おやじ歳時記

おやじもジイになってしもうて。人生の坂道をゆっくり下っていきますか。

あれから22年も経ったのですね


阪神淡路大震災から22年が過ぎました。あれからの日本はまがまがしいくらいにいろいろな天災に容赦なく見舞われています。

一部の人間(為政者)の浅はかな力と妄想によって世界中を不幸に貶める戦争は、二度と繰り返してはならない繰り返されてはならないという全能を持った人たちによって防げるはずですが、ことこの自然災害だけはどうにもこうにも防ぎようがありません。しかし知恵ある私たちは過去の反省や不幸な体験を礎に、新たな災難に遭った時にきっと乗り越えられるはずだと信じています。というか信じたくて仕方がありません。そしてもはや日本人すべてにとって自然災害は他人ごとではなくなったしまったという事実をしっかりと心に刻む時なのかもしれません。

 

この22年の間に日本人はいくら涙を流したことか。流した涙の痛みと重みをもっと真摯に受け止めてもらいたいのが政治家だと思います。東京オリンピックも豊洲の市場も、荒らしまわる中韓の観光客へのもてなしも、どこか何かが違うのではないかと思えて仕方がありません。国を富ますためというのが方便でしか聞こえないのがとても空々しくて、そして何やかやと理由をこじつけては群がっている人たちの姿を見るにつけ残念でなりません。

安倍さんも中国に負けじとフィリピンやベトナムなど行く先々で大判振る舞いをしましたが、よそにケタ違いのことをしたところで今の日本にどれだけの見返りがあることやら。現にミャンマーのスーチーおばさんなど、中国ではいくらくれたけど日本はどれだけ出してくれるのかとあけすけにたかっているし。プライドばかりが高くてやることは物乞いとは。そんな人間至る所にいますが。

そんな殺伐とした世の中を見ながら、22年前に思いを残したまま犠牲になった多くの人たちの御霊がひたすらに安かれと改めて祈っています。
 


菜の花
■我が家の春の看板メニュー、菜の花どんぶりの季節到来です。年明けに招いたお客人も大喜びして頬張ってくれました■

日本じゅうが冷えあがっていますね。今日も気温がぐんぐん下がって、これから大分の北部でも降雪の予報が出ています。まさしく雪が降りそうな空模様の雪気(ゆきげ)。さすがに暦通りの大寒の日になりました。冬らしいと言えば冬らしいまっとうな天候ですが、先日も思わぬ場所が大雪になったのには驚いています。広島市、四日市市、それに女子マラソンが行われていた京都も。

確かに今年は北日本の大雪も相当な量。そして北海道ではマイナス26℃など信じられないような寒波。北日本の厳しい冬という刷り込みの脳みそには「雪の多い寒い土地柄なんだね」で落ち着いていますが、まさか温暖なはずの瀬戸内の広島市や太平洋側の四日市にドカ雪とは。

「瑞雪は豊年のしるし」と中国では言いますし、日本でも万葉集に「新しき年の初めに豊の年しるすとならし雪の降れるは」と詠まれています。しかし温暖化が進んでこんなに気象変化が著しい地球になってしまって、雪が幸せをもたらしてくれるという古いことわざも通じるかどうか分からなくなりましたが。

 

小学生の頃まではひと冬に2回か3回はこの大分でも大雪が降っていました。ある朝の大雪の時と、その登校時にちらっと見たNHKの朝ドラの「うず潮」が、何故だかとっても記憶に残っているのが不思議です。雪と大人のドラマのリンクが鮮明過ぎです。調べてみたらあのドラマが昭和39年4月から翌40年の4月までの放送であったようです。小学校の低学年だったのに変なことだけは断片的に記憶の片隅にこびりついているようです。

我が家の息子たちの頭のなかに四季の移ろいや風景と生活の折り合いの記憶がどれだけ残っていることやら。そして生まれたばかりの若ぎみのこれからに、どれだけ記憶に残る素晴らしきことと巡り合うことができるか。息子たちとお孫に善きことはたくさんにと願う私です。



 

若さま日光紀行


「今日は予定通りに日光に行くんだろうか」

「電話ないねぇ。寒いのでやめるつもりかもよ」

 

そんな会話の大分ふたり組のもとに「これから家を出ます」とメールがあったのが9時半。いくらなんでもこれから住まう東京から栃木県の日光の東照宮だなんて強行軍すぎやせんかねと、大分ふたり組は大いに会話が盛り上がりました。そもそもご学友と行くものだとてっきり思い込んでいた我々の予想を大きく裏切って、ひとり旅だと知って益々盛り上がってしまったのでした。どうやら仲の良いご学友は千葉県にひとり旅。その彼に対抗意識を燃やしての若さまの日光行きとなったようです。以前から「東照宮に行ってみればいいのに」と随分勧めていたのも私でしたが。そんなこんなで是が非でも行かねば溜飲が下がらないつもりだったのでしょうか。

 

親というのは悲しい生き物で我が子の行動の先回りをしたがるものですね。

「冬の時季の東照宮は3時半で拝観できなくなるらしい。あの子は大丈夫かいな」

「日光だったら駅前にあるさかえやの揚げゆばまんじゅうが美味しいらしい」

雪は大丈夫か。日光駅から歩くつもりか。三猿や眠り猫は見られるの、家康の廟まで行けるのかなどなど。いちいち挙げたらキリがないくらいに遠い下野国を歩いている我が子の身の上を案じるふたりでした。

「いいですか。間違っても『どう?』なんていう電話なんかしないようにね。ひとり旅の邪魔しちゃダメだからね」

「分かっちょる!! メールか電話があったら何食わぬ感じでアドバイスしてやりゃぁいいでしょ」

そんなことを話していた14時半に今日光駅に着きましたとメールが。そして3時半までに東照宮に入らなきゃ拝観できないことも、日光の美味しもののこともメールに添えられていました。

「案ずるより産むがやすしだね。しっかりリサーチして行動しているよ」

「そうみたいやね。そうは言うものの結構スローな子だからテレテレ歩いて間に合わなくならなきゃいいんやけど」

「放っておけばいいのッ!! 困ったら電話があるでしょ」

ひとり旅、自由人、不干渉、そして普通電車の愉しみなどなど、共通項が増えた若さまのことをやっぱり自分によく似ていると改めて思っているような大王さま。相通じるものがあるのでしょう。もうこれで安心といった感じでふたり組の輪から外れていきました。

涼:東照宮
■ご存知「三猿」。私も謙虚にひそやかに、かくありたい!! 一生無理かっ!!■ 


涼:東照宮
■ご存知「眠り猫」。寝ることが大好きな我が家のライオンさんみたい!!■

涼:東照宮
■これはまた立派な睨み龍で。きっとドラゴンパワーをもらえたはずかと■

涼:東照宮
■家康公のご廟。雪と石の宝塔のコントラストが幽玄さと神聖さを増幅させています■

涼:日光揚げゆばまんじゅう
■食べかけてて写真撮らなきゃと思い出したのがありありの揚げゆばまんじゅう(爆)■

どうやら三猿も眠り猫も見ることができ、本殿にも上がって神妙にお参りもでき、家康のお墓もしっかりと見ることができたと今日メールがありました。歴史上の人物の体がたとえ朽ちていても数メートル先に眠っているなんて感動的であったに違いありません。時空を超えた感じであったはずです。

さかえやの揚げゆばまんじゅうも食べ、この際だからとゆばチラシも食べて、帰路もあっちこっち立ち寄りながら特急電車で22時には家に帰り着いたとか。

 

ひとりで決めてひとりで計画を立て、そして行き方帰り方を調べながら日頃と異なる風景のなかで自分の存在を確かめる。若さま初体験の1月15日になりました。

メールには「自分を内観できた旅でした」と。そして「日光の湯葉を食べたから次は京都の湯葉を食してみたい」と。なんだかまぁそこまで大げさに受け止めなくても良かろうにと思いながら、これが若者特有の理屈かもと失笑した私でした。それに旅食にいくばくかの快感を見出したようで、どことなく私にも似てきたなと嬉しくなってきています。きっと納得できたひとり旅であったに違いないと思います。

それにしてもひどい雪の日本各地。昨日は広島や三重などでも大雪だったとか。今日も今日とて日本列島が冷えまくっています。若さまの日光行きに雪が邪魔しなかったのは奇跡だったのかもしれません。雪のさまざまな影響で難儀している方が大勢いらっしゃるはず。良くも悪くもの冬ならではの天候に一喜一憂しているところです。



 

寒ぅぅぅぅ


お寒うございますの週明けになりました。

大分でも山間部では雪が降っているとかで、もっと北、本州の日本海側や東北北海道では数年に一度あるかなしかの記録的な大雪とか。そんななか行われた大学センター試験。受験生の皆さんは本領が発揮できたでしょうか。望みが叶った素敵な春の訪れになってもらいたいと願っています。

 

我が家の東京在住の若さま。日光のプチ旅行はどうだったのでしょう。無事に帰宅したとメールがありましたが、改めて電話することもなく多くを聞かず多くを語らずで今日はお終いにしました。簡単明瞭な報連相(懐かしい!!)になってきました。だんだんと男らしくなっているということでしょうね。うざったがられないうちに、私は息子に対してどこかひとつ諦めの気持ちを持たねばならないということかもしれません。親の態度の在り方のひとつとして必要なことは「言葉を呑む」ということでしょうか。それは決して我が子に遠慮するとかではなく……。「言わずもがな」で済ませられるようなこと。親の気持ちの変化は子どもを信じるという大きな転換期でもあるということかもしれませんね。

それにしてもやはり東京は良いですね。行きたい場所に思い立ったら電車を乗り継いですぐに行けるのですから。刺激的です。でも大都会のそんな挑発にのらずにほとんどの人たちが地道にまじめに日々を暮らしているのですから、東京という街に憧れるのは地方の人間だけかもしれません。憧れは無い物ねだりってところでしょうか。



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■ブレブレの写真。こんな顔も体も溶けるみたいな動きで部屋中を縦横無尽しています■

ろーまの去勢の手術が済んだとは言え、生理中のお嬢にしてみたらそれどころではないくらいに身を焦がしているご様子です。そう、ヒート真っ盛りであります。外の冬の天気とは裏腹にお嬢は春めいているいるような感じです。

日頃はすげない態度のお嬢の目が潤みがちで、挙句にはオチンの無くなったろーまの鼻先に自分の下半身を近付けています。まろ坊にはこんなことをしなかったのにお嬢も若いオトコの方が好みなのでしょうか。寸前のところで去勢の手術に間に合って、まずは祝着至極なことであったと女っ気のないオジサンふたりは胸を撫ぜおろしています。人間の身勝手で去勢手術をさせられたろーまこそ不憫ですが、生涯不通のつらさの代わりにほかの喜びをと思う私たちです。まずは愛情をいっぱいに注ぐこと。これに尽きます。人間の子どもを育てることができた我々です(笑) お嬢やろーまを育てることなど取るに足らないことですもん。育てることに慣れなくて大慌てしたりせずに済む分、愛情を均等に目いっぱい注げる力量と要領は身に備わったかなと思っています。

 

大寒波のなかをわざわざ日光まで遠征した若さま。雪の東照宮もさだめし素敵であったに違いありません。またひとつよい思い出が生まれたはずです。

ところで先週金曜日に髪を切った私にとって、この寒波と強風は頭皮と頭蓋骨に沁みています。髪がフサフサしていた若い頃には及びもつかない身のやつれようです。夏の猛烈な暑さや、こんな一気に寒くなる冬の気まぐれさ。天候の激しさを身をもって察知しては嘆きが大きくなっているここ数年です。老いさらばえていくという言葉にまだまだずっと先のことだとタカをくくっていたのも束の間。退化と老朽化していく体に取り戻せることのできない過去の輝きを、ため息まじりに懐かしんだ今日の冬の荒天でした。



 

ビフォーアフター


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■手術前の診察で。怖気づいている姿に心が痛みました■

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■怖気づきもエリザベスカラーもお玉が失せたのも何のその!! 元気に飛び回っております■

11日に去勢手術をしたろーま。術後も順調で何よりのこったです。エリザベスカラーを着けてても元気に部屋中を駆け回っております。その姿に。

「動くパワボラアンテナみたい!! いや、後光のある観音さまみたい!!」

大王さまは笑いながら追いかけ回し、人と犬の垣根を超えてじゃれ合っています。

そしてあれだけろーまに対して疎ましそうにしていたお嬢が、手術を終えて帰ってきたろーまに顔を寄せて無事の確認でもしている感じには驚きました。

「日頃はとっても邪険気味なのにしっかり気にはしてくれるんだね」

 

16日には私が絆創膏を剥いでやり、21日には病院でエリザベスカラーをはずしてもらいます。

家で絆創膏を取る!! 傷口を見なきゃいけないのね。金の玉なきあとのぺったんこの下半身周りに怖いもの見たさもありですが、やはり躊躇するには違いないでしょうね。肝が大きくて太い大王さまにして「僕はご免だよ」と。最近は去勢手術も大げさではないようでサササのチャチャチャで手軽なことですね。一生、男としての喜びを知らないまま過ごす不遇のろーまの欲情と心情の割りには軽い扱いですね。

 

さて、明日と明後日は大学のセンター試験。あろうことかこの二日間が今冬もっとも厳しい冬型の天気になりそうだとか。受験生の皆さん、気が気ではないでしょうに。どうかスムーズに事が運び事を終え、そして希が叶えられますように。

我が家もあの冬からもう3年が経ちました。振り返ってみれば早い正味3年間でした。思いもかけない結果になって、落胆するよりも次のことを考えなきゃならない切迫感に陥って大騒動したなという思い出が強く残っています。果たして今の大学で良かったのか。それは残り年間の若さまの充実度と将来の展望如何でしょう。

そんな若さまは後輩たちがセンター試験で頑張っている間にご学友たちと日光東照宮に行くようです。よりによって大雪になるかも分からない日の日光行き。絶大なパワーをもらっていらっしゃいとメールしましたが雪道などさらさら未体験の若さま。転んでケガなどしないようにと要らぬ心配をしています。

 

ちょうど今頃だったと記憶をたどっていますが、20年前東京にいた頃に会社の上司と同僚とで朝早く思い立って日光までドライブをしたことがありました。時間的に東照宮はパスしましたが華厳の滝を見て、奥日光にある温泉にも入り、宇都宮のホテルで美味しいしゃぶしゃぶを食べて東京に戻るといった強行軍の日帰りプチ旅行でした。奥日光の白濁の温泉を堪能している間に雪がどんどん降り始め立往生一歩手前のスリルも味わいました。思い出すのはあの時に見た戦場ヶ原の孤高の木。凛とした姿に「雪で車が大変!!」と大騒ぎていているみんなを尻目に私の心だけがあの木に飛んで行っていたことを今でも思い出します。

20年後の冬に我が子が東照宮近辺のあの道をたどるのかと思うと不思議な思いです。そしてあの時に一緒した上司は6年前に50歳で亡くなりました。冬枯れに立つ孤高の木のように、ひとりでこの世から去っていった人のことを思い出した今日になりました。



 

111の出来事


今日はかねてから予約していたろーまの去勢手術の日でした。可哀想に男じゃなくなるのねと思いながらも、最近は床にマーキングをしたり壁に爪を立てたりと、先代まろ坊とは明らかに異なる「オス」が顕著に発散されておりました。去年秋のワクチン接種の時に年明けくらいがベストかもしれませんよと、動物病院の先生から浄身(タマ取り)を勧められておりました。

松も明けたし、今日の佳き日の111も数字の並びも何となく潔くて。それに上に向かって真っすぐと立っている「1」の姿が何となく雄々しいではありませぬかと。オスで無くなってしまうろーまへのせめてものはなむけにと今日を選んだ運びとなりました。でもやっぱり生まれて7ヵ月少々で生身にメスを入れるなど可哀想であることには違いなく、今朝など早々に目が覚めていろいろに思いを巡らせてしまった私でした。

 

ろーまを動物病院に連れて行ったのが開院10時前の9時50分。人気の病院ゆえ早くから予約の順番取りが殺到であります。とうの昔に去勢手術の予約をしていたのですが、手術前の診察は一般外来の人間さま同伴のペットと同じでありますので我々も予約の列に加わりました。

前のワンコやネコさんたちが粛々と診察を終えてやっと我がろーま。ひと通り診察を済ませてこれからのスケジュールなどを教えてもらって一旦お引き取りをと。

こんなに早く終わってしまうとはと感じ入った我々ふたり。このまま家に帰るのももったいなし、仕事は昼からなので午前中は十分すぎるくらいにおヒマだしと、思いついたのが大王さま未踏の柞原八幡宮。大分の一之宮への初詣であります。

「行ったことなんだよね」

「あらそうでしたか。得にもならん他人さまを厄除けで連れて行ったことがあるのに我が家にとって大切なあんたさんをまだだったとは。これは手落ちでありました。ではさっそく四社目の初詣といきましょうか」


柞原八幡宮

柞原八幡宮

柞原八幡宮
■柞原八幡宮の楼門と樹齢3000年の大クスノキとご本殿■

大分市街地を抜けて別府方面へと車を走らせ、別大国道入り口あたりの手前を山の方へと左折して山へ山へと坂道を進みます。徐々にのどかな里山の風景へと変わっていき大王さまの喜ぶまいことか。海も好き、山も好き、どっちも大好きととても欲張りなご仁にとって大満足の風景の中の果てにあるのが柞原さまであります。

駐車場から始まる石段の趣、楼門の素晴らしさ、樹齢3000年ものご神木のクスノキ。そして山懐に鎮まっているお社の美しさと神々しさは、さすがに豊後國一之宮と言われ多くの人々の崇敬を集めるだけあります。まだまだ初詣に来ている人たちの多さにも驚きました。

回廊のような造りの拝殿に上がり遥かに仰ぎつつご本殿に向かって参拝を済ませました。自然に囲まれた神域。いや、神域すべてが自然とともにあるような、そこに神様がいましますような有難い思いに浸ることできました。この思いはまるで伊勢神宮で感じた例えようのない神聖さと同じような雰囲気でした。

「とても素晴らしい神社でした。いい所に連れて来てくれてありがとうございました」

ほほう。神様のお陰で殊勝になりましたか。有難いことに柞原さまの御稜威のたちどころの発揮でありましょうか。


鳥越峠
■別府の街と国東半島の山と海と空!! 道が開けると新しい風景とも出会えるようです■ 

殊勝なことを言いやがって嬉しいなぁ。神様ありがとうござりました。

石段を下りきったところでものの見事にこの思いが粉砕されました。それは来た道は戻りたくないという大胆不敵な発言。それも山を越えて別府方面に抜けたいと。

「柞原さまから別府だとぉぉお!! そげな簡単に言いなさんな。通ったこともない道が細いか太いかわたしゃ知らんで」

「行ってみたらいいじゃん」

泣く泣くほだされて行く羽目になりました。柞原さまの脇にある道。まさしく林道のような薄暗く細い道をクネクネ。対向車のないことをひたすら祈りながらクネクネドキドキ。何となく視界が開けたぞと思ったら目の前に池が。

「おぉ!! この池には来たことがある!! 若だんなが小学生のみぎり。ちょうど若さまが生まれた夏に若だんなとバス釣りに来た放生池だわ。と言うことはもう少し行くと几帳原。それを右に曲がると高崎山の裏手の銭亀峠。おぉ、その道は結婚前に友だちと車を飛ばしたことがある。まさか反対方向が柞原さまだったとは!!」

「恐ろしがったり躊躇してたりしたら新発見や再発見ができないってことだね」

通りたくないと言っていた私が一気に喜色満面に化けたのですから大王さまも安心しなすったようでした。

 

懐かしの高崎山の裏。もう30年以上も前に別府大分間の裏道として何度か通ったことのある道でした。で、しばらくその県道51号線を走っていたら道がきれいになっていき、さらに別府湾が一望できるようなオーシャンビューの高台にあることに気付き、さらにループ橋が。すぐに気づきました。この道の行き着く先は東別府。去年3月に開通したばかりの超便利な浜脇バイパスであることに。別府市と由布市挟間を結ぶという構想数十年を経てやっと開通したバイパスでした。

「これは快適!! いい道だし、素晴らしい景色!! 別府湾がこんなに美しいなんて改めて感動しますわな」

「兄さん。たまには考え方を変えるのもいいね。こんなに気持ちが良くなってどこかに旅でもしたくならない??」

「またぁ。悪魔のささやきみたいなことを言う!!」



 

松もとれまして、堪忍袋の緒も切れまして。


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■いまだ馴染もうとせずにツンツンケンケンのお嬢。それでもご機嫌取りに忙しいろーま。相変わらず騒がしい我が家ですわ■

あっという間に正月も終わって世の中が動きはじめました。今日は成人式。大分市をはじめ毎度の沖縄やつくばなど、あちらこちらの会場ではバカな二十歳が暴れまくって逮捕の憂き目だとか。人生の、大人のスタートになんという無様なことをして喜ぶ若者か。こんなカタチでしか自己表現や存在をアピールできないのでしょうか。如何に勉強をしていないかということでしょうね。それに親の躾もほとんどなっていないという哀れな結果でしょう。ホント、頭悪すぎ。あと2年や3年もすれば自分のやったことに後悔するでしょう。しかし脳細胞も完成していないのにいい気になって酒を飲んで、前後の見境が無くなるとはまるで野生の猿とおんなじ。

それでもしっかりとした考えや将来の夢を持っている二十歳が大勢いてくれるのが何よりも頼もしく安心もしています。賢さと愚かしさ、両極端なんですよね。

 

両極端といえば極端すぎる考えや、あまりにひどい粘着性の持ち主の韓国に対してとうとう日本政府が強硬策に打って出たことには大快哉を叫びたい思いです。

駐韓大使と釜山総領事の一時帰国だけにとどまらず、スワップの取り決め協議の中断までも。安倍さんがNHKで「次は韓国が誠意を示せ」と言っていましたし、自民党の二階幹事長も「10億円を受け取った後でおかしい」と。言うべきことをはっきりと言った。なんだか久しぶりに日本人の気骨を見た思いがしています。それに日本人のほとんどがこれまで以上に嫌韓へと変わってしまいました。どの面を下げて日本に観光など来れるものかと思いますしね。これまでいい加減あの国からなめられていたのです。まさか日本がこんな強硬なことを言ってくるなど思いもしなかったでしょう。何もかもを覆して傲慢になっているあの人たちにとって、堪忍袋の緒が切れた今回の安倍さんの判断はよいことだと思っています。これからもどんどんやってもらいたいです。

 

二階幹事長ではありませんが、慰安婦問題解決をと10億円も拠出したのにほとんど無視。やっぱりな、です。まるで振り込め詐欺と同じ。国家と国民が一(いつ)でない証拠ですね。国の方針や外交で決めたことなど、あの国の人間にとっては何の意味がないということでしょう。大使の一時帰国を「遺憾だ」と大声で喚き散らしていますが、あの人たちは自分の意に沿わないことがあるたびに感情論で「遺憾だ」の叩き売り。国際ルールなんてほとんど知らないのでしょうね。

大使や総領事の一時の帰国など生ぬるいことなどせずにしばらくは放っておくことですね。ホント、面倒な国です。この際です。テレビドラマも韓流など流すべきではないはずです。国民感情や政治の駆け引きというか、タイミングを見計らうことに一番鈍感なのはどうやらマスコミかもしれません。

しかしそれもこれも日本の歴史においてあの国にちょっかいを出した日本の為政者たちの浅はかさも起因していることも事実です。こんなになったのもあの国の本質を見極めることができなかった大きな誤算が生んだとんでもないツケ。墓の下に眠っている豊臣秀吉やら伊藤博文やら軍隊のお偉いさんやらの魂が、あの国に飛んでいってすべてをリセットでもしてくれればいいのに。

 

昨日の大相撲初場所を両陛下が観戦されていました。6時にお発ちの時には会場の人たちが総立ちし拍手で両陛下を見送っていました。両陛下のお手振りと人々の大きな拍手の音。そして場内に響く柝の音。心通い合う人々どうしが一(いつ)になっているような清らかさでした。

日本人にとって天皇陛下と皇后陛下の存在はとても大きく、そしてとても大きい精神の柱だと思いました。日本には八百万の神々がいて、天皇陛下がいて、そして森羅万象を尊び敬う国民がいる。そんな美しさを改めて垣間見たような昨日の国技館の風景でした。

日本が栄えて、日本人がここまで美しいのは「許しの心」があるからかもしれません。ただし、ことと場合によっては斬って捨てる武士の潔さも……、もしかしたら心のどこかに息づいているのも事実かもしれません。

 

それにしても小寒を過ぎたというのに冬らしくない冬が続いています。このまま春の訪れを待つというのでしょうか。



 

よい正月でありました


水分神社
■年が明けて間もない時刻の深夜の初詣。静かで深い雰囲気が好きです。みんなが畏まっているからでしょうか■

大晦日の夕方から来ていたオフクロさま。三が日が済んだ今朝、とっとと家に帰っていきました。
我が家の布団がよっぽど上等だったのか、それとも家の造りが暖かだったのか、あれだけ気に病んでいる夜中のトイレ参詣が皆無であったと喜んでおりました。だったらもう少し居れば??と水を向けましたが、トイレが近かろうが断熱効果ほとんど皆無の木造住宅であろうが、やっぱり暮らし慣れた家が良いようで三が日明けの満を持してみたいにして引き揚げていきました。


静かな人ですがそれなりに気を遣った私。実はいささか疲れ気味にもなりました。それが証拠に今年を占うような初夢をほとんど見なかった代わりに今朝の夢ったら散々でした。思い出したくもないような由々しき内容でした。どこかに捨てに行きたい思いです。
食べることでは、まずどのようなものを召しあがりたいのというお伺いからはじまる毎食でした。まぁ、そうは言っても今年は随分と色々をつくっていたのでその中からチョイスさせたようなものでしたが。
一尾9500円のカボス鰤。3枚におろしてもらって刺身と照り焼きとあら炊きにしましたが、もう結構と言いたくなるくらいに食傷になりました。確かに美味しかったのですが若者のいない家にはちょっと多すぎました。身の程知らずのことをと……、これは考えを改めなきゃなりません。
 

神社の年明け取材も寄る年波に抗えず今年は縮小させてもらいました。その代りに2日にはオフクロさまの40年来の友人を我が家にお迎えしてババア談義を愉しんでもらいました。片道10kmの送迎も私。疲れているからか、それとも物静かなオフクロさまや大王さま相手の数日に慣れてしまったゆえか、元気ハツラツの声の大きな78歳のおばさんには負けました(笑) 
声って相手の精神に起伏をもたらせるのですね。今回よく分かりまして、以後私も大王さま相手ではなるべく渋い感じで物申そうと心に決め……、決めかけています。「声、デカッ!!」、「下品だっ!!」、「そんなに大声を張り上げなくても聞こえてますが」、言われ続けて久しゅうございますもので。
人の振り見て我が振り直せ。図らずも一年の計を頂戴しました。


ご近所のよしみさんの息子くんが帰省の挨拶にやって来てくれたのには嬉しかったです。京都に暮らしてこの春で3年が過ぎ4年目に突入です。若さまと同い年で小学2年生の頃から行き来していただけに、その成長ぶりには目を見張るやら、言いようのない寂しさやらを感じました。大人になることはとても素晴らしいことですが、決して大分での思い出は忘れないでもらいたいですね。
冬休みの帰省がなかった若さまは若だんな宅にて越年をしました。それなりに愉しかったはずです。ただ甥っ子になる若ぎみが人見知りをはじめたようでお手上げ状態の若さまだったとか。どうしていいか分からずしどろもどろの若さまの姿が目に浮かびます。それもまた微笑ましいことで、親として安心できるひとこまです。若さまは春休みも超短期帰省になるようで、徐々に親離れどころか本腰入れて親離れが進んでいるということですね。


そんなことで正月三日間はオフクロさまの監視はあるしで、昼酒もままならない、ほとんど寿げないし面白みもないものになりました。せっかく上等なお酒をいただいているのに。正月の昼のお酒は夜飲むのと異なって気分がトロンとするのが好きなのですが残念でした。
さりとてまだ正月の気配が存分に残っている今日でも昼間っから酒飲む気炎はほとんどありませぬ。何せ世間さまは今日から仕事始めも多いと聞きます。そんな一生懸命な人々を尻目にいくらなんでも昼酒など。世捨て人の野放図でもあるまいに(笑) ジワジワちびりちびりと愉しませてもらうことにします。


今日の写真は自宅近所の大晦日の神社風景です。初詣客の写真撮影を10数年続けている護國神社でのゆく年くる年の仕事を終えて、家に帰る途中にある龍神さまをお祀りしている神社で初詣しました。
私の頭の上に龍神さまがいると多くの占いさんから言われているので、毎年1月1日の深夜にはこの水分神社に立ち寄ってお参りしています。
龍神さま、護國神社と一気にお参りができて、あと一社にお参りをすれば三社詣を済ませたことになります。さてあとひとつはどちらに行きましょう。
そんなこんなの酉年の正月。可もなきゃ不可もないという洵に差しさわりのない三が日でありました。この中庸さというか平々凡々さが、我が家も世の中も今年一年続いてくれればと願っています。 



 

酉年


東京タワーと晴
■申年生まれのお孫から酉年のジイジにバトンタッチ■


あけましておめでとうございます
今年も宜しくお付き合いくださいますようお願いいたします


南からやって来て元気に飛ぶツバメ、辺りかまわず人生を謳歌する極楽鳥。
そして大空を勝手気ままに悠々と飛翔するトンビ。
12年ごとのそれぞれの酉年の自分のことや世の中を思い出してはボリュームの厚さと重さに驚いてもいます。
それは60年生きてきた大きな証のひとつかもしれません。
しかし気が付いたら地面でしか活動できない地味で堅実で臆病なキーウィに退化していた5巡目にやってきた酉年の私の今でした。
この際ですから今年一年は本物の老いになる前の輝きを放てたらと大きく願っています。


飛ぶことを億劫に感じはじめたころから関節痛や筋肉疲労に苦しむ鳥になってしまい、いささかの驚きと悲しみに五体が万遍なく包まれています。
「あかん。年寄り特有の負のオーラが出始めた!!」
それでもたまに羽ばたいてみたいという前向きの思いが残っているだけでも我ながら救われていたりしてと思っています。
「フツーの年寄りと同じになどなってたまるもんか!!」
前向き。
心身が前かがみになる前の今だからできること、今しかできないことをやらねばと、なんだか珍しくワクワクもしています。

皆さんにとりましても今年が穏やかで健やかで、
そして災いなく平和な日々でありますことを心からお祈りしています。


写真は自宅そばの公園で機嫌よく遊んでいる若ぎみ。
この子をはじめ日本の次世代を担う人たちの人生は、
争いごとに巻き込まれず、天変地異に遭わず、人を貶めたり人から貶められない世の中であってほしいと心から願っています。
若ぎみには後ろにそびえる東京タワーのように、世の中のてっぺんに立つような人生をとバカなジジイは願っています。



 

今年もお世話になりました


申年から酉年へ。今年起きたすべての禍ごとを今日明日のうちに取り除きたい思いです。そう、申と酉で「取り去る」……と。あまりにもさまざまが起きた申年になりました。


熊本大分の大地震には心底驚きと自然災害のなんたるかを身をもって体験し恐怖を感じました。鳥取や島根でも揺れました。阿蘇山や桜島の爆発と噴火に、日本列島が南から総崩れでもするんじゃないだろうかと新たな不安がうまれています。台風など来るはずのなかった北海道に立て続けに台風が上陸した夏でもありました。先日の糸魚川市の大火災にも暮らしていた人たちの身の上をを思うと言いようのない寂しさと悲しみを感じています。
天皇陛下の退位のご意向のメッセージにも心が打たれました。陛下は早く譲位されたいでしょうに、あれこれまどろっこしい人たちの考えが先行して、当事者である陛下のお気持ちが置き去りではと思うのですが。自分の親が80歳を過ぎてもなお激務に堪えねばならないと思うと早急に陛下のお心に沿うような答えを出してもらいたいと願っています。
狂った人間による介護施設での大量殺戮という痛ましい事件もありましたし、お年寄りが運転する自動車事故というのも特に目立った一年でした。安倍総理の独壇場がいよいよ恐ろしさを増してきているようにも感じる事柄が増えました。政治手腕イコール人間の品格でもあってもらいたいのですが。
ヨーロッパに押し寄せた難民がテロリストに宗旨替えしていつの間にやら軒先貸して母屋を取るような仕業も増えています。そんな人たちによるあちらこちらでのテロ行為に、他国の人の好意を無にするようなことをしてと半端ない憤りを覚えています。
来年早々にはアメリカ大統領にトランプが就任して世界中がどうなることやら。黙って見ているはずがないのが中国とロシアでしょう。太平洋を挟んで不安定なことです。
洗脳大統領のお陰で国の底力の無さが露見した韓国の国政なんてもはや蚊帳の外の出来事くらいです。何せ国連の事務総長だった人が今度は韓国大統領になりたがっているようで、あからさまな権力の亡者の姿に笑いが出るほどです。しかし政権が変わったら慰安婦問題解決を無効にしたり日本は敵国だと憚らず言い放つバカ。外交も二流どころか三流以下のちゃぶ台ひっくり返しの国。もう取り合わない方がよっぽど気楽かもしれません。慰安婦問題解決を反故にするのなら渡した10億円を返してもらわねば。
そんなこと、枚挙にいとまがないくらいにいろいろが起きてしまった今年一年でした。申年というのは、心猿の例えのようにやかましい猿に似てあまり平穏な年ではないのでしょうか。


我が家もいろいろありました。
浮かれまくった沖縄旅行から帰ってすぐにまろ坊との別れ。これには心底参った我々ふたりでした。まろ坊への詫びという言葉しか思いつかないくらいに留守番させた後悔がしばらく続きました。もう長いこと大王さまと共同生活を続けていますが、まろ坊との別れでこの人の嗚咽というものを初めて見た時の驚きと深い悲しみのありように私の心も乱れました。
人の世にあって人の心の浮草加減もよく分かった一年にもなりました。「あの人には決して深入りしてはならない」と、数年前から西大分の占いおばちゃんに言われていた通りのことになっています。アドバイスを守らなかった結果が如実に表れたことに、おばちゃんのパワーのすさまじさを改めて思い知らされています。
階段箪笥の移動とともにゴミに紛れ込ませて捨ててしまったへそくり15万円への慙愧の念。それも気づいたのはひと月も経った先週のことでした。これで今年も来年も厄が落とせたと安気なすり替えの心に持っていけるような平常心ではなかったほぼひと月でした。我ながら本当につまらんことをして。確認もせずに。バカタレが。あらん限りの言葉で自分を責め続けています。


そして私にとって何よりも大きな出来事と言えばお孫の誕生でした。
無事に元気に生まれてきてくれた喜び。そしてすくすくと健やかに育っているという折々の報せにも喜んでいます。我が子が父になったという小さな感動も味わいました。そして息子に抱かれているお孫がしっかりと腕をつかんでいる写真に、あの子を頼っている新しい命がそこにあるんだというとても不思議な感情を持っています。
ろーまが我が家にやってきたことも大きな出来事になりました。まろ坊の代わりはしばらくは必要ないと頑なに拒んでいた私でしたが、大王さまの所在なくなった心の癒しとなるならばと承諾し我が家に迎え入れました。
お孫の誕生とろーまとの出会い。まろ坊や元嫁の母だった人との永遠の別れをはじめ、今年はことのほか出会いと別れの交差が如実であったように思っています。そして命同様にかたちあるものは天災人災の綾によっていつか壊れるという無常の摂理もしかと思い知らされた一年でもありました。
自然災害でいろいろなものがそのかたちを無くして、そして新たな再生へと舵を切りなおした一年になるようにとどれだけ多くの人々が祈ったことか。


皆さんにとってこの一年は如何でしたでしょうか。ここにお越しくださっている皆さんの身の上に何ごともなかったはずだと信じています。大過なくゆく年くる年をお迎えのことと思っています。
善かったこともありましたが、心に反して思い通りにならなかったことも多くあった一年でもありました。悪しきことは申年とともに去っていってもらい、来る年は酉年の鳥のように大きく羽ばたき、また力強い羽で善きことを仰ぎ招いてほしいと心から念じています。
今年一年間、大変お世話になりありがとうございました。皆さん、お健やかによいお年をお迎えください。



 

おじさんのクリスマスイブ


これが師走か!!と信じられないような暖かさだった数日前。よもやの24℃まで近づいていたとは驚きの12月の異常気温でした。確かにあの日は家の中でTシャツでも心地よく過ごせました。そんな薄手の格好のことも忘れてそのまんま庭にも出ました。

今日は何となく肌寒くなってくれたクリスマスイブ。これで良しです。札幌なんて1メートル近い積雪だとか。過ぎたるは猶及ばざるが如しで、あまり大量すぎるのも風情のないことかと。やると決めたら激しいことでなんだかヤケクソの寒気でしょうね。


糸魚川市の大火災にも驚き、そして心痛めています。

中国料理屋のご亭主が鍋を火にかけていたことを失念して自宅に戻ったことが失火の原因だとか。まさかということが起きるのも、魔が差してしまったという哀しいボタンの掛け違えかもしれません。有名な酒屋さん、クリスマスを控えていた洋菓子屋さん、おせちの時期に差し掛かり忙しさが増しつつあった料理屋さん。そして着の身着のままで焼け出された一般の人たち。炎に舐めつくされ店も会社も家も跡形なく焼けてしまった140棟。罹災された人たちの身の上を心から案じています。

もしかしたらあの町でやっと暮らしていた人や、何とか商売を続けていた人たちにとって、あの火事によって元の暮らしには戻れなくなるかもしれません。灰燼に帰してしまったことがきっかけとなって店を畳んだり、住む場所を変えたるせざるを得なくなるかもしれません。たった一個の鍋によって人々の人生が狂い、そして町が廃れていくかもしれない寂しさにも余所ながら心を痛めています。

誰一人として犠牲にならなかった。命が奪われなかったことだけが不幸中の幸いでした。
「生きて!!」という神様の救いだったのかもしれません。どうか助かった命を大切にし、そして前向きに生きていってもらいたいと心から祈っています。

お歳暮も大方送り終えて大祓いのお供えや初穂料も滞りなく済ませて、いよいよ今年もわずかなんだなと心に沁みてきはじめました。とりあえずは一年間の大切な締めくくりです。それに今年はお孫も出来たしで余所さまには特に気持ちを配らなきゃという思いが強かった年の瀬の慣例になりました。
人さまとの季節の当たり前のやり取りや、立派な神様に折々に心を預けることが、いつかは若さまをはじめ若夫婦やお孫に善きかたちとして返ってくればという思いが強くなっています。善いことは積み重ねていかねば……、ですね。

 

クリスマスイブ
■これから飲み食いがはじまりました!!■

さて今年のクリスマスはおじさんふたりっきりのクリスマスになりました。確か去年もおじさんふたりのクリスマスではありましたが、26日に若さま帰省だったので侘しくも寂しくも何とも感じませんでした。ところが今年は正真正銘のずっとふたりきり。クリスマスも残りわずかの年末も。それでも花を添えてくれるのが大晦日からやって来る83歳。枯れ木も花の賑わいか。掃き溜めに老鶴か。ちょっと色あせた紅一点か。どちらにしてもオフクロさまだけでも来てもらって賑わいを取り戻さねばと思っているところです。

若者のいないクリスマスの食卓。だったらせめて食べるものだけでも賑々しくせねばと今夜ははり込みました。ローストビーフにフライドチキン、鮭とホタテのテリーヌ。そしてシチュー。スパークリングワインは我が家御用達の「善光寺」。弱くなったのか若さま不在のクリスマスゆえか。ちょっとだけ酔いました。それではメリークリスマス。チャオ!!



 

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