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おやじ歳時記

まろじぃぢゃ。おやじの目線、じじいの目線で世の中を愉しむぞ。

28 Jun

若ぎみお宮参り

晴お宮参り

晴お宮参り
■無事に成長、無病息災、家族が円満。すべての思いを神様に託したと報告がありました■

仕事をしながら今ごろはと何度も時計を見つつ、たまに東の方角を仰ぎつつ。
昨日は日枝神社で若ぎみのお宮参りの日でした。ひどい雨だった大分と違って東京はとても良い天気であったとか。申年生まれになった若ぎみが猿の社でお祝いなんて素敵すぎです。今年は特に霊験あらたかな日枝神社であるようです。赤坂という場所柄、お嫁さんのおばあちゃんやお母さんにとっては氏神様産神様にもなる日枝神社。若ぎみのこれからの人生の大きな支えやご守護になってくれるはずです。
立派な神社でお祝いをと、それだけでも有難さが増す思いです。家や子どもや孫の弥栄を祈り願う神社は、神様と人とを取り持ってくれるしっかりとした神職さんがあげて下さる祝詞が神様に届くような立派さ神聖さがなくてはと常々思っています。何が素晴らしいことなのかその根本は定かではありませんが、せめて由緒があって多くの人々の崇敬を集めているゆかしい神社が心強いと思うのは、祈りが神様に通じますようにと願う一般人の当たり前な思いではないでしょうか。


涼と晴
■抱っこして育てた子が生まれたての子を抱っこしている。親にしてみたら不思議な感覚です■

昨日は若だんなはじめ、先方の両親など皆さんの都合がやっと合致した佳き日となったようでした。およそひと月遅れのお宮参りでしたが、それはそれ、祝う心には遜色などないはずです。新米叔父さんになった若さまも、講義もそっちのけで私の代わりに行ってくれこの佳き日に初抱っこを。顔が引きつっておりますな。
みんなに囲まれ、みんなから祝福される。それだけでも恵まれた人生のスタートとなりました。不安定な世の中、そして身辺ですが、この孫の身の上にいよいよ素晴らしい人生をと願っています。両親の徳が子どもにまで届きますように。


若さま誕生の平成7年は阪神淡路大震災が、若ぎみ誕生の今年は熊本大地震が。人々の苦しみや悲しみ、そして尊い命の犠牲を思ったそれぞれの年に縁があります。日本人にとって忘れることのできない大きな負の出来事と記憶のなかのふたつの事柄までもが私の分身と縁があります。
さまざまな人々の身の上、さまざまな人々の思い、そんなことを若さまも若ぎみも決して忘れることなく、そして幸せに暮らせていけていることの大切さ有難さをどうか心に刻んでこれからの栄えある人生を歩んでもらいたいと切望しています。


砥部こぼれない器
写真提供:株式会社和える■

私からは
aeruの『砥部焼のこぼしにくい器』。これは昨日のお宮参りと8月にやってくるお食い初めにと厳選したお祝いです。
お食い初めが過ぎるといよいよ食育へと進む過程に於いて食器こそ大切な存在です。上手く口に運べずに子どもはもどかしがり、親はイライラするのが子育ての定番の通過儀礼のひとつです。
食べ物を上手にすくえるには、『こぼしにくい器』の内側にある秘密の返しがあれば案外うまくいくそうです。柔らかいおかゆも、こまかく刻んだ野菜もスプーンで上手にすくえる塩梅になっているのが返しのあるこの器だそうです。ましてやそこら辺りにあるようなどこの国で作ったか分からない、何を塗りたくっているやら分からない恐ろしい食器などで食わせるなどもってのほか。せっかく由緒あるお宮さんのご神威が元も子もなくなり、それこそ人生に暗雲が立ち込めるような禍々しさを予感しそうです。優れもの大発見に我ながら立派であったと喜んでいます。
日本でつくった器、日本の風合いを存分に肌や口で感じることのできる器こそ大切なもの。それに若ぎみには是非とも器好きの私へのシンパシーも。生まれたばかりとは言え大切な孫にちょいと注ぎ込みたくて。日本人の美のアイデンティティーや日本の映ろう季節の美しさ、そして和食の素晴らしさをインプットさせなきゃ(笑) 何ごとによらず本物に触れさせることが一番手っ取り早いし。
『いいかい、これがじいちゃんのポリシーぢゃて。審美眼を口から養っておくれ!!』、そんなところです。美しい器を使いながら美しい所作で食事を愉しむ。今どきの人の奇妙な箸の使い方に幻滅連続ですが、どうか若ぎみには美しい箸使いであってもらいたいと願っています。
若だんなもお嫁さんも大いに喜んでくれそうでこれでひと安心です。この三つ揃えの白磁はどうやら一生ものにもなるとか。もし欠けても金継ぎや銀継ぎもして下さるようです。お孫が成人しても、私があの世に行っても、この贈り物はずっとこの世にありお孫の傍から片時も離れずにいてほしいと願っています。


「じいちゃん」、「ジイジ」、「じじい」、「おじい」、どんなふうに呼んでもらおうかと必死に考えているところです。まさかまろじいじゃあまりにかわいすぎることですし。シングルファザーで頑張った分「バアバ」じゃ卒倒するし(爆) 大王さまはもうすでに決めているようです。高校時代から友人たちに呼ばれていたものをそっくりそのままにと。これがかっこよくて結構なことです。新米叔父の若さまもどうするのやら。泰然としてまったくもって不動のお方は「ひいばあちゃん」で存分であると目を細めています。
口元がゆるむ話題がうまれ、単調な会話ばかりだった中年初老老人の三人我が家に希望の花蕾がついた思いがしています。膨らめ膨らめ、佳き花開け!!



 

24 Jun

日本の豪雨、イギリスの逆風

降るとなったら激しいこと。今年の梅雨はもう無茶苦茶。
「なんでこっちばっかり……」。今朝のNHKニュースで家が土石流によってほぼ全壊したという熊本のお母さんが茫然とした面持ちでやっと言葉にしていました。地震の次は豪雨。たまったものではありません。大きかった地震でもやっとというか何とか持ち堪えることができたというのに。心が痛みます。なんでこっちばっかり、余所の地域が不幸になれという意味ではなく、これはやりきれない塗炭の苦しみやもうどうすることもできないという茫然自失から出た言葉であることくらいよく分かります。追い打ちとはこのことを言うのですね。見るに忍びないことが大分県の隣りで次々に繰り返し起きていることの事実を受け止めている日々です。
今年はあちらこちらほんとうに激しいですね。爆買いならぬ爆梅雨でしょうか。シトシトと降るなどといった風情など皆無。ザーザーのまだひどい雨足と雨量になってしまっています。よく降った地域のダム湖には水も貯まったことでしょう。雨雲たち、次は水不足になりそうな場所に移動して相応の雨降らしで今年の梅雨を〆てもらいたいものです。


どこかの国のバカがこのたびの地震や豪雨に「壊れてしまえ日本」とツイートしているらしいですが、よくもそんなことを言えるもんだと人間性というか卑下た国民性に胸が悪くなる思いです。だったら日本に爆買いしに来るなと言いたくもなります。まぁ案の定というか、最近は爆買い族も減少傾向にあるとかで何よりめでたいことだと思っています。
大型クルーズ船の入港可能な港湾工事やらデパートの改装やら日本のマーケットは浮足立っていましたがこれまでのような景気のよい話はもうないでしょう。アテにするとロクなことがないということですね。一過性、行った国のことなどお構いなしのマナー知らずのあの国民たちに頼ろうなどした日本人こそおかしかったということです。束の間の夢でよし!! そういうことです。


最近はせっせせっせと熊本県のものを買っています。少しでも役に立てばと。それでも美味しかった金山味噌も底を尽きはじめました。煮魚にもってこいの赤酒もいよいよ少量になってきました。ネットで注文しようかどうしようか迷いながらも、あれだけよく行っていた馴染みの深い熊本県の今をしっかりとこの目に焼き付けておきたいという思いもあります。そしていろいろを買ってオフクロさまや息子たちに送ることも自分たちにできるささやかな復興支援のひとつになるのではとも。この雨さえなければ大きなかごやクーラーボックスを携えて行っていたかもしれません。

 

スイカヨーグルト
■けっこう美味かったです。少しずつヨーグルトを克服しているところかな??■

そんなことを思いながら先日、らくのうマザーズのすいか&ヨーグルトを近所のスーパーで買って帰って熊本に貢献しました。牛のお乳を筆頭に乳製品があまり好みではない私。おっとぉぉ、チーズはイケますが……。ヨーグルトなど一生のうちに数口食すれば御の字であると思って生きてまいりました。ところが骨粗鬆症の母を持ち、その心配さや毎朝自分で打つ骨密度アップの注射代の高さに恐れおののき、骨粗鬆症などにはなりたくないの一心で最近は無糖のヨーグルトを目をつぶって何とか食べることができるようになりました。甘いフルーツヨーグルトなどは苦もなくサラサラと食べられる進歩に至りました。
熊本も元気、私も元気。そんなになれば良いなと思っています。


滅多に国民投票などするもんじゃないと思ってしまっているイギリスのEU離脱。まさか離脱するほうに票が集まるなんて。民意に断裁された青天の霹靂のキャメロンさん辞任することになりました。こんな大ごとになるような公約などすべきじゃなかった。彼の見通しが甘かった。結局そういうことだったのですね。女王陛下90歳のおめでたい年にイギリス連合王国がなんということでしょう。長生きなどするもんじゃなかったと女王陛下の胸の内の苦しみが分かります。
イギリス、ヨーロッパ、そして日本はこれから先どうなっていくんでしょう。イギリスで騒乱が起きなければ良いのですが。とっても不気味なことでも起きるんじゃないかと世論並みに憂慮しています。



 

21 Jun

引き際の美学

夏至の今日。季節というのか時候というのか、繰り返される自然界の引き際の上手さに思わず感心してしまいそうなほど不細工な終い方をしたあの方。
往生際の悪さは引き際の汚さにも通じることがあの東京都知事のやっさもっさの顛末でよく分かりました。これってやっぱり生まれながらの卑しさが何ごとによらず尾を引くということでしょうか。そりゃそうでしょう。存分に天下のカネを使い放題できるくらいの厚顔な人ですもの。いくらきれいごとを言っても所詮はカネに汚いというのはその人の本性丸見えと同じですね。男だろ!! もっとかっこよくすればいいだろうに!!


公私混同の揚げ句に都庁から追い出されたかたちの舛添さんはあまりに人徳がなかったのでしょう。都庁を去る時には職員の見送りなどほとんど皆無でした。石原さんはロッキーのテーマ曲に乗って悠々と去って行きました。あの猪瀬さんですら去る時には都議会の各会派にあいさつ回りをしてケジメだけはつけたというのに。この知事はまるで盗人がカネをふんだくって夜道を逃げるかのような滑稽なまま足早に車の乗り込み去って行きました。地位の威を借りて存分に肩をそびやかしていた人が、公私混同の極みを謳歌した人が、こんななれの果ての姿に変わって快哉を叫んだ人も多かったのではないでしょうか。
記者会見もなければ、お約束だった20日の収支報告の会見も反故の無視。この成金ハゲネズミの本性で最後の最後になって自らのせこさ、器の小ささの墓穴を掘ったようなものでした。立ち往生した揚げ句に進退窮まって、さらに引き際の美学のない人間ほど哀れでつまらないものはないと今回は改めて思いました。情けない人が政治家であり都知事であったものよと、何だか妙に寂しくなってしまう日本人の私です。
次はどの方が都知事になるのでしょうか。世情に盲目の政治家、よろず他人事の政治家の多い日本。猪瀬さん舛添さんと同じ轍を三度も踏んでもらいたくないと願うばかりです。


もち麦

さてさて。
「もち麦」が体に、特に日ごとに膨らむ腹回り縮小に効果絶大であるとテレビ番組でやってからというもの、こんな大分でさえもスーパーやら薬局やらホームセンターやら、どこもかしこも売り切れ状態が続いてるもち麦であります。メタボはどちら様にとっても切迫した深刻な問題なのねと改めて感じ入っているところです。もちろん人さまどころかこの私などもじゅうぶんすぎる正統的なメタボボディですもん。
そんな日本全国がもち麦に沸いているここ数か月。出来れば自分もいただいてみたい、食してみたいものよと思っておりました。不思議なものでその矢先に異なった友人ふたりから異なったもち麦が届きました。しばらく続けられそうな合計6袋。貴重なことよと有難き思し召しよと、まるでドラマに観る戦中戦後のコメ事情に窮している国民のような気持ちになりました。今回は麦ですが、穀物への感謝ってこういうことなんだとしみじみ思っているところです。さっそく毎食ちょうだいしているところです。もっちりのお腹がもっちり麦で美しく変身することをひたすら希いながらです。
折しも今日は午後から護國神社の神饌田で御田植え祭が行われました。あれだけ激しかった雨も今朝から上がって祭事が支障なく行えたことも、神様のご神威が瑞穂の国の田に届いた証しだろうと思いながら取材しました。


この大雨で熊本県ではあらたな災害に遭われた人たちがいます。先の大地震をなんとか無事にやり過ごせた人の命や家が、この大雨の犠牲になってしまって本当につらいものがあります。未曽有の天災から逃れることができた命であったはずなのに。憐憫の情が募るばかりです。心から哀悼の意を表したいと思います。
水は田を潤し米をつくってくれる大切な命の源です。しかし水はその一方で罪もない人々の命を奪うとてつもなく恐ろしい存在にもなります。引き際の鮮やかさともども、禍福が表裏一体になっている自然のかたちに改めて畏敬の念を感じているところです。



 

19 Jun

お孫の次は息子どのと神楽坂

汗ダラダラでお孫に会った16日。夜は神楽坂にあるCASAUOKINで若さまと親子で酒盛りをしました。
息子が二十歳になったら一緒に酒を飲みに行きたい。長男の時も次男の時もそう思い、そう願っていた私でした。長男である若だんなはそんな隙も与えてくれないまま二十歳を過ぎてすぐに東京人になりました。わずかな期間だけ与えられた家飲みが唯一の親子の団欒であったのかもしれません。そして次なるターゲットにしていた次男の若さま。大学2年生になってすぐの二十歳。待ち構えていたかのように、帰省のたびにご学友やらと飲み会に興じております。飲み会から帰ってくるたびに。
「僕、酒が強いかも〜〜〜」などと頼もしいやら身の程知らずやらのことを吹聴しまくっております。確かに春に行った沖縄ではビールに泡盛にと、おひとりで酒盛りに浸れるほど愉しんでおりました。脳みそが若いと酒の浸透もゆるいのでしょうか。私とは比べものにならないくらいのウワバミと化していることを沖縄で確信しました。
しかしこの子ともまた親子ふたりでじっくりと酒を飲み交わすなどといった素敵な場面はないみたいと半分落胆しかけておりました。


ところがどっこい。そんな寂しいオヤジの声を聞し召された松尾大社のお酒の神様の思し召しでか、このたび晴れて親子水入らずで酒を飲む機会に恵まれました。しかし何よりも誕生した若君のお蔭かもしれません。河島英五ばりに
息子が二十歳になったら酒をと渇望していた私にとって、その記念すべき場所が大分ではなくて東京の神楽坂にあるオシャレなレストランになろうとは夢にも思わないことでした。大都会の真ん中。それも風情ある坂道から路地を入った隠れ家のようなレストランでとは。


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■CASAUOKINへとつづくアプローチ■

人々が行き交う坂の通りから横道に入り、さらに店まで続く小路の両脇にはさまざまな種類の観葉植物が客人を異世界へと導いてくれます。小雨に濡れるアプローチと観葉植物の緑の葉っぱ。そして突き当りにある店からこぼれる灯りも、これからはじまる夜の愉しみを確かなものにしてくれそうな優しさに満ちた夕方の灯りでした。
CASAUOKIN。ここ数年東京でとみに人気がうなぎ上りになっている魚金グループのひとつです。


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■魚介がふんだんなカルパッチョ■

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■生ハム■

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■骨付きラム肉。若さまどんどん食べなはれ!!■

私はビール。若さまはスパークリングワイン。乾杯。名物のお通しのコペルト。
新橋にある魚金のバルで食べたカルパッチョのボリュームと美味しさが忘れられずこの夜もカルパッチョから始めました。ブリ、鯛、サーモン、タコ、北寄貝、鯵もあったような。新鮮な魚をふんだんに並べたさまは魚金の名物料理のひとつだとか。美味し!! 
若さま生まれて初めてのラム肉。骨付きラム肉はジューシー極まりなくて申し分なし。
「クセがなくて美味しい!! ヒツジがこんなに美味しいなんて知らなかった!!」
若さまはいつのまにやらスパークリング3杯を終えて赤ワインへと大躍進を遂げていました。ワイン片手にラムチップも片手に大満足の両手使いになっておりました。
マトンやらラムやらという名前は知っているものの実際食べさせることでその本質が理解できるはず。食べることへの欲や憧れやうんちくというものは実地体験が一番ですね。何よりも食べ方のマナーを身につけるのは外食がうってつけです。つくってくれた人、ご馳走してくれる人への感謝も芽生えるでしょうし。ただ食うだけのカバのような人間にはなってもらいたくないです。
次の皿に控えていた生ハムも美味し。イワシのフライトマト煮などに至っては、もはや心は地中海を放浪する旅人気分でありました。朝の東京着から汗まみれになっていたのでさぞかしアルコールも進むかと思いきや、ビール1杯とスパークリング2杯にて酩酊直前に入ってしまった私。ちょうどここらあたりから満腹度が増しはじめてチーズリゾットに至る頃には若さまギブアップに。残すなどもったいなきこととはち切れんばかりのお腹に更にリゾットを押し込めていく私。さらにさらにシェフから美味いテラミスのデザートなどをプレゼントされ150%以上の腹持ちになりました。


CASAUOKIN
■若さまと店長さん。記念に!!■


息子ふたりの子育てを大方終えて、次々世代にあたる孫の誕生まで体験できてもはや言うことなしのような気持ちになりました。全うできたかなと。男としての人生は寂しいものがありますが、人間として父親としての道は起伏があってそれなりに愉快でありました。
29歳と20歳の息子たちのこれまでは私にとってもそれぞれの歴史の刻印のようなものです。目をつぶると息子たちとの丁々発止であった生活ぶりが鮮やかに美しくよみがえってきます。
「一緒に飲もうか!!」
「いいよ!!」
心に裏表のない親子関係であることが何よりも幸せであると改めて息子たちに感謝しています。そぼ降る雨のなかの神楽坂でのひと夜。大切な宝物のような思い出がまたひとつ加わりました。




 

18 Jun

お孫どのお初にお目にかかりやす

「東京は暑いらしい。よりによって東京は雨降りらしい。ひとりで行くのは心細いよぉ!!」
などと言いながら朝イチのJALに乗ってしまえば、飛行機乗りのラグジュアリーさも加担して心はもはやお孫のことのみ。いまだに直にナマベビーを見てもないのに、愛しさだけは膨らむのですからもう大ごと状態の1時間20分あまりのフライトでした。あの広い羽田空港を苦も無く歩けたのもお孫会いたさのジイサンの健気な一途さだったのかもしれませんでした。
それにつけても東京は、羽田に着いた途端から暑かった。空港からモノレールに乗って浜松町まで。しかしもうこれ以上は地下鉄など乗りかえて駅の階段の上り下りの結果、暑気にやられた見るも哀れなジイサンのまま参上なんて矜持が許しません。モノレールの浜松町の駅から地上に降りて、大門附近からタクシーで三田の若だんな宅までひとっ飛びを決め込みました。それでも息せき切って汗みずくの醜態で着いたのですから哀愁すら感じる我が身でした。噴き出る汗はまるで滝に打たれる行者さん。厳しい修験の道中を頑張ってやって来たみたいなオレだな……、なんて(笑)
若だんな夫婦。お嫁さんのお母さんに迎えられて、さらにお孫の眠る部屋まで招じ入れられて。いざお孫との対面の瞬間。怖いもの見たさやら、分身の分身に早く会いたいやら、その瞬間までの時間はまるでスローモーション。

晴くん
■私に抱っこの図。顔もまだまだ変わるでしょうし生まれたばかりのお子の顔にモザイクも気がとがめますゆえ今回はそのままにて■

「Oh!! Baby!! 私がジイジよ。はじめましてだね」
しかと見つめれば確かに見つめ返してくれる。嬉し恥ずかしのアイコンタクト!!
この子が私の孫なのか!! ジジババからは当家の4代目、私の我が家にとっては3代目。お嫁さんの実家にとっても初めてのお孫。みんなに祝福されて善き哉善き哉の輪の中心に居るこのベビーが我が孫。
抱っこをと勧められながらふと冷静になって、「手を。手を洗わせてください」と。まるで神前にぬかずく前のお手水舎でのお清め気分に自ずとなった自分に何やら嬉しかったりして。60歳を前にしたジジイの汚れた人生。そんなさまざまを握ったり手放したりした手で無垢な星の王子様を抱こうなど畏れ多い気持ちになりました(笑)


羽田空港に着いた途端に撮影現場からの電話などで、到着早々にふた汗くらい余分にかいた大汗の煩わしさを思い出して若ぎみとの対面には携帯電話も電源オフにしてしまいました。
「こんなことは一生に一度のことですよ。早く写真を撮ってあげなきゃ」
お嫁さんのお母さんが若だんなをいざなってくれました。カメラのことも気にも留まらずひたすらデレデレ度のマックスをキープしたまんま。どのようにブサイクに写ろうがもはやそれどころではなく、ただただ初孫の感触を腕と胸と、出っ張ったお腹とで存分に受け止め心から悦びを感じました。
半世紀以上にもなる大昔に自分がこの世に生を受け、そして我が子をこの体の一部分から創生し誕生し、そして我が分身である我が子の体のひとつからさらなる新たな命が生まれて今まさに此処におわすって感じ。
連綿とした命のつながりを肌と心で感じたひと時になりました。若だんなにもお嫁さんにももう何も言うことはありません。ただただ我が子を慈しみ大切に育ててもらいたい。その思いのみです。


会うのは一回だけと決めて上京しましたが、一度だけで気が済むはずがないことに気付いたのが抱っこの最中。これが身内の情ってものでしょうか。
「あのね。明日も来るわ。いいかなぁ」
「もちろんです。是非来て下さい」
若だんなよりも先にお嫁さんが言ってくれたことも嬉しくて翌る日、羽田空港に行く前に若さまの住む世田谷から馳せ参じました。
幸いにも雨の天気予報は見事に外れまくって快晴。足元の悪いことなどあろうはずがありません。しかしまぁ最寄駅の麻布十番から家までの歩きの暑かったこと。お孫に会えるというたぎるような思いが体の奥から沸々と湧き上がり、皮膚からは梅雨の晴れ間の元気な太陽に焦がされて、体の内そとから熱せられたそれはそれは大変な道行きになりました。それでも勇躍できたのもお孫のお蔭。もうすでに孫ぢから、お孫ビーム光線を発揮してくれたようです。 
自我ジイサンに目覚めてしまったようなお目通りになりました。


若だんな夫婦。若君とも会えました。これでやっと肩の荷を下ろした思いです。
そして東京生活に十分に慣れた若さまとの神楽坂デートも一夜限りとは言え愉しい思い出になりました。息子が二十歳を過ぎたらともに酒をと望んでいた夢が地元大分どころか、風情も都会チックもさんざめく東京の神楽坂で叶おうとは。嬉しかったなぁ。これは後日また写真の紹介と一緒に物語らせていただくことにします。


東京で尋常ならざる暑さに立ち向かったもののやはり大分に帰ってきていささかバテが体の随所に。わずか一泊二日でこのザマとはと大王さままで加勢して自他ともに口惜しがっております。今日の大分の快適なことったら。骨も肉も休めて体力の復旧に努めます。
日ごと夜ごとに暑さが増してきています。皆さんもどうかお体を大切になさってください。チャオ!!



 

14 Jun

会いたいでしょう

お孫が生まれて早やひと月半に。我が家に天使が降りてきたと嬉しさが余ってしまって酒席、打合せの席、よろず関係なくいろいろな人たちに言いふらかしている私です。
それはよい報せをと喜んでくれながらも「早く会いたいでしょうに」とみんながみんな、ゆるゆるの情感のこもった目つきをもって、ほぼ100パーセントの皆さんが口をそろえて仰います。私に対してそれはまるで我慢の堰を切らせるような、寝た子を起こすような酷な仕儀三昧であります。そりゃ何を置いても会いたいですわ。そして子どもの親になった若だんなの顔も見てみたいし、立派なお子を産んだお嫁さんを慰撫もしたいし。親の役目が軽減されつつある分、ジイさまのやに下がりの重力は重くなるばかりです。
とうとう最近では叔父になった若さまも「可愛いよ!! ナマを見たいでしょ」と。大王さまとひいバアサンになったオフクロさまも「早く会いたいでしょう!!」と。身内からも攻められているような感じになってきました。急かされ焦らせるなぁ。そう言えば焦るって焦げると同じ字なんだよね。焦がれて、焦がれすぎてとうとう焦げるのが心ってことでしょうか。


モタモタしている間にいよいよ梅雨も真っ盛りになろうとしています。先週末からは気温が上がって湿度も上がってしのぎ難いったらありません。梅雨も夏も、それぞれの本分を引っ提げての到来が間近になってしまいました。こんな難儀なこれからの季節にお江戸へと上がるのも大変なことです。本格的になる鬱陶しい不快季節がやってくる前に、若君の顔見たさのジイさまはタイトなスケジュールになっている今週の撮影の仕事もスタッフにまかせて、「ええいままよ!!」とばかりに気張って『まろじぃ東京に行く!!』ことにしました。新米ジイさまの奮闘物語ですなぁ。もしかしたらジイさまになった自覚の確かめもしたい自分かもしれませぬ。
しかしながら今回は恐怖の単身上京であります。いつも同行してくれるお江戸道案内役の大王さまは仕事でやむなくお留守番。ひとりで東京の街歩きなんて何年ぶりだろう。天気予報によると雨と猛暑のちょうど二日続きの、よりによってそんな日の東京になりそうです。何の因果でバッドなウェザーにあたらねばならぬのか!! 雨もイヤ、暑いのもイヤ。仕方ありません。近距離の移動はタクシーにすることにします。
しかしねぇ、一度会ってしまうとジイさまの心は千々に乱れまくって一度だけでは収まらんかもしれませぬ。まぁとにかく明後日、お孫初対面の儀に臨むことにします。



サンパチェンス
■この色、パッションカラーとな!! そう言えば大分にパッションという情熱的なラブホもありますが■

先月に植えた夏の花サンパチェンスが徐々に花を咲かせるようになりました。この花は生命力が旺盛で見る見る株がデカくなって、夏の間じゅうフラワーポットに山盛りのような豪勢な花祭りを開催してくれます。これまではライラックやホワイトの色を植えていましたが今年のカラーはパッションオレンジにしました。燃えるような、情熱的な、そんな年柄にもなく頑張ってみました。ちなみにサンパチェンスって『太陽
(sun)+忍耐 (Patience)』が名前の由来であるとか。暑い夏のジリジリの太陽の下で耐えるのね。すぐに音を上げる私と大違いでありますね。そして花言葉は『優しい気持ち』。太陽、忍耐、優しい気持ち。梅雨、上京、孫会いたさ。この期に及んで何だかややこしい心のうちを代弁してくれているようなサンパチェンスめであります。


政治家が何を考えているのかその本心は図りかねますが、東京の知事さんはリオオリンピックまでは都知事のままでありたいと知事の椅子にしがみつくご様子です。固執などしておりませんと言っておるようですが、これって誰が見ても『ハゲネズミがしがみついている』にしか見えませんが。
こんなセコい人が今さらいくらきれいごとを言ったところで何が東京のために働きたいで通用しましょうか。リオオリンピックの閉会式でオリンピック旗を晴れ舞台で受け取りたい。我が人生をこれ見よがしに。そんな卑しい心根しか見えないのですが。
平生往生。もはや東京都民どころか日本国民から見放されているも同じこと。これ以上、日本の恥を世界中にさらさないでもらいたいものです。こんなオッサンのために都民が翻弄され、そしてやむなしとは言え都知事選で血税が使われるなど勿体ないことです。
それにしても東京オリンピックは何から何までどこまでケチが付きまくっていることやら。昭和の時の東京リンピックのようにスムーズにことが運ばないのも日本人の心が当時に比べて汚くなってしまったからかもしれません。政治家やJOCが東北大震災のことを置き去り、おざなりにしているからかもしれません。


 

9 Jun

・・・・・・。

急用ができてしまって福岡の久留米市と糸島市をハシゴしてきました。大急ぎで行って大急ぎで帰ってきたので何が何やらさっぱりわからんみたいなことになっています。初体験の話をふたつほど。
久留米では運転していた左前方にいきなり大きな観音さまが出現したのには驚きました。白亜の慈母観音さまのお姿はまるで天上界からか降りてこられたか、丘から立ちのぼってこられたかのように突然現れてすっくと立っておられました。
見下ろされ見透かされている……、日ごろの行いが宜しくない私など身の縮む思いがしてしまいました。しかし街の真ん中にあのような立派な仏さまをつくるお寺など凄いなぁと家に帰って調べてみたら成田山新勝寺さんでした。スケールが違いますなぁ。ちょうど、そんなことを調べていたら小林麻央さんが乳がんであると旦那さんの海老蔵さんが記者会見していました。市川家と成田山新勝寺は縁の深い関係としてとても知れ渡っていますが、まさか大きな観音さまのことを調べている真っ最中に海老蔵さんの沈鬱な会見とはと驚いてしまいました。可哀そうに33歳で重い病に罹ってしまって。子どもさんだってまだまだ小さくて。慈母観音像とふたりの子どもを持つ母親である病身の麻央さん。悲しくなってしまいました。
これから梨園を背負って立つ海老蔵さんと、陰に日向に支えるはずの麻さんであろうに。いくら信仰が篤くても駄目なものは駄目なのでしょうか。それにしてもあまりに酷すぎる話です。そういえば数日前、長野で行われた全国植樹祭の開会式で両陛下の前で海老蔵さんが勧進帳を舞ったのを偶然テレビで観ましたがが、どことなく寂しげな虚ろげな弁慶だったように思いました。つらいでしょう。
歌舞伎界はここ数年、名優といわれる人が次々に亡くなってしまいました。海老蔵さんのお父さんの団十郎さんもそのなかのひとりでした。舞台に立つ人ばかりではなく今度はその奥さんまでかと思うと、歌舞伎に宿る摩訶不思議な霊力というか奇妙な何かを思ってしまいそうです。「・・・」です。


成田山救世慈母大観音
■忽然の現れて驚きました!!■

牧のうどん 
■奥にあるおいなりさんと見まがうばかりのうどんに浮くごぼう天。私の知っているのと違いすぎて茫然としました■

久留米を終えて福岡市の西にある糸島市に寄ってみました。ここは近年九州大学の伊都キャンパスができて、さながら学園都市のような変貌を遂げつつあります。確かに道行く人に若者が多かった。
用事を済ませて「是非とも食うてみたい!!」と所望したのが『牧のうどん』でありました。長崎や佐賀、福岡の道を走るたびに見かけていた牧のうどん。何処の店も広い駐車場には常時車がいっぱい。これはいつかは暖簾をくぐりたいものだと思っていました。常時食い意地の張っている私のたっての希望でありました。
ちょうど糸島の周船寺という町にもあるということを大王さまがリサーチしてくれて、これは思いを果たさねば遺恨を残すこと間違いなしと。すぐさま初のご入店を試みました。昼下がりだというのに駐車場も店内も大盛況。店の人たちもみんな元気があって気持ち良いことこの上なしでありました。
大王さまも私も、うどんといえばこれが王道だと思い込んでいるごぼ天うどんを注文しました。
「うどんの硬さはやわらかめ、普通、硬めのどれにしますか??」
硬いのも好きだけど硬いのはラーメンに限ります。うどんの硬いのって初めてなのでどんな硬さでやって来るのか皆目見当もつきません。オーソドックスが無難です。
「普通のでお願いします」
やってきたうどんは思った以上に太い!! まるで正体がおぼつかない伊勢うどんみたい。硬さは「これが普通??」と思うようないささかやわらかめの茹で加減。うどん自体の腰が弱いのかもしれません。腰が弱いので見る見る丼内の出汁を吸ううどん。吸い尽くされてなるものかと俄然すすり込むのが速くなる私。それでも太いうどんの根性の方が優っているようで、出汁を吸いまくっていくうどんはこちらの悪戦苦闘もものともせずにいよいよ太く柔らかくなっていくばかり。膨らむ一途ですわ。いつもの絶好調の麺食いであればスープの一滴すらも残さない私がこのうどんにだけは完敗してしまいました。
「つぎ足しの出汁をここに置いておきますね」、そう言って余所のお客のテーブルへと仕事に行ってしまったお姉さんの言葉が分かりました。もたもたしていたらうどんに負けまっせということだったのですね。いやはや参りました。ごぼう天も普通のが良いなぁとぼやく私に大王さまが仰いました。
「地元の人が美味しいって通っているんだからよそ者がとやかく言ってはいけないよ。歴史も古いうどん屋さんなんだから大いに価値があると思うよ」
「・・・」
そう言えば昆布だしの格調高さだけはいつまでも口のなかに残っていました。良い昆布をふんだんに使っているようです。



 

5 Jun

その強運を人生の武器に

北海道の山中で行方不明だった7歳の男の子が無事に保護されたニュースにホッとしつつも、大人でも心もとない山深いだろう場所をあんな小さな子どもが歩き、そして辿り着いた自衛隊演習場にある小屋で6日間も一人で過ごしていた精神力と、水を飲んで命を長らえるという手段を知っている本能に驚いています。7歳にして強じんな精神力とサバイバル精神。見事でした。
親の言うことをなかなか聞かなかったわんぱくな男の子でもあったようですが、その抗うような心が返って今ある事実への闘争心というか不屈な心へと転化していたのかもしれません。その大人顔負けの精神力と共に、生まれもった稀なる強運を、彼のこれからの長い人生に良い意味でフル活用してもらいたいと願っているところです。きっと神様から守られ、そして山に迷うことなく生かされる道へと導かれたのでしょう。自身にも他人にも強く優しい人間に成長してもらいたいです。しかし、この子にとってひとつだけ決して忘れてはならないこと。それは親に逆らったり反省しなかったりしないこと!! ある意味、これで周りの大人がちやほやしすぎると天狗にならないとは限らない要素だけはしっかりと持っているような子どもにも見えます。

今回は親の躾と体罰の差のきわどい部分を垣間見たような思いもしています。
最近は躾と称して体罰による事件や事故が頻発しています。反抗できない子を痛めつけるバカ親の多さ。こんな人間こそ年を取って世間から打ち捨てられれば良いのにと思います。頭の中身が大人になれなかった人間が親になれるはずもないのに、ひょんなことから親になってしまって、芽生えるべき親心どころか人間としての自制心すらも忘れ手を上げる。そしてすべてを壊していく若い親の多さに驚いています。今こんな親が多いので今回の北海道のアクシデントもことさら以上に注目を浴びたのかもしれません。躾も加減を見失い、加減を過ぎると体罰を超えた暴力になるということが何故わからないことやら。きっと十分な愛をもらって育てられていない人が増えたのかもと思っています。


昨日は大分が梅雨入りしました。今日になると関東まで梅雨前線の勢いが延びたようで、大方太平洋側が舐め尽くされるような雨の季節到来の図式が出来上がりました。山も野原も街までもしとど降る雨に洗われて目にも鮮やかな緑の風景が織りなされています。花の季節、紅葉の季節も好きですが、新緑から深緑へと変わるこの時季に雨に打たれて艶やかな木々の姿もまた好きです。唇がねっとりと濡れているような艶めかしさでしょうか。


そんな梅雨入り前日だった先週末にクライアントの3代目若だんなと酒飲みを愉しみました。このお方、私の長男と3週間違いの生まれゆえ、ほぼ我が子同然。それでも一応は丁寧語などを並べながら「まずは一献。ささ一献。まだまだ足りぬでしょう。どんどん飲んで!!」。勧めまくりました。
早稲田大学を卒業して立派に家業に就いていますが、父上も兄上もそろって東大のご卒業ということで、「オレ、バカっすから」を連発。分からないでもありませんが、あまりに卑下しているので、ちょっとしびれを切らしてひと言言ってやりました。
「あのですね。早稲田大学とて立派な大学。入りたくてもそう簡単には入れないでしょう。お父さんもお兄さんもそりゃ世間さまが目を剥くような立派な大学の出身ですが、人間力を高めて世の中でのご自分のあり方や企業人、お世継ぎとしてどうあるべきかを考え、そしてご自分なりのカラーを出せばお父さんに負けないくらいの魅力ある人間になれるんとちゃいますか。まずは内外に向かって目配せ気配りをしてご覧なさい。見えるべきものが自ずと見えてくるから」
「有難いです!! 誰もそんなことを言ってくれないんですよ」
「卑屈になったらいけません。さもしい心で世の中を渡ろうなんて思わずに気持ちを大きく持ちながらお祖父さん、お父さんが築かれた組織を更に隆盛させるように頑張って!! 今のご自分の立場や地位が自然と馴染むように……、数年後にはきっと身分相応な男になっているに決まっていますよ」


な野花
■これから運ばれてくる料理の写真など撮る余裕なんてほとんどなくなるくらい酒に溺れました■

な野花
■三代目ご所望の出汁巻き卵。黄金色の端麗な玉子焼きより若造の美しい指に嫉妬!!■

その晩の酒席は大分市の中心街にある小料理屋「な野花」でした。こちちらはどうやら20数年来のお客になっているらしい私ですが、記憶にないのがとっても腑に落ちないことだと首をかしげてばかりです。店の場所が移ったというのも記憶にないその理由のひとつかもしれませんが。それでもここ数年はご贔屓になって一見さんから格上げされた気分の良さに浸っています。
季節の食材の持ち味を存分に引き出すことができる大将の力量は見事です。器にこていにあしらわれて供される料理。29歳三代目も大喜びしていました。どうやら店の良し悪しは玉子焼きで決まると何処ぞで仕入れたうんちくを立証したいようで、コース料理の半ばには軌道から外れた一品料理である出汁巻き卵をオーダーしました。確かに出汁巻き卵、出来立て熱々の出汁巻き卵と大根おろしの絶妙な組み合わせは、三代目の唸り以上に白旗を上げてしまった私でした。
女将さんの気さくさとテキパキ加減も愉しくてハイボールを何度おかわりしたしたことやら。久しぶりにほろ酔いを通り越した酔いっぷりになってしまって、意識も薄くなったり濃くなったりのまだらに。家に帰ってから大王さまに随分と破廉恥なことを言上していたと翌朝早々から叱られました。
また飲みに連れて行ってください言われながら街の真ん中で別れた三代目。翌朝にはしっかりと『昨夜はご馳走さまでした』というメールが。大人だってご馳走した恩を忘れて食い逃げのような世間知らずもいるというのに29歳、立派です。これで三代目も盤石でしょうとも。


今日は新月でした。我が家の四代目も生まれてひと月が無事に過ぎました。会いたい思いが募るばかり。梅雨の大雨で足止めを食らう前にこれは何とかして謁見せねばとジレンマがてら気持ちが逸りはじめています。


 

1 Jun

うそっ。はやっ。もう6月!!

紫陽花


もう6月ですかい。初夏らしくない肌さむのスタートになりましたぜ。
一年を見渡して今月ほど知り合いの誕生日の多い月はありません。連ねるのはおよそ7名の紳士淑女たち。さっそく明日からあっちこちにお祝いメール乱発のスタートであります。
そして今日は若だんなたちの2回目の結婚記念日でもあります。2年前のあの日は信じられないくらいの猛暑でした。先月には若君が誕生して東京も賑やかになったに違いありません。私も結婚から1年11か月目に若だんなが生まれたのと同様に若だんなたちも1年と11か月目に新しい命を迎えることになったわけです。若だんなの新米パパ就任の年齢もちょうど私と同じ。なんだか不思議な巡り合わせに、指折り数えながら自分の歴史を振り返っているところです。

早く見に行きたい、会いたいと思いながらも「さて上京を」となるとあれこれが発生して、なかなか感動の「お初にお目にかかりやす」が出来ない忸怩たる思いの状態です。まさしく出鼻をくじかれてばっかりです。
これから若君にとっても若だんな夫婦にとっても、人生はじめてのハレの行事ばかりが続きますが、きっと喜びに満ちあふれた名場面ばかりではと思っています。由緒ある神社での祭事や、人生の先輩方の教えをもらいながら、未来ある子どもへのはなむけを進めていってもらいたいと願っています。
梅雨で鬱陶しいはずの6月も、こうやって考えてみるとなかなか新鮮なことや素敵なことが点在しているんだなと思っています。あちらこちらで見かける色とりどりの紫陽花の花にも似て、さまざまなお祝い事や出来事が、人それぞれの人生の色合いとオーバーラップするように見えるのもこの季節ならではかもしれません。初夏から本格的な夏に向かう雨の季節。生まれたばかりの森羅万象の命に水を与えて、その命の確かを保障してくれるかのような雨の季節。四季という季節に恵まれている日本に生まれたことへの感謝を改めて思う6月の到来であります。


北海道の山林で行方不明になっている7歳の男の子の消息はいまだにつかめないまま新しい月に替わりました。何処に行ってしまったんでしょうね。何処に迷い込んでしまったんでしょうね。「しつけ」ということですが、お父さんの度が過ぎてしまったというか、二度も車から出した場所を考えて諭してやっても良かったのではと思ったりしています。言うことを聞かないきかん坊と、お行儀の悪さを見るに見かねたお父さんとの気持ちの行き違いの結果がこれとはちょっと悲しい思いです。


明日だったか明後日だったか、近くのイオンに台湾旅行者が3000人もやって来るとか。ご近所さんである我々にとっては戦々恐々の終日になりそうです。まぁほんまもんの中国人よりかは数百倍も、いや比較にならないほど紳士淑女の旅の人たちですが。
それにしても3000人。先週の1700人にも驚いた大和人。果たしてどのような賑わいになることやら舞台の袖からこっそり見守るような思いをしています。


 

26 May

お茶々の先生から

5月17日に京都に行って宗匠さんから教授のお免状を頂いてきたお茶々の先生。
晴れてさらなる立派なお茶人になりました。


大地震の数日前にお祝いを別府の自宅まで届けた時には笑顔も満開でしたが、あの地震で家のなかは大変なことになってしまって、電話で声を聞くのもはばかられるような感じでした。以前さし上げた螺鈿の鳳凰と桐の棗に箱書きしてと預かって帰って、『夢』の字を書いて落款も押したまんまで我が家に里帰り状態が続いていました。先生とはいろいろと心残りというか、滞っていたことが多かったこのひと月でした。


そんな一昨日、宅急便で教授就任の内祝いを兼ねたお礼の品と京都土産が届きました。
お礼の品は京都三条にある永楽屋細辻伊兵衛商店の古帛紗(こぶくさ)でしょうか。正倉院御物にあるような布裂に対馬の図柄がエキゾチックで素敵です。
当方はお茶々のたしなみなどまったく持ち合わせていない俗人。はて、この帛紗を何に使えば愉しかろうかと頭の回線を大いに稼働させているところです。もうひとつのお礼の品も永楽屋細辻伊兵衛商店のこいのぼりの柄の大きな風呂敷。5月の進物にぴったりな意匠選びに、さすが彼の人だわと大きく感心しました。ちょっと調べてみたらその歴史は古くて、織田信長に仕えた御用商人の頃からの老舗であるとか。さすがに京都やな。学校で習った日本史がさらっと今の日常生活に生きてるわ。


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■右の紙は祝詞じゃありません。巻紙に毛筆で書いてよこしてきたおふみです■

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■永楽屋さんの淡い味の京菓子。さっそく美味い緑茶でいただきました■

もうこれで十分なのに京都土産まで一緒に。こちらは布ではなくお菓子の永楽屋さん。琥珀詰合せという大変風雅な京菓子でした。
こちらの永楽屋さん。一度聞いたことのあるというか、四条河原町を歩いていた時に見かけたことのある大店の名前でした。
それにしても永楽屋づくしを企んだお茶々の先生の遊び心というか茶目っ気に、大王さまと「よくまぁ」と笑ってしまいました。おめでたい引き出物におめでたい屋号をもつ老舗の品を贈るとは彼女独特のこだわりのカタチが見えた思いがしています。


そんな一昨日が過ぎた昨日。箱書きを済ませた棗を取りに来たいという電話が。
「だったらお礼も宅急便でわざわざじゃなくても良かったのに」
「いえ。それがね、車をガレージに入れる時にドアミラーを壊してしまって。車屋さんに修理に行くのでついでにと思って。玄関先で失礼しますのでお構いなく」
けっこう粗忽な方です。しかしこの方はきっと何かを必ず持ってくる。手ぶらで来るような無神経な人ではないことくらい百も承知。それにこちらが別府のご自宅に行った時には、井上誠耕園の緑果オリーブオイルなどのお土産を持たせてくれたほどケジメを重んじるお人。そうなると手ぶらで帰すわけにはいかんと必然的に大慌て。お菓子やらをもらってお菓子を返すのも無粋。かと言って買い物行くには時間が足りない。それじゃぁこれでどうだ!!と思いついたのが大きな杯洗。そして玄関先で。
「先生、何かに使って下さいな」
「え〜〜〜っ!! こんな立派なのをもらえるの?? どうしましょう」
「どうしましょうもこうしましょうもお土産代わりです。お持ちくださいな。花でも植えて庭の隅にでも置いてください」
「ありがとうございます。あのねHさん、これからは先生なんて呼ばずにKさんって呼んでください」
同い年です。距離を置かねば失礼だと思っていた先生から垣根のとれた友人に。では遠慮なくそう呼ばせてもらうにしてもいきなりはちょっと。ボチボチ慣らしていきます。
この方もKさん。Kさんという名前の女性がまた一人増えました。ぜんぶで6人もKさんが私の周りに居ることになりました。ところが6人が6人とも全部異なる漢字のKさん。不思議なことです。
「あんな図体ばかりデカくて派手な物を……。思い付きで人に物をあげると後悔するって言っていたのは誰でしたっけ」
「相手によりけり。あげて損したように思う人もたまにいますがね。胆が太くなったどさくさまぎれにあげるものではないことくらい承知してますわね。しかしあの人を手ぶらで帰すわけにはいかんでしょう。苦肉の策ってもんです」
案の定、昨日もアマノフーズの即席お汁粉や面白いクッキーを持って来てくれましたもん。



 

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