アメリカの友人

小説と詩を書くブログ。

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 指に変なものがついていたので拭き取ったが、忘れた頃にまた指についているので拭き取るということを仕事中に何回か繰り返していた。インターネットで調べたらだいたい一週間は拭き取ってもついてくるということだったので厄介だなあと思ったが、一度ついた人にはもうつかなくなる性質があるようなのでこの一週間を乗り切ればいいんだと気持ちを切り替えることにした。とはいえ、一人のときはよくても人前に出るときは少し注意しないと指に変なものがついたまま気づかない人だと思われてしまう。でもまあそれも一週間だけの話だし、変に思う人がいればインターネットで調べたことを説明してやればいいだけだ。
「あのう」と、隣にいた同僚が私に声をかけてきた。「耳に何かついてますね」
 手鏡で覗いてみると耳の頂上あたりに変なものがついているのが確かに見えた。
「それ、耳につくタイプなんですけど一ヵ月ぐらいは拭き取ってもついてくるそうですよ。でも、その一ヵ月を乗り越えたら宝くじが当たるとか良いことが起こるという噂も」
 私は良いことが起こるのはどうでもよかったが、同僚の言った「一ヵ月」という言葉にショックを受けた。そして指だけじゃなくて耳につくタイプがあることにも。
「自分が思っているほど他人は気にしませんよ。日本語では自意識過剰と言うそうです」

 結局、指につくタイプは意外にも三日でいなくなったが耳につくタイプは一ヵ月半も居座り続けた。耳につくタイプのやつは次第にほくろがついているような自然な感覚に変わっていったが、今度は他人の体についている変なものが目に入るようになり、それがついている人が案外多いということに気づいてしまった。
「一度ついてしまうとなぜか他人の変なものが見えるようになるんですよね」と、例の同僚は言った。「じつは自分にもついているんですよ、鼻に」
 私は思わず同僚の顔を覗き込んでしまったが、彼の困った顔以外は特に変なものを見つけることができなかった。
「ずっと眉毛の中に隠れているから気づく人はまずいませんね。子どもの頃は嫌で仕方なかったんですが、これが自分の人生なんだってあきらめた頃から眉毛に隠れるようになって、そこから自分の中で何かが始まったというか終わったというか――そういうことを意味する日本語って何でしたっけ?」
 それは「妥協」じゃないかと思ったが、違うと言われそうな気がしたので私はそっと仕事に戻ったのだった。

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「あんた、自分の名前が分かるかい?」とその男は声を掛けてきた。

 私はしばらく考えてから、分からないと答えた。
 そこは広い草原であり、私は羊のような白い岩に腰かけていたのだった。
「じゃあバスに乗りなよ。自分の名前も分からないようなら、きっと行く当てもないのだろ?」
 近くには大きなバスが停まっており、男の言っていることもその通りだったので、私はバスに乗ることにした。
「俺は鼠と呼ばれてる」と先ほどの男は、バスを運転しながら自己紹介をした。「他にも猫やキリン、鯨にゴリラもいるんだぜ」
 つまり、バスに乗っている一人一人に動物のあだ名があるということだ。バスには10人ほどの仲間が乗っており、みんな私と同じように自分の名前を忘れてしまったのだという。
「あたしたちは、いろんな街を回りながら商売や芸をしているの」と、猫と呼ばれている女は言った。「偶然その街が故郷だったりすると、自分の名前を急に思い出したり、家族や知り合いが見つけてくれることがあるのよ」

 私は羊と呼ばれることになり、バスの仲間と旅をすることになった。商売や芸は苦手であまり役には立っていなかったが、みんな私に優しくしてくれた。
「わしらの目的はな、どこまでも旅を続けることなのだよ」と、ヤギと呼ばれている老人は言った。「わしはもう50年もバスに乗っているがね、そのずっと前からこのバスは旅を続けているのさ。途中で名前を思い出して去っていく者もいれば、わしみたいに死ぬまで思い出せない者もいる。でも必ず新しい仲間が現れて、旅が続いていく」

 それから10年過ぎた後、私はある街で自分の名前を思い出した。
 手相占いを身につけた私は、仲間が芸をやっている傍らで商売をしていたのだが、そのとき客の女がいきなり私に抱き着いたのだった。その瞬間とても温かい涙が頬を流れて、私はすべてをはっきりと思い出したのだ。
「自分が死んだあとも旅が続いていくことを想像すると、楽しい気分になれるのさ」と老人は死ぬ間際に話していた。「わしが死んだあとはまた別の誰かが現れて、わしと同じヤギと呼ばれるようになる。そのヤギは、わしとは全然似ていないが、バスの仲間と旅を続けるのさ。そしてヤギはある街で商売をしているときに、昔の恋人と再会して名前を思い出す。でもそのあとに、やっぱりまた新しいヤギが現れて、そうやってわれわれは、いつかこのバスで、どこかへたどり着けると思うんだ」

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 僕たちは超能力カップルと呼ばれている。といっても本当に付き合っているわけではなく、たまたま同じ学校の同じクラスに超能力を持った男女がいたという、それだけの話だ。

「そこは、たまたまじゃなくて運命でしょ」とクラスの女の子がはやし立てる。「すべてのことは偶然じゃなくて、この世界が始まったときから決まっていたのよ」
 そんなことより僕は超能力カップルという馬鹿げた呼び方をどうにかして欲しかった。
「運命的に出会った二人は」とクラスの女の子は、僕の気持ちなど構わずに話し始める。「二人はお互いを意識しているのに上手く話せないの。でもある日、巨大なUFOが現れて、私たちの学校が宇宙人に占領されてしまうのよ」

「宇宙人の命令で体育館に集められた生徒たちはただ怯えるしかなかったけど、ユウジにはある作戦があったから、瞬間移動の能力を使ってもう一人の超能力者であるユウコを外に連れ出したの。作戦っていうのはつまり瞬間移動でUFOに乗り込んで、宇宙人のボスを捕まえて、脅して、生徒たちを解放させるってこと。ユウコには物を破壊したりする念動力があるから、一緒に行けば何とかなるって考えたわけね。で、超能力カップルの作戦はみごと成功して生徒たちも無事解放されたんだけど、なぜか二人はUFOに残って宇宙人たちの星へ行くことにしたの。二人は宇宙人のボスに出会った瞬間、自分たちが本当は宇宙人の子孫だということを直観的に知ってしまったのよ。そしてボスの方も電流が走ったみたいにそれに気づいちゃって、こんな辺境で同胞に出会えるなんて思わなかった、ぜひ我が星へっていう流れになって」

 ずいぶん無茶苦茶な話だけど、もう一人の超能力者である彼女は黙って弁当を食べている。
「宇宙人の星にたどり着いた二人は、星の特別な大気のせいで歳を取らないまま長い年月を過ごしていたのだけど、千年後に今度は地球人がその星を攻めてきたの。で、二人は前回と同じ要領で地球人を屈服させて、地球人たちと一緒に地球へ帰って、それからタイムマシーンに乗って、また千年前の現代に戻ってくるのよ」
 彼女は弁当を食べ終えると念動力でチョークを動かし、「死にたい」と黒板に書いた。
「でもユウコはタイムスリップの途中で時間嵐に飲み込まれてしまった。だからユウジはユウコを探し出すために今度は時間の旅へ出るの」
 僕は黒板消しで彼女の文字を消した。そして「生きろ」と黒板に書いた。

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 その日は歯がとても痛かった。どれぐらい痛かったかということは説明しても伝わらないと思うので、おのおの今までに自分が一番痛かった歯の痛みや何かの痛みを思い出して欲しい。もし上手く思い出せなくても、話は勝手に進んでいくだけなので文字を追ってもらえればそれでいい。
 本当のところ、もう一週間も前から痛みが続いていたのだが、その日は痛み止めも全く効かなくなっていた。なので、私はとうとうその“痛み”と向き合うしかなくなったというわけだ。
 一時間だけでいいから休ませてくれないかと懇願すると、黒マントに身を包んだ“痛み”は、困った顔をしながら私の頬をなでた。
「あなたが辛いのは分かるけど、これも仕事だから仕方ないのよ」
「へえ、仕事なら何でもするのかい? 人殺しもするのかい?」
「今回は殺すところまではいかないわ。ただ痛いだけよ」

 私は天井を見て溜息をつくと、痛みを誤魔化すために部屋を出て、暗い夜道を歩き回った。しかし、小さな川に差し掛かったところで橋を渡ろうとすると、やつが橋の欄干に腰かけているのが見えた。
「今回は殺さないとお前は言ったが、いつか私を殺しにくるのかい?」
「そうね、そのときは優しく殺してあげるわ」
 夜の小川は星に照らされキラキラと輝いていた。この痛みさえなければ、もっと気の利いた言葉でその美しさを表現できるのかもしれないと思ったが、そこに美しいものがあるだけで今は十分な気がした。
「まだ仕事は残っているけど、今夜はこれで帰るわ」

 翌日、私は歯医者へ行った。治療用の椅子に腰かけると白衣姿の女が現れて私に挨拶をした。
「じゃあ、仕事の続きを始めるわね」と女は言うと私の頬をなでた。
 そして麻酔が注射され、虫歯を削られて、歯の神経が抜かれた。
 私から切り取られた神経の糸はヒクヒク動きながら成長し、やがて人間の赤ん坊の姿になった。
 当然、その赤ん坊は私から生まれたのだから、私が育てることになった。そして、女もよく私の部屋に来ては赤ん坊の面倒をみてくれるので、とても助かっている。女はこれも仕事のうちだと言っているが、私にはやつの目的なんてもうどうでもいいことだった。いつかこの女に自分が殺されたとしても、赤ん坊が幸せに生きていければそれでいいではないか。
「でも、あなたにはあなたの人生があるのだから、すべてを赤ん坊に託してはダメよ」
 じゃあ、私と結婚してくれ。
「やっと、その言葉が聞けたわ」

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 そいつは冷蔵庫から出てくると、ハローと言った。私は冷えたビールを飲みたいだけだったので、誰かに挨拶されるなんて考えもしなかった。

「冷気が逃げるから、早くドア閉めたほうがいいわよ」とそいつは、ソファにくつろいだように腰かけながら言った。「それに、まずは冷蔵庫のドアを閉めないと落ち着いて話ができないでしょ」
 そいつが言っていることはその通りなのだが、このままドアを閉めたら、今置かれている状況を受け入れてしまうことになる気がしたので、私は一旦目を閉じて深呼吸をした。
 すると次の瞬間、バタンという音が聞こえたので目を開けると、そいつが冷蔵庫のドアを足で蹴っているのが見えた。
「目の前のことから逃げても何も解決しないし、物語はもう始まっているのよ」

 私は、自分の置かれた状況を一週間ほど静観していたのだが、そいつはいつもソファでゴロゴロしたり、お菓子を食べたりしているだけの存在でしかなく、物語が始まったようにはとても思えなかった。あるいは、何も起こらない物語もあるのかもしれないが、そもそも現実というのは物語のように何かが起こる必要はないのだ。
 しかし、一ヵ月ほど過ぎたあるとき、そいつは私のことを「兄さん」と呼び始めた。
「実はあたし、兄さんの妹なの。だから兄さんのことを兄さんと呼ぶことにしたの」
 本当の妹なら兄さんと呼ぶのは当然だろう。しかし、嘘の妹であるお前にはそんな資格はないと言って突き放すと、そいつは無言で冷蔵庫のドアを開け、再び冷蔵庫の中へ戻ってしまった。
 私は、ソファに座ってしばらくテレビを眺めたあと、何事もなかったように冷蔵庫を開けた。そこには、ビールや食材が入っているだけで、変わったものは何も見当たらなかった。

 そいつがいなくなってから、私はたまに手紙を書いて冷蔵庫の中へ置くようになった。返事が返ってくることもあれば、返ってこないこともあった。お前は嘘の妹であるが私の妹であることに変わりはないと手紙に書くと、そいつは、「はじめから兄さんの気持ちは知っていたわ」と返してきた。
 そして今、そいつは家電売場で冷蔵庫の販売を担当しているのだという……結局、冷蔵庫で話が終わるというのは月並みな展開かもしれないが、そいつはそういう物語で満足しているようだし、私も別に不満はない。それと、はじめから私の気持ちを知っていたなんて嘘だ。でも、そんなことも全部含めて、私はそいつが好きだ。

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