おやじ歳時記

おやじもジイになってしもうて。人生の坂道をゆっくり下っていきますか。

あと、ひと月


早いもので今年も残すところあとひと月に。あっという間に一年が過ぎてしまっています。年を取ると日単位で
時間の経過が早くなっていくと言われますが、日単位どころか単位スピードアップしているように感じます。人生の後半こそゆっくりと過ごしたいものをこれではまるで時間に追い立てられ、世の中に振り回されながら人生を終えなきゃならないみたいで非常に悔しいことです。

 

ただし我が家にただ一人悠々と自分だけで愉しもうと嬉々としている人がおります。

大王さま!! 明日より単身にて上京です。それもお茶々の先生も目を剝くロングランの12日間も。まずは明日、飛行機で大阪に。そのまんま神戸に移動してどうしても観たと言い続けているルミナリエをひとりロマンチック浸りに。翌日神戸空港から東京に飛んであとは若さま宅に身を寄せて好き勝手の東京ステイ三昧です。犬もほったらかしての魅惑の東京遊山のヤツめがと思えば思うほど、非常に間尺に合わない立場に立たされている私です。

孫の顔みたさに気持ちが逸った私なんて、遠慮に遠慮を重ねて上京も一泊二日で涙を呑んだというのにあろうことかの12倍も長く居てやがります。どうやら日ごろ束縛されているか、自宅に軟禁されているかのような私への最大級の反抗と気分転換のようです。

 

などと愚痴をこぼしているような私ですがさにあらずの気持ちも半分以上。最近は特にバージョンアップしている鬼の居ぬ間こそ千載一遇のチャンス到来とばかりに存分の心の洗濯と、思いつくまま気の向くままの呆け三昧ができるかも〜〜〜と、ちょっとだけ嬉しさを噛み殺しつつ12日間のスケジュールを模索しているところです。

問題はやんちゃ小僧の羅馬くん。プチ爺の身がこの子の遊び相手にならねばならないしんどさ。困ったことだと手加減とエネルギーの配分のほどの思案に暮れています。
 


DSCF2143
■ここの設置を早く気づけばよかったと、サマになりすぎの姿に後悔などしています■

そんな明日からはじまる数日を控えて、そして12月になったことだしと、在宅中の大王さまをフルにこき使って今日は和室の模様替えを試みました。

和室横には一畳ほどの隠し部屋(納戸とも言いますが笑)をつくっています。そこには13年前に引っ越して来た時に仕舞い込んだままの不動の階段箪笥が奥深くに鎮まっておりました。そしてその階段箪笥の姿が見えないくらいの骨董品や土鍋、さらには秋田で買って帰った火鉢、独身時代に衝動買いした長火鉢などなどありとあらゆる物が、それこそ買ったまんまとにかく仕舞っておけ状態でうず高く積んだままにしておりました。階段箪笥の階段なんてほぼ分からないくらい。いつかは片づけなきゃと思いながらも、棚でもなきゃどうもこうもならないなと思っていました。

 

そうだ!! 我が家には大きくて頑丈なルミナススチールの棚があるではないか!! 

明日からの留守番を控えて心が研ぎ澄まされていたのでしょうか。妙案を思いつき、そして思い立ったら即実行を。若さまの部屋にあったパイプの棚を和室に下ろし、納戸の物を一切合切表に出して、そして13年ぶりに階段箪笥が日の目を見る運びになりました。

この階段箪笥はデパートの民具売り場で若さま誕生の折に記念に買ったものです。若さまの成長とともに階段を上り下りする遊び道具へと変わったりもしました。大座に出ていたのはわずか8年だったのかと思い、そして13年も暗い部屋に逼塞させてしまい申し訳ないことをしてしまいました。表舞台に出してやり、今日から新たに命がよみがえったような思いのしている亭主です。

和室自体が少々狭く感じてしまっていますが部屋の雰囲気としては申し分ないカタチに変わりました。もちろんガチャガチャだった納戸もパイプの棚のお陰できれいすっきりに変貌しました。それでもやっぱり我が家は物が多すぎるなぁと改めて反省したり呆れたりしています。片付けをして自分自身のアラのあれこれにも気が付くものですね。

大王さま不在の日にちは、表に出した階段箪笥の磨き上げと、ここのところ魔でも差したか取りつかれでもしたように買い漁っている漆の器のメンテに励むことも留守番スケジュールのひとつに加えます。何やかやしていたら、気づかないうちに実は年末の掃除になっていくんじゃなかろうかと思っています。ヒタヒタと迫ってくる年末。この忙しい時期にひとり愉しみやがるのかと、やっぱり思いの行き着く先は大王さまのお気楽所業です。やれやれ。

 

忙しさや慌ただしさがいやがうえにも増す12月です。皆さんも病気ケガなどなさらず、穏やかにこの師走をお過ごしください。一年の計は元旦にあり……ですが、終わり良ければすべて良しでもありますので。



 

3000円でよかよ


骨董市
■蓋の表に鶴、裏には丸に梅鉢の紋。全部で10客のお吸い物椀を持って帰りました■

先日、今年最後の骨董市がありましていつものように撮影を。今回は買うまいと心に固く決めて立ち向かったつもりでおりました。ひと通り撮影を終えてカメラを仕舞い、今回は結構お客人も多いなぁなどと鷹揚な気持ちで……、やめときゃいいのに改めて一巡しました。元お姉さん方がたむろってる古布の店。趣味に合わない大きな焼き物ばかりを並べている店。初冬の日差しにきらめくガラスの器やら日本刀もあっちこっちに。

前回、李朝の丸膳を買った店のご亭主と奥方さんに見つけられて手招き。節操のない私は「おいで、おいで」にいざなわれるままにふらふらとご入店。ひとまずあいさつ代わりに差しさわりのないひと言ふた言を。

「今日はどんなんがあります??」

「豆皿と漆の器類が……、今日は多かですよ」

「漆の器。つい先日こそヤフオクで輪島塗の沈金梅椀を買ったばかりなんですよ」

はい。牡丹の蒔絵が美しくってついつい5客ほど買ってしまいました。正月には雑煮を、春にはサヨリの吸い物などを入れて愉しんでみようかと。そんな話をして本日は煙に巻いて退散ぢゃと心得ておりましたところ、ふと足元に目を転じてみたら、お椀の蓋の裏に当家の家紋である丸に梅鉢の金色がくっきりとしたお吸い物椀のブツが。蓋をひっくり返してみたら蓋の表には見事な鶴の図が燦然と。ぽってりとした蒔絵ですな。

「大量に仕入れたのですが売れるのは7客だけで、あとはハゲていたり割れていたりで売れる代物でなかばってん。どんなもんやろ?? 7客で3000円でどげんやろ。ついでに梅鉢の紋が大きかこっちの3客も付けちゃろう」

「なんと!! この10客が3000円でいいの!?」

「お客さん、前も来て買うてくれたとやけんよかよ」


「ほなッ!!」と即答申し上げ、博多弁だか熊本弁だかよく分からん方言使いのあちらの気が変わらぬうちに3000円を押し付けて、せっせと新聞紙で荷造りしてもらって北風に乗って退散しました。買ったという達成感よりまるで悪さでもしたような罪悪感って何なんだろ。

「前回もお客さんが初日の一番最初のお客さんやったとばい。今日も一番のお客さんやった。これも神様のお陰かもしれんばってん」

お陰の方は安く買えた私の方で。何と殊勝なことを。毎回出店しているこの骨董屋さん。差し入れでもしたくなってしまいました。

漆のお椀やらがまたたく間に集まって、我が家の納戸はさながら料亭の食器棚みたいになってしまいました。家族で祝う正月も、そして年末年始に予定している食事会にもきっと華を添えてくれるものと思っています。しかしもう陶磁器や漆の器類が増えすぎて収納不可になりつつあります。ぼちぼちここらでひと休みせねばと、我が人生の稀代的骨董蒐集に観念しつつあるところです。

 

紅白歌合戦も波瀾万丈の様相ですね。自ら出場を辞退する人もいれば39回も出ていて落選して悔しさをにじませている人もいます。これまで天下だった人が一気に奈落の底に突き落とされたような気分も分からないでもありませんが、「紅白は観たくありません」とか「とっとと日本を後に」とか言っています。テレビで人の批判などして、芸能人から祭り上げられていた人にしては潔さなど微塵も。自分のことになるとこれまでの言動がすべてひっくり返るのでしょうね。

しかしこんな大物歌手も出なくなって名前も知らない歌手が、聞いたこともない歌を歌っているような紅白歌合戦自体に魅力が薄れてしまっているのも事実です。NHKにとっても視聴者にとってもぼちぼち紅白は分岐点かもしれませんね。子どもの頃に眠たい目をこじ開けながら最後まで観ていた紅白歌合戦。美空ひばり、越路吹雪、都はるみ、藤山一郎、坂本九、フランク永井、北島三郎に三波春夫。錚々たる歌手たちでした。まさしく日本のアーティストの粒よりばかりが妍と歌を競うといった感じでした。ひとりひとりの持ち歌がそれぞれに盛り上がっていました。歌にもステージにも、そしてその年どしにあった世の中のドラマを締めくくるような感慨深さがありました。今の紅白のドタバタ劇を見ると詮無いことだらけです。

 

今月も明日を残すのみとなりました。この時季の日暮れの早さと同じように、ここにきてこの一年の終わりも足ばやになってきています。そして今夜は新月。何を願い何を誓いましょうか。どちら様も元気に師走をお迎えください。



 

11月の雪


先日の東北の地震。5年8ヶ月前のあの日を思い出してしまいニュースも途中で切ってしまいました。あの時よりもさらに切迫したアナウンサーの声。きっともう二度と再びあのように多くの犠牲者を出してはならないという大変な使命感と、そしてとてつもなく大きな犠牲を払ったあの日の教訓がそうさせたのかもしれません。津波の影響も大きくなくて良かったです。大丈夫だと安倍さんがずっと言い続けている原発もなんとか無傷でした。しかし改めて思うに、これからますます地震も増えそうな気配だというのに本当に原発は大丈夫なの??と。日本中の原発が活断層の上に建っていて、どれもこれも豆腐の上に鉄筋のビルがかろうじて持ち堪えながら建っているようなものなのに。我慢や忍耐も限界を超えるとどうなるか。感情のある人間であればたとえそれが自然のことでも分かろうものを。

それでもペルーだかに行っていた安倍さんがすぐさま記者会見したことはあっぱれでした。5年8ヶ月前に総理であったあの人の支離滅裂ヒステリックな慌てふためきようと、あの政権の無力さに比べると月とスッポンの安倍さんの鮮やかさでした。

世界中の指導者の群を抜いてトランプさんに会いに行った安倍さんに、何もできなかったあの党の安住という人は「朝貢外交」だと言っていましたが、自分たちはまったく無知無謀でありながらいつも文句ばっかり。弱い犬ほどよく吠えるの例えの通りですね。出来ないくせして咬みつき吠える加減が中国人と変わりはしないのが面白いです。口は達者だけど中身がスッカスカ。

 

ニュージーランドで大きな地震があって、すぐにまた東北で地震とはとやはり5年前と同じ軌道のような思いがしています。どうかこれ以上はと願うばかりです。

 

一気に冬将軍がやって来ている北海道や東北。そして関東も冷え切ってしまって体調管理がままならないお年寄りはさぞかし大変だろうと案じています。

今日は昨日からの天気予報通りに11月の東京に54年ぶりの降雪。そして観測史上初の積雪であったとか。びっくりしました。雪が舞う若さまの最寄り駅が、今年の年明けの大雪パニックの中継同様にまたまた全国ニュースに出ていました。よっぽど映しやすい駅なのでしょう。

雪のニュースとともに流れる54年前の11月に降った東京の風景。どこの国??と我が目を疑うような閑散ぶりというか穏やかさに驚きました。東京オリンピック前の東京があんなに街が低くて空が大きかったなんて。行き交う車の姿も無骨。街歩きの人も働いている人も背格好や顔つきはずんぐりむんぐり。それでもみんな笑顔。今と違って誰もとがっているような顔つきではありませんでした。高度経済成長のまっただ中の日本と日本人の姿は、まるで国の黎明期のようにも映っていました。

 

気持ちもまだ冬モードに切り替わっていないというのに、思いもかけなかったはやばやとした大雪は大変なことでした。

大晦日の紅白歌合戦も今年は大きく様変わりした出場の面々になりました。確かにヒット曲もないのに紅白に出ているというのも不可解でした。若い視聴者もきっと不思議がったり納得できなかったりではなかったはずでした。後進に道を譲る気持ちこそ美学のはずと思いながらも、年々知らない歌手ばかりになってトンチンカンな視聴者も多いことでは。ここ10数年、神社の大晦日と初詣風景の撮影で紅白ともご無沙汰です。いつかはじっくりと観ながら年越しをと思ってはいるものの、その時にはもう知らない歌手ばっかりでウンザリかもしれませんね。

はたしてこれからどのような今年の冬になるか分かりませんが、慌ただしくなっていく年末に向けて病気やケガのないようにと祈りばかりです。



 

お茶々の先生と博多っ子の気質


今日の明け方の雨のひどかったこと。それに雷も。ここ数年の来るか来ないか窺わされてばかりの台風よりもよっぽど性根の据わった激しい雷雨でした。これでまた一段と季節が変わるかなぁと思いながら、気温は初冬には程遠い暖かさでした。冬はまだまだ先のようです。


帆足本家母屋


帆足本家母屋

静かな桃花流水で楚々とランチを済ませた我らドリカム。奥には本家の母屋がデンと構えております。路地風の道には玄関へといざなうように石畳が配されていて結構なしつらえです。造り酒屋にして大庄屋なのに玄関は武家屋敷風に式台があります。聞けば名字帯刀を許されていたとかで、武家に準じて式台の玄関もOKだったのかもしれません。

植物の繊維の風合いを存分に取り入れた織物の展示や器類の展示を各部屋ごとでやっていました。どれもお高い!! 各部屋を一巡してさて帰りましょうやと3人で玄関に向かっていたところへ、まろび転びつしてひとりの女性がお茶々の先生の許へ駆け寄ってきました。

「あのぅ。お茶をやっていらっしゃる方ですよね。以前こちらで着物と帯を買ってくださいませんでしたか」

「え〜〜〜ッ!! 覚えて下さっていたのですか」

初めて来たものだと、てっきり思い込んでいた大王さまと私は唖然。お茶々の先生と女性は、「その節は」などとひとしきり話しておりました。

「来たことも、もちろん買ったこともおくびにも出さないなんて凄い人だね」

「それはきっと誘った兄さんに気遣ってくれたんじゃないかな」

服一着、器ひとつにしても高価な此処なのに、着物と帯なんてどんだけのことやら。そうこうしていたら我々男組の許へ戻ってきたお茶々の先生。

「もう何年も前のことなのによく覚えててびっくりしたわ。買った帯、お茶席にも結婚式にもどうもしっくりこなくって一度もしめてない。あはは」

「此処に来たことがあるんだ。ひと言も言わなかったので驚きましたよ」

「母屋の展示会にはね。でも桃花流水は初めてだったから楽しかったわ」

 

珍しいものが手に入ったからとか、お祝いのお返しにとか、誕生日にとか、もちろんこちらの祝儀不祝儀など決して粗略に扱わずに、それぞれに心遣いして送ってくれるお茶々の先生です。気質でしょうか。今日などはオリーブの塩漬けと香川の醤油などを持って、別府の自宅からブイブイ車を飛ばして前触れなくお越しで驚きました。いただいてばかりは恐縮なので、こちらもせっせと送り返しては礼を尽くしているつもりです。気持ちが通じるってそういうことではないだろうかといつも感じさせられています。

しかしふと思い出すのが、『金の切れ目が縁の切れ目』という嫌な言葉。お返しができなくならないようにしっかりと仕事せねばと肝に銘じながら、このお茶々の先生に対するのをはじめさまざまな儀礼と向かい合っています。世の中があまりに平等になり、不公平さが無くなったことで盆暮の儀礼、ひいては日常の挨拶すらも重きを置かなくなったようです。人情が哀しいこと、侘しいことですね。

こうするやり取りを煩わしいという最近の風潮もありますが、心配りや季節の心付けってやはり大切ではないかと思うのですが。贈り贈られる。そんな手段で互いに健康を確かめ合う。それもまた心を元気にさせてくれる気持ちの張り合いのひとつかもしれないのになぁなんて。

 

博多駅前の道路が陥没したニュースには驚きました。数週間前、NHKの番組で武田鉄矢さんがちょうどあの辺りのはずの地下鉄工事現場を取材していたのを観たばかりでした。一歩間違えれば大きな事故にもなっていたでしょうに、事故の時間が早朝だったことと現場の人たちのとっさの判断の功が奏して事なきを得た結果になって奇跡すら感じたものでした。そして急ピッチの工事。わずか一週間で見事に復旧させたのですから素晴らしいことでした。

陥没事故だったので福岡市から賠償金も支払われるようですが、「賠償金は必要なところに」と辞退するはかた駅前通りの経営者もいるとか。辞退している人たちは東日本大震災や熊本大地震の支援の活動をしていたので人の痛みが十分に理解できている人たちのようです。口だけの政治家や国民に尻拭いさせるのに躍起の東電と大違い。過去のことまで持ち出して、まだくれまだくれといつまで経っても言い続けているどこかの国の人間とも大違い。日本人の美学というか、精神性の高さだなぁとつくづく感じました。何よりも博多の人の心意気ってものでしょうか。

損して得取れではありませんが、誰でも真似できないようなそんな立派な心掛けで多くの人々に感動を与えるのですから徳のある人たちなのかもしれません。世の中には物乞い以下の心卑しい人もおりますが、そんな下品なのよりよっぽど崇高な博多っ子に喝采です。こちらもまた気質ですね。



 

お茶々の先生とドリカム


大分市の南東のはずれにある戸次地区。日向街道の面影を少しだけ残している町並みが大分としては珍しい景観です。全国にある古い町並みが注目されてもう随分と経ちましたが、この戸次もずっと先のことを考えて町の保存に力を入れていたら、街道沿いの軒を並べる面影を残していてもっと素敵だったろうにと無責任なよそ者の思いがしています。私が生まれ育った大分市の新日鐵のお膝元も小さい頃は古い古い家が並ぶ、今でこそ思いますがそれこそ風情のある町の姿でした。今ではもう跡形もありませんが、格子戸や門かぶりの松や槇の木が各家の入口にありました。切り出されてきたままのような瘤出し仕上げの花崗岩が組まれていたり、剪定され美しく整った生垣が家を囲む塀になっている家もありました。大きな家にはそれぞれ屋号があって、親戚も「柏屋」や「塩常」と呼ばれていました。


DSCF2091
■本家の入り口。この門をくぐった奥には武家屋敷風の母屋があります■

DSCF2074
■ちょこちょこがあれこれのアラモード。女性が好むわけですわ■

そんな大昔のご近所の風景や戸次の様子を思いながら、今日はお茶々の先生と大王さまとの3人でその戸次の町にある桃花流水というレストランに行ってきました。10月の大王さまの誕生日にケーキを送ってきてくださった先生に今日はお返しのランチのお誘いの実現の運びとなりました。女性ひとりを両脇から男がエスコートってドリカム模様のランチですね。

なぜだかこの店は男子禁制のように女性客が多くて。女性が好みそうな店のしつらえと地元の食材。そしてこぢんまりとしながらもそれぞれが美味しく供される料理内容だからかもしれません。

以前、従姉と行った時も周りはお姉さんやら元お姉さんばかりでした。どちらを見回しても喧しくなかったのはきっと店の雰囲気がしっとりしているからかもしれません。料理があまりにも大王さま好みなので連れて行きたいと思いながらも如何せん男のセットでは(笑) ドリカムどころか、おすぎとピーコ!? ていの良い誕生日のお返し。悪く言えば先生をダシに使って、やや不機嫌続行中の大王さまのご機嫌伺いみたいにも取れるおとないになりました(笑)

女性陣に乗っ取られたようにほぼ満席状態に大王さまもお茶々の先生も大いに驚きながらも、素朴なお重に品よく並べられたどれもこれもの美味しい料理に大満足のようでありました。お礼の真心も、よからぬ目論見も大成功でありました。



DSCF2096
■大きな井戸!! この井戸の水で年間250石の清酒を造っていたとか■

BlogPaint
■大きな暖簾の横で黄昏ぎみの私。こんな佇まいと秋の盛りにいると俄然旅に出たくなっています■

この地区で300年近く酒造を生業としていた帆足家。随分と分限者であったようで式台を持つ玄関などそれぞれの造りが大きなお屋敷がその名残でしょうか。美しい庭を愉しめる母屋や、大きな井戸を備えた酒蔵の見事さは大分に非ずのような圧巻さです。蔵と別館の洋館の良さをそのまま生かして食事ができるようにしているのが粋です。きっと何代目かにあたる現当主の起死回生のグッドアイデアなのかもしれません。女性が好み、そして目も口も肥えているリピーターを裏切らない仕向け方。大当たり!!です。

「なんだか大分じゃないところに旅に出たみたいな新鮮さだね」

そんな言葉で締めをした今日のドリカムランチでした。あ〜〜〜、どっか行きたい!!



 

68年ぶりのスーパームーン。そしてスーパーキッズ登場!!


今宵はスーパームーンでありました。大きな月が晩秋の夜空に昇っていくさまをしかと目に焼き付けておきたかったのですが、今宵は雨、甚だ残念至極でありました。

それにしても大きな満月など幻想的なことですね。スーパームーンの前後には世界中の街や名だたる建造物、そして史跡旧跡を照らす大きな月の写真がアップされてその美しさに見惚れるばかりです。自然の偉大さと人工的な造形美が織り成す幻想的な一夜の夢物語みたい。

果たして宇宙的理論というのでしょうか。月の満ち欠けが地球にも影響を及ぼすとよく言われていますが、今日のスーパームーンの前日だった昨日の夜にはニュージーランドで大きな地震がありました。地球の地殻が月によって引っ張られて地震が起きてしまうのでしょうか。そしてとても嫌なことですが、前回のニュージーランドの大地震のあとに東日本大震災があったのが5年前のことでした。海の底深くが地続きとは言いながらもこんな連鎖はまっぴらです。

 

次のスーパームーンは18年後。世の中も……、生きていれば私自身も随分と様変わりしている18年後の2034年の11月26日でありましょうなぁ。それでも今年生まれたばかりの若ぎみは人生これから青春まっただなかの18歳。若さまだっていろいろ充実の40前のよい男になっていることでしょう。どちらにしても18年後も平和な世の中で眺め、そして各々が愛でることのできる月夜であってもらいたいもいのです。

せっかくのスーパームーンです。雲隠れとは言いながらも縁ある人たちの弥栄と我が家と我が身の平安などお祈りさせていただきました。

 

ここのところお年寄りが運転する車での事故。それも命まで奪う大きな事故が立て続けに起きています。いささか認知症のようだった老人や、ご主人の介護に疲弊して運転操作を誤った老婦人や、「また」とニュースの見出しにもなるくらいに頻発しています。

無茶にして無謀、人の言葉に耳を貸さないような人格のお年寄り以外、お年寄りを責めることはできません。いずれ自分も通る道なのですから。それに車がなければ暮らしていけない今の日本の殺伐とした世のなかなのですから。なおかつ核家族で、お年寄りが独りないしは老夫婦で細々と暮らすしか道がない世の中なのですから。

しかし自己管理だけは可能な限り本人が、そして同居別居に関係なく家族には常に老いた親への注視はしてもらいたいものです。

老人に轢き殺された被害者はさぞかし無念でしょうし、事故を起こしてしまった老人にとっては人生の晩節にこんな仕打ちをと自分の人生を呪うでしょう。命奪われた立場の人、これから償いの始まる人。そんな不幸なことはまっぴらです。

私もいつかは免許証を返納すると思います。自分の暮らしに不自由があっても、もしかしたら人さまを傷つけるかもしれない不安にさいなまれながらの暮らしなどできません。自分の体力気力、力量を過信しないようにと心がけるつもりです。自信の無さは時として大きな味方にもなると思います。

嫁のいない身にとって、手となり足となり、そして知恵を注入してくれる人の無さを、これからはしみじみと感じながら生きていかねばならないという覚悟も必要だということでしょう。伴侶のない暮らしを若い頃は身軽なことだと思っていたことが、これから年を重ねるごとに恐怖になっていくかもしれません。それも覚悟のひとつでしょう。

老人による交通事故と、その輪禍に遭ってしまった人々の、それぞれの人生の終焉に「そんなはずではなかったでしょうに」と同情の念を禁じ得ません。人も世の中も穏やかさが薄れていっている。これが今の日本の真の姿の答えかもしれませんね。



20161114羅馬
■我が家に新しい家族の登場です。やんちゃやんちゃ、部屋中を走り回っております■

まろ坊が逝ってもう間もなく8か月になろうとしています。そして来週21日はまろ坊12歳の誕生日のはずでした。せめて干支の一巡くらいはさせてやりたかったと悔やんでいます。せめて……、あとの祭りの慰めの言葉ですね。

夏くらいからやっとまろ坊への思い出と、別れの哀しみの区別ができるようになった大王さま。いつの間にやらネットで全国各地のブリーダーさんの情報収集に没頭しておりました。いろいろ調べたり探したり、挙句の果てには県外まで見学に行ったりと忙しい思いをした数か月でした。

「まろ坊に似た、まろ坊のような子が……」、まろ坊の影を追いつつ新たな出会いを求める姿に、まるで魂が彷徨っているような大王さまでした。

そしてとうとう見つけたのが、美味しいネギで有名な深谷生まれの男の子でした。さっそく大分まで運んでもらい我が家の一員になりました。元気はつらつやんちゃ小僧のスーパーキッズです。迎え撃つお嬢の冷たいことったら!! まろ坊亡きあと、お天下さまの女王様が一気にスネ姫になっております。

新たな子どもの名前は『羅馬(ろーま)』であります。はい、反対から読んだら「まろ」です。どうぞお見知りおきを。



 

戦い済んで日が暮れて「まさか!!」の結果に


夕景
■「幻想的なのが大好き!!」と、日ごろは超現実的なご仁が撮ってきた散歩道の夕景です■

盛り上がったのかシラケていたのかよく分からなかったアメリカ大統領選のこの数ヶ月でした。ところがまさかのトランプ大統領誕生が決まって世界中が慌てふためいている感じ。

下馬評も、出口調査も、マスコミの予測も、ジャーナリストの思いも真っ向から覆された結果になりました。本当に青天の霹靂のまさかです。実業家が大統領になるなんて、いくら民主主義の国、自由の国だとしてもあまりに凄すぎると驚いています。

『どうせクリントンが大統領になるだろうし』や、『トランプなんかに投票する人はそんなに多くはないだろうし』と、有権者はタカをくくっていたようです。選挙は水ものだという例えの通りになりました。今になってトランプ大統領など許さないとアメリカの各地でデモをやっているそうですが、遅い!! 今さらです。まるでEU離脱に決まった時のイギリスの騒動みたい。無責任さというのか、真剣さが足りなかったことの結果ですね。
塵も積もれば山となる、大河の一滴。甘く見てはいけないということですね。尻に火がつかなきゃ分からないということでしょうか。

 

さて日本はこれからどうなることだか。

アメリカ駐留基地の撤退も声高に言っていたトランプです。沖縄からアメリカ基地出ていけと官民挙げて沖縄の島が燃え上がっていますが、本当にアメリカが出ていって丸裸同然の沖縄になったらあの中国が乗り込んでくるに違いありません。中国沖縄省になったら、それこそ沖縄に人たちはどうするのでしょう。大統領にトランプがなることに決まって、驚きの次に不安と恐怖が襲ってきて大慌てして反対している今さらのアメリカ人同様に、沖縄からアメリカの基地が無くなって、東シナ海に中国の海軍やら漁船やらが大挙してやって来た時に「しまった!!」では遅いはずなのに。

沖縄が日本や太平洋の国々の防波堤としてすべての役割を担うことには反対です。沖縄には沖縄にふさわしい平和があって当然です。しかし中国の脅威にさらされてる今ここで沖縄にサジを投げるようなことはしてはならないと思うのです。「まさか」という目論見や見当が外れることは暮らしのなかでままありますが、国の平和を維持するなかで「まさか」の負こそ本当に起こらないようにと願っています。沖縄をはじめ佐世保も岩国も、厚木に横須賀に横田も、そして三沢も。それぞれが必要欠くべからざる場所であると思うのですが。

ただし特に沖縄駐留の米軍兵士の度重なる不謹慎な行動。どうしてこれが直らないのでしょうか。獣の放し飼いのようななかに暮らす沖縄の人々が怒り、そして基地問題のことで頑なになるのも当然です。立場というか役目というか、そんなことも分からないような頭の悪すぎるアメリカ兵の愚かしい行いにウンザリしているのも事実です。

 

今回のトランプ大統領誕生という世界がうねるような事態を目の当たりにして、つくづく今あることの有難さや変わらないままの穏やかさ。そんなことに改めて思いをしているところです。

トランプもいよいよ大統領に就任したら、自分が選挙戦の間じゅう言ってきたことと現実があまりにかけ離れ、そして超現実的な恐怖の上にある大統領職であるということに気付くはずです。現実とリアルを知った時こそ、トランプの覚悟が決まるのではないでしょうか。

 

10月末から日曜日のたびに『深夜食堂』が放送されていました。昼12時から夕方4時までぶっ通し。以前にも観たのですが、今回は腰を据えて第一話から最終回まで全30話を観倒しました。

新宿の花園町界隈(だろう)にある深夜12時から店が開くめしやという食堂には、さまざまな人がやって来てカウンター同士の会話やら、そのお客たちの人生やらが一品の料理を軸にしんみりと展開していく内容です。とても面白いのは毎回異なる個性豊かなお客さん。そして主人の小林薫さん。つくられる食事。常連さん。そんな縦やら横の模様の繰り広がりにホッとさせてもらいました。

9話に出演していたのがりりィさんでした。元ストリッパーの役ながら凛とした着物姿はきっと彼女の天分なんだなと思いました。かっこいい!! そんな感じでした。

今日、りりィさんが64歳の生涯を閉じたニュースにせっかく元気な姿を観れたのにと残念に思っています。これもまたまさかの知らせになりました。

このドラマの出演者のなかでも馬渕晴子さんも他界しました。惜しい人たちがみんなあの世にいってしまって、もしかしたらこの世よりもあの世の方が豪華キャストがそろって立派な舞台やらが行われているかもしれませんね。



 

雨の前の。


今日は立冬。これから冬至までのおよそひと月半のなんと日本的な季節だろうかと、そんなことをいつも思いながら過ごしている季節の変わり目です。春の桜の花の時分と今立っているここの季節が大好き。そして日本人として生まれてきて本当に良かったと思うのです。きっと日本人のDNAやらアイデンティティやらが目覚めたり疼いたりする季節なのかもしれませんね。

秋は風景にしても食にしても、ありとあらゆるものが豊か。自然の恵みがあふれていると言ったところですね。新しい命の芽吹きの時の春とは違って何もかもが長けているふうが良いです。枯れる手前の侘びた感じでしょうか。食べ物も春はどことなく苦み走った若々しい風味がまた滋味として嬉しくもありますが、この季節の味わいには奥底に秘めた個性があって、食べ物を通じて海や山の有難さを改めて思うのです。手間ひまを惜しまず美味しものをこしらえる。そんな生活の動きもまたこの季節ならではの温かみかもしれませんね。

 

アメリカの大統領にトランプさんがなったらとか、韓国の朴大統領がいよいよ辞任したらとか。日本の東西にある国がにわかに殺気立ってきています。日本が巻き込まれて三つ巴、いや、共倒れにならねばよいのですが。

口の悪いトランプさんは未知数ですが、朴さんは告げ口外交の浅はかさがすべてを物語っていますね。あんな無視やら悪口やらの幼稚な外交も友だちの助言だったのでしょうか。一国の大統領がたったひとりの女によって操られていた傀儡だったとは。

中国やヨーロッパなど大きなものに巻かれて寄らば大樹に甘んじてはいたものの、結局出たとこ勝負でまったく政治や外交のセンスがなかったのも女友だちの指図だったのでしょうか。この女性は宗教がかっているらしいですが、国を統べる為政者がもしも偏りのある教義を持つ宗教を信仰していたら。国が転覆するくらいに恐ろしいことです。

弱り目に祟り目になったらさっそく日本にすりすりしていますがプライドはないのでしょうか。日本政府はもっとしっかりしてもらいたいものです。いくら清算しても蒸し返し、そして自分たちの調子がよくなったら天狗になって横柄な態度で余所を貶めるようなことを平気で世界中に喧伝するのですから素晴らしい国民性です。その負やら悪のターゲットはいつも日本。日本人は今こそ上手にかわせべき時です。

ひとつにつまずくとすべてに連鎖するのも世の常のようで韓国は造船業界が不振になってロッテも骨肉の争いのお家騒動。飛行機のなかで火を吹くギャラクシー、洗濯機もアメリカで破裂して、韓国経済の牽引の役を担っていたサムスンの劣悪さ。世界中の信用も失墜です。やはりすべてにおいて日本のコピーだったという歴然とした事実の露呈でしょうか。付け焼刃やら真似事はいつまでも続かないということですね。人のふんどしで相撲を取って、知恵もワザも底をつくと進歩がなくなるのは当然です。

ひとり天下になってしまっている安倍さんも危険ですが、それでも韓国のような無様な日本にしていないだけでもまずは善きことかと。



犬の散歩の雲

そんな危うげな世界の動きをまるで静かに見続けているかのような秋の夕方の空。最近、散歩に出かけてはナイスバディを保とうと必死の大王さまが今日の空と雲を撮ってきてくれました。

「この雲。犬に見えない?? 駆けてる犬!!」

「見ようによっては見えなくもいないけどねぇ」

マンボウだわと言いたいのをぐっと堪えましたが、そういえばどことなくコロコロとしていたまろ坊の散歩姿に似ているような。
季節の変わり目の体調不良もいくらか改善した大王さま。気持ちに余裕が生まれたようで視座も広がって何よりのことだと胸を撫でおろしている私です。

明日は雨の予報。雨が終わると気温も下がるとか。湿り戻っては大ごとと今日は午後に掛軸を箱にしまいました。布団も干したし、カーペットも日に当てて布団叩きで叩きまくったし。雨の前の心構えで乾燥空気を存分に活用してこれでひと安心です。



 

秋の日の冬支度


昨日も今朝もググンと冷えて、去年の初ストーブが11月26日だったのを大きく塗り替えそうな今冬のストーブ登場になりました。3週間も早いお出ましですが、よくよく思い出してみたら子どもの頃にはもう暖房器具に頼っていた11月であったようにも。それに32年前の11月18日、出雲大社での結婚式に向かう時にはコートを羽織っていましたもん。いかに季節がおかしくなってしまっているかということをひしひしと感じていた近年にあって、ここ数日の冷え込みこそ当たり前の秋の巡りと冬支度の楽しみではなかろうかと思っています。

灯油を買って給油して用意万端、火入れ式も済ませましたが、数日後にはすぐに平年の気温に戻りそうとも。しかし三寒四温ならぬ三温四寒の移ろいざまに、晩秋と冬好きの私にとっては洵に好季到来の思いのする今の日々です。

 

冬に追いつこうと暖房器具のセッティングやらお試しをしながら今日は朝からバタバタなスケジュールになりました。

年契約しているいつもの農家から新米が届いたので若さまにさっそく宅急便にて献米を。21歳の身の程知らずの酒飲みに変じつつあって、親としては我が子に酒を勧めるのもいかがなものかと思いながらも、晩秋の夜長にと月桂冠2リットルのデカパックとサングリア1本を同梱。あとは大王さまのお見立てのチョコやらバームクーヘンやら柿の種やらお菓子三昧。年末年始の帰省なしゆえ12月中旬以降にまた送るとして今回は急いで新米をという親心でした。若さまに新米の用意をしながら、『そうだった。生きているご先祖様であるオフクロにも持って行って喜ばせねば』と5圓曚鼻

 

一袋30圓涼歸諜彌算左縞討鬚い弔癸饗淒磴辰討い襪里任垢、若さまが大分を離れてからの一昨年も去年も米余り状態になって、そして今年もまだ30坩貘泙残留の憂き目になっています。さらに現在消費中のが米びつ、ライスストッカーにも満タンで唸っていますし。

毎年この新米の季節になると余ったお米の処遇に往生しています。で今年から一気に減らして4袋にしてみました。それでもやっぱり新旧合わせて手つかずが5袋300圓糧蓄の計算です。ひとり暮らしの若さまだって毎日食べるわけでもなさそうだし、人さまにおすそ分けしたこともありましたが大して感動やら感謝も無くて肩透かしを。友達から言われました。

「Mちゃん。お米は人にあげるもんじゃないよ。家それぞれにお米の好みもあるし、第一自分で賄わなきゃ罰があたるよ」と。確かに一粒だって無駄にするなと言われて育っておりました。京都人ではありませんが、『冥加に悪い』ということですね。

以来、強欲爺さんのように家うちで消費することにしています。一食100gの減量作戦続行中なのでなかなか減りませぬ。しかし元嫁がよく言っていたのですが、「お米が家に十分にあるって幸せで安心よね」。そんな言葉を思い出してはそうだなと納得しています。いいこと言っていたもんだと懐かしく思い出されます。菜がなくとも米がある!! 心強いことです。

Iちゃんのおかげでここ数年間というもの美味しいお米を安い値段で融通してもらって、お米にだけは不自由な思いをしていません。よくよく考えてみたら、幸せで安心な毎日の暮らしのなかにいさせてもらっていることになっています。
 


虫干し

去年からヤフオクで落札しまくっている掛軸が一年半で20本になりました。日本の美やら風流にまったく無頓着な大王さまからは猫に小判の豚に真珠だと言われ続けております。猫になったり豚に化けたりと不名誉このうえない仕打ちの言葉であります。

花鳥風月、春夏秋冬、祝儀不祝儀、用途に合わせて何でもござれになってしまいました。前からあったのと合わせて30本のお宝持ちの分限者にと成長しました。掛軸道楽というやつでしょうか。

季節や行事、来客に相応して床の間のしつらいを変える。その時々に気持ちに余裕がなければとてもとてもです。現にバッドでネガティブで鬱々な気分の時など、掛軸を変えて愉しもうなんていう風雅な気持ちなどさらさらのまっぴらです。やっぱり猫に小判、豚に真珠の宝の持ち腐れは当たっているかもということもしばしばです。

とは言いながらもあくせくしてため込んだ掛軸を粗末になど出来ようはずがありません。先日、京都の店に注文した防虫香が届いたので、当分は裏切りのない晴天続きの本日より掛軸の虫干ししています。巻いたままとは言いながらも30本とその箱を一挙に陳列して並べているさまはなかなかのものどした。

本来であれば物干し竿を家に入れ、長押辺りにまたがせて干したふんどしを風になびかせるみたいに掛軸をぶら下げて風通しをすればよいのですが、あいにく当家には物干し竿も無ければ和室に長押も無くて。しばらく優しい秋の日差しを浴びさせてお香の包みをそれぞれの箱に入れていきます。一年に一度の恒例行事になりそうな掛軸の虫干し。掛軸にとっては安息のお日和ということですね。
せっかくです。この私も虫干ししてリセットしたいものです。まぁ最近は虫も寄り付かなくなりましたが(爆)



 

秋らしいお日和で11月スタート


あっという間に11月。今年もめくるめくような一年で、残り2か月を思うともうすでにダッシュの雰囲気すら漂ってきました。

先週末はハロウィンで土日の道の賑やかだったこと。大きい声では言えませんが、それ相応に似合ったり似合わなかったりのお子たちの群れ。実に面白い不自然さです。空き地やら畑を横に見ながら歩く着飾ったお子たちは日本の街並みにも合っていなくて。そんな西洋かぶれよりも日本のお祭りを大事になさいと言いたい気持ちが高まるばかりです。若い親たちは日本の伝統行事のどれだけをご存知のことやら。おそらくキラキラネームがお好きな世代ゆえ、自分の生きているこの国の奥深いさまざまなことなどほとんど知らないのではと思ったりしています。廃れるばっかり!!  

大切な物事をスルーばかりしていてごらんなさい。きっと泣く思いをするのが世の中というか、日本の底力の凄さなのですから。

 

韓国の大統領など就任早々から日本に対して散々見苦しいことをやっていましたね。欧米では告げ口外交、中国にはすり寄って。ところが今を見てごらんなさい。友人の素人おばさんを国政に関与させたと、パクパク大統領はもはや凋落の一途。風前の灯火状態ではありませんか。八百万の神々のいる日本を甘く見、そしてすべてに対して言いがかりをつけている証拠です。日本にはまだまだ強大な神がかり、底力が残っているのかもしれません。もう退陣するしかないんじゃないでしょうか。

しかしあの国の歴代大統領は汚職か自殺か暗殺かで、さらさらまともな末路ではないですね。権力を手中にしてしまうと舞い上がる国民性でしょうか。要は地位や身分の上下に関係なく妬みひがみの上にさらに根性が小汚いということでしょう。
中国も欧米も相手にしてくれないと見るや最近はあろうことか目の敵にしていた日本にスリスリ。まったくもって節操のないことです。
韓国人は安倍総理の勢いを羨ましがっていると聞きました。自分たちが弱ってくると妬む根性の見境の無さに呆れています。あの国は誰が大統領になっても、いついつまでも同じこと残り返しでしょう。厄介な隣人です。そんな隣人に日本の秀吉や伊藤博文などの歴史人は本当につまらぬことをしたもです。ちょっかいを出したりひっかき回したりしたそのつけの大きさは、今は不快感としてのしっぺ返しになってしまって。

 

東シナ海の日中中間線の間際に中国が新掘削施設をつくっているということですが、これってとても恐ろしいことじゃないですか。いつか軍事転用にするに決まっています。

沖縄が土人発言で大揺れしていますが、そんなことよりも目と鼻の先に中国が虎視眈々と歩を進めていると冷静に考えた方がいいんじゃないでしょうか。中国が攻めてきた時に日本の力だけで防げますか。その時に沖縄のあの知事は何ができると言えますか。

基地問題も沖縄の人にとっては大変なことであることは承知していますが、今身内でもめたりいがみ合ったりする場合ではないと思います。隙あらばかすめ取って国土を拡げていっているならず者の中国人。気が付いたら沖縄が中国沖縄省になっていたらどうします。ヒートアップしたら収拾がつかなくなるのが人間の弱みでもあります。振り上げたこぶしを下げることが矜持に反すると思うのも人間です。しかし国があっての言い合い。国が乗っ取られたらそれどころではないはずいなのに。



桜羅と羅馬
■空気が澄んでいましたが、お嬢の心はどうやら穏やかではなかったみたい■

そんなこんなのことを思いながらの11月スタート。深まっていく秋を五感で感じることができるはずの今月は果たしてどのようなひと月になることやらです。紅葉狩りにも久しく出かけていませんし、秋の風物を口にすることも絶えて久しくなっています。どこかに行って、体に沁みわたっていくような美味いものを堪能してみたいと思う佳い季節の到来なのですが。

そんなことを悶々と考えていたら大王さまが散歩でもしませんかとお誘いを。面倒くさいなどと一言でも発したら最後、「年寄りこそカラダを動かさなきゃ!!」と実に忌々しいことを言うに決まっています。
紅葉狩りも秋のグルメもまずは健康体から。そう思いを変えて近所の公園まで出かけました。まろ坊が亡くなってからお嬢が妙に太ってきました。気がゆるんだのでしょうか。それとも愛情を一身に受けているという自負でしょうか。みるみるメタボ夫人に。

「あんたも一緒に歩かねば!!」

やっとこさ秋の快適お日和になったと言いながらも、公園はまだまだ五色の秋色ではありませんでしたが、今日は北から吹く風が澄みきっていて、これまでに淀んでいた夏の名残の空気を一掃してくれていたかのようでした。有り難いことです。

久しぶりにあてなく歩いて夏と秋の空気の入れ替え同様に、ドロドロな血が流れているカラダも何となく清らかになったようです。
あとはあれやこれやにいきり立つギャオスを返上して心も美しく変わらねば(笑)
 



 

日めくりカレンダー
−Archives−
−Q R コ ー ド−
QRコード
Recent Comments
−Recent TrackBacks−
−Profile−
  • ライブドアブログ