おやじ歳時記

四季を彷徨うジイジの日々好き勝手記

タグ:神戸


早いもので今年も残すところあとひと月に。あっという間に一年が過ぎてしまっています。年を取ると日単位で
時間の経過が早くなっていくと言われますが、日単位どころか単位スピードアップしているように感じます。人生の後半こそゆっくりと過ごしたいものをこれではまるで時間に追い立てられ、世の中に振り回されながら人生を終えなきゃならないみたいで非常に悔しいことです。

 

ただし我が家にただ一人悠々と自分だけで愉しもうと嬉々としている人がおります。

大王さま!! 明日より単身にて上京です。それもお茶々の先生も目を剝くロングランの12日間も。まずは明日、飛行機で大阪に。そのまんま神戸に移動してどうしても観たと言い続けているルミナリエをひとりロマンチック浸りに。翌日神戸空港から東京に飛んであとは若さま宅に身を寄せて好き勝手の東京ステイ三昧です。犬もほったらかしての魅惑の東京遊山のヤツめがと思えば思うほど、非常に間尺に合わない立場に立たされている私です。

孫の顔みたさに気持ちが逸った私なんて、遠慮に遠慮を重ねて上京も一泊二日で涙を呑んだというのにあろうことかの12倍も長く居てやがります。どうやら日ごろ束縛されているか、自宅に軟禁されているかのような私への最大級の反抗と気分転換のようです。

 

などと愚痴をこぼしているような私ですがさにあらずの気持ちも半分以上。最近は特にバージョンアップしている鬼の居ぬ間こそ千載一遇のチャンス到来とばかりに存分の心の洗濯と、思いつくまま気の向くままの呆け三昧ができるかも〜〜〜と、ちょっとだけ嬉しさを噛み殺しつつ12日間のスケジュールを模索しているところです。

問題はやんちゃ小僧の羅馬くん。プチ爺の身がこの子の遊び相手にならねばならないしんどさ。困ったことだと手加減とエネルギーの配分のほどの思案に暮れています。
 


DSCF2143
■ここの設置を早く気づけばよかったと、サマになりすぎの姿に後悔などしています■

そんな明日からはじまる数日を控えて、そして12月になったことだしと、在宅中の大王さまをフルにこき使って今日は和室の模様替えを試みました。

和室横には一畳ほどの隠し部屋(納戸とも言いますが笑)をつくっています。そこには13年前に引っ越して来た時に仕舞い込んだままの不動の階段箪笥が奥深くに鎮まっておりました。そしてその階段箪笥の姿が見えないくらいの骨董品や土鍋、さらには秋田で買って帰った火鉢、独身時代に衝動買いした長火鉢などなどありとあらゆる物が、それこそ買ったまんまとにかく仕舞っておけ状態でうず高く積んだままにしておりました。階段箪笥の階段なんてほぼ分からないくらい。いつかは片づけなきゃと思いながらも、棚でもなきゃどうもこうもならないなと思っていました。

 

そうだ!! 我が家には大きくて頑丈なルミナススチールの棚があるではないか!! 

明日からの留守番を控えて心が研ぎ澄まされていたのでしょうか。妙案を思いつき、そして思い立ったら即実行を。若さまの部屋にあったパイプの棚を和室に下ろし、納戸の物を一切合切表に出して、そして13年ぶりに階段箪笥が日の目を見る運びになりました。

この階段箪笥はデパートの民具売り場で若さま誕生の折に記念に買ったものです。若さまの成長とともに階段を上り下りする遊び道具へと変わったりもしました。大座に出ていたのはわずか8年だったのかと思い、そして13年も暗い部屋に逼塞させてしまい申し訳ないことをしてしまいました。表舞台に出してやり、今日から新たに命がよみがえったような思いのしている亭主です。

和室自体が少々狭く感じてしまっていますが部屋の雰囲気としては申し分ないカタチに変わりました。もちろんガチャガチャだった納戸もパイプの棚のお陰できれいすっきりに変貌しました。それでもやっぱり我が家は物が多すぎるなぁと改めて反省したり呆れたりしています。片付けをして自分自身のアラのあれこれにも気が付くものですね。

大王さま不在の日にちは、表に出した階段箪笥の磨き上げと、ここのところ魔でも差したか取りつかれでもしたように買い漁っている漆の器のメンテに励むことも留守番スケジュールのひとつに加えます。何やかやしていたら、気づかないうちに実は年末の掃除になっていくんじゃなかろうかと思っています。ヒタヒタと迫ってくる年末。この忙しい時期にひとり愉しみやがるのかと、やっぱり思いの行き着く先は大王さまのお気楽所業です。やれやれ。

 

忙しさや慌ただしさがいやがうえにも増す12月です。皆さんも病気ケガなどなさらず、穏やかにこの師走をお過ごしください。一年の計は元旦にあり……ですが、終わり良ければすべて良しでもありますので。



 


ゆーろ
<どうやら秋の風を見つけたらしいまろ坊です>


ご無沙汰でした。およそひと月ぶりになってしまいました。

9月のお終いの日。世間はとっぷりと秋色になって彼岸花のたけなわも終わり、今は金木犀の香りが行く先々の街で香っています。大株に成長してしまった家の萩三種も満開から落花の時を迎えています。近くの山に在る尾花も穂が開き始めて秋の風にそよそよと揺らぎ始めています。さまざまが深まっていくこの季節の移ろいこそ大好きな一瞬一瞬です。

わずかひと月とは言いながらも世の中ではさまざまな事件や事故、災害が何のためらいもなく起り続けています。驚くことばかりのニュースに世の中も自分自身もいずれはマヒして、異常な出来事や狂人の仕業に慣れきってしまうのではないだろうかという恐ろしささえ感じています。たったひと月弱なのに毎日の大きな変貌ぶり、それも負へと転落していくさまにじっと目を凝らしては嘆息を重ねる私でした。しかし、たまにはこうやって世の中の遠心力からはずれることも良いのかもと思っていた私でした。


更新を疎かにしていながらも多くの方々が常と変わらずに訪問下さったこと有難く心から感謝しています。またコメントや鍵コメなどお心のこもったお励ましを下さったことも、再生に躊躇して斜に過ごしていた私にとって後押しの大きな力になりました。いずれの皆さま、本当にありがとうございました。


大きな暖簾の掛け場所を替えてみました。玄関ホールの右手だったのを左手にして和室などを別空間にしつらえています。リビングの入り口に掛けているとどうも自然光が遮断されて玄関すべてが暗くなってしまって陰鬱な思いに伝染されることに気付きました。せっかく誂えで買ったのにお蔵入りも甚だ心外なことと、右から左への移動を試みてみたらそれが思いのほかにしっくりと収まってくれました。ささやかな気付きは時として大きな発見や素敵な変化を生むようです。

今日はその暖簾の先にまろ坊がゆっくりと身を置いていました。時折り和室を通して外を見やっていましたがまろ坊の目にも秋が映ったのでしょうか。その先に確かな秋の訪れを感じてくれていることと思っていますが。例年になく足早に万物に恵みの季節の到来のようです。

過ぎていく季節に取り残されないようにまた明日から頑張って明け暮れを過ごしていきます。折に触れておやじ歳時記にもパワーを吹き込んでいこうと思っています。どうぞ宜しくお付き合い下さい。




IMG_6786
<学生の姿はこうでなければ!! 正月にキリッとさせていただきました>

年末にあれほど沈思黙考を重ね逃避し続けて1ヶ月間、やっと覚悟を決めて終えたのが暮れのどん詰まりだった年賀状書き。ところがそんな七転八倒の憂悶を忘れて、ここで言うのもおこがましゅうございますが、この年賀状という手段はやはり素晴らしいものがありますね。それこそ元旦に……、昨年あたりからさらに1月1日の朝早くの文字通り元旦に届くようになっている便り。年の初めの一番のご挨拶の何と清々しいことでしょうか。郵便局のご苦労や皆さんの美しいほどのケジメを前にしてやっぱり私の自堕落さを後悔しております。今年はしっかりと早めに書かねばと一年の計を元旦に決めましてございます。三日坊主なんて程遠い……、あと11ヶ月も先のことですが。

さてその元旦に貰って嬉しい年賀状。同い年の友人、いつの間にやらジジババへと昇格なさっておいでるのが数組。可哀そうにお墓に近付きやがっていることに気付きもせなんでお喜びの有頂天か。
暫くは叶わぬことと妬んではおりませんが、ほとんど物欲しげなやっかみですね。私だって「お爺になりますのさ」と一筆添えとうございますよ。

何度も読み返している人からのもありました。元嫁と一宮庵の文さんと、もうひとり北九州の女の子三人が東京の美大時代から大の仲良しでした。大分に来たり北九州で合流したり、元嫁が狂うまではこの人たちは生涯の友人であり続けることだろうなと微笑ましく見ておりました。彼女たちの説得もむなしく元嫁が抜けいつの間にやら溝ができこの三人娘だった人たちは疎遠に。

ところが私とは文さんにしても北九州の彼女にしても、当方の離婚後も変わらずに接してくれ今に至っています。文さんとはご存知のように熱くなったり冷静になったりの程の良いお付き合いですが、北九州のNちゃんとは年賀状のやり取りオンリーです。それでも心のこもったコメントに変わらずに見続けてくれているんだという優しさを感じています。


ふたりの娘さんも我が家の長男とほぼ同年代。丁寧な生き方をしている彼女は子育てにもぬかりなく良い母のままであったように思っていました。そして一年に一度の今年の年賀状。長女さんが結婚なさったとか。それも養子に入ってくれて家業の鉄工所を継いで下さるご奇特な青年が来て下さったとかでありました。年賀状には娘さん夫婦の晴れ姿やら次女さんの振り袖姿に混じってNちゃんの留袖姿の写真も。感慨がひとしおでありました。

私たちよりも数年遅れで結婚し、子供を生し子育てに精を出していた数年間の折々の年賀状から一気に別世界のお母さんになってしまったように感じました。元嫁が正常であったならば元嫁もこうやって留袖を着て息子の結婚に臨むであろうにと思うとあの人も不憫、息子たちも可哀そうなことだと改めて思いました。仕方のない今の人生ですが……、でも間違いに気付かなかった元嫁の心の不具合さに忸怩たる思いが改めて甦った一葉の年賀状でした。人は人なり、我は我なり。そこまで一刀両断のように線を引きたがらない、やっぱり私です。

それにしても人の正装した姿というのはあまりに凛としすぎて遠い世界へと居場所を変えたような思いがします。程遠くなった寂しさというのでしょうか。身近であったはずの人が私たちの知らない世界でまた枝葉を茂らせていく美しさも感じます。

ケジメというのは当人にしても第三者にしても覚悟の表れのひとつのようですね。

大晦日の午後には鹿児島から友人一家が訪ねて来てくれました。このご夫婦とももう30年近いお付き合いです。我が家の長男より1歳年上のお兄ちゃんが昨年1月に結婚し独立。こちらのご夫婦も正装してひとつの大きな節目をクリアしたということですね。今はご夫婦と娘さんの3人で桜島の見える鹿児島市内に住んでいます。付かず離れずの程よい心の距離感。決して押しつけがましくない心配りの心地よさ。絶妙なご夫婦に有難いことだといつも感謝しています。

30年のお付き合いはこちらの欠点も弱点もよくご存じですね。今回特に嬉しかったのは、

「Mさんはせっかくだから其処に座ったままお父さんと話をしてて。お茶は私が淹れるから」

奥さんがテキパキと用意してくれました。もちろん、帰り支度の前には目の前にある物を片付けて茶器なども洗って帰ってもくれました。この腰の軽さに「よしみ」の有難さをつくづくと感じました。文さんも我が家に来るたびに同じことをしてくれます。

「Hさんは何もしなくていいからあとは私に任せて!!」

テキパキと見事にこしらえたり美しく片付けたりして、いつの間にやら元の席に戻って会話の輪に入っていました。鮮やかですね。そんな彼女たちを見て若さまがひと言。

「お父さんの友達ってみんなお尻が軽くていいねぇ」

「なんか変。それは尻じゃなくて腰でしょうが!!」

尻と腰とは大違い!! 世の中の機微と常識を知らないまだまだケツの青い奴でありますね。

ケツの青い男子もいれば袴姿も清々しい女子高生のキリリもありまして、今日は護國神社で大分高校書道部の女子学生さんによる『書初め』が行われました。大分高校の書道部は腕前も良くてあちらこちらで行われる大会では常に上位入賞か最優秀賞を獲得するご常連さんであります。

凛々しくて笑顔が可愛くて無駄な動作がないのがまた心地よくて。まさに伸び盛り輝き盛りの青竹のような娘さん達。そんなこぼれるくらいの気力溢れる若者の揮毫は、艶やかにしなやかに墨が乗り洵もって素晴らしい墨蹟でありました。ひとりひとりが上手でなければ美しく仕上がるはずがありませんね。しっかりと基礎が出来ているからこそひとつにまとまるのかもしれません。それこそ『型を身に付けねば型破りにはなれない』。その通りだと思いました。新年の神社のご社頭で参拝客みんなにふるまわれた若者の心意気と美しさ。佳い正月二日になりました。

腐ったような目をして大声で男のような言葉を吐き、あらん限りの装身具を身に着けて鼻がもげそうなニオイをまき散らして、小汚い格好が美しいと思って街を歩いている今どきの女学生諸姉。美しいというのは心が第一。そして無駄のない所作から生まれるそこはかとない気品ですよ。人を不快にさせないのが人品です。そういった本当の美を何故に会得しようとしないのか……、頭の構造の加減というか今風の美意識がさっぱり分からない私です。

ちなみに今年の一文字は『新』でありました。私にとって今年、新しく臨まねばならないこと山ほどありますし新しい物事にチャレンジもしたいと思っています。しかし瑞々しいほどの新鮮な物事は次代の息子たちに譲って私は古き物事にこそ新しい息吹を吹き込み、再生を試みてみたいと思ったりしています。古いものこそ大切にせねば新しいことは巡り来ないような思いがしています。


初夢には一昨年に亡くなった神戸の友人が出てくれました。いつものようにニコニコと微笑んで仕事をしていました。新しい出会いを大切にしながらもこういった人ともっと篤くお付き合いしておけば良かったと思うことが多くなっています。惜しいことをしたと後悔もしています。だから尚のこと古い物事に振り返り、その価値の大きさ心の傾けの所在を確かめたいと思う新年であります。丁寧に繕い直す……、しばらくは傾倒しておきたい目標が出来ました。


 

 

昨年11月20日のブログの話題「友人の話。悲喜こもごも。」


その友人が5月6日に49歳の若さで亡くなったと、元同僚からつい先ほど連絡がありました。すぐに奥さんにお悔やみの電話をしました。

悲しい、本当に悲しい。なんだか心の一部がぽっかりと空洞になったような虚無感です。友人の死がこれほどまでに辛く悲しいなんて我ながら信じられません。

10年前、単身赴任中の東京でどれだけ慰められ、勇気付けられことか。

私の寂しさを気遣って、冬の日光や初夏の霞ケ浦などにも車を飛ばし連れて行ってくれたことがありました。何気ない気遣いや優しさに心が癒されることばかりでした。

いつだったか大分に来ていた彼を佐賀関に連れて行き、豊後水道を見せたことありました。

「元気が出ました。また明日から東京で頑張ります」と、海の輝きよりも綺麗な笑顔で言ってくれました。

 

「どうやら最後のステージみたいで、あと1年もつかどうか分かりませんが、万が一の時には必ず知らせますので」と、言ってくれたのが去年の11月18日の彼の誕生日だった。なんと禍々しいことをと嫌な予感もしてはいました。

年が明けても東京で社長職を全うさせつつ、神戸の家族の元に月イチで帰っていたと聞きました。

ゴールデンウィークを利用して神戸の病院で新しい抗がん剤が合うかどうか検査入院しているさなかに吐血し僅か1週間もなく逝ってしまったらしいです。

せめてもの救いはあれだけ長かった単身赴任だったのに、奥さんや子供さんに看取られて旅立てたことは何よりの贐になったのではないだろうかと思います。それにしても儚すぎましたね。

 

離婚後、私の身を案じて「頑張って下さいね」といつも励ましてくれていました。自分の体が侵食されているのにもかかわらず、いつも私の身の上を心配してくれていました。強い人だから優しさも人一倍でした。損得抜きにいい男でした。

もう一度会いたいです。あと一度だけでいいから声を聞きたいです。

10年続いた誕生日の電話。今年はもう電話が出来ないかと思うと。


「茂人さん、ありがとうございました。頂いたご恩は一生の宝にします。
今は愛してやまなかったご家族の下でゆっくりと休んで下さい。そしてご両親の待つあの世とやらへ土産話に貴方の素敵な笑顔を添えてゆるゆると旅立って下さい。いずれ私も行きますから」


しかし、この年になって友人を亡くすというのは本当につらいですね。
 

今夜はごめんなさい。これにて。



神戸で高校2年生の男の子が女友達をかばって変な男に刺し殺された。

犯人は見ず知らずの男だそうだけど、こっちが知らなくてもあっちが知ってるというケースかもしれない。道路の反対側からこのカップルの様子をずっと窺っていたというくらいだから変質者かもしれないし。行きずりか、無差別か、そして横恋慕の末の最低のストーカー男か。

どちらにしても「逃げろ」と言って彼女を先に逃がしてから命を奪われた事実はあまりにも惨い。

若年者の犯罪が際立って多いなかで、こういった正義感をもっている子がいてくれることに安堵しながらも、彼のように当たり前の心をもった人間に限って、不条理に命を奪われやすくなってしまった日本の歪んだ社会に苛立ちを覚える。

当たり前という言葉も行動も通用しなくなってしまったんでしょうか。異常性をはらんだ人間によって、至って正常なはずの世の中が侵されていくようで怖ろしい。正常と異常が人間の心によって逆転するんじゃなかろうか。

 

言いたくはないけれど東京の長男にも、これから親元を離れようと準備している次男にも、「やばい人やモノには近付かんこと。やばそうな時にはすぐに逃げなさい。正義が通用しなくなった時代なんだから」と言わざるを得ないだろう。

男は外に出たら七人の敵がいると昔からいうけど、大都会なんかでは仮面をかぶった敵だらけかもしれない。世知辛いけど自分の身は自分で守らねば。

 

世知辛くない浮世離れした『天然』が、存分に配合されてるキャラの従弟氏は今日が誕生日。御年……、まぁいいか。

風も金木犀の芳香を含みサワサワと心地よい秋のめでたき日ゆえ、何かご馳走をつくって進ぜましょうかとお伺いを立てたら、

R(若様の名前)が実力テスト中なので普通でいいよ」と。

この心根、遊びたい盛りの私と違ってどっちが親だか分かりはしない。

それではお言葉に甘えて、バースデーの酒祝(さかほがい)は後日改めてすることに致しやしょう。

それにつけてもこの従弟氏が既にこんな年になってしまったかと、本人以上にこっちが感慨無量の境地に浸っている。

20代の頃の美しさは男も見惚れるくらいだった。オフクロなんて、「あの美しさだったら東京でホストとかしてるんじゃないんね」と心配していたくらいだった。確かに映画『大奥』のマゲメン揃いみたいに眉目秀麗であった。

ひと昔前から今でも人目を引く『整い』は変わらないけど、体と気持ちが中年になりはじめているのが、中年真っ盛りにして美しいと言われたことのない我が身にとっては実に喜ばしいことである。

自然の摂理に逆らうことなく、老いは紛れもなく等しく万人に与えられるということでしょう。

中年以降の誕生日は、行く末を指し示す羅針盤の点検と整備がことさら必要になってくるということでしょうよ。

 

猿マネ、盗人根性でまったくオリジナリティのない中国人に比べて、日本人の頭脳の素晴らしさをつい先ほどのニュース速報で知って、「バンザ――イ」を叫びたくなった。

そう、ノーベル化学賞に日本人がふたりも!! 
これで日本人はトータル
18人の受賞だなんて、横取り中国人なんかとまったく違うのが嬉しい。

グチグチと煮えたか煮えんか分からんような日本の三流政治家に比べて何という快挙でしょう。国際的に日本人化学者が一流だと認められている素晴らしい証拠に、「どうだ、ザマ―見ろ」って気分だね。

民主党の人気とりの事業仕分けで削られようがどうされようが、高邁な精神で貫き通した結果かもしれない。

実力テスト2日目の明日のことなんてどうでもいいやみたいな顔をして、若様はノーベル賞受賞のニュースに釘付けになっておりますわ。

ノーベル賞よりも、取り敢えずは明日の我が身を憂いなさいよ!!


14年が経ちましたか。

阪神淡路大地震からそんなに過ぎてしまったのかと思いながらもあの日の朝の衝撃はいまだに忘れられない。あんなに美しかった町が、あんなにざっくばらんだった人たちが、大変な犠牲になっていく姿形がライブで伝わってきて言いようのないショックだった。
生まれてはじめて耳にした消息を尋ねるラジオの声にも驚愕とした。行方の分からない人々の名前を終わりなく呼び続けるアナウンサーの逼迫感と悲壮感が胸を打った。
そして、何も出来ない自分の無力さに忸怩たる思いがした。

あれからの年月で町は生き返り、人々も立ち直ったけど深くて大きな傷は今でも決して癒えないはず。
それでも日本という国の底力と日本人の優しさがまだ残っていた平成7年の1月だった。

日本人は太平洋戦争で多くの犠牲者を出し、逃れようのない未曾有の自然災害を体験したのに今のすさみどうしたことだろうか。こんなことではいつかきっとまた大きなしっぺ返しを受けるのではと思っている。

先の大戦にしても大震災にしても「心」を忘れてはならないという、未来永劫日本人に課せられた大きなモニュメントであり静かな鎮魂歌なのかもしれない。
驕ったり、蔑んだり、卑屈になったりせずに「大和びとの品格」、「豊かで清らかな心」をもって生きていきたいと思う。

4つ年下の知り合いが肝臓ガンでこの夏手術をしたと、そして今はだるい体を支えながら単身赴任で頑張っているとの連絡。
家族は神戸、本人は東京。阪神淡路大震災の時も留守宅を案じ身の切られる思いだったとよく話してくれていたが、今回はさぞかし奥さんが心配しただろうな。この人とは年に数度の連絡のやりとりだけで12年来の付き合い。実質的には1年間一緒に仕事をさせてもらっただけだったけど、男気があって優しくて気配りの行き届いた人で、律儀を絵に描いたような人柄に憧れすら感じる。
30歳代から企業の役員をするような人だから、やっぱり器が違うということなんだね。

50歳を前に肝臓ガンか……。間違いなく長期に亘る単身赴任の大きなツケだろう。ストレスの骨頂になってしまったんだろう。
それにしても辛かったろうなと思うとやりきれない。体の異常、病気の発見、告知、入院手術、退院後また単身赴任。気持ちを維持できた源っていったい何だったんだろうか。おやじには到底真似の出来ない凄い精神力だと思う。
腹水がたまってと言っていたけど大丈夫なんだろうか。早く良くなってもらいたい。心からそう願っている。

それに引き替え至らぬ人間も……周りにはいっぱいいる。
メールを送っても返事を送ってこない奴。あっちこっちの花にヒラヒラするモンシロチョウのような定まりのない奴。恩を仇で返すくらいへっちゃら……、二枚舌使いのヘビ使いのような奴。その他あれこれ。
そうそう、やたらみんなから「先生」と崇め奉られているちょっと一芸に秀でている大分のマスコミ人。
先生と呼ばれていいのは教員と医者くらいで結構。本流の先生もここのところ宜しくないのに、市井の輩がいい気になって先生気取りはいけません。よいしょの周りも周りだけど。

ちょっと別世界の泰葉も変な人種。八つ当たり、やけくそでヒステリックな人なんだと思った。ひとつ間違えたらただのストーカーと変わりはしない。
人間って窮地に陥ったときこそ本性が出るんだね。

このページのトップヘ