ゴールデンウィークなか休みだった昨日、福岡のうきは市に所用が生じて腫れた目を抱え、腫れた足を引きずりながら不承不承行くことになりました。心底つらい顔面と足です。本当に結膜炎だろうかと疑いたくなるくらいになかなか腫れが治まらず不快感がジクジクと胸の奥から沸きあがってくる感じです。視野も狭くなりまぶたも重い。まるで目ぜんたいが重力に素直に従っているみたい。溶けて流れていくソフトクリーマかって。足も、くるぶしまで腫れているので皮がパンパン状態。GWが終わったら内科に行かねばと決心しました。


そんな苦しまぎれでうきは市。せっかく行くので日田のマルマタ醤油に寄って毎度の醤油の買い足し。大好きな社長はいつものように神出鬼没でどこにいるのか分からずじまい。社員の方が醤油蔵まで探しに行ってくれましたがやはりお姿見えずでした。こちらに通うようになってかれこれもう30年近くになりますねと、その頃からずっと変わらずにいる女性と懐かしんでしまいました。帳場に座って経理全般を見ているようなしっかりした日田天領女性です。


日田を離れてうきはでの用事を済ませて、ついでだから道の駅うきはに寄って今が旬のイチゴや山菜などを買いましょうやと話が決まり、さてその道の駅に出入りする車の多いことったら。きっとGW前の買い物客でしょう。ほとんどがジジババさん。品物に対する目利きの鋭さとご当地の美味しものを熟知しているお年寄りたち。ご夫婦だったりおばちゃんの連れだったりで素晴らしく賑やか。明日からの大型連休、この道の駅の活況ぶりってどんなんだろうと怖気づいた我々でした。
用事も済ませたし、思いがけなくマルマタの醤油も道の駅うきはでもさまざまが買えたし、目は強くなる日差しとともにいよいよ不快極まりなくなってきて、「ぼちぼち帰ろうかね」。


そんなに簡単に物事が進むわけのない我々です。お元気ジジババさんの姿に誘発されたまだお若い大王さまの思い付きに今回も従わざるを得ないドツボにハマった私でした。
「ゴールデンウィークはどこにも行けないので、せっかくだからこれからどこか行きませんか??」
「どこか行きませんか??って、わたしゃ満身創痍でほとほと疲れてて行くんだったらあの世かもと
思い始めている弱気なここんところなのに。引き回されるのはしんどいんだけど……。どこ行きたいの??」
「波佐見の陶器市。それか行ったことのない福岡の芦屋。糸島もいいですよ。どうです??」
常と何ら変わらない強行軍をおっしゃる!!
「陶器市は人が多いのでパス。糸島も遠いのでパス。芦屋ってここからどのくらいか分からんけど、あんたが運転してくれるのであれば長閑な芦屋に行けばいい」
人の体調よりも自分の愉しみを優先する。まだまだ青いわっ!!  そんなことでうきは市から春の民陶むら祭をやっていた小石原焼の里、天狗の発祥のお山英彦山の里がある町を越えてさらに直方市、中間市を経由してお初の入りになった芦屋町の夏井ヶ浜はまゆう公園までたどり着きました。
この辺りは生まれてこのかた未踏の場所でした。響灘の猛々しさに驚きながらも美しい海の色と奇岩が連なる海岸線に感動してしまいました。

 

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「おお!! 恋人の聖地と書いちょる。で、あの鐘は響愛、ひびきあいらしい。冥途の土産になるかもしれん。あんた、こっちに来て一緒に鳴らそうや。今ならだあれもおらんし!!」
「ふん。ひとりで鳴らしてください。写真撮ってあげる」
「こんなものをひとりで鳴らしてなんのご利益があろうか。鐘の音、お寺だったら梵鐘で冥府への誘いだわね」
それでもひとりでロープを左右に振って鳴らしてはみました。響く鐘の音が響灘の彼方にまで飛んでいくようなもの悲しさはやっぱりひとりで鳴らしたからかもしれません。そして大王さまの、まるで神社の鈴をシャンシャンと振るような小刻みな手の動かしっぷりの滑稽さに大笑いしてやりました。鳴る鐘の音すらも気ぜわしい。不調法ですなぁ。
響灘を一望しながら響き合わないおじさんふたりが各々に、願いもなんにもなくロマンチックな鐘をただ鳴らすの図。滑稽と哀愁でありました。


行きも帰りも通った遠賀川の土手沿いの快適道路。川の大きさにびっくり。こんな大きな川だから途中の町々が栄えているんだなぁと。そして響灘と出会う大きな河口と、その周辺の漁港の豊かさ。新鮮で見るからに美味しそうな海の幸があちらこちらの店先にずらりと。もちろんあれやこれやを買って帰りました。
うきはで山のもの、芦屋では海のもの。山海の恵みを存分に我が家に持ち込んだ思いがしています。こんなにもハッピーなのに目やら足やらの風船状態に、ため息連発の今年のゴールデンウィークです。