アメリカの友人

小説と詩を書くブログ。

2012年05月

朝目が覚めると
ここはどこだろうと考える

あるときは
春の産湯に浸かる赤ん坊のタライであったり
カビ臭いアパートの一室であったりするのだが

またあるときそこは
ヒロシマの焼け野原だったり
アウシュビッツの強制収容所であったりと

色褪せた過去の記憶を繰り返すだけの
朝のスクリーンは
目を覆うほど眩しくて

いくら手を伸ばしても届かない
光の向こう側で誰かが

透明なピストルを私に手渡し
気に入らない奴は殺せ

フクシマは
いずれ死んでしまうのだから

いくら考えても仕方がないと
そう告げるのであり

この素晴らしい朝や
この素晴らしき世界を維持するためには

多少の犠牲は
避けられないのだと

起き抜けの
寝ぼけた私の髪を掴んで
そう告げるのである

だから私はゲロを吐いたあとに

透明なピストルで
朝の光を撃った

120529
公共放送たるNHKは、放射能被曝についての特集番組を今すぐに制作し、「自然放射線核種と人工放射線核種の違い」や「外部被曝と内部被曝の違い」、そして「大人と子どもの被曝に対する影響の違い」について、国民に広く知らせる義務があるはずで、何より、人命を救うための報道を躊躇してはならない


120529
生活保護の予算3兆円超に対して、「不正受給」額129億円の占める割合は全体の約「0.4%」。OECD加盟国における生活保護予算の対GDP比の平均が「2.4%」であるのに対して日本は「0.3%」であり、受給者の人口に占める割合はOECD平均「7.4%」に対し日本は「0.7%」である


120529
河本準一氏の名誉のために言っておかなくてはならないが、河本氏や彼の母親は生活保護を不正受給したわけでもなく、法に反する行為をしたわけでもないということである。それなのに、まるで犯罪者のようにカメラの前で謝罪をさせられ、テレビの仕事まで失おうとしている。いったい誰が責任を取るのか?


120529
10兆円というお金があれば、東北関東の放射能汚染地帯に住む一千万の人々を移住させることが出来るかもしれない。つまり「一人当たり百万円×一千万人=10兆円」というどんぶり勘定でしかないのだが、日本はリーマンショックのとき、10兆円ものお金を、IMFに対して気前よく援助したではないか


120530
軍事産業と原子力産業は、お互い非常に酷似していて――ようするに、戦争を定期的に起こしたり、他国による脅威を扇動し続けなければ軍事産業など成り立たないわけだし、電力の主流が自然エネルギーになれば、原発事故による殺人的なリスクを抱える原子力発電など、選択肢にさえ入らないはずであるから

120511
福島の人々が見棄てられたのは、国家の存続や国民生活のために、やむなく「経済を優先した」からではなく、要するに原発利権を貪ってきた人々の地位や財産を守るためであり、さらに言えば原発推進体制を前提とした、日本の権力構造そのもの(つまり政界、官僚、財界、マスコミ)を維持するためである。


120525
私は放射能被曝により、様々な病気になったり癌や白血病になって苦しみながら死にたくはないので、「汚染瓦礫の広域処理」や「食べて応援」することを一切拒否する。本来、事故を起こした東電や政府が負うべき責任を「無用な被曝」という形で国民に転化するのは間違いであり、何より危険で狂っている。


120527
今われわれが本当にやるべきことは、福島を中心とする放射能汚染地帯に取り残された膨大な数に及ぶ人々を、一秒でも早く移住させるべく全ての国力と知恵を注ぎ込むことであり、「原発の再稼働」や「汚染瓦礫の広域処理」といった、政府東電による時間稼ぎの馬鹿な策動に付き合っている余裕はないのだが


120528
もし日本が、1986年に起こったチェルノブイリ原発事故を受けて脱原発に舵を切り、自然エネルギーの開発に国策を転換していれば、それから25年後に起こった2011年3月11日の福島第一原発の事故は、もしかしたら起きなかったのではないのかと、福島の人々を苦しめなくて済んだのではないかと


120528
日本の権力とは、まず「痛み」の感覚を切り捨て、国民に対し広く分配することで、本来は権力者の負うべき責任を、都合の良い法律や基準を作ることによって自らの責任を、国民の善意やなけなしの犠牲によって消化させ、その「痛み」の原因や責任を、誤魔化すことによってのみ成り立っている、ゴミである

空の上から
私の柔らかい体に爆弾を落とした兵士は
まだ元気にしているでしょうか

あるいは子どものしなやかな細胞に
放射能を撒き散らした原発事故の責任者は
その責任の重みに押し潰されてはいないでしょうか

あのときは戦争だったから
予測不能な天災だったのだから
仕方ないですよね

どれだけ人が死のうと
どれだけの人々が病気で苦しみながら
一生を台無しにしようと

それは
その人の運命であり
自己責任なんですよね

もし社会から殺されたくなければ
たくさんお金を稼いで
たくさん爆弾を落とす方の人間にならなきゃいけないんですよね

そうすれば
いくら人を殺しても責任なんて取らなくていいし
人を恨まなくても済むのですから

醜い形をした
ゴーヤの中から這い出した青臭い虫が
不機嫌な灰色の空を気にしながら
夏の手紙を僕に手渡した
「秋は飽き、冬は増える。やがて春に孕んだ子どもは、いつか夏を懐かしむ」
と毎年のように
同じ文面の手紙を受けとるのであるが
でも夏になると
何がそんなに懐かしいというのだろうか?
「つまり夏はね、季節のルールを一人で破ってしまったのですよ」
と青臭い虫はいいながら
一本の醜いゴーヤを僕の青白い手に預けた
「だからもう帰る場所なんてないのですよ、夏という季節には」
じゃあ青臭い君はどこに帰るのだ?
「私の仕事は、あなたに夏の手紙を届けることです。だからその後のことは知らないのです」
そうか
夏は季節を棄てたのか
いつも手紙をありがとう
「どういたしまして」

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