まちづくり、風土

生活と気質、より良い街づくりのために、エッセイ176

2018.10.24 生活と気質、より良い街づくりのために、176

1.    はじめに 

 街づくりについては住民主体・住民主導が不可欠であることから、住民の意識改革を唱える研究家・実践家が実に多い。しかしながら、彼ら(の多く)は、意識改革について一体何をした(している)のであろう。唱えの後が続いていないのが実状である。たとえ、対応策を講じても、住民に将来どんな街にしたいかを考えることが必要であっても、そこに至るまでの地域や風土の歴史や個性とともに人間存在の視点が霞んでいるためか、「住民のレベルが低い」とか「だから専門家が主導する」といったことが横行しがちなのではなかろうか。

そこで著者は、こうした問題に対処するため(より良き街づくりを推進するため)に、「そもそも街生活・街住まいに住民はどう営んでいくのであろうか」を考えたくなった。ここでは街づくりを念頭において環境と人間という枠組みで人間の気質に着目し、気質の育まれ方や今日的な社会変化への対応具合を検討することにした。

扱う問題は、

(1)移住者と既住者とのコミユニテイ形成における意識、

(2)地域での近代化受け入れと地域固有の歴史との関係(生活圏と生業の変化)、

(3)コミユニテイにかかわる積極性と消極性のそれぞれの役割、である。

なお、対象地域は富山とし、富山人気質がベースとなる街づくりの展開を念頭に置いていることを冒頭断っておく。

 

2.    論点 

特に関心ある論点は以下の三点である。

(1)観光や移住定住促進の施策において、富山人の気質がブレーキになるという判断に基づいて、富山の精神構造を変えていくべきという動きがある。これについての是非は如何に。

(2)街づくりや地域活動において、地域への移住定住者と既住民との間の少なからずの軋轢を旧態依然とした困難とみるのか、今後の街における新陳代謝とみるのか。

(3)気質の多様化に活路を見出す。変えなくてもいい気質と今日的な状況に応じて変えていく気質とがあるとして、これを気質の多様性ととらえ、目的に応じて、時代の要請に応じて、両者同時対立&共存の道を開けるかどうか。

 

3.今日的気質議論 

3.1 地域と気質

地域に脈々と流れる精神性として気質に着目して、地域の精神文化の源としての人間性をクローズアップしてみよう。なお地域では、地域環境と地域住民とを一体で捉えることにより、気質が住民の精神性をよく表しているとした。

 

3.2 気質の捉え方

(1)気質の定義 

 気質とは、環境を同じくする人たちの間にみられる特有の気風・性格と捉え、これを個人の次元と集団の次元とに分け、前者の場合は、几帳面、社交的、こだわりなどがあり、性格も含め、後者は富山人気質や若者気質とかいったことがあるとした。

(2) 気質のつくられ方と発揮され方

気質は最初から兼ね備わっているわけではなく、地域における生活の営みから意識として自然と培われ沈着してきたものと考える。

・自然条件、社会条件をもって風土の創生。  

・居住からの積み重ね

(3)気質の生活における顔

・気質と生活において:気質はどんなときに現れ、生活への効用は。

・気質の時代性として:気質はどう形成され受け継がれていくのか。

・気質の社会性として:気質の評価、背後の価値観(社会性)や時代性は。

 今日的問題;・合理主義と地方土着主義 ・商業至上主義と土着主義、・排他と自由

 

4.富山人気質のルーツと育み

富山地域における生活の営みから自然と培われ沈着してきたものと考えて;

(1) 地域の面的広がり

 富山全体がコンパクト(広くない扇状地平野)かつ農耕社会ゆえ、共同体意識や環境と一体の意識が強い。これが他の地域との交流の必要度を下げ、時には閉鎖的ともなって独特の気質を生み、場合によってはしがらみ(固定的思考と制度)も根強く残り気味である。

 農耕社会のなごりとしては、身の丈思考や平均化思考があり、これが事に対し「なれ」と「あきらめ」にもつながりがちとなる。また、平穏安定な社会では、感覚のなれが一方では無意識化を、他方では生活への定着をもたらすといえる。

(2)気質様相(あくまでも一般的傾向)

・個人レベルでは頑張り、我慢強い、謙虚、温和、理屈ぽくなく

・社会性については(世の中の風潮)

  可能性追求(都会志向)。共同体意識、自己主張あまりなく没個性的になることも。

積極的チャレンジよりも安定志向。おらが一番(立山一番)もあれば謙遜もある。

 

5.近代化のもとで、都会と田舎の枠組みで

5.1 現代社会 

 技術の進歩に対応して気質も変わってきている(進化している)

(1)生活環境の変化、社会基盤の変化

・人間の居住空間の性能は向上;年中快適を適宜実現、融雪装置・機械力除雪の恩恵。

勤勉→労働節約へ。便利さの恩恵。

・産業構造の変化により農耕社会に起因した習慣や風習が大きく後退。

国内グローバル化なる近代化の波が津々浦々まで。

(2)気質には

 田舎では近代化により居住環境が大きく様変わりし、合理主義や商業主義が静かに定着。

 経済的な豊かさを求めて地方から都会への流出増。

都会風(近代的)の居住→共同体崩壊ぎみ。しがらみなしで快適居住。過去の慣習消え

 

5.2 あらたな地域づくりとして 

最近、都会と地方とが共に健全さを求めて、まず地域再生、次いで都会と地域の連携、といった施策が遂行されるようになってきた。すなわち、ゆとり社会をめざして、地方の個性尊重がはじまり、最初に観光資源として文化資源や自然資源の活用から着手が始まった。このおかげであろうか、方言復権とまでは行かないものの、地方の失われたもの失われかけているものへの見直しが急速に進められている。

 

6.地域や人の評価について

6.1 地域の評価

(1)誇り  「富山が一番」「おらが一番」というという我田引水的な思考がある。困りごとは二点。第一には、立山あれば自然豊富だから平地の立木を平気で伐採する。第二には、おらが一番のために他地域のことが見え難くなっている。それでいて、すぐに差別化を唱えるためか、相互尊重が育ちにくいようである。

(2)謙遜  富山第一主義の別の顔として、奥ゆかしさがある。例えば富山の観光資源を評価するときには、「普通、どこにでもある、たいしたことない」ということが結構ある。これは都会人の人には驚きであり、富山人気質と都会的思考とのぶつかりといえ、富山人の奥ゆかしさそのものなのである。今では次のような対応がすすめられている。

・合理主義を一部受け入れ→合理な商業上手へ ・気質の奥深さ→外への伝え方に工夫。

(3)ビジネスチャンスにて  最近は、若手の方々も含めて商業主義に特化して街づくりや観光もビジネスにしようと戦略を練り戦術を磨いている。この動きが進めば進むほど反作用として、富山人が育ててきた気質や精神性が霞みがちとなる。

 

6.2 人の評価

自己評価について、行動を起こす前から「だめだ、力ないし、どうせやっても」といった自己否定とも取れる発言をすることがままある。これをどうとるか。額面通りに捉えるのではなく、身の丈にあったとして悩まないという気質とか奥ゆかしさともとれる。

 

6.3 仲間との区別

共同体はもとより排他的である。なぜ区別かについては、同類の方々で生活するほうが価値観や気質を共有していて円滑になるメリットに加えて共同体意識が強いからであり、ツーカーの世界や日常の当たり前を共有したいからである。

よそ者問題は何処の地域でも一緒であるが、富山域ではよそ者を旅の人といっている。旅の人は地域意識が十分ならず(腰掛の様相)とのことのようである。諸説あり。

 

7.街において、 

いくつかの問題を設定

7.1 居住について、居住意識から

(1)県外人の県内居住、溶け込む努力  ひと昔前、移住者が地域に溶け込むために、近所付き合いを活発にして気質の体得をしたものだという。例えば、わざとらしいといわれながらも方言を使う努力があった。今では、地方での社宅やマンションも都会の一部のように捉えられるためか、地方の生活環境はどことなく都会風であり、都会優位ともとれるかのようである。また、人が環境に特別に合わせるのではなく、環境が(都会風の)人に合わせてくれるかのようでもある。

(2)県内人の街居住にて 

 県内人でも、住み慣れた場所はしがらみあり、負担な近所づきあいから逃れるために、新興住宅地に居を移す人が大変多くなっている。そこでは、難を逃れる方々が多いばかりかしがらみがないので、かなり都会風で気楽な居住が可能ということである。

 

(3)地域への移住定住について 

移住民のとるべき方法は二つあり、地域に溶け込まず自身の流儀を通すか、溶け込んで和するか変えるか、である。前者は非積極性、後者は積極性と捉えることができる。

・既住民と移住民との間で区別が自然と差別につながらないように、移住民と既住民との間で非活動的姿勢や非積極性姿勢にもっと意味を見出して、多様性を確保していくべきであると考える。地域ではそうした様相が役割分担を伴って形になるのではなかろうか。

(4)地域での関係性 

 地域において地縁が当たり前の関係性である。最近は、しがらみの原因となる地縁の保守性を避け多様な関係性を築くことが多くなってきた。すなわち地縁という結びつきではなく、職場や趣味などのつながりで地域を超えたネットワークというつながりである。こうした新しい種々の関係づけを図ることが多層化の今日的様相といえよう。

(5)余裕度 

 移住民と既住民との間には環境の余裕の大小で、軋轢になったり平穏になったりする。都会のようなヒステリックに近い環境では軋轢は激しいものとなるが、富山ではおおらかな自然のもと時間が両者を和していくところもままある。もちろん環境のハードやソフトの整備により余裕づくりも目指さねばならないことはいうまでもない。

 

7.2 最近の元気者 

 田舎のおとなしい地域でも元気な人が結構増えてきている。これを地域の都会化や多様化の結果と捉える。田舎では、都会からのU,J,Iターンで、目的意識や情熱は申し分ない元気な若者が増え、地域活動が精力的に進められている。以前は、そうした若者と既従者との軋轢も少なからずあったが、不思議なことに今では若者に期待する声が高まりをみせ、(極論だが)邪魔をするのは行政というようにいわれるようになってきた。田舎では、高齢化も進み、若者に帰ってエールを送る(送らざるを得ない)面はあるものの、これまた富山がなせる余裕の業といいたい。

 

7.3 地域活動について 

町内の行事や地域における横の関係(サークルや職場仲間など)での行事について考える。

(1)各種行事での運営 

 行事遂行に際しては、(行事に)積極的な人とそうでない人との間に温度差が生じ、積極性の人イコール都会人と決めつけることから両者にわだかまりが生じ、そうした区別がいつしか差別へとかわることもある。解決に向けてはどうするか。非積極性の役割は積極性に関してブレーキの様相だけを問題にすることでいいのか。非積極の在り方が相互尊重のもとで検討されるべきかと思う。

(2)町内会主導の街づくり 

 本来は街づくりでは町内会主導は歓迎すべきところではある。しかし、大方は困ることばかりである。一つには、町内会はそもそも行政の下請けであり、下からの意見を吸い上げての活動は望むべくもない。二つには、町内会幹部について街の古株が独占し、既住の若い方々や移住者が全く入り込めない状況にある。こうした会のある地域では、後者の方々が別組織を立ち上げて粘り強く運動することにより、ボス支配の町内会をはねのけるしかなく、実際少なからずこれに成功しているところもある。

 

8.おわりに 

 近年のグローバルな合理主義が富山にも及び、かつての精神性が厄介者として排除されぎみながら今日に至っている。それでも基本の気質は脈々と流れ受け継がれ、気質はおくゆかしく、相手を立てる様相は今も変わってはいない。これがビジネス目的の合理主義の前に、古びた遺物として気質のリニューアルがしらずしらずのうちに進行する(させられる)こともある。また移住定住問題でも地域の余裕を発揮する形で気質が機能しているともいえよう。地域固有の気質を持ち続けることで、地域の良さとすべきと考える。これをもって、街づくりに資することにしたい。


生活と気質~~地域コミユニテイの充実に向け富山地域にて、エッセイ166

2018.03.23 生活と気質~~地域コミユニテイの充実に向け富山地域にて、166

生活と気質 ~~地域コミユニテイの充実に向け、富山地域において

1.はじめに

1.1 目的

街づくりや地域再生では、かかわる人々の生活向上や生業の確保創出について技術的な問題のみならず人間行為営みとしてヒューマンウエアの観点から種々取り組みがなされている。そこでは、地域の特性を生かして自然や文化の環境を売りとして人をひきつけるとともに地域の特徴が活かされているが、一方では環境条件のPRには人的環境の良さの主張まで手が回っていないことがままある。最近の観光で脚光を浴びている体験型ツーリズムでさえ、人間の輪づくりを前提とはいってもそんな様相が見られる。なぜであろうか。それは環境と人間が一体となっている当たり前のことを忘れがちになるからである。

 そこでここでは、環境と人間の一体とした地域創生やまちづくりがどうあるべきかを念頭に、そもそも環境と人間の一体として人間側の意識に着目し、これを気質ととらえて気質の育みや今日的発展の様相について検討することにした。

扱う地域は、著者の在住地である富山とした。富山は北アルプスの大自然や種々の文化をもち、全国有数の米作地域であることによって、富山人の気質がはぐくまれるとともに、田舎の精神性が健在ともとれるし、今日的グローバル化や商業化にどう対峙しているか、といった問題を垣間見ることもできる。本検討がコミユニテイづくりの一助にしたいと考える。

 

1.2 構成

 富山のもろもろの要件(自然条件、社会条件、意識のもとに気質を位置づけ、これまでをも含めて今後の在り方を考える。以下の項目を論議対象とする。

・富山人気質の数々

・気質の捉え方 ・気質の形成:自然条件と社会条件

・気質を近代合理主義と土着主義からとらえる

・人や物の評価 ・自分自身の力量評価 ・自己主張

・よそ者の論議 ・おらが一番の論議

 

1.3 論点 特に関心ある論点は以下の二点である。

(1)観光や移住定住促進の施策において、どうも富山人の気質がブレーキになるという判断があり、このため富山の精神構造を変えていくべしという動きがある。これについて是非を検討する。

(2)街づくりや地域活動において、地域への新加入者と既住民との間の少なからずの軋轢を旧態依然とした困難とみるのか、今後の布石とみるのか検討したい。

(3)気質の多様化に活路を見出す。変えなくてもいい気質と今日的な状況に応じて変えていく気質とがあるとして、これを気質の多様性ととらえ、目的に応じて、時代の要請に応じて、両者同時対立&共存の道を開けるかどうかを検討したい。

 

2.今日的気質議論 

2.1 地域と気質

地域創生のムードにのり、地域活性化には地域民の雇用や居住性の向上などが謳われているが、人間の精神性を扱うことはあまりない。これは精神性の展開には個人それぞれや多様さがあるためと統一的な縛りには危険が潜むためである。しかし、人間の幸せ追求ならば、精神性は避けて通れず、かえって避ければ地域問題は単なる物・事の次元に収まり、人間性がみじんも感じられなくなる。そこで、精神性が文化として実を結ぶ点を重視して、脈々と流れる精神性として気質に着目して、ありうるべき地域の精神文化の源としての人間性をクローズアップした。

また、地域の良さはそこに住む人間が支えてきており、その意味では、地域は地域環境と地域住民との一体でとらえるべきとして、気質が住民の精神性を最もよく表していると考えた。

 

2.2 気質の捉え方

(1) 気質の定義 

 気質とは、本来は動物の集団が先天的にもっている行動特性であるとされ、生来性の特質とのことである。その一方では、環境を同じくする人たちの間にみられる特有の気風・性格ともいわれている。両者、若干異なっており、後者は後天的な特質となっている。心理学では全社の定義となろうが、現代では後天性を問題にするので、本稿も後者の立場に立つことにする。

また、気質を個人の次元と集団の次元とに分けることにして、これまた後者の立場に徹することにする。なお、前者の場合は、几帳面、社交的、こだわりなどの面があり、性格も含めることもある。後者は富山人気質とか、若者気質とかいった面があることを付記しておく。

(2) 気質のつくられ方と発揮され方

気質は最初から兼ね備わっているわけではなく、地域における生活の営みから意識として自然と培われ沈着してきたものと考える。この観点で気質のつくられかたから使われ方までの概略までを展望する。以下に項目を列挙する。

・自然条件、社会条件をもって風土の創生。

・居住からの積み重ね

  生活体験として、粋に住まう体験の積み重ね。

  住まいと街の生活空間がベースとなっている。

(3) 気質の生活における発揮のされ方に関する問いかけ

・気質と生活において:気質にはどんなものあり、どんなときに現れるか。それによって生活の効用は。

・気質の時代性として:気質はどのように形成。受け継がれ、どうなっていくのか(進化、変化)

・気質の社会性として:気質の評価、背後の価値観(社会性)や時代性

 

2.3 対立構図

 地域における気質の今と今後について今日的問題が以下に示す対立構図であらわされるとする。

・近代合理主義と地方土着主義 ・商業至上主義と土着主義

・地方と中央         ・排他と自由存在

 

3.富山人気質のルーツと育み

地域における生活の営みから自然と培われ沈着してきたものと考え、富山の環境について自然・社会や生活の面から述べる。ただし、すべての富山人に当てはまるということではないことを断っておく。

3.1 自然条件、社会条件

(1) 地形

 平野が狭いので海と山が接近のため、海からも平野からも(山頂群はいうにおよばず)連峰そのものが見える。日本では稀有な存在である。(長野との違いは海があること)

 このような光景が当たり前として気質に沈着している。しかし圧倒するスケールが人を飲み込むかのようであり、その意味で個の主張がし難くへりくだりの根源となっているかのようである。なお、畏敬の念や共同体の固定化も気質となってあらわれよう。

(2) 気候・気候

 冬場以外には温暖気候のためか気質は温和である。冬場は豪雪と低温により耐えるひたむきな姿勢が気質にかわっていく。雪かきや雪下ろしをいとわない勤勉さも同様といえる。

(3) 生物 .植栽多様性

 温帯から寒帯まで、かつ各帯の領域が広い。(寒帯・亜寒帯が長い連峰域) 自生植物に関しては、日本全体の種数の半数弱が富山の種数であるくらい、植物多様性があり、気質にも反映されていよう。

(4) 社会条件

 かつての加賀100万石の半分弱を占めていた大穀倉地帯。農耕社会では共同体を形成し共同作業で営む。これが同一歩調同一行動を必要性とし個人個別行動がしにくい下地となっている。

 

3.2 気質と生活  

(1) 地域の面的広がり

 富山全体がコンパクトかつ農耕社会ゆえ、共同体意識や環境と一体の意識が強い。これがほか地域との交流の必要度を下げ、時には閉鎖的ともなって独特の気質をうみ、場合によってはしがらみも(固定的思考と制度)根強く残り気味である。

 農耕社会のなごりとしては、身の丈思考や平均化思考として、時としてはことに対し「なれ」と「あきらめ」にもなりがちであり、平穏安定な社会では、感覚のなれとして無意識化および生活への定着がある。

 

3.3  気質様相(上記をまとめとして周知の事だが)

・個人レベルでは頑張り、我慢強い、謙虚、温和、理屈ぽくなく

・社会性については(世の中全体の風潮であるが)

 可能性追求(都会志向)として県外への就職・進学  (後出)

 共同体意識、自己主張せず、没個性的になることもままあり、

積極的チャレンジよりも安定志向

おらが一番(立山一番)もあれば謙遜もある。(後出)

 

4.近代化のもとで、都会と田舎の枠組みで

4.1 現代社会

 技術の進歩により、自然条件や社会条件が変わってきているので、これに対応して気質も変わってきている(進化している)

(1)生活環境の変化

・人間の居住空間の性能は向上している。気候条件については、エアコンにより年中快適を適宜実現させている。また、降雪については融雪装置や機械力による除雪が功を奏しだしてからは、勤勉よりも労働節約がすんなりと受け入れられるようになった。

・社会の成熟により、ますます便利さの恩恵を受けいれるようになってきた。

(2) 社会基盤の変化

・産業構造の変化により、農業よりも工業、とりわけサービス業の発展により、農耕社会に起因した習慣や風習が大きく後退し、国内グローバル化なる都市化の波が津々浦々まで及び、新しい要因のもとでの気質の移入がみえるかのようである。

(3) 気質には

 田舎地域では、都会化として居住環境が大きく様変わりし、また合理主義や商業主義が静かに定着してきている。

 これに伴って、自由の謳歌として進学の自由や職業選択の自由の恩恵を受けあるいはより経済的な豊かさを求めて地方から都会への流出が増すばかりである。加えて都会風(近代的)の居住による共同体崩壊が始まり、しがらみなしや快適居住の快適さを手にするようにもなってきた。

 そして今は、前にも増して、地域では消えていくもの、残されているもの、せめぎ合いが静かに進行しているといえる。

 

4.2 都市化による地域文化の崩壊

 地域のまとまりの良さとして地域内で通用する方言があるが、生活圏の都市化と共に、今では跡形もなく吹き飛んでしまった感がある。ここで、その様相を見ることにより、気質の存続性についてヒントを得ることにしたい。

 方言は地域外との交流が疎であることで、地域内で独自に発展した派生言語のことであり、見方を変えれば、地方色豊な文化ともいえる。

 そうした方言が割合身近な年数で消滅したのはなぜであろうか。理由は、地域が都市の労働力供給源となって都市化を受け入れざるをえない社会であったこと、都市に対し地方が卑下される状況下にあったことが上げられる。

 確かに、1960年高度成長期以降、TVの普及により標準語が浸透し、都会への出稼ぎや移住が特筆される。

 しかし、失ったもののほかに手に入れたものは、都会からの技術の恩恵であり富であり、地域における生活水準は飛躍的に向上した。このことにより、都市化と直に対峙する過去の慣習が消え去ったといってもいいであろう。

 

4.3 あらたな地域づくりとして 

 都会優先社会として、都会尊重と地方卑下が定着していたが、これもまたグローバル化のより一層の進展により、尊重と卑下の枠組みが消えて、富イコール一番ついて地域ではなく人間に関しての格差を生み出していったのである。

 しかしながら、地方では卑下の時代を経た後には格差社会のローワーの域に多くが属するようになったといっても過言ではない。また、都会の方でも、超過密状態がよかろうはずもなく、ここに都会と地方とが共に健全さを求めて、まず地域再生とかついで都会と地域の連携といった施策が遂行されるようになってきた。すなわち、ゆとり社会をめざして、地方の個性尊重がはじまり、最初に観光資源として文化資源や自然資源の活用から着手が始まった。このおかげであろうか、方言復権とまでは行かないものの、地方の失われたもの失われかけているものへの見直しが急速に始まったのである。

 

4.4 都会と田舎のマナー

 ここでモラルについて扱う。マナーは法を補完する規範というべきものである。これは都会と田舎ではモラルの行使において差異があり、都会ではモラルがないとたちどころに混乱が生じよう。田舎の場合のモラルレスについて例を挙げておく。(今は変わってきている)

・電車:降車が先で乗車が後。田舎では降車の前に乗車してくる。単線区間ならば電車の行き違い待ちもあって、電車の停車時間が長く、乗降客が少ないから、混乱は起きていないが。

・自動車:方向指示器を交差点に入る直前に出すノンビリ屋がいる。

 

5.地域や人などの評価として

5.1 地域の評価、自己評価、行動能力評価の様相

(1) 誇り

富山第一として「おらが一番」という我田引水的なこともままある。困りごとは二点。第一には、立山あれば自然豊富だから平地の立木を平気で伐採する。第二には、おらが一番のために他地域のことが見え難くなっている。それでいて、すぐに差別化を唱えるためか、相互尊重が育ちにくいようである。

(2) 謙遜

富山第一主義の別の顔として、奥ゆかしさがある。例えば富山の観光資源を評価するときには、

「普通、どこにでもある、たいしたことない」

ということが結構ある。これを聞いた都会人や都会的センスの人はびっくりし、富山人気質と都会的思考とがぶつかる。

都会人からは、地域の方のまだらこしくもあり、不合理なりとみる。これに対し富山人は日常にはそれがあたりまえの思考であり、そのことを都会人が理解せずと判断している。

富山気質の奥深さには、人間気質や自然について良さに気付かないのではなく、それが当たり前の日常であり、奥ゆかしい日常なのである。

そんな気質も合理主義か地元田舎主義かの択一を迫られているが、これについては以下に示す二対応で十分と考える。

・合理主義を一部受け入れ →PR上手、合理な商業上手へ

・気質の奥深さ →外へはどう伝える。内には自信をもって

(3) ビジネスチャンスにて

 最近は、若手の方々も含めて商業主義に特化して街づくりや観光もビジネスにしようと戦略を練り戦術を磨いている。ただ、そこにはもう富山人が育ててきた気質や精神性はまるで見られない。ビジネスの先も本来は人間であるので、そんな視点であれば、気質は古いものということにはならないはずである。

 

5.2 人の評価

(1) 自分評価

事に対処するときやる前から自己否定とも取れ気味の発言

  「だめだ、力ないし、どうせやっても」

がある。これを額面通りに捉えるのではなく、身の丈にあったとして悩まずの気質と見ることもできる。「あきらめ・なれ」は時として奥ゆかしさの一形態にもなる。

(2) 気質が公言されると、一例

富山の気質を富山人がどの程度認識しているのか。巷では日常会話で種々飛び出すが、経営者としてはからずも公言した例として17年7月5日、県内大手の某大企業のトップが「富山生まれの人は閉鎖的な考え方が強いので社員に採用せず」という公言により県内は騒然となった。

これには富山人の気質を経営者流に解釈したこと、公式の場での発言の意味を軽んじたこと、「だから富山は」といった画一的解釈を押し通したことの三点で発言主の公人として資質が問われたのである。また発言主は謝罪したものの気質尊重・人格尊重には何ら触れなかったことが気がかりであった。逆に言えば、気質や人格を富山地域で如何に発展させていくかが相当に難しいということである。

 

5.3  仲間意識からの人の区別

よそ者問題は何処の地域でも一緒であるが、富山域ではよそ者を旅の人といっている。これには諸説あり、富山人が売薬の出稼ぎに行くからそのお返しとしてよそから来る人を旅の人とも言う。単に、よそ者は地域民と区別するときの概念である。

 なぜ区別かについては同類の方々で生活するほうが価値観や気質を共有していて円滑になるメリットに加えて共同体意識が強いからであり、ツーカーの世界や日常の当たり前を共有したいとのことである。

 なお、そうした気質が分からぬ地域民に対してはまたよそものでなくても気質がよそ者であれば、よそ者のように区別されることになる。

 

6.街において   いくつかの問題を設定

6.1  居住について

(1) 県内人の県外での居住

・高度成長期前: そんな方々は富山気質を封印して暮らしたという。富山の特徴を何とか消そうと思って方言使わず、アクセントも都会的に。涙の出るような努力があったと聞いている。

・高度成長期以降:都会がいわば人種のるつぼ化。標準志向で人間が都会化。団地住まいのマススタンダード。田舎の都会化の進行。

とにもかくにも、都会を支えたのが地方からの移住者であることは間違いない。

(2) 県外人の県内居住、溶け込む努力

・ひと昔前、移住者が地域に溶け込むために、近所付き合いを活発にして気質の体得をしたものだという。例えば、わざとらしいといわれながらも方言を使う努力があったと聞いている。

・今では、地方での社宅やマンションも都会の一部のように捉えられるためか、生活環境はどことなく都会風であり、いまだに地方で都会優位思考が散見される。

(3) 県内人の街居住にて

 県内人でも、住み慣れた場所から別の地域に移れば基本はよそ者であり、地域の気質を共有していても、そこには移住ということでの新しいモードーが入り込むからである。とはいえ、もともと大きなくくりでは同一地域ゆえに、団地やマンション以外のいわゆる既存街居住では既存地域での住民との接触が増して、それなりの良好な関係が築かれることになろう。なお、団地やマンションの場合は、周辺にはあたかも租界の様相を呈することがあり、そこにはもう違和感どころではない越すに越されぬ区別がつく。

(4) 地域への移住定住について

・根本には:県内人の多くは最初から県内一筋(生まれも育ちも)であり、日常的にはのんびり。これに対して県外人は転勤族や移住者であり、彼らの持ち込む日常は、地域には新しい日常となって違和感が生まれる。

・移住民のとるべき方法は二つあり、地域に溶け込まず自身の流儀を通すか、溶け込んで和するか変えるかということである。前者は非積極性、後者は積極性と捉えることができる。

・既住民と移住民との間で区別が自然と差別につながらないように、移住者や既住民との間で非活動的姿勢や非積極性姿勢にももっと意味を見出して、二極融合でいくべきであると考える。地域ではそうした様相が役割分担を伴って形になるのでは。可能性を探っていくべきかと思う。

(5) 地域での関係づくり

 地域において地縁が当たり前の関係性である。最近は、地縁の保守性がしがらみとなるので、これを避け多様な関係性を築くことが多くなってきた。すなわち、地縁という結びつきではなく、職場や趣味などのつながりで地域を超えたネットワークというつながりである。

しかし、そうした新しい関係性は時として地縁と競合することもままある。地域における関係性は地縁のみでなく新しい種々の関係づけの多層化が今日的様相といえよう。

 

6.2  最近の元気者 

一般におとなしい地域にて元気な人が結構増えてきている。これを地域の都会化や多様化の結果と捉える。

(1) 元気な若者

地域見聞を積み重ねる人であり、Uターンの方や他地域からの移住の方が多い。そんな経歴ゆえに視野が広く、種々体験が築盛されている。もちろんそうしたことも気持ちひとつといえる。

 最近、そんな方々が浮いているといった評価ではなく、割合大目に見ていただいているようである。同質でまとまる県内人という性格が強いだけに、ここに多様化が進んでいると見える。

(2) シルバーでは

長寿命化もあって、団塊世代の活躍が(いまだに)顕著であり、各種団体の幹部を独占気味であり、また(反乱の世紀を乗り切った気質のなせる業かもしれないが)自己主張がまかり通り気味である。実際の役割は、体験蓄積を介して若者との交流があるというべきである。

 

6.3  地域活動について 

町内の行事や地域における横の関係(サークルや職場仲間など)での行事について考える。職場での仕事についても同じように論議できよう。

(1) 積極性・非積極性

 各種行事では必ずと言っていいほど、活動で積極的な人とそうでない人との間に溝ができ、積極性の人イコール県外人ときめつけぎみであり、非積極的な人イコール県内人とされぎみである。とにかく積極的人と非積極的人とが区別され、両者にわだかまりが生じがちである。そうこうしているうちに、物事への対応姿勢の温度差が差別の対象にはなりえないはずなのに、区別がいつしか差別へとかわることもある。

決に向けてはどうするか。非積極性の役割は積極性に関してブレーキの様相だけを問題にすることでいいのか。非積極の在り方が相互尊重のもとでもっと検討されるべきかと考える。積極性と非積極性のぶつかり合いの改善は非積極性そこから着手といえる。

(2) 地域行事

・こどもの遊び支援:自発的支援グループもあるが、行政からの支援を受けると、時には指導員派遣もあって、活動が人任せになりがちである。健全なところはあくまでも自主グループ主導での活動となっており、そこに行政参加がある。

・町内会活動:そもそも行政下請けとの捉え方多い。幹部が既存住民であり、移住民に向けての登用はない。また新住民は体質の古さに飽き飽きで、関連をもとより避けたがる。最近は、町内会離脱住民も出始めていて、活動そのものが不活発になりがちである。

 

6.4  街づくり論を展開

・近年のグローバルな合理主義が富山にも及び、かつての精神性が厄介者として排除されることもあり、ゆれ動きながら今日に至っている。

・それでも基本の気質は脈々と流れ受け継がれ、気質はおくゆかしく、相手を立てる様相は今も変わってはいない。これがビジネス目的の合理主義の前に、古びた遺物として気質のリニューアルがしらずしらずのうちに進展することもある。もちろん、これまでの気質は変わらす新たな様相を醸し出すことも可能であろう。

 

7.おわりに

 地域の良さはそこに住む人間が支えてきている。その意味では、地域は当然のことながら地域環境と地域住民との一体でとらえるべきであり、とりわけ気質が住民の精神性を最もよく表していると考えた。そして、気質の形成の仕方、気質の変遷、今気質がなぜ問題になっているかを論じた。特に二点について、気質の発展形を求める形で精進するところに、精神性を地域の特徴としていくべきと考える。

(1) 富山人の農耕社会から受け継ぐ気質(気質の根幹の紹介)

・富山は三方向山に囲まれていて、扇状地の比較的狭い扇状地平野であるために、山の存在が富山の精神性をはぐくみ、自然に対し実におおらかな自負心を形成している。

・富山は農耕にむいた土地柄であり、農耕社会特有の勤勉さと封建的地域構成は残り、また冬場の豪雪による耐え忍ぶ生活が定着している。

(2) 今日的時代対応

・都市化が進んでいるために、気質にも新たな合理性が求められるようになってきたが、奥深いおもてなしの気質も、商業化の波に洗われ続けているが、地域固有の気質を持ち続けることで、地域のよさとすべきと考える。

・移住定住の問題で、既住民と移住民との間での軋轢に際しては、活動的な移住者に対して非積極的既住民という枠組みにおいて、非積極的にもっと意味を見出して、二極融合でいくべきである。地域ではそうした役割分担を見出していくことになる。

〇 以上、気質は地域そのものの環境と人間の枠組みでの根幹をなす事を見てきた。今後の地域創生に向けて検討したい。

北國街道の宿場街づくりについて運動の定着をめざして、エッセイ158

2017.03.30 北國街道の宿場街づくりについて運動の定着をめざして、158

たまたま北國街道滑川宿の地域活動にお手伝いすることがありました。友人のアシストを兼ねて街づくりについてまとめてみました。

1.はじめに

 街づくりを長く持続していく上では、運動を如何に定着させるかが問われる。これには、街づくりにおいて推進側と住民側との共通理解をどう取り付けていくか、またリードする専門家の役割と若者の強力な推進をどう図っていくかが検討課題である。

著者らは、滑川宿まちなみの保存と活用に2010年より(保存会を組織して)たずさわり、今年からは標記題目にあるように上述の観点で運動に幅を持たせながら展開している。ここでは、そうした運動の詳細を記すことで今後の街づくりに資することにしたい。


2.今の状況を踏まえて
 
保存は活用あってのものとの考えで、滑川宿の街の活力を向上させるために、核となる町家にてお祭り・演奏会・美術展・物品販売市などを開催してきた。

 最近は、地元はもちろんのこと周辺地域の若者達が当該宿に思いを入れ、活動の担い手となって、世代交代を含めて街が少しずつ様変わりしてきている。

 今回は、中堅人による地道なハード的支援も含め、若者の街への結集様相や街の活性への活動を紹介し、今後についての展開を検討したい。

 

3.街の風景づくり

専門家がかかわった風景づくりについて、富山市大沢野にあった古い名家が取り壊しの際、健全な門だけでも残そうとして、滑川宿中核町家の横に今年移設した。当初は宿場通りにいきなり門ができたことになり、戸惑いはなかった訳ではないが、もともと「ぼんぼこさ(旧宮崎酒造)」は(北国街道滑川宿の)宿場本陣であったので、邸宅用の門とはいえ今では街道筋の風情を引締めるかのように凛として輝き息づいている。

 

4.国登録有形文化財を目指して町家の図面づくり

 古い建造物では、長年の風雨雪に耐えていても、築後100年経過もすれば修理修復が必要となり、保存については現況図面を作り、次いで有形文化財に登録申請(国登録有形文化財)することが一般的である。

滑川宿の場合、真っ先に修理に入った「ぼんぼこさ(旧宮崎酒造)」、次に「廣野邸」が修理された。修復には、山形大学の永井教授および学生の支援のもと、伝統建築をも手掛ける中野工房の中野氏が図面作成を経て修復工事を担当し、各種建物を蘇生させている。

その後、「じんでんや(城戸家住宅)」、「小沢家」、「菅田邸」、「有隣庵」が対象となり、修復作業を経て蘇生した。また、今年度から次年度にかけて、国登録有形文化財申請を滑川館、養照寺、櫟原神社等について山形大とともに中堅専門家による図面づくりが進められることになっている。

 参考のため、登録文化財の現状を記す。詳細は次報にまわしたい。

A.登録住み

 ・旧宮崎酒造店舗兼主屋(ぼんぼこさ):(10数年前に修理着手、4-5年かけ修理)

   弘化以降、養照寺と交代で本陣を務める。

   慶応二年(1866)の大火直後に再建。建物514.7m2

    木造一部二階建。主や背後の明治期に建立土蔵が3棟あり

 ・城戸家住宅主屋(じんでんや):

      明治初期から中期(明治26)に再建。建物191m2、木造2階建  

 ・菅田家住宅主屋:明治初期、切妻木造二階建

 ・小沢家住宅店蔵:明治後期、建物63m2、土蔵二階建

 ・廣野家住宅主屋(四川亭):大正三年、建物77m2、木造二階建、

 ・廣野医院:昭和7年、木造二階建

B.登録申請

 ・養照寺本堂、旧本陣  ・滑川館本館  ・神社本殿、拝殿

 

5.セミナーハウス「有隣庵」 

 滑川宿では町家「有隣庵」は知的広場・コミユニケーション場として、滑川宿にかかわる大学の宿場研究室や地元の企業の研修所となっている。大学では、山形大・東京家政学院大の学生がセミナーハウスとして合宿利用し、地元の金山産業や中野建築工房の社会人向け研修会を開催している。この他、街づくりやご婦人のグループにも懇談や勉強の場として利活用している。

 今では、有隣庵が知的情報の練り上げや発信の場所となって宿場町に若さとパッションをもってインテリジェンスの風を吹き込んでいる。

 

6.若者の街モニター

滑川市は、全国から応募の学生が滑川を知るための種々の体験(観光モニター)を通して結果を学生自身からSNSで発信するという企画「モニターツアー20」を夏休み期に実施した。実施プログラムについては市が先行し、これを街づくり専門家が協力し、運営には地元TV会社があたった。

対象学生は、街づくりを専門とする大学研究室からの自由応募の形をとり、3大学(東京家政学院大、横浜国大、山形大)から女子学生各4-5人が参加した。

体験期間は、8月下旬から9月下旬までの1か月間を三回に分け、三大学がそれぞれ4-5日間という設定であった。

体験の内容については、女子学生らしい視点で、食(郷土料理、名物料理、今風料理)の堪能、クルージング、農業体験、食品工場製造体験、市内散策などなっている。とりわけ街づくりに関しては、映画ロケ地(アニメおかみこどもの雨と雪の小学校)見学や滑川宿での種々町家にて郷土食づくりなどの体験であった。

発信については、学生たちは体験をもとに有隣庵にてじっくりと構想を練り上げ、そしてSNBSツィッターで滑川女子旅行ツアーと題して全国に配信していた。

以下に日程やツアー内容を述べる。

第一回は、8月29()から5日間、東京家政学院大学学生4名が参加した。モニター対象は、映画のロケ地(アニメおかみこどもの雨と雪に出てくる小学校;田中小学校)や滑川沖クルージングである。

第二回は9月13()からの4日間、横浜国立大女学生4人参加。対象はクルージング、農業体験、市内散策など。

第三回は9月26()からの4日間、山形大女学生5人参加。対象は市内散策など。

 

7.お祭り行事――ベトナムランタン祭り

若者を中心にして地域全体で参加するベトナムランタン祭りが毎年8月の土日に開催されている。これは、滑川がベトナム世界遺産の港町ホイアンに雰囲気が滑川と似ていることから、国際交流として2010年から始まった祭りであり今日に至っている。参加者は年々増え、今年は8000人であり、祭りは滑川宿の新しい人気行事となっている。

実施に際しては、地元若者が中心になり、地元のみならず周辺若者ネットワークの利用もあって実行委員会が作られ、地元の保存会や婦人の方々などが加盟し事業するという形になっている。

企画運営も若者と地域住民団体との共同とし、若者らしいエネルギシュな企画を全面に押し出していた。祭りでは、展示あり、路上ライブの夕涼みコンサートあり、米麺のフォーあり、ぜんざいのチューあり、ベトナミ雑貨あり、アオザイ試着・コンテスト等あり、また三輪自転車タクシーが街中に色を添えていた

参加者は老若男女、世代を超え地域を越え、楽しんでおられた。

 

8.若者の結集  

滑川には文化財が豊富な割には、市民の目が地元に向くよりも(県庁所在地の)富山市に向きがちである。富山市と隣接しているためもあろうか、市内の若者もまた外(市域外)に目が向き、意識の上で若者流出が続いている。

これを憂いした我らは、滑川在住で頑張っている若者を一堂に介してまずは顔見せから始めようと、若い方をけしかけ、滑活交流会、ラインバック、あかりナイト、和美活、アントリー、シーツサミットナイト、笑農和(IT農業)、上市味蔵、観光協会、町内会若手幹部等、10数人が153月、滑川宿に集まり懇親を深めた。若者代表の挨拶では開口一番は、「滑川にいてこれまでお会いしたこともなく見たこともない活動家がここに結集しているなんて奇跡です」と。そのかいあってと思うが、少しずつ若者の地元でのネットワークが根付き始め、これが市域津々浦々の若者(N+D=!、他)や他地域の若者(朝活、フリーフロモーター、他)も加わり、大きな力を発揮するようになってきた。

ベトナムランタン祭りは、そうしたネットワークに支えられ、地元の老若男女の結集により大いに盛り上がることが可能となった次第である。もとろん、結集した若者の心意気が参加者を呼び込んだものといえる。

 

9.おわりに  

 これまでの街づくり活動には専門家や街の衆が主体となって運営してきたが、昨年頃から少しずつ様子が変わり、若者の結集およびこれに呼応して街衆も頑張るといった相乗効果が現れはじめ、滑川宿の街が大いに息づいている。

 とりわけ若者については、草の根的な地元およびその周辺の若い方々と学生諸君とにより、それぞれの思いをもって運動が受け継がれ、街づくりが皆さん身をもって生活の一環として進められてきているといっても言い過ぎではない。

 今後については、街単独での取り組みもさることながら、他地域(北国街道、大岩街道)とのつながりも欲しいところである。具体的には、街道で各宿場街(や拠点)を結び、生活連絡連結ラインとしての街道と生活領域としての街をセットにして広がりのある活動を進めたいものである。 

 末筆になりましたが、滑川宿関連の関係各位には有形無形にお世話になり、ここに謝意を表します。

A.参考

(1)毎年定例企画:ひな祭り、端午の節句、ベトナムランタン祭り7000人、地域の神社の祭り、アート展

(2)特別企画:ドラゴンアッシュ演奏会250人、バンドネオンとベースの演奏会60人、酒蔵アート地元作家16人により1200人、芋煮会(山形大学生有志主催)700人、学生による街ウオッチング(女子の大学生4-5人*3大学)


北國街道の宿場町のまちなみの保存と活用について、エッセイ157

2017.03.29  北國街道の宿場町のまちなみの保存と活用について
  たまたま、北國街道滑川宿の街づくりについて友人をアシストしたことがあります。そこで街づくりについてまとめてみることにしました。執筆は14年10月です。

 

1. はじめに  

北国街道の宿場町滑川宿には江戸末期から明治・昭和初期に築造の古い町家と寺院が6件残っている。これらについては文化的価値が高いとして2010年より保存運動が始まり、最近は「保存は活用あってのもの」という考えで滑川宿を息づかせる種々活用の取り組みが進められている。

ここでは、まちなみの活用基本構想と活用実践の様相を紹介し、運動が着実に実績を上げていることを報告する。

 

2. 滑川宿概要 

滑川市は、穀倉地帯であり、漁業の町でもあった。かつて江戸時代以降は、北陸街道の宿場町として栄えて、加賀藩の年貢米等物資衆参の港町として賑わっていた。この名残が、街道沿いの瀬羽町を中心に数多く残されている社寺や町家や土蔵の建築物とそれらがつくる街並み風景に見ることが出来る。

 

3. 建造物概要 

 歴史的伝統建造物は、北陸街道沿いに5軒が現存している。これらを列挙すると;

・城戸家住宅主屋(じんでんや):明治初期から中期(明治二十六年(1893))に再建。建物191m2、切妻式木造2階建、

・旧宮崎酒造店舗兼主屋(ぼんぼこさ):弘化(1844)以降、養照寺と交代で本陣。慶応二年(1866)の大火直後に再建。建物514.7m2、切妻木造一部二階建。主屋の背後には明治期(1800年代後半、1900年代初め)に立てられた土蔵が3棟あり。

・廣野家住宅主屋(四川亭):大正三年(1914)、建物77m2、木造二階建、

・菅田家住宅主屋:明治初期(1800年代後半)、切妻木造二階建

・廣野医院:昭和7(1932)、木造二階建

・小沢家住宅店蔵:明治後期(1900年代初め頃)、建物63m2、土蔵二階建

・養照寺旧本陣:木造平屋、天保13(1842)

・養照寺本堂:木造平屋桟瓦葺、対象5(1916)、加賀藩時代は有力な寺院、天保9(1838)に焼失。現存は明治45(1912)に再建が始まり大正5(1916)に完成。

 

4. 活動経過

 宿場町滑川宿にある古い町家の保存を目的に20105月に「滑川宿まちなみ保存と活用の会」が設立され、その後20134月にNPOに移行した。

 

5. 活動理念と方針

活動理念は、滑川宿の街を後世に残すことを目的として保存と活用を一体として運動を展開することにある。すなわち、活用あっての保存を念頭において活動を滑川宿にて絶やさず継承していくものであり、いってみれば、事業の効果が地域への愛着となって現れ、それがそのまま保存運動へとつながるといえる。

これは、市民の皆様方にとっては、日常として文化の街を認識いただくとともに、滑川宿に大いに応援いただくものである。

6. 活動方針

(1)会場:宿の拠点である「ぼんぼこさ」、その並びの「じんでんや」、「四川亭」

  ぼんぼこさを地域共生の家、あるいは会所の家とする。

(2)事業種類と頻度:年間11-12個ほどを以下のように設定。

文化 :端午の節句祭り、ひな祭り、獅子舞鑑賞会 

街づくり:展覧会(写真、他)、講演会、古い町家見学会(内覧会)、大学セミナーハウス

教養 :講演会(健康問題、若者プレゼン等)、研修会(少人数勉強会)

芸術 :琴や琵琶の演奏会、音楽会(ギター、バイオリン)、フラメンコ、

     美術展(絵画、工芸、他)、等

交流  :交流会(大懇親会的様相)、ばあちゃん広場(交流場)

ランタン祭り(子ども遊びも含む)、等

エンターティメント:落語、手品、等

(3) 対象:滑川市市民およびその周辺の方々。時には子どもも。

 会期通して2000人参加もあれば、50-100人のこともある。

(4)期間:4-5日。土日。終日あるいは演奏会のように夕方や夜のみも有。

(5)参加費:原則無料、演奏会等は有料

(6)企画立案:ニーズ調査実施

 

7. 活動の詳細

 実際に活動を行ったもののうち、特徴的なもののみを紹介する。

(1)地元の文化行事: 三月のひな祭り、獅子舞祭り

・ひな祭りについては、「ぼんぼこさ」において、地域の方々の家に眠っているおひなさんを一堂に集めて展示するものである。色鮮やかでかわいいと、来訪者は大いに満足されていた。また提供者の皆さんは自分らの拠出によって多くの方々が感動されたことに何か使命を果たしたといったような感に浸っておられるように見えた。来訪者は例年数百人オーダーである。

・端午の節句については、武者人形やこいのぼりもまた皆さんから拠出いただいた。人形はひな祭りほどのあでやかさは無いものの、来訪者は例年百人オーダーにものぼっている。

・獅子舞は地元の神社のお祭りで子どもが踊るりりしいものである。各家庭を訪問していく。写真は「ぼんぼこさ」の土間での光景である。

 

(2)音楽会 

 天井の高い和の「ぼんぼこさ」空間においてクラシック音楽会を行った。音響は劇場とは違って実にしなやかな響きであり、演奏者も気に入る程であった。もちろん聴衆も音の響きに酔いしれておられた。

(3)落語会

 これは、「ぼんぼこさ」で三遊亭の方々をお招きしてのエンターテイナーショーである。「ぼんぼこさ」の空間がヒューマンな距離感で会場を笑いの渦にかえていた。80人ほどの参加であった。

(4)ベトナムランタン祭り

 例年8月初旬の土日、2000人程参加する一大国際交流を図ったお祭りである。街は必ずしも古きよき時代だけにあるわけではなく、歴史的時代もあれば現代的な国際交流の時代のまっさかりにある。滑川の一市民の発案で、ベトナムと滑川宿がランタンを通して文化的に結びついている。

メニューは、ベトナム音楽に舞踊、民芸品、飲食など多様であり、今年からは子ども遊ばせも取り入れられていた。祭り最中、滑川宿は大いに国際色ゆたかに活気付いていた。なお、県内に在住のベトナム人も趣旨に賛同して踊りや音楽に興じて頂いた。

(5)子ども遊び

 今年から端午の節句とベトナムランタン祭りにて、子どもの遊びのスペースが設けられた。まず趣旨は「街づくりは子どもから始めよう」であり、子どもを中心とした活動が進められていた。これは、こども環境学会北陸こども環境研究会とNPO子ども遊ばせ隊との共同の取り組みである。端午の節句のときには「ぼんぼこさ」にて、ベトナムランタン祭りのときには「じんでんや」とその前通りで、皿回しによる遊びがあり、にわかオープンの駄菓子屋がある。道ゆく人たちの多くが皿回しに興じていた。

 

8. 活動の成果

どんな運動でもやったらやったなりのことにある。ましてや、地元のニーズに応えるものならばなおさら、充実感が増すものである。それだけに、目的遂行のチェックを忘れがちになるので注意が必要である。このことを念頭において、活動の成果というものを考えてみよう。

まず活動は継続させたい。なぜなら、活動はもとより一過性であるが、これをいくつも実施し永く続ければ、街の活力が連続して醸成され維持されていくからである。

次に、自分らの街が元気であることを皆さんで認識し感じあうことである。これが、活動の根源的な効用といえる。

 

. 会の運営について 

 街づくりを末永く継続して皆さんと実践するには、組織運営が欠かせない。しかしながら、所帯の小さいところでは個人商店の雰囲気が強く、運営が偏りぎみとなってしまうので、ここはどうしても組織化しておくべきである。人事、財政、活動を民主的にしていきたいものである。また、組織内外でのコミユニケーションも対等・公平・自由を原則として貫きたいものである。さすれば、運営に誇りとやりがいが生まれるものと思っている。ここで、会の様相を述べる。どこの街づくりの会とあまり変わらないが、運営概要をしっかりと明示することそのものが運営のよりどころとなるからである。

(1) 運営

・運営会議;月一回。計画立案、予算配分、予算執行、事業検討など。

・総会:事業と会計の立案と報告、

  会員顔見せ会、大懇親会つき、コミユニケーションの場。

・広報:HPやFBの運用。会報。事業案内ビラ作成。郵送作業も。

・会員拡大:

・事業遂行:運営会議メンバーが主になり、地元の方々にはお手伝い願う。

     研修も含む。

(2) 規模と資産

・人事構成については;理事、会員、市民会員、賛助会員

  会員トータル50名程。

・予算規模:数十万ほど。各種補助金受給。改修工事にあてる。

・伝統的建造物は個人所有

(3) 会における個人の行動

・積極的に ・組織人として ・過度の負担にならないよう

 

10. 今後の問題について

 今後、避けて通れない問題について今から検討していきたい。

(1)市民の位置づけ

 市民とは滑川宿およびその周辺の住民を指す。市民は、滑川宿街づくり運動に関心があってもかかわりを持ちたいと思っても、今は手伝いや寄付請求先でしかない。もっと会へ積極的に関われるようにすべきである。運営側がいくら努力しても、街を本当に下支えするのは市民であることを運営側が理解しておくことが急務である。信頼関係が会員間、市民間、に育まれるようにするためにも考えたいものである。

 なお、若者への後継は上記のことがある程度軌道にのって初めて可能になろう。

(2)支援の輪を広げる

 広報で街づくり運動を大いに発信することはいうにおよばない。市外からの応援支援もとりつけたいものである。そのためには、講演会講師もシンパにするくらいのアプローチが必要である。

(3)資産

 伝統的建造物は現在個人所有である。今後も個人所有をつづけるなら、代替わりしても継続できるよう意識面での対応が必要である。これを避けるなら、法人所有ということになり、準備も進めなければならない。なお、行政所有はほとんど無理である。

(4)連携

 滑川市にも街の活性化を目的として種々団体がある。自分らの団体が大きくなって運動を拡大させる方法もあるが、種々の団体との連携の方が動きやすい。組織の拡大は組織の中に専門集団を生むので組織全体で意思疎通をまま欠くことに注意したいものである。

 

11. おわりに

 保存は活用あってのものと位置づけて、ここ数年地元のお祭りから文化教養やエクスカーションまで市民ニーズに応じて活動を続けてきた。最近は子どもの参加にも道を開いて実績を積んでいる。街の方々からは、文化の匂う街としてのオーラーを見る思いであるといったような声もきかれるようになってきた。着実な進展といえよう。

今後は、より多くの方々が街の衆としてかかわることにより、街がさらに息づくようになればとの思いである。

子育て支援や少子化・人口減少対策として子どもが育つ街をめざして、エッセイ156

2017.03.13 子育て支援や少子化・人口減少対策として子どもが育つ街をめざして、156
  子ども問題についてどう考えるのか人から聞かれたので、本稿をまとめた。 

 子育て支援を含め少子化や人口減少の問題について、勤労の不安定さや実質低賃金などに端を発して日常生活の営みに魅力やゆとりが欠如ぎみとなり、子どもよりも大人の都合を優先させる風潮が蔓延しはじめ今日に至っているといえる。
 解決に向けては、社会全体の取り組みに加え地域社会(家庭を含む)での日常の営み改善を図ることとしたい。すなわち、子どもが育つ街づくりのために地域社会における親を含めた大人世代の意識改革を図りたいものである。


 ここで具体的な話として晩婚化や未婚化をあげる。今、若者にとって結婚が魅力的ではなくなり、子どもと共に将来生活を展望することもおぼつかないといっても過言ではない。確かに若い人たちには「お金がたまってから結婚」「結婚そのものが自由からの拘束」「男には結婚は節目」「女は結婚よりも仕事での生きがい」などの思いがある。どれをとっても、働き方、経済状況、社会通念などに問題がある。これについて対処は社会全体もさることながら大人の意識改革をもって地域や家庭から取り組んでいきたい。以下に具体的に二点述べる。

まず人間関係の希薄化について: これは、どんな集団でも男女間においても当然進行しており、お互いの理解にはコミユニケーションが不足している。確かに今は人を介さずとも買い物や時には仕事すら可能になろうとしている。コミユニケーションの充実には何のためのものかを明確にすることからして、ムード作りが必要といえよう。

次に人間尊重について: 地域や郷土に愛着をというスローガンの活動が各地盛んである。にもかかわらず愛着はいつも観光の次元で留まっており、人を愛して敬うといった次元までなかなか高揚していない。また各地の自然教室でも、自然界で一番好きなものの中に人間が入っていないことが気にかかる。ここは常に人間主体のムードを作るべきかと思う。


 以上まとめてみると、問題の解決には環境改善としての意識改革を含めて雰囲気づくりがあり、当事者同士の努力はもちろんのこと地域社会の後押しが必要といえる。そのためには大人は地域の子どもと共に居し、人の慈しみや楽しみといった意識を育むといった日常生活を意識して充実させることしかないと考える。これをもって環境の基礎的雰囲気の醸成といいたい。


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