今朝は明け方に淡路島で大きな地震が。あの日と同じような払暁の5時33分だったようです。大分でも震度2の揺れがあったらしいですが幸いにも当家のある団地は地盤が固くて揺れを感じませんでした。ただし大分市内にも活断層がいくつも潜んでいるらしく、要はいつ活断層が暴れてもおかしくない危うい地面の上に立っていることは間違いないようです。18年前を思い出すような早朝の揺れにご当地の皆さんはさぞかし不安だったでしょう。まさしく悪夢の再来の思いがよぎったような朝だったのではないでしょうか。

関空への連絡道路が波打って揺れている映像を見て驚いて夜になって河内長野市の知人宅にお見舞いの電話をしましたが、18年前はロンドン駐在だったので大阪の大きな揺れは初めてだったとかで大いに驚いていました。それでも電話した時には無事に夕飯も済ませてくつろいでいたようで安心しました。それよりも我が家の桜、今年も立派だったでしょと奥さんが言ってくれました。去年の秋に我が家に立ち寄ってくれた時にしっかりとソメイヨシノと滝桜をチェックして下さったようでした。

「今年は特に見事でした。よく覚えて下さってて……」

「今年一年のR君の活躍と励みを応援してくれるつもりで咲き誇ったのね」

視座や心の具合を少し変えるだけでこんな解釈をして下さるとは有難いことですね。やはり結婚以来お姑さんと同居して、更に認知症を患って去年没するまで義母のすべてを看取った人の言葉には愛がありますね。ここまで辿り着くにはどれだけの苦労があったことかと忖度しかけても微塵も見せない大きな心には頭が下がるばかりです。

『僕もオフクロを粗末にしては罰が当たる。実の母の気持ちを大切に思い、折りに触れて添わねば』

河内長野のご夫婦を思うたびに親を思わなきゃならない自分の気持ちの芯がぶれていないか確かめています。素敵なお手本が身近にいてくれ生の声で応援してくれることの有難さに感謝しています。


さて地震の話に戻りますが、折良くか折悪くか、先週の日曜日にはNHKスペシャルで大阪上町活断層の新たな発見などと特集していましたが胆の冷える番組の裏打ちをしたような今朝の地震でした。

それにしても18年前にあの阪神淡路大地震が起きて当面は淡路などには大地震なんてないだろうと思っていたのですが、余震だとしたら18年もの歳月をかけてあまりに遠すぎる再来に安心などしてられない恐怖を覚えています。時間を追うごとに入ってくるニュースは人的な被害が少なかったものの液状化現象が著しいとか。まるで土地が島が沈んでいくんじゃないだろうかというような地下からの不気味さです。地球は生きているという美しい言葉ではないような、人間の生活を呑み込むような恐ろしい牙を剥いている姿にも感じています。

人間の知恵や憶測はまだまだ大自然には敵わないということでしょう。未来永劫にこの地球には太刀打ちが出来ない、太刀打ちしようなんて浅はかなことを考えない方が人間の人間としての最高の知恵ではないでしょうか。


始業式、入学式、課題テスト。テンコ盛りだった今週も無事に暮れて今日と明日は連休の若さまであります。何だかとっても頑張ったご褒美のようにも感じる休みですが、生き馬の目を抜き目から鱗のようなお励みもあまり無くテストが完了した彼の人であります。それでも疲れた疲れたの連呼であります、

「あんたなぁ、少しは体を動かしなさいよ。若いのに疲れたとは何という言い草!! そのお腹の出具合なんて自慢じゃないけれど私の高校生時代とは雲泥の差のポンポコリンじゃないのさ。わたしゃ58キロだったけどあんたは今何キロあるの??」

「えぇとぉ70キロかなぁ。栄養付けとけ、今のうちにってお父さんが推奨してるじゃないの」

「えぇっ!! 70もあるの!! そりゃデブだわ。あのね食べた分、しっかりと燃焼させねば末路はデブのメタボの悲しいことになるよ。それに受験勉強の最後は体力勝負だしね!!」

「そうだね。だったらまろ坊の散歩にでも行こうかな。来いッ!! イヌッ!!」

桃太郎ではありませんがまろ坊を従えようと重い腰をやっと上げて10分の散歩を実行しました。しかしまろ坊の気休め散歩で満足どころではないくらいに下腹がもっこり。これは親の責任にもなりかねない由々しきことです。食生活を改善してやらねばと、最近賄がとっても億劫になっている禿山亭やもめ食堂の亭主は後ずさりしております。あ〜あ、親の悩みと世話は尽きまじであります。


ひとつ微笑ましいことを思い出しました。「来いッ!! イヌッ!!」

そう言えば東京の若だんなも大分にいる高校生の頃、不承不承の思いでまろ坊の散歩をしていましたがその時の誘い方が「来いッ!! イヌッ!!」でした。興にのるとそうやって何様のつもりかになっていた若だんな。見ることのなかった兄の光景を弟はしっかりと血の中で再生してしまっていることに驚きもしました。言葉はもちろんながら言い方までそっくりになって。

血は汚い、血は争えない、不思議なことです。何よりも若旦那の顔が元嫁そっくりになってしまっていることに東京で驚愕しました。お母さんは……、あの人しかいないってことの不動の証明でしょうか。母と適齢期の息子のツーショット、本当は私が一番観たかったシーンではなかったろうかと息子たちが幼かった頃の記憶をたどっています。せっかくの親子だったのにもったいないことですね。

実は母親の残像を追っているかもしれない子の憐憫の延長のようも感じる瓜二つさ。私にとっては忘れてしまっている人の面影がよもや息子にとはと思うと複雑怪奇なものです。

ある意味、生き別れで良かった。これが愛情そのままに残した死に別れだったらと思うと、亡き人をいつまで経っても拭えないまま私の気持ちは彷徨ってばかりだったかもしれんません。別れって憎しみの果ての方がその時はしんどいことですが、心の傷の癒え方も早くて再生も叶いやすいのかもしれませんね。勇気を振り絞ってそれだけの別れをしたのですから当然かもしれないですね。