父の祥月命日
■我が家の菩提寺さんの若くて素敵な和尚さん。朗々としたよい聲です■

我が家の庭、あっちもこっちも蝉の抜け殻散乱。庭木が大きくて多いからでしょうか。旧宅ではまったくもってなかった現象に驚きっぱなしであります。ひいては蝉の鳴き声が一日中ギャンギャン。一直線に耳に到達です。

台風12号が東海地方に上陸した日あたりから北庭のコナラの木から蜩が鳴いていました。それも決まって朝5時半。

我が寝所は北側にあります。正確には北西向きでしょうか。午後からはいてもたってもおれん地獄部屋になりますが。引越ししてこの部屋だけはまだ自分仕様に整えていないのです。後回しの度が過ぎるともうどうでもよくなっていくものですね。人間の心というのは洵にもって自由で無責任ですね。というか無欲に近づいていってるのかもしれんです。

広々とした部屋ですが、冬寒く夏は堪えられないくらいに暑い部屋なので日中に入室しようなどもってのほか。その殺伐さはまるで境遇が私にぴったりの女中部屋みたいなものです。

そんな女中地獄部屋には就寝1時間前くらいからエアコンをガンガンとつけっぱなして冷やしておきます。それでも午後の暑さがベッドやタオルケットの芯に残っていて言いようのない不快感を抱かされます。冬であれば残っている温もりに嬉しくなるのでしょうが、夏はこれ以上の苦しみは見つからないくらいの冬とはとことん真逆の高温余熱たっぷりです。

 

さてあの台風騒ぎのさなかの朝、近くから聞こえる蜩の雅な「カナカナカナ」の鳴き声。元来大好きなこの蝉の声なので、日中の暑さにうんざりが続いていた身にとっては地獄に……、仏さまならぬ蜩のような有難さと嬉しさでした。いつまでも聞いておきたかったのですが数回鳴いてどこかへ遠征の毎朝でした。

あれはきっと最後の日だったと今になって思うのが、部屋からもっとも近くで鳴きはじめて3日後のいつもの朝5時半。二度ほど、わずかたった二回ほど鳴いてぴたりと声がやみました。

「これで終わりやな」

予感的中。あれから一度も聞くことができていません。たった3日間だけ与えてくれた早朝の典雅なひと時でした。いいなぁ蜩の声。夏の朝か夕方を耳を通して心で感じることができて、そして所在なさげで侘しくもありながらも落ち着いていける作用があって、さながら魂が遠くに持っていかれるような浮遊な感じもします。一日の暑さを束の間忘れさせてくれる日本の夏の素晴らしいサウンドエフェクト(sound effect)、SEですね。

 

明日は父の祥月命日、前倒しで今日お寺さんに来てもらって10年目の命日の供養を終えました。掛軸の床の間はオフクロさまの、「暗い!! 雨戸を開けなされ!!」の鶴の一声要望で雨戸シャッターなしの、まるごと日差しが差し込む非常に明るい飾りになりました。さっさと掛軸を片付けなきゃ、反るし日焼けして色あせるしで和尚さんが帰ってすぐに巻きました。

「本当は明日が命日なのにせめてあと一日くらいそのままじゃいけないの??」

言われて当然。確かに明日こそ本番というかその日なのに気が急いてしまいました。

「明日また掛けることにしますわ」

それにつけてもあっという間の10年でした。オフクロさまは85才になり私も還暦を過ぎ、息子たちはそれぞれの道をしっかり歩んでいるし、大王さまもどこかしら心が落ち着いているようになりました。10年ひと昔と言いますが、昔にしてしまうには過去すぎるような思いがしながらも、10年間が長かったのか短かったのかを改めて思うと、その濃密度を振り返っただけで「やっぱり大変だったな」の思いが強く残ります。それにしてもきっちり10年前のあの当時はまだまだみんなが若くて活動的ではありながらも心も体もどこか所在がなくて不安定でした。

 

そんな10年間の我らをずっと見守り続けてくれているお嬢。10年前の4月1日満開の桜の日に家族の一員になって、今ではもうしっかりあるじ然としています。まろ坊の10歳の頃に比べるとまだまだ若いように見えるのはきっと人間の女性の平均寿命同様、彼女の寿命も長いのではと安堵しています。長生きしてくれることの嬉しさ。喜怒哀楽劇場のいろいろな場面を見続け、この子は我が家に対して何を感じているのでしょうか。言葉が通じたらどれだけ面白いことでしょうか。聞いてみたいものです。
「あたしゃこの目で見ちょんで」と、きっと間違いなく無茶苦茶言われそう(笑)