多い(下請けのため)。今はコミユニケーションの何たるかを考えるよい機会であるのか、建築士法改正までまたねばならないのか。

 

7.まとめ

 ここでは、市民と専門家のコミユニケーションを如何に実りあるものにするかは、市民の建築に関する捉え方や専門化とのコミユニケーションの充実にあるとして、日常生活の営みや文化、さらに専門家とのあるべき関係をもとに、倫理、文化、消費者意識改革、信頼づくり等について検討した。特筆すべきことをまとめとして列挙する:

(1) 市民と専門家のコミユニケーションの充実には、日ごろの教育が欠かせず、初等中等教育は勿論のこと家庭教育や地域教育が望ましい社会を作り、その構成員としての市民をポテンシャルアップさせる。これによって、感性や人格形成について磨きがかかるというものである。

(2) 倫理教育の導入は対処療法そのものであり、むしろ不正を許さない社会的土壌形成をいかに育み、社会構成員全員が日常生活の営みの健全化を図るかが肝要である。すなわち通常の営みの中でモラルとか道徳は自然と培われるものである。

(3) 建築を文化として下支えするのは市民であり、専門家はより良い建築を市民に提供して、建築文化を構成していくべきである。これをもって社会資産としての建築が市民に支持されることになる。また、学協会を中心として住まい教育や街づくり教育を今後も充実・継続させて建築文化を名実ともに支えていくべきである。

(4) 安ければ何でもよいという消費者にある意識をかえる旨の専門家側からの要求について、本題は、建築を支えるのは売り買いの当事者ではなく、広い意味での専門家と(消費者ではなく)市民が如何に建築に価値を見出していくかにあり、その意味で建築の価値について市民も市民の立場で参画していくことになる。

(5) 専門家と市民の間の信頼について如何に築いていくか。市民から専門家への信頼回復には、専門家は地道に正しく専門行為を続けていくしかない。また両者のコミユニケーションの円滑化をはかるとともに、専門家は社会正義を貫くことも要求されている。

(6) 市民の情報収集・価値基準形成と市民の声の代弁として、マスコミの役割は大きい。専門家のマスコミへの働きかけが弱いせいか、専門家側からの社会変革に迫るようなものはないけれども、専門家としてマスコミに働きかけるとともに、世論形成に専門家側からの発信もまた必要である。

 (8) 学協会は,幅広く広範囲に成果を体系化されたバックグランドをもつだけに、文化育成や教育の担い手への支援を積極的に考えて、住まいや街づくりなどにどしどし打って出ていって欲しいものである。とくに皆さんには学術・芸術・技術の発展には熱心であるが、普及には関心がないではすまされない。

市民と専門家における双方向コミユニケーション、エッセイ101

2014.06.15 市民と専門家における双方向コミユニケーション、101
 市民と専門家における双方向コミユニケーションの建築教育的議論 06,03

1.はじめに

近年、分業化や専門分化が加速するに従い専門家と市民の間の距離が遠のき、これを改善する目的で双方向コミユニケーションの必要性が叫ばれている。ここでは、市民と専門家の間のコミユニケーションは如何にあるべきかを探るために、第一歩として・市民の思う建築、・市民や専門家の行動について事例収集し検討することにした。

 

2.市民側の身近な問題

 市民が専門家と向き合う身近で具体的な問題を一部列挙。

・災害時における避難、補償、修復。

・建築の周辺環境の大きな変化。

  例えば道路や高層建物の建設にともなって。

・地方都市の活性化にむけて。

・常時、周辺環境改善。   ・新築や増改築。

 

3.市民・専門家の構図

3.1 構図

市民と専門家の構図を描いてみると、市民と専門家という構図に加えて、(当該分野以外の専門家という意味での)他専門を持つ市民と専門家というバリエーションがあり、またそこにおいて、実務と研究と教育、営み(生活関連、教養関連)がある。

 

3.2 コミユニケーションの種類

(1)市民と専門家の双方向について記す。

専門家→市民:実務。啓発。成果公開・公表、他

  市民→専門家:依頼、相談、知的欲求、

社会世論や社会ニーズの担い手、他

  やりとり :もの、成果(情報)。人、他。

  メンタル的:満足、信頼、疑い、不満足、選択性(関心有無)、増幅性(反応の度合い)

(2)コミユニケーションの効用について記す。

専門家の成果を市民に還元。

高度文明社会における生活素養の向上。

市民側の知識欲充足。専門家とのコミユニケーションの楽しみ。知る権利の行使。他

 

3.3 検討の具体的ポイント

(1)専門家と市民との対面

日常の環境改善として、街づくりなど。

災害時や住宅購入や騒音や立ち退きの時。他

(2)伝えるものの形態

仲介者を介したもの、行政指導のもの、マスコミのもの他

(3)コミユニケーションの方向

専門家から市民へ:実務遂行、教育、説明、他

市民から専門家へ:ニーズ実現、正当な専門性行使、他

(4)市民は専門家に今何を求めているのか。

専門家はどこまで市民の要求を聞き対応しているのか。

専門家は社会性をどう位置づけて行動しているのか。

 

4.市民側の建築に関する見方

 市民側が建築および(建築)専門家についてどう見ているのであろうか。これには、(市民側の)感覚、価値、判断の様相に加えて、情報と受け止め方(イメージ化や意識への刷り込み)、思い込み、などに市民としての特徴がにじみ出ている。具体的に特に関心あるものについてのみ列挙する。

 

4.1 安全性についての感覚

(1).破損およびその兆候は即危険と判断。

・地震により生じたコンクリート壁のひび割れ。専門家が構造部材でなければ安全といっても市民には不安。

・ガラス破損や家具転倒も危険。(専門家は技術で安全から安心へ考えを転換するようになったが)

(2).被災後の援助は当然。

・被災者には危険判定と罹災判定、区別がつかない。専門家は説明していても理解しにくい(市民感情として)。

・災害復興で地元民の仕事を奪う復興は地元の活力を奪う。

・建替え一契機

 

4.2 専門用語の市民感覚実情について

(3).建築用語は世の中にかなり浸透。

・柱、土台、基礎、屋根などは日常用語。最近、梁が定着。

・宮城県東方沖地震2005で屋内プールの屋根が崩落という報道の見出しがあったが実は天井落下。市民にとっては天井というものは住宅の居室にあるものという認識があった(のか)

・マグニチュードと震度について、長年のマスコミ報道により、ようやく両者の区別がつくようになった。

 

4.3 情報収集と判断

(4).情報収集容易により素人判断

・専門家からのアドバイスや診断では納得できないとしてで、もっと情報を収集して神経過敏となることもある。

・事態が急変しないような事象では、まあいいかという判断。(医者の忠告もまあいいか。一部の専門家も信用おけないし)

 

4.4 つくられた価値と判断

(5).特定スタンスによる報道

・阪神淡路1995では(在来工法はダメで)パネル工法が強かったといった報道がひとつの価値をつくり上げた。

(6).ドラマにおける演出

周辺風景や人間模様の描かれ方に世相が反映。市民が日常どのように当該専門のイメージを固定化。

 

4.5 市民感覚では理解しにくい事象

(7).専門家と専門運用システムについての理解度合い

・安全設計の考え方が理解しにくい。二段階チェックなど。

・基準法遵守、何々遵守。それで壊れても設計や施工には責任なしということは、市民感情では納得しにくい。

・複雑なシステム、建設業界のシステムや設計の方法などをどう分かりやすく説明するのか。市民感覚からは逸脱したシステムとして受け止められぎみ()

(8).専門家への信頼

・まさかのときには専門家はしっかりと行動すべし。素人ではどうにもならず、そこに専門家の存在あり。被災者にとっては専門家からの助言や判断を求めている。専門家としての説明に期待。また倫理もさることながら社会正義をつらぬいて欲しい。

 

4.6 思い込み

(9).素人判断や世間風潮からの思い込み

・木は時代遅れ。RCは近代的。最近は少し改善か。

・檜造りは地震に強かったと長野県西部1984で報道。当該地には檜造りはほとんどなし。木曽谷イコール檜が生んだ願望()

・木造シンパ。伝統木造がいいといっている割になぜ専門家はRC造やS造を建設していくのか疑問という人あり。

 

4.7 価値基準

(10).新しいもの志向

・最新の住宅は耐震技術でつくられ古いものはダメ。中古よりも新品がいい。長く使って楽しむより新しいもので楽しむ。

(11).見栄え志向

・印象に訴えられたら心が動く。少ない情報で印象を自分でつくる(描く)みてくれ重視。華やいだ図面に関心があつまる。

(12).コスト志向

・良いものを安く。最終的にはそこそこ良いもので安くとなる。

(13).こんなはずではない。

・スケール感やバランス観よりも印象の強さが第一義的。時には建設後こんなはずではなかったということあり。

(14).慣れ(と諦め)

・住めば都。特別なことがない限り、慣れてくることが多い。諦めとセットとなることあり。無理やり慣れさせられあり。

(15).分かりやすいものが価値の評価軸

・見えないものの価値はわからない。価値はその道の専門性を考えてということにはならない。形にならないと判断材料とならない。

(16).ムードによる評価

・堅物の技術者よりもムードメーカーの営業マンの声が親近感あり。技術営業よりも巧みな話術の営業マンがおしてくる。

(17).混合よりも純無垢志向

曲がったものよりまっすぐもの志向のこともある。

 

5.専門家側の行動(主に教育的事項について)

5.1 現業における教育

(1).現業時における建築・街造り学習の展開について

・個人住宅設計において、まず建築主に設計の意味から理解してもらわないと設計の仕事が成立しない。これは、設計うちあわせのときに建築や街づくりの教育ということになる。

・公共建築の設計の際には、利用者と設計者との緻密なコミユニケーションがあり、利用者が自身の専門性を建築的空間で実現することを理解することにもなる。

 

5.2 市民への教育

(2).市民への住教育

・住まいをもっと楽しめるよう住教育を説く専門家。勉強しない住民といってなげいていたが、それは本当になげくことなのか。(専門家のエゴにならないように)

(3).初等中等教育への支援

・総合学習への協力。

 

5.3 市民に対してそのほか

設計とは何かから建築主に説明していく。教えるのではなく説明し理解いただく。(設計業務の理解)

設計者の設計意図がなかなか理解してもらえない。最終的には適度に理解いただく。

予算が決まっているので住民の言い分よりも施工業者の言い分をきかねばならないこともあると一部の設計者。

宅地不適格と明らかにわかるところの新興住宅地にて、災害が発生でも基準法遵守となる。これには市民は納得できない。

性能規定10年。特定の業界人は10年もたせれば十分というが。

 

6.市民側の行動

6.1 専門家主導型学習

 市民教育により学習もあれば、マスコミや出版物からの情報収集としての学習などがある。

 

6.2 市民主導型市民参加

専門行為は市民のためのものである。当然市民が種々の形でかかわり、また専門行為の中での判断事項には市民感覚があってしかるべきものである。しかし、現実には市民の存在や市民による判断をさけたがることもまれにある。

 

7.おわりに

 本稿では、市民に対する専門家の信頼向上を目指して、市民と専門家の双方向コミユニケーションについて実状を評論的に検討した。

コミユニケーション論考、エッセイ100

2014.06.14 コミユニケーション論考
、100
 コミユニケーション論考

交流による活力醸成について、沈滞期において明日への展望を描くために 09.04.30

1.はじめに

 今、社会が抱えている問題は、(経済不況はさておき)閉塞感が漂う終末的な状況そのものにあり、専門分化・分業が個人の先鋭的な活力発揮を阻害する要因にもなっているのではないかと思える。こうしたときに、システム改善はいうまでもないが、それ以上にやらなければならないことは、周知のように個人からの活力醸成である。
 しかしながら、その切り札といわれているコミユニケーションの充実ということについては、確かにチャンスと場が増えてきてはいるが、コミユニケーションそのものにも専門分化・分業に端を発した閉塞感が漂っており、ますます打開の方向が見えにくくなっていると思われる。
 そこで著者は、コミユニケーションがスピリットとパラレルなものであり、いま少しスピリットが反映できるような何かしらの工夫を凝らして、より人間らしいコミユニケーションを図ることにすべきと考えた。
 本稿の論点は「交流」である。これは「混じり合う」ことと「語り合う」ことからなっており、その効用を論理展開するとともに新視点による構想を策定し、いくつかの問題へのアプローチに資することにする。


2.現状の問題

 コミユニケーションの不十分さが関与している問題について。

(1)市民と専門家とのコミユニケーション;

 住まいづくり、街づくりはいうに及ばず、専門家から市民に向けて働きかけがなされているが、何かにつけ一方通行的様相が散見される。なお、専門家とは市民以外のという意味を持たせた。

(2)建築界がなすべきこと; 箱物オンリーになっているとはいわないまでも、明日の生活を提案する建築が、社会の分業に徹していることに、大いに気にかかる(そうでないことも多々あるにしても)。 また、建築がもっと他の工学と連携してはいかがか。やっと建築の中で構造と意匠の融合としてアーキニアリングが登場したが、他の工学にもリーダーシップを持って連携を進めるべきである。

(3)教育への介入; 専門家の教育への安易な介入として特に子供教育について、大人の枠組みで教育を押し付けている。ものづくりが大事として幼稚園児にその体験としていきなりのこぎりを持たせている(教育機関以外が主催の)グループも散見される。

(4)研究成果の社会への還元;大学や学会を中心に遂行されている研究の成果を社会に還元するとして、市民向けに企画が実施されている。この種の問題で多いのが街づくりである。確かに啓発として十分とは思われるが、コミユニケーションとしてはまだまだなようにみえる。また街づくり以外では莫大な還元が少ないようにみえる。

(5) 市民を含めた地域連携;

 産学連携として地域の産業界が活力を得ている。結構なことではあるが、市民の存在がみえていないことも気にかかる。産官学民連携や組織だった連携に加えて、地域住民として例えば町内会レベルで日常活動の役割もあろうかとも思う。

(6)実務者の心意気; 市民と直接接しているいわゆる実務者と研究者・教育者との連携をもっと図って欲しい。理由は(極論すると)そうした疎外感がしらずしらずに実務者を専門分化に埋没させてしまっているような気もするからである。

(7)教育(研究も)について好奇心の醸成; 物事を理屈でつめるがゆえゆえに知識偏重となる根源は何か。精神活動の源があまりにもないがしろにされているのではないのか。専門分化とパラレルに総合化を目指すべしといわれている昨今、何かメンタルなものが入った方が面白さと活気を生むのではなかろうか。


3.展開

3.1 方針  閉塞感の原因が効率至上による専門分化・分業にあるとして改善策を考えてみる。ここでは、個人の顔がみえることが第一としてパッションの欠如を問題とする。

3.2 関心  思考の枠を広げることはいうまでもないが、ほんの少し広がりを持てばいいと考える。いってみれば各自の考え方に「のりしろ」を設けて他の方との連携できれば、結果的に膨大なネットワークの構成も可能となってくる。これが広がった好奇心というべきものである。「のりしろ思考の薦め」といったところである。


3.3 方法の検討

(1)活動の形式

(a)混じり合い お互いの垣根を低くすることによって、触発される機会が増え、各人のパーソナリテイをもった討議が可能となる。

(b)語り合い 討議という言葉をあまり使わない理由は、お互いに時間をかけ遠慮せずに考えながらの討議ラリーを行うからである。議論というと直に細分化された論議が横行し、どうしても専門家のみのものとなりがちである。市民参加となると広がった議論となると、語り合いが基本となるべきである。

(2)対象グループ 参加者については、階層と地域の二面性を持っている。階層とは、研究者、教育者、実務者といったわけ方のものであり、また企業や官庁などのものでもある。分野による分け方もこれに入る。 地域の場合には、地域という広がりの中で、種々の階層の方が入り乱れた混り構成を意味する。 このような構成のメリットは大きい。例えば学生が大人と混じり合うことになれば、そこには社会性がそなわり、志の確かなる育成があるということにもなる。


3.4 具体的問題への対処

 交流というものを「のりしろ」トレーニングと考える。

(1)市民とのコミユニケーション これは、街づくりや住まいづくりなどで専門家と市民が向き合うときの問題である。実際には、市民にどう理解いただくのか。市民と共にもの造りをどうすすめるかが問題であり、どのように混じり合うかがポイントとなる。

(2)実務者のクローズアップ 研究に携わる大手の高級実務者は別にして、巷の実務者に着目すると、彼らは業務を通して専門家として市民の間に横たわっている。彼らが市民とうまくコミユニケーションしていることを、研究・教育の方々も共有していただきたい。

(3)若人育成 若者教育は教育機関が主体的に担うのには異論はないが、社会性を身につけるといったことには、やはり混じり合いしかないであろう。また子供教育についても同じである。

(4)日常性 高度技術社会に対応した知識や知恵の教育はいうに及ばないが、同時に人間性を如何様に育ませていくのか考えることもまた必要であり、専門家がそれなりの役割を演じるべきである。


4.実践

4.1 交じり合い、混じりあい

(1)ねらい 学生の志の育成に的を絞って、学生と大人の間で交じり合うことにより触発のラリーを図る。

(2)様相  学術団体支部大会の目玉行事として「学生による(みんなで)語り合いのシンポジオン」なる企画が03年から毎年実施されている。テーマは街づくりや自主活動など多様に設定して、話題提供学生グループが募られ、学生と大人とのコミユニケーションが図られている。例年、話題提供学生チームは611チーム程、参加者は60100人程である。また学術団体全国大会でも07年度より毎年実施されている。

(3)交じり合いの仕掛け 自由討議では、関心ある方が関心ある学生グループのところへ出向き、学生と大人が入り混じって、一対一もあれば少数対小数の討議があちらことらで渦を巻く。

(4)成果 学生はいうに及ばず大人にとっても刺激を受けることが何よりの成果である。学生側からいえば、社会性、仲間の存在、他分野の存在、自らの元気さに気づく。大人にとっても、学生の元気さに大いに気付き触発される。ただし、こうした企画を事前に想像できる人は皆無であるため、企画の良さをいくら論述しても実際その場にいないと実感はできない。


4.2 集う

(1)ねらい 研究者、教育者、実務者の三者が風通しのよいコミユニケーションを図ることを目的としてテーマを自ら用意して語合う。

(2)様相  学術団体大会を皮切りに「実務者討議の集い」が毎年実施されている。集いにおけるテーマは「建築は生き残れるのか」など時代に即したものとなっている。毎年20人程参加。

(3)混じりあいの仕掛け 大会開催の2ヶ月前に論議するテーマを幅広く設定して参加者に当日まで考えてきていただく。参加者はアトランダムにグルーピングされ、自由討議はグループ毎に行われる。 討議では、ひとつのテーマを参加者の属性を反映させて「中央と地方、著名と巷、研究教育と実務、構造と計画、生産と非生産」といった枠組みで論議することが多くなる。なお、運営については会場で結論を出そうとか、方向性をみいだそうとかするのではなく、参加者自身が家に帰って自分の中で種々思考して各自で方向性をみいだし、次回にそれらを持ち寄るといった方式をとっている。

(4)成果 仲間づくりもあるが、何よりも声を伴う主張する喜びが一番の成果ではなかろうか。またひとつの問題を十人十色でアプローチにより、幅の広がった議論が可能となる。


4.3     地域で混じり合う

(1)ねらい 地域において、いわば地域住民に顔のみえる交じり合いが学術団体某県支部活動として行われている。(著者は手伝い)

(2)様相 一般的には学術団体某県支部では、支部活動というよりも大学中心の研究教育一環としての活動がある。しかしながら、某県の場合、建築系学科を有する大学がなかっただけに、多種多様な方々が結集して支部活動をせざるを得なかったが、それがたいへん功を奏した。(06年度に某大学に建築コースが設立され、これまでの精神を受け継いで支部活動が運営されている。) 例えば地震被害報告会や街づくりなど、多様な方々が働きかけを行い、また聴衆も多様に集まってくる。それだけをとっても他の地域には見られない。

(3)混じりあいの仕掛け  学術団体某県支部では、会員が地域に住んでいるので、当然のことながら地域住民とのリンクはいやでも張られていることになる。また、会員は各種の機能集団に属しているので、組織立った機能集団の連携も図られていることになる。

(4)成果  地域での縦横のネットワークにより、活動成果がすみやかに拡散していく。また、市民にとってAijは少なからず卑近な存在となっていく。

(5)教育機関をベースにした活動 先ほど市民レベルでの活動の必要性を説いたが、一見これと矛盾するかのように教育機関の活動にも言及したい。最近、実務者団体が啓蒙とか称して幼稚園児にのこぎりを持たせて家づくりなどを目にする。そこには教育系の方はかかわっていない。子供には発達段階に応じた行動が必要であるがゆえに、そうした点から教育的チエックできるような体制が必要といえる。教育機関が市民にとってもっと親しみのあるものにと思う。


4.4     市民として混じり合う

(1)ねらい  大学人も含めて専門家は一市民として(市民の資格で自分の専門に関して)参画し学び楽しみあう。いわばサークル的な企画に市民レベルで混じり合う。

(2)様相  こうした企画は全国に先駆けて富山では90年代後半から続いている県民カレッジ自遊塾である。この種のものは直に他の自治体にも波及していった(二番目は静岡県。また富山県内でも各市町村へも複数煎じで)。 塾では趣旨に賛同する方々が自分の色(専門)を出して講座を主宰し、塾生を集めて年に十数回の講義を開催するものである。なお、対象は子供や市民であり、実際の講座は造形教室、子供教室、エンジョイ教室など50程の講座がある。著者はこれに参加し、造形塾やイベントプロデユース塾を主宰した。

(3)成果  自ら参加して楽しむので、市民の輪のなかからアクションが沸きあがり、市民にとって大いに満足するところとなる。市民層に専門の理解者が増えることは喜ばしい限りである。


5.おわりに  著者は、(社会の)システムをつくりかえるのは人であり、その意味でも交流を軸にした人づくりが要であるとの理念をもって、混じり合いと語り合いによって(1)専門分化に対する総合化の具体的方策については交流を軸としたものがあること、(2)これに基づいた実践で大いに発展が期待できることと考え、好奇心や関心向上を目的とした各種企画を10年程皆さんとともに実践してきた。交流の視点で今日まで活動できたのは、趣旨に賛同する方々との協働があったからこそである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロフィール

essey7

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ