環境、環境問題

消費者問題のうち農食品に関して環境整備支援の視点で捉える、エッセイ153

2016.12.21 消費者問題のうち農食品に関して環境整備支援の視点で捉える、153

 消費者を守るために、食に関しては遺伝子組み換えや外国産作物の安全性などの問題、また種々の製品に関しては不良品や危険品の問題、さらに偽装や悪徳商法の問題などが多岐にわたっており、それぞれに取り組みがなされている。そこで私の役割としては、あまり扱われていないところで消費者問題を生活の視点からもっと枠を広げて考えてみたい。ここでは、食の安心安全について環境問題の次元までもちあげ消費者問題を振り返るというアプローチを模索したい。以下に述べる。

 

(1)まずは、農作物の在り方について。農業生産者の役割はもちろん安心安全の農業であることはいうまでもないが、それを実現させるには健全な自然環境があってのものであり、農業はその環境保全に大きな使命を有している。これは平地でも山野でも同じことであり、例えば中山間であれば農業は山を守っていることになる。こうしてみると環境で安心安全な農作物生産の構図は、河川に例えて水下という消費者から水上という生産者を支援することで、全体の環境が農作物を介して保全されることになる。この観点をぜひとも消費者問題に兼ね備えたいものである。

(2)では具体的にどうするのか。農業の方々とのコミユニケーションの場が商業者も含めてあって欲しい。さすれば、生産者・商業者・消費者の三者には購買を介して顔が見えることになり、信頼も生まれてこよう。それに、消費者の価値観が農業への理解として変わっていく。例えば。農作物について見栄えがいいとか食す際に手が汚れなければいいとかいった割合ご都合主義的な価値観が意味ある価値観にかわっていくと思う。ちなみに、泥付き野菜の泥は食には土壌やあり農夫がいることを知らせるメッセージとも取れるようになろう。

 

 まとめると。環境次元からの思考では、食文化について「食す行為」から遡って「つくる行為」までを消費者側でコミットする事になり、安心安全を含めて文化創生までもが使命となって、ヒューマンとしての充実さが何事にもかえがたく得られるといえよう。こうした視点で富山から発信し、実践が進むよう英知が機能して欲しいと願っている。


環境の問題について、地域に根ざした生活関連の諸問題(1)、80

2014.05.25 環境の問題について、地域に根ざした生活関連の諸問題(1)、80
 環境について、自然の方からまた社会の方からアプローチした。
  1.自然環境の育成について 06年5月
  2.社会環境豊かで快適な環境の保全と創造について 12年6月


 

◆1.自然環境の育成について   0605

   富山では、環境問題を観光資源の保護として保護柵や観光歩道の設置といった技術的議論が多々ある。こうした論議は当然としても、いまひとつ大事な視点が必要である。それは、「住まい環境からの視点」である。ここに主張したい。

   自然環境育成の問題については、「住まいとその延長としての環境」の問題として捉えることにして、生活環境と自然環境の両面からエッセイ風に論述する。
 富山県外の読者の方へ一言補足する。本文に登場する山について、立山は富山のシンボルであり、精神的な支柱にもなっていることを念頭において読んでください。

<1>.第一に、自然環境について。
  
「富山は自然が豊富ですね、立山があるからですね」とよく人から言われることが多いが、実は、これは「立山のみが自然であり、他のものには関心がない」といった風潮そのものともとれる。なぜそのようにとるのであろうか。基本的な視点が欠けているといいたい。
 
山に限定して少し語ってみよう。私個人とし ては、山のすばらしさを常に皆さんに熱っぽく伝えている。ある時は(心無いハイカーがいれば注意もする(そんなことはほとんどないが))、訪れた多くの方と山のすばらしさについて語り合ったこともある。
 またある時は、自然保護シンパのある団体からエクスカーションで美女平(立山登山のときケーブル終点駅付近)のブナ林立ち枯れを見学したいのでと案内を頼まれたが、私はそんなことより大辻山(立山の前座の山)に登って立山の雄大さを鑑賞したほうが良いと助言してガイド役をも買って出たこともあった。
  
さらに東京からきた友人にも、富山の自然を堪能していただくのも結構だが、自分らの身近にもすばらしいものがたくさんあるはずだから、それらを発見し育むことこそ、自然環境保全のベースであることをご理解いただいたこともあった。
 こうして、山に登っては山のすばらしさを実体験で重ねていくと、自然保護の切実さが理解され、またどんな形にせよ自然保護の行動が身についてくるから不思議である。

 
<2>  第二に生活環境について。
 
 富山では(これまで)持ち家率ナンバーワンといったことが、逆に家庭や地域社会が健全であるかのような錯覚におちいらせることがよくある。もちろん、現代文明社会において、効率優先の生活環境が富山のみを特別扱いするはずもなく、場合によっては家庭崩壊や地域コミユニテイ崩壊が静かに進行しているようにも思える。富山では、敷地に十分余裕があるにもかかわらず、(子供の精神に障害を与えることが懸念されている)高層住宅そのものがほとんど無いにもかかわらず、住環境は都会に比して圧倒的に良好なのにもかかわらず、そんなことを思う。
 これを何とみるのか。恵まれた自然環境や居住環境だからこそ、環境を案外大事にしない風潮が自然と身についたかのようでもある。居住環境は空気のようなものであり、環境の良さを堪能するといういわゆる住まう文化が実は育っていなかったともいえる。この機会にそうした文化を育みたいものである。

 
<3> 以上、まとめとして。
 今我らには、自然環境をも含め我らの生活環境に「自然に関する営み」が身についているかどうかが問われている。ここでいう(私がいう)「自然に関する営み」とは、生活の中で良いものを良いといって実感していく体験そのものであり、これには、すばらしさという感覚を研ぎ澄まし、すばらしい感動を十分蓄積していくことが必要となっている。

よって、結論として、自然環境育成についてはまずは十分な自然鑑賞ですばらしいという感動を積み重ねていくべしといいたい。
 ただし、上記のことは我ら生活者側の話であり、自然保護推進や環境構築の専門家側に対しては別途注文がある。それは、専門家が市民の声をもっと聞き、本質をしっかりと把握することである。

付録;観光について   08.11.14追記
 立山・黒部アルペンルートに訪れる年間100万人もの観光客が、都会に居住するかのような雰囲気での観光を楽しんでいる。まだ雪深いGWのときでさえも、一の越(立山中腹で黒部ダムが見える)までハイヒールや革靴で上られる方が少なからずいる。 詳細議論は避けるが、そんな感覚が、形を変えていろいろなところで自然を破壊していることはいうまでもない。自然のすばらしさの満喫は堪能する方の心構えも必要としており、観光の方々には、生活環境を都会のものだけという狭い考えを捨て、もっと奥深くものにして欲しいものである。



◆「豊かで快適な環境の保全と創造についてーー市民側からの協働を目指して」 120622

自然災害の防止・軽減の研究から端を発して、生活の安心・安全を含めて生活環境や自然環境をどう構築していくかをアプローチしております。雑感を記します。 



環境問題について、種々の環境ごとに問題に対処するのは当然であるが、ここで少し観点を変えて、環境ごとの対応といったいわば縦割のようなものではなく、個々の環境問題全体を市民側の立場からの総合的な対応を考えたい。理由については、もともと環境問題は人間の物質的・精神的な営みの向上をいうものであり、そこには安心・安全はいうにおよばず安らぎ・ゆとりや人間性の向上など、人間が心身ともに健康で人間らしく活動することの周辺整備にかかわるものといってもよいからである。このように考えると、環境保全と創造という環境問題の解決(環境の創造的構成)に向けた種々方策について、技術対応に加えてメンタルな面での対応が市民サイドから湧き出てくるように思える。

例えば、山林の問題でも、治山治水や林業生産ということで山を守ることこそ大事なのはわかっていても、また最終的に人間に跳ね返ってくるものといっても、山の手入れが必要であるにもかかわらず、実際に下流側の人間たちの受け止め方が今一つ不十分なために、環境の創造どころか保全も怪しくなってくる。もちろん、環境保全当事者側が当然そこまで考えていることは重々承知の上である。言いたいのは、良い環境があって当たり前の世の中では、良い環境づくりそのものに理解と協力が得られにくいということである。

こうしたことは、生活環境として、文化財保護の問題でも然り、街づくり運動でも然りである。くどいようだが、やっている方々はそこのところを含めて実践されているが、ときおり「わかっちゃいないな市民は」とぐちるのもそのためである。

では、どうするのか。まずは、環境問題が市民のものということが実感できるようにすること、と思う。それには、いくつか段階を踏んでいくべきかと思う。

第一には、市民本位の生活の面から、自然環境や生活環境をリンクさせていくような世論作りが必要である。そのためには、まずは、各自の生活圏において少し枠を広げ、広げた部分があたかもお互いの糊しろのように繋がる触手であるようにしたいものである。

第二には、そのようにして、各自の視点から環境を自然や社会や生活といったところから繋ぎ合わせていくのである。環境を熟知するのではなく、環境と関わることを実感するという最も大事な行為をいうのである。そこから順に枠を広げていきたいものである。

第三に、環境とのかかわりの中で、環境を支えるという行為や環境からの恩恵を受けるという行為についてしっかりと実感することにより、これがいつしか愛着とかいった感情へと変わっていく。

第四には、かくして市民側のスタンバイが完了し、専門家とともに環境問題の解決(環境の創造的構成)へと協働することができる。そこでは市民感覚のニーズが先行し、専門家はそれを形にするといったことになる。

 以上のアプローチは、特定の環境問題を指すものではなく、いってみれば市民側のアンテナの整備を真っ先にという意味であり、特別な市民教育を謳うものでなくごく普通の日常生活においてセンスを養うようコミユニテイ構成を抗しえしながら、総合的にトータリテイとバランスで種々問題をケースバイケースで対応していくことをいうのである。

こうしたアプローチがあれば、環境の保全と創造についてより力強く充実して進むものと思っている。

豊かで快適な環境の保全と創造について――市民側からの協働を目指して、エッセイ34

豊かで快適な環境の保全と創造について――市民側からの協働を目指して 2012.06.22
、エッセイ34 

環境問題について、種々の環境ごとに問題に対処するのは当然であるが、ここで少し観点を変えて、環境ごとの対応といったいわば縦割のようなものではなく、個々の環境問題全体を市民側の立場からの対応を考えたい。理由については、もともと環境問題は人間の物質的・精神的な営みの向上をいうものであり、そこには安心・安全はいうにおよばず安らぎ・ゆとりや人間性の向上など、人間が心身ともに健康で人間らしく活動することの周辺整備にかかわるものといってもよいからである。このように考えると、環境保全と創造という環境問題の解決(環境の創造的構成)に向けた種々方策について、技術対応に加えてメンタルな面での対応が市民サイドから湧き出てくるように思える。


 例えば、山林の問題でも、治山治水や林業生産ということで山を守ることこそ大事なのはわかっていても、また最終的に人間に跳ね返ってくるものといっても、山の手入れが必要であるにもかかわらず、実際に下流側の人間たちの受け止め方が今一つ不十分なために、環境の創造どころか保全も怪しくなってくる。もちろん、環境保全当事者側が当然そこまで考えていることは重々承知の上である。言いたいのは、良い環境があって当たり前の世の中では、良い環境づくりそのものに理解と協力が得られにくいということである。

こうしたことは、生活環境として、文化財保護の問題でも然り、街づくり運動でも然りである。くどいようだが、やっている方々はそこのところを含めて実践されているが、ときおり「わかっちゃいないな市民は」とぐちるのもそのためである。


  では、どうするのか。まずは、環境問題が市民のものということが実感できるようにすること、と思う。それには、いくつか段階を踏んでいくべきかと思う。

第一には、市民本位の生活の面から、自然環境や生活環境をリンクさせていくような世論作りが必要である。そのためには、まずは、各自の生活圏において少し枠を広げ、広げた部分があたかもお互いの糊しろのように繋がる触手であるようにしたいものである。

第二には、そのようにして、各自の視点から環境を自然や社会や生活といったところから繋ぎ合わせていくのである。環境を熟知するのではなく、環境と関わることを実感するという最も大事な行為をいうのである。そこから順に枠を広げていきたいものである。

第三に、環境とのかかわりの中で、環境を支えるという行為や環境からの恩恵を受けるという行為についてしっかりと実感することにより、これがいつしか愛着とかいった感情へと変わっていく。

第四には、かくして市民側のスタンバイが完了し、専門家とともに環境問題の解決(環境の創造的構成)へと協働することができる。そこでは市民感覚のニーズが先行し、専門家はそれを形にするといったことになる。


 以上のアプローチは、特定の環境問題を指すものではなく、いってみれば市民側のアンテナの整備を真っ先にという意味であり、特別な市民教育を謳うものでなくごく普通の日常生活においてセンスを養うようコミユニテイ構成を抗しえしながら、総合的にトータリテイとバランスで種々問題をケースバイケースで対応していくことをいうのである。

こうしたアプローチがあれば、環境の保全と創造についてより力強く充実して進むものと思っている。

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