急用ができてしまって福岡の久留米市と糸島市をハシゴしてきました。大急ぎで行って大急ぎで帰ってきたので何が何やらさっぱりわからんみたいなことになっています。初体験の話をふたつほど。
久留米では運転していた左前方にいきなり大きな観音さまが出現したのには驚きました。白亜の慈母観音さまのお姿はまるで天上界からか降りてこられたか、丘から立ちのぼってこられたかのように突然現れてすっくと立っておられました。
見下ろされ見透かされている……、日ごろの行いが宜しくない私など身の縮む思いがしてしまいました。しかし街の真ん中にあのような立派な仏さまをつくるお寺など凄いなぁと家に帰って調べてみたら成田山新勝寺さんでした。スケールが違いますなぁ。ちょうど、そんなことを調べていたら小林麻央さんが乳がんであると旦那さんの海老蔵さんが記者会見していました。市川家と成田山新勝寺は縁の深い関係としてとても知れ渡っていますが、まさか大きな観音さまのことを調べている真っ最中に海老蔵さんの沈鬱な会見とはと驚いてしまいました。可哀そうに33歳で重い病に罹ってしまって。子どもさんだってまだまだ小さくて。慈母観音像とふたりの子どもを持つ母親である病身の麻央さん。悲しくなってしまいました。
これから梨園を背負って立つ海老蔵さんと、陰に日向に支えるはずの麻さんであろうに。いくら信仰が篤くても駄目なものは駄目なのでしょうか。それにしてもあまりに酷すぎる話です。そういえば数日前、長野で行われた全国植樹祭の開会式で両陛下の前で海老蔵さんが勧進帳を舞ったのを偶然テレビで観ましたがが、どことなく寂しげな虚ろげな弁慶だったように思いました。つらいでしょう。
歌舞伎界はここ数年、名優といわれる人が次々に亡くなってしまいました。海老蔵さんのお父さんの団十郎さんもそのなかのひとりでした。舞台に立つ人ばかりではなく今度はその奥さんまでかと思うと、歌舞伎に宿る摩訶不思議な霊力というか奇妙な何かを思ってしまいそうです。「・・・」です。


成田山救世慈母大観音
■忽然の現れて驚きました!!■

牧のうどん 
■奥にあるおいなりさんと見まがうばかりのうどんに浮くごぼう天。私の知っているのと違いすぎて茫然としました■

久留米を終えて福岡市の西にある糸島市に寄ってみました。ここは近年九州大学の伊都キャンパスができて、さながら学園都市のような変貌を遂げつつあります。確かに道行く人に若者が多かった。
用事を済ませて「是非とも食うてみたい!!」と所望したのが『牧のうどん』でありました。長崎や佐賀、福岡の道を走るたびに見かけていた牧のうどん。何処の店も広い駐車場には常時車がいっぱい。これはいつかは暖簾をくぐりたいものだと思っていました。常時食い意地の張っている私のたっての希望でありました。
ちょうど糸島の周船寺という町にもあるということを大王さまがリサーチしてくれて、これは思いを果たさねば遺恨を残すこと間違いなしと。すぐさま初のご入店を試みました。昼下がりだというのに駐車場も店内も大盛況。店の人たちもみんな元気があって気持ち良いことこの上なしでありました。
大王さまも私も、うどんといえばこれが王道だと思い込んでいるごぼ天うどんを注文しました。
「うどんの硬さはやわらかめ、普通、硬めのどれにしますか??」
硬いのも好きだけど硬いのはラーメンに限ります。うどんの硬いのって初めてなのでどんな硬さでやって来るのか皆目見当もつきません。オーソドックスが無難です。
「普通のでお願いします」
やってきたうどんは思った以上に太い!! まるで正体がおぼつかない伊勢うどんみたい。硬さは「これが普通??」と思うようないささかやわらかめの茹で加減。うどん自体の腰が弱いのかもしれません。腰が弱いので見る見る丼内の出汁を吸ううどん。吸い尽くされてなるものかと俄然すすり込むのが速くなる私。それでも太いうどんの根性の方が優っているようで、出汁を吸いまくっていくうどんはこちらの悪戦苦闘もものともせずにいよいよ太く柔らかくなっていくばかり。膨らむ一途ですわ。いつもの絶好調の麺食いであればスープの一滴すらも残さない私がこのうどんにだけは完敗してしまいました。
「つぎ足しの出汁をここに置いておきますね」、そう言って余所のお客のテーブルへと仕事に行ってしまったお姉さんの言葉が分かりました。もたもたしていたらうどんに負けまっせということだったのですね。いやはや参りました。ごぼう天も普通のが良いなぁとぼやく私に大王さまが仰いました。
「地元の人が美味しいって通っているんだからよそ者がとやかく言ってはいけないよ。歴史も古いうどん屋さんなんだから大いに価値があると思うよ」
「・・・」
そう言えば昆布だしの格調高さだけはいつまでも口のなかに残っていました。良い昆布をふんだんに使っているようです。