二月、如月になりました。暖かいの寒いのが交互にやって来る冬らしい天気が続いています。今日の大分は強い風が吹き寄せてこれを木枯らしというのでしょうね。骨の細い物干しハンガーなど薄手のアンダーシャツとともにバルコニーの床に落ちていました。ちょっと荒れ気味の二月の開幕となりました。



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■ほんのちょっとだけケーキでお祝い。あと我々の口に……■

そんな季節のはざまに誕生日なのがお嬢!! 9歳になりました。

まろ坊存命中はいつも陰に隠れてというか、一歩以上うしろに下がって遠慮がちにたたずんでいたお嬢。まろ坊が天に召されて数カ月間は我が世の春のような有頂天日々であったに違いありませんでした。ところがそんな天下も数か月後にはろーま登場で木っ端みじんに。かわいそうにまたまた身を小さくして過ごしておりました。ところが最近は年下の扱いが慣れたのか、はたまた2番目の「なか子の何とやら」かもで随分と威勢がよくなってきました。開き直ったというか。でもやっぱり何がなんでもかわいいですね。これが長年連れ添っている情と言うものでしょうか。

我が家に来て4月1日で9年とはと改めて驚いているところです。若さまの中高生の姿を見、大学生になって家を離れていって寂しくなったことも共有しました。父が逝った時の夏の大騒動も我が家に来たばかりだったお嬢は見ています。まろ坊との別れも。家族の諍いや波絶たぬ日々も。どうかいつまでも元気であってもらいたい。まろ坊の分を越してうんと長生きしてもらいたいと願っています。


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■八幡様、春日様、天神様。そして龍神様をお祀りしている有難さてんこ盛りのお宮です■

そして今日は朝早くから近所の神社に厄払いに行ってきました。予約していたのでとてもスムーズな神事になりました。これからのお厄の日々もこんな調子で物事がよどみなく進んでくれたらなぁなんて思ったりしながら、頭を下げっぱなしで敬虔かつ神妙にお参りをさせてもらいました。そして玉串奉奠の場面になりまして。

「お連れ様もどうぞ。どうぞ」

神様に通じるようなお声で祝詞を上げてくださった宮司さんが、大王さまも一緒に玉串をと勧めてくださいました。

「はっ。よいのでしょうか」

「ご一緒に二礼二拍手。そして一礼を」

するするとお作法に則ってご神前にて懇ろ以上の気持ちでお参りを。洵に神妙なおじさんカップルでありました。そして元の席に着座と同時にお隣に座している大王さまがひと言。

「兄さんの玉串より僕の方が倍近く大きいんですが」

「宮司さんも人を見るんやろか。あんたが尊大に見えたんと違うの??」

やれやれ、どこに行っても誰がご覧あそばしても従弟の方が随分と気高く見えるようですね。何となくこれからの善きことの半分を大王さまからさらわれたような不可解な思いがよぎりました。これもご神威でしょうか。

 

こちらの神社は私たちが住む住宅街の近くにある御手洗神社と言います。1月末に我が家のトイレが壊れたゆえのお手洗いの神社詣でとは違いますって(笑) 

この神社の由緒は、宇佐八幡宮から勧請された場所がまず我が住宅街の真ん中にある大きな公園の小高い丘の上でした。今では元気なお子たちが、その神聖な跡地を容赦なく飛び回っていますが。無残にも遊び場と化しているその丘から100年後に今ある場所に遷座されたとか。山を背にし、そして眼下には大野川のたゆとう姿を見ることができ、まさしく抜群の風水の場所に鎮座しているかのようです。何よりも瀟洒な神社ながらも穏やかで参拝者を包み込みような優しさがあります。

ご本殿の裏山には龍穴があるとかで、有難い祝詞も上げていただいたことだし朝のおめざの運動がてら行ってみますかと足を踏み入れた途端、『マムシに注意』の毒々しい看板が。あのニョロニョロが冬眠している冬の真っ盛りとは言いながらも、あのような看板を見ると足がすくんでしまって龍穴にはたどり着けませんでした。

しかしこれで清々しく厄払いを済ませ、そして二月のスタートを切ることができて安堵した今日になりました。



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■桃色ラベルが恥じらう春の乙女のような……。妄想しすぎ!!■

東京の友人が山梨銘醸の「七賢」を送ってきてくださいました。

「新春に愛でる淡雪の調べ 春しぼり」。フレーズが素敵ですなぁ。まだまだ遠い甲州の春を待ちわびる思いや新玉の年を寿ぐような華やぎを感じます。1月6日から17日までのわずかな間に、1200本限定のわずかな数しかつくらない頑なさと堅気さにも感動しています。こんな短期間の隙間を縫って友人がわざわざ私のために融通してくれた貴重な1200分の3のその愛にも感動しています。

まず口切りの1本は美味しい肴をこしらえてカップルおじさんふたりで酒盛りをします。次なる2本目は若だんなたちが今月中旬に若ぎみ初入りの帰省をしますのでその折にお祝いのお膳に。3本目は春休みに帰省する若さまと愛でたいと思っています。友人からいただいた春の酒が子を待つ親の親心のアイテムへと大きく変わってくれるきっかけにもなってくれることにも感謝しています。

 

ここのところ心が貧しくなってきている私に向かってデカ玉串大王さまがポツリと言いました。

「いつも……、本当にいつも親戚以上の心配りをしてくれるね」

「つくづくこの人の機を見て敏の真の優しさが心にしみているところなんだわ」

親戚のこと同様に他人との付き合いにも疑問符が大きくなってきている最近。身の程知らずの分際でと思う人も増えました。厚かましさに拍車をかけて今をのぼせ上って、いつか足元をすくわれなきゃいいがと思うようなオレ様流の生き方をしている人を見ながら、西大分の占いおばちゃんが常々言ってくれているさまざまな言葉や、耳に入ってくるその人の風評を思い出しています。

神社で厄払いをした身、せめてこちらにまで災いの火の粉が降りかからないようにと祈る私は利己主義でしょうか。

 

二月は逃げると言います。如月は陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」とも充てることもあると聞きました。宜しくないことはとっとと足早に過ぎ去ってもらい、春の本陽気を誘うかのようなこの二月になってもらいたいと祈っています。そしてどちら様にとっても佳いひと月になりますように。