おやじ歳時記

ジイジの雑駁なお日和つづり


今朝は庭の窪地が大ごとな感じの大降りの雨でした。大きな流れに変わった川を雨の季節ならではの風流だと見ていた昔。行き場を失った川の水が集まって大暴れをしている近年。風流どころか、こんな激しい災害だけは勘弁してくださいです。これも山を変えてしまった人間の責任ですね。


ワクチンを集めて早く救わんかい
コロナを通して知ってしまったこと。自分の国がこんなにも頼りない情けなさ。体たらくにもほどがあります。インドやあの周辺の外国からの入国うんぬんの水際対策も壊滅状態。水漏れどころか水浸しと佐藤正久議員がおっしゃっていましたが、政府のすることは無為無策もいいところです。ワクチン接種率も世界で100位以下で、あのミャンマーより低いらしいです。これまでの日本の勢いを知っているだけにあまりの酷さに驚いています。もしかしたらこの国の中枢には日本経済を破綻させ、日本人を粛正しようとする闇の人間、組織が存在でもしているんじゃないかと思うくらいです。やることなすこと行き当たりばったりで、あまりに破壊的というか無責任というか。
経済大国世界2位だった日本はIT 産業も越され、EV車も中国の専売特許みたいになってしまって、今ではもう「衰退途上国」とまで言われています。昔は世界中にお金をばら撒いて、今では追い越され、恩も何も感じない中韓からは見下されの情けなさ。いずれ物乞いをせねばならないのでしょうか。なのに、それでも東京オリンピックはするつもりみたい。
自分の国がここまでバカ丸出しの国会議員で成り立っているなど、もはや国ともども見限ってしまいたい思いです。一生懸命に町で暮らす一般人より低能で、低次元のこんな議員を選び、自民党一党独裁的なことでも良しとしてきた我々有権者の大きな責任でもありますが。それにしてもこれからどうなっていくのでしょうか。生きている間に見たくないことが増えなければいいのですが。


久しぶりに朝ドラを見続け、見終えることができたおちょやん。よかったです。大阪弁が苦手な人には早口や騒々しさが疎ましかったかもしれなかったでしょうが。大阪も松竹新喜劇も吉本新喜劇懐かしい僕には思い出すことが多くありました。
最終回、鶴亀新喜劇の「お家はんと直どん」の舞台上での千代と一平のやりとりが、このドラマの物語のすべてではなかったのではと思いました。数ヶ月分を一気に集大成した感じ。
千代:「あんたと別れへんかったら、大切な人たちと出会うこともできへんかった。あんさんも私も、愛する我が子と出会うこともできへんかった。あんたと出会うて、つらい思いもぎょうさんしましたけど」
一平:「それもまた面白い人生やったやろ。わしのおかげやな」
千代の複雑な思いが入り混じったセリフに“ボケ”で答える一平。
千代:「自分で言うてどないしますねんな!」
と突っ込む千代。息ぴったりのやり取りを展開。最後に、
「おおきに」と頭を下げ優しく言う一平に千代も頭を下げて、
「おおきに! 生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて、おもろいなぁ」
千代さんの速度と角度の絶妙な頭の下げ具合といい、間合いというのか。このふたりの独特な空気感を醸す演技がよかったです。


このセリフを聞いていて、「あなたと出会えて幸せな人生だわ」という人がほとんどでしょうが、「あなたと別れて新しい人生を歩むことができた」と、そういうことも有りなんだなとしみじみと感じました。
おっと気が付きませんでした。現にこの僕だって元嫁と別れたから、新しい人との出会いや、新しく違った世界との出会いがありました。何より、息子ふたりと親子の濃厚な時間が与えられたことが、「しんどうておもろかった」と今になって思い返されています。ひとえに与えられた運命に感謝、かもしれないです。




煙雨
〈立ち昇るような煙雨〉
紫陽花

〈色がつていないまだまだの紫陽花〉
ヤマボウシ
〈 今日の雨でうなだれのヤマボウシ。僕は世情にうなだれです〉

今日、梅雨入りですって??の大分県。早すぎでしょう。去年より小1ヶ月も早いし。1954年5月13日ぶり、統計史上2番目の最速とかです。
これからジトジトジクジクがしばらく続くのかと思うと辟易と憂鬱です。そして今年の梅雨の雨こそ、豪雨にならないようにと祈るばかりです。毎年毎年、たくさん以上の雨を降らせていい加減にしてください・・・ですよ。足早にやって来たんだから、足早にお引き取り願いたいものです。夏の暑さが怖いですが。


おたま夫人からいただいた大量のたまご。オムレツ、トマトと一緒に炒めたり、さまざまなバリエーションにと工夫を重ねている卵焼き、ゆでたまご、黄身の醤油漬けなどなど。この短期間でコレステロールを気にしつつとっても重宝していますが、前回いただいた時季よりずいぶんと気温も上がってて、こりゃ急いで消費せねば!!と息巻く消費の終盤です。どうやら追いつけそうにない、やっぱり量の多さには敵いませんわと脱帽で、外壁塗装に来てくれていたふたりの職人さんに新鮮なうちにと早々に40個ほどお福分けしました。ちょっと歳のいっている寡黙おじさんと、お孫のいる52歳の愛想のいいお姉さんに。
「すみません。おたまのお手伝いしてくれんでしょうか」
「え〜〜〜、いただいていいんでしょうか」
「いいちゅうもんじゃありません。どうか半分なりともお手伝いを」
新鮮おたまを気持ちよく持って帰ってくれて嬉しかったです。

コロナ禍が身近に迫りつつあります。大分県もとうとう100人を超えました。
聞けばカラオケに行って一気に10数人もが感染したのは、日ごろグランドゴルフに興じているお年寄りだったとか。ボス的な人の誘いに断りきれずに参加したというお付き合いやら田舎地域のそれが悪弊だと、難を逃れた近隣のお年寄りが嘆いておりました。
あの辺りで感染者が多いとか、風の便りほど不確かなものはありませんが、火のないところに煙は立たないとも言いますし。そうなるとやっぱりじわじわと身の危険が迫って来ているんだと空恐ろしくなってきています。用事がない限り家にいるのが一番だということですね。用事もこちらから作らないことです。外出にはマスク。家に帰ったら指紋の奥まで手洗い、うがいはもちろん、お金を触ったらさらに入念に手洗いすることですね。
昔の人は言っていました。お金は大切だけどもっとも汚いと。確かに無数の人の手から手を渡っているんですもんね。それに人の心を汚く惑わす魔力もあるし。今さらですが昔の人はよく言ったものです。


「主人も定年退職して夫婦とも歳をとっていくばかりでしょ。このコロナでお付き合いもままならないのでいよいよ世界が狭くなって。でも逆にリスクは少ないでしょ。慣れてしまえば暮らしやすいものよ」
大阪の知人との電話でそう言っていたお姉さん。庭の手入れと、借りている畑で採れる野菜のお世話。そんな平坦な毎日だそうです。時折行かなきゃならない大阪市街地へはマイカーだとか。徹頭徹尾、安全を心がけているようです。でも考えようによっては、なんとも穏やかな暮らしかと思います。そういう心がけのシニアであれば聞いている方も安心です。





西嶋さん宅のバラ
〈覆いかぶさってる感が半端ないお屋敷のバラ〉

ご近所の歩いて2分のお宅には庭いっぱいにさまざまな種類、そして色の違うバラが咲いています。家すらも見えないくらい。薔薇のお屋敷、見事です。
あまりに多くのバラの木にびっくりしたのが2月からウォーキングをはじめた頃でした。そのうちウォーキングのたびに、そこの70歳代のご主人をお見かけすれば声かけをするようになって、2月3月、そして4月が過ぎ、いよいよ5月になって満開のバラを見させてもらうことができました。
「今年は季節が早くて、これまでやっていた手入れが間に合いませんでした」
3月、早咲きの今年の桜が満開の時にそう仰っていました。何年もバラに情熱を傾け、丹精込めてつくっていらっしゃる人柄も、穏やかな笑顔ににじみ出ていました。花が咲いたら写真を撮らせてくださいなと、厚かましいお願いにも快く許してもらっていました。あれからひと月半、5月の真っ盛りに一気に花盛りになったので、心弾ませて出向かせていただきました。
ちょうど新しいバラの棚を業者さんが設置していたようで、挨拶もそこそこにして、お邪魔にならないように謙虚に撮らせていただきました。
「じゅうぶんなお相手もできずに申し訳ないです」
いえいえ、ガーデニングでこんなに美しいバラを拝見できたのですから有り難いことです。お気遣い痛み入りますです。



〈昭和の正統派イケメンですね。残念なことにもう天国の方になっているようです〉


五月のバラといえば歌にもあります。若い頃に聴いた塚田三喜夫さんの美しくてのびやかな歌声に心酔わせてもらいました。布施朗さんの五月のバラもステキです。声量たっぷり。
この歌はよっぽど声量がなければ歌えない難しさが、聴いているこちらにも伝わってくるくらいです。でもこの季節にぴったりな曲ですね。ここでまた昭和が良かったと改めて思ってしまっています。こんな素晴らしい曲を今の音楽家たちはつくれるでしょうか。感性の異なりと、情緒が不足しているのできっと無理でしょうね。
五月晴れの下に咲く五月のバラも、明日からの雨空と雨そのものににどんな姿に変わってしまうんでしょう。そろそろ梅雨入りがはじまるかもしれませんね。




雲1

雲2

雲3

雲

最近、空を見上げると立て続けに面白い雲が浮かんでいます。
ただいま我が家の四方は足場が組まれたまんまの状態が続いています。塗装の作業は昨日終わったのでボチボチ撤去かもと思っています。もうまもなく開幕、ご開帳であります。

さて日々の暮らしのなかで面白い雲が出たぞと見るや、大王さまはその火の見櫓みたいな足場の階段をカンカンカンと足音も軽く一気にてっぺんまで駆け上がり、視界の広がった東西南北に向かって写真を撮っています。足場があるおかげで簡易な階段を昇れば異なる視界があるなど滅多にないことと、喜び勇んでは五月晴れの美しかったり奇妙だったりの空の写真を撮っています。元来、高い所が好きな人なので日々愉しめる足場があって嬉しそうです。
先日は見たことのないような鮮やかなうろこ雲が空一面に広がっていたのには愕きました。まるで我が家にある波佐見焼のお皿みたいな模様と色合いにも驚いてしまいました。その翌日には龍のようなステキな雲も。雲を泳がせたり、太陽光線を自在に輝かせたりと千変万化なことをする空のいたずらではありますが、今週はまるで梅雨の走りのような雨降りが待っていそうです。おお、そうであった今のうちに大物の洗濯をせねばなるまいなと思いながらも、足場とネットが張りまわされている現状ではなかなかです。蜘蛛の巣に絡めとられている虫みたいに身動きが取れずです。
窓を開けるとかすかな解放部から見える5月の空のなんて美しいことかです。有り難みが増します。


大分県もいよいよコロナ感染者が増え続けています。これまで生きていて体験したことのないような身近に迫りくる恐怖。生まれる前のことですが、先の太平洋戦争の時の「命の引き換え」のような切迫感が漂っています。戦争同様にこんな災いの犠牲になることなどもってのほかです。


せめてもの息抜きにと再発見しているのが我が家のメダカ。先代、先先代と続いて、今年も抱卵から産卵、そして孵化していっています。先先代が10匹、元気です。台湾大火鉢に暮らす先代がおよそ50匹はくだらない大所帯です。可愛いことにエサをやると寄ってきてくれて指先を突っついてくれたりします。そして今年の新しい命がただいま10数匹。神経質にしてこだわりの強い大王さまが、ボウフラの餌食になってはならじと子メダカをすくって別の棲家に移してくれました。コロナ禍のなかでメダカからも気持ちを救われています。




本日、端午の節句。昼過ぎまで本格的な雨降りでした。午後からは一気に天気も好転して、初節句をお迎えのご家族には忙しい空模様になってしまいました。雨降ったあとから五月晴れとは幸先よさそうな。
日本の子どもたち、そして昨日元気に5歳になったお孫の若ぎみ、どうか健やかに育ってほしいと念じています。


どっこにも行くまいと決めていたおよそ一週間でした。とは言え、日出町のおたま夫人から大分市内に行きますゆえの電話をいただいて昨日は当のおたま夫人、僕より少し若めの県職の立派な息子さんと教育者の娘さん、そして当家の若さまと一歳違いの25歳のご自慢のお孫くん運転で大分市内に。そうやってお父さんが亡くなって初めての外出に行き合うことができました。
僕と大王さまの大きな役目。それは共通の思い出の地での記念撮影をすることでした。生前のお父さんと僕らとで昨秋に交わした穏やかな約束でした。四十九日もまだ先のことながら、ぜひにとおたま夫人から電話を頂戴してお父さんの遺影を真ん中に何枚も写真を撮りました。勲章を胸につけた姿はやっぱり立派でした。

湯浅さん
〈しばらくはたまご暮らしにいそしみます〉

お父さんの生前、そして過日のお通夜ではお世話になりましたと、ご家族皆さんからご丁寧なご挨拶をいただきました。そしてトマトとキュウリと一緒にタマゴをふた箱もいただいてしまいました。いつも気遣ってくれているおたま夫人のこと、もしかしたらと予想していたとおりの展開になってしまいました。
お通夜に参列しなかった大王さまは、連休明けにはご自宅に四十九日前のお参りの予定にしていましたが、何しろコロナが大分県をさらに広く覆いはじめていて、逆に心配やら迷惑かけてもなぁと考えていた矢先に思いもかけず大分でお目にかかれてよかったです。
大王さま、
おたま夫人に弔意と御霊前を。心構え、なかなかよろし。でも撮った写真をぜひ持って来てとおたま夫人。やっぱり寂しお見舞いで行かねばならぬでしょう。


手短、手薄、手抜き。休日がたくさんある時には、食事のお世話だって簡単至極にさせてくださいましと常々お願いしております。そんなことにはとっても理解のある大王さま。その意を汲んでくださって今回はお手軽にして満腹感が半端ないペッパーランチに決定!! かの卓上激熱的鉄鍋黒胡椒飯炒の再演であります。
 
「抜かねば、抜かねば、抜かせていただかなきゃ私の体が壊れるぅぅっ」ってね。


ペッパーランチ
〈どれもこれもたっぷりの具材。このひと山をば〉
ペッパーランチ2
〈大王さまの手並みで大いに崩壊させて熱々をいただきました〉

炊き立てご飯を適量(その時の気分とお腹の空き具合によって)、牛のバラ肉(お好きなだけ)、コーン(これも好き放題)、大量のネギ(一袋の半分くらい)。それとバターと、すりおろしニンニク。味の決め手は今回は地元のフンドーキン醤油の焼肉のタレ、そして重宝しているKALDIのソルト&ガーリックをミルでゴリゴリ。
今回の料理人は大王さま。「たまにはキッチンにお立ち!!」と言ってやろうと思っていたら、自ら率先してつくってくれました。しかしその図は料理番組でのテレビに映る料理家と、陰であれこれ出したり引っ込めたりする助手みたいな奇妙なふたりでした。しかし!!
「そこにバターを入れるっ!!」「タレは勘です。勘!!」「かき回し過ぎないっ!!」
小姑ですか??の口出しをいっぱいしてやりました。甲斐あってよくできましてございます。
若さまに写メしたら『カロリーオーバーではないでしょうか』と返信が。確かに言われてみたらオーバーもオーバー。スーパーオーバーですね。気を取り直してまたウォーキングせねば。






NHK
のおちょやん。「浪花千栄子でございますぅ」の懐かしいCMに覚えがあるのと、主演の杉咲花さんの立板に水のような関西弁がとってもお上手だしで、朝ドラを珍しくずっと観ている毎朝です。日ごろは朝からやかましいテレビが大の嫌いな大王さまも観ています。最近の僕は加齢とやらで耳が遠くなったのでしょうか。時たま何を言っているのか聞き取れない場面もありますが。
ちなみに大王さまは、あの「浪花千栄子でございますぅ」のCMを知らない世代とか。大女優が活躍していたいい時代を知らないとは惜しいことです。
浪花千栄子さんと言えばオロナイン軟膏。テレビCMも、あちらこちらに貼られていた(今でも田舎の廃屋やらでは見かけます)ホーロー製の看板も有名です。それと細腕繁盛記の南地楼の女将さん役が頭から離れません。「なんちろう」という響きが子どもながらも心地よかった記憶があります。もう随分なおばあちゃんだと思っていましたが、もはや今の僕と遜色ないあの当時の年齢だったようです。昔の人は老けるのが早いようでした。生きた時代もさることながら、風格や貫禄、深い人間味の表れでしょうか。
それが大阪万博が開催された年と翌年の放送だったのですから、もう大昔の話になりますね。大王さまが知るわけがないですわ。
あと10日あまりでこのドラマが終わります。最終回まで愉しませていただきます。NHKの朝ドラで、こんなにも真剣に見続けているなんて何作ぶりでしょう。


テレビのお話、もうひとつ。
先日の日曜日にはお昼からずっとDr.コトー診療所をファミリー劇場でやっていました。延々と22時45分まで。ずっと観るつもりなどなかったのに、とうとう最後まで見入ってしまいました。もちろん途中でお風呂やら晩ご飯やらで歯抜けもありましたが、再放送のドラマでこんなに本気出して観たのは初めてでした。とっかかりはなんとはなしにテレビを点けたらやっていた「Dr.コトー診療所2004」。ちょうど朝加真由美さんが自宅で倒れたシーンあたりからのめり込んでしまいました。どの回も一度は泣いてしまう始末で、こんなドラマだったんだと感動してしまいました。役者さん、みんながいい。
「これって志木那島っていうんだけどきれいな海だねぇ。もうちょっと若ければこの島に行ってみたかった」
「本当に志木那島ってあると思ってるの?? ロケ地は与那国島だよ」
知りませんでした。架空の島名だったのね。
その与那国島は安全保障上、2016年から自衛隊が駐屯しているようです。そんな前から自衛隊の人たちが護ってくれていたんだと、知らぬこととはいえ有り難いことです。ドラマに出ていたあの美しい海と島が、この国の西の果ての島としてその大きな役目を担ってくれている。それを考えると政治家も国民も虎視眈々のC国に対して、警戒とお付き合いの程を考えなきゃと思うのですが。


カラー
〈ずいぶん昔から我が家でカラーを咲かせていますが、切り花にしたのは久しいことでした〉

庭のカラー
〈囲われてしまっているカラーや葵の植木鉢。日の目を見るまでもうちょっと〉

まだまだ外せない我が家を囲っている足場とメッシュシート。まるで謹慎蟄居みたいに囲われてぼちぼちひと月になります。
毎年この季節になるとプランターに植えているカラーの花が咲きます。今年はその窮屈なメッシュシートの隙間から現状をを慮ってか、わずか一輪咲いてくれていました。それがまた、周りの暗さに対比して映える白で。深山に咲くかそけき花みたいな感じでした。見る者の捉えようですね。
このまま今年の生を終わせるのも不憫だと思って、少し長めにハサミを入れて切りました。そして40年も前に買った砥部焼の一輪挿しに、そっと挿れてやりました。でも、そもそもそこにある花をわざわざ切って人工的に生けるなど、どうも好きにはなれないのです。自然美に逆らうみたいで。今回だけは特別でした。
メッシュシートに囲まれて、さらに晴れたり雨が降ったり、また最近の強風のなかにあって必死にもちこたえようと頑張る姿を見るよりかは、人間のわがままを承知の上で切り花にして家の中に置いています。これも物の冥利と思えば申し訳なさも軽くなります。





昭和電工ドーム
〈今日の昭和電工ドーム。若者たちが走っておりました〉

 
佳い季節ですなぁ。5月になりました。
風も爽やか、空気だってなんとなく透明感があるみたいな美味しさ。今朝の未明には雷まで鳴って、春雷でもって悪しきことが消え去ってくれたらいいなと。
でも我が家はメッシュシートのベールに包まれたまんま新しい月を迎えました。本来ならばとっくに終わっていたはずの外壁塗装作業ですが、途中で降った春雨数日と、そして来客の甘言に惑わされたことをいいことに、大王さまの何故だかの優柔不断さが大噴出して一部スペースの塗り直しの大騒動があって、いまだに新装になる我が家の全貌のお披露目に至っておりません。

一旦は承服していたのに欲深い大王めが、たまさか立て続けてやって来たお客の意見はやっぱり正しいとかで、あっちの色がいいやらのたもうて「すんません」の塗り直しのご造作をおかけするハメに。日ごろは口数少ない御仁なのに、こんなことで興にのると饒舌なこと。よくもまぁ次から次へとポジティブな言葉が羅列できるもんだと、今になって驚いてしまいました。詐欺師の素質ありかも。
「確かにあんさんの仰るとおり、そのほうがよろしいですが、あたしゃ業者さんに朝令暮改みたいなことたぁ言えません」
すったもんだの末に、やっぱり業者さんに言うのは僕の役目。一度決めたことを覆すなんてことは無礼千万と、こっぴどく親から躾けられていたので、そんな大どんでん返しなど大嫌いなのにホント渋々。精神安定剤のデパスと、頭痛が治るロキソニンを飲んで今朝は早くから業者さんにお詫びやらお願いをして、大いに移り気の大王さまの望みを叶えて差し上げました。
まぁ業者さんに言ってしまえば、塗り直しするのしないのの昨夜のいざこざは、まるで五月の鯉の吹き流しみたいな私。大王さまにとっては扱いやすいジジイかもしれません。いいように利用されているのかしらですが。
外壁塗装で家じゅうの部屋が薄暗くて、今年の端午の節句は気分ものらずに兜飾りなしに。長いこと続けていた我が家なりの伝統行事、珍しいおさぼりになってしまっています。

あとひと月もすれば何もかもが重くのしかかってくる梅雨がやってきます。今のうちにスッキリさせたいコトやモノがたくさんあるのですが、如何ともしがたい覆い被されの我が家はもう少し続きそうです。佳い季節なのに。せめてチャージをとせっせとウォーキングに励んでいます。でも徐々に気温も上がってて、季節を肌身で感じることは良いことですが、暑さに苦しみもがいて汗びっしょりのウォーキングは気力が失せそうです。いや、ぼちぼち確実に失せつつあります。
今日は仕事で昭和電工ドームに行ってきましたが、五月の青く美しい空のもと若者たちが苦しむ様子もなく飛んだり跳ねたりの練習をしていました。
「若いっていいなぁ」、家の周りのウォーキングすら躊躇しはじめている僕。若さへの羨望、とても身に染みる光景でした。しみじみジイサン、なんとかせにゃ。



 


鷹来屋とホヤ
〈輪島の漆膳と備前の焼物、東南アジアの箸。そしてジャパニーズのお酒とホヤ。カオスにも酔いましたげな!!〉

ホヤは喉ごしのいい芋焼酎の木挽
BLUEにも合いました。ひと口飲むたびに頭の先から足の先まで一気に刺激が突っ走るソーダ割りがようございました。スパークリングワインとは違うピリピリ感と酔い加減が愉しい上に、さらに濃厚ホヤで複雑な酔い心地を愉しめました。
さて残りいよいよひと袋。お名残惜しいことこの上なく。またいつお目にかかれるやらです。今回のホヤ祭りの締めはやっぱり日本酒でと。ご飯のおかずが日本酒の肴としても相性がいいと言います。ご飯も日本酒も瑞穂の国のお米が親ですもんね。それにお米にも酒造りにも日本の美味しい水が加わっているんだから合わないわけがないと。ということで三陸ホヤのエンディングを飾ってくれたお役の日本酒は地元大分の鷹来屋さんのちょいと辛口のを。器は備前の窯元で買った備前焼の取り皿を。ついでにぐい吞みも備前。土だけの造形美ながらも炎が焼き物に乗り移っているような備前焼もまた大好きです。


やっぱり日本酒に合いましたわのホヤ、実に美味でした。なんて言うのかなぁ、滋味が体の隅々にまで行き渡る快感を味わえるみたいな。「しみじみ、染み滋味」、あ〜〜日本人の味覚に勝る者はこの地球上にはいないなぁと、とっても馬鹿げた壮大な思いすらしました。
日本酒が口のなかにあるホヤの味の存在を際立たせるみたいな。そしていつの間にやら日本酒がホヤの後味をさっぱりと消し去ってくれて、またぞろホヤを口に入れての呑み食いの繰り返しが愉しくて。クセのあるホヤの味と切れ味のある日本酒が幾重にも重なっていくクレープみたい。う〜〜ん、至福口福の時です。似て非なる者どうしが融合、共演、それほどに美味しい!! 羽化登仙の思いです。同じ珍味でもくさやはご遠慮ですが()
思いもかけないホヤとの小一ヶ月の暮らし。晩酌が待ち遠しく感じた至福の時を終えます。またいつか。やっぱり愛してやまないホヤでした。


ホヤは海蛸、老海鼠、保夜と漢字で。吸盤で吸い付いて離しませんよのタコに、形状がほらアレに似ているナマコに、挙句に夜が保てるとは、ついついアッチに妄想してしまいます。もしかして昔の人は滋養強壮にと崇めていたかもしれません。グロテスクなかたちだからこそ、尚のこと効果絶大を信じてやまなかったのかもと。別名、海のパイナップルともいうようです。

台湾パイナップル
〈日本と台湾が思い思われている小さな証拠のパイナポォ。じゅうしぃ〉

海のパイナップルね・・・と、何気に思っていたら我が家にもありました。買ったばかりの台湾屏東産のパイナップルが冷蔵庫に。これも食べねばと食卓は一気に海のホヤ、陸のホヤと大急ぎの様相です。
台湾産のパイナップルは中国がいちゃもんを付けて輸入禁止して、行き場を失ってしまってたのを日本がこんな時こそ恩返しをと大急ぎで輸入しています。我が大分県でもスーパーの果物コーナーにしっかりと並べられております。おかげさまで思わぬ余禄に与っています。
買ったのは今回で2度目。今回のは小ぶりながら芯まで食べられるという、カットに手間取らない嬉しいパイナップルです。台湾に行ったことのあるというだけの理由で大王さまにカットを任せて、僕はひたすら甘いパイナップルを食べるスタンスを保持しています。
台湾は東北大震災の時にいち早く、そしてどこの国よりも大変多額の義捐金を送ってきてくれました。わずか1個や2個のパイナップルで恩返ししたつもりでいることをお笑いください。

いまだに外壁塗装工事進行中でビケもシートもそのまんま。今年は五月の空の鯉のぼりどころか、シートが風になびく珍しいGWを覚悟です。薫風など家に招き入れられず息苦しくての日々はもう少し続きそう。そんなことしながら桜のなかった4月だった今月も終わりです。いろいろあったなぁです。
五月。どうぞご安全に、そしてお健やかにお過ごしください。 






玉泉院
〈立派な葬祭場でした〉

会うたびにいつも優しい笑顔で接してくれていた元気なお父さんでした。亡くなって久しい我が家の親父とはまた異なったお父さんの感じが好きでした。機動鑑識が主だった仕事の県警を退職後、地域の交通安全協会で交通安全啓蒙に力を注いでいたと聞きました。お通夜にも所作のキビキビとした方が複数名いましたが、あの方たちはきっと警察時代の部下であったり、歳の離れた後輩であったりの皆さんでしょう。
人は死にざまが人生を映すと思っています。卒去とはいえ眠っているようなお顔に、87年間を一生懸命に生きて、人々から慕われ敬われ、そして家族の愛に穏やかに包まれた一期だったんだなと思いました。いつもは普通の好々爺的な方でしたが、立派な勲章を佩用している大きな遺影は威厳に満ちたものでした。立派な方に親しくさせていただいてと、今さらながら光栄なことであったと思っています。
曹洞宗でしたが、ご導師の和讃、御詠歌がとても心に沁みました。儚げで、あ〜お父さんを見送ってるんだなと普通のお経よりもしみじみと感じました。


「夜の運転は危ない」「最近は注意力散漫ぽいし」「かすみ目でしょ」「左手も」。
ひとりで大分市の自宅と別府市のど真ん中までを行ったり来たりは、非常に危険だと思ったのでしょう。大王さまが助手席にて同行してくれることに。斎場に向かう数時間前に、お父さんの訃報に併せて「ぜひお父さんに会いに来て」と、未亡人になってしまったおたま夫人から電話をいただきました。もとより伺うつもりでおりますと返事をして、その場にいた大王さまにも電話を代わってお悔やみを言う大王さま。こんなご時世ゆえ、より身近な方たちのお邪魔になってはと、お通夜には参列せず、後日ご自宅にお参りに伺いますと言っておりました。
そんな経緯があったのでひとりで別府まで行くつもりだったのですが、還暦超えの危険の察知やらオフクロさまの胸騒ぎを看過できないと踏んだ大王さまがせめて同行して、葬祭場の近くから遥拝できたらそれでいいよと相成りました。


久しぶりの夜のドライブはやっぱり怖いものだと思いました。ほんの数年前なんてどうってことなかったのに。例えるなら温泉に行って深さの分からない浴槽に足を入れる時の不安感と同じです。どこが底なの??みたいな。そんな思いもこれまでそんなことなかったのに。
加齢って体も心も衰えていくのですね。いよいよ反射神経が鈍くなってきていることを実感させられています。

リボン外観
〈夜の明かりも手伝って、いかにも昭和のレストランって趣です〉
ミックスフライ
〈1420円也のミックスフライセット。左手不自由なのでメインもライスもお味噌汁も定位置じゃないし(笑)〉

せっかく別府。それも夜の別府。お通夜や葬儀の帰りに寄り道するのは禁忌だと知っています。しかし今回は不謹慎なことでしたが、お腹も空いたしで葬祭場の近くにあるレストランリボンに行きました。創業63年の老舗です。友人のやっているレストラン東洋軒よりはまだお若いけれど、なかなかの味だと別府っ子には評判です。一度は行ってみたいという望みを裏切ることのない美味しい食事でした。NHKの朝ドラ「ひよっこ」の、すずふり亭みたいな感じかななどと思いました。

メイン料理のミックスフライセットはプリプリの身のつまったエビフライ、白身魚のフライ、自家製デミグラスソースをまとったトンカツ。野菜サラダにポテサラにスパゲティ。もちろんどれも美味!! そして鰹節でよくお出汁をとったお味噌汁はまるで料亭の味。それとご飯、このお米がまた美しくて美味しくて。丁寧な仕事をしているなぁと思いました。コロナ対策も万全すぎるほど万全にしていることも、このレストランのポリシーの一端が見えた思いがしました。
別府の街すべてが観光客で賑わい、全国屈指の観光地として栄耀栄華を誇っていた昭和の半ば。そのノスタルジックな時代と味を、ごまかさずそのまま63年も引き継がれている頼もしさが嬉しかったです。
また行かねば。次回はスーツではなくてラフな格好で。



 


週2で通っているオフクロさまのデイサービスルーティーン。やれやれやっとの見送りとやれやれもうですかいのお迎えです。
で、先日施設のスタッフさんから電話があって何事かと。
「お母さまが息子さんが来ない」とずっとおっしゃってと。どうやらお昼寝していてとんでもない夢を見て、前後不覚というか、夢も現実もごちゃ混ぜになったようです。スタッフもお手上げ。なんとかなだめすかしてもらって帰宅後に、はてさてどうした??と聞いてみたら。
「あんたが西大分の港で浮んでて。それ以来、胸騒ぎがして。それにとうとう私、天涯孤独で身寄りがいなくなったと思って」
それは夢でしょ。と言いつつも88歳の老母が、63歳のシニア息子をたとえお昼寝の夢とは言え案じてくれてと胸が熱くなりました。
「大丈夫!! 母さんを見送るまで生きているから」
「頼むよ」
慰めとも脅しともどちらにも解釈できる変な説得の言葉でしたが、そんな言葉も最近はしっかりキャッチできているのかいないのか。とんと要をつかめないことが増えました。あれだけ気丈な人だったのに老いの恐ろしさを目の当たりにしています。もう昔のようなチャーミングさも思慮深さも無くなって、気持ちが行きつ戻りつしているただの夢心地の人になりました。それでも本人は「ボケてないから!!」と、しっかり宣言していますが。


雲
〈夢か現か幻かのここ数日のできごとが重なり合っています〉

オフクロさまは夢と現を行ったり来たり。
にしても西大分の港で土左衛門の息子とはどんな因果なのでしょうね。そしてオフクロさまの潜在意識って何なのか、ちょっと気になっている僕でもあります。
心の奥深くにあるのは、どうやら自分の妹たちふたりとも親よりも先に逝ったという逆縁のトラウマか。それとも大分で活躍していたコピーライターの吉田寛さんの急死を知ってしまったからでしょうか。なぜ?という意味の大分弁の「なしか」を広めた人でした。
彼の書いた本が面白くて随分昔から買っては読んでいたオフクロさまでした。大分の風土と大分弁を面白おかしく書いていた本で、メヌエルのめまいで苦しんでいた時に少し気分が良ければ読んでいた本。病に苦しんでいたオフクロさまの気持ちをどれだけほぐしてくれたかでした。僕と同い年。事務所で倒れて亡くなっていたのを見つけられたそうです。言葉によって大分の文化を創生した人でもありました。体型はまさしく病気のひとつやふたつはありそうな雰囲気の大柄でした。
先週は心筋梗塞で一命を取り留めた東京の従弟。母親どうしが従姉妹、つまり僕にとってはまた従兄弟の娘婿30歳が、テレワーク中に心筋梗塞で急死したやらの話しが立て続けでした。コロナ禍のなか大急ぎで五反田まで駆けつけたそうです。


そして今朝は日出町のおたま夫人のとっても優しかったご主人の訃報が届いてびっくりしました。今夜は別府でのお通夜に行ってきました。自宅で転倒してテーブルの角で頭を強打してしまって。去年10月、ちょうど半年前にご自宅に遊びに寄せさせてもらったのが最後になりました。あと4ヶ月で米寿の誕生日だったのに。
人生そのものが夢か現か・・・、そして幻かですね。



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