おやじ歳時記

四季を彷徨うジイジの日々好き勝手記

July 2020


涼誕生日陰膳
〈陰膳つくりました。地味ですが〉

25歳になりました。
「生まれた!!生まれた!!」と家族全員で大喜びをしたあの日曜日の夕方が四半世紀前の今日だったということに。毎日テレワークに明け暮れているとは言え、サラリーマンになった若さまももうしっかりオジサン。私などはもうすっかりジイさんに化けてしまいました。
あの時、「僕が一番に抱っこする!!」と言っていた若だんなも一児の親に。毎日、我が子相手に奮闘しているはずです。これもまた順番です。

 
おぼろげな記憶が残っている自分の幼少期から25年間もの大小の出来事と投影したら、我が子のこれまでの時間の経過がなんとまぁ速いことかと。成長を感じ、見つつだった子どもたちとの日々の記憶が鮮明だからかもしれませんね。それにさまざまな出来事が付随しながらの毎日だったので、日々の濃淡の度合いを肌身で感じながら過ごしたからでしょうか。あっという間の25年でした。
苦しみもがいたあとの離婚にはせいせいしました。怒涛のようなさまざまな感情が入り混じったあとの別れ。とっても身軽になったと喜びながらも、さて3歳児の子育てをどうするものかと改めて思う心の立ち止まりに戸惑ったこともありました。両親や大王さま、そして世間の人々の支えをもらいながら、でも何とかなって育っていった若さま。気がついたら人の気持ちがわかる人間に成長をしてくれてて、人生の負の材料にもなりかけていた家庭事件をバネにしてできた彼のありとあらゆる天分に感謝しました。小学生の時に、「大丈夫な人間になる!!」と確信が持てました。
もしかしたら、perhapsですが、夫婦ふたりで子育てをしていたら果たして成功したかどうかはわからないかもしれません。片親になってしまう境遇があの子の運命として25年前にこの世に生を受けて来てくれたと思っています。しかし分娩室で母親が一生懸命に頑張って産みの苦しみの末に産んでくれたことは忘れないでほしいなぁ。これって祈る思いで廊下で待っていた男親にしかわからないたとえようのない万感かもしれません。男って無力だなぁとしみじみ感じた神秘さと崇高さでした。
人生って何があるかわからない。でも子どもは必ず親の背中を見て育つ。それだけ子育てって未知であり、結果よりも過程がすべてかもしれないなと思っています。
社会に送り出した今、ひたすらつつがなきことを祈るだけです。

ということで今夜は若さまと夜7時過ぎからおよそ2時間、誕生日おめでとうのオンライン飲み会を開催しました。 初体験!! 
こちらは地味な、でも好物の色々を取り揃えた夕餉。若さまは成城石井のやら、結構素晴らしいものを披露しながら愉しく過ごせました。
独身貴族を謳歌してますな。
便利な世の中なったものですが、自由気ままな大学生であった私にとっては苦手な文明の利器かもしれません。縛られているみたいで(笑)


今日のように暑かった12年前のこの日のお昼。若さまの誕生日を待ってようやく入院した父。救急車に運ばれていく時にストレッチャーの上に何故だか端座していた父。その姿はまるで即身成仏のようにも見えてゾッとしたことを覚えています。父が愛した家との永遠の別れになった灼熱の日でした。おそらくそれを気づいていたか、覚悟していたかで居住まいを正したのかもしれません。今になってあの人らしいと懐かしく思い返されます。
愛し慕う。そんなふたりだった父と若さま。きっと若さまは無償の愛を注がれ続けてくれていた父から今でも、そしてこれからも守られるはずです。
しかし25年前、12年前のそれぞれの夏に、今の世界がこんなになっているなんて誰が予想したでしょうか。



 


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〈花手水。ひまわりに替わりました〉

豪雨の巻き添えになった湯平温泉で宿を経営していた4人の家族さん。おばあちゃんとお母さんとお孫さんが見つかりました。かわいそうに。
廃れていくばかりだった由緒ある温泉街になんとか元気をと頑張っていた28歳の彼。「電脳女将・千鶴」という公式キャラクターを制作して、侘びた温泉街に明るい一灯を灯しはじめていた矢先だったのに。湯平温泉の大切な宝を失った・・・そんな思いがしています。
ウナギや川魚料理で有名な行きつけの嬉し乃食堂もどうなっているのかわかりません。気さくで優しい女将さんとのよもやま話も愉しくて食と会話が弾むひと時を過ごせていました。側道はありますが行くに行けない不通になっている湯平までの快適な道路。湯平温泉の街、個々が蘇ってきっとまた再開してくれるだろうと信じています。失った尊い命の代わりにどうか街が発展してくれることを祈っています。


石畳が風情たっぷりで、美しい川の両端には温泉宿や趣向を凝らした公共の浴場があったのですがどうなってしまったのでしょうか。その美しく静かだった川が大暴れして川筋を無残な姿に変えてしまったのですから、人と自然の共存共栄の難しさを痛感しています。人間が驕ってはならないということを、自然はまた尊い命を犠牲にして示したのでしょうか。訓えにしては代償が大きすぎると思うのです。それも真面目に生きている人を狙い撃ちしているみたいなことを。命あっての昨今であることを痛感しています。今を生かされていることに感謝せねばと、近年の大災害によって失われ無くなりつつあれこれの残像を追いながら思っているところです。


災禍に見舞われた人びとに神社の花手水を手向けて、哀しみと悔やみに包まれたまま令和2年の7月が確かに暮れつつあることを感じています。
そして被災された方たちは一日も早く立ち直ってもらいたいと心から思っています。




夫婦岩
〈仲良しこよしのおっさんずにぴったりの豊後二見ヶ浦の夫婦岩😓〉
浅海井駅
〈あざといではなく・・・あざむい。です〉

用事があって津久見と佐伯方面に行ってきました。もう間もなく今年の梅雨も明けるはず。いつも以上に激しくて、そして悲しい思い出を残して行きつつある令和2年の梅雨です。
そんな思いを持ちながら片道1時間程度の位置にある佐伯市浅海井。読めます?浅海井。難読ですね。あざむい、と読みます。ここにある浅海井駅が九州最東端とか。地の果てのような切羽詰まった雰囲気など更々ないのどかな港町にありました。
この駅の近くに「塩湯」という食事処と温泉が併設された人気スポットがあります。真ん前が海、豊後水道です。この豊かな海から獲れる魚の数々をてんこ盛りにした海鮮丼が有名で遠近を問わず多くのお客さんが訪れているとか。我々は11時開店と同時に到着しましたが既にほぼ満席状態でした。車のナンバーも県外がちらほら。人の口に戸は立てられないということわざもありますが、こちらはいい意味でクチコミが拡がっているようです。


塩湯:海鮮丼
〈ボリューミーの域をはるかに超越。ワンダホー😍〉
塩湯:ヒオウギ貝
〈サイドにヒオウギ貝のバター焼きを。美味し!!〉

魚料理のメニューが豊富すぎて迷いましたが、
「ここに来て海鮮丼を食べないっておかしいでしょ」
大王さまの強い勧めに押し流されて・・・、海鮮丼に。待つこと10分足らずだったでしょうか。やって来ました名物海鮮丼。いやもうびっくり!! おったまげ〜〜〜のうず高さと盛りこぼれ。
まず赤足車エビがセンターに!! 続いてウニにイクラにブリにタイ、アジにヒオウギ貝。大好きなキビナゴの天婦羅もON。おぉ、小アジの活き造りも目を開けたまま仰臥。目の前はもはや躍り狂いのドンブリ、水族館ドンブリであります。これでお値段が1200円とはのコスパに大感謝であります。偏食が祟って魚がダメな人もいますが、もったいない人生なんだなとしみじみ思うくらいの豪華さでありました。
アレルギーは別にして偏食って親の責任。チヤホヤして育てた結果の汚点。欲しがる物ばっかり食べさせて育てて。口当たりのいいのばっかり食べて育ったもんだから、生き方も含めて何もかも自分にとって口当たりのいいことばかりで済ませる。そんな人ほどわがままというかオレ様ばっかり。そんなことを思いながら、満席のお客さんが幸せそうに頬張っている姿を見ていた私でした。人間って食べている時が一番幸せなのかもしれません。第一無防備ですもん。
しばらく刺身は食べたくないねってくらいに堪能しました。食べ終えてさて温泉にと河岸を替えに表に出たら、すでに店先には大勢の人たちが強い日差しのもと列をなしてランチの順番待ち。いつまで経っても手強いコロナなんて追っ払うくらいの食に向ける欲求ってすごいね。いいぞ、この調子でみんなが元気になってくれたら。


塩湯:温泉
〈だぁ〜〜れも入って来ず、我々だけのファンタスティックなお風呂でした😊〉

塩湯の名前のとおりに塩っ辛い温泉でしたが、心地よさは抜群でした。波打ち際っぽい浴槽の雰囲気と目の前に広がる海。ロケーションも最高。露天風呂も夏の海と一体できるような開放感がいい。ランチ時間で皆さんはお食事に夢中だったからでしょうか、貸切り状態のバスタイムになりました。食事もお風呂も言うことおまへん。そんな大満足でした。

先の豪雨で大分県の北西部の地域に甚大な被害が出てしまいました。塩湯のある県南地域はこの度の豪雨の影響は少なかったようでした。片方が良ければ片方が悪い。糾える縄のようなこととして仕方のない自然の法則なのでしょうか。コロナが一日も早く収束して、すべてが平らのように穏やかな日と時が訪れてくれることを祈るばかりです。


またひとつ若い命が散ってしまいました。自らの命を絶つという手段で。もったいない、あたら若い命を。友人も多かったらしいのにひとりで悩み苦しんでいたのでしょうか。何かしらの業を背負っていたのでしょうか。
皆さんが悔やみ哀しんでいる様子を見て、もしかしたら今ごろ後悔しているかもしれません。自分が思っていた以上に愛され好かれていたことに気づいて。二度と再び帰って来れないんだよ。ひとりの旅路がいよいよ寂しいでしょうに。
大分市がロケ地になった映画「恋空」の主人公でもありました。テレビドラマで若だんなも共演したことがありました。最近では日本の文化や歴史、産業などを探し求めて全国47都道府県を網羅して「日本製」という本を出版もしています。大分県にも足を延ばしていました。とっても真面目であったとか。真面目すぎて心が立ち往生してしまったのでしょうか。
テレビや映画などで活躍している人は酷ですね。亡くなっても、生きていた時のそのままが映像に残されているのですから。
素敵な若者、安らかに眠ってください。





サザエ
〈このサザエが4個600円〉

不謹慎なお話しですが、コロナの影響でひとつとっても良い恩恵が。思いもかけないことが暮らしの細部にもたどり着くものなんだと、ちょっと驚きながらも嬉しく堪能している今日この頃です。
それは大分産のサザエ。ここ数ヶ月というもの非常に安値になってて、いつもであれば下々に暮らしおる私たちなんて魚屋で見て見ぬ振りをせざるを得ないくらいの高嶺の花。ところがいつになったらコロナが収束するかまったく見通せないままの今。料理屋さんも閑古鳥なので、その分一気にスーパーに並んでる状態が続いています。常ならば天恵のような高級食材ですが、今は獲れるだけでも獲っていくらかでも収入を得ねばならない苦渋の漁師さんということでしょうか。
漁師さんの生業と暮らしを心配しながら、滅多にない有り難いコスパにハイエナ状態になっている私たち。あまりにお安いので胃袋の欲しがるまま、見つけたらせっせと買い続けているところです。だってサザエ、大好きなんですもん。今は許してもらいたいGoTo・・・Sazae です。
ここのところ芸のないつぼ焼きばっかり、殻から苦いワタが最後まで取れたちぎれたのと一喜一憂のサザエの晩ですが、いつかはサザエご飯にもチャレンジしたいと思っています。コロナが落ち着いていつかはこんなサザエ三昧の日が終わるでしょうし、何よりもこれほどまでひどい疫病は終わってほしいものです。


コロナ、不景気、豪雨。踏んだり蹴ったりの令和2年。人生の節目を迎えるはずの人たちにとってはなし崩しのような今年になってしまっています。新人さんも結婚式もお葬式も。
お葬式は家族葬が定着しているので「身内にて」のやり方でも気持ち的には穏やかですが、それでも寂しい野辺の送りになっています。しかし結婚式を挙げられない若い人たちや両親にとっては本当に辛かろうと思います。人生の最も大きな晴れ舞台なのに。特にその日を小さい時から夢みていた新婦さんは。
知り合いの息子さんも本来であれば今月結婚をする予定でした。もちろん結婚式も。ところが世の中がこんなになって、式は来年両家の家族だけで沖縄でやることにして入籍だけ今月済ませました。まぁ結婚したという事実は事実ですが。元々が大仰が苦手だったみたいなのと、職場上結婚式に誰まで呼べばいいものか、ボーダーを考えるだけでも頭痛のタネだったらしく、言い逃れのできる結婚式なしを公言して逆に清々している新郎です。


いずれにしても世間はコロナに踊らされ、そして先の豪雨にみんなが心を痛めています。穏やかに過ごせる日が一日も早く訪れてくれることを祈るばかりです。幼稚園に通っている東京の若ぎみではありませんが「ののさま、どうかお助けください」です。




大雨が降り続いていた間隙、雨上がりのわずかな時間に狙いを定めて、先週水曜日に臼杵石仏群にある蓮を観に行ってきました。一昨年は早朝でしたが今回はお天気具合で真っ昼間。お昼の蓮は朝頑張って咲いていたのでほとんど休眠中。それにとにかく雨後と気温の上昇とでもうジメジメマックスでした。
それでもこの豪雨やコロナのひどさ、人びとの様々な思いなどを忘れさせてくれるような泥中の花である蓮の気高さと、毒気のない長閑な田園風景に心が落ち着いていくのを感じました。


満月寺
〈臼杵石仏のお寺、満月寺〉
石仏の里
〈満月寺から里をテクテク歩いて最上寺へ〉
最上寺
〈満願成就のお寺、最上寺〉

今回は蓮の花とともに一度訪れてみたかった紫雲山満月寺
(まんがつじ)と、山間にある最上寺(さいじょうじ)に行くことができました。
昔はいくつもお寺があってその総称が満月寺であったとか。こんな山里に堂宇が点在していたなんて、きっと壮観だったろうなと。
この満月寺は臼杵石仏を彫った蓮城法師が開基したお寺。当時は数々のお寺がひとつになって石仏を供養していたのでしょうか。大友宗麟によって焼き討ちされたあと廃寺同然であったのを近年再建されたようです。さすがに全国的に有名な臼杵石仏のお寺だけあって、とても美しいというか清らかというか、こぢんまりとした佇まいながら真言宗のお寺ならではの荘厳さがありました。境内の至るところに置いてある大きな鉢に植えられた蓮が仏教感をかき立てられました。お浄土、そんな感じがこのご時世の疲弊を慰めてくれているかのようでした。


もう一ケ寺の最上寺。こちらは印刷会社のお姉ちゃんが「是非とも是非とも」と教えてくれていた満願成就のお寺さんです。ご住職が占ってくださることでも有名とか。件の印刷会社のお姉ちゃんは過去のことがものの見事にバレバレになったとか。苦い過去持ちの私、怖や怖や!! 生き方に心当たりのあるお方は是非。
「私、思いつきで行ったものでヒールの高い靴を履いたまま駐車場から坂道を歩きました」
そう聞いていたので、蓮畑の駐車場からすっかり歩くもんだとジメジメのなかの長い道を歩きました。トドメは登り坂と石段。喘ぎの途中、ふと気がついたらもう間もなく目的地の直近に立派な駐車場があるではありませんか。娘ほど年の若いお姉ちゃん、きっとこんな近くからでも歩いてヘトヘトだったとは。
降った雨の影響で至るところから水が湧いていたりで、暗さと湿気でヘビでも出てくるんじゃなかろうかと恐る恐るでした。
しかしなかなかの雰囲気。草庵にでもいざなわれるような不思議な感覚。たどり着いた本堂もなかなか素敵。本堂の外陣では数名の若い女性がご住職から何やら説かれていました。これはきっと身の上相談、占いの真っ最中だろうと我々ふたりは軒下からお参りして帰りました。
満願成就、もちろんお願いごとをしましたとも。


毎週日曜日正午から九州朝日放送制作で九州、沖縄、山口でオンエアされている前川清さんの旅番組「笑顔まんてんタビ好き」に出ていた湯平温泉にある「つるや隠宅」のご家族。前川さんが訪れたのは昨年秋だったかなぁ。
ここを経営していたご家族の皆さんが、豪雨のなか車で避難中にどうやら犠牲になったようです。
番組では20代のお孫さんが一生懸命に接客したり、お母さんや大女将であるおばあちゃんがあたたかくサポートしていたりしていました。昔は別府温泉に次ぐ九州で2番目の人気温泉街だったと聞きます。寂れていく湯平温泉で前向きにこんなにも頑張っている若い人がいてと頼もしく感じていたのに。
よりによってこんなことに巻き込まれるなんてとても残念です。大雨のなか、車で避難しようとした思いと行動に魔がさしてしまったのでしょうか。悲しくて痛ましい限りです。
コロナと豪雨の二重苦。旅館やホテル業界はこれに訪日客激減が加わって三重の苦しみを余儀なくされています。たまんないだろうなと。誰もどれも好き好んで招いた災いではないのに。
「どうして私たちばかりが」と、言っていた男性の声が耳から離れません。ここで何とかかんとか今を過ごすことができている私たち、有り難いことだと感謝せねば被災された方たちに申し訳ないです。




今日は七夕。天の川がきらめく夏の美しい夜空どころか激しい大雨の七夕の夜になってしまいました。織姫さんの汀まさった七夕になりました。
福岡や熊本でひどい被害が出るくらいに今年の梅雨もまた暴れています。
毎年、数十年に一度しかないような災害、体験したことのない災害と言われ続けていますが、近年の災害を伴うこんな大雨は去年より今年、今年より来年再来年……と激しさもひどくなっていっているということでしょうか。年々更新している「数十年に一度」だとしたらこれから先一体どうなるのでしょう。
大分県も山間部や大きな川が横たわっている日田市などで水害が発生してしまいました。天ヶ瀬温泉街の真ん中を流れる玖珠川が大きな濁流となって狭い渓谷の両岸にある旅館を直撃してしまいました。大きな橋が濁流に呑まれて流されていく画像を見て自然災害の大きさに驚きました。寅さんにも出ていた赤い橋が無残な姿に変わり果ててしまって。
日田市をはじめ福岡県朝倉市や東峰村、彦山のある地域は3年前のちょうど同じ頃に九州北部豪雨で大きな被害が出ました。なんとか復興できたのにまたもやです。


今回、被害の大きい熊本県は先の大震災を乗り越えて元気を取り戻しつつあった矢先なのに、何という無情なことかと腹立たしく思いながら刻々と変化していく様子のニュースを見ています。そこに暮らさざるをえない人たちの希望を打ち砕くようなこの自然災害は年々ますますひどくなってきています。


治水は昔から国を治める政治家の宿命、大命題のようでもありました。向かうところ敵なし策略家だった白河法皇が、「加茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と、意のままにならない賀茂川の氾濫に手を焼いていたと伝えられています。
今回大きな災害をもたらした球磨川もダムが必要ではなかったのかと言う人がいます。今更ですがそうだと思います。民主党時代に代替案もなく、大騒ぎしてただひたすらにダム建設を中止にした大きなツケかもしれません。こうやって人の命が犠牲になっている今を見て、あの時にツンツンして気持ちよく中止しまくっていた民主党の議員たち。どんな思いでいるのでしょうね。ダム建設反対の急先鋒だった現職の熊本県知事も。
所詮、我々には関係ないとでも?? しっぺ返してやらねばなるまいでしょ。


併せてコロナ。なんとか持ちこたえようと頑張っているのにまさに多重災害です。頑張っている人たちの心が折れるじゃないか!! どうしてくれるんだ!!と、憤りの持って行き場がなくて無闇に感情が昂っています。
こうやって日本の風景がことごとく壊されていく近年。男はつらいよのロケ地だった場所もずいぶんと変化しているはずです。おそらくどこもここも衰退のほうが勝っているはずです。あの映画が当時かろうじて残っていた日本の原風景の証拠のような思いがしています。映画自体がもう文化財の範疇のような存在です。古いままの街並みが残っているヨーロッパと大違い。景気の上昇、経済の躍進とともに日本人は大切なものを捨てていったのかもしれません。



 


日本人は奇数が好きらしいといった内容を何かの本でチラッと見たことがあります。確かに1月1日、3月3日、5月5日、毎月1日の月次のお祭り。七五三だって奇数の集合だし。死んだあとの回忌も奇数だらけ。家族がそれまで元気かどうか分からない五十回忌と百回忌でかろうじて割り切れますが。祝祭日だって奇数の日が断然多いし。なぜなんでしょうね。道教と縁の深い陰陽師の仕業でしょうか。
日本人は「余り」の余韻が好きなのかもしれません。気持ちがまだ残っているというか、含みを持たせるというか。奇数が日本人のゆかしさに通じると思うと、歴史やアイデンティティが混ざり合っているようでとても興味があります。
しかし8月8日生まれの私にとって8の数字が終生好きなのでどちらかと言えば偶数の方が好きかも。


ちなみに中国は偶数がお好きらしいです。きっちり割り切る。「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの。だから世界は俺のもの!!」。それの何が悪いのかと開きなおっています。
中国は今、ものすごい勢いで世界中を屈服させようとしている感じです。香港にも人を人と思わないような国家安全維持法を制定して、結局「統制」なのでしょうが、約束なんてクソ食らえがまかり通るのですからひどいことです。
そそのかすことを使嗾(しそう)ということを近年初めて知りましたが、今の中国は世界中の途上国を使嗾して懐柔している感じです。冷徹で恐ろしい国です。


50年以上も前、当時小学生だった私の担任の先生が青島から引き揚げた人でした。社会の授業で「中国は眠れる獅子です」と言ったことを今でもはっきりと覚えています。当時、そんなに感じなかった中国の国力。毛沢東や周恩来の名前をちょくちょく耳にするくらいの国でした。しかし今の中国を見ていると先生が言ったことの大当たりの根拠は??と不思議に思うのと、先生の慧眼に驚いています。先生の豊富な知識や常識、使命感って上っ面だけではなかったというのが、あの頃の「真の先生の姿」だったんだと思います。
私自身は偶数との縁が深いですが、奇数が好きな日本人と奇数文化を大切にしている日本に生まれて本当に良かったと、自分の生まれ星の運命に感謝しています。

ところで私、いまだに奇数偶数がとっさに出ないというか判断がつかないという大きな弱点を持っています。どうも脳みそのある部分、奇数偶数の区別をつける細胞が欠落しているみたいです。奇数偶数真空化体質です。小学生の頃に学んだ、たったこれだけのことが曖昧模糊として続いています。人さまの前ではごましていますが、このモヤモヤは死ぬまで続きそうです。


佐藤錦
〈きれいなサクランボですが今年は不作とか。心していただきます!!〉

秋田から佐藤錦が送られてきました。冷蔵庫に入れなきゃと大騒ぎする私を尻目に、
「食べる直前でいいんですっ!!」
ときっぱり。説明書をよ〜く読んでみたら常温でとしっかり書かれていました。冷蔵庫信奉者こそ一番の要注意人物のようですね。にしてもこの高温に常温でとは。今度は箱を捧げ持って少しでも風通しがよくて、さくらんぼが苦しくなくて若々しさを維持できる常温の部屋探しにあたふたしている私です。到来物のこのさくらんぼには、奇数も偶数も関係のない食い意地の汚さが繰り広げられる数日になるかもです。


これから数日は梅雨らしい雨降りが続くようです。今日などは朝のうちに大分でも大雨が降りましたが、熊本県では球磨川が氾濫して大きな橋が濁流もろともに流されてしまったり大変なことになっています。コロナに豪雨、そしてまかり間違いでもして地震でもきたら、日本はどうなるのでしょうか。

庭の木々も遠くの山の緑も深みが増して、さらに雨に洗われて静かな美しさを見せてくれています。いい感じのしっとりですね。各地の被害の報さえなければさらに眼福なのですが。
蒸し蒸しのじっとりは御免被りたいです。しっとりとじっとり、シトシトとジトジト。疲れて頭がクラクラするくらいならいいですが、地震で日本中がグラグラしたらと思うと、コロナ禍を教訓に今はおとなしくすべき我々日本人ではないでしょうか。夜の街でハメを外して感染しても誰も同情するどころか、「こんな時に軽率なことをするかね」と、非難と嘲笑の餌食になるだけかと。もう自己責任でしょ。自覚を持ってもらいたいものです。
濁音になると不快な雰囲気に変化して、さらに強調され疎まれる言葉に化けるようです。濁音も濁流も夏には遠慮したい存在です。




花手水
〈風雅!!のひと言です!!〉

 
気分的に6月よりも爽やかさを感じる7月の到来です。とは言え梅雨はまだまだ続くのが毎年の常。さっさと降ってとっとと梅雨明けをしてくれないものかと念じる今日は7月1日、文月朔日です。

7月と言えば祇園祭、山王祭、大阪の天神祭の有名どころのお祭りがありますが、長い歴史の中で美しく繰り広げられているのに今年は悲しいかな中止に。神事は執り行われるのでしょうが神賑の諸行事がお流れのようです。
9世紀の京都で疫病が流行り、麻呂も道々の人たちも洛中洛外の町の人たち、それはそれは大変であったようです。その元と思われていた怨霊や鬼を鎮めるために行われたのが祇園祭のはじまりとか。元々が湿地だった京の都なので土地柄、マラリヤや赤痢、それにインフルエンザなどで苦しめられたようです。この頃は富士山噴火や東北地方で地震と津波も起きたとかで、時代って巡ってくるんだなぁと背筋の寒くなる思いがしています。
コロナさえなければ東京オリンピックで日本中が沸き返り、そして日本の三大夏祭りが催されの、日本中が祭り一色であったはずなのに残念です。


そんなこんなの今年の7月ですが、社会人一年生になった若さま25歳の誕生月でもあります。
健やかに、そしていよいよ大人のオトコとして磨かれていく25才。パンダの高校時代のご学友が結婚したとの賑わしい情報も飛び交いはじめたお年ごろになりました。
いくらでも可能性が散りばめられていて羨ましい若さです。丁寧に、そして思いきり今を過ごしてもらいたいものです。思ったことはやればいい。後悔するよりよほど人生の糧になりますもん。


年を取ると昔を懐かしむと同様に時間の速さに驚く日々です。どうしてこんなにもすぐに1年が経ってしまうの??と。年を取れば取るほどそう感じることをジャネーの法則と言います。「じゃあね」のつれなさではありませんです。
Wikipediaに、
「簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)と主張したものである。例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる」と。
簡単にとは記されながらも学術的文章はややこしい。まっ、とにかく子どもの時よりも時間を速く感じてしまうということですね。


大きなお祭りも見送りになる静かに迎えた7月。
地元の神社に提案して花手水などなさったらと。すぐさま実施してくださって、昨日の夏越大祓式では風流な手水舎になりました。清らかな水と夏の花、紫陽花のコラボ。美しさと優しさと、そして清浄さを増幅させるのは場所柄もあるのかもしれませんね。大きなお祭りも素晴らしいですが、こんな小さい彩りも素敵です。行事の大小は異なりますが、目を見張り心弾ませることは同じだと思います。


今日の晴れで空の青さが映えています。どうやら明日も好い天気だとか。今日明日はきっと空気も景色も洗われたようにきれいなはず。
しからばと、ばあさまショートステイの不在を好機ととらえてどっか行きたいと何やらウズウズしています。とは言えこんな時節柄、不届きに県をまたぐこともままなりませんしね。
晴れ間の有効活用は近場近場でぐっと堪えることにします。



 

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