おやじ歳時記

なんだかんだでもうすぐお陰様の10年。

夏至の日に再びキュウリが襲ってきたぁぁの巻!!

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■長いの短いの。まっすぐなの曲がったの。より取り見取りのきゅうり尽くし■

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■これが最後の工程。もう一度沸騰させて煮しめたようなキュウリと昆布などを入れて冷まします■

カッパ
屋敷にキュウリの荷が二日続けて届きました。
日出の方からタマゴを頂いた翌朝、つまり今朝。深夜にあった地震の様子伺いも込めてお礼の電話をしました。
「いっぱいのキュウリで芸がありませんが家庭菜園でできたがコンテナふたつに。今朝もまたひと山ほど獲れました。今年はどうしたことかと主人やご近所さんと不思議がっております」
どんな畑やろ??
「それで今日も大分に行きますのでまたお預けしておきます。受け取ってください。キュウリをベーコンや豚肉で巻いてフライにすると変わった味になって面白いですよ」
断る理由もなくてほないただきますと。でもキュウリばっかりどうすればよいことやら。
そんな電話から2時間後。大王さまと所用で市内中心街へ。心地よく大通りを走っておりましたら路駐可能なスペースに高齢者マークのステッカーを貼った車が今まさに停まり、その助手席から見慣れたおばちゃんが降りてきておりました。
「あっ!!」
っ!!」
「嘘やろ。こんな場所に、なぜに居て、なぜに今会えるの??」
「まさか!! 兄さん、信じられないこともあるもんだね」
そうなんです。今日もまたキュウリをくださると数時間前に言ってくださっていた日出のおばちゃん、そのご本人!! 驚きました。いくら大分が田舎だと言っても大分市の人口は50万人近くです。すぐに車を左に寄せて……。
「ども!! 僕でぇぇぇす」
「あらまっ!! お父さん!! Mさんとお兄ちゃんよ。こんなところで」
警察官だった日頃はとんと寡黙な84歳お父さんも相好を崩しながら近寄ってくれ感心していました。
「こんなところでねぇ。不思議だねぇ」
「はい、まさかこんな場所で本当にびっくりです。昨日はたくさんをありがとうございました。それに今朝は電話で失礼しました」
必然的に流れはキュウリ。預けておくからと言っていたキュウリをその場でいただくシーンの展開になりました。これがまた大量なキュウリで。前日から仕込んでいるきゅうちゃん漬けでいくらか数も落ち着いたはずなのに、その数倍もの数がビニール袋いっぱいに。今度はトマトまで付けてくださって。まさしくカッパの許に大量のキュウリの来になりました。テーブルの上はまるで選果場の雰囲気です。


午後から撮影の仕事をして、心臓の検査結果と病状の度合いを聞きに行き、家に帰ってご近所さんにおすそ分けにとキュウリの仕分けをしました。
お庭でキュウリを作っているお宅にも……、この際思い切っておすそ分け。五つのお宅分。こんな珍しいいただき方の奇跡に感謝の思いの分配も込めてです。善きことはなるべく多くの人に、何やらのご利益という気持ちを添えて分かち合いたいですね。
お子がいるお宅には多めに、ご夫婦だけのお宅にはそれなりに忖度した数を。それでもまだまだ一向に減る様子に見えないほど、元々の数の多さと日出の方の気前の良さにビックリで
底をつく様子がないなんて、これがおカネであったならば、なんて素敵なことだろう。そんな俗人っぽいことを思いながら一本ごと丸かじりしている我々です。
「兄さん。キュウリは体のむくみに効果があるんだからいっぱい食べなきゃ!!」
「なんかさぁ、そのうち体から青っぽいニオイが漂ってきたりして。あと、誰かあげる人おらんかね」
「もういいよ。心を込めてくれたんだからしっかり最後まで有難く食べようよ。レシピ見つけて手を変え品を変えて頑張って!!」
「へい。そうしやす」


ちなみに我が家自家製になったきゅうちゃん。醤油が濃いのでしょうか。
お煮しめの椎茸の傘のようにほぼ真っ黒けのきゅうちゃんが出来上がりました。
「塩分控えめにせにゃならんカラダなのに。これじゃ市販のきゅうちゃんに似ても似つきませんなぁ」
「色は濃いけど味はまぁまぁなんじゃない?? 手間かけた分、何とかして食べればいいじゃない」
見た目の色黒と違ってお味はまぁまぁイケています。やはり九州の醤油はお江戸の「紫」とはずいぶん違うシロモノなんだなと、料理家のレシピ通りにこしらえるこんな時につくづく感じます。それでショウガと昆布が、醬油のとがった味を丸く穏やかに収めてくれたのかもしれません。落ち着きつつある我が家お初のきゅうちゃんです。


何だか非常に不愉快で腹の立つニュースが。豊田真由子って国会議員の、秘書に向けた
大和撫子そっちのけ、まるでお隣の国のヒステリー国民みたいな暴行と暴言のやりたい放題の肉声テープ。日本の政治家って男も女もオレ様の、所詮低俗でこんなもんばかりでしょうか。
東大出身?? バカ丸出し。こんな品性のない人間が日本の国会議員だなんて日本の恥の何ものでもありません。自民党を離党したらしいらしいですが、仮病で入院している病院から引きずり出して国会議員を辞めさせてやれ!! そう思います。しかし、こんな人間に育てた親も親ですね。
何様のつもりか分からないくらいにひどい言葉を吐いているのを聞きましたが、胸が悪くなるくらいに下品で高飛車で……。こんなのを選んだ有権者はこんなのを息もつかせぬ速さで引きずり下ろす責任があるんじゃないでしょうか。


おジャカラさん植替え完了。きゅうちゃん初体験。

ジャカランダ
■とっとと植え替えた朝。雨の気配など一切なくて……、それが昼からやっぱりの大雨!!■

今日は午後になったらいよいよ雨が降ると朝早くから天気予報が大騒ぎしておりました。
「しからばッッ!!」
今日生まれた朝日がまだ美しく光り輝いていた朝7時前。宮崎県日南市からやって来たジャカランダの鉢の植替え作業をしました。
買った時のポットよりも少し大きめの植木鉢が新たな住処。そんなお鉢は我が家の庭の隅っこにはなんぼでもゴロゴロしております。植替え用に買ったもの、鉢植え植物をもらったもの。いつの間にやらたいそうな数が空き家状態になっております。そんなより取り見取りのなかでちょうどオリエンタルっぽいのがあったのでそのお鉢に決定!! 来年はまたもう一回り大きいお鉢に引っ越しです。そうやって木の大きさに満足するまで、毎年徐々に大きなお鉢へとステップアップを重ねていけばよいそうです。
土は昨日ナフコで買っておいたので準備はおさおさ怠りなく済んでおりました。


朝日って気持ちがいいですね。それも今日中に必ず雨が降ると知っている五感にはなんとも言い難い爽やかさというか清らかさが染み入ってくる思いです。
緩急性の肥料もまいて、ものの10分で移植は完了。ささやかな作業でしたが達成感はじゅうぶんでした。


朝食を済ませて打合せに。そのついでに先週から大王さまが言い募って仕方ない横浜中華街展が催されているトキハへ。今日が最終日だというのになっかなかあきらめないご仁です。そりゃそうかもしれません。青春時代の懐かしい
YOKOHAMA、それも港近辺がことのほか大好きな人なのですから。
お目当ての品物はネットチラシでとっくにリサーチ済み。
「兄さん。わざわざ車を駐車場に入れなくていいよ。僕がひとっ走り8階まで行って買ってくるから、どこか車の停めやすい場所で路駐してて」
段取りやら指令やら行き届いていること!! 
久々にデパ地下など愉しみましょうと思っていましたが、中華品ゲットが終わると早く帰りたがるご仁を横に、鷹揚にデパ地下遊びなど、いつ導火線に火が点くか気が気ではなくなります。路駐で待機せよ命令をすんなり受け入れてしまいました。
手持ち無沙汰になるのかなぁなんて思っていた矢先にクライアントから電話が。
「Mさん。請求書いただいたのですが値引きの文字が根っこの根引きになっていましたが」
「なんと!! ここ数年請求書に値引きなど記していないのでいつぞや使った京都の根引き松がそのまんまだったようで。後日改めて持っていきます」
「いやぁぁぁ。久々に事務室の面々と大笑いさせてもらいました。こんなの大好きです。もしかしたらウケ狙いのわざとだったりして……とか??」


そんな退屈しのぎになるような電話もあったり、街歩きする人たちの人間ウォッチしたり、しばらく愉しんでやりましょうと車のシートに下半身をベストポジションに収めた途端。気の急く大王さま、わずか10分経つか経たないかで戻ってきました。手にはお目当てのお品がたんまり。
「これで満足満足。どう、速かったでしょ」
「8階まで上がってもう降りてきたん?? よかったね。しっかりと買えて。真っ黒な雲が南からこっちを窺ってるし。さぁ、雨が降る前に家に帰ろうかね」
お宝箱のようなデパ地下で散財せずに済みましたが、なんとなく寂しいというか、心が虚ろになっていくというか、雨雲にも急き立てられて妙な気分のまま引き下がっていった午前中でした。


午後、今度は違うクライアントから電話が。仕事なら嬉しいのにまったく違った家庭的な内容でした。
「あのですね。日出町の方からMさんに渡してくださいと、ひと箱分のタマゴと自家農園でとれたと言っていたキュウリを預かっているんですが」
「さっきはトキハまで付き合ったんだから今度はあんたが付き合って。さぁ、タマゴとキュウリをもらいに行くでっ!!」
トキハを8階催事場まで駆け上がった元気印の大王さま。心臓の痛い私の代わりにもらってきて頂戴とお願いを。珍しいことに難なく承知してくれ、クライアントのお姉さんともにこやかに話している様子が車の中からでも丸見え。タマゴやキュウリの入った箱を両腕に収めてニコニコ顔をして車に戻ってきました。
「最近ね。体もきついしそろそろあんたにいろいろ譲っていこうかと思うんだけど」
「……………」
予想通りの無言!!


ご近所さんにおすそ分けをと思ったりしましたが、ご近所さんもお庭で家庭菜園してキュウリを作っています。たまにもぎたてを頂いてるし。タマゴだってもしかしたら買い置きもあるかもしれないしと気をまわして、おすそ分けは遠慮させてもらいました。そうなると河童でもあるまいに大きく成長しているキュウリ10本をどうすべかと。ポツポツと降り始めた雨の勢いを見ながら思い付きました。
「そうや!! きゅうちゃんを作ってみてやるわ!!」
キュウリのきゅうちゃん、ネットで調べて初体験です。
お湯を沸かして火を止めてキュウリを投入しそのまま冷めるのを待ちます。決して火にかけたまんま沸騰しているお湯にキュウリの投入はご法度とか。その出しては入れの同じことを気長に3回繰り返しますとか。次は調味液を沸騰させキュウリ投入、冷ます、また調味液沸騰、キュウリ投入、冷ます。これもまた3回繰り返すときゅうちゃんが出来上がるとか。同じことの繰り返しってなんだか呪文のよう。本日は前半の3回お湯に投入、そして冷ますの繰り返しの作業でお終い。後半は明日に残しました。

頂き物を粗末にしては罰があたります。くださった人の思いを決して粗末にも無駄にもしない心遣いって大切です。好意を粗雑や無碍に扱うと巡り巡って自分に返ってくるという自然の成り行きを忘れた人が多くなったこの頃でもあります。感謝の気持ちがないからそんなことが平気でできるということでしょう。そんな人に限って高価なものには目がないし、針小棒大にことさら恩着せがましくなる(笑)


さて明日は夏至。早いものです。もう夏至の頃になりました。
明日が昼間の長さがマックスですが、8月お盆過ぎまで日の長さが増しているように感じるのは、夏という激しい季節の為せる業。夏の大魔王のマジックに篭絡されているからかもしれませんね。


ご存知ですか?? ふたつ。

15日の叔父の手術立ち合いに心身ともに疲れた私でした。お達者ぶり全開だった叔母の相手?? 手術中の経過の危惧や不安?? 自分自身の悶悶の心臓検査も?? あの日は本当にさまざまあった一日でした。夜は身も世もないくらいの疲労困憊ぶりであったらしく、見るも無残な雰囲気で口数少なく寝室へと引きあげていった私であったと大王さまが言っておりました。
「兄さんもトシ取ったねぇ」、などと最近は日ごとに揶揄されたりしておりますが……。
近頃はすぐに糠釘に陥る私。反論もせず侮辱だとも思わなくなったのがすでにヨレヨレの確たる証拠だと、相手不足に拍車がかかってきている私に向かってつまらなそうに大王さまが言っております。

東京のもう一人の従弟も叔父の手術後にちょこっと帰省して、無事を確かめてすぐに出張でオーストラリアに飛んでいきました。
「お兄ちゃん、いろいろありがとうございます。もうしばらく宜しくお願いします」
わざわざそんなことを言いに我が家にも寄ってくれました。
ちなみにこの53歳の従弟。20歳も年の離れた女性と再婚し、50歳の時に男の子を授かるという偉業を成し遂げました。羨ましいのを通り越して立派なオス加減に呆気にとられました。始終、出張で世界中を飛び回っている元気さはこんなことにも実証されたと思っています。
「やれやれ。子どもが二十歳の時、あんたは七十の古希やで。古希!!」
「そうなんですよ。最近はおじいちゃんですかって言われるんですよ」
ひとつもひるんでいないし寂しがってもいない。それどころか地球規模で大いに達観してましたわ。


さてそんなズブズブの泥のようだった15日の翌16日の朝。元気の失せている私に向かってハッパでもかけてみようかと企んだ大王さまがとんでもないことを言い始め、そしてその口車にまんまと乗ってしまった出来事をやらかしました。伸るか反るか、いや、超楽天的覚悟の大王さまの提案とは。
「兄さん!! これから日南市までジャカランダの花を観に行かない??」
頭が混濁状態の私。大分市から遠い日南も近い日向も地理的判断がつかなくなってきていました。
「ジャカランダ!! そう言えば今が見ごろよね。そんなに無理する距離じゃないので体のメンテがてら行ってみようか」
でもやっぱり渾身の思いで家を出たのが9時15分でした。しばらくは大王さまに運転を任せ、私はお隣で改めてジャカランダ宮崎をタブレットで検索。日南と日向を取り違えていた私はもうあとの祭り。
「ッ!!!!!!! 日南ちゃ、あんたッ!! 宮崎市の先。鹿児島と目と鼻の先やないの!!
「そうだよ。大分からだと片道250キロくらいかな」
「そげなこと簡単に言うけど、あんたそりゃきついで」
すったもんだしながらほぼ聞く耳持たない状態の大王さまったら颯爽と高速道路を飛ばし、大分からどんどん離れていくばかり。昨日の疲れがまだ90%以上も体に残留中。踏んだり蹴ったり、弱り目に祟り目。無力な……、ひとえに風の前の塵に同じ!!


世界三大花木のひとつであるジャカランダは数年前から是非とも観たいと秘かに念じてはおりました。冬のバルセロナでは見ることができませんでしたが、あの「オラオラ」「チャオチャオ」の街も5月になると紫色の見事なジャカランダに覆われるとか。そんな美しかろう話を知ってから幾星霜。あろうことか大分の隣県宮崎にその美しい花木の里があることを知ったのもそれから間もなくのことでした。
「観てみたいものよ。世界三大花木のひとつが近くにあるんだから」
「今年こそ行ってみますか」
そんな毎年不実行の会話がこの数年の習いごとでした。しかしいくらなんでも今年、それも超ヨレヨレの時になぞ。ほぼ泣く泣くの道行のスターを切ったのでありました。


小戸神社
■スサノオノミコトを主祭神に。こちらがもしかしたら日本一の祓い所かもしれませんね■

宮崎市に入る手前くらいでいくらか正気を取り戻した私。
「あのね。神社で祓えことばってあるじゃない。お祭りの前に神職さんが唱える……、掛けまくも畏き伊邪那岐の大神……ってあれ。あのなかの小戸の阿波岐原。それがあるんだわ。宮崎市に。神社の仕事をさせてもらっている我々なんだからお参りに行ってみない??」
「それはいいですね。じゃあ。ここから兄さんが運転してください。兄さんのナビほど心もとなくていい加減なものはないので」
「それを言うから私ゃ運転の方がよっぽどラクってものよ」

参拝にせっかくというのは語弊があるので、これもご縁ということで宮崎市にある小戸(おど)神社に寄せさせていただきました。
立派な神社です。空気が違うのはあまりに由緒が正しいからでしょうか。日本のさまざまな神様誕生の地、ひいては国造りの根源ともいえる畏敬の神社。素晴らしかったです。
日本の神社ほぼほとんどで唱えられている祓詞(はらえことば)はどちら様も一度は耳にしたことがあると思います。そんな有難い言葉の本家本元、根源の地をお参りできたのですから、私の罪穢れも一掃できたのではと有難く身に沁みました。平々凡々としたお願いをすることすら忘れてしまい、住所と名前をお伝えするのが精いっぱいの参拝でした。
お陰様でこの神社で前日からの疲れも消えてしまいました。包み込まれるような穏やかなパワー、大神様から御稜威を頂いたのでしょう。


宮崎ブーゲンビリア空港
■なんとまぁカラフルでポップなこと■

それからゆるゆると向かった先は小休止目的の宮崎空港。愛称は宮崎ブーゲンビリア空港!! なんとまぁ開放的なネーミングでしょう。国東半島にある大分だったら六郷満山空港でしょうか。華やかな宮崎に比べてちょっと地味!!
ゆったりとしていながらショップも充実!! 大きくて都会的な構造の空港に驚きました。売店で飫肥天と珍なことこの上もない椎葉納豆、お江戸の方へお使い物にする冷や汁などを買いました。


青島
■ドライアイには酷な白砂!!■ 

「何度か宮崎に来ているんですが青島には行っていないんだよね」
「そうだったね。私ゃかれこれもう40年近く前に来たことがあるけど、行ってみる??」
暑い暑い宮崎。駐車場から土産物屋が並ぶ参道を歩き、さらに白砂の照り返る参道やら橋を歩き、やっとの思いで青島神宮本殿に着きました。山幸海幸神話の彦火火出見命など三柱をお祀りしています。ビロウなどの亜熱帯植物に囲まれたここもまた素晴らしいお宮です。
さすがに神話の国宮崎ですね。宮崎、日向(ひむか)の国は神様の親兄弟親戚がきっとどこでもつながっているような感じです。どの神社も神様たちの親や兄弟、夫婦と私たちとの親しみを感じます。神様が生きている、そんな思いがひしひしとする感じ。ちょっと残念だったのがチャイニーズ観光客。よその国に来て、それも日本人の信仰の場所に来て厚かましい振舞いは本当に腹立たしいことです。遠慮という言葉を知らない、あれは老若雄雌の猿ですね。


道の駅なんごう:ジャカランダ
■長いこと憧れていたジャカランダの花。ちょうど見ごろでした■

道の駅なんごう:ジャカランダと海
■道の駅なんごうのテラスから見えるのは宮崎の海。ジャカランダの色と競い合ってます■

騙された思いで連れて来られたジャカランダの里、日南市「道の駅なんごう」に着いたのが15時でした。家からの距離は255
.5辧そのうち老体に鞭打ちつつの私が運転したのが150辧これは牧童から打擲された駄馬の踏ん張りでした。
事前にネットで見ていたので新たな感動は少なかったことは事実でした。バルセロナの街路樹の見事さに比べると気候風土の異なりも手伝ってか花の色が淡く観えました。どうやら異国のジャカランダは日本のソメイヨシノと同じで見事な花が咲いてから葉っぱだとか。日本のジャカランダは花も葉っぱも同時ゆえ見ごたえが足りないのかもしれません。それでも初めて間近で観る珍しい花とその香り。どちらも高貴に感じたものでした。遠くからやって来れた達成感が体じゅうから噴き上がる思いがしました。
「せっかくだから苗を買って帰りたいんだが。またいつ来れるか分からんし」
「せっかくだもんね。兄さん選んでるあいだに上の展望台まで行ってきます」
暑いなかお元気なことで。私は親切丁寧なスタッフさんに品定めを手伝ってもらいながら、わずか30分足らずの単独行動をゆっくりと過ごすことができました。
我が家に世界三大花木のひとつが!! あとはカエンボクとホウオウボクだそうです。大切に育ててみるつもりでいます。


飫肥天
■宮崎名物の飫肥天。ちょっと甘めのさつま揚げ。私はゆで玉子、大王さまはイカが中身■

マンゴーソフトクリーム
■宮崎と言えばマンゴー。道の駅でほとんどの人がマンゴーソフトを買い食いしておりました■

鹿児島との県境から大して遠くない日南市を後にしたのが16時。あとは目的もなくひたすら帰路、帰路を走って帰宅したのが20時15分でありました。疲れもマックスを過ぎると魂が抜けて覚醒するのでしょうか。異様に気分がハイになってしまって、調子にのって帰りはすべて私が運転しました。とりあえず大王さまは心配も労わりもしてくれましたが。
なんと!! 復路の距離も往路と同じ255.5劼任靴拭!  神業かい!?  
往復のコースは海と山で違っていたのに。やはり神様の国に行くと不思議体験もあるのかもしれませんね。驚くに足らず、これが人知も及ばない神様の畏るべき力でしょうか。

ご存知でしたか。神社の祓詞のその由来と小戸神社。そしてジャカランダ。
心臓の検査結果やらが控えておりますゆえ、しばらくはおとなしく過ごすことにします。



6月15日は怒涛だった

思い返すのもしんどかった今週の木曜日。数日続く肌寒い梅雨もあるもんだとタカをくくっていたのも朝方までで、この日はお日さまが高くなるにつれて気温も上昇していき「あ〜〜あ、苦手な夏がとうとうやってきたな」。そんな思いをした15日でした。

その日は83歳叔父の心臓手術が行われました。
その前に東京住まいのふたりの息子たち(私にとっては従弟たち)に代わって手術前の説明を聞いたのが13日。この時は本家の従兄と手術を受ける叔父と叔母と私でした。
心臓血管外科。ちょいとイケメンでクールな主治医は私と変わらないくらいの年齢と見ました。その先生もお供の看護師さんも心臓手術なんて慣れていて当然でしょうが、私たち俎板の上の鯉4匹を前に病状説明と手術の流れ、それによそ様の手術の模様など生々しいのをビデオで紹介してくれるものだから気が遠くなったりめまいを覚えたりでした。
「いよいよ手術を受けようかという人を前に、あれは刺激的というか酷なビデオだよね」
そんなことを言う私の声もきっと耳に入らないくらいにご本尊様夫妻は正気を失っていたようです。それに最初聞いた説明というか、ご本尊様夫妻から教えられていた病状とバイパス一本の手術で済むという内容との違いにビックリしました。造影剤を入れて撮った心臓の写真を見ると素人目でもはっきりと分かるくらいに左右の血管のつまりとその末端への血流の滞り加減。つまりバイパス5本をこしらえねばならないと!! 太ももやら腕やら背骨あたりのやらの血管を取ってきてそれを心臓の血管に移すといった大工事!! ドクターも。
「これは大変な手術になります。ご高齢ですから体力がもたねばバイパスは3本にします。手術中のリスクは脳梗塞と心不全などがままあります」
つまりは「ままある確率13パーセントの覚悟」だけはしておくようにという引導を渡されて15日の手術当日を迎えました。


東京から下の従弟が帰ってきて、立ち会うのは叔母とその従弟と本家の従兄。そして私の4人でした。
8時にオペ室に入っていった叔父を見送り家族控え室で延々7時間半。窓越しに今年一番の暑さを見ながら叔父のことを案じつつも、80過ぎの叔母から我が一統の80年もの歴史をさまざま聴き取ることができました。頭もクリア、行動もまだまだ機敏。なかなか手応えも頼りにもなる書道家の叔母の話は、当家の知らないことだらけをとても面白く聞くことができました。もしかしたら最初で最後、聞いておくことができてよかったです。


レストランいこいのとり天
■腹が減っては戦は出来ませぬとばかりに叔父の手術待機中に健全者は大分名物に舌鼓。ハハハ■

4人を控え室留守番組と食事組のふた組に分けて病院の外でランチをしました。東京から帰ってきている従弟はさっそくネットで見つけたのが『大分発祥とり天』。病院から歩いてわずか5分もかからない『レストランいこい』でした。そうそう、ここは確かにとり天発祥の店として地元でも有名です。
テーブル席がわずか3つ。店の内外で順番待ちのお列。近在近郷のサラリーマンたちの御用達とみました。わずか5分の歩きで外気の暑さにヘトヘト。運よく待ち時間が短かったのが何より助かりました。
揚げたててんこ盛り!! ジューシーこの上ありませぬ。熱いのとジューシーのとでお口の中はやけどに。それでも食べ続けるのはほとんど自虐行為。東京人もお子たちに食べさせたいと悶絶するくらいに大喜びしていました。


ランチを済ませて一旦私は病院から離れて自分の心臓検査へ。叔父も心臓、よりによってこの同じ日に甥の私も心臓。面白い取り合わせに笑いながら検査を受けました。
ところがこれがまた素敵な看護師さんで。年の頃ならば30歳半ばくらいかも。左半身を下にしてヌルヌルの付いたエコーで胸やらをグルグル。同じベットの端に腰かけている看護師さんの太もも辺りが私の背中に。きっと心拍数が派手に乱打されていたに違いありません。30分の検査時間のうち、一カ所だけ数分間エコーをグルグル動かさず圧したり緩めたりしながら確かめる感じがありました。いつもなら減らず口やら雑談やらするのですが、この日の検査だけは叔父のこと、暑い外のこと、そして密着度満点の個室でのトキメキの出来事に口をつぐんでしまっていた私でした。けっこう小心者なのです(笑)


自分の検査が終わってすぐに叔父の病院に取って返してまたまた数時間。叔母の話しに疲れている両従兄弟。結局私が後半もしっかりお付き合いしました。手術が終わったのは15時半でした。執刀のドクターが手術の成功を伝えに来てくれて、それから10分後にICUに戻った叔父に面会。気持ちが逸るとはこのことですね。一刻も早く顔を見たいという思いは4人四様であったに違いありません。
不思議ですね。全身麻酔しているのに意識は戻りつつあるようで看護師さんの問いかけにしっかりと反応していました。
「お父さん!!」
叔母の声には一筋の涙で応えている姿に胸が熱くなりました。オフクロさまの問いかけに涙と心電図で応えた亡くなる直前の父を思い出しました。気丈にしていた叔母も実の息子にではなく私の胸に顔を埋めて小さな声を上げて嗚咽していました。背中をさすりながら叔母がこんなに小さい人であったのかと驚いた、叔母抱っこ初体験を味わいました。


13日午前8時に病院で叔父の説明を受けていたその頃に女優の野際陽子さんが亡くなっていたのですね。野際さんは81歳。叔父は83歳。徐々に自分より上の人々の数が減っていっている現実に、まだ気丈に暮らしている我がオフクロさまの健康にひたすら感謝しているここ数日です。


行き当たりばったり

「ちょっと家に帰ってきたいんだけど」
きっと息抜きしたいオフクロさま。酸欠までにはなっていないながらも、空気の入れ替え必要の私には渡りに船のご英断。数日間ほど大王さまとふたりっきりの甘い生活に戻っとります。


「この際だわ。せっかくだから熊本に買い物に行かへんか!?」
梅雨入りしたばかりとは思えない快晴の昼前のことでした。いつものことながら思い立つのが遅いというか、気まぐれというか行き当たりばったりというか。ほとんど浅慮的行動でありますね。
体の腫れやむくみも降圧剤と利尿剤の効果が表れ始めてなんとなく身軽になりました。来週はチェックで引っかかった心臓の検査ですが、そんな心配も吹き飛ばしてくれそうなくらいの良い天気。何よりも仕事も落ち着いてるし。動かにゃ損、損の気勢が背中を押してくれました。


大観棒から阿蘇山
■大観峰から見た阿蘇市街地と阿蘇山■

自宅から国道57号線を熊本がある西へと走ります。いまだに大津周辺は先の地震で道が寸断されて工事中。九州を東西に横切る大動脈が途切れてしまって、う回路の不便さで大きな道の存在と有難みをひしひしと感じます。静かだった自宅前の道が、これまでとんと無縁だったトラックやらの交通量がいきなり増えて、そこに住む人たちもまた難儀だろうなとう回路を走りながら思う熊本路です。
自然災害は誰の責任でもないという虚無感にも似た諦めのなかで、被災後の復興復旧に努めねばならないのですね。
我々は大分と熊本の県境近くにある道の駅なみの前から右折してミルクロードに入って、阿蘇の外輪山の頂を沿うようにして大観峰、菊池を経由して熊本市へと向かいました。天気が良すぎるのが逆に罪のようにも感じる地震の爪痕のひどさ。一年以上たったのにいまだにあちらこちらではあの日のままの姿が目に留まりました。

馬刺しが美味しい古閑牧場で我が家用に「レバ刺し」、「特上フタエゴ」、「馬刺し」を。
食うことに関しては洵に行き届いている私たちは、いくら急な思い立ちでも自宅を発つ前に古閑牧場産に、「今日はレバ刺しとフタエゴありますか??」としっかり念押しの電話をしておきました。このふたつ、前回行った時には店頭に並んでいないバッドなお日和だったので、悲しい過ちは繰り返すまいぞと電話し取り置きまでしておいてもらいました。とても丁寧な店員さんに恵まれたのもラッキーでした。せっかくだからとクライアントの三代目さんにも少々早めのお中元として馬刺し500gを送りました。新木場生まれの江戸っ子奥さんともども馬刺しが大好きとか。若さあふれる30歳にとって、これはまた特別なお役立ちになるのではといらぬ妄想など抱きながら手配しました。


時計の針は早や14時をとっくに過ぎておりました。気分転換がいつの間にやらショッピングモードに様変わりして、次は益城町西原にある毎度の「ふるさと市場」へと直行しました。この益城町こそ震源地でした。そして45名もの人々が命奪われた最も被害のひどかった場所でもありました。
このふるさと市場は本当に大好きな店です。地元の肉魚野菜はもちろんのこと、熊本空港が近いからでしょうか、東北の海山のもの、はたまた北海道のものまでもが豊富に品揃えされていて、ほぼ買い物オバサン化する私にとっては宝箱みたいな店です。ここで筋子、大きな穴子、熊本の金山味噌、トマトに葉もの野菜などを調達しました。これで気分転換の目的は無事に果たされました。


南阿蘇
■阿蘇山を挟んで大観峰のちょうど反対側。南阿蘇から見た阿蘇山の裏側。外輪山一周でした■

阿蘇白水龍神権現
■阿蘇白水龍神権現■

「帰りに風呂。温泉に入って帰らん?? 家に帰ったらそのまんま馬づくしでお晩酌ができまっせ」
ということで南阿蘇を経由して阿蘇白水方面へ。こちらに行くのも地震後に急場で通した新しい道。
外輪山を上ったり下りたりして、やっと平坦な道は田んぼや畑や水路の脇を走るのどかな風景のなか。気づいたら左手に一心行の桜が。夜桜を観に来たのは何年前だろうか。その数年前は小学生だった若さまを連れても来たなぁ。しばらく走っていると右手に「阿蘇白水龍神権現」が。
「おぉ!! ここも何年か前に来た来た。あん時は『なまんだぶなまんだぶ』唱えながら恐る恐る白ヘビ触ってご利益もろた!!」
「ちょっと寄ってみますか??」
時計の針は4時26分。これもご縁、お参りして白ヘビ様を遠目から拝して帰ればいいやと。ところが年齢不詳の巫女さんが「白ヘビ様は4時半までのお出ましですが」と。白ヘビ様も勤務体制がしっかりしているようで4時30分にはきっちり退社のようです。見れば時間は4時28分!! 
「せっかくですからお参りをさせてください!! 触らんでもいいですからっ!!」
先を歩く年齢不詳の巫女さんの歩みの速いこと!! 本殿から別のお社まで小走りまじりで案内してくださって、頭上でシャラシャラとお鈴を頂いて身を清めて、初穂料の1000円札を三宝にのっけて、心落ち着けてガラスケースに鎮座なさっている白ヘビ様を拝みました。
「時間もないので触らなくて結構です。このままでじゅうぶんです」
「………」、年齢不詳の巫女さん無言。
ハタと横の壁に貼ってある紙を見ると触るのにお一人3000円とのこと。以前は3000円も取らなかったはず。心ばかりではなかったかと。そう言えば数年前に比べてお社も大きくなったし、山門も出来、境内も整備されて随分と立派になっていることに気付きました。白ヘビ様のご利益はまず、ご自身のお膝元から弥増すと言ったところかもしれませんね。下世話な思いなど罰当たり。どことなく気持ちがすっきりできたのは、雄大な阿蘇山の姿と、そこに鎮座している白ヘビ様にあろうことかギリギリセーフで間に合って会えた幸運さからかもしれません。


阿蘇白水温泉瑠璃
■誰もおらんかったので阿蘇白水温泉瑠璃、撮りました■

お参りというのは気持ちがあらたまります。気持ちがすっきりして温泉で心身共にすっきり!! 
白ヘビ様のご近所にある「阿蘇白水温泉瑠璃」でひとっ風呂しました。こちらも二度目。買い回った馬刺しや穴子は温泉売店の冷蔵庫に保管させてくだすって、「言ってはみるものよ」と言いながらもほんとに親切だなぁと大王さまと感激しまくりました。温泉でいい気分になって身も心もほどけて、ここから1時間半も運転して家に帰ったのはしんどかったですが、ちょうど7時30分に家に帰ってすぐに馬刺しで酒盛りをした我々でした。

熊本はまだまだこれからです。しかしこれからきっと前にも増して魅力ある熊本へと変わるはずです。その証拠が皆さんの元気さ。人々の屈託のないあの笑顔はきっと明日への扉を開く大きなパワーになるはずだと、私は信じ願っています。苦労をなさった人の笑顔って本物ですね。



眼福、眼福

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ずっと恋い焦がれていた北大路魯山人の作品。購う無理は百も承知ゆえいつかどこかの美術館できっとお目にかかろうぞと願っていた思いが実現できました。それもこの大分市で。
「北大路魯山人展 和の美を問う」
大分県立美術館で4月15日から行われていながら体調不良やオフクロさまとの同居騒動やらで、「観に行きたい」の気持ちばかり焦りながらも日にちが繰っていってしまい、今日やっと会いに行くことができました。6月11日が最終日なので滑り込みセーフでした。
雑誌や写真集で見た作品群がナマのまま目の前に並んでいる様子に、それこそ憧れの貴婦人に胸ときめかせながらお目にかかる心持ちでした。まるで宮殿の玉座に端坐して凛とした姿でこちらを招き入れるかのような女王の佇まい方。
写真撮影OKという有難い思し召しに、人目をはばからず遠慮会釈なくバチバチと撮りまくりました。撮りテツならぬ撮り魯、撮り展でしょうか。みっともないことですが本気出して撮りまくりました。その時の興奮と自分で撮った写真は一生の宝になりそうです。


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「陶」「書」「茶」「花」「食」の五つのテーマに分かれて展示されていましたが、どれも見ごたえのある陶芸や篆刻など錚々たる作品たち。そして和室を模したコーナーには李朝の箪笥や膳に彼の作った食器が配されていて、まさしく私の大好きな世界がそこにありました。李朝箪笥など20年近く前に手放した物にそっくりで、どうしてあの時に売ってしまったのかと久々に大きな後悔に苛まれました。しかし展示のこんな暮らし、こんな空気感、こんな無駄のないつくり。憧れの真骨頂でした。
魯山人の本と豪放磊落な図の椿鉢の写真に出会ったのが30歳後半でした。傲岸・不遜・狷介・虚栄自由奔放、こだわりすぎ、人を人として扱わない。そんな魯山人の人となりは傾倒できるものではありません。どちらかと言えば苦手な人格かもしれません。しかし彼の手によるさまざまな作品の素敵さは別格です。人格と美的センスはまったく異なるようですね。そうそう。彼の納豆の食し方であるこだわりの424回のかき回しも真似たことがありましたが、バカらしくて一回ぽっきりでやめました(笑)
彼の作品は使い込むほどに味わいも風合いも増すと言います。もはや超高嶺の花の魯山人の器ですが、彼の言う「器は料理のきもの」。この言葉に彼なりの優しさが見えるように感じ、彼を少しだけ許している私です。


美術館の外は昨日始まったばかりの梅雨の優しい雨が降っていました。魯山人のとろりとした作品に触れたあとに、そぼ降る雨の美しさやたおやかさに気付いた今日の私でもありました。


ろーまの1歳誕生日と梅雨入り

反故にしたり吠えまくったり、よそのお偉いさんを押しのけてみたりハチャメチャなトランプ大統領。所詮、実業家であって政治センスなんてほぼ無いに等しいようです。アメリカ一晩は結構なことでしょうが、あんなのを選んだアメリカの国民は今になってさぞかし臍を噛む思いでしょうね。
トランプの無茶ぶりと、「こんなはずじゃなかった!!」とみんなの動揺ぶりは、まるで歴代大統領で毎度毎度しくじっているあの韓国の人々の騒ぎや落胆と同じに感じます。韓国人って凝りもせずにどうして人を見る目がないのでしょうか。甘言まみれの饒舌の演説が一時的なものであるとなぜに見抜けないのか……、熱にのぼせ上っているから前後の見境を失うのでしょうね。そもそも顔を見ればその器くらい察せられるでしょうに。日本も流行りと勢いに乗せられて超無能だった民主党に政権を委ねた失敗もありますが。
北の三代目もいよいよ暴走に拍車がかかって、曲がりなりにもジイサンとオヤジで何とか保っていた国の体面すらも打ち捨ててもはや逃げ場を失いつつある切羽詰まった養豚場の大豚みたい。偉そうにしているけれど内情は断末魔かとも。あちらの半島の人たちってどうしてこうも烈しやすくてすぐにキレるのでしょうか。烈も裂も同じか。キレれば人がひれ伏すとでも思っているのでしょうか。とにかく扱いにくくて厄介な人たちです。北も南もますますもって恥知らずのプライドに磨きがかかったというか、調子にのりつつおヒスな人にうんざりです。
我が国の安倍さんも一強に磨きがかかって聞く耳持たない人になりつつあるようで、これもまた先々を思うと恐ろしいことです。世界どころか日本はどこに向かって行っているのでしょう。しょせん、器でもなければ有能でもないそこら辺の人間を拾い集めて国会議員にしているような国ですもんね。政治への志などどこかに置き忘れどころか、最初から持ち合わせていない人ばかりの言動が、最近如実に露見しているのが本当に情けないです。結局は国民や弱者などのことなどひとつも思ってくれていない権力とカネの亡者ばかり。そんな人はさっさと表舞台から去ってもらいたいです。これが戦後72年かけて作り上げた日本の真の姿かと思うとつらいです。


我が身のことばかり憂いて始まった6月。誕生日の友人知人が多いなとひぃふぅみぃと指折り数えている6月。ところがいくら指折って数えてもどうももう一本足りないもどかしさ。記憶がなくても薄いながらも意識はある……。これってなんだ!!みたいな消化不良。
そうでした!! 大切なボウズのことをすっかり失念しておりました。我が家のろーま、3日で1歳を迎えたのでありました。もうすっかり我が家になじみ部屋中を遊び場と化して我が物顔で過ごしています。やんちゃながらも人が好きで、そして我々の言葉をよく理解してくれます。たまにまろ坊に似た表情をする時があって、大王さまと息をのみ合っています。どうやらそんな一瞬の時に遭遇したその晩にはまろ坊が夢に登場すると大王さまが報告してくれます。不思議なものですね。いまだに見えない糸で虹の彼方に居るはずのまろ坊とは結ばれているのかもしれません。そんなことを思えるのもさまざまな情あってのこと。昔という糸、今という糸で紡がれ続いている大切な思いの込められた情ゆえのしわざなのでしょうね。


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■護國神社の神梅収穫祭。大きな実になったブンゴウメはこれから千変万化の本領発揮です■

九州は北部も南部も今日梅雨入りしました。これからしばらくは雨降りとの付き合いが続きます。今年の梅雨はどうか大人しくと願っています。何せ大分では現在進行形の地割れが。雨が降り続くと地すべりにもなりかねない大ごとにもなっていますし。米どころの現場ではことのほか警戒を強めています。


 

毛根もハートもナイーブぢゃの6月


護國神社の古道
■護國神社の神苑の古道■

奈多海岸
■奈多海岸。瀬戸内らしい穏やかな 汀線と波です■

6月になって早や3日が過ぎました。
新緑から深緑へと、ささやかな我が家の庭も存分に緑の光に照らされています。太陽の光が葉に透けて届いている。まさしく緑一色のステンドグラスです。これがもう少し経つと息も苦しくなるくらいの重くむせる緑いろに変わり、いよいよ胸ぐるしささえ覚える様相へと変わっていきます。
今月は多くの友人知人の誕生月です。年中で6月が最も多いハッピーバースデーの乱発です。お世話になっている人、懇意にさせてもらっている人、さまざまです。5日の従姉から慌ただしい誕生祝が始まります。そんなことができるのもまた幸せですね。何せそんなきっかけで日ごろのご無沙汰も埋め合わせできますし。人さまとの交流の厚さと深さに感謝すべきはこちらの方かもしれません。


高血圧による腎臓機能の低下。新たな降圧剤と利尿剤投薬の功が奏して見る見る体重が減ってきています。体じゅうが水だらけ、水膨れだったのでしょうか。薬で水抜きみたいなものですが、それだけ腎臓の機能が低下しているという証拠でもあるわけでちょっと怖くもあります。気の向くままホイホイ飛び回るのが大好きな私にとって、人工透析で残りの人生を拘束束縛されるなんて堪えられないことです。この期に及んでやっと「先々の恐怖ちゃこれや!!」を身に染みさせているところです。今のうちにきれいな体に戻しておかねばです。
ところが先々週の診察の終わり間際にドクターが「レントゲンでも撮っておきますか」と何気に仰り、それを軽い気持ちで受け止めて、「へいへい。御意のままに」と胸のレントゲンを撮りました。そして先週の診察の時になりました。
「Mさん。胸が苦しいとかありませんか??」
「最近、階段の上り下りやちょっと歩いただけで息苦しくはなりますがメタボの典型でしょうか」
「いや。これは心臓肥大ですね。再来週心臓の精密検査をしましょう」
「毛が、毛が生えているくらいに丈夫なはずの私のハートなんですが、おつむの毛根同様に毛も抜けてやわなハートになったたのでしょうか」
「あはは。冗談も今のうちかもしれませんよ。とにかく精密検査を」
やれやれ、まぶたやら足の腫れがやっと落ち着いたと喜んでいたら今度は心臓か。そうそう、西大分の占いおばちゃんが「あんたはポクッと死ぬから大丈夫!!」と、嬉しいやら呆気ないやらのご神託を常日頃から頂戴していますが、これってますます現実味を帯びてくるのかしらと、身辺整理せねばと、急に病は気からのまんまの心理状態で日々が忙しくなってきています。
M不動産時代の大好きな先輩だった方が3月3日に自宅で心臓発作で急逝されたという報せにも驚きました。まだ64歳。M不動産の代表取締役副社長だったのに。身近にあるのですね。こんな話がいっぱい。それだけ他人事ではなくなってきた話題でもあるということでしょうか。ナイーブな話です。


オフクロさまとの同居が始まって半月以上が過ぎました。こんなにもおとなしく、こんなにも意思表示をしない人だったのかと、親と離れて暮らしていた40年以上の時間の厚みを感じています。無常にも感じてしまっています。40年前、30年、20年、10年前と明らかに違ってしまった母の佇まい方に戸惑いが募るばかりです。これは大ごとです。私がつぶれないように、そして私が気分(心根)を変えてオフクロさまと接することのできるような人間になるように、柔軟性を持ち合わせた多角的自分にならなきゃと思い知らされています。たかだか半月で!! そんな親子のなかに紛れ込ませてしまった大王さまの存在の素晴らしさ。洵に頭の下がる思いです。
 

先日、オフクロさまには内緒で気分転換せねばと国東半島にある奈多海岸に行ってきました。もちろん泳ぎはしませんが単調なさざ波の音を聞きながら、白砂の上にあぐらをかいて座り、ゆったりと流れる空に浮かぶ雲をほぼ呆けたふうで眺めてリフレッシュのパワーをもらいました。
さらに日を置かずして護國神社の撮影の途中で見つけた古道の深緑。ドライアイに苦しめられていますが、このさまざまな種類の木々の葉っぱたちと6月の太陽光線が折り重なるような緑の色の美しさにもパワーをもらったような思いがしています。
梅雨の前のひと時の快適さ。惜しまずに愉しみながらどちらさまもお健やかにお過ごしください。



この半月

4月半ばから体調が狂ってひと月が過ぎました。目の腫れも足のむくみもつまりは高血圧による腎機能低下による浮腫というご神託を授かりました。ということで10年以上飲み続けていた降圧剤をストップさせられたうえに利尿剤を飲まされております。昼夜を問わずの頻尿大魔王にさらなるパワーを与える格好になって、おトイレとのご縁が切っても切れない抜き差しならぬ関係に陥っています。メタボがさらに膨らんだと大王さまの笑うまいことか……、であります。
外出も億劫、打合せで人様に会うのもさらに億劫です。目の腫れさえ治ってくれれば良いのですが。このひと月でどうしても会わなきゃいけなかった人たちからは、ひと目見られた以降何度も心配の電話やメールをもらっている状態です。
それにしても眼科で結膜炎と言われ真面目に目薬をさしても回復せず、違う眼科に変えてみたら、これは皮膚科でしょう。皮膚科に行ったら、これは内科ですよと。生まれて初めて一日に病院をみっつもハシゴしました。そして結果が腎機能低下とはと。
腎臓、困ったなぁとしみじみ健康体の有難さを感じ、無敵だった若かりし頃を懐かしく思っています。


そして5月13日からオフクロさまとの同居が開幕されてしまい、いささか病身の身の上ながら息子のお役やお務めをはたしているところです。永久不変の同居突入です。
父が逝って9年。よく一人で頑張ったものだと感心しながらもその年間がいかに自由気まま、野放図であったかを今のオフクロさまに接するにつけ思い知らされています。
実家のご近所さんは口を揃えて、「お母さん気丈だったよ」と言ってくれていますが、暮らしの時間すべてが自分ひとりでいかようにも融通やら忖度ができていたのですから、本当に野放図っぷりが板についてしまったようです。決してわがままな人ではないのですが、共に感動したり話題を共有するというテクニックをすっぱり忘れたかのような振る舞いに驚いています。もしかしたら呆けてるの??と。
「母さんあのね。もう少し調子を合わせてくれないと僕らもやりがいが無くなるから、せめて『美味しい』とか『ありがとう』とか、闊達だった昔の母さんみたいに言ってくれないかな」と。
無言、ひとり暮らしだったので会話のすべを忘れたのでしょうか。これではよそ様に会わせられないのではと気持ちが後ずさりしています。
大分の年寄りが口数の少ない人を『つくねん坊主』と言っていたことを思い出してしまいます。扱いやすい人ながら一方では戸惑いを与える母になったことに寂しさと、これから先の行方に暗澹としたりの交錯状態です。いつかは同居をとか親孝行せねばなど、これまで『言うは易し』の言葉だったということを、この現状に立って初めて気づかされています。義理の親との同居、そして果てしない介護の境遇にあるお嫁さんの立場や苦しみが他人事ではない現実として理解できつつあります。


そんなことでご無沙汰続きの5月も半月が過ぎてしまいました。ほんのちょっと前までは好事魔多しを嬉々として受け止め、消化していた日々でした。それが一足飛びに超現実の毎日に戸惑いあくせく。お事多い今年の
5月になりました。これも人生の順送りの仕方のない約束事かもしれませんね。
あ〜あ5月は爽やかな季節なのになあと悔しがっていたら、「爽やかな」というのは5月では使わない言葉だと知って、少しばかり小気味好い思いなどしています。天邪鬼にもなれる身辺騒々しい日々のさなかに立っています。
ドライアイも相変わらず眩しさ弥増すチカチカっぷりです。ブログの更新もままなりませんがどうか皆さんにはお元気にお過ごしいただきたいと願っています。


晴れた日に腫れた目で

ゴールデンウィークなか休みだった昨日、福岡のうきは市に所用が生じて腫れた目を抱え、腫れた足を引きずりながら不承不承行くことになりました。心底つらい顔面と足です。本当に結膜炎だろうかと疑いたくなるくらいになかなか腫れが治まらず不快感がジクジクと胸の奥から沸きあがってくる感じです。視野も狭くなりまぶたも重い。まるで目ぜんたいが重力に素直に従っているみたい。溶けて流れていくソフトクリーマかって。足も、くるぶしまで腫れているので皮がパンパン状態。GWが終わったら内科に行かねばと決心しました。


そんな苦しまぎれでうきは市。せっかく行くので日田のマルマタ醤油に寄って毎度の醤油の買い足し。大好きな社長はいつものように神出鬼没でどこにいるのか分からずじまい。社員の方が醤油蔵まで探しに行ってくれましたがやはりお姿見えずでした。こちらに通うようになってかれこれもう30年近くになりますねと、その頃からずっと変わらずにいる女性と懐かしんでしまいました。帳場に座って経理全般を見ているようなしっかりした日田天領女性です。


日田を離れてうきはでの用事を済ませて、ついでだから道の駅うきはに寄って今が旬のイチゴや山菜などを買いましょうやと話が決まり、さてその道の駅に出入りする車の多いことったら。きっとGW前の買い物客でしょう。ほとんどがジジババさん。品物に対する目利きの鋭さとご当地の美味しものを熟知しているお年寄りたち。ご夫婦だったりおばちゃんの連れだったりで素晴らしく賑やか。明日からの大型連休、この道の駅の活況ぶりってどんなんだろうと怖気づいた我々でした。
用事も済ませたし、思いがけなくマルマタの醤油も道の駅うきはでもさまざまが買えたし、目は強くなる日差しとともにいよいよ不快極まりなくなってきて、「ぼちぼち帰ろうかね」。


そんなに簡単に物事が進むわけのない我々です。お元気ジジババさんの姿に誘発されたまだお若い大王さまの思い付きに今回も従わざるを得ないドツボにハマった私でした。
「ゴールデンウィークはどこにも行けないので、せっかくだからこれからどこか行きませんか??」
「どこか行きませんか??って、わたしゃ満身創痍でほとほと疲れてて行くんだったらあの世かもと
思い始めている弱気なここんところなのに。引き回されるのはしんどいんだけど……。どこ行きたいの??」
「波佐見の陶器市。それか行ったことのない福岡の芦屋。糸島もいいですよ。どうです??」
常と何ら変わらない強行軍をおっしゃる!!
「陶器市は人が多いのでパス。糸島も遠いのでパス。芦屋ってここからどのくらいか分からんけど、あんたが運転してくれるのであれば長閑な芦屋に行けばいい」
人の体調よりも自分の愉しみを優先する。まだまだ青いわっ!!  そんなことでうきは市から春の民陶むら祭をやっていた小石原焼の里、天狗の発祥のお山英彦山の里がある町を越えてさらに直方市、中間市を経由してお初の入りになった芦屋町の夏井ヶ浜はまゆう公園までたどり着きました。
この辺りは生まれてこのかた未踏の場所でした。響灘の猛々しさに驚きながらも美しい海の色と奇岩が連なる海岸線に感動してしまいました。

 

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「おお!! 恋人の聖地と書いちょる。で、あの鐘は響愛、ひびきあいらしい。冥途の土産になるかもしれん。あんた、こっちに来て一緒に鳴らそうや。今ならだあれもおらんし!!」
「ふん。ひとりで鳴らしてください。写真撮ってあげる」
「こんなものをひとりで鳴らしてなんのご利益があろうか。鐘の音、お寺だったら梵鐘で冥府への誘いだわね」
それでもひとりでロープを左右に振って鳴らしてはみました。響く鐘の音が響灘の彼方にまで飛んでいくようなもの悲しさはやっぱりひとりで鳴らしたからかもしれません。そして大王さまの、まるで神社の鈴をシャンシャンと振るような小刻みな手の動かしっぷりの滑稽さに大笑いしてやりました。鳴る鐘の音すらも気ぜわしい。不調法ですなぁ。
響灘を一望しながら響き合わないおじさんふたりが各々に、願いもなんにもなくロマンチックな鐘をただ鳴らすの図。滑稽と哀愁でありました。


行きも帰りも通った遠賀川の土手沿いの快適道路。川の大きさにびっくり。こんな大きな川だから途中の町々が栄えているんだなぁと。そして響灘と出会う大きな河口と、その周辺の漁港の豊かさ。新鮮で見るからに美味しそうな海の幸があちらこちらの店先にずらりと。もちろんあれやこれやを買って帰りました。
うきはで山のもの、芦屋では海のもの。山海の恵みを存分に我が家に持ち込んだ思いがしています。こんなにもハッピーなのに目やら足やらの風船状態に、ため息連発の今年のゴールデンウィークです。


 

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