居場所を見つけること。

意味を見つけること。

この空気を共有すること。

日常をみたす空気の意味を、匂いや重さや温度を見つけること(つまり与えられた状況に慣れるということ。そうでなければ生きていけないから)。

そして存在することを根元的に保証するもの(は原則的に存在しないが)。

世界を肯定すること(は出来るし、自分と他者との間で、お互いを肯定し合うことは出来る)。

欲望の取り扱い説明書を作ること(つまりそれは宗教であるが)。

限界を設定するのが仏教で、限界を設定しないのがキリスト教(あるいは、仏教は現実主義で、キリスト教は理想主義)。

今を生きるのが仏教で、未来や過去を生きるのがキリスト教(つまり仏教は、今この瞬間が何より大事なので世界を支配しようとは思わないが、キリスト教は時間と空間の中における自分の位置が気になるので、いつも世界を把握しなければならず、いつも世界を支配しなければならないという動機から抜け出せない)。

例えば、放射能汚染にたいして宗教はどう向き合えるのか(きっと向き合えないと思う。生身の人体が日常的に放射能を受け入れることなど出来ないし、現在の原発事故はすでに、限りなくコントロール不能の状況に陥っている。あらゆる宗教、あらゆる思想、あらゆる科学技術は、原発事故および放射能汚染に対してほとんど無力である(つまり逃げるしかない))。

それでは汚染地帯に我々の居場所は見つけられるのか?(無理だと思う)

汚染地帯の住民が被曝する(不作為の作為によって被曝させられる(つまり住民の被曝を放置すること。長期間におよぶ低線量被曝が人体に与える影響は、医学的にまだよく分かっていないという現状を逆手に取って、安心安全の心理工作をする))ことの意味はどこにあるのか?(未来の人々にとっては貴重な教訓になる。しかし、今を生きる人々にとっては将来ガンになるリスクを高める)

放射性物質の漂う空気を、我々は共有できるのか?(我々は安全と危険の間で分裂し続ける。国は安全であるとしか言わないだろうし、国の定める基準値は国の都合によって決まる)

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