遅く咲いた今年の桜は、雨にたたられて開花から一週間後の頃にはかすかな風に舞いながら散っていく風景へと変わりました。そして雨や風のいたずらに堪えて踏ん張っていた今年の桜の季節も終わりを迎えています。今年の花は例年になくピンクの色が勝っていたようにも見えました。遅く咲いた分、生命の刹那を一輪ごとの花に託したような切なさすら感じました。色が濃かった分、あっという間の春の出来事が過ぎ去ったような寂寥感、寂しさに包まれているところです。
初夏かいなと思うくらいに暑かった昨日でした。日田市の気温が29℃超えであったと聞いてさらに驚きました。今日は雨降りに変わって、残りの花も雨しずくと共に落花していっています。雨に濡れたウッドデッキに散る桜はまるで花筏。はらはらと舞ってはへばりついていくさま。これはこれで最後の愉しみをプレゼントしてくれているのかもと思いました。
すべての花が終わり、しべが散ってしまったら今年はたっぷりのお礼肥えをするつもりでいます。なんだか樹勢がイマイチに見えて仕方なくて。例年になく大奮発の肥料をそこら中に埋めていくことにします。今年の夏も暑すぎだったら葉っぱともども枝までダメージを与えられることは決まっています。うんと栄養をつけさせて夏のひどさを乗り切ってもらわなきゃと思っています。
花散らしの庭にあるデウイシタ像。我が家に来てぼちぼち一年になろうとしています。庭のあちらこちらに据えては置き直しの繰り返しで、デウィンタさんもさぞかし落ち着かなかったことでしょうが、昨年秋以来、リキュウバイの下に収まってしまいました。何となくしっくり感じてそのまんまが続いています。収まるべきところに収まる。つまりは「なるようになる」、何やら万事そのように感じるのが人生の成りゆきみたいですね。
お父上が亡くなった方から忌明けの。家を建てた30歳三代目さんへの新築祝いの内祝いの。それぞれカタログギフトが届いて我が家はにわかに華やいでおります。まるで呉服屋さんが持ってきた反物を広げては喜んでいる細雪のお嬢たちみたい(笑)
選ぶというのはとっても楽しい反面、非常に疲れますね。神経をすり減らしながら品物を選ぶ。つまりは欲深な人間の素のまんまが躊躇なく噴き出ているみたいな。
「兄さん!! もう器の類はやめてくださいよ!! もう我が家に収納場所ないでしょ!! それと訳の分からない使いもしないような物もね」
「へいへい。器、やめまする。食べ物も、やめまする。リゾート温泉利用券も、いりませぬ」
やめまする、いりませぬ。そうやってくると、ほとんど「これぞ!!」というドンピシャが見当たらなくなってきます。頭混乱、取捨選択ゲームにハマっているようなものです。
若だんなの結婚の引き出物もカタログギフトでしたが非常に佳い品ぞろえばかりでした。きっと随分と奮発したようですが、一生の思い出は新郎新婦二人だけにとどまらず招かれた方も大切な思い出になるはずです。その心ばかりのカタチ、お礼の品にケチをしていたらその品物を見るたびに結婚式自体の不満までもが塗り重なってくるものです。現に……という結婚式と引き出物の貧弱さに開いた口が塞がらない体験もしました。大枚包んで料理はバイキングかよ。引き出物はこんな物かよと大いに憤慨した若者の結婚式でした。要は品格ね。すべてに品のないことでした。
人柄が顕著に現れるのが冠婚葬祭とそれにまつらう引き物や季節の挨拶に添える心ばかりの品物。いずれも如何に心がこもっているかいないかということですね。未熟者ではすまされない、これは常識の範疇なんだけどと最近はご同輩が寄って集ってこんな話で盛り上がっています。日々の暮らしの環境や境遇が年齢とともに似てきたということでしょうか。
さてさてそんな神経をすり減らす話よりも品物選び。せっせとカタログのページめくりも激しく行きつ戻りつセレクトに精を出している私です。
今日は海老蔵さんが大分で『古典への誘い』を。昼夜二回の公演らしいです。
昨日から大分入りしている海老さんは今朝などホテル近くのコンビニやファミレスまで散歩したとか。定番のスタイルのサングラスとパーカーと白のTシャツで早朝の大分駅周辺を歩いたのかと思うと、梨園ナンバーワンの家柄のお子の躊躇ない行動に親しみを感じました。
いろいろあったし、奥さんの病気も大変だし、父親の役目もこなさねばならないし。それでも歌舞伎界をけん引する大きな存在へと変わりつつある海老蔵さん。父親の団十郎さんが存命の頃はあまりいい感じのしなかった海老蔵さんでした。今では両肩にあれこれがのしかかって何となくですが可哀想さがを感じているところです。頑張ってほしいです。