〈陰膳つくりました。地味ですが〉
25歳になりました。
「生まれた!!生まれた!!」と家族全員で大喜びをしたあの日曜日の夕方が四半世紀前の今日だったということに。毎日テレワークに明け暮れているとは言え、サラリーマンになった若さまももうしっかりオジサン。私などはもうすっかりジイさんに化けてしまいました。
あの時、「僕が一番に抱っこする!!」と言っていた若だんなも一児の親に。毎日、我が子相手に奮闘しているはずです。これもまた順番です。
苦しみもがいたあとの離婚にはせいせいしました。怒涛のようなさまざまな感情が入り混じったあとの別れ。とっても身軽になったと喜びながらも、さて3歳児の子育てをどうするものかと改めて思う心の立ち止まりに戸惑ったこともありました。両親や大王さま、そして世間の人々の支えをもらいながら、でも何とかなって育っていった若さま。気がついたら人の気持ちがわかる人間に成長をしてくれてて、人生の負の材料にもなりかけていた家庭事件をバネにしてできた彼のありとあらゆる天分に感謝しました。小学生の時に、「大丈夫な人間になる!!」と確信が持てました。
もしかしたら、perhapsですが、夫婦ふたりで子育てをしていたら果たして成功したかどうかはわからないかもしれません。片親になってしまう境遇があの子の運命として25年前にこの世に生を受けて来てくれたと思っています。しかし分娩室で母親が一生懸命に頑張って産みの苦しみの末に産んでくれたことは忘れないでほしいなぁ。これって祈る思いで廊下で待っていた男親にしかわからないたとえようのない万感かもしれません。男って無力だなぁとしみじみ感じた神秘さと崇高さでした。
人生って何があるかわからない。でも子どもは必ず親の背中を見て育つ。それだけ子育てって未知であり、結果よりも過程がすべてかもしれないなと思っています。
社会に送り出した今、ひたすらつつがなきことを祈るだけです。
ということで今夜は若さまと夜7時過ぎからおよそ2時間、誕生日おめでとうのオンライン飲み会を開催しました。 初体験!!
こちらは地味な、でも好物の色々を取り揃えた夕餉。若さまは成城石井のやら、結構素晴らしいものを披露しながら愉しく過ごせました。独身貴族を謳歌してますな。
便利な世の中なったものですが、自由気ままな大学生であった私にとっては苦手な文明の利器かもしれません。縛られているみたいで(笑)
今日のように暑かった12年前のこの日のお昼。若さまの誕生日を待ってようやく入院した父。救急車に運ばれていく時にストレッチャーの上に何故だか端座していた父。その姿はまるで即身成仏のようにも見えてゾッとしたことを覚えています。父が愛した家との永遠の別れになった灼熱の日でした。おそらくそれを気づいていたか、覚悟していたかで居住まいを正したのかもしれません。今になってあの人らしいと懐かしく思い返されます。
愛し慕う。そんなふたりだった父と若さま。きっと若さまは無償の愛を注がれ続けてくれていた父から今でも、そしてこれからも守られるはずです。
しかし25年前、12年前のそれぞれの夏に、今の世界がこんなになっているなんて誰が予想したでしょうか。