アメリカの友人

小説と詩を書くブログ。

2014年03月

日常には重さがある。
空気でさえ、1リットルあたり1.3グラムの重さがあるのだから、
火曜日や、2時46分にも、
それに見合うだけの重さがなければいけない。

1秒、1分、1時間、1日に重さがなければ、
たとえそれを100年分重ねても、
それは全く存在しないことになる。

青空。
屋根に寝転んだときの青空と、
砂漠の真ん中で死にかけたときの青空。
どちらも実際にはやったことがないし、
空想の中で知っているだけの青空。
僕はまだ本当の青空を見たことがない。
うんこを漏らしたときも、
初めてセックスしたときも
空を見ていなかった。
一番大切なことを僕は見逃していた

「絆」を裏返すと、
そこには取り返しのつかない「断絶」が
横たわっていた。
まるで余命少ない重病患者の笑顔に、
何も知らぬまま騙された気分。
絆、絆と言われるたび、
その重病患者の寂しい笑顔が浮かぶ。
わかり合えない心が、
静かな悲鳴を上げている。
耳を澄ませないと聞き取れないほど静かな

「鳥カゴが、鳥をさがしに飛んでいった」とは、
F.カフカが、
何気なくノートに記した言葉である。

「牢獄が囚人を捕まえにいった」
「病名が病気をつくった」
「武器が戦争を画策した」。
主客逆転の世界。

20世紀は
「平和のため戦争」を繰り返した。
「平和利用の原発」が
放射能を撒き散らした

人はいつか死ぬ。

しかし突然襲ってきた津波に
ただ飲まれるしかなかった人たちは、本当に、
ただ
死んでしまったのだろうか。

あるいはたった一個の原子爆弾で、
その街に暮らしていた人たちの日常を、
何事もなかったかのように、
キレイさっぱり
消し去ることができるだろうか。

私は消せないと思う

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