おやじ歳時記

まろじぃぢゃ。おやじの目線、じじいの目線で世の中を愉しむぞ。

禿金猿??


今年の萩

へんてこな天気のなかでも我が家の玄関前の萩がきれいに咲き誇っています。しかし今日の雨で落花も始まり枝の先に付いている時の可憐な姿の萩の花も、ひとたび地面に落ちてしまうと見るも無残な哀れなことに。更に雨に打たれてしまっている落花のサマはまるで掃除に困るへばり付きようです。小野小町が行き倒れて骸骨になったのと同じ。栄華も可憐も妖艶もとどめる姿なしで可哀想なことですね。今夜から降ると言われている大雨で、今年の我が家の萩はきっと見納めかもしれません。



金木犀

萩の終いを感じはじめたあたりの昨日から咲き始めた近所の街路樹の金木犀。咲きはじめの一番香りの強い今朝はご近所一帯がまるでロマンチックな世界になっていました。甘くて、どうしようもないような甘美。
もしかしたらこの世の植物のなかでこの香りが一番好きかもしれません。秋を呼び、秋を知らせるこの花の役目も相まって。しかし蒸し暑い。いくらか肌寒くなりはじめる時分に似合う金木犀なのに、今朝などはまるで熱めの風呂に入っているような感じでした。蒸し風呂みたいな天気のなかで、入浴剤と化してしまっている天然の金木犀は勿体ないことです。
そういえば去年一生懸命になって花を摘んで仕込んだ金木犀の酒。桂花陳酒の口切りをせねばなりません。忘れとりました。そして桃酒も枇杷酒も、苺の酒も梅酒だってまだ未開封のまんまです。熟成に一年、まるで酒蔵の親父になったようなワクワクの気分です。ひと時忘れていたことが、果実酒たちには雑音のない心地よい眠りの期間であったに相違ありません。果実酒が好物の大王さまには、より取り見取りのアラモードで愉しんでもらいましょうかね。



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その金木犀の横には百日紅の花も咲いとりまして、黄金色とピンクの怪しい隣人同士の姿もまたなかなか妙でありました。実家の庭にも百日紅の木があります。花は白です。ところが毎年やって来る庭師さんが短く短く切り詰めるものだから、さぁその季節になっても花数が少なくて。花のない百日紅の木はまるで残暑に映える白骨みたいで見るに堪えられません。
我が家の近所にあるこれらの百日紅たちは手入れも行き届いていて、この季節になるときれいな花を咲かせ、そして秋が深まっていくのと歩調を合わせて美しく紅葉します。

植物も人も同じ。育て方次第ですね。


禿金猿、萩金木犀百日紅でした。蒸し暑いけれど植物たちは秋を感じてくれているようです。そして次の季節の準備も始めているのかもしれません。先走り先取り過ぎて疲弊を生じねばよいのですが。



 

知らなかった本当のこと


生まれてこのかた半世紀以上に亘って体験している春秋のお彼岸。かれこれ都合110余回になりましょうか。春にも秋にもお墓参りをしてご先祖様たちの霊を慰めるものだと思っておりました。ところが今年の秋分の日を前にしたとある残暑厳しき昼下がりのこと。我が家の大王さまが兄さんなら知ってると思うけどと教えてくれたんが春秋お彼岸の違いでありました。
「春はね。季節柄生命の息吹に感謝するお彼岸。秋こそご先祖様に感謝の気持ちを込めて供養するお彼岸なんだよ」
「そげなバカな!! 両方ともお彼岸という名前がついているから両方ともお墓参りをしてご先祖累代の御霊安かれと祈るんと違うの!?」
「それがね。まったく違うんだってよ。だからお墓やお寺のお参りは秋だけでいいみたい」
知りませんでした。春と秋のお彼岸の大きな違いに!! 敬虔な仏教徒である私はてっきり春も秋も香華を携え、さらにお墓掃除グッズ一式を持って霊園に参じるものだと信じ込んでおりました。
確かにこれから新しい命が芽生えて自然界全体が萌え萌え風になる春のざわめきや、ときめききらめきと、これから深まっていく秋に人生の晩節すら感じる秋分の日の催しはいささか気持ち次第も異なりますわね。浄土があると言われる西の彼方を望む風情もどことなく秋のほうが似合っていたりしてとも。
これから日ごとにつるべ落としの速度も早まって、あっという間に夕暮れから夜へと進む何やらの逼塞感のある愉しみを味わえるのもこれからですね。大好きなシーズンの到来であります。小学生のお子たちも秋分の日を境にして外遊びは5時までになります。子どもたちにとっては1時間の差は大きいことでしょうね。まだ明るいのにと惜しみつつ家路に急ぐ姿がしばらくは続くはずです。
生活のなかに季節感がるということの素晴らしさ。子どもたちにはこんな小さな約束事を通じて季節やルールを身に備えてもらいたいものです。


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■大分市街地にある母方の菩提寺「威徳寺」の中庭。剪定しすぎて今日はスカスカなことでした■

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■本堂前にある水かけのお地蔵さん。苔のむし方もサマになってきています。手水舎代わりにもなっているような■

そんなこんなの今年の秋分の日は雨が降り、お墓参り今日も小雨が降ったりやんだりになりました。小さい頃の春秋のお彼岸の思い出と言えばお墓参りとこんな雨模様の天気でした。ほぼ毎年のように降っていたこの日の雨だったような。だから両親が彼岸の入りになってすぐの休日あたりにお墓に行かねばと急いでいたようにも記憶しています。急ぐことなくお彼岸の明けの日にやっとお墓参りをした私は不届き者かもと反省していたのですが、まったく失念していた今日は叔母の20年目の祥月命日でした。思い出さされた、これも何かの暗示かも……、ちょっと身震いした記憶の再生になりました。叔母が逝った歳をあと2年で迎えるとは。ひたひたと近づいていることにも改めて驚いてしまっている私です。


若だんなが幼子であった秋のお彼岸の日。まだすべてに元気だった祖母と一緒に祖母の実家のお墓参りに行ったことがありました。祖母、若だんな、元嫁、そして私。今のオフクロさまよりいくらか若かった年齢であったはずの祖母。ひ孫と孫嫁との秋の一日がとても楽しかったようでした。もう30年近く前、昭和と平成の境くらいの秋の日でした。当時の今時分は近年の地球温暖化とは縁遠いくらいに順当に季節が巡り来てくれていました。だからもう肌寒くて、みんな薄手の長袖を身にはおっていました。
「今日はおばあちゃんがご馳走してあげるからYちゃんの食べたいものを何でも言いなさい」
「ぼく、ロースとんかつ食べたい!!」
まだ3歳になる前の子がロースとんかつを知っていて、事も無げに言えるとはと祖母の喜びを含んだ驚きの顔を今でも忘れられません。お墓参りを済ませてすぐに街なかのレストランに入っていきました。ひ孫との優しくて平和であった思い出も確かこの数年後に祖母が大病を得て、この日が終わりではなかったかと思います。
若だんなは幼い頃から周りの人たちを穏やかにさせる何かしらの力というか魅力を持った子でした。人を喜ばせることも特性です。人生の華の時を東京で長じてしまい、父親になった彼は今どのような世渡りをしていることやら。人々から好かれる、やはり華であってもらいたいものです。
そんな三つ子であった若だんなもしっかり父親に。祖母が存命であれば107才。大病を患うことなくひ孫の子ども、玄孫に会えたかどうだか。無理ですわね。祖母の代わりに83歳のオフクロさまには是非とも長寿をと願うことしきりです。


移り変わる季節の彩りや、その季節のなかにあるさまざまな催事を、親や祖父母や地域の人々から、そして京都や奈良などの歴史と古い街から教えられ体現させてもらっていた私。おかげ様で季節ごとの思い出がたくさんあることに感謝しています。気づけば、季節と思い出が上手いようにリンクしているんだなと改めて驚いています。佳い四季に恵まれ、佳い思い出にも出会えて有り難いことです。
そんな堅苦しい世界や、決まりごとや歴史や文化をとっぷりと好む私。今生で善行を重ねて次に生まれ変わったら、有職故実を満喫できるような職業に就きたいなと思ったりしています。
前世や輪廻というものがあるのであれば、その前世の積み重ねの記憶がいつか役立つ、その時の命の存在でありたいものです。彼岸と此岸をことのほか考えることのできるこの季節。動であった世界が静へと移ろう瞬間も感じつつ、自分自身との対話や見果てぬ先の先に思いを巡らせる貴重なお彼岸ウィークであるのかもしれません。



 

塩レモンつくってみた


大雨の台風16号でした。
眠りこけて気づかずに済んだ真夜中が最もひどい風雨だったので、恐怖心がなかったとは言え今回はオフクロさまの強制連行も功を奏した感じでした。
「私がこの家に来ると台風が来ない」、そんな勝手のいいジンクスをつくって安心していたオフクロさまも、今回ばかりは自然の摂理と気まぐれには敵わなかったようです。台風が完全に大分から去ったという天気図を見て留守宅が気になり始めたのでしょう。とっとと連れて帰れの連呼。風も雨も止んだ頃を見計らって連れ帰り、前日に閉めたばかりの雨戸を今度は開け放って、今回の台風が行ってしまった実感を味わいました。


気づかないうちに激しかったような大分の台風。それでも丑三つ時の3:16には大分市避難情報の緊急速報メールが、家じゅうの携帯電話に鳴ってびっくりしました。大地震の時の4月16日の7回と4月18日に一度あった緊急地震速報以来の心臓破りの音に「オーマイゴッド」でありました。地震の時とは違う音にも「何ごと??」と驚きました。何よりもその時間、我が家周辺はそう激しい雨や風ではなかったようなのでなお一層「何ごと??」でした。
一夜明けてテレビから流れてくる惨状に驚きました。宮崎に行く時に通っていた延岡の道や集落が水浸し。大分市も高台に建っていた家ががけ崩れで家土地もろとも下の民家を直撃していました。「今回もそんなに大したことないね」とタカをくくっていた身の程知らずさを、大分や宮崎、鹿児島の被害。そして進路になった東の街々の様子を見ながら悔いています。
この台風が温帯低気圧になって東京あたりにたどり着いた時刻くらいから東京の気温がグンと下がったとかで、電話の向こうの若さまが「寒いよ!!」と震えていました。これで一気に秋がやって来るのでしょうか。暑さ寒さも彼岸まで。季節の移り変わりのことわざ通りになるのかもしれません。
10月上旬まではまだまだ台風の季節です。やって来るたびに大きくなっていっているような近年の台風です。この季節が終わるまでまだまだ気が抜けません。


塩レモン
■ゴムパッキンの装着を忘れているのに気付いて、この後しっかりとモレのないようにとパッキンしました■

ずっと疲れが抜けきれない我ら男組。疲労の度合いが駄々深くなり、そして日にちが経つにつれ疲労が取れてくれるどころか溜まる一方の悪質。典型的な老いの証拠であるそうな。こんなのが蓄積していってもひとつも嬉しくなどありません。
そこで医食同源という言葉を思い出して、「そうだ!! クスリばかりに頼らずに良いものを口から摂取して復活を図ろうじゃありませぬか」と。
クエン酸やらリモネン(聞いたことないし!!)やらを聞き及び、以来ずっと気になっていた噂の塩レモン、レモンソルトをまずこしらえてみようではないかと相成りました。ややこしい効果よりも、肉や魚などさまざまを美味しくいただけるという魅力に惹き込まれていました。耳にしたあの日からおよそ一年、やっとその気になったというか、忘れていた塩レモンの記憶がこつ然と現れて今日の製作の日となりました。
アメリカ産の小玉のレモンよりも大ぶりのチリ産のレモンにしました。それを2個。煮沸していたガラスの密封容器にタテ8個のくし型に切ったレモンと、レモンの10%分の塩を交互に入れていきます。作業に要した時間はものの5分。それでおしまい。あとは数週間ほど寝かせておけば見事にうまみを引き出す発酵調味料に化けてOK。
自己流医食同源でこの鉛のような疲れが取れれば万々歳です。レモンと塩がこなれ合って熟成するまで、そして丸みのある塩レモンになるまで、姿は見えども味が分からぬジレンマに悶えながらのしばしの別れじゃ。



 

若人はいいなぁ


大分中学体育祭

昨日は中学校の体育祭の撮影に行ってきました。来るぞ来るぞと掛け声勇ましい台風16号の余波の少ない結構な体育祭日和でした。
若者の姿って見ていて気持ちが良いですね。無駄のない体つき、柔らかい体の動き、男の子も女の子も汚れなくハツラツとしていました。いいなぁ人生これからなんだ……。取り戻すことのできない自分のこれまでの歩みの無駄の多さと、不完全燃焼の多さに彼らを目の前にして一抹の哀しさを覚えてしまいました。落ち込んでしまう前に撮るものは撮ってしまい、挨拶せねばならない重鎮たちに挨拶を済ませ早々に引き揚げました。


体育祭なんて何年ぶりになることやろか。子どもたちの歓声、運動会と言ったほうがサマになるような懐かしい曲の混じったBGM、保護者たち観戦の人々のざわめき。そして照り返しの強いグラウンドのまぶしい日差し。そんなすべてが我が家ではもう遠い遠い過去の風景に変わってしまいました。
若さまが小学校を卒業するまで幼稚園の頃から毎年秋のやっさもっさでした。そういえば若だんなの中学時代もありました。ざっくりと計算してみたらかけ9年間も弁当作って運動会に通っていたんだなぁと。
父も観に来てくれていました。若さまが小1の初めての運動会の時にはオフクロさまも弁当をこしらえて家族総出の一日でした。昼食抜きの観戦にツヨシさんや印西市に越して行ったアメリカンの家族、親戚の息子が年替わりでやって来てくれたこともありました。それでも両親が年を取っていき、若だんなも大分を離れで、徐々に総出も縮小されてとうとう大王さまと私、そして元気だったまろ坊とだけの観戦と昼食が何年も続きました。
父子家庭であることをひとつも引け目に感じることなく元気に運動会を愉しんでいた若さま。実際のところ、やはり余所の家族にはお母さんがいるのにと寂しく思ったに違いありません。つらい思いをさせたなと、ご一統さま勢揃いの家族の団らん風景を見るにつけ心が痛んだことを思い出します。それももう遠い過去になりました。次はお孫、若ぎみの運動会や体育祭でしょうが、いかんせん遠い東京でのイベント。わざわざ遥々とと遠慮してくれて呼びがかかることやらですね。その季節になって遠近から聞こえてくる音楽や歓声で、遥か昔のこと遥か遠方のことを思いながら過ごすことになるようです。


やっと気温も30℃を下まわったようでと喜んでいたのもぬか喜び。ここ数日の暑かったことったら。優に30度を超えてしまっていました。
「いつまで暑いんだ!! こんちくしょうめ」と、沸々と腹立たしさが湧きました。怒ったらいっそう暑くなるからあきらめなと大王さまが言いますが、この暑さと果てのない夏のしつこさにやっぱり腹が立って仕方がありませんでした。
台風16号も「来るの?? 来ないの?? はっきりせんか!!」です。しかし今度こそどうやら来そうな気配ではあります。今までの台風騒ぎは予定は立たない、目論見も半端でイライラしっぱなしでした。どれもこれも意にならないことだらけが続いていましたが、訝しながらも今回はやんぱち自爆気味の気持ちで台風予報と秋雨前線の大雨の様子を注視しています。


NYのマンハッタンで爆発騒ぎがあって、まるであの9
.11の悪夢が頭をかすめるようなことになりました。聞いたことなる通りの名前がチェルシー通り。行ったことのない国ですが、どこかで見聞きした街の名や通りの名前がニュースで流れるたびに他人事ではないような思いがしています。
今日のNHKの正午のニュースでは現場からの中継でした。特派員のリポートとともに騒然とした街の様子や人々の様子が映し出されていました。またひどいことが起きてと目を凝らしてそのニュースを見ていたら、「まぁ、この人は!!」。他人の空似に間違いはありませんが、テレビの向こうにいる人は我が家の二階でパソコンと戯れている大王さまにそっくり。テレポーテーションというのですか、時空を超えて人が瞬間移動すること。この家にいるはずの大王さまが赤色灯がピカピカしているNYのストリートに飛んで行っているみたいなソックリさん。驚きました。確かに日本人離れしている顔の大王さまですが、肩幅の広い背格好や顔つきは我が家の人にそっくりなニューヨーカーさんでした。「似ちょるで。似ちょるで!!」と、ひとしきり大騒ぎした日曜日の午後になりました。しかし何のためにこんな騒ぎを起こすのでしょうか。暴力で物事を訴えたり解決したりなど正気の沙汰ではありませんね。本当に過激なことです。



 

回転ずしの皿か御坊の袈裟か


紺地にまばゆいばかりの金襴と神々しい鳳凰やらの図柄の
Eclectique  kaikai  Tajimi Japan。門司港で出会ったが百年目。我が家に連行して悦に入っていたこの皿を指して当家の尊大な大王さまが仰りました。
「回転ずしの皿みたい。まぁ二貫400円くらいの寿司がのっている皿の柄みたいなもんだね」
そちらの向きに目利きや興味のない人、センスのない人にはしょせん豚に真珠の猫に小判でしょうとも。しかし確かに真上から見た姿など、もう数年も足を運んでいない回転ずし屋のベルトコンベアをするすると運ばれている花形役者の派手派手みたいな皿ですわね。
「それとも、ほら、あのお坊さんが葬式の時に身にまとっている豪華絢爛な袈裟みたいでもあるし」

発想が豊かというか、森羅万象の良さを知らない一辺倒な美意識の持ち主というか。回転ずしの皿の次は坊さんの金糸銀糸の袈裟ときました。しかしこれもまた確かに言われてみると納得もできる大王さまの感想です。ということは、こんな物にしか似ていない代物をゲットして喜んでいる私の眼力っちゃこんなものであるということでしょうか。
古い物、新しい物、珍しい物との出会いから我が家に招き入れている数々の骨董類。それらを使ってお客人を喜ばせ驚かせて場を盛り上げたりしているのですが、そんな小道具は持ち主の偏愛の末の自己満足ってことでしょうか。興味のないご仁にはただのプラスチック製の安っぽい皿同様の蒐集に、血眼になっている私ということなのかもしれんなとふと思ったりしてしまっています。
大王さまのつれない見識にいささか自己嫌悪というか自信喪失気味になりかけている私です。美意識も価値観も人それぞれ、嫌味を言ったり押し付けぬことが最高の心づかいかもしれませんね。


多治見焼き大皿裏

ということでいささか視座を変えて汚名の仇をとらねばと、くだんの
Eclectique  kaikai  Tajimi Japanの角度を変えて撮ってみました。美しい顔に向かって河童橋にあるような安もんの皿だと、かような不評をもらってしまってあまりに不憫。写真も撮りよう。べっぴんさんもイケメンさんもベストアングルというのがありますしね。ちなみに人間の場合は左斜め45度がもっともビューティフルに写るらしゅうございますね。今度やってもらおっと。
金の脚が見えてまさしく高貴でありましょうというささやかなアピールと汚名挽回の再度の挑戦でありました。器に脚があるとどことなく恭しく感じ取れます。それはきっと皿を直に置くのではなく、脚という存在によって皿と置く面に不浄さや失礼のない空間をもたらすということでしょうか。確かに脚があることによって人は目線以上の高さに皿を捧げ持ち、神さま仏さまや貴人、目上の人にお供えしたり供したりする所作に変わっていくような。おのずと動きにも余裕が生まれますね。神饌やお供物、鏡餅をのせる白木製などの三宝の原理と同じかもしれません。


豊洲市場が見事に完成していてもう引っ越しまであとちょっとというところでボロの出っぱなし。そもそもあんなゴミ捨て場だったところに日本の台所をつくろうなんてことが意識のおかしさだったはず。まるで旧家の便所の上に最新のキッチンシステムを設置するような感覚に等しいではないですか。
ゴミの埋め立てでもう数十年。地盤だって問題なかろうからこんな遊んでるような場所に造りましょ。汚染されてるらしい土地だってごまかせば何とかなるでしょう。建設費が400億円以上も簡単にオーバーしても構わんでしょう。盛り土などする必要ないでしょう。バレたらしらばっくれればいいことだから。こんなことの積み重ね、大方どこのどなたが悪の権化か察しはつきますが。ひどいことです。
東北大震災であれだけ放射能汚染に日本中が神経をとがらせていたのに、東京の台所の汚染疑惑というか危惧などどこ吹く風でイケイケドンドンであったのでしょうね。人の命より利権まみれ、汚染まみれ。人の業の激しさを見る思いがしています。しかし人の口に入るものを扱う場所の地下でこんなことが起きそうなことが分かっていても平気だったのでしょうか。人の命よりも銭儲けの政治家の本性見たりです。都民はおろか日本中を欺くようなことをするこんな食の安全無視の都議会議員なんて、次の選挙で総崩れのオール落選にすべきでしょ。小池さんが頑張って一掃してくれなきゃ困ります。
和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたというのに、これでは日本の食の価値が半減どころか和食と優れた食材たちへの冒とくです。営々とその土地土地に根付いて発達していった郷土食を起源とした和食。こんなことでは人々から愛された和食や日本のすべての食が泣いて悲しみますよ。
幻滅するなぁ、東京の都議会の議員たちと東京都の幹部やら担当の職員。日本の実も虚もだめにする人たちが身近で跋扈している。まさしく金と権力の亡者が居並ぶ豊洲市場、恐ろしいトーキョーマルシェですわ。



 

出会いもの


ゲットしたグッドなおブツたちのお披露目を致しやしょう。

桜もよう蒔絵お膳
桜もよう蒔絵お膳三客。
遠山の金さんに進呈したいくらいの見事な枝垂れ桜の図です。残念なことに店先にあったのはこの客だけでした。蒔絵の桜と漆の黒のコントラストは夜に咲いて、漆黒の闇に桜ともども見る者も引きずり込まれるような妖艶な図柄にもなっていて素敵です。とっても軽くてちょっと心もとなげではあります。三客では大勢のお客人を招いた時に絢爛とした大役が果たせませんがそれはそれ。他に眠っている我が家の先輩お膳たちとのコラボも面白いかもしれません。

 
菱形なます皿
やっぱりどこのか分かりませんが(たぶん伊万里でしょうが)古めかしい菱形なます皿六客。
こちらの図柄は三枚が扇と根引きの松に旭日。もう三枚が松に旭日でしょうか。使い込まれていて金が薄くなってしまっています。きっとおめでたい席で使っていたのでしょうね。自宅での婚礼の宴やお祭りの席、そして新年のお祝いの膳になどのはずです。目を閉じるとこの器が歩んできた歴史と、経てきた人々の手のぬくもりや生活の匂いが伝わってくるような思いがします。この器には無機質感がないんです。だからでしょうか。妙に惹かれて買ってしまいました。


ガラス蓋物
そしてガラスの小物入れ。
これはもうほんのお遊び程度のおブツかと。梅干しでも入れて張りのあるガラス肌と、しわしわの梅干し肌の対比などを見て愉しむことにします。

 
多治見焼き大皿
骨董品ではありませんがEclectique kaikai Tajimi Japanを見つけたのでこれもゲットしました。
裏には金の彩色を施した足が三脚付いています。派手な金襴をふんだんに使っています。たぶん結婚式か何かの引き出物の流れではないかと見て取りました。如何にも日本の神様が喜びそうな瑞華や鳳凰など高貴っぽい図柄の大皿。我の家でのあしらいに苦慮しそうです。ちょっと気難しい大皿かもしれません。しかしこの大皿の霊験を信じて、いずれ我が家にも瑞祥が現れぬかと皿を撫で回しながら心待ちにもしそうです。
門司で偶然行きあわせた骨董市。そして胃痛も暑さも忘れて見つけ出した先日の戦利品でした。
そうそう、神々しい大皿の後ろに控えし茄子紺無地の大皿。これも戦利品のお仲間でした。たぶん美濃焼ではなかろうかとひとり目利きしています。なぜならばこの色と同じ色の美濃焼の銘々皿が我が家にあるからです。この大皿がもしかして同郷の美濃焼であれば偶然の兄弟再会にもなる善き仲介役の私です。ふたつの器がさまざまな変遷を経たのちに引き合わせた今回の私のお役目があっぱれであるならば、骨董の代名詞のような『ものの哀れ』の、そこから派生されたという『あっぱれ』という言葉どおりかもしれません。そのふたつの言葉のルーツを自ら体験しているような「出会いもの」の面白感を持ってしまっています。


明日から若さま宅に4泊5日で滞在する大分の友人。青春期や受験期を共にした彼らもまた「出会いもの」。ちょうどの時に秋雨前線に加えて台風16号が怪しげな進路になっています。今度は来るのでしょうか。東京の思い出をたくさんつくってもらえればよいのですが。
羹に懲りて膾を吹くとはこんな滑稽な姿なのねと……、台風がやって来るぞぉぉぉと、準備に大おわらしながら窺わされてばかりがもう何年続いていることやら。今回はどうでしょうか。「またやられた!!」と、膾を吹いてもよいなます皿も買っていますし、災害の多い今年ゆえなるべくならば日本に影響の少ない台風であってもらいたいものですしね。災害を連れて来る台風など肩透かし、大いに結構です。
早速オフクロさまからは先週末に開け放したばかりの、今度は雨戸閉めの電話もありでやれやれです。年寄りはギリギリまで様子を見るということが苦手のようで、いつも早くから準備万端しては素通りされて苦笑いであります。
そんななかでの若さまのご学友の上京と滞在。雨だ台風だと大変な孫への心配とともに「台風に遭わなければいいんだけどね」と、その友人の行き来の心配にまで忙しいオフクロさまのここのところです。台風対策も私に任せ自分に心配事がない分、よそ様の身の上を案じるという洵に結構な余裕なのでしょうか。穏やかな老後です。



 

門司に行てまいりました


「焼きカレー。食べたくない??」
若さまから今年の年末年始の帰省は無しとのつれないお言葉を頂戴したお父さんは、朝食を摂りながら大王さまにせがんで何かしらの気休めをしたくなりました。そこでずっと前から一度はと望んでいた焼きカレーを食するという目的を早速、間髪を置くことなく、すぐさま定め一気に実行へと移しました。
ちなみに若さまはどうやら12月25日は友だちと寄ってたかってクリスマスパーティーとか。そして1月4日にはさっそく大学の研究室で抜けるに抜けられない大きな研究があるとか。必然的に短期間大分に帰っても、いくら時は正月とは言えもったいないんじゃないかと。それに若さまが希望する日のエアチケットなどセレブじゃないと乗れまへんみたいな高額。高飛車がまかり通る書き入れ時のドンピシャ時期なんですから仕方ありませんね。
「そうかぁ」と、若さま帰省の断念通告をおめおめと飲んでしまった父でありました。煮え湯を飲む……、ではなくて青汁のような苦汁を飲む苦しみと言うのでしょうか。


そんなことで焼きカレー。ならば発祥の地である門司港レトロがよかろうということに。家を出たのが9:13で高速道路をぶっ飛ばして門司港に着いたのが10:55でした。少し秋がかった高い空、大分から北九州までの高速道路も全線開通しているもんだから快適快適、超快適な道中でありました。
門司に着くまで車中で焼きカレーの美味しい店をリサーチしてくれていた大王さまのおかげで、到着してすぐさま美味しいと評判の門司港M‘scafeに突入しました。美人のお姉さんふたりが切り盛りしているこぢんまりとしたお店。港と街並みのロケーションに相まっててここも快適快適、超快適気分でした。
横浜好きの大王さまは、門司港のここの風景や異国情緒の空気感がいたくお気に召しておいでるようで「好きだ。好きだ」の連呼でありました。真昼間にロマンチックなストリートで好きだよなんて……、言われてみたいもんだわと何故だかモジモジするよな気持ちになる私。門司で見当はずれの言葉にモジモジなんてよっぽど愛に飢えているんでしょうね。かわいそうに。


焼きカレー
■きっといつかはと念じていたものが実物となって目の前に鎮座し、さてやっつけようぞの喜びに震えました■

大王さまはシーフード焼きカレー。私は老眼でよくメニューの文字が見えなくて、オーソドックスな焼きカレーというのにしました。野菜のもあったし、昔ながらのっていうのもあったのにかすみ目で損をしてしまいました。
皿もカレールーもすべて熱々。カレーのグラタン版と言えば説明も一気に解決ですね。オーブンで丸ごとを焼いているだけあって、普通のカレーライスのよりも濃厚な香りが熱とともに立っては私たちの鼻孔やら胃袋やらを襲ってくれました。
ルーをお品よくスプーンにのせてまずは味見。
「おぉ美味し!!」
次は下のご飯と少し混ぜて口に運ぶたびに熱い熱いの連呼のなかで、
「間違いなく美味し!!!」
半分くらいそんな食べ方を堪能したあとは乗っかっている玉子からルーからご飯から、まるで石焼ビビンバをやっつけるような作法ですべてをグッチャグチャに混ぜて、混然一体となった焼きカレーの真骨頂をいただきました。
「やっぱ、うまッ、美味しッ!!!!」 
最初のひとスプーン、ひと口のお上品さなど目の前に広がる門司港の波間に投げ捨てたかのような忘我と豪快な食いっぷりで口中のヤケドもなくめでたく完食の運びとなりました。
ただし、ほどなくして胸やけがはじまり、その痛みに苦しんでおりましたら「ガツガツ食べたからでしょ」と。美味しいから、口当たりがいいからと、昔みたいに健啖ぶりを発揮するなど年を考えなさいってか!? のようです。


門司港レトロ
■「こんな所に住みたい!!」、「バカお言いでないよ!!」■

胃もシクシクするし車を停めている駐車場だって1時間駐車まであと30分以上もあるしで、レトロなウォーターフロントの街を歩きましょうぜと相成りました。
道行く観光客もお上品。大陸からのゴキブリ人種の姿などまったく見かけません。静かに時が過ぎていく安心感と、心がほどけていく解放感。時折日本のお子たちの歓声が聞こえてきたリ、出船入船のさまざまな音が聞こえてきたリで、わずか1時間半足らずの運転の先でこんなにも別世界が与えられるとはと大喜びしました。さらにお徒歩を進めていくとテントが幾張りも。何やらのイベントを開催しているようですが、どうも私の五感が疼きうごめくただならぬオーラがそこから漂っていました。揺らめくノボリの動きが止まるのを瞬時に見届けた私。こういう時だけ動体視力がよみがえるんです。

骨董市
■ここで会ったがひゃ、百年目。「僕ってよっぽど骨董に恵まれているのね」なんちゃって■

「おぉ!!! 骨董市!!! 骨董市をしよるで!!!」
胃の痛いの、そばを歩いていた大王さまのこと、何もかも一瞬にして忘れることができてテント村へと猪突猛進でありました。大分の護國神社で行われている骨董市のとは趣の異なるさまざまが出品されていました。まずは一巡して、さらに二巡し始めたころからめぼしい物を物色。そして色目と欲目を置いてきたいくつかのテントをもう一度行き来してゲットの運びに。
ゲットしたおブツは桜模様の蒔絵お膳三客。どこのか分かりませんが古めかしい菱形なます皿6客。そしてガラスの小物入れ。さらに骨董品ではありませんが、Eclectique kaikai Tajimi Japanの、如何にも神様が喜びそうな紫色を基調にして金襴の鳳凰などがデザインされている高貴っぽい大皿。成果報告の写真は後日に。


旧三井倶楽部
■旧三井倶楽部■

旧大阪商船
■旧大阪商船■

旧門司税関
■旧門司税関■

北九州市立国際友好図書館
■北九市立国際友好図書館■


猿まわし
■猿まわし。ひとり芝居ならぬ一匹芝居の猿芝居がなんだか寂しくて。無理におどける自分の人生を見る思いもしました■


そんなこんなのプチドライブでした。片道わずか1時間半、距離にして往復270kmあまりでこんなにも気分転換できるなんてと、お調子こいてるふたりの男は「また行こうね」と似非ラブラブ模様であります。こんなことにだけ盛り上がるんだからぁぁぁ。胃の痛みもすっかり消えて気分も復旧。この勢いで仕事せねばの今週です。
若さまの年末年始帰省お流れの綸旨にもちろん寂しさを感じてはいますが、引きこもりやらオタクやらにならず健全に日々を過ごしている証拠が帰省無しにも繋がっていっていると思えば、親として有難いことなのだと思い直しています。
さてそうなると今年の年末年始はオフクロさま、大王さま、私の、瑞鳥宜しく三羽の鳥が揃ってめでたく酉年を迎えるという慶事になりそうです。家に同じ干支が3人というのは洵にめでたく家栄えると古来より申しますし。
年代の違う年男年女が手狭ながらも一堂に会して新しい年を迎えるとは珍しいことかもしれません。それもオフクロさまの健康あってのこと。大王さまの忍耐あってのこと。そう思いながら桜絵の蒔絵お膳がさっそく役に立ちそうな正月になるようです。



 

県境に行てきた


北浦
■宮崎県の北の端、北浦。大分の海とは趣の違う慈悲の心があるような広い景色でした■

はまぼう
■浜栲(はまごう)の花。桐の花のような紫色のかたちをした花が砂浜一面に咲いていました■

少しだけ涼しい風が吹くから。それに心が通わぬ人とのかかわりの鬱陶しさに気持ちを変えたいしと先日、ほんの思い付きで大分と宮崎の県境にある北浦と延岡市に行ってきました。
北浦は大きな海と広い空、そしてまばゆいばかりの白い砂浜と、そして背後の青々とした山の連なり。まさしく白砂青松、横山大観の絵画の世界みたい。いやいやそのまぶしさはまるで沖縄の海岸みたいでした。
ここは製塩でも有名で今回は塩買いにも精を出しました。料理のアクセントに我が家では臨機応変、全国のやらヒマラヤのやらの塩を使っています。使うというよりも出来上がった料理に降りかけているという具合でしょうか。それは沖縄のミネラル世界一のぬちまーす、宮古島のサラサラパウダーの雪塩、山形の藻塩、どれもこれも気分と料理次第で役割を変えています。ひとつまみorひとふりの塩で格段と引き立つ料理にもってこいの彼ら彼女らは稀代の名脇役になります。塩にも個性さまざま、生まれ在所によりけりですね。たまに心身のお清めがてらに体じゅうにふりかけてリフレッシュしたくなる時もありますが。


晩夏のような北浦の浜辺にはまだ学齢に達していないようなお子連れのグループが一団。若いお母さんたちと小さな子どもたちの光景は、夏休みに独占していたであろう若者のいなくなった静かな海にぴったりでした。小さな笑い声、優しい声、そしてそれらを包み込むような穏やかな波打ち際の音。心が落ち着いていくような良い気分になれました。晩夏初秋の波打ち際の穏やかに心がまったりとしました。あそぶ、ぶらぶらすることを游とも言いますが、しんにょうの遊よりもさんずいの游にこそ水辺が似合うなぁなどと思ったものでした。
海岸と目と鼻の先にある道の駅北浦で『月の塩』を贖い、これにてひとつの目的が滞りなく達せられた思いがしました。さてここから無料区間の東九州自動車道に乗ってさらに南下して延岡市へ。

延岡:再来軒
■素朴な姿ながらも中身は抜群!! ちょっと出てすぐに潰れていく人気オンリーの最近のラーメン店とはクオリティーが違います■

延岡に是非ともと言ってきかなかった大王さまの目的は延岡市にある『再来軒』のラーメン。この店には昨年、帰省中だった若さまを連れて初めてやって来ましたが、以来大王さまは延岡に行って再来軒再来軒とうるさく言っておりました。
「再来軒ね。何度も行きたくなるのは名前だけでじゃなくて、あそこの美味いラーメンの味に引き寄せられるってことよね。行こうじゃないかい。寄ろうじゃないかい」
こんな話になると日頃のわだかまりたくさんの男ふたりでも即決になります。先月若さまと行ってとっても落胆させられた別府ラーメンのリベンジ!! も加担して。
昼をちょっと過ぎたというのに次から次にご入店のお客人たち。サラリーマンあり、ご近所のご老人あり。活況ですね。定番のとんこつラーメンをお願いしました。程なくして運ばれてきた見目麗しい一杯のラーメン。麺はいささか太め。スープは飽きのこないとんこつ。叉焼は自家製で薄くスライスしたものとは別にこま切れがひとつまみ。きっとスライスした叉焼の切れ端でしょうが嫌味ではないのが心地よかったりして。味は大王さまがわざわざ100km以上もすっ飛ばしてでも食べたがるだけあって美味し!! そのひと言で完結です。別府の新参ラーメンなど足元にも及ばない老舗の堂々たる風格ある味です。なんだか安心して食べに行ける良い店です。


思い切ってドライブがてら行く行動力もそろそろ限界かもしれません。突発的、衝動的、気まぐれ。そんなワクワクするような旅の醍醐味も若きゃなきゃできない芸当なんだなと最近はつくづく感じはじめています。おかげ様にてひと回りも若い大王さまに引きずられて、何とかかんとか付き従ってはおりますが帰宅早々にげっそりと寝込む始末で(笑) ゆるゆると行きましょうか……。そんな旅へと様変わりするのも間近かもしれません。
それにつけても大分と宮崎の県境の素晴らしさに改めて感動できた半日でした。ゆく夏を惜しむ。惜しむほど心に染まった素敵な夏ではありませんでしたし、何よりもひどい暑さの夏でしたからやっと30℃を下回りはじめた昨日今日に安心しながら今年の夏にせいせいしています。
いろいろな場所でいろいろな災難の多かった夏でしたが、これから訪れる秋がどうか穏やかで、そしてそれぞれの人々の上に冴えも彩りもある季節であるようにと願っています。



 

来ませぬ


菊
■記事を書けども写真忘れ(テヘ!!) 去年の護國神社の菊花展のものですが今日重陽の節句■


前回の台風12号も今回の13号も来ませなんだでありました。雨なし大分にとっては雨は欲しいけれど、大雨の災いはご免蒙りたいの複雑な思いであります。どっちつかずの幸か不幸かでありましょうか。それにつけても岩手県をはじめ北海道の雨災害にはお見舞いの言葉すら失いそうなくらいの惨状です。梅雨や台風などとは無縁であるとずっと信じていた北海道があまりにひどい景色に激変してしまって驚きの連続です。
稚内には大王さま続きの80歳になるおばさんが暮らしています。去年の秋田の結婚式にも出席していて、私の隣の席だったので新郎新婦の華燭の典のお祝いそっちのけで、北と南の人間の久々の再会に大いに盛り上がったものでした。
ここ数日というもの稚内市の豪雨と鉄砲水のような濁流が街にある水路が見えなくなるくらいの勢いと量で暴れまくる映像ばかりがテレビから流れていました。稚内のおばさんの故郷はさらに北にある礼文島。この島もまた大変な雨量で島の人々の驚きようがテレビで幾度となく。一昨日はとうとう思い余って稚内に電話をしました。
「80歳になるけれどこんな大雨なんて初めて。こわくてね。ご近所さんがひとり暮らしの私を心配してくれて家においでって言ってくれるんだけど、外に出るのも恐ろしいくらいの雨なのよ」
本当であれば秋の入り口の、北海道にとっては素敵な季節のはずなのに、よいことを根こそぎ剥いで持ち去るような雨のようです。それでもこのおばさんは我が家のオフクロさまの身を案じてくれていました。大分に遊びに来てくれたのが12年前。おばさんもオフクロさまも70歳前後の元気なシルバーエイジでしたのに……。あれ以来ふたりは会ってはいませんが、こうやって心にかけてくれる優しさにはつくづく感謝しています。


心づかいって嬉しいものですね。8月に走りのカボスを東京の友人に送りました。もちろん、届きましたとお礼の電話をすぐにもらいましたが、先日はご実家の母上にそのおすそ分けをしてくださったとかで、母上のお礼の言葉を伝えにわざわざ新たな電話をくれました。こんな行き届いた心づかいって本当に嬉しくなります。そんなに母上が喜ばれたのであれば、何やら九州の物を見繕って届けたいと心が浮き立つ思いがしているところです。そんな優しさに気づかされたのが静岡の友人から送られてきた「しらす」のお返し。今日さっそく竹田のカボスを送りました。
折々の気持ちを込めた物を送ることから始まって心の往復が重なっていく。やり取りってそういうことなのですね。


言葉や心の足りない人が増えました。親しき仲にも礼儀があって良いものを、最近はお付き合いが深くなると態度も心も雑になる人がグンと増えました。近頃、ごく親しい人とそんな話の共通が見つかり驚いているところです。
懇意になればなるほど相手を敬わねばならないのにと、人扱いを軽々しく始めたらしいそんな人を見てはそう思っています。付き合いが深くなると相手をさまざまに慮ることもあろうに逆に素っ気ない態度をとっていく、付き合いが煩わしいということなのかもしれません。そこまで相手のことを考えたり、したりせねばならないことなのかという気持ちが有り有りの横着ぶりのよい態度の人もいると聞きました。
「最初と違うやないか!!」、そんな思いをさせられる人の本性を知るたびに心が寂しくなってきています。そんな人にはもう二度と親身になりたくないし、ましてや物事を慇懃に頼みもできません。縁が切れていくなぁとしみじみ感じる、これが緒の思いなのかもしれません。「心が来ませぬ」、仕方のないことです。本当に縁がなかった人なのかもしれません。話しをした人との答えは、「してやったのに」という気持ちを持たないことだね。一致しました。そして去る者追わずくらいの泰然とした気持ちであらねばねと。
夏目漱石の『草枕』の冒頭にある「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」。座右の言葉にせねばならないくらいに荒み始めた人間関係のこの世と自分自身の年齢なのかもしれません。


今日はこの気候に似ても似つかない重陽の節句。菊の花を愛で、香りを真綿に含ませて邪気を払ったり、酒に花を浮かべて典雅を愉しむ。今日のような暑さのなかではとてもじゃないけれど愛でる気分には到底(笑) 菊どころかヒマワリが似合いそうです。これもまた菊薫る季節には遠く及ばぬ異常気象ですね。「秋が来ませぬ」でありますね。
今年は10月9日が旧暦の9月9日。ちょうどひと月後、まだ少し汗ばむかもしれませんが、今よりかは佳いお祭になるかもしれませんね。



 

今度はこっち


今度はこちらに来ることほぼ確定のような新生台風。とは言うものの台風はそもそも西日本に上陸して勢力を弱めながら北上していくのが常。8月にあった今年の台風の生まれ方もコースも邪道中の邪道でありました。だからあんなにひどい被害が出て。今度の台風12号は秋の台風の典型的コースを取るようです。しかしながら熊本地震の復旧もまだ途中、今こんな台風に来られたら2次や3次の被害拡大につながらねばよいがと案じています。太平洋の海水をひっかきまわして日本の順当な秋の訪れを誘うのが台風の役目であるともされていますが、今年に限ってはとにもかくにも要らぬ台風であります。

今年の台風は日本の近海で生まれてよその国に行くことなく本邦にやって来ているようです。沖縄の近くにある尖閣諸島あたりの海域で我が物顔をしているあの国の傍若無人すぎる船団にでも向かって行って、襲来してきた蒙古軍を撃退させたような神風にでもなってくれればよいのですが。一網打尽、なんて気持ちのよい言葉でしょうか。
少雨であった今年の夏の挽回くらいで済めばよい台風12号。明日明後日はこの台風に備えて過ごさねばならないようです。
明日は朝から実家に行って四方の雨戸を閉め回し、ご本尊様であるオフクロさまの我が家への動座も勧めねばなりません。我が家に避難のオフクロさま。そうなると避難中のお食事のお世話のことも考えねばと、賑わしい台風同様ににわかに忙しくなってきます。若さまのおさんどんの次は……、休む暇なしということですね。83才おひとりさま暮らしゆえ、せっかくだから美味いものを食べさせてやりたいと思う気持ちは21歳の若さまへ向けるのと同じです。何だかそう考えてみると子離れも親離れもできていない立場の人間に見えないでもないなとひとり苦笑いしています。家族や家の中間の位置に立つ者のこれは宿命でしょうか。


東京へと帰って行ったその若さま。一昨日は移動やら片付けやらでお疲れの初日であったようです。家を留守にする。それも真夏に無人にしたあとの大変さを痛感したようです。蒸し返るような部屋の暑さ。洗濯し忘れたTシャツ類からのニオイ。すべてを元に戻すのに随分と時間を費やしたとかで、一人暮らしのほうが気が楽だと言っていた言霊の洗礼が一思いに襲ってきたようです。
「洗濯し忘れていたのでニオイが消えるまで3回も洗い直しました。お父さんから教えてもらったワイドハイターEXパワーも買って頑張って洗ったよ」
「ニオイが落ちなかったら仕方がないとあきらめて捨てることですな。間違っても他のと一緒に洗わないこと。全部に汗臭いのが移るからね。どうよ。お父さんの家事っぷりに今さら敬服でしょ」
「そうだね。お父さん、十何年も毎日よくやってるよ」
「さもあろう。さもあろう。感謝しちくりいだわ」
何事も経験が一番。更にしくじってこそ色々と学習するってことですね。ケガをしない程度の失敗も後悔も、若いうちならなんぼでも修復可能ですもんね。


子離れといえば高畑淳子さん。随分と憔悴して親なればこその心痛の表れであると思っています。謝罪会見で無礼千万な質問を浴びせかけた記者のことを人間として恥ずかしくないのかという思いは今でも変わりません。
バカ息子をかばう母のつらさ、人目にさらされながらも役者としての公人として様々にひどい思いを更にせねばならないことはどれだけ気持ちが折れることかと。
でもここ数日ふと思うのです。高畑さん、今でも息子をかばい過ぎではと。強姦などしでかす男に育てたのは溺愛しすぎた結果ではないかと。先日の謝罪会見を思い出すと何だかちょっとだけ不自然だなぁと感じてしまっているのですが。

親子の絆や情愛は他人には計りかねるものですが、世間をこれだけ騒がせさまざまに多大過ぎる迷惑をかけた男とその親の有り方がどうも分からなくなってきています。こんなことをしてと叱責し、ひっぱたくくらいの強い気持ちが見えないのです。
『「でも、私はどんなことがあってもお母さんだから」って、「姉はどんなことがあっても、裕太のお姉ちゃんだから」って』。面会の時にそう息子に告げたそうです。
早くに母子家庭になってしまったゆえの不憫な子どもへの遠慮でしょうか。お姉ちゃんと父親が違うゆえの気遣いでしょうか。家族の結束を伝える言葉だったのでしょうか。であれば考え違いです。人間として恥ずべき行為をしたのですから、「お前なんか死んでしまえ」と言ってもおかしくないはずなのに。
かばっている。母の愛は分かりますが、先の会見でのいくつかの言葉はどうも世間に向かって発するものではないようにも思っています。
大好きな女優さんだけに、あの人の得意とする演技みたいに威勢の良さやキレの良い人であってもらいたいと思うのです。



 

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