おやじ歳時記

四季を彷徨うジイジの日々好き勝手記

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LeTAO
LeTAO
LeTAO

退院の日をめがけてロックオンされてきたような若さまからのお見舞いが届いてびっくりしたおっさんずでした。
モノは小樽にある「LeTAO」のドゥーブルフロマージュ。まことに勉強不足でボクはまったく知らないスイーツでしたが関白さまはさすがにネット民。「コレは!!」と大騒ぎ。それを見てやっとボクもことの重大性、小樽の銘菓の価値や貴重さを知ったあんばいでした。
まずはチョコレートからと。これまで味わったことのない味とステキな食感にも驚きました。 もそっと高尚に頂かなきゃと妙に姿勢が良くなったりしたねと大笑いしました。
テレワークとたまの出社、最近は北関東に数回の出張まで加わったトリプルジョブの若さま。サラリーマンとしては当たり前のことではありますが。そんななかでもこんな心ばせを時間を見つけてはと思うと涙が出るくらいに嬉しかったです。サンキュー若さまでありました。おご馳走さまでした。


日々の暮らしから離れていろいろ思うことのできた今回の入院手術劇でありましたが、思うだけではなく強い気持ちで物事を対処できるような、またじっくりと見定めることができるような、老獪とまではいかなくても歳に見合ったシニアにならねばと、改めて認識をさせられた今回の入院でした。ひとえに入院中の同室の皆さんや別室のおばあちゃんたちの人生の来し方。家族のあり方、人との付き合い、押したり引いたりの加減、抑えどころや決めどころの要点などの体験談が非常に身に染みました。含蓄が有り有りで「まことに仰せごもっとも!!」と思うことが多くありました。
「しっかりしなさよ」と後押しも関白さま。そしていつも当たり前のような自然な態度を振る舞える若さまの優しい気持ち。親子であっても礼儀ある行動が何よりなことだと再確認のひとつになりました。老いるばかりの我が身です。反して思うことが深くなるばかりの内外の材料が増えて。やれやれやってられません。

退院して春のようなうららかな天気。ちょうどタイミングも良かっただしで、西大分の占いおばちゃんに立春の挨拶に行ってきました。四方山話を交えながら珍しく
40分も話し込むことができました。
「今日あたり来るんじゃないかなと待ってたよ」
「実はこれこれしかじかで疲れきっております」
「だからいつも言ってるやろ。背負い込みなさんな。放っておけばいい」
いつもながらまことに聞き惚れるほどの一刀両断のお言葉ではありましたが、納得というか諦める境地に赴くまでこんな凡人はなかなか(涙)

■雨水のなかの沈丁花■
沈丁花

今日は雨水。朝には本当に雨が降って昔人が編んだ季節の表現、二十四節気ってすごいもんだなぁと感心してしまいました。我が家の玄関アプローチ脇にある小さな木のままの古くからの沈丁花。雨の重さのお陰で香りに気づきました。季節を寿ぐ雨水のお下がりかもしれませんね。
人も森羅万象も残念なことにちょっとずつ狂いが生じてはいますが、今ある季節や環境を大切にせねばますます荒むばかりだと改めて思っています。




大暑から立秋までが一年でもっとも暑いと言われていますが、最近はそんな季節のメリハリもなく、ただひたすら暑い日が延々と続いています。猛り狂っています。
今年の立秋は8月7日。このままだと慰めにもならない二十四節気だろうなぁと悲しい思いと、それなりの覚悟で暦の秋を迎えそうです。


ローソンのアップルパイシュー

最近のことですが、我らおっさんずがハマっているのが、
LAWSONのアップルパイとアップルパイシューであります。もろに一途なおっさんずのスイーツラブ。
どちらもボリューミーで食べ応えが素晴らしいです。特にゴロリとしたアップルが収まっているアップルパイは、そこら辺の洋菓子店の高価なものよりずっと素敵です。人の口には戸を立てられないと言われているように、美味しさの喧伝は全国くまなく瞬く間に拡がって、僕の行動範囲のなかでも滅多に見ることができない、今では貴重なアップルパイになってしまいました。それでも何とか幸運をつかめて、これまで5回ほど買うことが出来ました。思いが募りすぎて食べ過ぎなのよねぇ。
最近はもうひとつのシリーズもののアップルパイシューで凌いでいます。後先をまったく考えずにコーヒーブレイクにとよくふたりしていただいています。
そうそう。このアップルパイたちにシナモンパウダーをちょいとふりかけると、たちどころに味もアップします。我流ですが。
自慢じゃありませんが、我が家はこと食べることに関しては抜けがけなしの、健全にして平等な心根のおっさんずであります。 ひとつの平和的ルールみたいなものです。人目を忍んでこっそりひとりで食う図なんて、コソ泥みたいで大嫌いですし。


桃ケーキ

甘いもの摂取に少しだけ罪悪感を感じていた次の日。友人が早いけれど誕生日おめでとうと、プレゼントに添えてシャトレーゼの桃ケーキを持って来てくれました。
「甘いの好きでしょ」
好きです。好き。大好きです。でも昨日アップルパイシューを食べたばかりなのに。
「もうしっかり年寄りの仲間なんだから健康的に過ごしてね」
と、言ってくれる言葉と裏腹になんて罪なことを!!と大王さまと大笑いしながら、「ええい!!ままよッ!!」と開き直ってしっかりいただきました。人気商品らしく、つるりんとした美しい肌と一緒でさすがに美味しかった・・・です。

大分弁で怖しいことを「怖じい(おじい)」と言います。例えば「あん人は怖じい人や」とか「怖じい目に遭うた」とか。
先日、ショッピングモールで見かけたポスターに、大きく「怖ジイ」と書かれたキャッチコピーに目が留まりました。内容はどんなだったか見逃してしまうほどインパクトが大きかったです。怖しいお爺、怖爺に思えて仕方がありませんでした。
「これはいい!! 盗作、盗用のつもり無しで使わせてもらおっと!!」
頑固で癇癪ジジイにも、たまにはなって、怖ジイ然とすることもいいかもなんて。

こんなに暑くて歩けるか!!をいい口実に、ウォーキングもご無沙汰で運動などほとんどしていないのが現状です。昨年同様に
10月からは心を入れ替えてテクテクを再開するつもりでいます。歩かねば、せっかく減っていた体重が、みるみる元の木阿弥みたいになってきています。
「歩いたら確かにやせるから大丈夫!!」。変な自信と言い訳ばかりがついてしまって、我ながら情けないと自責の念にとらえわれつつも、やっぱり甘いものに目がいき手も出る、そんな暑さ厳しき折柄のなかにおります。自他ともによろしくない影響を及ぼしかねない「怖ジイ」であります。
8月です。秋の気配はまだまだですが、穏やかなひと月でありますように。秋よ、早よ来い。



 


暦が雨水だった昨日土曜日はそのとおりの雨の一日になりました。あれだけ乾燥の日が続いていたのに不思議なことですね。まさにピンポイントで二十四節気のひとつが訪れた思いがしました。
いにしえの人は知恵というか、季節や気候の移り変わりの機微を事細かにとらえることができていたんだなぁと、つくづく畏怖しています。通り一辺倒ではなく長い年月をかけて何代にもわたって紡ぎ続けた結果のこと。森羅万象を見ごとに言葉に変えるクリエーター。もしかしたら天文学、文学を併せ持ち、コピーライターにも秀でていたのかもしれませんね。感性のわざでしょうね。

雛飾り

で、雨水にお雛さまを飾るのが吉日とかで、我が家も
89歳オフクロさまの御為に今年もお内裏さまに出御賜りました。まぁね、89歳寡婦ですから特段吉日でなくてもこの際どうでもよいかもしれませんが縁起は縁起として。そうそう、こうなったら女の子の成長を願う趣旨に準じて、長寿を願ってということになりましょうか。

週末には雨という前もっての予報だったので、事前にいろいろな食材を買っていました。本当は何日分かを買い置くことは、器用さも融通性も持ち合わせていない衝動的生き方の僕にとってはあまり好きではないことなのですが。大王さまに呆れられるくらい毎日の買い物をしたがるのは、気分転換を求めている自分があるようです。しかし、冷たい雨になりそうな週末に出かけるのも億劫だし、何よりも冬の重たい雨に閉じ込められるのもまたいいかと、建国記念日前の10日同様に今回も事前に買い物を済ませました。

チキンパブリカ

ウォーキングなどの他用や買い物に出かけない日を設けることも面白いものだと感じた雨水の日の夕食は、簡単にして見た目が豪華なチキンパブリカをつくりました。鈴木登紀子さんのレシピです。
鳥もも肉、玉ねぎ、マッシュルーム、コンソメスープの素、お酒と塩胡椒、そして主役のパブリカパウダーがあればチャチャチャッとできる、サッパリとした美味しいひと品です。
ご飯にかけていただく愉しくて美味しいメニューってたくさんありますね。筆頭のカレー、たまのハッシュドビーフ、お手軽な和物のどんぶり各種、中華丼や天津飯もオツですね。この目先の変わったチキンパブリカも我が家では時折登場します。
江戸っ子ではありませんが、誰はばかることなく豪快にかき込める自分の姿に「あら、勇ましい。いなせだねぇ」と、酔ったりもして。

しかしですが、食器が鳴る音はもちろん、音を立てる(立ってしまう)食べ方を極端に嫌う大王さま。そりゃ口の中でクチャクチャと音を立てて食べる食べ方は僕も嫌ですが、でも口にまで運ぶ音くらいはよかろうにと思うのですが。
この御仁はうどんや蕎麦、ラーメンにパスタなど世の東西のヌードルの類いは当然のこと、どんぶり物も無音で食べます。「美味しいんだろうか」、ちょっと心配するくらい楚々とです。尚のことどんぶりに口をつけて豪快になどなさいません。吉野家でも長浜ラーメンでも、お箸の先にちょいと乗せたり引っかけたり。器用と言えば器用です。僕がガツガツしようものなら、もの言いたげにチラ見してやり過ごされます。時たまこんなしらけたというか寒い食事風景になります。それはまるで亡くなった僕の父親と同じ食し方です。威勢が無くて、なんかナヨナヨしてるっぽく映るのは、粗雑な僕が悪いのでしょうか。本人はいたってお上品のつもりかもしれませんが(笑)


つい先ほど山口の友人奥さんから友人の訃報。65歳が一期なってしまいました。
一昨年12月に会いに行ったのが、やっぱり最期になりました。あの日から、もしかしたらと、せねばならない一抹の覚悟はしていましたが。
大好きだった友人だからこそ多くの思い出がありすぎて。もうこの世の人ではないという空虚な思いがしばらく続きそうです。
肺ガンの進行はなんとか食い止められていたようでしたが、肺炎が瞬く間に彼の命を奪ったようです。実は今朝こそ「元気にしているだろうか」と思っていたのに。
僕の大学時代、彼の存在は途方もなく大きかったのに早々に逝ってしまいました。あの日、写真を撮っていて良かったと思っています。老いて変わり果てたふたりの並んだ姿とは言え、せめてものよすがになってしまいました。もう会えないんだな。


 


明日は夏至。二十四節気のうちの10番目。気がついたら夜7時を過ぎても明るくてびっくり。こんな狭間なような季節は時間の感覚が虚ろです。でも長い明るさは夏至まででこれからは徐々に暗くなっていくのが早くなっていきます。実は大分は昨日と今日がもっともお昼が長かったようです。クライマックスですね。前後と比べてわずか1分ほどらしいですが。
少しずつお昼時間が短くなっていく喜びとは裏腹に、少しずつ気温が高くなっていくのもこの季節です。これから数ヶ月は忍耐の日々だと覚悟せねばです。隠忍自重の荒業に耐えねばなりません。


さて何を思ったか、明日が夏至だからと夏野菜を買ってきて、午後からせっせと夏野菜の揚げ浸しをこしらえました。なんだか今日は最初から一生懸命につくりたくなって出汁も日高の昆布と枕崎の鰹節からとりました。年末のおせち料理以外で数年に一度こんな手間ひまをいとわないような衝動に駆られます。その時だけは目を爛々とさせて取りかかっているようで、お荒神さまに取り憑かれるのでしょうか。


揚げびたし
〈きれいに並べてそのまま冷蔵庫にイン。珍しく几帳面に仕上げました。夏至の明日が楽しみ〉

長茄子、ズッキーニ、パブリカ、アスパラガス、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、カボチャ、そして椎茸の総勢9種類の野菜たち。珍しく下ごしらえにも気持ちを込めました。丁寧に切ったり隠し包丁を入れたり、茄子の色止めをしたり、硬いジャガイモとニンジンは下茹でしたり・・・。でも途中で荒神さまも昇霊されたのでしょうか、トランス状態から覚めてしまって一気に疲れました。
で、気を取り直してそれらを油で揚げるのですが、野菜によって異なる頃合いの難しさにウンザリしつつ頑張りました。ちょっと気を抜いた途端に案の定、長茄子がクタクタのヨレヨレに化ておりました。茄子と油、相性が良すぎでないかい。大急ぎで長茄子だけ追加で切って揚げ直ししました。
出汁からはじめてだいたい2時間。左手の痺れや右足の関節痛、それと湿気を含んだ暑さに我慢しながら、久々に丹精を込める作業に没頭しました。いつまた左手が今以上に悪化するとも限りませんし。
「できる時にやる!! 今しか無い!!」と思えばパワーアップもします。


粗熱をとってさっそく冷蔵庫で冷やしています。明日の、もはや夏至ではない時短の夏至の夕餐には夏野菜の揚げ浸し、男ぐらしの食卓を飾れると目論んでいます。特段に夏至のお祝いではありませんが。まぁ、これからやって来る辟易の夏に向かって戦闘態勢に入る心構えの儀式といった感じでしょうか。



 


友人というかお互いに言葉でいたわり合える女ともだちの先日は誕生日。果たしていくつになったのかはいまだに明かしてくれずうやむや。心理を探るのが上手な大王さまにしてまったく歯が立ちません。いくらカマをかけても無駄です。早婚だった娘さんのお嬢さん、つまりお孫が今年中1なのでおおかた察しがつく御歳かと。敢えて歳を聞いたりするような野暮な真似は今さらもうしませんが、年齢不詳というのがミステリアスではあります。
僕の誕生日、バレンタインデー、横浜の実家に帰るたびにお土産をくれたりの面白い友だちです。もちろんご主人がいますし子どもさんだって3人います。横浜のど真ん中生まれのど真ん中育ちなのに今ではもうすっかり大分のおばちゃん。田舎風になってか、人並み以上に義理も人情もあります。


で、誕生日なので大王さまと話し合って、例年のプレゼントはやめにしてあの「とんかつ山本ロース」に誘いました。この歳になるとステキな演出より、花より団子。実を差し上げたくなるようになりました。
「朝ごはんは控えめにして出かけてきてください」
恐ろしげなトンカツ屋さんのイメージを植え付けてしまったようです。
「え〜〜〜〜!! どんなトンカツなんだろう」
数日前にそんなやりとりをして当日。別府で現地集合は気の毒なので大分市内で待ち合わせしてピックアップ。僕の車に乗っけて別府に。久々に女性を乗せる我がハリアーも大変喜んで、走りもいつも以上になめらかなことで。


11時30分に着いた時にはもうすでにひとグループが食事中。食券を買って、今回は待つこともせずにストレートにカウンターに座ることができて、待つこと数分で誕生日プレゼント代わりの見事な姿のトンカツが到着。
彼女と僕はヒレカツ。大王さまはこってりと味噌ロース。
「わ〜〜〜〜。大きい!! 食べられるかなぁ」
あとは黙々と食べてもらいました。時節柄ですもん。バースデーの和やかで賑わしいランチはできませんでした。しっかり完食してくれて誘い甲斐がありました。 
黙って静かに食べた反動は道を歩きつつとか、往復の車中でマスクの顔のまんまいろいろな話題で盛り上がりました。特に大王さまは大学時代に横浜住まいだったので、弘明寺だとか生麦だとか磯子だとか、関内や馬車通りなど地名でお互いに言いあいこしながら懐かしんでいました。久しぶりに女の人と数時間を一緒にできて、大きな気分転換になったまったく女っ気のないおっさんずでした。
午後をしばらく過ぎてから彼女と別れてすぐにお仕事。


節分祭
〈宮司さんと裃姿の年男と年女さんの豆打ち。天気も佳くて素敵なお日和でした〉

この日は124年ぶりになる2月2日が節分の当日でした。明治30年以来ということですが、存命であればとってもおめでたいことですが、もうその時分の人たちはいないだろうなぁなんて思いながら、節分祭の取材にも出かけました。
豆まきには思いのほか、いやいや予想以上の参加者の数にビックリしました。ほとんど例年と変わらずの人出。きっとコロナ禍の今年にこそ除災招福を願わずにはいられない、そんな同じ気持ちの人たちばかりではなかったでしょうか。ご社頭でのさまざまなお祭りや行事で人が集まり賑わうことを神賑わいと言いますが、神さまはきっと喜んでおられたかと。
翌3日が春分の日。こちらも一日早い暦になって、日本の神さまのご神威や巡り巡ってやってくる季節の暦、美しい二十四節気が偶然にもこの災難の年にこぞって早めの春を用意してくれたのかもしれませんね。さすが日本です。コロナ撃退!!です。





夏日のあった11月なんてこれまで未体験。30数年前の11月なんて、舞う枯葉が似合う街でコートを羽織っていましたもん。「あ〜、年末がやって来るな」、そんな思いが高まるような日ごとに寒さが増していました。体感も相まってクリスマスソングが似合ってもいました。今じゃ南半球のクリスマスと年末年始かい??
って感じがヒシヒシです。
数日前の暑い、蒸し暑い、南風が鬱陶しい。そんなあってありえないような日々の続きが明日11月22日の小雪。笑っちゃうくらい雪にも寒気にも関係のない二十四節気を迎えます。事実は小雪より奇なりってね。
もうひとつ、外れた季節のなかで奇なりの話がありました!! 我が家の近くを流れている大野川のさらに上流の豊後大野市千歳村で鮭が捕獲されたというニュースに驚きました。太平洋側の南限は関東だというのに。
県内で21年ぶり、大野川では36年ぶりとは言いながらも本来ならば北の海や川が彼らの好む場所であるはずなのに、間違って瀬戸内海経由でこちらに入り込んでしまったとは。海水温も高くてさぞかししんどくて寂しいひとり旅であったでしょうに。しかし立派なことです。ちなみに勇者のようなこの鮭は標本にするそうです。
こんなニュースはおそらく僕の生きている間にはもうないはずだと。珍客は死して姿を残す。やっぱり立派です。


11月22日はいい夫婦の日。車のナンバープレートの人気の上位であるとか。ついでながら鮭の36年ぶりの遡上はちょうど結婚をした36年前と同じです。で、離婚したのが21年前。鮭のお越しと我が家のブラック変遷、何という巡り合わせでしょう。節目にやってくる鮭は神さま、これは何やらのお告げかもしれませぬ。
いい夫婦なんてまったく無関係の僕にとっては、いよいよ足元に火が点いてしまったような勢いのコロナ禍のほうが大きな関心ごとです。これからどうなっていくのでしょうか。
GoToキャンペーンのツケが回ってきたということでしょうか。国民の移動すらままならない結果が大きくなるばかりで経済の立て直しもこれでは惨敗ですね。
いい夫婦の日です。せめてご家庭のあたたかな団らんでもって、今の疫病から逃れてもらいたいと思います。

いい夫婦の日、このフレーズは僕の結婚生活には役立ちはしなかったなぁと。夫婦の時を思い出して、あぁすればよかった、こうすればよかった。そう思うことはありませんが、ひとつだけ心残りのことは会話の大切さを看過していたことです。仕事に疲れて帰ってからの会話が重ければ、せめて相手の話だけでも聞いてやればよかったかもと。すべてはもう遅いことですが。
その代わりと言ってはなんですが、大王さまとは刺激的な言葉のキャッチボールを始終繰り広げております。そもそも会話の乏しいおっさんずの暮らし。ましてや先方は口数の少ない秋田人です。時折発生する刺激的な内容で、なんだか辛うじて繋いでいるおぼつかなさがあります。東京の我が若だんな夫婦、どうかいい夫婦であり続けますようにと途中で夫婦を放棄した父の願いは高らかに・・・です。


ウリハダカエデ
〈全山燃えるような真っ赤な紅葉もいいけれど、こんな存在感も好き〉

写真は護國神社の表参道の脇にある崖を彩っていたウリハダカエデです。毎年、とてもきれいに色づきます。周りの木々が常緑樹なので、それはまるでそこだけお日さまの光がピンスポットで当てられているような神々しさを映しています。
今年も見事に紅葉していました。そして今年は葉っぱの色のグラデーションが際立っていました。日本人の美意識の昇華、技の結晶でもある感動ものの上生菓子のような美しさでした。
美の瞬間に出会えてラッキーでした。





大分ではまたも空騒ぎで終わった今回の迷走台風。すかされましたなぁ。実家の雨戸の閉め回し、オフクロさまの我が家への避難。そして我が家の植木鉢など小物類の片付け。そのてんてこ舞い舞いすべてが無駄に終わりました。
しかし先月の北部九州豪雨の被災地にまで類が及ぶことなくまずは良かったと思っています。どんな災難でも小難に越したことはありません。そして願わくば無難が何よりです。追い打ち……、いくらなんでも神様はそこまでひどいことはなさらないというか、そんなひどい自然災害を神様が何度も許すわけがなかったんだと安堵しています。
我が家の備えの行動など被災地の人々の毎日の過酷な作業に比べたら取るに足らないことです。申し訳なさと今ある自分に感謝です。


さて今日は立秋。嬉しい秋の文字がボチボチ世間にちりばめられる季節になりました。まだまだ気温は軒並み30℃超えが続いていますが、暦を見るたびに季節が涼やかな方向へと変化していく楽しみに喜べるかなと思っています。とは言いながらまだまだ暑さは盛りを増すかもしれませんし、お盆という行事も控えているしで当分は汗みずくの暮らしが続きます。
今年は初盆が数軒あります。父の時にご夫婦でお世話になった方のお宅も初盆です。父上の新盆のお参りに福岡まで行くつもりでいます。
『人にしたことよりも人からしてもらったことを忘れずに生きる』
誰かの言葉でした。本当にその通りだと思います。やったこと……、人さまにしてやったと高飛車に思い、それを忘れないでいる人間は、いつまでもお返しをあてにして待っているということ。そんなことはまっぴら大嫌いです。そんな下心見え見えの卑しい人間がいること、情けないですね。そんな人に限って最初は融通を利かせたり何くれとなく親切をしてくれます。ところが慣れという時間が経つにつれて「やってやっている」という気持ちに変わって、いつの間にやらとんでもない本性が現われはじめます。恩着せがましくなるし代価を期待しはじめます。「してやったのに……」、そう思われないうちにこっちから身を引くことですね。そんな人はきっと余所で、こちらの有ること無いことのさまざまを喧伝して憂さを晴らすようです。


今日は立秋、二十四節気も13番目になりました。節気や節句は祈りだと思います。季節への祈り。移りゆくものが安寧であるようにとの祈りではないでしょうか。節目節目の大小のお祭りや行事を大切にし、真摯な気持ちで神様やご先祖様に祈りを捧げる心とかたちの美しさ。日本の気候風土と相まった宗教や伝統の、それは発祥かもしれませんね。


さて大きな節目、人生の節目が明日、我が身の上に覆いかぶさることになります。
台風が何ごともなく去ったようにオフクロさまも今朝、住み心地の良い自分の家へと元気よく帰っていきました。今夜はその否応なく迎える明日の前夜。これからの人生が少しでも無難であるようにと静かに過ごすことにします。




明日は節分、明後日は立春です。なぁ〜〜にが春の訪れを寿ぐ立春かてなものです。

今日などは車のハンドル奥に表示される室外気温が17℃。本来であれば寒さまっさかりの2月のはずがあっちあられん(あってはならない)、これは立夏みたいなものです。

冬から春にバトンタッチする二十四節気のひとつをめでるにふさわしくないこの暖かさ。冬の寒さを堪えてやっと暦だけでも春なんだなと期待膨らむような天候ではありませぬ。ここ数日はまさしく桜咲く陽気のごとし春本番のおかしさです。きっと寒の戻りはあるでしょうが、それにしてももっとも寒いシーズンのはずがこれでは今年もまた夏が思いやられます。酷暑猛暑と大騒ぎのつらい覚悟をせねばならないようです。


日曜日も登校していった若さま。もちろん弁当をこしらえて持たせました。弁当屋も残すところ20数日しかないはずです。これは何がなんでも気張ってこしらえねば終わり良ければすべて良しの有終の美を飾ることは出来ません。小中学校の頃のたまの弁当づくりの時はあれやこれやと詰め物に心を配ったものでしたが高校生になってほぼ毎日は、ほとんど惰性に近かったような弁当の中身とこしらえでした。惰性でなきゃやってられない心のもって行き場でもあったのかもしれません。小中学校の弁当は遠足と運動会くらいでした。それでも朝早く起きてつくる大変さに高校生を持つ世のおっかさんのご苦労って言葉に尽くせないくらいに大変だなぁなんて思ったものでした。しかし自分がその立場に立つとやれば出来たんだとこの3年間を振り返ってしみじみと思っています。冬の寒い朝は白い湯気が立ち上って朝の仕度の甲斐甲斐しさを感じたものでした。夏の朝は昇ったお陽さまが随分高い位置にあって朝の蝉の声に合わせるみたいにして大急ぎでこしらえたものでした。春は庭の桜でリビングが桜色に染まって、秋はその桜の黄葉が日本の静かな風情を感じさせてくれたものでした。季節の移ろいと一緒になってこの3年間はあっという間に過ぎてしまったような思いがしています。

「貴方は何ごとにも長続きしない。小さい頃からすぐに逃げる癖がある」

祖母から言われたことのある言葉に抗うようにこしらえ続けた3年間ももう間もなく終わります。途中で食中毒暴言事件もありましたし、鮭の塩焼き飽きた事件、玉子焼きうんざり発言もありました。しかしおしなべて大きなクレームや文句もなくよく食べきって帰ってくれました。


反して若だんなは遅刻ギリギリの登校でした。たまに当時の車RAV4の後ろに彼の自転車を乗せて学校まで突っ走ったこともありました。それでもひとつも慌てることなく悠然とした彼の態度にネジの2本や3本が抜けているんじゃなかろうかと思ったものでした。

「人ごとじゃないでしょうが。あんたのことを親が必死にやっているのにあんたも少しは慌てたらどうですかってんだ!!」

学校までの道々によく吠えていたものでした。最近はどうやらその症状が若さまにまで出てきたようでほとんど為すがままの若さまになってしまっています。今度はこう言っています。

「あんたなぁ。ひとりで暮らすようになったら何でもかんでもひとりでせにゃならんのに少しは考えて動いたらどうね!!」

やれやれでございますよ。決してせっかちでも慌て者でもないと自己分析している我が身ですが、この兄弟は負の部分があまりに似ているゆえついつい言いたくもなる父であります。

しかし若さまと大きく異なって若だんなはいくら遅く起きてもガッツリと朝食を摂れる人でした。時折りは作った弁当にまで手を伸ばして、気が付いたら持っていくはずの弁当箱が空のこともあり大笑いもしました。それももう9年や10年も前の話になりました。今では東京でお嫁さんと休日のたびにあれこれを作って食事を愉しんでいるということです。

こちらは旧態依然の親父メシ。聞くところによると東京さんは食べ歩いて美味かったのを後日自宅で再現しているとか。若だんなが作った料理のその証拠写真をお嫁さんがスマホで写真を撮ってストックしているようです。ふたり片寄せあって可愛らしい生活をしているんだなぁなんて微笑ましく思っています。ガツガツ食っていた高校生も27歳になるとライフがおしゃれですなぁ。聞いたこともないようなメニューを教えてくれますが、芋の煮っ転がしやトンカツなどの単調極まりないメニューのサイクルに乗っている私なんぞはチンプンカンプンであります。そう考えてみたらそんな親父メシにしかありついていない若さまも大王さまも可哀そうな犠牲者かもしれません。大人ふたりの生活になったらちょいと手の込んだものでも作って、大王さまを逃がさないよう食いもんで繋ぎ止めることにします。


昨日の元上司である先輩。そろそろ帰宅した頃かなぁと見計らってメールをしました。案の定、ものの5分もせずして「たった今家に帰りつきました。年をとると大分と福岡が遠くなりました笑」と返信が。50歳代から上の年齢の人ってやっぱり律儀ですね。もらったらすぐに返さなきゃ気持ちが悪くて落ち着きません。メールにしても品物にしても、心にしても。
ところが40歳代なんて自分の気分次第で返すというまばらな行為が目に付き始めます。「こんちくしょう!!」、そう思いたくもなる相手の気まぐれに振り回されるのもウンザリです。さらに20歳代なんてもしや送っていないのかしらと気遣うくらいに返事がないことも。きゃつらにとっては「あ〜〜めんどくせぇ」でしょうね。こんな若造には仏の顔も三度までです。それって便利ばっかり重宝して
世の中に律義さが無くなったということでしょうか。

その点、若さまも若だんなもお嫁さんもきっちりと返してくれます。お嫁さんなんて時候の挨拶やこちらのみんなへの心遣いまで組み入れてくれます。大王さまもたまに絵文字やイラストなどをくっつけてきっちりと返してくれます。ちなみに若さまは「これから帰ります」とか「了解です」など超淡白な短文ですが。お陰様で私の息のかかっている人たちは私の性分をよくご存じで痒いところにしっかりと手を届かせてくれています。

年をとると体のあちらこちらに不具合が生じて瞬く間に不憫な暮らしにもなりますが、これまで見えなかった人の心が手に取るように見えてくるという千里眼のような心に到達する有難さが生まれてきます。これはひとつに文明の利器の活用で人の心の忖度や裁量、技量、真贋が簡単に見透かされるようになったということかもしれませんね。文明の利器。若者には手慰みのオモチャかもしれませんが、オジサンやオバサンたちにとってはあんたたちの本性を見抜く魔法の鏡かもしれませんねぇ。侮ることなかれですぞ。

暦の入梅とドンピシャ、昨日大分でも梅雨入り そして梅雨らしい雨がしとど降りそぼっている。午後からは大粒になって先が見えないくらいの激しさ。
しかし二十四節気とはよくできたもので、先人の知恵というか自然とともに暮らした中で培われ生まれた素晴らしい暦なんだと改めて思うね。
農業を主体に生きてきた日本人だからこそかもしれない。だって二十四それぞれが農作業とかかわりのある美しい言葉だもの。それにしても日本人の美意識が燦然と輝いているような……そんな思いがする。
でも最近は環境時計が狂い始めて、四季の移ろいやら趣やらが希薄になってきている。狂わせた人間も自然界からの仕置きを受けて心身ともにおかしくなってしまった。
田植えや稲刈りの季節になると決まって思う。「瑞穂の国日本」という豊かさや清々しさの匂いが漂ってきそうな素晴らしい言葉を。
大切に、というかもう一度見直して守っていかねば。

大雨になってしまって息子の中体連初日はお流れ。朝、中止の連絡網を頂いて作りかけの弁当を朝食へと差し替え。やれやれ雨のことが気になって朝5時過ぎから起きてしまったので終日ボーっとしっぱなし。この雨、明日も続くどころか今夜はもっとひどくなるとか。つまり明日も宙ぶらりんで連絡網待ち。
お陰で息子は幼稚園並みの早帰り。昼ご飯を食べさせて宿題に取り掛かっていたら友達から遊びのお誘い。大急ぎで宿題を済ませておやじ様運転の車にて友達宅へ。従弟はテスト勉強させるべと刃を研いでいたのに肩透かし

無差別に命を奪われた7人、偶然居合わせたばかりに数時間いや数秒の時間の綾、運命のいたずら。無念であったろうと思うと本当につらい。
あの加藤という人の両親も可哀想といえば可哀想。誰も好き好んであんな子に育ててない。きっと愛情をいっぱい注いでいただろうに。それか過剰なほど期待をかけ過ぎた結果なのか。あんな子でも我が子には変わりがなく、バカな息子の為に世間に対してああして涙の謝罪をしなければならない。これをなんと解釈すればいいんだろうか。生まれた時から定められていた親子の宿命? 宿業? 親の気持ちを思うとこれも悲しいね。

首相の問責決議が可決 仕方ない、ねじれ国会だもの。年寄りをいじめてるんだもの。
韓国もすごい BSEで国中が大統領に「NO」と言っている。日本みたいに上意下達を「あーそうですか仕方ない」と、おとなしくは到底済まさないパワーを感じる。 
でも、日本も韓国も…・・・一国の指導者って国民からブーイングが来るの分かっててやってしまうこといっぱいあるね。どうしてなんだろう。つまりは民意が分かってないから?
何もかも雨で洗い落として、きれいな世の中に戻れればいいんだけど。

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