アメリカの友人

小説と詩を書くブログ。

カテゴリ: 短編小説 2015

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 青い猫は存在します。そのことはチョルノーブィリの人なら誰でも知っています。しかしあなたには、まるでおとぎ話のようにしか思えないかもしれません。青い猫というのは、ちょっとした塀の上や、空き地に放置された車のボンネットなどにいるのですが、とつぜん風が吹いた瞬間に、ああ青い猫がいたんだねと誰かがやっと気づくような存在なのです。あるいは青い猫を一度も見たことがなくても、チョルノーブィリでは昔からその噂を繰り返し耳にしているせいで、いつかどこかで見たような気になっている人もいるのです。たとえば子どもの頃の古い記憶は、その事実を確認できないかぎり遠い夢のようなものでしかありません。それに、夢を現実のものと勘違いすることだってあるでしょう。

 しかし「青い土曜日事件」は歴史的事実として存在しますし、あなたも名前ぐらいは聞いたことがあるはずです。

 それは1986年のある土曜日に起こった事件であり、簡単にいうとチョルノーブィリからすべての青い色が失われてしまった出来事のことです。青いドアや青いテーブルクロスを見てもまったく青く見えないという人もいましたし、晴れた空を見ても、なぜか青く見えないことに酷くいらだっている人もいました。始めは理由もわからず、ただ子どものように怯えるしかありませんでしたが、みんなで気持ちを打ち明けるうちに、空が青くなければならない理由など初めからなかったのだと考えるようになりました。リンゴであれ、バナナであれ、色がある必要はありません。ただ、そこに色がなければ、何か足りない気がするというだけの話なのです。
 あれから何十年もすぎた今でも、チョルノーブィリの人々は青い色を見ることができません。たまに外部の人から、青に見えないのなら何色に見えるのですかと質問されるのですが、そこには色が存在しないのです。しかしある人は、存在とは、帰ってこない鳥をずっと待っている鳥籠のようなものだと説明します。鳥籠は鳥を失うことで、やっと自分が鳥籠であることに気づくのだと。

 青い猫は、事件が起こるずっと前から存在していましたし、今でもチョルノーブィリのどこかで、誰かとふいに出会うことがあります。そしてなぜかチョルノーブィリの人にも、青い猫だけは晴れた空のように青く見えるようなのです。しかしそのことを不思議がる人は誰もいません。ただ、とてもなつかしくて後ろを振り向いてしまうだけなのです。

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 キリンの中に住むという単純な発想でした。

 まず、入り口のドアを探すのに3年かかりましたが、それさえ見つかれば全てがうまくいくという確信が私にはありました。
 もちろんドアと言っても動物の体の一部ですから、私たちが普通に想像するようなドアではなく、それは膝をすりむいたあとに出来るかさぶたのような、およそつまらない物にしか見えません。しかしそのかさぶたを剥がすと、ちょうど体育館ほどの空間が内部に広がっていました。初めてドアを開いたときは当のキリンも動揺していましたが、秘密を知られてしまった以上もうどうにもならないことを悟ったのか、30分もするといつもの無関心なキリンに戻ってしまいました。
 最初に見つけた空間は、いわば建物の玄関部分にあたる場所で、奥のほうにエレベーターのようなものがありました。操作の仕方は私たちがよく知っているエレベーターと同じで、ボタンを押すと希望する場所に移動ができます。よく調べるとキリンの体内には全部で千戸以上の部屋あり、3千人ほどの人々が住めることが分かりました。

 キリンというのは土地や国を気ままに移動する動物なのでその点が厄介なのですが、いざ居住者の募集をかけると世界中から人々が集まってきて、あっという間に部屋が埋まってしまいました。
 私たちはこれをキリンマンションと名づけましたが、これは建物ではなく、国際法で保護しなければならない野生動物として扱われています。さらにこの中には大勢の人々が住んでいるため、一つの国と同じ権利が認められることになりました。そのことを定めたものが、あのキリン条約です。

 私たちが現在直面している問題は、今度の世界大戦によって発生した戦場から動けなくなったということです。私たちもキリンの妊娠には気づいていたのですが、運の悪いことに戦場の真ん中で産気づいてしまったのです。戦場に迷い込んだのが悪いのですが、誰にもキリンの行動をコントロールすることはできないのです。
 もちろん私たちは、キリン条約によって武力攻撃を受けないことになっていますが、ふいに襲ってくる流れ弾から守られているわけではありません。しかしキリンがこの場所を選んだのですから、それもまた運命なのでしょう。

 キリンの赤ん坊は、産まれて数時間もすると一人で歩き出しました。母親キリンの首は砲弾で吹き飛ばされていましたが、地面に立ったまま、赤ん坊を優しく見守っていました。

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 羊のように毛がおおっていて頭がついている動物である。走り回ったり吠えたりすることもないので実に退屈な動物だが、エサはあまり食べないし、従順で、子どもにも飼うことができる。そして時折、肺に穴が開いたような声でカフカフと私へ訴えてくることがあったので、私はよくそいつの頭をなでてやったものだ。

 しかし近所の人はその動物のことをあまり快く思っておらず、そいつを庭で飼い始めてからしばらくすると、挨拶をしても苦笑いしか返ってこなくなった。その理由は、初め羊ぐらいの大きさしかなかったそいつが、半年後には象ぐらいの大きさになってしまったことにある。このままでは庭に収まりきらないばかりか、いずれ近所にも迷惑がかかるだろうと推測できた。

 私が引っ越しを考えたのは、そいつが鯨ぐらいの大きさになった頃である。そいつが申し訳なさそうにカフカフと訴えてきたので、私はそいつの頭をなでてやったあと荷造りを始めた。そしていざ出発という日になると、突然近所のお婆さんが声をかけてきて「なんだか追い出すようなことになってごめんね」と言いながら私に餞別をくれた。

 それから何日もかけて引っ越し先の草原へ辿り着くと、私は棒のように倒れてしまった。その動物の体はさらに野球場ぐらいの大きさになっていたが、この広い草原なら誰にも迷惑はかからないし、そいつがいくら大きくなっても構わないと思った。

 私は小川の近くに小屋を建てて暮らしたが、そいつも勝手に生きているようだった。あまりにも大きくなりすぎてしまったために以前のように世話ができなくなったし、頭は膨張した毛の中に埋もれてしまった。そいつが千メートル級の山ぐらいの大きさになった頃には、すでにそいつの体には草や木が生え、川も流れていた。私の小屋は山の一部に取り込まれ、かつての草原もその姿を失っていた。いったいどこまで大きくなるつもりだろうと私は不安になっていたが、あるとき大きな地震が起きたあと山は少しづつ高さを失い、今度は水平方向にどこまでも広がっていった。

 やがて平地になった場所に人々が移住してきて、農耕をはじめたり村や国を作りはじめた。
 私は森の中で暮らしていたのだが、あるとき国の役人が訪ねてきて国民になれと言ってきた。しかし私が拒否すると数日後に軍隊が森を取り囲んだ。

 私は軍隊に向かって両手を挙げながら空を仰いでいた。
 あいつはきっと殺して欲しかったのだろうと。

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「君は犬かい」とたずねると、そいつは水色の絵の具で塗られた春の空の絵を10秒も眺めたあと、重い目を閉じてああそうだよと言った。

「じつは虫かと思ったのだけれど、君がそう言うのだったらそうなのだろう」
 僕は無防備なそいつを指でつまみ、匂いを嗅いだり、耳をあてて音を聴いたりした。なんだか変な匂いではあったけれど、悪い匂いではなかったし、音はとくに聴こえなかった。
「おい、これ幾らかね」と無表情の店主にたずねると、売り物じゃないが欲しいならやるよと店主が言うので、僕は礼を言った後そいつを上着のポケットに入れて店を出た。

 妹が入院している白い病院は小高い丘にあるので、僕はいつも息を切らしながら登った。僕は病室の白いドアを開け、白いベッドに横たわっている妹にさっき貰ってきたそいつを見せてやった。
「お前、犬を欲しがっていただろ。ほら、こわくないから」と言って僕はそいつを妹の顔に近づけたが、妹はこんなの犬じゃない、虫でしょと言って顔をそむけた。
 でもしばらくすると妹はこちらを向いて、ねえ、その虫なにをたべるのとたずねた。
「さあね。うっかりしてて聞くのを忘れてたよ」と僕は言ったあと、白い病室を出てさっきの店へ戻った。

「今日貰ったあれだが、いったい何を食べさせればいいのかね」と無表情の店主にたずねると、店主は無表情な眉毛を指でいじりながら、普段は何も食べないが、10年に一度くらいのペースで大型の動物を食べるよと言った。
「大型の動物? 前に食べたのはいつだ?」
 たしか10年ほど前にセントバーナード犬を食べて以来、何も食べてないね。
「まさか人間も食べるのか?」
 さあね。

 僕は店を飛び出して丘を登り、白い病院の白い病室にある白いドアを開けた。
 妹はベッドにいなかった。
 そしてそいつは窓辺で日向ぼっこをしていた。
「おい! 君は妹を食べたのか」と怒鳴ると、そいつは、だったらどうなのさと返した。
 僕はそいつを握り締めると、近くの川原まで行ってそいつを地面に投げつけた。
 そいつはよろめきながら、おい誤解するなよと言った。あんたの妹は別の部屋で検査を受けてるだけだと。
「そうか。でも君を殺したい気分だ」と僕は言いながら、そいつを地面から拾い上げた。
 するとそいつは妹のことが好きだと言った。俺に名前をつけてくれたからね。でもそれは秘密なのさ。だって秘密は秘密にしなきゃいけないって、あの子が言ってたからねと。

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「ねえ旦那、アタシのこと好き?」と小鳥は確かに言った。
 私は木陰に寝転んで何かを考えているつもりだったが、小鳥の言葉ですべてが消えてしまった。
 それは、ほんのささいな質問かもしれないし、場合によっては、この世を終わらせてしまうような質問かもしれないと思った。
「ねえ旦那、アタシのこと好き?」
「その質問に答える前に一つだけ約束して欲しいのだけど」と私は言いながら眠い体を起こした。「返答しだいで、この世界を終わらせるようなことだけは勘弁してくれないか」
 すると小鳥は地球の重力を利用して、木の枝から私の膝へ飛び移った。
「アタシ、世界を終わらせるためにこの質問をしてるの。だってアタシたちは出会ってしまったのだから、もう後ろには戻れないでしょ」
 私は大きく溜息をついたあと、そのわがままな小鳥を愛することにした。

 世界はその後も続いていったが、あのときから数日後に物語が終了してしまった。
 中央政府から届いた手紙にはこう書いてあった。
「物語は終了してしまいましたが、今までと何も変わることはありません。デマなどに惑わされないよう冷静な対処をお願いします」
 私には意味がよくわからなかったが、何も変わらないということを知って安心した。どうやったら小鳥を愛せるのか悩んでいたし、そのうえ世界のルールまで変更されたら、もうどうにもならないからだ。
 小鳥に手紙の内容を読んで聞かせていると、古い友人が家を訪ねてきた。彼は今、哲学者のアルバイトをしているのだという。
「お前もその手紙を読んだのか」と言いながら彼は、ソファに腰を下ろしてタバコに火を点けた。「しかしお前に小鳥を飼う趣味があったなんて知らなかったよ。肩に乗せたりして」
 別に飼っているわけではなくて愛しているんだと説明すると、哲学者の友人は鼻の穴からタバコの煙を吹かした。
「お前は愛することを選んだのか。俺はきっと絶望を選ぶことになるが、いずれどちらかを選ばなきゃならないんだ」
 彼が言っていることも私にはよく理解できなかった。唐突すぎる出来事ばかりだ。
「明日世界が終わると想像してみろ。愛するか、絶望するか、どちらかを選ぶしかない」

 友人が帰ったあと、小鳥はタバコ臭い人は嫌いだと言った。
「でも何かを選べるということは、まだ希望があるということでしょ。あの人、ほんとうに哲学者かしら」
 なにしろ彼はアルバイトだからねと私が言うと、小鳥は小さく笑った。

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