おやじ歳時記

四季を彷徨うジイジの日々好き勝手記

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馬場水車場線香
手術入院前だったかなぁ。NHKの九州のニュースで紹介されていた福岡県八女市にある馬場水車場のお線香のこと。ご夫婦ふたりで地元上陽町の天然の杉とタブの葉っぱのみで手づくりしているという、優しげなお線香の情報をキャッチしてしまったら、「これは是非とも当家の仏さま方にも」と。
お線香は仏さまの食事とも言われています。ちょうど普段使いのお線香が終いかけていたので趣向を変えてみるのもたまにはいいかなと。仏さまも毎日同じ薫香では飽きるでしょうし。生きている人間だって毎食同じものばっかり食べていたら、飽きとともに怒りすら覚えることがありますもんね。

販売をしているうなぎの寝床にすぐに注文して翌日には届きました。さすが鰻だけあって取引のスピーディさにびっくりしました。手書きのメッセージまで添えてくれていて、こういったちょっとした心配りが次へと続くんだと改めて思いました。ここ数年は一刀両断のようにプツッと切る人や組織が増えました。まもなくやってくるお彼岸と祖母叔母の祥月命日に、ちょうど良いお供えになります。とは言え、その日までまだ日にちがあるので「ちょっとだけ」と一本ほど焚いてみました。
人工的な香料を使っていないのでほぼ自然の香り。まるで深山幽谷に紛れ込んだような静かな森の香りとともに、幽邃に立つ思いがしました。いつかどこかで嗅いだことのあるような懐かしさもありました。それはきっと今のようにさまざまな香りを愉しめるお線香がなかった昔の、本物というか素朴な香りとのこれは再会なのかもと思いました。もちろん白檀や沈香など、香りの高い珍なものは昔から別格な存在として用いられていましたが。
我が家の仏さまの特別の日には「微笑」を焚いていますが、毎日のお供えにはしばらくは、この馬場水車場のお線香で仏さまには満腹になってもらいます。


エリザベス女王
エリザベス女王が突然として崩御されました。前々日には新しい首相の任命まで行っていたのに。まさに卒去でした。亡くなる日本時間の前夜、医師団の監視下に置かれているというニュースがありました。「もしかしたら・・・かもよ」と大王さまと話しをしていましたが、翌朝のニュースで訃報を知りました。お年には不足がないし大往生とは言え、イギリスを問わず世界にとって偉大な存在だったので大きな喪失感は世界中にです。
2000年のヨーロッパの旅のはじめのロンドンでバッキンガム宮殿を見ました。屋上には女王在宅の女王旗が掲げてありましたが僕にとって人生で最初で最後。エリザベス女王に最も近づけた日になりました。まぁ無きに等しい気配だけでも有り難かったですが。
国葬には天皇陛下が雅子さまと参列されるようです。両陛下の参列は、ただいま節操なしの恥さらし噴出中の政治家たちのことや、利権がらみだった東京オリンピック事後の飽くなき醜聞などに溢れ返っている、汚濁まみれのような日本にとっては有り難いほどの面目躍如になると思います。
それにしてもその後に行われる予定の安倍さんの国葬。女王の国葬に、国民が心を寄せる国葬の価値と、弔問外交のお株をかっさわれるカタチになった岸田さんの安倍国葬の思惑はずれ。今の日本は何をしても思いどおりにことが運ばないようですね。

しかし義実家との軋轢や、兄弟の仲が悪いのは洋の東西を問わずですね。身近にもいますし、芸能人にだって不仲の話題がちらほら。
さて、偉大なおばあさまの存在があって、なんとか保てていたロイヤル家のバランスでした。こちらのお孫兄弟どうしの不仲はもう取り返しがつかないみたい。睨みを効かせる威厳にあふれた人がいなくなって、どうなっていくのでしょうね。次男王子の嫁がおかしいと衆目の一致するところです。あの女性が嫁に来てから次男がますますおかしくなり家族の歯車が狂いはじめました。ご難儀続きです。
生まれや育ちなど、あまりに差のある人とは縁組しないほうがいいと言われていますが、特に西のロイヤルファミリーや東の皇室など案の定なことになっています。

どこの家庭も嫁次第ということのようでもあります。嫁が賢ければという話しをよく耳にします。表向き亭主関白をさせながら、内内ではしっかりとダンナを操っている奥さんと、操られていることを知っていて上手くその場その時を取り成せるダンナ。両方の掌の中でお互いが上手に泳いでいるということでしょうか。それこそお互いに愛があって尊敬もできなきゃ成し得ない賢明な極ワザだと思います。まぁでも家が栄えるのも廃るのも良妻賢母の嫁次第説は確かなようです。
操れていること、気持ちよくそれを演じていることに幸せを感じることができるダンナも見上げたものです。果たして今のご時世、どのようなものでしょうか。

今宵は中秋の名月。イギリスも日本も天中には同じ月。どんな月が出てくるのやら。どんな思いでそれぞれが観るのでしょうか。世の中が平らでありますように。




日本橋三越
〈若だんなと若さま、夜の日本橋界隈でさしつさされつの兄弟会をやった由〉


総理大臣が新しくなって・・・、というより安倍さんの時には始終テレビに出ていたくらいに露出度が高かった菅さんですもん。さして新鮮味もなくて、毎度おなじみの令和おじさんみたいな感じ。それでも7年8ヶ月もの間、安倍さんを支えてきた実績は素晴らしいかと。裏方さんだった人が表舞台に。さてこの先どうなりますことやら。黒子は黒子のままがよかったなどと評価されないように願いたいものです。ご主人が亡くなって未亡人の奥さんがいきなり会社経営を任されるみたいな。そんな今は雰囲気です。
99代目総理大臣。九が重なっておめでたい久久へと導いてくれますように。間違っても国民巻き添えの苦苦にはなりませぬように。横浜だ弘明寺だと地盤は都会ですが実は雪深い秋田県出身とか。忍耐強くて心優しい秋田人の気骨のままで奮闘していただきたいです。


菅総理の生い立ちがどうのこうの、国会でそれを明らかにせよとなどと言ったとかの野党議員。立憲民主党でしたっけ、こんなことを言ってた人。足元を見てごらんなさい。身内にもいるでしょう。二重国籍の説明もなく出自もはっきりしていないのに、人のことになると難癖つけることに躍起になって、国にために何の役にも立たない人が。般若のお面のあの女性代議士ですが。
生い立ちの説明を求める・・、立法府でですか。それこそ人権侵害そのものではないのでしょうかね。今の野党議員ってそんなことでしか抗えないのでしょうかね。よっぽどブーメランがお好きなのでしょう。いずれ巨大なしっぺ返しが来るに決まっています。しかし人間性を疑うほど小物ですね。まぁ話には前後があって本意ではない、発言の切り取りだけかもしれませんが、ワンフレーズだけでもこうやって発言したことには違いないことで。心の奥底にそんな思いがあるから口を突いて出たんでしょう。それは人を見下したり、あらを探してことさら騒ぎ立てたりという本性の表れだと思いますが。この人の人格というか、人間としての質を疑いたくなります。
もっと身近にあるさまざまな重要な仕事をこなさねばならないのが国会議員の仕事じゃないのですかね。人さまのあら探しや詮索ばっかり。重箱の隅を突っつき回して国を守ってるつもりでしょうか。野党の本来の意味も仕事もそっちのけね。
まぁ民主党になって日本が一度おかしくなったという黒歴史があるので、まかり間違ってももう二度とこんな輩が棲家にしている政党など期待などできませんが。


朝晩が少しながら涼しくなってきました。やっとこれで今年の長くひどかった夏ともお別れです。薄皮を剥ぐようにでも構わないので、これから日ごとに秋へ秋へと向かってほしいと哀願している毎日です。暦に抗わないでね。今日は敬老の日、明日はお彼岸ですし。お年寄りと仏さま、なんだか近くて近いでしょみたいに奇妙なお隣同士の休日ですね。
そんなんなのに今も終わらない夏を引きずっている私。6月に前歯の義歯が取れて歯医者に通いはじめてもう3ヶ月が経ちました。ご近所だし、今年はじめにばあさまも入れ歯のつくり替えでお世話になってとっても上手く終わったしで、私も技術と利便性を優先して通っています。確かにお上手です。でももう3ヶ月って長すぎ。
義歯はあと3回通ってやっとのこと完成に漕ぎつけです。
しかしお高い!! 義歯をつくるのにこのコロナ禍の不景気真っ只中に20万円もの出費は堪えます。保険適応のにすりゃぁよかった。併せて詰め物のやり替えやクリーニングやと行くたびに3000円以上の治療費がかかっています。なので総額は20万円を優に超えてしまうことになります。さらにさらに親知らずあとにインプラントまで勧められて、この治療が終わったらもうしばらくは疎遠にしたいです。しかし歯は大切だと若い頃から分かりきっていたのにこの有り様。後悔してばかりです。


遠くなった30年来のかかりつけ医の方が気心知れてたので、遠くてもそちらに通えば良かったとちょっと後悔しているところです。距離くらい・・・、損して得とれを思い出してはホゾを噛む思いです。見事に大出費になりました。どんな浮気でも絶対にやってはダメですね。このように大きな代償を伴います。
ここまできてしまったのです。あきらめてもう少し、頑張って通います。



久しぶりに台風の暴風らしい強い風の体験をした昨晩でした。
まぁそんなひどいことにはなるまいでと思いながらバアサマの部屋の西南北の大窓のシャッターを下ろしました。「怖いからシャッターをして!!」と。
この台風の雨と風を利用して防災を兼ねて日頃は上げっ放しのシャッターの水洗いにもなるのではと。ではリビングとダイニングのシャッターも下ろしておよそ2年ぶりの天然水による水洗い。きれいになってくれるでしょと悠々自適の日曜日の夜を過ごしておりました。
ところが9時を過ぎるあたりから強烈な風。時折、瞬間風速が半端ないような突風も。そして風が吹くたびにご近所のものらしきモノが飛んでる音も。旧宅でも数少ない台風らしい台風の激しさでした。自宅の駐車場とは言え強風にさらされ雨ざらしの車のことが気がかりのまま一晩台風が過ぎ去るのを待ちました。じっとやり過ごすなんて何年ぶりのことになったのやら。


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いつもお世話になっている庭師さん

道端に咲く彼岸花の赤が鮮やかに映えるくらい昨日の風雨で綺麗さっぱり洗われたような秋分の日の今日になりました。
そして今日から我が家に庭師さんが入ってくれて剪定やら草刈りやらしてもらっています。庭だけ見たら廃墟のように哀れだったのが元のように美しく戻っていって、何もかも台風一過のような爽快にして後腐れのないよい気分になっています。


昨年10月6日から始まった「男はつらいよ」が先週土曜日で終わりました。49作目、「男はつらいよ寅次郎ハイビスカスの花特別篇」で1年間のお開きとなりました。
ほぼ1年間、よき時代だった昭和と平成の最初の頃の日本人に戻れたような毎週土曜日でした。人も町も田園も言葉も昭和の香りが随所に漂っていて、まるで文化財の域です。
亡くなってしまった名優たちの多さも昭和をさらに遠くの世界へと置いているように感じます。
渥美清さん、笠智衆さん、太宰久雄さん、下条正巳さん、森川信さん、松村達雄さん、三崎千恵子さんなどなど。そしてゲスト出演していたミヤコ蝶々さんや三木のり平さん、森繁久弥さんに三船敏郎さん、それに淡路恵子さん。そうそう忘れちゃいけない北林谷栄さんと初井言榮さんも。錚々たる名優さんたちばかり。この映画でもう生きている人の方が少ないんじゃないかと思うくらいです。
男はつらいよに出演した知り合いの俳優さんである油井昌由樹さんが存命で今でも多岐にわたって活躍していることが嬉しいです。


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これは美味い!! 色白の蕎麦がやっぱり秋田美人風か??

そんな幽明境を異にするようなことに耽っていたら秋田から送られてきた弥助そば。雄勝郡羽後町にある西馬音内、にしもないという町にあります。
絶対に読めない西馬音内。難しすぎるけど行ったことがある場所です。
もう20年も前になりますが西馬音内の盆踊りを観に。焚き火の灯りのなか、編み笠か黒頭巾をかぶった踊り手が静かに静かに踊る姿に驚きました。お盆らしいとても幽玄というか、この世とあの世を行き来しているような不思議な体験でした。それこそ幽明境を異にするような独特な世界。その時に案内してくれた北海道と秋田の人のふたりはもう鬼籍に。
20年という歳月は今思い返すとあっという間の時間でした。20年前からさらに20年前というと私はまだ大学卒業間近の身でした。40年を20年ごと一区切りにしてみると前半と後半のなんと異なることかです。この40年間はおしなべて取りこぼしたりみすみす見逃したりの多かったこと。もっと丁寧に、そしていろいろを気付きながら生きていればよかったと今になって思うことがたくさんです。覆水盆に返らずと同じですね。


台風が過ぎて、そんなこんなを思う令和最初のお彼岸であります。




生まれてこのかた半世紀以上に亘って体験している春秋のお彼岸。かれこれ都合110余回になりましょうか。春にも秋にもお墓参りをしてご先祖様たちの霊を慰めるものだと思っておりました。ところが今年の秋分の日を前にしたとある残暑厳しき昼下がりのこと。我が家の大王さまが兄さんなら知ってると思うけどと教えてくれたんが春秋お彼岸の違いでありました。
「春はね。季節柄生命の息吹に感謝するお彼岸。秋こそご先祖様に感謝の気持ちを込めて供養するお彼岸なんだよ」
「そげなバカな!! 両方ともお彼岸という名前がついているから両方ともお墓参りをしてご先祖累代の御霊安かれと祈るんと違うの!?」
「それがね。まったく違うんだってよ。だからお墓やお寺のお参りは秋だけでいいみたい」
知りませんでした。春と秋のお彼岸の大きな違いに!! 敬虔な仏教徒である私はてっきり春も秋も香華を携え、さらにお墓掃除グッズ一式を持って霊園に参じるものだと信じ込んでおりました。
確かにこれから新しい命が芽生えて自然界全体が萌え萌え風になる春のざわめきや、ときめききらめきと、これから深まっていく秋に人生の晩節すら感じる秋分の日の催しはいささか気持ち次第も異なりますわね。浄土があると言われる西の彼方を望む風情もどことなく秋のほうが似合っていたりしてとも。
これから日ごとにつるべ落としの速度も早まって、あっという間に夕暮れから夜へと進む何やらの逼塞感のある愉しみを味わえるのもこれからですね。大好きなシーズンの到来であります。小学生のお子たちも秋分の日を境にして外遊びは5時までになります。子どもたちにとっては1時間の差は大きいことでしょうね。まだ明るいのにと惜しみつつ家路に急ぐ姿がしばらくは続くはずです。
生活のなかに季節感がるということの素晴らしさ。子どもたちにはこんな小さな約束事を通じて季節やルールを身に備えてもらいたいものです。


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■大分市街地にある母方の菩提寺「威徳寺」の中庭。剪定しすぎて今日はスカスカなことでした■

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■本堂前にある水かけのお地蔵さん。苔のむし方もサマになってきています。手水舎代わりにもなっているような■

そんなこんなの今年の秋分の日は雨が降り、お墓参り今日も小雨が降ったりやんだりになりました。小さい頃の春秋のお彼岸の思い出と言えばお墓参りとこんな雨模様の天気でした。ほぼ毎年のように降っていたこの日の雨だったような。だから両親が彼岸の入りになってすぐの休日あたりにお墓に行かねばと急いでいたようにも記憶しています。急ぐことなくお彼岸の明けの日にやっとお墓参りをした私は不届き者かもと反省していたのですが、まったく失念していた今日は叔母の20年目の祥月命日でした。思い出さされた、これも何かの暗示かも……、ちょっと身震いした記憶の再生になりました。叔母が逝った歳をあと2年で迎えるとは。ひたひたと近づいていることにも改めて驚いてしまっている私です。


若だんなが幼子であった秋のお彼岸の日。まだすべてに元気だった祖母と一緒に祖母の実家のお墓参りに行ったことがありました。祖母、若だんな、元嫁、そして私。今のオフクロさまよりいくらか若かった年齢であったはずの祖母。ひ孫と孫嫁との秋の一日がとても楽しかったようでした。もう30年近く前、昭和と平成の境くらいの秋の日でした。当時の今時分は近年の地球温暖化とは縁遠いくらいに順当に季節が巡り来てくれていました。だからもう肌寒くて、みんな薄手の長袖を身にはおっていました。
「今日はおばあちゃんがご馳走してあげるからYちゃんの食べたいものを何でも言いなさい」
「ぼく、ロースとんかつ食べたい!!」
まだ3歳になる前の子がロースとんかつを知っていて、事も無げに言えるとはと祖母の喜びを含んだ驚きの顔を今でも忘れられません。お墓参りを済ませてすぐに街なかのレストランに入っていきました。ひ孫との優しくて平和であった思い出も確かこの数年後に祖母が大病を得て、この日が終わりではなかったかと思います。
若だんなは幼い頃から周りの人たちを穏やかにさせる何かしらの力というか魅力を持った子でした。人を喜ばせることも特性です。人生の華の時を東京で長じてしまい、父親になった彼は今どのような世渡りをしていることやら。人々から好かれる、やはり華であってもらいたいものです。
そんな三つ子であった若だんなもしっかり父親に。祖母が存命であれば107才。大病を患うことなくひ孫の子ども、玄孫に会えたかどうだか。無理ですわね。祖母の代わりに83歳のオフクロさまには是非とも長寿をと願うことしきりです。


移り変わる季節の彩りや、その季節のなかにあるさまざまな催事を、親や祖父母や地域の人々から、そして京都や奈良などの歴史と古い街から教えられ体現させてもらっていた私。おかげ様で季節ごとの思い出がたくさんあることに感謝しています。気づけば、季節と思い出が上手いようにリンクしているんだなと改めて驚いています。佳い四季に恵まれ、佳い思い出にも出会えて有り難いことです。
そんな堅苦しい世界や、決まりごとや歴史や文化をとっぷりと好む私。今生で善行を重ねて次に生まれ変わったら、有職故実を満喫できるような職業に就きたいなと思ったりしています。
前世や輪廻というものがあるのであれば、その前世の積み重ねの記憶がいつか役立つ、その時の命の存在でありたいものです。彼岸と此岸をことのほか考えることのできるこの季節。動であった世界が静へと移ろう瞬間も感じつつ、自分自身との対話や見果てぬ先の先に思いを巡らせる貴重なお彼岸ウィークであるのかもしれません。



 

今日は秋分の日。お彼岸のお中日でありました。そしてこの節目の日が私の星の七赤金星でもありました。ここ数日来の望外の涼しさも今日はちょっとひと休みだったのでしょうか、久しぶりに汗ばむ陽気に逆戻ってしまいました。

若さまは20日から今夜までバアバ宅。4日間にわたって親の代わりに孝養を尽くしてくれました。文句も言わずにどころか、率先してバアバと過ごしてくれるのですから有難いことです。待ち受けるオフクロさまに至っては腰痛も疲れもめまいも、そして日頃のさまざまな不安や心配ごとも完璧に払しょくできた孫ぐすりに大即効の様子でした。これも3歳半から小学校卒業まで一緒に暮らしたというまぎれのない事実の結晶かもしれません。孫余韻に浸るであろうオフクロさまを尻目に、私もこれでしばらくは心落ち着かせて暮らせそうです。


午前中に大王さまと近くにある高尾山公園に行ってきました。曇天ながら時折見せてくれる高くなった秋空を眺めながらの気分転換と、若さまが来週には帰京してしまうのでその寂しさを軽減させるというか気持ちを逸らせる予行の練習みたいな思いで出掛けました。

森や林の山の自然の風合いを活かしながら、要所には人工的に手を加えてつくられている趣きのある公園です。春の梅や桜、夏の青葉やスイレン、秋の落葉の林など四季折々に愉しませてくれる植物もまたたくさん植えられていて、終日ここで過ごしても飽きない結構な憩の場所になっています。

シルバーウィーク最終日の今日は家族連れや若者のグループが思い思いに過ごしていて、その景色を見るのもまた何だか気持ちが落ち着いていくような安心感がありました。聞くとはなしに耳に飛び込んでくる家族の笑い声、若者の歓声も心地よいですね。


高尾山の彼岸花
■家の近所にこんなにも心落ち着ける風景があったなんてと嬉しくなってしまいました■

高尾山の金木犀
■金木犀酒仕込み発起の木になりました。この後から大騒動へと!!■

オジサンふたり、ポツポツと歩きはじめてすぐに見つけたのがこの時季ならではのヒガンバナでした。人工池の土手の淵に植えられている姿に今年の秋の訪れの足早さを見た思いがしました。

「いつもより早くないですか?? それにどこからか金木犀の匂いがするんだけどいい感じだね」

「そうよなぁ。曼珠沙華、今年は数日は早いような気がする。金木犀だって数日は早いみたいだね」

池とヒガンバナの写真を撮って金木犀の香りのする風上方へと、自分たちの臭覚を頼りにしばらく歩いていると。人間て立派な生き物ですね。はたらいた五感どおりに立派な金木犀の木がすっくと立っていました。

「遠くのここから匂っていたんだね。心に沁みるみたいに秋を感じるね。おぉそうだ!! 金木犀酒をつくろう!! あんたの好きな桂花陳酒よ。この木から失敬するのは失礼千万なことだから、これから金木犀のある親戚の家に行って摘んでくるわ!!」

「思い立ったらやることが早いね。飲み食いすることに関しては貪欲というか機敏なんだからすごいシニアだね」

今年は夏の初めから果実酒づくりに精を出しています。どうやらハマりそうな風向きになってきています。そうと決まればこれまでに仕込んだビワや桃やイチゴと同様のガラス瓶を調達せねばと、急いで買いに走ってその足で親せき宅へ飛び込みました。かくかくしかじかゆえ、ご協力を下さいましと。

「ちょうど咲き始めたので佳い酒が出来るでしょう。いくらでも摘んで帰んなさい」

ところがまぁ、この金木犀の花ったら小さいものだから摘んでも手からこぼれること。途中で飽きて200gの収穫が精一杯でした。それでも大好きな香りのこの金木犀の花を生まれて初めて酒に化けさせるという喜び。礼もそこそこにすぐに家に帰って仕込みました。

明後日は叔母の19年目の祥月命日です。金木犀の花の香りが漂いはじめるとちょうどその頃に亡くなった叔母のことを思い出します。東京に単身赴任中だった私。大都会とは言いながらもどこかしらから漂ってくる慣れ親しんだ芳香。清冽な秋の空気がさらに緊張するような確かさを感じていました。祖母危篤の連絡を受けてすぐに飛行機に飛び乗って大分の病院に駆けつけたのが9月24日夕方でした。そのまま祖母の病室で一夜を過ごそうと決めウトウトしていたその翌日の未明に叔母が亡くなったという報せが病院のナースセンターに。祖母ももはや昏睡状態。午前3時前のどっちつかずの立場に陥った私でした。取り急いで叔母の元へと支度をしていた私に、不思議なこともあるもので意識が混濁している祖母がそこにN子がお位牌を持って立っていると言いました。あの時ばかりは背筋が凍りつく思いがしました。この世から離れてしまった人と、この世から離れようとしている人の魂の交信が行われているように感じました。

19年前にはお彼岸前後に咲いていた金木犀でしたが、それ以降年を経るごとに咲く時期がだんだんと遅くずれ込んでいっていました。久しぶりに今年は叔母の祥月命日に合わせてくれるかのような咲きっぷりに感謝しています。あのドタバタの寂しさから19年かと、経ってしまった年月の重さに改めて嘆息したりしています。

お彼岸は亡き人の面影を偲び、そして我々がこの世で元気に過ごせていることに感謝をせねばと思いますね。そして昼と夜の時間がほぼ同じの今日。人も自然も右や左やと偏ることなく真ん中。正中を歩みしっかりと立ち続けてほしいものだと思ったりしています。 




紫式部
<秋の山に凛としてて。いい感じ!!>


若さまの高校では昨日今日明日と、日頃の刻苦勉励も忘れて三日間も文化祭と体育祭が行われております。そうです。全校挙げての「パンダ祭り」であります。秋分の日の土曜日には地獄のような模試があるので束の間の息抜きのようです。大量の笹竹に釣られてるようでお可哀そうなことです。

昨年の文化祭は初めてでもあるしと意気込んで乗り込みました。中学生にちょっと毛の生えたような可愛い一年生ばかりでした。今年は行きません。当家の若さまのここのところの半大人ぶりからも察しが付きます。あの高校のパンダ諸君の生意気さ、男の子たちのモワモワとした汗臭さ、女の子たちのツンツンの取り澄まし気味は推して知るべしであります。物見遊山のお平らな気持ちで行くのは憚られるような敷居の高さに相違ないと踏んでおります。ところがあろうことか不思議なことに若さまから学校訪問のお誘いの言葉を懇ろに賜りました。

「今年は来ないの?? 部活とか見てくれればいいのに」

「ありがとう。でも貴方たちの成長ぶりは日々光り輝きを増し美しいものがあるけれど、もうお父さんくらい下降気味のになると、そんな場所はそぐわないし雰囲気が逆流しそうで申し訳なく思うんだわ。だからせっかくだけど今年はもう遠慮するよ」

「別にいいのに。昨日も友達のお母さんが来ていて声を掛けられたけど群れで行動していた。確かに大勢だと恥ずかしさも等分出来るけど、ひとりふたりだと辛いかもしれないね。一斉に注目されるもんね。それを見る僕も恥ずかしくなるし」

「良く分かっているじゃぁないかい。その通りだから行かないね」

ということで今年はパスしました。その代わりと言ってはなんですが、しっかりとパンダのお祭りバージョンの弁当をこしらえて持たせてやりました。


昨日は事前予約していた唐揚げやフライドポテトや鶏めしなどご堪能あそばして、ご学友と秋空の下で大いに愉しんだ由でありました。明日は体育祭バージョンのお弁当にするつもりであります。

さて7時の電車に乗る若さまを毎度の駅まで連れて行き、今朝はそのまま父の墓のお掃除なんぞに馳せ参じました。昨日はお彼岸にも入ってしまったし涼しくなったしで、思い切って一時間をかけての丁寧な大掃除でありました。お盆の掃除以来ですから1ヶ月以上汚れたまんまでした。

葬儀の打ち合わせの朦朧の時に、どさくさまぎれに葬儀屋から勧められて買ってしまった有田の高級白磁の壺20万円也に入って墓石の下に鎮座している父は、埃と枯れた花がくっついた墓石にさぞかしイライラしたに相違なかったはずです。そして。

「お父さんが墓地の真ん中の、それも人の往来の一番激しい場所に墓所を買っていたのでいつも綺麗にしておかなきゃ笑われるわよね。それにここのご近所さんほとんどがその墓所を買っているので我が家のを知らない訳がないし。あの世に行ってもご近所づきあいが一緒だなんてちょっと鬱陶しいけど。まぁとにかく今回もお掃除を宜しく頼むわね」

何度もバケツの水で思いきり水をぶちまけて水勢でまずは大方の汚れをぶち飛ばします。お盆のホオズキの残骸や鳥のフンなど水で浮かせた汚れをタワシで軽くこすり取ります。まず花立てに花を供えます。線香とロウソクを香炉に焚いて灯してまずはひと参り。さて線香の佳い香りを嗅ぎながら、ぶちまけた水と汚れを吸水性が抜群のタオルで吸い取り拭き取りしていきます。おぉ、見違えるくらいに綺麗さっぱり!! 最後に水鉢に綺麗な水を柄杓で注ぎ入れます。

「お父さん。終わったぜ。どうね男前になったようで気持ちいいやろう。お母さんはお父さんが守ってくれてるから元気だよ。Yは早く結婚すればいいのにあの調子。ちょっと東京まで飛んで行って尻でも叩いて来てよ。Rは勉強を頑張ってるけど最近はとみに理屈っぽくなってね。パンダ高校の大先輩でもある爺さん似かもしれないね。オレねぇ、何とかしてくれませんか。どうも最近フン詰まり気味で人生が良くないんだわ。こうやってオレひとりがいつも墓掃除に来てるんだからぼちぼちご褒美なんぞをおくれでないでしょうか。南無南無」

梅ちゃん先生のことも忘れて掃除と報告と、それに見合うだけの霊験というか仏力あらたかなるご褒美の催促と目まぐるしく願い上げ奉りました。

ご褒美云々よりもさすがに気持ちが良くなってお彼岸のお参りの有難さを感じることが出来ました。これで泉下、墓下の父もご近所に恥じ入ることなく人心地ついたことではないかいなと思いながら家路につきました。


大王さま、今日は涼しいからと大いに発奮してウォーキングに出掛けてきました。秋の風が体を撫ぜまくって定めし気持ちも良いことでしょう。お土産代わりに鮮やかなムラサキシキブを撮ってきてくれました。私も元気に歩いていた去年と同じ場所に佇んでくれていたようです。高貴な紫色の可愛い実がいくつも生ってまるで巫女さんが持つ御鈴のような姿です。秋の透明な風に乗ってシャンシャンともリンリンとも、何だか清らかな鈴の音でも聞こえてきそうな雰囲気です。

山にある紫の実を紫式部と名付けた昔人の雅さに脱帽ですね。これから葉が落ちていよいよ紫の実だけが枯れ野に映えていきます。暑さ寒さも彼岸まで、良い季節がそこまで来てくれているのですね。


一昨日でしたかNHKの夕方のローカル番組で久住の自然を守り観察している人たちの紹介コーナーがありました。アケビや女郎花やリンドウ、吾亦紅など秋の草花が高原の地にまったりと佇んでいました。案内していた男性が「では良い物をお見せしましょう」と、連れて行ってくれた場所にあるはずだったヒゴタイがハサミで切られて無残な姿に。案内の男性もレポーターの女性も絶句していました。こんなことをする人がいるのかと我が家の3人もテレビを見ながら絶句し、言いようのない寂しさにとらわれてしまいました。野にあるものは野のまんまに。口にすることが出来る恵みは許しを乞うて少量頂く。それが自然への礼儀ではないかと思いました。

家に持ち帰られたヒゴタイは、しばらくは花瓶に挿されて美しくその姿を楽しませてくれるでしょうが、終わればゴミと一緒に見知らぬゴミ処理場に持って行かれます。心ない人さえ、心得違いさえしなければ果てしない寂しい旅をせずに久住の山で幾代にも亘ってそこに居れたのに。自分さえ楽しむなんていけませんね。眼福の意味が違うと思いますが。


 


彼岸の入りに付き父の墓や母方の菩提寺、それと従弟氏の曹洞宗のお寺にそれぞれお参りに上がった。
暑さ寒さも彼岸までと昔から言われていて、ここ数年前まではその言い伝え通りの暦の流れだったけど、最近は暑さ寒さがバラバラにみたいな。それでも秋の彼岸の代名詞の彼岸花があちらこちらで咲き始めているのには感心した。
春は土筆が、秋は彼岸花が土の中から頭を出すみたいな……。
植物や動物たちは昔からインプットされている季節感のDNAに狂いは生じていないような。嬉しいけど、これ以上生物たちの生き場がなくならないようにと思うのであります。植物や動物たちの生態系の狂いは、いずれ人間にも襲いかかってくるという警告だと思うんだけど。

「巣ごもりウィーク」2日目
墓参りの帰りに西大分にある「フレスポ春日浦」というショッピングモールで買い物。オフクロを軸に若いの歳なのの男3人お供で
久しぶりにお茶でもしようということになって、敷地内にある「珈琲館」にお邪魔。
世田谷の経堂駅近くの農大通りにもあって、近くだったのでしばしば従弟と行っていた。経堂の店と洗練さは違うけど味は同じで美味しかった。そういえばあの店に行くのは、雨の日の休日が多かったみたいな記憶があるんだけど。
外でのお茶が久しいオフクロも雰囲気に身をゆだねながら美味しそうに飲み上げていた。気分が良くなったのか、大らかな気持ちになったのか、
「秋田に行っていたら今ごろはどこ辺りでしょ」、などと寝た子を覚ますようなことを悠長に口走るオフクロ。
「台風、関係なかったしね」と恨みごとを3個くらい返してやった
でもやっぱり、1000円渋滞の影響で予定通りの旅程ではなかったかもしれないと思うと、これはこれで成ったことは仕方が無いということにすべと

フレスポでショッピングバック3つくらいの大買い物をしたオフクロ。
「今日はおばあちゃんちに泊まらない?」と、息子を誘っている。
「いいよ〜」と簡単に承諾した息子。
「大丈夫??」と念押しするおやじ。
「だって明日が敬老の日だから泊まってあげるわ」と。
喜々とした顔のバアバ、どんな孝行をしようかと考えを巡らせている孫、アッパレな息子が留守なら何をしようかと思い巡らせる技量の狭いおやじ。
穏やかな……、洵に結構なSWですね

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オヤジズム、3日間の弁当持たせは意地でもあり愛情でもありだった。
確かに「ふぅ〜〜〜〜〜」みたいなやり場のない気持ちはあるけれど、
「お父さん美味しかったよ」と言ってくれるひと言と、あと5年もすればこの子も親離れしてしまうのかというジワジワと忍び寄ってくる寂しさ……。そんな複雑な思いが混ぜ混ぜのミックスになって弁当作りの原動力になっているのかもしれない。
オンビニのおにぎりなんて持たせまい、出来る限りすべてを手作りにして……。
これは長男の時からの弁当に対するオヤジズム
特に母親の味も温かみも知らない次男には、母に代ってゴツゴツした父の弁当でもいいや、必ず持たせてやりたいと。きっと大人になった時に普通の子の半分でもいい、愛情をわかってくれればと思っている。

さて今日のは昨晩から仕込んでいたワイン漬けステーキ肉、オクラの醤油浸し、スパゲティー、ちりめんじゃことピーマンのピリ辛、それと鳥と玉子のそぼろご飯。
ステーキはオージービーフとは思えなくらいの柔らかさに大変身してくれて、これは弁当の菜にはもったいないくらいの頷きの上出来モン
よっしゃ、今度は夕食のメインデッシュに据えてやろっと。
「兄さんの弁当は総体的に茶色だねぇ」と、カメラをのぞきながら口出す従弟氏。
確かに目にも鮮やかな、かわいらしい弁当じゃないことは自覚している。
「まぁね、おやじの作ったのってこれくらいでいいんじゃないの」と、やり返してはいるけど学習の余地は大だな。

抜歯の洗浄に歯医者に行った帰りに父の墓に寄り、お彼岸前の掃除をしてきた。
ほうきでゴミをかき寄せて、水をかけて、ぞうきんで拭き上げて、ひとりでせっせとするのも何となく気持ちがこもっていい感じ。自浄されていく不思議な感覚が満ちてくるみたいな。
「お父さん、オフクロがね」とか、「子供たちはね」とか、いつの間にやら生前に交わしたこともないような穏やかさで話しかけていた。
父から受け継いだものって結局はモノでもカタチでもなかった。それは「心」だったのかもしれない。そして今、息子の弁当をこしらえながら「心」を伝達しているような気がする。
有と無の違いはあるけれど、オヤジズムのDNAって不思議なものですね

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